※かなり飲みながらのまとまりのないメモなので後日加筆修正削除するかも。
五感のうち、嗅覚で感じとれるものは、「におい」と表現される。
人間にとって心地よいにおいは「香り(かおり)」、不快なにおいは「臭い(くさい)」と言われる。
においにはむかしから興味がある。
学生時代にはハーブ愛好会にも属していた。
田舎育ちなので土のにおいやおがくずのにおい、草のにおいや川のにおいはいつでも思い出せる。
(100年後の世界ではにおいの出るテレビが標準になって、田舎に行った子どもたちが「テレビのにおいよりも実物のにおいのほうが薄い」と言うのが社会問題化しているかもしれない、などと夢想する)
いつか、田舎のにおいをテーマに何か書き残せたらと思っている。
今でも、柿の葉、樫の葉、南天の葉、椿の葉、松の葉、等々庭にあった木の葉のにおいは目隠ししても当てられるのではないだろうか。
東京は、あまり香り豊かな土地ではない。
庭木の金木犀や沈丁花のにおい、雨がアスファルトに降り出したときのにおいなどはあるけど、草や木や土のにおいはあまりしない。
昨日も中目黒から目黒川沿いを自転車で通り過ぎたけど、ヘドロのような臭いにおいがした。
私は、腐敗した川のにおいや、下水から通りに漂ってくるヘドロのにおいが苦手だ。
様々な原因によってにおいは発生する。
石けんのにおい、ハーブのにおい、おならのにおい。
汗が蒸れたにおい、雑菌が繁殖したにおい、整髪料や化粧品のにおい。
インクのにおい、カーペットのにおい、コーヒーのにおい、皮革製品のにおい。
中でも、臭いにおいは否定的なイメージでとらえられることが多い。
臭い(くさい)、というのはイジメの場面でよく使われる言葉だ。
子どもたちのいじめの場面で多く使われるのは「臭い(くさい)」という言葉だし、
若い女性会社員がおじさんたちを「たばこ臭い」と言うのも否定的イメージだ。
地味な女性が派手な女性に対して「化粧臭い」と言う事もある。
母親だって子どもに臭いものは触らそうとはしないだろう。
「臭い(くさい)」というのは生理的にいやな感じをあらわすのに便利な言葉だ。
心ない一部の日本人は韓国人に対してキムチ臭いと言う。
おなじように韓国人は日本人に醤油臭い、ダシ臭いと言う。
皮革製品を製造している被差別の人たちも、臭いと言われたことがあるだろう。
臭いものイコール価値のないもの、否定されるべきもの、というイメージが世の中にあるから、相手をおとしめるのに便利な言葉なのだ。臭い、というのは。
同じような、感覚的に相手をおとしめる、相手に価値がないとバカにするのに便利な言葉もたくさんある。
売春婦、犯罪者、カルト信者、右翼、極右新聞、アサヒる、侮日新聞、バカ、アホ、ノータリン、変態、デブ、等々。
ハゲのくせに。チビのくせに。不倫してるくせに。もてないくせに。
整形のくせに。犯罪者のくせに。貧乏人のくせに。被差別出身のくせに。
学歴ないくせに。一重のくせに。鼻低いくせに。
どれも短絡的な感覚的な言葉だ。
理性のある者や表現力のある者はそのような安易な表現を投げつけたりしないけど、何か感じることがあってもそれを論理的に考えることのできない人は、安易な言葉を使って何か言った気になってすっきりする。
まあ、サミットに反対する反グローバル化運動を熱心にされている方々(G8対抗国際フォーラム)のように、うっすらとしたイメージを付加された、まわりくどい言葉を長々と述べているけど中身はたいして無いのでは、というのも似たようなものかも。
一言で言い切らなくていいから、長々と言わなくていいから、良いとか悪いといったイメージを付加されていない言葉で、誠実に論理を述べてほしい。
そうしないと、共同の価値観(外国人排斥だとか反グローバルだとか)を持っていない人間には伝わらない。
自分たちの内輪の言葉で盛り上がるのもいいけど、それは芸術や哲学としてはレベルの低い行為だ。
国内で芸術のレベルに達していない俳句をこつこつと内輪で見せ合っている俳句結社の人たちみたい。
G8対抗国際フォーラムさんも、もうちょっと一般の人に届く表現をすればいいのに。
ここまで注目されていないのも珍しい。
それはともかく、話を元に戻す。
人間が臭いと感じる物質は様々だ。
多くの場合、人間の生命の維持を脅かすものは、臭いにおいに感じられる。
硫化水素も硫黄も塩素も臭うのは生命を脅かす恐れがあるからだ。
吸入すると血液に酸素が行き渡らなくなる。
下水が不快なにおいを放つのも、焼いたビニールが嫌なにおいを出すのも、有毒なガスが発生しているからだ。
もっとも、一酸化炭素などのように、においがしないのに人体に害を与える気体も多い。
クサヤやチーズのように、臭くても害がないものも多い。
まあ、クサヤやチーズやドゥリアンは、よくにおいをかぐと生命に危険を感じさせるものではないですけどね。
とにかく、基本的に、人間に害になるものは、臭い。
腐敗している食べ物にハエやうじ虫がおいしそうに集まっていても、人間がそれを口に入れると生命の維持に支障をきたす。
だから、人間は腐敗しているものを口にしない。
腐敗しているものに近寄っているハエやうじ虫を否定的な目で見る。
そんなの、自分の人間の自分勝手。ハエやうじ虫にとっていい迷惑。
そういえば、化学物質というか元素に、臭素(Br)というものがある。
たしかに、臭素は刺激臭あって臭いけど、すべての生物にとって臭いわけではない。
すべての生物にとって臭い物質などというものはない。
すべての生物にとって毒となる物質がないように。
人間の生命活動を維持するために必要な組織を破壊するおそれがあるものは、「臭い」と認識され、体内に入れることを拒絶される。
社会組織の維持を破壊するおそれがあるものは、「悪い」と認識され、社会の中でのさばることを拒否される。
団体組織の維持を破壊するおそれがあるものは、分裂主義者とか反革命分子だとかスパイなどと言われ、追い出される。
子どもたちは、社会的常識を学んでおらず残酷な面を持つから、違いのある者をあからさまに否定する。
いじめはいけないよ、と言う大人たちはどうだろう。
犯罪者を否定して、組織と幻想を共有しないものを疎外して、臭いものを否定して。
たいして成長していないのではないのか、大人たちは。
子どもたちに大人の幻想を押し付けて「いじめはよくない」「臭いものは捨てろ」なんどと言う前に、自分の差別心というか否定する意識を直視しなくては、何の解決にもつながらないのでは、と感じる。
五感のうち、嗅覚で感じとれるものは、「におい」と表現される。
人間にとって心地よいにおいは「香り(かおり)」、不快なにおいは「臭い(くさい)」と言われる。
においにはむかしから興味がある。
学生時代にはハーブ愛好会にも属していた。
田舎育ちなので土のにおいやおがくずのにおい、草のにおいや川のにおいはいつでも思い出せる。
(100年後の世界ではにおいの出るテレビが標準になって、田舎に行った子どもたちが「テレビのにおいよりも実物のにおいのほうが薄い」と言うのが社会問題化しているかもしれない、などと夢想する)
いつか、田舎のにおいをテーマに何か書き残せたらと思っている。
今でも、柿の葉、樫の葉、南天の葉、椿の葉、松の葉、等々庭にあった木の葉のにおいは目隠ししても当てられるのではないだろうか。
東京は、あまり香り豊かな土地ではない。
庭木の金木犀や沈丁花のにおい、雨がアスファルトに降り出したときのにおいなどはあるけど、草や木や土のにおいはあまりしない。
昨日も中目黒から目黒川沿いを自転車で通り過ぎたけど、ヘドロのような臭いにおいがした。
私は、腐敗した川のにおいや、下水から通りに漂ってくるヘドロのにおいが苦手だ。
様々な原因によってにおいは発生する。
石けんのにおい、ハーブのにおい、おならのにおい。
汗が蒸れたにおい、雑菌が繁殖したにおい、整髪料や化粧品のにおい。
インクのにおい、カーペットのにおい、コーヒーのにおい、皮革製品のにおい。
中でも、臭いにおいは否定的なイメージでとらえられることが多い。
臭い(くさい)、というのはイジメの場面でよく使われる言葉だ。
子どもたちのいじめの場面で多く使われるのは「臭い(くさい)」という言葉だし、
若い女性会社員がおじさんたちを「たばこ臭い」と言うのも否定的イメージだ。
地味な女性が派手な女性に対して「化粧臭い」と言う事もある。
母親だって子どもに臭いものは触らそうとはしないだろう。
「臭い(くさい)」というのは生理的にいやな感じをあらわすのに便利な言葉だ。
心ない一部の日本人は韓国人に対してキムチ臭いと言う。
おなじように韓国人は日本人に醤油臭い、ダシ臭いと言う。
皮革製品を製造している被差別の人たちも、臭いと言われたことがあるだろう。
臭いものイコール価値のないもの、否定されるべきもの、というイメージが世の中にあるから、相手をおとしめるのに便利な言葉なのだ。臭い、というのは。
同じような、感覚的に相手をおとしめる、相手に価値がないとバカにするのに便利な言葉もたくさんある。
売春婦、犯罪者、カルト信者、右翼、極右新聞、アサヒる、侮日新聞、バカ、アホ、ノータリン、変態、デブ、等々。
ハゲのくせに。チビのくせに。不倫してるくせに。もてないくせに。
整形のくせに。犯罪者のくせに。貧乏人のくせに。被差別出身のくせに。
学歴ないくせに。一重のくせに。鼻低いくせに。
どれも短絡的な感覚的な言葉だ。
理性のある者や表現力のある者はそのような安易な表現を投げつけたりしないけど、何か感じることがあってもそれを論理的に考えることのできない人は、安易な言葉を使って何か言った気になってすっきりする。
まあ、サミットに反対する反グローバル化運動を熱心にされている方々(G8対抗国際フォーラム)のように、うっすらとしたイメージを付加された、まわりくどい言葉を長々と述べているけど中身はたいして無いのでは、というのも似たようなものかも。
一言で言い切らなくていいから、長々と言わなくていいから、良いとか悪いといったイメージを付加されていない言葉で、誠実に論理を述べてほしい。
そうしないと、共同の価値観(外国人排斥だとか反グローバルだとか)を持っていない人間には伝わらない。
自分たちの内輪の言葉で盛り上がるのもいいけど、それは芸術や哲学としてはレベルの低い行為だ。
国内で芸術のレベルに達していない俳句をこつこつと内輪で見せ合っている俳句結社の人たちみたい。
G8対抗国際フォーラムさんも、もうちょっと一般の人に届く表現をすればいいのに。
ここまで注目されていないのも珍しい。
それはともかく、話を元に戻す。
人間が臭いと感じる物質は様々だ。
多くの場合、人間の生命の維持を脅かすものは、臭いにおいに感じられる。
硫化水素も硫黄も塩素も臭うのは生命を脅かす恐れがあるからだ。
吸入すると血液に酸素が行き渡らなくなる。
下水が不快なにおいを放つのも、焼いたビニールが嫌なにおいを出すのも、有毒なガスが発生しているからだ。
もっとも、一酸化炭素などのように、においがしないのに人体に害を与える気体も多い。
クサヤやチーズのように、臭くても害がないものも多い。
まあ、クサヤやチーズやドゥリアンは、よくにおいをかぐと生命に危険を感じさせるものではないですけどね。
とにかく、基本的に、人間に害になるものは、臭い。
腐敗している食べ物にハエやうじ虫がおいしそうに集まっていても、人間がそれを口に入れると生命の維持に支障をきたす。
だから、人間は腐敗しているものを口にしない。
腐敗しているものに近寄っているハエやうじ虫を否定的な目で見る。
そんなの、自分の人間の自分勝手。ハエやうじ虫にとっていい迷惑。
そういえば、化学物質というか元素に、臭素(Br)というものがある。
たしかに、臭素は刺激臭あって臭いけど、すべての生物にとって臭いわけではない。
すべての生物にとって臭い物質などというものはない。
すべての生物にとって毒となる物質がないように。
人間の生命活動を維持するために必要な組織を破壊するおそれがあるものは、「臭い」と認識され、体内に入れることを拒絶される。
社会組織の維持を破壊するおそれがあるものは、「悪い」と認識され、社会の中でのさばることを拒否される。
団体組織の維持を破壊するおそれがあるものは、分裂主義者とか反革命分子だとかスパイなどと言われ、追い出される。
子どもたちは、社会的常識を学んでおらず残酷な面を持つから、違いのある者をあからさまに否定する。
いじめはいけないよ、と言う大人たちはどうだろう。
犯罪者を否定して、組織と幻想を共有しないものを疎外して、臭いものを否定して。
たいして成長していないのではないのか、大人たちは。
子どもたちに大人の幻想を押し付けて「いじめはよくない」「臭いものは捨てろ」なんどと言う前に、自分の差別心というか否定する意識を直視しなくては、何の解決にもつながらないのでは、と感じる。