波打ち際の考察

思ったこと感じたことのメモです。
コメント欄はほとんど見ていないので御用のある方はメールでご連絡を。
波屋山人

農村

2011-07-03 21:32:58 | Weblog
中国から日本に視察に来る経済人や官僚は多い。
先端科学の情報や一般市民との交流に関心を示し、企業経営や官僚組織などにも興味を持つ。
日本の受け入れ側は礼儀正しく親切だけど、中国の人が何を知りたがっているか把握していないときもある。

中国の人たちは、自分たちの社会において問題となっていることが日本ではどんな状況なのかということに興味がある。
例えば、都市部と農村部の生活レベルの格差。
一般人の教養レベル、官僚の汚職、環境汚染などにも関心があるだろうけど、もっとも興味があるのは日本の農村部の経済はどうなっているのだろう、ということだ。
日本の都市部が先端的なことは知っているけど、農村部ではそんなことはないだろうと思っている。

中国の人が視察に来たら、田舎出身の人は彼らを実家に連れて行けば喜んでもらえるかもしれない。
海の幸や山の幸の手料理や、むかしながらの和風建築も喜んでもらえるだろう。

日本では、田舎の家に車や液晶テレビやパソコンやエアコンがあるのは普通だ。
土地は安いし交通機関は発達していないから、庭のある広い家に住んで複数台の車を持っていることも珍しくない。
給料は少なくても、東京よりも余裕のある生活をしている世帯が多く、農村部と都市部の所得格差は大きな問題になっていない。

だけど、中国では農村部と都市部の生活レベルの差が激しい。
収入も住居も食べるものも、着るものもヘアスタイルも違う。

日本の農村に行くと、ひっつめ髪というか、後ろでまとめてしばった髪の女性たちが何人かで買い物をしている姿を目にすることがある。
中国の農村部出身の女性が、日本で研修生として働いているのだ。
アメリカ国務省などでは外国人研修生制度に人身売買のような要素があると指摘しているけど、中国の農村部の人は、中国都市部の工場で働くよりも、日本の農村の工場で働いたほうが多くの収入を得ることができる。

日本の農村には若い人が少ないから、外国人研修生が貴重な労働力となっている。
中国人をはじめとする外国人も、密入国で都会に紛れ込むよりは、低賃金でも合法的に研修生として日本に入国することを望む人は少なくない。

日本の農村と中国の農村はひそかに支えあっているのかもしれない。


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2011-07-03 13:50:35 | Weblog
読売新聞の「時代の証言者」欄で邱永漢さんが半生を振り返っている。
邱永漢さんが今までに書かれていた本の内容と同じような記述が多い。
だけど、読売新聞は1千万部も発行されているから、邱永漢さんの人生をはじめて知る人は何百万人もいるだろう。
1924年3月生まれで87歳になっている邱永漢さんは、スイスで受けたアンチエイジング治療の効果もあり、今も元気に執筆、経営、調査などに従事している。

豊かな生活を楽しむお金持ちマインド、作家や実業家や評論家など自分の活動領域を広げていく創造力、窮地に陥っても動じないで活路を見出す態度、そんなところに以前から魅力を感じている。

邱永漢さんのことを、財テクに詳しい金の亡者だと思う人がいるかもしれないけど、それは違う。
金の亡者というのは態度的にも思考的にも余裕のない人がお金に飲み込まれてしまった姿だけど、ほんとうに豊かな人はお金とうまく付きあい、それを活用する。
邱永漢さんは、成金でもなければがめつい人でもない。悪趣味でもなければ小賢しくもない。お金より価値のあるものの存在も知っている。

ふところも頭脳もハートも、それなりにリッチな人だと言えるだろう。
そんな邱永漢さんの食エッセイは楽しい。
手元にあった2004年発行の『口奢りて久し』を開いてみると、4ページの食エッセイが50話載っている。
何十年もの邱永漢さんの経験の一端を知るだけで豊かな気分になれる。
世界にはおもしろく好奇心を刺激されることが多い。

何もやりたいことがない、夢も希望もないという人は邱永漢さんの本を読んでみればいい。
知らない世界、味わったことのない美食、考えたこともないビジネスチャンス、そんな話のどこかに触発されることがあるだろう。

『口奢りて久し』では台北の鼎泰豊(ディンタイフォンだと思うけど、本文中ではテンタイフオンとルビが振られていた)の小龍包が賞賛されていた。
たしかに台北の鼎泰豊の小龍包は風味豊かでおいしかったけど、一緒に注文した鳥ソバの味の薄さにおどろいたことも思い出した。
鼎泰豊では化学調味料を使っていないのかもしれない。
昨日、渋谷センター街の沖縄食堂やんばるで沖縄そばを食べたとき、なぜかダシの味よりも塩っぽさを感じるなと思ったら、食後に妙に舌に残る妙な感触があった。
きっと化学調味料(うまみ調味料と言うのか?)をたくさん使用しているのだろう。
化学調味料を入れるとうまみは強くなるけど、それを補強する味わいがなければ妙なバランスの料理になってしまう。

表面だけつくろって見栄えよくしている料理や人に違和感をおぼえる人は多い。
底の浅さや内容のなさ、バランスの悪さや人を欺こうとしている態度を見破る人は、ほんとうにおいしいものやほんとうに素晴らしい人と出会うことができるのではないだろうか。

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