去年に続き、全国規模での学力調査が実施された。
文科省の「20年度全国学力・学習状況調査」は4/22(火)に実施。
約3万2,500校で一斉に行われ、小学6年生約118万7千人と中学3年生約113万6千人が参加したらしい。
参加学校数、調査対象児童・生徒数及び、調査問題・正答例・解説資料について、文科省のホームページに掲載されている。
・参加学校数等
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/20/04/08041719.htm
・調査問題・正答例・解説資料
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/20/04/08041715.htm
私はとくに学力テストに否定的ではない。
基本的に、健康診断とか体力テストみたいな位置付けだと考えている。
全国の児童生徒の体力を調べることは人々の健康のために不利益になることではない。
栄養や体力や肥満度や身長や胸囲を調べるのは気にならないけど、
学力を調べるのには反対だ、という姿勢には心の中の差別意識を感じる。
学力で誰かを差別する気持ちがなかったら、どの地域がどんな学力であろうと、気にはならない。
体力測定というか体力調査では、県別の幼児児童の身長体重や肥満度、胸囲などは計測している。
だけど、「岩手はバスト大きいけど大阪はバストが小さい。そういう調査結果が出るのは差別だ。やめろ。わが市は独自に児童生徒の栄養や筋力の充実につとめているから、体力測定には参加しない」、などと言う自治体もないでしょう。
学力調査を批判する声もあるけど、新しい試みの足を引っ張るのは簡単だ。
どこに問題があるか視点を定めたら、問題を解決する方法を提案すればいい。
問題がある、と言って攻撃だけするのは創造力がない。
創造力のない人が日本社会の中に多いから、学校教育を改善しようとしているのかもしれない。
そういった試みに対して、創造力のない言葉を述べるのは非生産的だ。
芸人コンクールを批判するのは簡単だろう。
だけど、おもしろくない芸人が芸人コンクールや芸人養成スクールを批判しても、影響力はない。それに似ている。
創造力のない人は、自分のことを棚にあげて他の人のことをあげつらうこともある。
自分は安全な位置にいて、周囲に文句を言う。
きっと楽しい生活をしていないんだろうな、そういう見方をするくせが身についているんだろうな、と感じる。
問題解決の思考方法のプロであるある著名コンサルタントは、「文章を書けば書くほど下手になる人が多い。数をこなすために考える時間が減るからだ」と喝破した。
問題は何か、どういう状況が目標か、その達成のためには何が問題か、なぜ問題か、どうして問題か、等々といったことを深く分析し、分類し、論理を組み立て、問題解決に向かう。
あいまいな言葉は許されない。
雰囲気に流された、具体的なステップが明示されない言葉は、非常にいい加減なものとして切り捨てられる。
一流のコンサルタントの人たちは、新聞の社説や主張欄を見て反吐が出そうになっているかもしれない。
何々をより良くしたい。→具体的に、どのような数値の状態をよい状態だと規定するのか?
再構築が必要だ→具体的に、いつまでに何をどのような状態にすればいいと提案するのだ?
強化する必要がある→具体的には誰が何をどのような手順で行うべきなのか?
確立が求められる→責任を持って誰がいつまでにどのような数値目標を達成するのか?
新聞記者の人たちはとても頭がいい。
私の知っている人たちはみんな行動力もあり頭もよく、知識も豊富で、人柄までいい。
だけど、もしかしたらあんまり考えていない人も多いのかもしれない。
新聞記者は忙しいから、記事の数をこなさなくてはいけない。
事件や事故やニュースについて書くのはパターン化されてもいいけど、意見を述べるときまでパターン化されると、創造力や問題解決力が感じられなくなる。
学力テストについて朝日新聞の編集委員(教育問題)の人が意見を書いているけど、氏岡真弓編集委員が児童だったときには、このようなパターンの思考はしていなかったのではないかと思う。
学力テストの問題点をぽつぽつ列挙したあとに、
結論は「全国学力調査そのものの検証こそが求められていると思います」。
問題点を挙げて「問題がある」「なんとかしなくてはいけない」などと言うのは、むかしの評論家によくある発言パターン。
60年代や70年代、80年代もそうでしたっけ。
そういった時代の論壇の影響を受けてきたのだろうか。
当時の論壇は、問題解決の方法や代替案などについて言及することなく、問題点を見つけて突っつくことが批判的で知的、などと思っていた。
そうでもなければそんなレベルの思考で立ち止まらなかっただろう。
そういった発言の実りのなさに気づいた人も多く、90年代、2000年代にはきちんと代替案や問題解決の手順について言及する、創造的な発言者も増えてきた。
学力テストに批判する人は、ぜひ創造的に学力テストを批判してみてください。
そうでないと、おもしろい芸もできないのにM-1グランプリを否定している芸人みたい。
すばらしい曲も歌えないのにメジャーなミュージックシーンを否定しているミュージシャンみたい。
狭い研究しかできないのに現代の論壇に文句をつける教授みたい。
会社を経営する意識もなく、会社に養ってもらっているのに文句だけは言う社員みたい。
これからの子どもたちが、創造力や論理的思考能力をやしない、人の足を引っ張ったり自分の乗っている土台を他人事のように言って否定する人になってしまうことを克服できますように!
※朝日新聞アスパラクラブのサイトから(朝日新聞購読者限定ページ)
教育いったりきたり>文部科学省・教育委員会>全国学力調査の課題は
■全国学力調査の課題は
2008年04月23日(水)更新
「先生1年生」に多くのコメントをいただき、ありがとうございました。皆さんの声を伝えようとこの日曜日、アツコの家に行ってきました。アツコは小学3年生の学級担任としてスタートを切っています。ねじりはちまきで今週の授業準備をしていました。
クラスは前年からのいじめ問題をひきずっているそうです。不登校の子もいます。「一人ひとりにどうしてあげればいいんだろう。自分がどんなに薄っぺらか感じている」とアツコ。始まったばかりの彼女の物語を、これからも見ていきたいと思います。
さて、今回は全国学力調査の話題です。調査は今年も22日、全国の小学6年生、中学3年生を対象に行われました。写真は、この日の福岡市中央区の南当仁小学校での様子です。
学年全員を対象とする「悉皆(しっかい)調査」の方式は、1960年代に実施されたときに激しい反対運動が広がり、今回もその是非をめぐって議論が続いています。しかし論点は、調査の方式だけではありません。実際にその結果が生かされているかどうかも考えなければならないと思います。
去年10月に発表された1回目の結果はどうだったか。仲間の記者と取材しました。突き当たったのは、多くの学校や教育委員会でデータを十分に生かせていないという現実です。
まず、小中学校です。学年初めにテストを受けて、結果が返ってきたのは半年後。「1人ひとりの指導に生かすには遅すぎる」と先生たちは話します。
しかも、返されたのは答案そのものではなく、どの問題が間違ったかという個票です。ある小学校では、先生たちが各学級で出来の悪かった問題をもう一度取りあげましたが、多くの子は自分のつまずいたところを覚えていなかったそうです。
中学校となると、進路指導で忙しい時期で、個票を渡すだけだった学校も目立ちます。多忙ななか、全国平均や都道府県平均の数値と比べて「ウチはこんなものか」で終わった学校が多かったようです。
都道府県や市町村の教委はどうでしょう。
データを扱うのに不慣れな教委は少なくありません。ある県は担当課に社会調査用の解析ソフトがなく、大学の研究者に個人的に頼んで作業してもらったそうです。職員が表計算ソフトのエクセルの扱い方に慣れていない町村もありました。
全国学力調査の目的は「学校での授業改善と、教育行政の施策の検証が両輪」(耳塚寛明・お茶の水女子大大学院教授)だったはずですが、後者までやろうとした教委はわずかです。
都道府県教委は、文部科学省の委託研究として、大学の研究者や校長らを集めた「検証改善委員会」を設けました。その顔ぶれを見ると、教科指導が専門のメンバーが主で、政策を検証する研究者は少ない傾向にあります。
教委で事務局を担当する課も「指導系」が多く、教員の配置など条件整備を担う「人事系」が主軸ではありません。この3月、東京で開かれた改善委員会の取り組み発表会でも、学校に授業改善を求める試みが中心でした。
最も課題が大きいのは国です。文部科学省の昨年10月の結果発表は、「知識面より活用面に課題がある」など従来から言われてきたことを指摘するレベルにとどまりました。その後も状況はあまり変わっていません。なぜでしょう。
まず、分析する体制が十分できていないことがあります。耳塚教授によると、中国も学力調査を始めますが、大学に分析センターを置くなど調査の準備段階から組織づくりを進めています。
一方、日本。教科を中心とした分析は、国立教育政策研究所教育課程研究センターの学力調査課が担っています。しかし、総合的な分析に専従する専門的な職員は、文科省の学力調査室に非常勤が1人。しかも、調査実施後1年近くたった、この3月からです。
専門家検討会議も動いていますが、設けられたのは昨年12月。分析を担うわけではなく、あくまでその手法を考えるのが目的です。4月8日の会議では分析すべき項目例の一覧が示されましたが、委員が分析したのは習熟度別指導の影響など、一部にとどまっています。
さらに、調査の内容そのものにも限界があります。政策や社会条件の影響を見ようとしても、各教委がどんな施策をとっているかや、税収、出生率、進学率、生活保護率など背景となる自治体のデータを、この調査では聞いていません。
指導方法と学力の関係をきちんと調べようとすれば、各クラスで教師がどう教えているかといった学級単位の取り組みの質問が必要ですが、ほとんど含まれていません。
不足しているのは結果の分析だけでなく、教委や学校への支援も、です。文科省は「他の自治体も参考にしながら工夫してほしい」と言いますが、力量のないところが多いなら、分析ソフトや、より詳細な結果を配ることは欠かせないでしょう。しかし、新年度予算では、分析や活用などの予算は昨年度よりさらに削りこまれています。
4月8日の専門家検討会議では、大阪教育大教授の田中博之委員が調査のスコアをレーダーチャートで表現し、学力や学校運営を診断する手法を発表しました(図=「全国学力・学習状況調査の分析・活用の推進に関する専門家検討会議」第3回の配付資料から)。これが学校に配られればずいぶんわかりやすくなるでしょうが、今年度は追いつきません。
調査は来年も行われる予定です。
全国学力調査のそもそもの発端は、学力低下をめぐる議論のなかで国が学力のデータをきちんと持っていないと批判を受けたことでした。
しかし、子どもの学力向上、学校での指導改善、文科省や教委の施策の検証と、あれもこれも狙うことが果たしていいのか。50億円以上を費やし、学校や子どもたちに負担をかけて学年全員を毎年調査する必要がどこまであるのか・・・。
全国学力調査そのものの検証こそが求められていると思います。
氏岡 真弓(うじおか・まゆみ)
1961年生まれ。朝日新聞水戸、横浜支局を経て88年、東京社会部へ。いじめや学級崩壊、学力低下問題などを取材してきた。論説委員を経て、現在は教育問題の編集委員。「学級崩壊」「失敗だらけの新人教師」(いずれも共編著)など。
教育のシステムと人間、行政と学校、オトナと子ども。揺れる教育の問題をめぐり、あちこちの現場をいったりきたりして感じたことをつづります。教育には「ただ一つの正解」はないと考えます。ともに答えを探る場にできればと思います。
文科省の「20年度全国学力・学習状況調査」は4/22(火)に実施。
約3万2,500校で一斉に行われ、小学6年生約118万7千人と中学3年生約113万6千人が参加したらしい。
参加学校数、調査対象児童・生徒数及び、調査問題・正答例・解説資料について、文科省のホームページに掲載されている。
・参加学校数等
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/20/04/08041719.htm
・調査問題・正答例・解説資料
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/20/04/08041715.htm
私はとくに学力テストに否定的ではない。
基本的に、健康診断とか体力テストみたいな位置付けだと考えている。
全国の児童生徒の体力を調べることは人々の健康のために不利益になることではない。
栄養や体力や肥満度や身長や胸囲を調べるのは気にならないけど、
学力を調べるのには反対だ、という姿勢には心の中の差別意識を感じる。
学力で誰かを差別する気持ちがなかったら、どの地域がどんな学力であろうと、気にはならない。
体力測定というか体力調査では、県別の幼児児童の身長体重や肥満度、胸囲などは計測している。
だけど、「岩手はバスト大きいけど大阪はバストが小さい。そういう調査結果が出るのは差別だ。やめろ。わが市は独自に児童生徒の栄養や筋力の充実につとめているから、体力測定には参加しない」、などと言う自治体もないでしょう。
学力調査を批判する声もあるけど、新しい試みの足を引っ張るのは簡単だ。
どこに問題があるか視点を定めたら、問題を解決する方法を提案すればいい。
問題がある、と言って攻撃だけするのは創造力がない。
創造力のない人が日本社会の中に多いから、学校教育を改善しようとしているのかもしれない。
そういった試みに対して、創造力のない言葉を述べるのは非生産的だ。
芸人コンクールを批判するのは簡単だろう。
だけど、おもしろくない芸人が芸人コンクールや芸人養成スクールを批判しても、影響力はない。それに似ている。
創造力のない人は、自分のことを棚にあげて他の人のことをあげつらうこともある。
自分は安全な位置にいて、周囲に文句を言う。
きっと楽しい生活をしていないんだろうな、そういう見方をするくせが身についているんだろうな、と感じる。
問題解決の思考方法のプロであるある著名コンサルタントは、「文章を書けば書くほど下手になる人が多い。数をこなすために考える時間が減るからだ」と喝破した。
問題は何か、どういう状況が目標か、その達成のためには何が問題か、なぜ問題か、どうして問題か、等々といったことを深く分析し、分類し、論理を組み立て、問題解決に向かう。
あいまいな言葉は許されない。
雰囲気に流された、具体的なステップが明示されない言葉は、非常にいい加減なものとして切り捨てられる。
一流のコンサルタントの人たちは、新聞の社説や主張欄を見て反吐が出そうになっているかもしれない。
何々をより良くしたい。→具体的に、どのような数値の状態をよい状態だと規定するのか?
再構築が必要だ→具体的に、いつまでに何をどのような状態にすればいいと提案するのだ?
強化する必要がある→具体的には誰が何をどのような手順で行うべきなのか?
確立が求められる→責任を持って誰がいつまでにどのような数値目標を達成するのか?
新聞記者の人たちはとても頭がいい。
私の知っている人たちはみんな行動力もあり頭もよく、知識も豊富で、人柄までいい。
だけど、もしかしたらあんまり考えていない人も多いのかもしれない。
新聞記者は忙しいから、記事の数をこなさなくてはいけない。
事件や事故やニュースについて書くのはパターン化されてもいいけど、意見を述べるときまでパターン化されると、創造力や問題解決力が感じられなくなる。
学力テストについて朝日新聞の編集委員(教育問題)の人が意見を書いているけど、氏岡真弓編集委員が児童だったときには、このようなパターンの思考はしていなかったのではないかと思う。
学力テストの問題点をぽつぽつ列挙したあとに、
結論は「全国学力調査そのものの検証こそが求められていると思います」。
問題点を挙げて「問題がある」「なんとかしなくてはいけない」などと言うのは、むかしの評論家によくある発言パターン。
60年代や70年代、80年代もそうでしたっけ。
そういった時代の論壇の影響を受けてきたのだろうか。
当時の論壇は、問題解決の方法や代替案などについて言及することなく、問題点を見つけて突っつくことが批判的で知的、などと思っていた。
そうでもなければそんなレベルの思考で立ち止まらなかっただろう。
そういった発言の実りのなさに気づいた人も多く、90年代、2000年代にはきちんと代替案や問題解決の手順について言及する、創造的な発言者も増えてきた。
学力テストに批判する人は、ぜひ創造的に学力テストを批判してみてください。
そうでないと、おもしろい芸もできないのにM-1グランプリを否定している芸人みたい。
すばらしい曲も歌えないのにメジャーなミュージックシーンを否定しているミュージシャンみたい。
狭い研究しかできないのに現代の論壇に文句をつける教授みたい。
会社を経営する意識もなく、会社に養ってもらっているのに文句だけは言う社員みたい。
これからの子どもたちが、創造力や論理的思考能力をやしない、人の足を引っ張ったり自分の乗っている土台を他人事のように言って否定する人になってしまうことを克服できますように!
※朝日新聞アスパラクラブのサイトから(朝日新聞購読者限定ページ)
教育いったりきたり>文部科学省・教育委員会>全国学力調査の課題は
■全国学力調査の課題は
2008年04月23日(水)更新
「先生1年生」に多くのコメントをいただき、ありがとうございました。皆さんの声を伝えようとこの日曜日、アツコの家に行ってきました。アツコは小学3年生の学級担任としてスタートを切っています。ねじりはちまきで今週の授業準備をしていました。
クラスは前年からのいじめ問題をひきずっているそうです。不登校の子もいます。「一人ひとりにどうしてあげればいいんだろう。自分がどんなに薄っぺらか感じている」とアツコ。始まったばかりの彼女の物語を、これからも見ていきたいと思います。
さて、今回は全国学力調査の話題です。調査は今年も22日、全国の小学6年生、中学3年生を対象に行われました。写真は、この日の福岡市中央区の南当仁小学校での様子です。
学年全員を対象とする「悉皆(しっかい)調査」の方式は、1960年代に実施されたときに激しい反対運動が広がり、今回もその是非をめぐって議論が続いています。しかし論点は、調査の方式だけではありません。実際にその結果が生かされているかどうかも考えなければならないと思います。
去年10月に発表された1回目の結果はどうだったか。仲間の記者と取材しました。突き当たったのは、多くの学校や教育委員会でデータを十分に生かせていないという現実です。
まず、小中学校です。学年初めにテストを受けて、結果が返ってきたのは半年後。「1人ひとりの指導に生かすには遅すぎる」と先生たちは話します。
しかも、返されたのは答案そのものではなく、どの問題が間違ったかという個票です。ある小学校では、先生たちが各学級で出来の悪かった問題をもう一度取りあげましたが、多くの子は自分のつまずいたところを覚えていなかったそうです。
中学校となると、進路指導で忙しい時期で、個票を渡すだけだった学校も目立ちます。多忙ななか、全国平均や都道府県平均の数値と比べて「ウチはこんなものか」で終わった学校が多かったようです。
都道府県や市町村の教委はどうでしょう。
データを扱うのに不慣れな教委は少なくありません。ある県は担当課に社会調査用の解析ソフトがなく、大学の研究者に個人的に頼んで作業してもらったそうです。職員が表計算ソフトのエクセルの扱い方に慣れていない町村もありました。
全国学力調査の目的は「学校での授業改善と、教育行政の施策の検証が両輪」(耳塚寛明・お茶の水女子大大学院教授)だったはずですが、後者までやろうとした教委はわずかです。
都道府県教委は、文部科学省の委託研究として、大学の研究者や校長らを集めた「検証改善委員会」を設けました。その顔ぶれを見ると、教科指導が専門のメンバーが主で、政策を検証する研究者は少ない傾向にあります。
教委で事務局を担当する課も「指導系」が多く、教員の配置など条件整備を担う「人事系」が主軸ではありません。この3月、東京で開かれた改善委員会の取り組み発表会でも、学校に授業改善を求める試みが中心でした。
最も課題が大きいのは国です。文部科学省の昨年10月の結果発表は、「知識面より活用面に課題がある」など従来から言われてきたことを指摘するレベルにとどまりました。その後も状況はあまり変わっていません。なぜでしょう。
まず、分析する体制が十分できていないことがあります。耳塚教授によると、中国も学力調査を始めますが、大学に分析センターを置くなど調査の準備段階から組織づくりを進めています。
一方、日本。教科を中心とした分析は、国立教育政策研究所教育課程研究センターの学力調査課が担っています。しかし、総合的な分析に専従する専門的な職員は、文科省の学力調査室に非常勤が1人。しかも、調査実施後1年近くたった、この3月からです。
専門家検討会議も動いていますが、設けられたのは昨年12月。分析を担うわけではなく、あくまでその手法を考えるのが目的です。4月8日の会議では分析すべき項目例の一覧が示されましたが、委員が分析したのは習熟度別指導の影響など、一部にとどまっています。
さらに、調査の内容そのものにも限界があります。政策や社会条件の影響を見ようとしても、各教委がどんな施策をとっているかや、税収、出生率、進学率、生活保護率など背景となる自治体のデータを、この調査では聞いていません。
指導方法と学力の関係をきちんと調べようとすれば、各クラスで教師がどう教えているかといった学級単位の取り組みの質問が必要ですが、ほとんど含まれていません。
不足しているのは結果の分析だけでなく、教委や学校への支援も、です。文科省は「他の自治体も参考にしながら工夫してほしい」と言いますが、力量のないところが多いなら、分析ソフトや、より詳細な結果を配ることは欠かせないでしょう。しかし、新年度予算では、分析や活用などの予算は昨年度よりさらに削りこまれています。
4月8日の専門家検討会議では、大阪教育大教授の田中博之委員が調査のスコアをレーダーチャートで表現し、学力や学校運営を診断する手法を発表しました(図=「全国学力・学習状況調査の分析・活用の推進に関する専門家検討会議」第3回の配付資料から)。これが学校に配られればずいぶんわかりやすくなるでしょうが、今年度は追いつきません。
調査は来年も行われる予定です。
全国学力調査のそもそもの発端は、学力低下をめぐる議論のなかで国が学力のデータをきちんと持っていないと批判を受けたことでした。
しかし、子どもの学力向上、学校での指導改善、文科省や教委の施策の検証と、あれもこれも狙うことが果たしていいのか。50億円以上を費やし、学校や子どもたちに負担をかけて学年全員を毎年調査する必要がどこまであるのか・・・。
全国学力調査そのものの検証こそが求められていると思います。
氏岡 真弓(うじおか・まゆみ)
1961年生まれ。朝日新聞水戸、横浜支局を経て88年、東京社会部へ。いじめや学級崩壊、学力低下問題などを取材してきた。論説委員を経て、現在は教育問題の編集委員。「学級崩壊」「失敗だらけの新人教師」(いずれも共編著)など。
教育のシステムと人間、行政と学校、オトナと子ども。揺れる教育の問題をめぐり、あちこちの現場をいったりきたりして感じたことをつづります。教育には「ただ一つの正解」はないと考えます。ともに答えを探る場にできればと思います。