波打ち際の考察

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波屋山人

新聞投書欄

2017-10-04 22:49:22 | Weblog
現在、新聞の購読者数は減り続けている。
購読者の半数は60歳以上のようだから、今後ますます発行部数が減少していくのは避けられない。

30年間、新聞を毎日読んでいた私も、何年か前に購読をやめた。
先日、毎日新聞のためし読みを申し込んでみたが、なんだかあまり読む気が起きず、定期購読を申し込むのはやめてしまった。
西原理恵子さんの新連載には興味があったし、最近復職した毎日新聞の感じのいい知り合いに「購読始めましたよ!」と言ってみたかったが...

たまに、新聞を毎日読んでいた頃を思い出すことがある。
30年以上前、1985年前後だっただろうか、当時は生々しい戦争体験を投書欄で目にすることがあった。
終戦時に20歳だった人も、当時はまだ60歳ぐらいだったから、活発に投書していたのだろう。
(現在では92歳になってしまっている...)

「シベリアに抑留されていたとき、収容所にやってくる女医さんがいた。容姿がいかめしく、鬼瓦とあだ名され、ばかにするような人もいた。だが、投書をした人は、診察してもらうことに感謝し、いつも敬礼をしてから診てもらっていた。そのうち、病気の者が日本に帰されることになった。投書をした人は体に問題はなかったのだが、女医さんの配慮で、病気と診断され、日本に帰ってくることができた」
そんな話だったと思う。敬意をもって他人に接することの大切さを感じた記憶がある。

「戦時中(戦後だったかもしれない)、母親が重篤な状況に陥った。ミツバを食べたい、と言われたので探したが、高くて買えなかった。かわりにホウレンソウを買って帰り、食べてもらったが何も言わなかった。申し訳なく感じた」
というような話も覚えている。いくらお金に困っているとは言っても、がんばればミツバぐらいは買えたのではないだろうか、ホウレンソウにはミツバのような香りがないので、全然別物ではないだろうか、などと悶々としたことを覚えている。


当時は、戦時中を生きた人の感覚に触れることができた。
戦争という異常事態であっても、そこには人々の日常があり、生活があった。
戦争や戦闘について、反対するにしても、肯定するにしても、戦時中に生きていた人々の感覚を共有することは意義のあることではないかと感じる。



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