波打ち際の考察

思ったこと感じたことのメモです。
コメント欄はほとんど見ていないので御用のある方はメールでご連絡を。
波屋山人

酒と詩

2008-09-27 00:22:12 | Weblog
酒と詩は縁が深い。
東洋でも西洋でも酒をうたった詩は多い。
酒と詩には通じるところがあるのだろうか。

酒といえば、私は日本酒やワイン、ビールといった醸造酒が好きだ。
人類がつちかってきた知恵を感じる。
だが、10種類の日本酒を飲んでも、私がおいしいと思って飲むのはせいぜい2~3種類だろうか。
5~6種類はまあまあ飲めるもの、残りはあまり飲みたくないと感じるもの。

いいお酒は、アルコールのツンとした感じがないし、糖分の甘ったるさがないし、水っぽさもない。
違和感なく浸み入るような味や香り、舌触りを楽しむことができる。
静岡の「磯自慢」、「開運」、群馬の「水芭蕉」、山形の「十四代」、兵庫の「龍力米のささやき」、山口の「貴」などは安心して飲める。
だけど、そういったお酒はなかなか多くない。

多くの日本酒は、どこかツンとしたアルコールの刺激があったり、甘ったるさがあったり、ひねた香りが入っていたりすることが多く、心からおいしいと思えるものは少ない。

それはそれでいいと思う。
日本酒でもワインでもビールでも、何種類もの銘柄のものを試しておいしいと思えるものに出会えれば、それでいい。
ほんのすこしでも好きな銘柄の日本酒があれば、日本酒が好きだと公言していい。

むしろ、人工的な日本酒モドキのお酒をぐいぐい飲んでいる人は、日本酒好きとは言えないのではないだろうか。
日本酒の繊細な良さがわからないのに安価なお酒を飲む人は、ただ酔いたいだけなのかもしれない。

詩だってそんなものかもしれない。
酔いたいだけで詩に関わっている人も少なくないのかもしれない。

本当のいい詩というものは、ツンとしていないし、甘ったるくもないし、違和感なくその良さを味わうことができるものではないかと想像する。


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スムーズかスムースか、はたまたスムーヅか(キリンスムースのCFを見て)

2008-09-18 07:13:24 | Weblog
きのうテレビをみていたら自然な笑顔の蒼井優が「キリン スムース」と言って缶ビール(発泡酒だか第3のビールだか)を手にしていた。
いつみてもナチュラルでいい笑顔ですね。
しかし蒼井優さんが「スムース」と言うと違和感がある。

私の印象では、smoothをスムース【sumu:su】と発音するのは年輩の人に多い。
fanをフアン【huan】と発音する人がいるのと同じように。
「デズニーランド」「フアン」「スムース」と言う人は全体的にみると高齢層に多い。

キリンの新製品の商品名を決定したのは年輩のお偉いさんなのだろうか。
違和感のある人も多いと思うけど、若い社員の反対はなかったのだろうか。
思ったことはちゃんと言っておかないと、会社の売上げ、自分のボーナスに響いてしまうかも。

あえて「スムース」という商品名にして年輩の人たちの共感を得ようとしているのかもしれないけど、私の直感では、キリンスムースはあまり売れない。

スムースと言った方がなめらかな語感、というのはわかるのですが。
smoothのthの発音は mother や that や there や with などの th と同じ発音だから、スムーズと言ったほうがマシではないでしょうか。
原音を尊重するなら。
マサーとかサットとかセアーとかウィスなどとは言わないでしょう。

スムーズ【sUmu:ZU】と言うのもべたべたの日本語英語発音だから、できれば語の頭に母音の「ウ」は入らない、語尾にも母音の「ウ」は入らない、ということを意識したい。
また、th は舌先が上と下の前歯に軽く挟まれるから、ザ行の音よりはダ行の音に近い。
マザーよりマヅァー、ザットよりヅァット、ウィズよりウィヅ、スムーズよりもスムーヅの方が少しは原音に近いかな。
think は smooth と違って濁らない th だけど、これも「シンク」と言うよりは「ツィンク」の方がまだ外国人に通じるかも。

キリンの淡麗グリーンラベル(糖質70%オフ)を飲みながらそんなことをふと思った。

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楳図(うめず)かずお邸の前を通ってみた

2008-09-17 01:45:28 | Weblog
先日、吉祥寺のライブハウスで楳図(うめず)かずお先生の誕生日イベントがあった。
楳図かずお先生の漫画は少ししか読んだことはないけど、激しいまでの才能を感じ、尊敬している。

イベントに行く前に、ちょっと話題の楳図邸にも行ってみた。
吉祥寺駅から南東方向に行ってちょっと通りを入ると閑静な住宅街がある。

なかなか落ち着いた高級住宅街。こんなところに住んでみたいなぁ。
武蔵野市吉祥寺南町1-23-XXあたりにさしかかると、外壁が赤白ストライプの、ユニークな家屋が目の前にあらわれる。

家の前に木が植えられているせいか、道からぎりぎりのところに建てられていないせいか、刺激的なデザインだとは感じない。
エントランスあたりはギリシャ的な柱もあったりして、東京にしては余裕のある建て方。
丁寧に作ってある。

ただ、斜め向かいの家とは対照的な印象。
斜め向かいの家は花々にあふれ、イギリス的というか欧風というか。洗練されたデザイン。
社会的に正しいデザイン。世の中の一般構成員の常識に反しないデザイン。はみ出していない。
社会的地位の高い紳士淑女が住まわれているのではないかという印象を受ける。

この高級な邸宅に比べると、そりゃあ楳図さんの赤白ストライプハウスは個性的。
まあ、芸術家というものは社会システムや社会秩序の維持を価値観の基本にはしていないから、一般社会人とはちょっと価値観が合わない場合もある。
一般社会人が当然だと思っていることでも、芸術家にとってはそうでなかったりする。

芸術がわからなくても、できるだけ「否定」を避けられるように心がけたほうが不幸にはならないだろう。
自分たちの「当然」とか「当たり前」という価値観はひとつの仮定にすぎない、と割り切ればいろんなことにこだわらなくて済むかも。

ただ。。。
単なる私の思い込みで申し訳ないけど、率直に感想を述べさせていただくと、
控えめにうめずかずお邸を撮っていたときに、斜め向かいの邸宅から、殺気のようなものを感じてしまった。

「うちの敷地内に足を踏み入れて写真を撮るな」
「休日にぞろぞろいろんな人が来ると迷惑」
「こっちは撮るな」
なんだかそんな想念を感じてしまった。根拠のないことでたいへん申し訳ないが。

おそらく、私の心の中で危惧していることがあるから、そのような印象を感じてしまうのだろう。

ぜひ、うめずかずお先生宅を見学に行かれる方は、ご近所の迷惑にならないようにしましょう。
友人同士で大きな声を上げないようにしましょう。
どたばた大きな音をたてないようにしましょう。
ご近所さんの姿をみかけたら、礼儀正しく会釈をしましょう。
斜め向かいの邸宅の敷地内に足を踏み入れないようにしましょう。

幸い、私が訪れたときにも何組かのカップルがやってきて楳図邸を写真におさめていたが、みなさん控えめな様子だった。

ファンのせいで楳図先生にご迷惑がかかりませんように。

楳図先生宅の家の前の通りはグーグルストリートビューで見ることができない様子。
おそらく、南町1-19-XXとか南町1-23-XXなどの家の人たちがGoogleに通報したのではないだろうか。
プライバシーの侵害だから画像を公開するな、と。
そういったことに敏感な方が楳図邸近くにいらっしゃるのだろうと感じる。
少なくとも、先生のファンはご近所への配慮が必要ではないかと思った。


<参考>怖いものや汚いものについて
■読売ウイークリー 2008年9月14日号「楳図かずおインタビュー」より
http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/yw-20080904-01/3.htm
(略)
人間はだれでも「怖い」と感じる心を持っているのに、理性がそれを消してしまっているところがある。そういうことって都会に住んでいると仕方のないことなんですけど、怖さを、変な言い方だけど「なめて」しまっているところがあって、それが人間として怖いと思う。謙虚になれない部分が勝手に出来上がってしまっているのがよくない、と僕は思っているんです。何かを怖いと感じるのは、自分が一番ではなく「自分よりもっと何か大きなものがある」と感じるからなんで、そういう怖さを忘れてしまっている。街の中って、特にそんな感じですよね。
 戦後、アメリカが「日本は畑に人糞を撒いて野菜を育てている」と驚いた。それは今で言えば「エコ」なんですけど、アメリカは化学的な薬品でもって食べ物とかを育てるという考えになっていた。確かに人糞は汚いんですけども、当時の日本の田舎はどこに行っても肥溜めがありました。汚くても自然の循環には合っていた。「汚い」とか「臭い」とかいうことを、ちゃんと踏まえた生活があったと思うんですが、その後は何でも「きれい、きれい」を目指すことになっちゃった。でも自然というのは本来どれをとってもグニャグニャ、グチャグチャ、ベチャベチャというふうに不気味なんですね。自然界に「まっすぐ」なものはないと僕は思ってます。汚いとか暗いとかいうと普通、あってはいけない「闇の部分」みたいに捉えられがちですが、それ以前に自然の力がある。どこの世界も臭かったり闇があったりしないと本当の「自然」ではないと思いますね。おっしゃるように、そういう中で育つということが本当は大事だったんじゃないのかな。
(略)

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角倉羊子歌集「ヴェネチアの海」砂子屋書房

2008-09-09 23:51:44 | Weblog
昨日、三軒茶屋のブックオフに立ち寄った。
いつものように105円均一コーナーで何かめぼしいものはないかと見ていた。

古本屋で、歌集とか句集のコーナーというのは寒々しい。
いかにも「自費出版で作りました、人に進呈したけどすぐ古本屋に送られてしまいました」というような印象を受ける。

タイトルを見ても、センスがいいと感じるものは少ない。
同人誌的なタイトルを目にすると、内容のレベルもだいたい想像がつく、と言うと失礼か。すみません。

そんな中で、「ヴェネチアの海」というタイトルの歌集を見つけた。
これまたベタな、と思いながら昨年訪れた彼の地をなつかしく思い手に取った。

ぺらぺらとページをめくってみたら、なんということだ。
あきらかに、レベルが高い。安易ではない。バランスがとれている。

これは、珍しい俳句的な短歌と言うことができる。
情緒よりも構造のバランスが全面に出ている。
なかなか情緒や雰囲気でごまかさない短歌はできるものではない。

この短詩は、その語句の示す構造が見事な調和、バランスを示している。
ごまかしていない。無駄がない。

最初の歌はこれだ。
 
 夢のあとうたいたる碑の文字のうえ楡の若葉の薄あさぎ降る

簡単に構造を読み解こう。

基本的に、「夢のあとうたいたる碑の文字のうえ」と
「楡の若葉の薄あさぎ降る」から成り立っている。

このように言えるだろうか。

「石碑には立派な過去の業績が高らかに記されている。
盛んであったものが今や幻のように静かな状態だ。
石碑の上には日に照らされた若葉が透かされ、光が降ってきている。
きらきらと光る若葉もまた過去の栄光のようになんの圧力もない状態だ」

「夢のあとうたいたる碑の文字のうえ楡の若葉の薄あさぎ降る」を
もう少し細かく分解してみよう。
「夢のあと」→過ぎ去ったもの。リアルであったがまぼろしとなったもの。
「うたいける」→功績や業績などを高らかに記録している。
「碑の文字のうえ」→不動の、直立する記録の上、覆うもの。
「楡の若葉の」→若々しく勢いがあり軽やかであるもの。
「薄あさぎ振る」→木々の淡い色が振ってくる、石碑の文字に重なる。

もっと分解すると、ほんとうに方向性だとか、プラスマイナス、軽重、拡大縮小、濃淡、などといった単純な構成要素を説明することになる。

ほんとうにすばらしい短詩は、この構成要素によるバランス、調和が見事なのだ。
俳句や短歌といった短い詩に興味のある人は、ぜひその句や歌の秘めた構造のバランスに注目してほしい。
芸術とは、そもそもバランス、調和がすべてなのだ。
私はそう思っている。

構造を読み取れない人が、「いい」とか「趣がある」とか表現力のない解釈を行う。

調和とは何か、ということを自分なりに考えたことのある人間であれば、俳句や短歌を学んだことがなくても、ある程度のレベルの短詩を作ることができる。


角倉羊子さんの歌集を手に取った後、もしかしてこんなにレベルの高い詩心が他の句集や句集にも潜んでいるのかなと思っていくつかの歌集や句集を見たけど、やはり多くが新聞の俳句欄短歌欄並みの、構造無視の雰囲気情緒レベルだった。

ネットで検索してもあまり情報が出てこないんだけど、この角倉羊子さんは詩人、歌人としてけっこうレベルの高い人ではないかと思う。
気になる。どういう方なんだろう。


私は基本的にオルタナティブ俳句ロック志向で、歌謡曲的短歌情緒にはあまり関心がない。
短歌関係の編集に携わっている知り合いに、
「俳句っていうのはロック。構造が大事。短歌行っていうのは歌謡曲。情緒に流されている。短歌なんかいくらでも作れるけど、ひらめきが必要な俳句はなかなかできない」
などと言うと、短歌をばかにしているんじゃないかと言って怒られる。

だけど、今回、短歌を少し見直した。こういう短歌もありえるんだと知った。
勉強になりました。ありがとうございます。

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下北沢の大麻堂

2008-09-09 22:17:36 | Weblog
下北沢の麻の実料理「レストラン麻」には行ったことがある。
近くのイタリアンもおいしいんだけど、このレストラン麻もなかなかおしゃれで清潔で、女性が心地よく休めそうな場所。

今日は思い切って「大麻堂」のほうに行ってみた。
ときどき下北沢のオオゼキで夕食の材料を買うことがあるんだけど、そのついでに立ち寄った。

それにしても、オオゼキってどうしてあんなに安いんだろ。
いつも行っている高級スーパーと同じ商品でも何割か安い。
安物ばかりというわけではなくて、高級スーパーでは手に入らない銘柄鶏のハツ(心臓)や新鮮なサトイモや極太のアスパラなどが手に入る。
産地直送のニラも安いし、今日はそれで夕食というわけです。
(レバニラが好きなんだけど、レバーよりもハツが好き。ハツだらけのレバニラって至福。。。)

とにかく大麻堂のある2Fへ向かう階段の下に立ち、「ここ何なんだろう」と見上げるおじさんと女性を横目に、買い物袋を下げたまま勢いよく店内に向かった。

さすがに、レストラン麻とはちょっと雰囲気ちがいますね。。。
何人かの若者がちらほら。
まあ、狙いの「大麻堂とコカコーラがコラボしたガンジャマンコーラ」はすぐに発見できたので、コカコーラのボトルに大麻やガンジャマン?が描かれたシールが巻かれた「ガンジャマンコーラ」を購入。150円。
ついでに麻の実ナッツチョコレートを500円で購入。

店内には、何これ?吸入器?というようなものも売っていたけど店員さんは普通。
よどんでない感じ。さっぱり。

それにしてもコカコーラ社が大麻堂とコラボっておもしろいですね。
たしかコカコーラ社で広報だかなんだかをやっているS君も知っているのかな。

※注
私は違法行為には関わらないことにしているので、大麻・マリファナに手を出したことはありません。
大麻吸引が明らかになって解雇された若ノ鵬のことをかわいそうだと思っていますが、大麻吸引を合法化したほうがいいとは考えていません。。。



大麻堂オーナーの麻枝光一さんのブログより
http://taimadobrog.livedoor.biz/archives/cat_50010493.html
2008年08月03日
ガンジャマンコーラ
このガンジャマンコーラ、全国販売と思った人も多いようですが、実は大麻堂だけの限定販売です。
でも、確かにコラボではあります。大麻堂が作ったデザインを採用し、「ガンジャマン」が登場し、コカコーラのロゴと大麻堂のロゴが並び、費用は全部コカコーラが出すというのだから、立派なコラボだ。もちろん、クーラーは無料です。
(略)
あの多国籍企業コカコーラと、限定的にしても、コラボできることは意味のあることです。


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若ノ鵬(ガグロエフ・ソスラン)が謝罪会見

2008-09-09 21:49:03 | Weblog
朝テレビを見ていたら、大麻吸引が発覚し相撲協会を解雇された元若ノ鵬、ガグロエフ・ソスランが謝罪会見をしていた。
神妙な面持ちで、まだうっすらとほほが赤いように感じられるのは20歳という若さだろうか、白人だからだろうか。
それにしても、いたたまれない。

「すいませんでした。相撲協会、すいませんでした。北の湖理事長、すいませんでした。間垣親方、すいませんでした。日本のみなさん、すいませんでした。これから私は真面目にやります。許してください。よろしくお願いします。すいませんでした」
伏し目がちに何度もすみませんでしたという言葉を吐いている。
取り返しのつかないことになったと理解し、自分の身を投げ出している。
全面降伏状態。

この姿を見て、彼を見下し、馬鹿にし、糾弾し、怒りをもって排斥する人もいるだろうけど、多くの人はこんな状態の彼に鞭打とうとは思わないのではないだろうか。
胸が痛む。

ロシアでは大麻の吸引はそれほど大罪ではない。
世界の中でも日本の大麻規制はかなり厳しい。
20歳のロシア出身力士が、判断の甘さによって一生をだいなしにしてしまうのは惜しい。

若ノ鵬、ガグロエフ・ソスランが相撲や相撲界のしきたりや日本の法律よりも大麻が好きなら大麻をとればいい。国に帰って好きなだけ吸えばいい。
だけど、彼はそれを望んでいない。
大麻、マリファナよりも相撲を選ぼうとしている。

もう解雇されたものは仕方がない。
私が彼であれば、新弟子検査から受けなおし、序の口からデビューしなおす。
序の口から幕内まで、一気に駆け上がる。

相撲協会の偉い方々も、ぜひそのくらいのチャンスは残してあげてほしい。
20歳になったばかりの前途有望な若者に、小さな可能性を残してあげてほしい。


http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/sports/sumo/176838/
■【角界大麻汚染】「相撲取りたい」 釈放の元若ノ鵬が謝罪会見
09/08 20:12更新
大麻取締法違反(所持)容疑で逮捕され、不起訴処分(起訴猶予)の見通しのため8日、東京地検から釈放されたロシア国籍の元若ノ鵬(20)=本名ガグロエフ・ソスラン=は同日、東京・霞が関の司法記者クラブで会見し、「大変なことをしてすみませんでした」と謝罪した。大麻使用は「1人でやった」と強調した上、露鵬と白露山の関与については「2人ともまじめな力士。自分が一番悪い」と述べ、否定した。

▼元若の鵬謝罪会見詳報
・(1)「どうしても相撲戻りたい」
・(2)「謝れば許してもらえると」

 羽織はかま姿で、髪はまげを結わずに乱れたままで会見場に現れた元若ノ鵬は冒頭、「相撲協会、すいませんでした。北の湖親方、すいませんでした。間垣親方、すいませんでした。日本の皆さん、すいませんでした」と頭を下げて謝罪。「相撲を取りたい」と、相撲界復帰への強い思いを訴えた。同席した弁護士は、過去に横綱が拳銃(けんじゅう)所持でけん責となった事件などの相撲協会の処分例を挙げて「解雇は厳しい」と述べ、解雇処分への法的措置を示唆した。

 元若ノ鵬は大麻を14歳のときロシアで初めて吸ったとし、関取になってロシアに帰国した際に再び吸引。日本では今回が初めてだったとした。違法であることは知っていたが、「頭を下げたら許されると思っていた。クビになるとは」と認識の甘さを認めた。

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外山恒一、アメリカ大統領選に立候補!

2008-09-04 22:57:17 | Weblog
都知事選の中指立て政見放送で一世を風靡した外山恒一が、こんどはアメリカ大統領選に立候補するらしい。

livedoorニュースでも取り上げられている。
http://news.livedoor.com/article/detail/3805558/

外山恒一のブログ「我々少数派」でも詳細が述べられている。
バックの音楽はドヴォルザークの交響曲「新世界より」(第4楽章)だという。
http://ameblo.jp/toyamakoichi/

それにしても芸達者ですね。
ギターの弾き語りで鍛えてあるのかな。

なかなか面白かったので、ちょっと音声をテキストにしてみた。
文字だけ見るとまた印象が違うかも。

外山恒一は、1970年生まれ。10数年前、週刊SPA!で存在感を示していた。
極左活動家のスタイルをとってはいたけれど、底の浅い自己満足な言葉を吐くわけではなく、1人の考える人間として特別な魅力を放っていた。

声だけ大きい左翼活動家や右翼活動家の中身のなさにはうんざりするものを感じるけど、外山恒一はそんな人たちと同レベルではない。

だから、バカみたいなことをやっていても毛嫌いしないでほしいな。
テキストをちょっと書き起こしてみた。
けっこう意味の深いことを言っていると思いませんか。
あ、ギャグもところどころ入っているけどちょっとシュールでわかりにくいかも。

そうそう。むかし、自分の卒論の中に、外山恒一さんの名前と一文を引用させていただいた記憶があります。
外山さん、今後も軽やかで、柔軟で、頭よくて、おもしろい活動を楽しみにしています。

■外山恒一、アメリカ大統領選にまた立候補!
2008 United States Presidential Candidate from Japan
http://jp.youtube.com/watch?v=uGZqOkeYbB0&eurl=http://ameblo.jp/toyamakoichi/


■外山恒一、アメリカ大統領選にまた立候補!
2008 United States Presidential Candidate from Japan

全世界全市民に告ぐ。
私の名前は外山恒一(とやまこういち)。
アメリカ51番目の州、日本の革命家だ。

諸君、私には納得できないことがある。

私は今回、アメリカ大統領選に立候補するべくいろいろ調べてみた。
しかしどうやら、私にはアメリカ大統領選に関して被選挙権はおろか選挙権すらないようなのだ。

これは一体どういうことだ。

諸君も知っているはずだ。
今や全世界がアメリカであるということを。

アメリカは、世界中あらゆるところに生じている問題に口を出し、手を出し、場合によっては自らずかずかと乗り込んで解決を図ろうとしていた。

そんなことは、世界がすべてアメリカであるという認識に立たなければ到底理解も容認もできないことだ。

そう、実際もはや世界はすべてアメリカなのだ。

なんとすばらしい。
私はアメリカが大好きだ。

私はかつて2年間政治犯として投獄されたことがあるが、
釈放されるやいなやマクドナルドに駆け込み、
ビッグマックとポテトとコーラを注文したほどだ。

とてもおいしかった。

好きな映画はたいていハリウッド製だし、ビートルズもすばらしい。

うるさい!
イギリスだってアメリカじゃないか!

とにかく、私はアメリカが大好きだし、自分がアメリカ人であることを誇りに思っている
いや、思っていた。
私に参政権がないことを知らされた今日までは、だ。

私は祖国に裏切られた思いだ。
諸君は知っていたのか。
アメリカの人口はもはや60億を超えているというのに、
そのうち参政権が認められているのはわずか2億人にも満たないことを。

わがアメリカは、民主主義の国ではなかったのか。
全人口のわずか30分の1の人間ですべてを決めることの
いったいどこが民主主義なのだ。

絶望する。

わずか30分の1以下の民主主義に絶望した。

私はもう頭にきた。
こうなったら私は私なりのやりかたでアメリカ大統領選に勝手に立候補することにした。

私はアメリカ人だ。

当然、本質的に被選挙権を持っている。
全世界全人民に告ぐ。

諸君もまた皆アメリカ人だ。
当然、本質的に選挙権を有している。

その上で、私は諸君に抗議の棄権運動を呼びかける。
今回の大統領選において投票しなかったものは、全員私を支持したとみなす。
白票や無効票を投じた者についても同様だ。
これで私がもう勝ったも同然だ。

マケイン
オバマ
どうせたかだか取って数千万票だ。

私は、このまま何もしなくても60数億票。
どうだ、参ったか。

わずか30分の1以下の支配者達に告ぐ。

私のアメリカ大統領就任を阻止したければ、
今すぐ残り60数億人の参政権を認めろ。

さもなくば、もう世界の問題に首をつっこむのはやめろ。

イラクのことはイラク人に
イランのことはイラン人に
朝鮮のことは朝鮮人に
日本のことはわれわれ日本人に。
すべてのことは、その地に生活する人に自由に決めさせろ。

そもそも、世界すべてをアメリカ色に染めようというのが間違いだったのだ。

私がアメリカ大統領に当選したあかつきにはそのことを心から反省し、
今後、アメリカは北アメリカ大陸の一部のみとし、
その他の地域はとりあえず約200の独立国として分割する!



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摂取カロリー量を減らしてCO2の削減を

2008-09-04 21:15:49 | Weblog
人間が地球で生きていくうえで、気候が安定していることは都合がいい。
予測のつかない天候の変化に対応しづらいし、災害が起きれば復旧にたいへんな労力がかかる。

人々は、人類が築き上げてきた社会組織が滞りなく機能するように願っている。
気候の大きな変動は避けたいと思っているけど、地球は長い歴史の間に何度も暖かい時期と寒い時期を繰り返してきた。

現在、何十年かのうちに何度か気温が上がったところで、驚くような出来事ではない。
ほんの何千年か前にも暖かい時期があった。東北地方や北海道はもっとあたたかく、東京は世田谷区や目黒区のあたりに海岸線があった。
これから日本の気温が何度か気温が上昇しても、何千年か前の状態に戻ったと言うこともできる。

だけど、人類は比較的気候が安定していたこの数百年のうちに、都市開発、農業、工業、漁業、観光、その他いろんな気候の影響を受けるジャンルで、社会基盤のシステムを築き上げてしまった。
このシステムを今さら変更することは難しい。

アメリカやフランスで小麦が取れなくなり、アラスカやシベリアが小麦の主要産地になったら多くの農家が廃業し、移民しなくてはいけなくなるかもしれない。
海水面が上昇したからといって大きな港湾都市を移転させるのは莫大なお金と労力が必要になる。

だから、この社会システムの大変換といった面倒なことを避けたい人たちは、地球温暖化を阻止する必要があると考えている。

ほんとうは、地球の気温などというものは宇宙の影響、太陽の影響、磁気の影響など抵抗しようのないものが原因で変化するのかもしれないけど、地球温暖化を阻止しようとする人たちは、二酸化酸素(CO2)を主犯として名指しした。

「CO2削減に協力すれば、環境にやさしく、地球の温暖化を阻止することができる、阻止しなければならない」といった印象をあらゆる媒体を使って広く宣伝している。

「人類の社会組織の安定のために、地球の温暖化を避けようとしている」ということが根本にあるのに、なぜ「環境にやさしく」と言うことを前面に出すのだろうか。

潰れそうな会社に勤務している社員が、「会社に優しくしましょう」などと言って経費削減に励むようなことではないだろうか。
何か、視点をそらさせようとしているのだろうか。

まあ、CO2を削減しようとすれば、様々な無駄な消費が抑えられるから私は傍観していた。
地球の資源には限りがあるわけだから、これからも社会組織を安定的に機能させるには、資源の浪費を避けたほうがいい。
資源を節約し、浪費を避け、スケールの大きなアメリカンなもの意外にも価値があるのだということを発見するのは、クリエイティブなことだと感じている。

何万年も質素で貧乏な時代を過ごしてきた人類がちょっと豊かになると、貧乏なときの価値観でやりたかった贅沢に没頭した。
たくさん食べたい。
たくさん買いたい。
たくさん所有したい。
たくさん浪費したい。
それが豊かなことだと思っていた。
だけど、貧乏だった人たちもそういう日々を続けていると、やがて精神的な貧乏から抜け出してくる場合もある。

すばらしいものを食べたい。
すばらしいものを買いたい。
すばらしいものを所有したい。
すばらしいものを消費したい。
そういう価値観もある。
量で満足するのは味にうるさくない人。品質にもうるさくない人。
だけど、複雑なものが感知できるようになってくると、いいもの、すばらしいものに触れたくなる。
高品質なもの、高価値なもの、価値があると見出せるもの。
別に、高価なものとは限らないし、珍品だとも限らない。

オフィス街から見える入道雲や夕焼けが、高級避暑地から見えるチョモランマの山並みやブロードウェイのミュージカルの豪華なフィナーレに負けないほど感動的な場合もある。

資源を浪費する精神的に貧乏な時代から、浪費しなくても満足できる豊かな時代に、人類は移行しているのかもしれない。
そういう価値観の大転換期に立ち会えることは幸せだ。


だけど、どうもCO2削減の掛け声がうさんくさく聞こえることもある。
CO2削減のために電車を使ったほうがいい。
CO2削減のために冷房の温度を上げればいい。
CO2削減のために紙の消費を減らせばいい。

そういうレベルの話に落ち着いてしまうのなら、人類は地球や大自然から共存できませーん、という感じに拒否されてしまうかもしれない。

温暖化するのが嫌なら、なぜ嫌なのかを掘り下げて意識すべきではないだろうか。
基本的に、自分たちの作り上げてきたものがうまく機能しなくなることを嫌がっているだけではないだろうか。

CO2が原因と決まっているわけでもないのにCO2の排出を削減すれば救われる、みたいなことを信じることによって精神の安定を得ている。

私が環境政策に関わる人間なら、まず、CO2削減のために下記の提案をする。

■私たちがCO2削減のことにできる効果的なこと
1.CO2削減のために、摂取カロリーを現在の3分の2以下に減らしましょう。
~人類史上、現代人ほど太った人間はいません。摂取カロリーを減らして痩せましょう。
特に、肉の摂取は半分以下にしましょう。
肉を生産は穀物の生産に比べ、多くのCO2を排出します。
日本を除く先進国の多くは異常なまでに摂取カロリーが多い状態で肥満が問題になっています。
先進国の人たちの摂取カロリーを減らすためにあらゆる手段を試みましょう。

2.CO2吸収のために、森林面積を国土の50%以上に増やしましょう。
~人類史上、現代ほど森林を失った時代はありません。森林面積を増やしてCO2の吸収、地表の気温の低下につなげましょう。
日本を除く先進国の多くは本来森林が茂っていた温帯地域でも30%程度に森林面積が減っています。
世界の森林面積を増やすためにあらゆる手段を試みましょう。


政治家や環境保護団体の人たちで以上のようなことを言っている人はいるのだろうか。
何も知らなくてすみません。。。


人々が浪費しなくては成り立たない社会なんて、一度成り立たなくなればいいのではないか、と私は感じている。
まあ、人類に知恵がなかったとしても、社会組織は行けるところまでは行ける。存続できる。
行き詰れば他の道に流れていくか、滅びる。
それだけの話。


それから、争いを面倒くさがり様子見ばかりの日本の人たちは、結局強い人たちの都合のよい存在となっていないだろうか。
CO2削減の話でも、欧米先進国にとって都合のよいルールを押し付けられる傾向にあるのではないだろうか。
たまには日本から世界に話を振ってもいい。振り回される前に先制する。

北欧を除く欧米人にとっては森林面積の少なさは言われたくない話だろうし、
カロリー摂取量の多さも言われたくないだろう。
だけど、そういう交渉材料を認識しておかないと、議論ができずに追従するだけ。
そうしたい人はそうすればいいと思うけど、私はそうは思わない。

もし遅い夏休みで外国に行ったら、
「肥満者はCO2の排出量増加に加担している」
「森林率が50%も無いような国はCO2を排出しても、吸収しようという意欲は無いのか」
などと言ってみてもいいかも。

東南アジアではちょっとそういうふうに言えないけどね。
一般的に、東南アジアの人たちは日本人よりももっとスリムだから。
江戸時代末期や明治時代の写真を見ると、東南アジアの人たちを想い出すことがある。むかしの日本人は現在よりももっと脂肪が少なくスリムだった。



<参考>
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080903-00000946-san-soci
■食は和にあり 日本「肥満」少なく、けた違いのスリムさ
9月3日15時37分配信 産経新聞

 食をめぐる21世紀の世界は異様な光景を描き出している。一方で、途上国の深刻な食糧不足と飢餓。他方では飽食と肥満。その中で日本の料理に国際的な関心が高まっているのは、食材の利用に無駄が少ないことと、健康イメージが強いことが大きな理由だという。

 経済協力開発機構(OECD)がまとめた主要30カ国の15歳以上の肥満率によると、BMI(体重を身長の2乗で割った値)が30以上の「肥満」人口のトップは米国の32・2%。日本は韓国と並び最も低い3・2%。米国の約10分の1とけた違いの少なさだ。

 BMI25~30未満の「過体重」では、トップのイギリスが39%、2位メキシコ38・1%。日本は21・6%と、これまた最も低い。皮肉にも昨年、その日本で肥満大国・米国のダイエットDVD「ビリーズ・ブート・キャンプ」が流行した。これも実は日本人の健康に対する関心の高さを示す珍現象かもしれない。
(略)



<追記2008.9.8>
ちょうど昨日こんなニュースがありました。インド生まれのお偉いさんが肉の消費量を減らすよう呼び掛けたとか。
http://news.goo.ne.jp/article/jiji/life/jiji-AFP019214.html
■気候変動防ぐため「肉食べる量減らせ」=国連専門家
2008年9月7日(日)21:30
(時事通信)
【ロンドン7日AFP=時事】7日付の英紙オブザーバーによると、国連の「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」のラジェンドラ・パチャウリ議長は、気候変動を防ぐためとして、人々に肉の消費量を減らすよう呼び掛けた。同議長自身は菜食主義者。≪写真はパチャウリ議長。5月撮影≫
 同議長はこの中で、食生活を変えることは温室効果ガスの排出抑制、家畜などの飼育に関連した環境問題の抑制に重要であると指摘。まず「肉を食べない日」を週1日設け、その後さらに消費量を減らしていくべきだと述べるとともに、問題の緊急性、短期間で抑制効果をもたらす可能性を考慮すれば、取り組むには今が絶好の機会だと訴えた。
 また同議長は「他の小規模なライフスタイルの変化」も気候変動を抑えるのに役立つと述べたが、詳細には触れなかった。
 IPCCは2007年、地球温暖化への対応を取らなければ、地球の気候システムに破局的変化が生じ、飢餓、干ばつ、風水害などを招く恐れがあると警告し、ゴア前米副大統領とともに同年のノーベル平和賞を受賞している。〔AFP=時事〕

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