波打ち際の考察

思ったこと感じたことのメモです。
コメント欄はほとんど見ていないので御用のある方はメールでご連絡を。
波屋山人

新大久保のランチ人気店

2009-11-29 17:01:48 | Weblog
ちょっと肌寒くなってきたので、先週は新大久保で3回食べた。
どこもランチはお手ごろ価格。

いつ行っても職安通り沿いの「ノさんの食卓 豚豚」はにぎわっている。
かなりの人気店だ。
なんといっても食べ放題で1080円は安い。

メインの品を1品注文して、あとは10品以上あるおかずを自由に選べる。
チヂミもキムチも煮物も炒め物もサラダもある。
食後のコーヒーも飲み放題だし、ごはんも食べ放題だ。

ぼくのお勧めは、まずユッケジャンかソロンタンなどのスープ系の料理を頼む。
それから、ごはんを持ってきて豪快にスープに混ぜて、ふーふー言いながら食べて汗をかく。
キムチをそこに混ぜ込んでもいい。

店内の大画面テレビでは女性アイドルグループが踊っていた。なんだかみんなとても大人っぽい手足の長いスタイル。ダンスも、ジャニーズみたいな小手先ダンスではなくて、体幹を振動させるような、躍動的なスタイル。
一歩間違えればアメリカのコピーなのかもしれないけど、なかなかすごいエンターテイメントに仕上がっている。

・ノさんの食卓 豚豚
http://r.tabelog.com/tokyo/A1304/A130401/13093381/

次の日は、近くの「両班(ヤンバン)」という店に行った。以前から気になっていたけどなんだか店名がちょっとありふれている気がして、入ったことがなった。
日本語で、「名主」「貴族」などという店があっても、あんまり入る気がしないだろうし。

・両班
http://r.tabelog.com/tokyo/A1304/A130401/13053367/

ここはなかなか落ち着いた印象。店員さんは民族衣装を着ていて、言葉遣いも丁寧。
料理は890円くらいのお手ごろのものが多く、味も辛すぎず、コクがあっておいしくいただける。

韓国料理屋さんには、民族調の店、小料理屋っぽい店、飾り気のない店、モダンな店、等々いろいろあるけど、気分に応じて行く店を変えればいいと思う。
あんまりお腹いっぱい食べなくてもよく、ごちゃごちゃした店よりもくつろげる店がいいときは、両班(ヤンバン)に行けばいいと思う。

一昨日は久々に烏鵲橋(オザクキョ、オザッキョ)に行った。
あいかわらずお客さんが多い。女性客が9割以上だろうか。
ここは、何を頼んでもおいしい。安心して食事ができる。

・烏鵲橋(オザッキョ) 本店
http://www.yakinikutengoku.com/shinjyuku/ozakyo_honten/index.html

店内の大画面では東方神起の東京ドームライブの様子が流れていた。
ほぉ、これが友人のXさんがはまっているという東方神起か、と思いながら鑑賞。
韓国人の男はかっこいいのかそうでないのかよくわからないけど、ダンスはこれまたアメリカっぽくタイトでグルーブ感があってかっこいい。
ジャニーズは日本のダンスを20年遅らせたのではないかとぼんやり思った。

韓流ブームが下火になったり不況の影響もあったり、新大久保を訪れる人は少し減った印象があるけど、一部の店は集客力を保っている。

店内でまったりと食事をしながら韓国アイドルの話で盛り上がっている40~50代の女性グループの姿も一定数いる。

ぼくみたいに、あんまり韓国に興味がなくて、べつに韓国アイドルや韓国女性にあこがれているわけでもない人でも、新大久保は気楽に楽しめる。
特にランチはお得だから、近くの人はぜひ足を運んでもらいたいと思う。


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西麻布の長野屋試飲会、青山のアートダイバー(中沢新一&細野晴臣)

2009-11-29 16:06:44 | Weblog
昨日の午後、西麻布に行って長野屋さんが主催する試飲イベントを満喫した。
夜には青山に行って、中沢新一と細野晴臣のトークイベントを楽しんだ。

渋谷から西麻布、西麻布から青山、青山から渋谷までよく歩く1日だった。
秋の深まった都心ではイチョウの葉が色づき、コートを着たスタイリッシュな女性の姿が目にとまる。

長野屋の試飲会には毎年行っている。
飲食店の人の参加が多いけど、一般の人も少なくない。出版関係の人も来ている。

メイン会場では様々なワインを試飲した。
ニュージーランド北島の白ワインがぼく好み。
ハチミツを思い出させる甘みがありながら味に厚みもあり、目立たないけど酸味も含む。
ミネラル感が、ギリシャの島の白ワインを思い出させた。

各種の赤ワイン、白ワイン、スパークリングワイン、シェリーなどを試したあと、他の会場に移って果実酒なども試飲。
最後の会場では日本酒や焼酎を試飲。一東マッコリのブースもあったけど、生マッコリは品切れ中だった。
「名刺をもらえたら一般の人でもサンプルとしてお送りする」、と親切に言ってもらったけど、遠慮。
ぼくは新大久保の韓国広場でときどき購入しているから、生マッコリの良さはよくわかっている。

日本酒は、「まんさくの花」や「麒麟山」や「加賀鳶」といった有名なところが来ていた。
だけど、ぼくの好きな日本酒とは少し違うタイプのお酒を出されていた。
ぼくは、「磯自慢」や「水芭蕉」や「龍力米のささやき」などのように、爽やかでありながらうまみもあり、アルコールのつんとした感じがなく、甘みがべたっとしていない、すいすい飲める瑞々しい日本酒が好き。
ろ過しすぎると旨味が消えてしまうし、水っぽくなるし、アルコールの存在が強くなってしまう。
日本酒の価値は、アルコールで酔うことではなく、繊細な旨味のバランスを楽しむことだと思う。

一緒に行った女性2人(彼女ではない)もなかなかお酒に強く、各種の焼酎を試飲していた。
中でも大海酒造の試飲ブースはソファもあり、ゆったりくつろげる。
奥まったわかりにくい席だけど、普段はキャバクラのVIPルームとして使用されているらしい。
蔵元の方も楽しい方で、大海酒造の「海」や「くじら」など各種の芋焼酎をおいしくいただいた。
やっぱりお酒は楽しく飲むのがいい。楽しく飲めるお酒にはファンもつく。

かなり飲んだ後、女性たちと別れてぼくは青山に移動。
国連大学前のファーマーズマーケットで減農薬の玄米を購入。6合で980円。
彼女と合流して開場1時間前から青山ブックセンターに並ぶ。

時間が来て会場に入ると正面の2列目を確保。
中沢新一さんと細野晴臣さんの登場を待つ。

中沢新一と細野晴臣の聖地めぐり対談集「観光」が刊行されたのは1990年だ。
当時、ぼくにとってとても印象深く大事な本のひとつだった。

2か月ぶりに見る中沢新一さんは前回よりもスリムになられた印象。
あごもすっきり、おなかもひっこんで、若々しい。やっぱりこうでなくては、とうれしく感じる。

細野晴臣さんの姿を拝見するのははじめてだけど、テレビやyoutubeで見る姿と同じ。
本人によると、最近からだのことに意識的になったらずいぶん痩せたらしい。
なんだかおしゃれな靴を靴をはかれている。

中沢新一さんと細野さんは旧知の間柄だから、あまり語らなくても通じるものはあるのだろう。
あえて一般の人たちの前で2人が語ってくれることは、どのような一面だろうか。

2人の話した内容を少しメモ。
走り書きなので、意味がよくわからないかも。中沢新一さんの発言はN、細野さんの発言はHで示した。

(N)言葉をしゃべるのは肉体、体。言葉を扱っている人も体のことを考えないといけないのでは。

(H)音楽の原体験は体で感じる低音だった。テクノは脳が生み出した音楽。ゲームみたいだった。

(N)子どもは真剣に死のことを考える。

(H)子どもは低域に反応する。かなり重低音。体で感じるような。
(N)キリスト教は高音域。子どもの声を利用する。

(H)日本の芸能界は進駐軍の音楽からはじまった。ホリプロ、ナベプロの創始者も進駐軍向けのバンドをやっていた。
(H)いつの頃からかジャズとポップスが別れてきた。

(N)白金の低地も海だった。慶応大学のあるところはかつて島だった。

(H)伝統的にピアノを習わされる家系だった。
(N)いいなぁ。私は尺八だった。

(N)亀屋のカキのタネの箱はドラムにすると軽い音が出る。お能の鼓のような音が出る。

(N)はっぴぃえんどは、時代に対するプロテスト。はじっこ。でも時代に引き込まれずにはいられない。若者、学生の中にカウンターという意識。こう流れるけど抵抗していきたい。
(N)東京の叫びでもあったのではないか。それまでの東京は自然。それほど改造しないで東京の景観をつくっていた。それが高度成長やオリンピックにひっかかって、成長のまさにそういう場所として東京が選ばれた。
東京の自然地形を切り崩して、東京の地形を大改造していくという時代が青春時代にぶつかった。

(H)1964年くらい。それから前と後の形が変わってしまった。むかしの写真を見ても、どうしても思い出せない。自分の中のイメージより古い。首都高が出てきたときはびっくりした。すごいなと思った。ネガティブではなく。地名も変わり、霞町も西麻布になった。
(N)空間が記号化してきて、付着している記憶が断ち切られて記号の空間になっている。
(H)だから、アースダイバーかが、大事。
(N)はっぴぃえんどは東京の叫び声。

(N)聖地は何万年も前からの記憶が残っている場所。神社も寺もいらないんじゃないかと思うくらい。人間の頭だけで作り上げたものではないところを見てみたかった。聖地めぐり、「観光」。

(N)いろんな経験をして、いろんな音楽の探求がある。
(H)いまだに悩んでいる。いろいろ引き裂かれて。
(N)内田裕也も引き裂かれて、逆のほうに行った?

(H)あえて音楽を日本語でやろうと思った。日本にポップスはなかった。移植してきたものだから。
(H)YMOはインスト。寺内タケシにほめられた。よくやった、と言われた。

(H)アメリカでもおもしろい現象がある。アメリカをルーツにしていない音楽をやっている若い人が増えている。アフリカ音楽とか。

(N)細野さんは追分、江差追分を追求して大陸、アラブまで行った。
日本でルーツを探す人は沖縄の方に行く傾向があるけど。

(H)沖縄の登川誠仁(のぼりかわせいじん)は三線でカントリーを歌っているけど、引き裂かれていてショックだった。めちゃくちゃ英語。クレオールみたい。どうでもいいけど、引き裂かれている。
(N)引き裂かれていると、断層面みたい。だから、ザラッとしたものがある。ずれた時のザラッとした感じ。それをならすと整合性のあるなめらかな曲ができる。
発想が生まれるときはザラッとしている。それをどう表現するか。変換して最初のザラ感が残る。システムに合わせてざらつきを変換する。うまくいきすぎるとザラッとしたものがあるようにみえて現実味がなくなるイヤでイヤでならなくなる。
(H)まったく同じだ。
(N)ザラつき感。

(H)自分が好きなものはみんなもの好きだと思っていた。幻想だった。

(H)オノ・ヨーコさんはすごい。76歳。ロックシンガー。ステージのパフォーマンスを見て横尾忠則さんもびっくりしていた。横尾さんより年上。

(H)今の人たちはすごい。日本人じゃない。黒人ですよ。エグザイル、青山テルマ、黒人ですよね。
ちょっと前の久保田利伸は、惜しい。民謡やればいい。三橋美智也に似ている。今の人にはそういうことを感じない。

(N)矛盾もなく黒人になってしまえる日本人がこれからどういう世界を作って行くか興味がある。日本人もこれから世界の中、アジアの中で立ち位置が変わってくる。アメリカも立ち居地が変わる。今、ドラスティックに変わってきている。
方向性を示すような仕事をしたい。
自分の体験したことのない変化が起こっている。
かつて見たことのない人類の世界ができてくる。だけどビジョンとして方向性を作っておきたい。

(H)絶望には至っていないけど悲壮なだけです。

(N)日本人に最適な生き方ってあると思う。そこに結晶させていきたいと思う。

(N)坂本龍一は、細野晴臣に、暗黙知の中で共通のものを見つけている?
(H)教授も成長期ですよ。
(N)一緒にやったことがなくてもいつも反対側にいる人。細野さんは東京の人。この60年が深くすり込まれている人。坂本さんはある意味九州、大阪を感じる。
ユーモア感覚は大阪。
(H)松竹系?
(N)細野さんは浅草。
(H)声が低いと落語ができない。

(H)音楽業界とは関係を持ちたくない。
(N)一緒だね。アカデミズム、全然関係ないです。

(N)日本人はもっとヘンな人が増えないと。
ヘンな人はいじめられる。いじめはなんとかしないと。
いじめられているヘンな子が、いちばん可能性があるんじゃないかなぁ。




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人の命だけなぜ尊いか

2009-11-26 22:13:59 | Weblog
(ざっと書いたらまとまりがなくひどい文章。あとで書き直すかも)




「『人権』は大事だ」、と言う人は多いけど、「動物にだって命があるのだから『動物権』があってもいいのではないか」、と言う人に会ったことはない。

道で人が倒れていたらみんな顔色を変えるけど、イタチやタヌキが轢かれていても嫌な顔をするだけ。
家畜は、動物として最低限の幸せや自由を享受できないことも多いけど、狭い鶏舎で効率よく育てられる鶏がかわいそうだと言う人もあまりいない。

「人権」という概念は、すっかり現代に定着しているけど、人類の歴史で見ればつい最近できた考えだ。
遠くない将来、「動物権」という概念が世の中に定着しないとも限らない。

それにしても、なぜ人の命はかけがえのないものとして認識されているのだろう。
人の命を奪うことは重罪でも、動物の命を奪うことはそうでもないのだろう。
なぜ人を殺してはいけないのか。

「大事なものは大事なのだ」「あたりまえの常識なのだ」などと言われても、そんな説明に納得できない人もいる。
なぜ大事なのか、論理的に理解できなくて、悩んでしまう人がいるのも当然だ。

そこで、まとまっていないけど、私なりの考えを少しメモしておきたいと思う。


「人の命は何よりも大事だ」という価値観は、日本や欧米などの社会秩序を維持するために適しているから、維持されている。

世の中に争いが絶えなかった時代には、「国家のために自分をすべて投げ出せる人が大事だ」という価値観が、社会秩序の維持や隆盛に役立っていた。
命を惜しまず戦える人が育てられ、社会秩序を守るために外敵と戦った。
それが、社会全体として、あたり前の常識として認識されていた。

現代でも、戦争や紛争の多い国では、殺すことや殺されることはめずらしくないので、人の命は日本のように重視されていない。

暗殺や戦争がめずらしくない戦乱の世を経験した国でも、安定した社会になると、人を殺すことは重罪になる。
人を殺すことが許されると、絶えず「いつ自分に危険がふりかかるか」ということを警戒しなくてはならない。
人々が平穏な日々をすごすためには、殺人や暴力は禁止される必要がある。
安定した社会の秩序維持に不都合な行為は「犯罪」として忌避され、取り締まりの対象となる。


一般的に、「人の命」や「人権」や「民主主義」などはかけがえのないものだと思われているけど、命や人権や民主主義そのものは、至高の概念やシステムというわけではない。

人の命や人権や民主主義といった概念を設定して保持しておかないと、現在の社会秩序が崩れてしまうおそれがあるから、社会秩序の維持に不適切な方向性を排除している。
それは、特定の誰かが行っているのではなく、世の中の常識をあたり前に受け入れている人たち全体が行っていることだ。

もちろん、人の命や人権や民主主義を重視することによって見出せるすばらしいことはたくさんある。
だけど、動物の命や動物の権利、動物の民主主義といった概念を重視することによって見えてくる世界にもすばらしい価値は見出せるかもしれない。

もし、現在の日本で「動物権」を主張し、保健所で犬や猫を処分することを犯罪視して暴力的な抗議活動をしても、社会秩序の安定や維持を邪魔する者として否定されてしまう。
そして、社会から消滅(=死刑)させられるか、一定期間拘束(懲役)されて、社会秩序の方向性に背かないように指導される。

かつて人権という概念を主張し始めた人も、最初は犯罪者として牢獄につながれたかもしれない。
最初に奴隷を解放しようとした人は異常な人だと思われただろうし、最初に女性と男性は対等だと言い始めた人も犯罪者扱いされただろう。
小泉毅さんは暴力的で短絡的で根に持つタイプでどうしようもない人なのかもしれないけど、遠い将来、「動物権」を最初に主張した義士として評価される日がくるかもしれない。
赤穂浪士のしつこさと、安重根の破壊力をあわせ持ち、愛犬の敵を討った美談として脚色されて小説や映画になるかもしれない。
(もしかしたら実際の赤穂浪士や安重根も、義士というより普通の暗殺者や犯罪者だったのかもしれない)

小泉毅さんの精神状態や深層心理のことはまったく知らない。
だけど、「人の命だけなぜ尊いか」ということにきちんと答えられる人が身近にいれば、彼は世の中に深い恨みをもたないですんだかもしれない。
世の中の仕組みや自分のわだかまりについて、因果関係を見つめてみようとしたかもしれない。


裁判官に「人の命だけなぜ尊いか」と質問しても、答えは期待できない。
裁判官はファロソファーではないし、思索にふけることを習慣にしている人でもない。

「法律はなぜ生まれたのだろう」とか、「社会組織はどのように発生し、バランスを維持して行くのだろうとか」などと考え込む人は、社会秩序の維持のために存在するかのような、裁判官や弁護士などになろうとは思わない。

小泉毅さんは、それをわかっていて、あえて裁判官に言葉を向けたのだろうか。

価値があることとは何か。否定されることとは何か。
価値判断の基準としてあたり前に受け入れられている常識とは何なのか。
それに答えられない人は、世の中の流れに乗って、うまく生きて来た人かもしれない。

不器用な人や過敏な人、抑圧に耐えられない人や想像力豊かな人、理想の自分と現実の自分に乖離がある人などは、世の中の大きな流れの中心からはずれ、流れの底や側面にぶつかり体勢を崩す。
そして、その苦しさの中で、価値とは何だろう、幸せとは、美とは、等々、さまざまなことについて思いをめぐらせる。

芸術家になる人もいれば、旅人になる人もいる。流れの真ん中に戻って常識をあたり前のように受け入れて平穏な日々を送る会社員もいる。学者になる人や犯罪者になる人もいるだろう。

世の中の常識を受け入れ、よく勉強してよく働き、社会的地位を認められた裁判官から見れば、反社会的な行為に走る人は理解しづらいかもしれない。

だけど、「人の命だけなぜ尊いか」という質問に対して自分の考えを説明できないのであれば、自分はどのように価値を判断し、犯罪者を定義しているのか、少し考えてみてもいいのではないだろうか。
裁判官はとても頭がいいけど、法律や常識ではとらえることのできない価値を、見落としてしまっているかもしれない。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091126-00000142-jij-soci
■「人の命だけなぜ尊い」=小泉被告、語気強め持論展開-元厚生次官宅襲撃初公判
11月26日18時23分配信 時事通信
 「あだ討ちを批判する前に、人の命だけがなぜ尊いのか、わたしに説明しなさい」。さいたま地裁で26日行われた小泉毅被告(47)の初公判。同被告は罪状認否で起訴内容を大筋認めた後、人と動物の命の重さを取り上げ、自分の行為を正当化。独特の持論を一気に展開した。
 午後1時10分、小泉被告は上下とも黒のスエット姿で入廷。逮捕時と同じ丸刈り頭で、顔色はやや青白い。名前や職業を尋ねられると「小泉毅」「無職」と、ゆっくりした口調ではっきりと答えた。
 起訴状が読み上げられる間は、うつむき加減で一点を見つめ、落ち着いて聞いていたが、裁判長から罪状認否を求められると「意見を言っていいですか」と求め、裁判長にさえぎられる場面も。
 認否の後、改めて意見を述べる機会を与えられると、用意していたメモを読み始め、徐々に語気を強めながら、「犬を殺していいわけがない」「生ゴミのように処分していいのか、わたしに説明しなさい」と一気に読み上げ、最後に「以上」と締めくくったときには廷内に響くほどの大声になった。
 その後は表情に赤みが戻り、うつむき加減だった視線も、検察官を直視するように変化。証拠調べで殺害の練習に使用した腹筋台が示された際に「(腹筋台を)入れてある段ボール箱は証拠物ではありません」と検察側が説明すると、笑みをこぼす場面もあった。 

http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200911260324.html
■検察側冒頭陳述要旨 小泉毅被告初公判 '09/11/26
 さいたま地裁で26日開かれた元厚生次官ら連続殺傷事件の小泉毅被告(47)の初公判で、検察側が示した冒頭陳述の要旨は次の通り。
 ▽事件の概要
 2008年11月18日午前、さいたま市南区の自宅で元厚生次官山口剛彦さん=当時(66)=と妻美知子さん=同(61)=が死んでいるのを隣人が発見。同日午後6時半ごろ、東京都中野区の路上で、元厚生次官吉原健二さん(77)の妻靖子さん(73)が血を流して倒れているのが見つかった。
 元厚生次官宅が相次いで襲撃されたことは社会に衝撃を与え、年金テロではないかとも言われ、一時騒然となった。
 22日夜、血の付いた包丁などを持参した被告が警視庁に自首。ほかの元厚生次官も狙っていたことなどが判明した。
 被告の自首をどう評価するか、靖子さんに対する殺人未遂事件で(自分の意思で犯行をやめた)中止未遂が成立するかが争点。
 ▽犯行を決意した経緯
 中学生のころ、飼っていた「チロ」という名の犬が行方不明になった被告は、チロが保健所の野犬狩りに遭い殺処分されたと考え立腹。厚生省が保健所を所管していると思い、厚生省を一方的に強く恨むようになった。実際のチロの行方は確認できていない。
 被告は00年9月にソフトウエア開発会社を退職後、定職をもたずに株取引などで生活。50歳になったら、できるだけ多くの元厚生次官を殺害し、死刑となって人生を終えたいと考えるようになった。
 元厚生次官を無差別で殺害する行為を被告は「決起」と呼び、決起によって、飼い犬のあだ討ちをしたことや動物の命を粗末にすれば自分に返ってくることを思い知らせてやったと訴えようと考えた。



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浅井健一デザインのTシャツ

2009-11-23 15:01:56 | Weblog
ミャンマーでは、白いTシャツと赤いTシャツを日替わりで着ていた。
どちらも浅井健一デザインのTシャツ。

白いTシャツは子鹿の横顔が描かれ、
Sexy Stones High School
Pond Hip Tokyo Japan
と書いてある。
Sexy Stones は浅井健一のレーベルの名前。Pond Hipは事務所のある池尻の意味だろう。

赤いTシャツはベビーカーを押す人物が白い線で描かれ、
Love is White
と書いてある。

ほこりっぽいミャンマーでは、白いTシャツはすぐに薄茶色に染まった。
安宿で洗っても汚れは落ちない。

暑いミャンマーでは、汗が乾くと赤いTシャツに塩が浮かんできた。
新品のTシャツはほんの数日でくたびれはじめた。

ミャンマーにはフランスやドイツの旅行者が多い。
現地で知り合った彼らは、よく「なぜLove is Whiteなんだ?」と笑いながら聞いてくる。
ミャンマーの若者も「セクスィーストーンズ?」などと笑いながら指をさしてくる。

日本人は意味不明な英語Tシャツを着ていることが多いからちょっとからかわれたのかもしれない。
でもぼくは言った。
「これは、日本の有名なロックミュージシャンによるドローイングだ。彼は詩人でもある。Love is White が何を意味しているのかはわからない。だけど、愛は無色、愛は純粋、などといった意味があるのかもしれない」


ミャンマーから帰ってきた翌週末、彼女と浅井健一のライブに行った。
渋谷のクラブクアトロ。
久しぶりにブーツを履いて、ちょっと茶色くなった白Tシャツの上には長袖シャツを着た。

先頭から1メートルくらいの混雑地帯で押しつぶされそうな彼女をガードしながらジャンプ。
相変わらず何度も何度もダイブする男がいるので、蹴られないようによける。

ライブ終了後、クラブクアトロ近くの地下の居酒屋に行った。
最近流行している270円均一の店のメニューがどんなものか確認したかったのだ。

焼酎はシングルが270円、ダブルが370円で、ダブルは量が多くてお得。
食べ物は割安なものと、それほど安くないものがある。
ボリュームのあるメニューはお得に感じるかも。

そろそろ帰ろうかと思ってトイレに行くと、2つしかない小便器の隣に、浅井健一に似た髪形の男がいた。身長も本物と同じくらい。
だけど、なんとなく本物とは雰囲気が違う。

ぼくのほうが早く済ませ、手を洗って出ようとすると、もう1人の男が入ってきた。
それが、本物の浅井健一だった。
突然のことで、ぼくはまったく声が出せない。背中をちらっと見るだけ。垂れたベルトがかっこいい。

そそくさと彼女のところに戻ると、居酒屋に浅井健一がいることを報告した。
ぼく以上に浅井健一の大ファンである彼女は、一気にテンションがあがり、目を輝かせる。

そのうちふと気づいたように彼女もトイレに向かった。
ついでに浅井健一がどこかにいないか、店内をひそかにチェックするようだ。

そうしたら、帰りがけの浅井健一様ご一行の姿を発見し、階段ですれ違ったらしい。
彼女はまったく声を発せず。大ファンなのにね。

そのうち、どこかでまた姿を目にすることがあるだろう。
池尻の事務所の近くはよく通ることだし。
その時は、Tシャツを愛用していることを伝えたい。


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ミャンマー旅行のアドバイス

2009-11-20 07:09:07 | Weblog
ミャンマーを訪れる日本人は多くない。
年間1万人いるだろうか。
ベトナムやマレーシアを訪れる日本人は年間20万人以上。
タイには100万人以上訪れていることが多いし、ラオスだって5~6万人は訪れている。
東南アジアで、ミャンマーだけ取り残されている印象がある。

軍事政権下だから近寄りにくさがあるのかもしれない。
インフラが整っていないので観光がしにくいのかもしれない。
だけど、ミャンマーには多くの観光資源がある。

仏塔が並ぶバガンやのどかなインレー湖、静かなビーチもすばらしい。
田舎町を歩くと川で水浴びをしたり洗濯をしている姿を見ると、むかしの日本の素朴さを想像する。

電気消費量や石油消費量、紙の使用量などは日本人の10分の1以下だろう。
冷蔵庫のない食堂もあるし、トイレで紙を使わない人も多い。
人々の素朴な生活を見て、物にあふれた日本での生活を振り返ることもできる。

一度旅しておいてもわるくない国だ。
ミャンマー旅行に必要なことを、思い出すままに、いくつかメモしておきたいと思う。

★ミャンマー旅行必需品
マスク・・・非常にほこりっぽいので移動中もマスクをしたくなる。
傘・・・軽い折り畳み傘があれば、雨傘にも日傘にも使える。日差しは非常に強い。
トイレットペーパー・・・おなかを壊すことも多い。紙のない安宿や食堂が多い。
サンダル・・・ミャンマーの人は基本的にサンダル姿。お寺でも脱ぎやすい。
日焼け止め・・・これがなければすぐ地元の人並みに日焼けしてしまう。

★あれば便利なもの
ライト・・・小さなライトを携帯していると、真っ暗な田舎道で重宝する。
リンス入りシャンプー・・・安宿にはシャンプーがない場合が多い。
抗生剤か胃腸薬・・・おなかを壊すことが多いけど、薬があれば治ることが多い。
帽子・・・直射日光をさえぎることができる。
虫除けスプレー・・・蚊が多い。どうしても刺されるので、かゆみ止めもほしい。

★覚悟しておくこと
日本の1.8倍の広さの国土なので、移動に時間がかかる。大都市を結ぶ夜行バスは比較的快適だけど、移動に12時間、18時間かかることも珍しくない。

小都市に向かうバスは老朽化がはげしい。足元まで米袋を積み込み、狭苦しい体勢で移動する場合もある。道路は凸凹が多く、揺れは激しい。

信号や街灯はあまりない。停電はしょっちゅう発生。安宿では午後6時から朝6時までしか電気の使えないところが多い。道路はあまり整備されておらず、鉄道もよく脱線する。水道の安全性は不明。インフラは崩壊状態。

キンマを噛んで赤い唾液を道端に吐く人が多い。タンを吐く人も多い。手鼻をかんで鼻水を飛ばす人もいる。道路は不衛生。

「地球の歩き方」は便利だけど、記載内容が古い場合もある。載せるべきビーチリゾートの記事もない。ミャンマーはインフレが激しいので、値段の記載はあまりあてにできない。

★気をつけておくこと
ドル紙幣は少しでも破れていたら受け取ってもらえない。
逆に、チャット紙幣はどんなにぼろぼろでもあまり嫌がらないで受け取ってもらえる。

政府に対して批判的なことを言う人は多い。だけど、一緒になって政府批判をしていると、どこかに告げ口されるおそれもある。

★知っておいたほうがいいこと
ミャンマーは多民族国家。インド系、マレー系、中国系など、さまざまな顔を見ることができる。少数民族も多い。東南アジアの他の国に比べて比較的身長は高い。

ミャンマーでは露骨なぼったくりは行われていない。せいぜい倍価格の提示。
あんまり無理をして値切らなくてもいい。地方に行けばお土産の値段も安い。空港で100円程度で売られている貝殻のキーホルダーも、ビーチのお土産物屋では10~20円程度。

第二次世界大戦中、日本軍は32万人程度がミャンマーに行き、イギリス人やインド人から成る軍隊と戦った。19万人がミャンマーで亡くなったが、そのうち12~13万人はマラリアの影響で亡くなったと推測されている。
戦争末期には村民から牛馬や米を強奪する日本兵もいた。

親日的だと言われるけど、一概にそうだとは言えない。
日本語を学んでいる人や日本で働いたことのある人は意外に多い。

貧富の差が激しい。ヤンゴン郊外にはVIPの住むエリアがある。
検問を通ってお金持ちが住むエリアに入ると、瀟洒な一戸建てが並んでいる。
だけど、地方に行けば藁と板で作ったような高床式住居に住む人が多い。

ミャンマーでは半分近い子どもが10歳くらいで教育を終える。
14歳、15歳が高校生だが、高校を終えるのは3人に1人程度。
13歳(9年生)くらいから教科書はほとんど英語。生物も数学も物理も英語で習うので、高等教育を受けた人は英語が話せる。

外国人旅行者はフランス人とドイツ人が多い。ロシア人もたまに見かける。
10月や11月は日本人旅行者をあまり見かけない。地球の歩き方に載っていない町では、日本人の姿をほとんど見かけない。

★楽しいこと
ミャンマーマッサージは痛くなく穏やか。1時間350円程度から。チップをあげると喜ばれる。
高級リゾートでも2時間20ドルでマッサージをしてくれるところがある(Palm Beach Resort)。ベトナムやタイより安い。エロマッサージを勧められることはあまりない。

風俗的なことには興味がないので行かないけど、女の子と遊べるところはある。
現地で会った韓国人の孫さんによると、JJという店がいいと言っていた。「JJ ヤンゴン」で検索するといろんな情報がある。

海辺の町では、新鮮な魚を食べることができる。
中型の少しタイに似た赤い魚(red snapper)のグリルが350円程度。

ベンガル湾に面したグエサウンビーチは広く、何もなく、のんびりできる。
最高級リゾートで1部屋1泊100~200ドル。中級で40~60ドル。10~30ドルで泊まれるビーチ沿いのコテージもある(Shwe Hinta シュエ ヒンタ)。うるさいサーファーはいない。

夜空はすばらしく美しい。食堂の明かりから離れて真っ暗な中にたたずむと、澄んだ天の川を見ることができる。



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敬天新聞社と日本文化振興会

2009-11-18 22:00:40 | Weblog
今日はすばらしい晴天。
あまりにもいい天気だったので平日の東京を気ままに散歩。

渋谷から新橋までバスで向かったとき、新橋駅近くで街宣車を見つけた。
1台の街宣車には黒地に白い文字で「国賊は討て!」、もう一台には「天誅!」と書いてある。

国賊とか天誅とか物騒なことだ。
法治国家で、どんな手を使うのだろう。
敵を消滅させようとするためには、法に触れてもいいと思っているのだろうか。
そうであれば、犯罪予告の可能性があるとして、警視庁に連絡したほうがいいのかもしれない。

国賊とか天誅といった言葉を使用する人たちは、国とか賊とか天とか誅といった概念について注意深く考えたことはあるのだろうか。英語で言えば何になるのか、確認したことはあるのだろうか。
自分の主張を人に伝えようと思ったら、そういうことも考えないとだめだろう。

国賊とは何か、天誅とは何か、といった質問に対して論理的な定義を述べられないのであれば、不特定多数の前でそのような言葉を使わないほうがいい。

本当に力のある人は威圧的な言葉をあまり使わない。
中途半端に威圧的でテンションが高いだけの人は、控えめで冷静な頭のいい人に一突きで崩されてしまう。
そういう場面を、反社会的勢力と言われる人たちも目にしたことがあるはずだ。

平和とか民主などといった概念に反するものはすべて否定されるべきだと考えている単純な戦後民主主義信奉者は付き合いづらいけど、国体とか伝統といった概念に反するものはすべて敵だと考えている単純マッチョな暴力団系右翼団体の方々も近づきにくい。

もしかしたら穏健で開明的な保守主義者に対する嫌がらせのために、わざと嫌われそうなスタイルを威圧的に演じているのかと疑ってしまう。

かつて一水会の鈴木邦男さんは、ブログか著書で「全共闘の時代に、勢力の小さな右翼が考えたのが街宣車というスタイル」というようなことを書いていた。威圧的な黒塗りの街宣車というスタイルに対しては疑問がある様子だった。だけど、いまだに黒い街宣車は存在している。

ヘルメットにマスクでシュプレヒコールの左翼団体と、街宣車でがなりたてる右翼団体は、日本珍百景にでもノミネートされることを目指しているのだろうか。
何か信念があっての行動かもしれないけど、もう少し周囲が見えないと、一般人を動かすことは不可能だ。

今回見た街宣車は、2台とも敬天新聞社の街宣車だった。
埼玉県戸田市の敬天新聞社はあまり知られていないけど、一部では右翼系、指定暴力団関係の新聞社として認識されている。
株式会社や政治結社ではなくて任意団体なのだろうか。
社主は白倉康夫さんで、最高顧問は山口組系の大物組長、兵庫県西宮市の英五郎(津留英雄)さんだ。

・敬天新聞社
http://keiten.net/

・敬天ブログ
http://brog.keiten.net/

敬天新聞社の創設には、加納貢さんが尽力されたとサイトには書いてあるけど、事実なのだろうか。
おしゃれでありながらケンカに強く、ヤクザと一線を画した伝説の愚連隊。
宮崎学さんなどの著書でも有名な加納貢さんにはお亡くなりになる前にぼくもお会いしたかった。
http://keiten.net/articles/soliloquize/089_08A.html

創設にあたってアドバイスをしたりエールを送ったりしたかもしれないけど、今の敬天新聞社の在り方を見たら、すばらしい働きをしていると言ってくれるだろうか。

敬天新聞社のサイトは興味深く、ときどき拝見している。
一歩間違えればスキャンダルを利用した企業恐喝、総会屋的活動につながるのだろう。

アンダーグラウンドな人たちが、さまざまな隙間産業を開発して稼ぐことはすごいと思っている。
お金になるものを発見するということは、価値の創造にもつながる。
頭が良くなくてはできない、クリエイティブさを感じる。
時には法に触れることもあるかもしれないけど、一概に否定されることではないと思っている。

ただ、威勢よく企業の不正を糾弾しているにも関わらず、自分たちの恥ずかしいところについては言及しないところは、いじましく感じる。

2008年1月、劇作家の村上和彦さんが「国際アカデミー賞」という賞をもらい、パーティーが行われた。
敬天新聞社と近い関係にある「日本文化振興会」は、「国際アカデミー賞」や「社会文化功労賞」などの賞を出している。

敬天新聞最高顧問の英五郎さんは、数年前まで日本文化振興会の最高顧問も務めていた。
英五郎さんのご子息も日本文化振興会の関連団体の運営に関わっている様子。

・日本文化振興会
東京都中央区銀座8-8-15 青柳ビル8F
http://www.nihonbunka.jp/map.html

下記の日本文化振興会のパーティーでは、清水健太郎さんも小松忠義さんも、元皇族の伏見博明さんと共に出席している。
ひき逃げをする人もいれば、詐欺師も集っていたのだ。

・劇画作家 村上和彦先生、日本文化振興会「国際アカデミー賞」受勲(2008/1/29)
http://www.keiten.info/ph/mrf0121.htm

何度も麻薬所持などで逮捕されたことのある清水健太郎さんは、2008年10月30日にもひき逃げで逮捕された。
1994年に「社会文化功労賞」を受賞した整体師の小松忠義さんは2008年10月15日、医師法違反で逮捕された。
2人ともその年の初めには日本文化振興会のパーティーで晴れやかにスピーチしていたのに、残念な限りだ。

さまざまな詐欺的行為や犯罪的行為を糾弾する敬天新聞社は、身内の詐欺や犯罪には甘いらしい。
日本文化振興会は、逮捕された人の受賞を取り消すこともない。写真の掲載をやめることもない。
それで賞の権威は保てるのだろうか。
加納貢さんや安藤昇さんだったらどうするだろうか。

伏見博明さんにしても、とっくの昔に皇族を離脱しているのに、何の権利があって殿下と呼ばせているのだろう。
元皇族も、お金に困れば組長に賞状を手渡しても平気なのか。本物の皇族に大きな迷惑をかけていると考えたことはないのか。

写真のように堂々と大物組長に賞状を手渡す元皇族は、今でも皇族と旧皇族の親睦団体である菊栄親睦会に所属して、宮中に顔を出すことがあるのだろうか。
http://www.keiten.info/ph/101_07.htm

アンダーグラウンドな人々が聖なる存在に親近感を持つのは珍しくないけど、伏見博明さんに高貴さは感じない。
日本文化振興会の行為は、極右的主張で知られる有名日本酒飲み屋のご主人でさえ、問題視している。

・人の欲につけ込む怪しい商売「日本文化振興会」
http://www.tamanegiya.com/nihonnbunnkasinkoukai21.6.10.html



あ、今彼女が来たので今から食事。
ここでとりあえず中止。



11/20追記
先日、「日本文化振興会創立四十周年史出版刊行記念 新役員の就任披露祝賀会」というイベントがあったらしい。
この記事は、日本文化振興会ではなく敬天新聞社のサイトに掲載してある。
http://www.keiten.info/ph/091119.htm

出席者は、ニセ学位を発行しているNPO法人日本アカデミー協会のふくろう博士(古川のぼるさん)や、狂言の和泉元彌の母親、和泉節子さんなど。強面の方もちらほら。
「当日は駐日各国大公使閣下や各国友好団体代表及び各界代表の方々が来賓として出席されていた」と書いてあるけど、本当に大使か公使が出席したのか不明。

今春お亡くなりになった日本文化振興会副会長で、七田チャイルドアカデミー校長だった七田眞さんの後任が決まったのだろうか。新しい役員の一覧は公式サイトに明記してほしい。

すでに日本文化振興会の事業の怪しさについての報告はネット上にあふれている。
日本文化振興会の賞の権威のなさとか、多額の寄付を要求する手口は知れ渡っている。うまくだませる人が減少し、日本文化振興会の経営も危うくなっているのではないだろうか。
もっと現代に通用する、新しい事業を考えていただければと思う。



※上記のようなことを書くと、怖い人に怒られてしまうかもしれない。だけど、怖い人たちを非難したり挑発したりおとしめたりする意図はないので大目に見てほしい。ぼくの親は田舎の公的機関の責任者だった時も、Y組所属の幼馴染というか元子分を疎外することはなかった。警官を血まみれにして服役しても、親の態度は変わらなかった。ぼくもさまざまな人と対話できる人でいたいと思っている。

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十七条憲法の第1条「以和爲貴」は「日本が大事だ」と読めないか

2009-11-10 23:27:44 | Weblog
十七条憲法の成立は不明確だ。
日本書紀では、604年(推古天皇12年)に聖徳太子が作ったと紹介されているけど、日本書紀が編纂された720年頃に作られたものではないかという説がある。
そもそも聖徳太子=厩戸皇子の実在も疑問視されている。

だけど、「和を以って貴しと為す」という一文は、日本の風潮を表現する一文としてよく知られている。
一部の人は、「思ったことを主張しあい認め合った末の調和が大事だ」というように理解し、別の人は「物事を荒立てないために自己主張しないで我慢することが必要だ」というように理解する。

さまざまな解釈があるけど、十七条憲法における「和」とは何だろう。
調和の和、平和の和のことだろうか。
中国語でも「和」は和やかで調和のとれた様子を表わすらしい。

十七条憲法の他の項目を見てみよう。
第2条では仏教を敬えと言っている。
第3条では天皇を敬えと言っている。
なぜ、第1条では調和という状態が貴いと言っているのだろう。

一般的には、第2条、第3条のように、第1条もモノというか組織、制度といった具体的な存在について述べているのではないか。

そうすると、思いつくのは、ここで言う「和」とは「倭」、「大和」のことではないかということだ。

「以和爲貴」には2通りの意味があると考えてみてはどうだろうか。
「調和を大事にする」という意味と、「日本人を大事にする」という意味。

日本書紀や古事記が成立する前、5世紀も6世紀も7世紀も、朝鮮半島からの移民は多かった。
特に7世紀には百済や高句麗からの亡命者が多かった。
(660年に百済が滅亡し、高句麗も668年に滅亡した)

だから、西日本や畿内には多数の百済系や高句麗系、新羅系などの人たちが住んでいた。
先進的な技術を持った彼らは日本の政治経済に大きな力を持っていたから、以前から住んでいた人たちとのいさかいが生じることもあっただろう。

徒党を組んで、日本の風習に染まろうとしない渡来人もいたかもしれない。
そこで、「いろんな人たちが住んでるけど、日本人が大事だっていうことを忘れずにね」と釘を刺したのが、「和を以って貴しと為す」だとは考えられないだろうか。

ここは百済でも高句麗でも新羅でもなく、日本だ。日本国家として、まとまって行こう。
そういう意思を最初に明示したとも読める。

704年に日本書紀が成立するまでは、大和政権のことを指して「和」「大和」と言っていた。
もし、平清盛の時代に「平を貴べ」というお触れが出たら、それは「平等」とか「平衡」といった意味も重ねてあるのかもしれないけど、基本的に「平家を貴べ」という意味に一般の人は受け取るだろう。
ニューヨークのチャイナタウンで「美を愛そう」というキャンパーンがあれば、それはbeautifulの意味もあるかもしれないけど、美国(亜美利加)のことだと受け取る人が多いだろう。

「和を以って貴しと為す」の「和」も、平和とか調和の意味の前に、「大和政権」「日本」として受け取られていたかもしれない。

上記のような説を唱える人はどこかにいないものだろうか。

<参考>
―――――――――――――――――――――――――――――――
■和を以って貴しと為す
「一に曰く、和を以て貴しと為し、さからうこと無きを宗とせよ。人皆党有り。亦、達れる者少なし。是を以て、或いは君父に順ず。また隣理に違う。然れども、上和らぎ、下睦びて、事を論うにかなうときは、則ち事理自ずから通ず。何事か成らざらん」
※「以和爲貴」は、論語の「禮之用和爲貴」(礼を之れ用ふるには、和を貴しと為す)を引用していると言われている。「和」は、和やかで調和がとれている様子。
―――――――――――――――――――――――――――――――


以上のようなことを適当に書いたけど、ぼくはあまり歴史に興味がない。
過去の事実を知ったからといって、そのこと自体にどんな価値があるか疑問があるし。

「日本を以って貴しと為す」説は誰でも思いつく説だろうと思ったけど、ネット上に見当たらなかったのでメモしただけ。
歴史も漢文も知らない人間が軽薄なことを書いてすみません。
高校時代、日本史も世界史も全く習わなかったので、いまだに鎌倉時代と室町時代がどっちが古いか問われても即答できないようなレベルです。


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レラチセ閉店

2009-11-10 22:24:51 | Weblog
先日ミャンマーで、「風」のことを「レェ」と言うと聞いた。
イントネーション的には「例」とか「霊」のような発音。
アイヌ語の「レラ」(風)を思い出した。

ふと気になってレラチセを検索したら、なんということだ。
ちょうど3日前に閉店してしまっていた。
どうしてもう少しはやく気づかなかったのか。

レラ・チセは東京唯一(もしかしたら北海道以外唯一?)のアイヌ料理屋だった。
店名はアイヌ語で「風の家」を意味する。
かつては居壁太さん(OKIさんとOKI DUB AINU BANDで活躍している)もスタッフとして働いていたらしい。

10年ちかく前に早稲田から新井薬師前に移転した。
早稲田の文学部前にあった時は行ったことがあるけど、移転してからは足を運んでいない。

アイヌ独特の料理や北海道の食材を使った素朴な料理などを提供していた。
早稲田にあったとき、おしぼりから柔道着のようなにおいがしたことを思い出す。
アットホームな、飾らない店だった。

数年前に阿寒湖畔のアイヌコタンを訪れたときに、阿寒湖出身の人が東京でレラ・チセという店をやっているということを耳にした。

もう一度行こうと思っていたのに、閉店だ。
いつかそのうちに、と思っているうちに時は過ぎ行く。
気になる店には早めに行っておこう。

それにしても、ウタリ協会あらためアイヌ協会は、アイヌ文化振興のためにどんなことをしているのだろう。
東京で、アイヌ食材やアイヌ料理の宣伝にも力を入れるべきではないだろうか。

アイヌ料理のアンテナショップを開いたり、アイヌ料理のガイドブックの編纂をしたり、ということは寡聞にして知らない。
文化を継承するためには、自力でやらなければいけないことは多い。

http://www2.odn.ne.jp/rera/
> 閉店のお知らせ
>
> このたび、諸事情により、11月7日(土)をもってアイヌ料理店レラ・チセの営業を
> 終了させていただくことになりました。
> 誠に残念ですが、設立のためのカンパ活動に始まり、94年の開店以降、これまで
> お世話になりました多くの方々のご厚情に感謝し、深く御礼申し上げます。
>
> アイヌ料理店レラ・チセ
>
> 03-3387-2252


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セコガニの季節

2009-11-10 21:55:07 | Weblog
先日まで滞在していた東南アジアにもワタリガニの親戚みたいなカニがいたけど、日本はカニの種類が豊富だ。

ズワイガニ、タラバガニ、毛ガニ、花咲ガニ、ワタリガニ、モクズガニ等々、さまざまなカニが繊細さやボリュームを競っている。

肉厚なタラバガニや甘みのある毛ガニもいいけど、ぼくが特に魅力を感じるのは繊細なズワイガニ。
より小ぶりで味の凝縮したセコガニは、日本酒のあてにも最適だ。

ズワイガニ(松葉ガニや越前ガニ)のメスである小型のセコガニは、11月6日から1月初旬までの約2か月しか漁ができない。
落ち着いた飲食店で食べると、きれいに捌いて並べられた小さなセコガニが、一皿何千円もしてしまう。

それでも上海ガニに比べたらリーズナブルで、身が詰まっていて、薫り高く、繊細で、内子も濃厚だ。
「いったい誰が上海ガニをブランド化したんだ、こっちのほうが上海ガニよりおいしいだろう?」という気分になってしまう。

遠くない将来に、セコガニは上海ガニを凌ぐ人気商品になってしまうかもしれない。
そうなったら価格も高騰して、気軽に楽しむことができなくなってしまうだろう。
今のうちに思う存分食べておこうかと夢想する。
(背子蟹、勢子蟹などの名称を商標登録して、中国ビジネスに活かそうかということは考えない。。。)

・セコガニ約1キロ2980円(送料込み)
http://item.rakuten.co.jp/sanintoretatehonpo/mj-seko-wake-a/

中国出身の友人と、日本の水産物のおいしさについて話をすることがある。
中国人だって、生ホタテの刺身や茹でたズワイガニの身にかぶりつけば、その魅力に取りつかれる。

中国の富裕層が日本のおいしいカニに注目して値段を吊り上げる前に、ひっそりとおいしいものを安くいただいておきましょう。


追記
以前はホヤだってスーパーで1個100円で売っていた。
だけど、韓国での需要が大きいと知れるとかなりのホヤが輸出用にまわされてしまった。
今では安い生きたホヤを手に入れることはむずかしい。
ホヤの刺身とある種の白ワインはものすごく相性が良くておいしかったのに、残念。

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