波打ち際の考察

思ったこと感じたことのメモです。
コメント欄はほとんど見ていないので御用のある方はメールでご連絡を。
波屋山人

日本の未来はデザインにある

2011-05-31 01:08:18 | Weblog
週末、松本のクラフトフェアに出かけた。
金曜日の夜9時前に新宿で彼女と待ち合わせ、バスで松本へ。
松本は、文化的な催しが多く、人々の注目を集めている。

駅前のビジネスホテルに泊まって、土曜日朝からクラフトフェアへ。
広い会場に出展者のテントが並ぶ。
土曜日は幸いなことに曇り空。暑くもなく寒くもない。
会場に入るとすぐに斬新な色合いの備前焼や生地屋さんに目を奪われる。
奥のほうに進むと陶器、ガラス、木工、金工など、興味をそそられるブースが多い。
松本のクラフトフェアは参加するために審査が厳しいと聞くが、参加者は若い作家が多い。
かっこいいなぁ。すばらしいなぁ。
ぼくも何か作りたくなる。

これから日本の人口は減っていくけど、クリエイター人口はどんどん増えていく。
経済規模は縮小するけど、芸術的な価値の高い商品の売り上げは増えていく。
これからの日本社会は、付加価値のあるものの良さが人々に受け入れられていく。
クラフトフェアの賑わいはその傾向を示している。

大量生産品を作って大規模な経済活動を行うのもいいけど、
小規模でも人気の手作り品を販売し、豊かな生活を行う人が増えるだろう。

すでに、雑誌の世界では数十万人を対象にしているものは少ない。
数万人を対象に、独自の視点に共感を集めているものが多い。

外国の友人が日本に来たら、こんどはクラフトフェアを案内してみよう。
彼らは会場に集まる人たちの姿を見て、なんと穏やかなすてきな人が多いのだろうと
感じてくれるだろう。
繊細な作品や奥ゆかしい作家さんに、日本社会の特性を感じるかもしれない。

彼女は予算もないのに皿やコップを次々と購入。
長谷川風子さんの作品は益子でも何度か購入している。
欧風的な感じもするイラストが印象的。

泊まる宿は浅間温泉の飯田屋別館。
築80年を超える老舗。古いけど丁寧に掃除してあり、落ち着ける宿だ。
4時半にチェックイン。温泉に入って早めに夕食を食べて、8時頃に就寝。
彼女は朝8時まで爆睡。
ぼくは深夜天井を走る小動物の物音に気づいたり、朝の日差しのまぶしさに目を覚ましたり、
財布を無くす夢を見て目覚めたりしたけど、彼女はまったく目を覚まさない。
そういう神経の太さはすばらしい。

夜通し降っていた雨は日曜日も降り続けている。
屋根にあたる雨の音は田舎を思い出させる。
幼児期の頃はトタン屋根に雨が大きく響き、そこにぼくは安らぎを感じていた。

日曜日は雨の中、どろどろの中を会場めぐり。
靴もパンツも泥だらけ。

涙ガラス制作所というガラスアクセサリーの作家さんが
何年か前にファッション誌編集者に転職した後輩女性に似ていた。

夜10時すぎに自宅に戻り、靴を洗ったり選択したり。
月曜日からはまたあわただしい日がはじまった。
さっき、退社間際に久しぶりに後輩にメールを送ったら、
なぜかエラーで戻ってきてしまった。
似てる作家さんがいたよ、と伝えよと思ったんだけど。もう転職したのかな。アドレスが変わっただけかな。

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週末姫路の旅

2011-05-15 21:06:55 | Weblog
金曜日の夜、19時半に彼女と待ち合わせて東京駅に向かい、20時10分の新幹線に乗った。
23時15分くらいに姫路駅に着くと、駅前の通りを姫路城のほうに歩いてビジネスホテルにチェックイン。
ホテルウイングインターナショナルは2人で7800円。朝食付き。
23時半すぎにはネットで見つけていた居酒屋に移動。
篤屋(とくや)の若いご主人は姫路駅南口の日航ホテルの和食店で修行をされたとか。
オーナーは大分出身らしく、小鹿田焼き(おんたやき)の皿やお猪口が印象的。
地元のアナゴが食べられなかったのは残念だったけど、
ハモのタタキ、アサリの酒蒸し、鯛のアラ煮、野菜などを食べながら
地元の日本酒龍力(たつりき)を冷酒や熱燗でいただいた。
くつろげるひととき。

深夜2時過ぎには睡眠。
朝8時過ぎに起きて風呂に入って9時過ぎに朝食。
10時にチェックアウトして城の北側の公園で行われている姫路クラフト・アートフェアを見学。
160以上のブースがあり、陶芸、木工、皮革、ガラス、等々気になる店も多い。

「すっく」という店名で出しているご夫婦によるストーリー性のある陶器の皿やキャラクターは大人気。
ぼくたちも柄やおもしろさにひかれていくつか購入。
「あえる」という女性2人の店のガラスのペンダントも購入。
となりの店のカッティングボードも、
水滴の王冠のような粒々が印象的なガラス細工のお店ko-maさんのペンダントも、
線描画がアーティスティックなハコリエさんの絵付きの皿も購入。

彼女が以前から探していたという伊東制靴店では、手作り靴を彼女への誕生日プレゼントとして購入。
この前も誕生日プレゼントとして手作りかばんを買ったばかりだけど。
つい買ってしまう。

昼下がり、姫路駅地下から駅前の新築ビル1Fに移転したタコピエで、姫路名物明石焼き風たこ焼きを注文。
たっぷりソースを刷毛で塗って、だしにつけて食べる。大きくてやわらかい明石焼き風たこ焼きは懐かしの味だ。

夕方は実家に帰って5時過ぎに食事。
実家の裏で取れた山椒の葉を練りこんだ味噌は、裏山で取れたタケノコに実によく合う。
龍力の大吟醸の繊細なみずみずしさにも合う。

夜は足を伸ばして風呂に入って、20時半には就寝。音のしない、静かな環境。
ごくまれに遠くを走る列車のレールの音が聞こえる。

朝は9時半に起床。11時間も眠ったから調子はいい。
新聞を読みながらサンドイッチを食べて、家の周りを散策。
ブルーベリー、ゆすら、きんかん、イチゴ、
ミント、みつば、山椒、ウド、下仁田ネギ、
斑入りのナルコユリとして買ったけど叔父にアマドコロだと判定された植物、
アヤメ、カキツバタ、ボケ、パンジー、さまざまな花も咲いている。

実家には田んぼも畑も竹林もある。
所有地の中には未発掘の古墳や小さな池だってある。
広い母屋のほかに、納屋や離れもある。
それでも都心の狭小住宅よりも安い値しかつかない。

近くの川でとれた鮎の塩焼きを食べながら、緑豊かな裏山や中庭を眺める。
若葉の明るい色と、湿気のすくない心地よい空気。
鮎の味噌汁はあいかわらず鮎の香りが味噌とよく合い絶品だ。

こっちで何か新しい産業を興すことはできないかと夢想する。
例えば、ハーブの栽培と製品化と販売。

キムチを参考にハーブの漬け物の試作品を作ってみようか。
唐辛子は使わず山椒、胡椒、ゆず、フェンネル、牡蠣、オキアミの塩辛などを使用。
ローズマリーやディルで、ハーブソースやハーブドレッシングを作る。
ハーブをペースト状にして、焼き海苔のように仕上げることはできないだろうか。
ヨモギラーメンやヨモギシフォンケーキをおいしく仕上げる。
ヨモギの辛みそ漬けはお酒のおつまみや焼肉の薬味に使う。
想像はふくらむ。

栽培し、加工し、販売する過程を公開し、ハーブガーデンとして集客。
芸術的知見のある人が商品ラインナップや展開を指揮する。
計画を作成し、知識のある人に相談し、具体的な作業を地元の人に依頼し、計画を進めて行けないだろうか。
まずは企画書の概要を用意し、そこから細部を詰めてみようか。

田舎の人は自生しているヨモギや山椒やハーブなどが商品になると想像していないかもしれないけど、
カクレミノやヤツデやツゲやマキなどが立派な庭木になるように、
山野に自生しているものが商品として大化けすることだってありえると思う。
それは彼岸花かもしれないしアマナかもしれないしスベリヒユかもしれない。

クローバーとカタバミの違いもわからない都市部の人と違って、
スズランとアマドコロの見分けもつかず、どちらが薬草でどちらが毒草かということも知らない人と違って、
田舎の人には潜在的にすごい知識があるのだ。
それを、価値あるものとして都市部の人に伝えたいものだと思う。


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起源?

2011-05-07 22:49:42 | Weblog
先日、韓国の中央日報に、日本語の起源は韓国語だと東京大学の教授が発表、という記事が掲載された。
韓国の新聞ではときどきこのような記事が掲載される。

かつて、韓国は格上だと感じていた中国にシンパシーがあったのに、格下に見ていた日本に支配されてしまった。
(イザベラ・バードの朝鮮紀行にはそのあたりの描写が多い)
尊厳を失った納得いかない気持ちをなんとか転化してバランスをとりたいという気持ちが深層心理にあるのだろう。
韓国の新聞を見ていても、妙に宗主国や起源という言葉が出てくる。
他国の人はあまりそこに価値を置かないと思うのだが。

伊万里焼の起源は韓国の磁器でいい。
しかし、韓国の磁器にだってルーツはあるだろう。
また、陶器の歴史をずっとたどれば、朝鮮半島や中国からは、早期縄文土器より古いものは出土していない。
日本人は誰も、陶器の起源は日本だと言わないけど。

中国だって、マイセンやウェッジウッドの起源は中国だとえらそうに言わないだろう。
物事はさまざまに変化して派生して、現在の形になっている。
工業製品でも音楽でも文学でも民族でも国家でもそうだ。
あまり起源に優越を感じると、最先端のものに対して正当な評価を行うことがむずかしくなってしまう。
起源というものは幻想かもしれない。

そんなことはともかく、今回、東大教授が「日本語のルーツは韓国語」だと発表したと報道されて、いちばん迷惑しているのは東大の長谷川寿一教授ではないだろうか。
ヤフーニュースの記事やコメント欄を見たら、大きな誤解だ、と言いたくなるだろう。

東大で博士課程までずっと心理学を専攻していた長谷川教授は行動生態学者を名乗っている。
研究テーマは「クジャクの配偶者選択、ヒト・類人猿の生活史戦略と配偶戦略、自閉症者の認知など」らしい。
動物に関して興味深い研究を行っているようだ。
言語学は専門外。

今回の論文も、院生の指導教授として長谷川寿一教授の名前が併記してあるだけで、実際に執筆したのは長谷川教授の研究室(認知行動科学大講座)の博士課程に所属する韓国系のリー君だろう。
ニュージーランドのオークランド大学で日本語と心理学を学んだSean Sangheon Lee君(ショーン・サンヒョン?サンジョン?)は東大の研究生を経てから博士課程で学んでいる。
研究室の他のメンバーは何かしら認知に関係のある研究を行っているようだが、なぜかリー君だけが、「日本語族の系統進化」を研究テーマにしている。

言語学とか人類学、歴史学や統計学に縁遠そうな研究室だけど、認知行動科学や心理学の手法が言語の系統分化の研究に活用できるのだろうか。興味深いところだ。

きちんと論文を読まないとわからないけど、「日本語の各方言の基本単語を分析してみたら、どうも紀元前200年頃に分化を始めたみたいだよ」という内容なのではないだろうか。

それを、韓国メディアが、そういえばその頃日本列島には朝鮮半島から流入した人が多かったはずだ、韓国語が日本語の親だ、と報じてしまった。
そう言いたくなる深層心理があるのだろう。

冷静に考えれば、紀元前200年頃には朝鮮半島に新モンゴロイドや旧モンゴロイドのさまざまな部族が住んでいたけど、国家はなかった。どんな言語が話されていたかはわかっていない。
衛氏朝鮮(紀元前195年?~108年)が、伝説ではない朝鮮半島最初の国家。
百済や新羅や高句麗はまだ存在していない。

シベリア方面から来た人たちに朝鮮半島の南部にいた人たちが押し出されて日本列島に逃げたことはあるだろう。
西日本から東日本に逃げていった人たちに押し出されて東北に逃げていった人もいるだろう。

日本の起源は韓国だと言うことは、関東の起源は関西だと言うようなものではないだろうか。(あるいは、韓国の起源はシベリアだと言うようなもの?)
「関東は蝦夷地だった。西日本から入植して発展した。東京の経済も関西人が基礎を作った」と言うのは、よほど関東の人に不信と不満がある関西人くらい。
東京の人が大阪の人の対抗心にうざさを感じるように、大阪人は韓国人の対抗心にうざさを感じるのかもしれない。

ま、トラウマやコンプレックスに影響されて発言や行動を行うのもいいけど、それが学問としての価値をゆがめさせないように、学術的な研究ができる研究者は、冷静な判断をすると思う。

リー君もせっかく心理学を研究できる環境なのだから、韓国に見られる起源重視の心理、とか、日本に見られる日本人論好きとか、国際的にむちゃなこと言われてもきちんと論理で反論しない日本人のぐだぐだな心理、などを研究してもいいのでは。

どちらにしても、長谷川教授もリー君も今回の報道に関して釈明をしないと、多くの人に非学術的な人だと思われてしまうおそれがある。どのような対処をされるのだろうか。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110507-00000011-scn-kr
■「日本語のルーツは韓国語」東大教授が英学術誌で発表=韓国
サーチナ 5月7日(土)19時58分配信
 東京大学の長谷川寿一教授とリー・ショーン氏が研究した、現代の日本語は朝鮮半島からの渡来人に大きな影響を受けたとする内容の論文が、4日の学術専門誌「英国王立協会紀要(Proseedings of the Royal Society B)」に発表されたことが分かった。
 韓国メディアは外信の報道を引用し、「東京大学の教授が『日本語のルーツは韓国語』と主張した」などと相次ぎ報じた。
 報道によると、長谷川教授とリー氏は日本語の基本動詞、数字、代名詞などの主な210単語について、59の方言によるリストを作成。各方言を比較した結果、現代の日本語は朝鮮半島から日本列島に大量の渡来人が来た紀元前200年ごろにルーツを置いていることが分かった。
 日本語の起源は、定住が始まった3万年―1万2000年前から直接由来したとする自生説があるが、今回の研究結果は朝鮮半島からの渡来人が日本の先住文化に大きな影響を及ぼしたとする外部流入説と一致するという。
 韓国メディアは、「日本語は朝鮮半島から来た渡来人の影響を受けていたことから、百済の遊民が日本へ渡った際に現地でのコミュニケーションに大きな問題はなかったという主張もある」と伝えた。(編集担当:新川悠)

コメント欄
> 韓国っていつ建国したんだ。頭おかしいだろ。
> 2011年5月7日 20時2分nat*****さん.

> 当時韓国があったとでも?
> 2011年5月7日 20時5分tai*****さん.

> 全く半島人は何が言いたいのか分からん
> ルーツが朝鮮語だろうが何だろうがそれがどうした?
> そのことによって朝鮮民族が優秀だといいたいのか?
>
> お前ら朝鮮人の馬鹿さ加減にうんざりだ!
> 2011年5月7日 20時3分kei*****さん.

> 東京大学の長谷川寿一教授
> ↑
> アンタは東大より立命館大学教授がお似合いだよwww
> 2011年5月7日 20時1分taj*****さん.

> 始まった・・・
> 十八番が・・・
> 相手するのも疲れた。が、
> バッカじゃなかろうか!!
> 2011年5月7日 20時5分n__*****さん.

> (大笑)
> そもそも、百済語にしろ、新羅語にしろ、どういう言語だったのかの資料が”
> 全く残っていない”のだから、
> ルーツも何も検証すら出来ないわけだが、一体何の根拠があって、そんな主張を
> しているのだか?
>
> 願望から来る妄想かな?(呆)
> 2011年5月7日 20時5分tsu*****さん.

> 梅原猛さんの本でも読んでちょっと勉強してみたら?! ちなみに百済で話されていた
> 言葉と今半島で使われている言葉がどういう関係がどの程度あるのかも証明できて
> ないんじゃないか? 頭がおかしい奴らだな!
> 2011年5月7日 20時12分aaa*****さん.

> 最近の東大の教授は信用できないです。。。
> 2011年5月7日 20時11分rrr*****さん.

>>日本語の起源は、定住が始まった3万年―1万2000年前から直接由来したとする自生
> 説があるが、今回の研究結果は朝鮮半島からの渡来人が日本の先住文化に大きな影響を
> 及ぼしたとする外部流入説と一致するという。
>
> 一致する、と言うか一致させたい妄想なのだろうが、仮に大陸からの影響があったとして、
> なぜ朝鮮でとめる?
>
> 朝鮮に伝わったものが日本へも伝わった、と言うことはあっても、
> 朝鮮がルーツ、と言うことはないでしょうね。
> どう朝鮮ひいきしたところで、朝鮮はただの通り道でしかない。
> 2011年5月7日 20時15分aok*****さん.

> 宇宙は韓国から始まった…
>
> だろ?
>
> いつ論文発表するの?
> 2011年5月7日 20時15分qxp*****さん

> 東京大学 地に落ちたもんだ
> 2011年5月7日 20時8分bcc*****さん.

> 一言良いですか・・・
> ”ふざけるな! このパクリ野郎!”
> 2011年5月7日 20時8分ykn*****さん

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ちょいちょい、ちょくちょく、一瞬

2011-05-05 00:49:47 | Weblog
ちょこっと、とか
ちょこちょこ、とか
ちょっと、とか
ちょびっと、とか
ちょん切る、とか
「ちょ」の語感には、短いもの、なずんだもの、瞬間的なものを感じる。

ちゃ、ちゅ、ちょ、という音は口を大きく開かず、上あごと舌先がしっかり触れるから
ややこもり気味で、圧力が弱く、幼児にも発声しやすい。
何かをしゃぶるときの舌先の快感にもつながる音かもしれない。

硬質的ではなく、具体的でもない。
アレ、とか、ソレ、などのように、
ちょ、にはイメージ的な、舌足らずな、些細なものを指し示すこともあるのかもしれない。
チョンの間とか。チョンまげとか。

そうでちょ? ちょんなことないでちょうか?
と言うと幼児っぽく、
そうでしょ? そんなことないでしょうか?
と言うともう少しすっきりと硬質な印象となる。

ちょ、と、しょ、では発音の仕組みが異なるから、
おなじ拗音を使用しても、ちょ、よりも、しょ、のほうがもう少しすっきりしたものとなる。


そんなことはともかく、
さいきん若い人が「ちょいちょい」「ちょくちょく」「一瞬」という語を多用している気がする。

擬音語や擬態語の多用は、言語が発達してない社会でよくみられる。
ちょいちょい、とか、ちょくちょく、という語を多用されると、
あれあれ、とか、それそれ、などと同じく
あやふやなイメージを人に受け入れてもらおうとする、非論理的な姿勢を感じてしまう。

10年前の若者が語頭になんでも「超」をつけていたように、
20年前の若者が語尾を間延びさせて話していたように、
最近の若者は、会話の中にちょいちょいとかちょくちょくを入れれば何か間を持たせる表現ができると認識しているのだろうか。

手軽かもしれないけど、安易な姿勢ではないかと感じる。
言葉を使うプロがそういう言葉を使用して表現している様子を見たことがない。
詩人も歌人も俳人も、ちょーいけてる、とか、まじやばいしぃ、とか、ちょいちょいやってる、などとあまり書かないのではないだろうか。
べつに言ってもいいんだけど。

一瞬、という言葉を安易に使う人も多い。
ちょっと、少し、しばらく、というようなニュアンスで、一瞬という言葉を使う。
だけど、一瞬で終わる、と言っても数分待たされることはざらだ。
本来、一瞬とはまばたきをするくらい短い時間のことを言うのではないか。
意識的ではない言葉使用に思われる。

言葉で何かを表現したい人は、大雑把な言葉に安易に流されることなく、自分なりの表現を試行錯誤するのではないだろうか。

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益子陶器市

2011-05-03 18:03:03 | Weblog
さっき、大きなダンボールが届いた。
着払いで送料1400円。

一昨日、栃木県益子町の陶器市で購入した陶器が入っている。
ほとんどは一緒に行った彼女のものだ。
ぼくの買ったものはショップで購入した南部鉄のフライパン(重厚ながらモダンな曲線が美しい!)と、ナーガランド(知る人ぞ知る秘境ナーガランド!)の小さな木製の丸い台。陶器は、スターネットで買った湯のみくらいかな。

益子の陶器市は、若手作家がモダンな作品を手ごろな値段で出品しており、全国的に人気を集めているらしい。
若い人から年輩の人、近郊の人から外国人まで多くの人を見かけたけど、ナチュラルな格好の女性とすっきりした男の2人組が多い印象だった。

自然豊かで、センスのいい雑貨をそろえた店があり、心安らぐナチュラルな食事を提供する店が多い益子は、彼女たちにとって居心地のいいところなのだろう。

何十人もの陶芸作家さんたちのブースを回っていると、東京のうつわ屋さんでも名前を見かける若手作家さんたちを見つけることができた。
想像通り奥ゆかしい感じの人だったり、意外に活発な感じの人だったり。
20代、30代の女性が繊細で味わい深い作品を作り出している。
コップも皿も数千円で買えるけど、そのうち巨匠になると値段も上がるのかな。

益子は地震の影響で多くの窯元で陶器が壊れたり登り窯が崩れたりしたらしいけど、多くの作家が出店し、客と談笑し、作品を売りさばいていた。
これからも益子は盛り上がっていくのではないだろうか。

町おこしには、価値の創出につながるアートが有効なのかもしれない。
ぼくの実家がある町も、何かで盛り上げたいものだ。

個人的には、実家周辺でハーブを栽培することを夢想する。
ディル、フェンネル、バジル、セイジ、コリアンダー、クレソン、山椒、茶、ミツバ、ヨモギなど。
それらのハーブを使って料理や加工品を作り、販売する。
近隣の醤油会社や造り酒屋には最高級の調味料をつくることを依頼して、
いいものを楽しむ文化を田舎に根付かせる。
計画をたてて、まずは種を購入するところからはじめようかな。

いろんなものを感じとり、味わい、楽しむことは、無駄なことではない。
お金をかけなくても、とても豊かな日々をすごすことは可能だ。
それは、とても芸術的な行為だ。

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生肉がつがつ

2011-05-03 15:12:34 | Weblog
最近あまり肉を食べない。
豚肉を炒め物や豚汁に入れるくらいだ。

だが、馬刺しは比較的よく食べる。
日ごろから近海魚の刺身はよく食べるのだが、馬刺しもまた甘みとみずみずしさと味わいが魅力的。きっとミネラルも豊富なのだろう。

先日、長野の馬刺しを1キロばかり購入したので、さっき半解凍したものをスライスしてみた。
200gだけでも皿に大盛りだ。
馬刺しや馬レバ刺しのおいしい新宿の波津馬(はつば)で食べたら何千円するボリュームだろう。
もう少し解凍したら、独り占めして食べてしまおう。


先日焼肉店のユッケを食べて食中毒になった人がいるから、生肉を食べることに敏感になっている人も多いだろうけど、ぼくはそのようなことに影響されない。

だいいち、馬刺しは生肉で食べることが認められている唯一の肉だ。
生の牛肉や鳥肉などとは信頼性が違う。
風評に流されて馬刺しをおそれる必要はない。

ぼくは店で鳥レバーの刺身、ちょっとあぶっただけの鳥モモ肉やササミ、豚レバーの刺身や牛肉のユッケを食べるけど、生食用として販売されている肉ではないことを理解している。
もっとも状態のよい新鮮な肉を店の判断で生食用として出しているけど、ごくまれに少し鮮度が疑われるものが出てくることもある。
そのようなときは生理的に違和感をおぼえるので摂取を控える。


それにしても今回の食中毒事件で、焼肉店も、卸売り業者も、大きな痛手を受けるだろう。
「ユッケ用牛モモ肉」を販売している新大久保の韓国食材店(韓国広場とか南大門市場とか)も生食用として牛肉を販売できなくなるかもしれない。
(生食用として牛肉を販売することは認められていないが、現在はユッケ用モモ肉として販売している)

焼肉店の社長が言うように、牛肉の生食メニューは全部禁止してしまってもいいのかもしれない。
法的に生食用牛肉の出荷は認められていないのに、ユッケとかタルタルステーキの販売が黙認されるというのは論理的ではない状態。
それは、法的に売春やギャンブルが認められていないのに事実上の売春やギャンブルは広く行われているという状態に似ている。

そのうち、法的資格を持たない整体師やカイロプラクティックドクター、気功師、マッサージ師による健康被害も大きな事件になるかもしれない。
大規模な健康被害でもなければ、厚生労働省はそういった”治療師”や”治療院”を管理しようとしないのだろう。

論理的ではないのに流されて黙認を続けていると、厚生労働省も罪に問われることになるかもしれない。
論理的に秩序を構築することは、厚生労働省の組織維持にも国民が生命を危険にさらさないことにも役立つのではないだろうか。

5/7追記
昨日会社帰りに韓国広場や南大門市場に行くと、ユッケ用の生肉は販売していなかった。売ってたら買おうと思ったのに。
しょうがないから、豚の三枚肉とエゴマの葉とタンポポ葉の唐辛子漬けを買って帰った。

(2011年5月3日13時33分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110503-OYT1T00313.htm?from=y10
■焼き肉店社長、加熱用肉ユッケは「業界の慣習」
「申し訳ありません」「厚労省が定める『生食用』肉はそもそも流通していない」――。
 焼き肉チェーン「焼肉酒家えびす」砺波店で生肉のユッケを食べた男児(6)が腸管出血性大腸菌「O(オー)111」に感染、死亡した集団食中毒。同チェーンを運営するフーズ・フォーラス社(金沢市)の勘坂康弘社長は2日の記者会見で時折、声を荒らげながら謝罪と弁明を繰り返した。
 「遺族をはじめ被害を受けた人に経済的な補償をしたい」と話す一方で、加熱用肉をユッケとして提供していたことを「業界の慣習」などと訴えた。
 福井市の福井渕店で食事して死亡した男児(6)も同日、ユッケが原因と確認され、死者は2人に。県警は業務上過失致死傷容疑で捜査本部を設置し、重大事件として解明に動き出した。
 同日午後、金沢市の本社に約40人の報道陣が詰めかけて行われた記者会見。
 対応していた石野浩平・マネジャーに対し、厚生労働省基準の「生食用」ではない加熱肉をユッケとして提供していたことに質問が及ぶと、勘坂社長が突然、会見場に現れた。
 勘坂社長は何度も頭を深く下げては、「被害者を全面的に最後までケアしたい」「できることは一つしかない。経済的な支援を踏まえ、アフターのフォローをしたい」などと被害者への対応を神妙に語った。
 一方で、資料を見ながら、「生食用として市場に流通している牛肉はありません」と大声を上げ、厚労省に対し、基準を満たしていない肉をユッケなどに使うことを法律で禁止すべきと訴えた。
 また、感染源について、同社は、富山県や自社の調査で店内から菌が検出されず、同時期に系列の複数店舗でユッケを食べた客に症状が表れていることなどから、チェーン店に届く前に「(肉が)汚染されていたのだろう」とし、店以外の可能性が高いことを主張した。


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アメリカ政府は何を根拠にビンラディンを殺したのか

2011-05-03 14:15:00 | Weblog
2011年9月11日の同時多発テロによってツインタワーは破壊され、ハイジャックされた飛行機は墜落し、何千人もの命が奪われた。
その数ヶ月後にニューヨークに行ったぼくは更地となったツインタワー跡地に向かい、両手を合わせてたたずんだ。

それから10年近い歳月を経て、同時多発テロを起こしたアルカイダの中心人物と見られていたビンラディンが、アメリカ政府が派遣した者によって殺害された。
ぼくはビンラディンに対しても手を合わせる。


多くのアメリカ人は、アメリカ社会を不安に陥れる象徴的な存在を消し去ったことを肯定的に受け止めている。
一方、イスラム社会に浸透してくるアメリカの影響を排除しようと試みていたビンラディンを、勇気ある抵抗者として評価するイスラム教徒も多い。

アメリカにとっては、自由や民主主義は自分たちの基盤となる価値観であり、それに相容れないものを排除することは当然の正義なのだろう。

だが、そういった思考スタイルには、旧態依然としたものを感じる。
なぜ自分たちを嫌う人たちが多いのか、なぜ反発を受けることが多いのか、そういったことについて分析を行わないのだろうか。
強い者は弱い者の価値観につきあう必要はない、異教徒に正義はない、という姿勢なのだろうか。

アメリカには多様な価値観をもつ人たちが住んでいるが、自由や民主主義といった価値観のもとに秩序を維持しようとしているのだろうか。
それは、擬似的な共生社会だと言えるだろう。


それはともかく、アメリカ政府は何を根拠にビンラディンを殺したのだろう。
何の法律、何の条約に基づいてそのような行為が可能になったのか。
戦時中でもないのに、勝手に他国に武力を持ち込んで、容疑者を殺害することは何によって認められているのか。
強い者が周りを黙らせれば、何をやっても承諾されるのか。
アメリカは、国際的条約も国連のルールも何でも自分の都合にわるいものは破棄するのか。

大手新聞はそういったことについて説明をせず、ビンラディンが殺された、アメリカ人は喜んでいる、株価も上がった、などといったことを書いている。
それでジャーナリストと言えるのだろうか。

凶悪犯は絶対的に否定されるべき存在だから超法規的にでも殺害すればいいのだ、と考える人がいるかもしれない。
しかしそれは
反天皇の共産主義者は絶対的に否定されるべきだと考えていた憲兵や
堕胎を許す産婦人科医は犯罪者だから排除されるべきだと考えるカトリック原理主義者や
傲慢なアメリカ政府はイスラム社会から手をひくべきだと考えるイスラム原理主義者などと同じく

自分の価値観に相容れないものを暴力で抹殺しようとする人(テロリストとも言われる)と同じではないのか。

職場でも、「アメリカもテロリストでは」と口にする人がいた。
そのように感じている人は世界に多いだろう。

だが、メディアはそういったことを報じない。
メディアには支配的な価値観の枠組みにとらわれない報道は期待できないのかもしれない。
このままではメディアはますます人々から取り残される。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110503-00000005-cnn-int
■連絡係の男性を追跡――ビンラディン容疑者殺害の経緯
CNN.co.jp 5月3日(火)9時42分配信
(CNN) 国際テロ組織アルカイダの指導者オサマ・ビンラディン容疑者の殺害について、米当局者らが報道陣に詳細を説明した。
ビンラディン容疑者はパキスタン時刻の2日早朝、首都イスラマバード北約50キロの軍関係者などが多く住むアボタバードにある邸宅で、約40分の銃撃戦の末に殺害された。作戦実行には米海軍特殊部隊(SEALS)がかかわったという。
邸宅は3階建てで、周囲を約5メートル高の外壁で囲まれ、防犯ゲートが2カ所に設置されていた。ビンラディン容疑者を匿うために特別に建てられたとみられ、100万ドル以上の価値があるとされる。
作戦成功の糸口となったのは、ビンラディン容疑者の信頼する連絡係の男の存在だった。当局は2001年米同時多発テロ後に拘束された抑留者らからこの男に関する情報を入手し、男がパキスタンにいることを約2年前に確認、次いで昨年8月にアボタバードの邸宅を発見した。
今年初頭にビンラディン容疑者が同邸宅にいる可能性があると判断。2月半ばには同容疑者の居所が断定され、作戦実行の検討を始めるのに十分な情報が揃ったとみなされた。情報の検討と作戦立案を進めるため、オバマ大統領は3月半ばから4月末の間に国家安全保障会議を5度開催した。最後の会議は4月28日に行われ、その翌日に大統領が作戦実行の命令を出した。


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