波打ち際の考察

思ったこと感じたことのメモです。
コメント欄はほとんど見ていないので御用のある方はメールでご連絡を。
波屋山人

ぽにょ、恐怖、楳図

2008-07-30 23:31:08 | Weblog
先週の昼下がり、市ヶ谷のSMEのあたりをのんびり歩いていたら、背後から「ぽーにょぽにょ」「ぽにょ」とへんな音が聞こえはじめ、「ぽーにょぽーにょぽにょさかなのこー」と何人かの子が口ずさみはじめた。
宮崎駿監督の最新作、「崖の上のぽにょ」のテーマソングだ。

おおー、これがリアルな「最近子どもたちがぽにょぽにょいろんなところで口にしている」という一例か~と思って振り向くと、10歳前後の男の子や女の子が「ぽにょ見た?」などと言っている。

1人の男の子が「見たよ」と言ったのでもう1人が「どうだった」と声をかけると、「ちょっとこわかった」とつぶやいていた。
「どんなかんじで?」と聞かれても「え、、、」と口ごもって説明できない。
何がどうこわかったのか気になるじゃないか。

どういう怖さだったのだろう。どんな世界観があるのだろう。



怖さといえば、楳図(うめず)かずお。
昨日の朝もテレビを見ていたら
「ホラー漫画のカリスマ」
「デビュー53年の71歳」
「西川史子や中川翔子もファンを公言」
などと紹介されていた。
取材スタッフが赤白シマシマのシャツを着て仕事部屋?に訪問すると、楳図さんのシャツも、玄関のカーペットも赤白。シマシマワールド。

楳図かずおさんはキラキラした純真な表情で、「恐怖とは」ということについて語っていた。
あんまり覚えていないけど、
「怖い、ということはいやなことでもあるけどドラマティックなことでもある」
というようなことを言っていたと思う。

恐怖、闇、おそれ、わびしさ、せつなさ、怯え、未知との遭遇、想定外の出来事、新たな視点、そういったものの意味や魅力が、エコでロハスで不況でインフレでグダグダな時代に、復権してきているのかもしれない。

まあ、楳図(うめず)かずおさんは「災い転じて福となす」というかなんというか。
吉祥寺に建てた赤白シマシマの家はいろんな意見があるだろうけど低俗な感じも無く意外に景観バランスを損なってはいない様子。
(印象は人それぞれでしょうか)
裁判にも負けなかったし、テレビへの露出が増えて支持者もたくさん出てきて、楳図さんは多くのエネルギーを得ることができたのでは。

そういえば、楳図さんの家に批判的な人もいるけど、そういう人の自宅はどんな感じなのか気になった。
そういう人の家やファッションはどんな感じなのだろう。

地味で保守的で芸術にあまり興味が無くて、理解できないことは否定したい人であれば、突拍子のない楳図さんに違和感があっても当然。
(なんだか身近にそういう人がいそうで恐縮。ぼくにもそういう面あるだろうし)

でも、理解できないものを見下し否定することは、知的なことではない。
マンガの物語性や芸術性や視点や伝達力を感じられない人が
「コミック読むなんてバカじゃないの。あんな子どもだましのものなんて読みたくもない」
と言えば、それは批評とは言えない。

灰色の無個性低品質な狭い家に住んで、暗い色のしまりのない無難なスーツを着て、堅苦しい会社に通ってルールを遵守して違和感のない人は、芸術家を評価することはできないかもしれない。
「芸術家は変人だ」と声高に叫んでも自己主張にはなるかもしれないけど、理解できないものを否定してもなんにもならない。
芸術家ならそんな非創造的なことはしないのでは。

満員電車にぶつぶつ言いながら乗っている人は、戦時中暴力的な軍国主義に反対しなかった人、戦後は暴力的な平和運動に異議を唱えなかった人、みたいなものかも。

僭越ながら、ぼくはそうはなりたくない。
今日も紺色や灰色のスーツに目を向けず、赤系のチェックのシャツを羽織って会社に行く。
かばんもジーンズもセミオーダー。靴はパトリックの皮スニーカー。
小さな帆布のかばんには、なぜか福岡正信や伊藤文学や長谷川櫂などの本が入っている。
それでも七三分けが似合いそうなくらい地味なのは自分の造形のせいなんですね。。。


コメント (2)
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あたらしい日本国旗(日心旗?)

2008-07-24 20:49:18 | Weblog
ふと、日の丸(日章旗)の赤い丸が丸みを帯びたハート型だとけっこうかっこいいかも、と思った。

同じようなこと考えている人は多いかもしれないけど。
ちょこっとつくったのがこの画像。
ハート旗、赤心旗、日心旗、どんな呼び方がいいかな。

私は、日本は「かわいい国家」でいいんじゃないかと思っている。
強い人や賢い人たちからバカにされても、ポリシーなくぐだぐだしてしまっても、回り道ばかりして悩みが多くても、
繊細で多少何かをより良くしようという意識のある人が多い日本は、絶望的なことにならないんじゃないかと思う。
(農業、農協とか建築業、道路行政などを見るとちょっと絶望的にもなりますが)


かわいい国には、かわいい旗が似合っている。
美しい国とか強い国とか平和な国とか平等な国よりも、かわいい国は現実的。

まあ、私は特に自分が日本人だという思い入れはないけど、国旗をバカにしたりはしません。
日の丸を勝手にいじって不敬な!とか言わないでくださいねー。




そういえば、先日下記のサイトのような文を読んだとき、「ああ、いい話だな。日本人はやはりバカ正直にピュアに生きていけばいいんじゃない?」と感じた。
  ↓
http://accessjournal.jp/modules/weblog/
<心声天語>(35)アラブ人を凌駕する達人

執筆者: Yamaoka (5:45 pm)
昔から、ユダヤ人と華僑は「駆け引きの達人」といわれている。ところが、彼ら以
上に駆け引きが巧いのは、アラブ人である。あるアジアのビジネスマンが商談のた
め、ロンドン経由でアラブの某国を訪れた。ところが、何日が過ぎても産業大臣で
ある皇太子と会うことが出来なかった。三日目、『明日の夜、皇太子と会えます』
と連絡してきた。しかし、今度は皇太子の容態が悪くなったとの理由でこれまた、
中止になった◆五日目、やっと皇太子との面談が実現した。皇太子は、病のために待
たせたことを丁寧に詫び、ロンドンまで自分の自家用ジェット機を使うように言っ
てくれた。皇太子の人間性に感動したビジネスマンは、完全に皇太子のペースに引
き込まれてしまった◆砂漠に産業は、存在しない。アラブ人の生きる手段は唯一、行
商である。行商で成功するには、相手を自分のペースに引きずり込む交渉術がすべ
てだ。皇太子がビジネスマンを感動させたのも、その実、駆け引きの作戦だったか
も?しれない。ありえる話だ◆ビジネスの世界では、駆け引きは不可欠だ。しかし、
いくら巧みな駆け引きとて、所詮、術であり、テクニックでしかない。駆け引きの
達人といわれるユダヤ人、華僑、アラブ人を凌駕するもの…それは、心の触れ合いか
ら築かれる、信頼である◆この話には続きがある。ロンドンの空港に着いたビジネス
マンは、飛行機から降りずにそのまま、皇太子の人間的な対応に心打たれたことを
「商売抜き」で皇太子に告白するためアラブに戻った。ビジネスマンに感動した皇
太子は、彼を思い切り抱きしめたという。そのアジアのビジネスマンとは、世界第
二の経済大国が誇る日本の、某商社マンだっとそうである。(和光)

Yamaokaさんのブログを読む | 閲覧数 (131)
2008/07/22

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国産の鶏肉はブラジル産の鶏肉と何が違うのだ

2008-07-16 23:31:25 | Weblog
安い鶏肉(とりにく)は、孵化(うか)してからたったの8週間で2500g~3000g程度の成鳥になり、食肉として処理される。
多くのニワトリは、この世の中に生まれてきて8週間、56日程度の人生しかない。

青い空を知らず、ジャンプも羽ばたくことも知らず、狭いケイジの中で生き物として人生を楽しむ暇も与えられず、バカのように太らされ処理される。

肉製品として、限りなく合理的に生産できるように扱われている。
命を扱っているのではないのか。
ほんとうに申し訳ない。私はブロイラーに合掌する。

ブロイラーの骨はどうなっているのだろう。
骨粉として肥料になっているのでは。
粗野な人が貧しい鶏肉を製造し、粗悪な肥料を利用する。
そして無感覚な消費者が食べる。
ブロイラーなんか食べるな。大地を駆けた鶏しか出荷するな。

鶏の命に無関心な者が人権などえらそうなことを口にするのか。
鶏にも人権ならぬ動物権、生物権がある。
動物権や人権という価値観より、人権という価値観がすぐれているということはない。

ほんの100年前は人権という概念だってアボリジニーやアイヌやナヴァホには向けられなかった。
今後の100年で、人権を超える動物権、生物権という概念が世界的な価値観として影響力をのばすと私は推測している。

現在、人権の保護に熱心で動植物の生命に無関心な人間は、ほんの100年や200年前に有色人種のことを猿だと思って銃を向けることを躊躇しなかった人たちの精神構造と自分たちが大して変わらないということを将来知ることになるかもしれない。

ブロイラーは、元々第二次世界大戦後にアメリカから輸入された鶏肉用のニワトリだ。
配合飼料はトウモロコシ、米ぬか、大豆やナタネの油粕などだけど、アメリカからの輸入飼料が主原料。トウモロコシは今はやりの遺伝子操作されたものがほとんど。

言ってみれば、アメリカからよく育つ小麦品種を受け入れて、アメリカから輸入した肥料を与えて、育てているようなもの。
それで、どこか「国産」だ。
ブラジルにしろ日本にしろ、品種も食べているものもほとんど同じ。
実際のところ、作っている人と場所が違うだけではないか。

私は水増しされたような肉質の、国産の若鶏を買うことはあまりない。
南部地鶏とか、丹波黒鶏とか、みつせ鶏とか一応ブランド名が書いてある銘柄鳥を買う。
それだってちゃんと育てられたものかどうか知らないけど、命の尊厳を感じさせない工業製品のようなブロイラー肉を買うよりは少しはマシな気がする。

私たちは生き物を殺している。せめてその現実を認め、私たちの命をつなぐために犠牲となってくれた生物に感謝をしたい。
合掌。

(ちょっとお酒飲んでえらそうに書いてしまいした。恐縮)


http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008070902000290.html
■江戸川の会社 給食鶏肉 国産と偽装 ブラジル産680キロ納入
2008年7月9日 夕刊

 ブラジル産の鶏肉を国産と偽り、学校給食センターに納入したとして、千葉県警浦安署は九日、不正競争防止法違反の疑いで、東京都江戸川区の食肉販売会社「山形屋」と同社社長(65)を千葉地検に書類送検した。
 社長は容疑を認め「見た目は業者でも見分けにくいので、ばれないと思った」と供述しているという。
 調べでは、同社は二年前、ブラジル産の鶏肉計約六百八十キロを岩手県産と偽り、千葉県浦安市の学校給食センターなど計三カ所に納入した疑い。
 浦安市は給食用の肉を国産に限定していたため、同社は別の取引で扱った岩手県産と表示された証明書をコピーして偽造。同市に提出していた。
 問題の鶏肉は浦安市の二十五の小中学校(計約一万五千人)で食材に使われたという。当時のブラジル産鶏肉の仕入れ値は一キロ約三百円で、国産のほぼ半額だった。浦安市への匿名通報で発覚した。


http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080709-OYT1T00430.htm■ブラジル産の給食用鶏肉「国産」と偽装、業者を書類送検…千葉

 ブラジルからの輸入鶏肉を国産と偽って千葉県浦安市内の学校給食センターに納入したとして千葉県警は9日、東京都江戸川区下篠崎町の食肉販売会社「山形屋」と同社社長の奥山芳雄容疑者(65)を不正競争防止法違反(虚偽表示)の疑いで千葉地検に書類送検した。
 発表によると、同社は2006年7月3~19日、計14回にわたり、ブラジルから輸入した鶏のもも肉など計1235キロ・グラムを、岩手県産とうその表示をして浦安市の東野学校給食センターなど3か所に納入した疑い。納入の際は、過去に使用した産地証明書の日付を改ざんするなどして提出していたという。
 浦安市教委によると、鶏肉は同市の全市立小中学校25校の給食用に納入された。同年11月、匿名の通報を受けた同市が浦安署に告発していた。調べに対し、奥山容疑者は「ブラジル産と国産は見分けがつきにくく、国内産よりももうけがあった。見抜かれないと思った」などと供述、容疑を認めているという。
(2008年7月9日22時14分 読売新聞)

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些末なニュース(「小女子焼き殺す」ネットに殺害予告 23歳無職男を逮捕)

2008-07-16 20:53:27 | Weblog
最近、ネットでチャレンジャーの自爆が続いている。
身をもって「ここまではOKだよ」「ここはNGだよ」と伝えている。

巨大掲示板に「埼京線の上野駅で人を殺しまくります!」と書いた崎山容疑者は、「埼京線に上野駅はないから殺害予告にあたらないのだ」と思ったのだろう。
だけど埼京線や上野駅は存在するから、警察官が「この犯行予告は京浜東北線と埼京線を勘違いしているのでは」と思ってしまったとしても仕方ない。

もし、「京埼線の野上駅で間人を殺しまくります!」と書いたらどうだろう。
実在しない駅名だけど、どこかのギョーカイ気取りの若者が暗号のように書き込んだのかもしれないと思われ、逮捕されてしまうかもしれない。

もし、「明日から毎日○○線の無人駅すべてに○○を置いて逃げます」などと書いたら、無人駅なのに毎日駅員さんが見張っていなくてはいけないのだろうか。

もし、「東京タワーの先っぽに藁人形刺してやったよ」などと書いたら、誰かが東京タワーの先っぽを確かめに行くのだろうか。

もし、「明日ジュンク堂池袋店にドリアンを持って入店します」と書いたら、ジュンクの人は該当者の入店を拒もうとするのだろうか。


崎山氏は自信を持って地雷の1歩手前を踏んだつもりだったのだろうけど、大爆発してしまいまった。残念。
こんな事件で本名さらしてしまって、ぼくだったらPTSDになって一生心に傷を持ってしまう。彼の軽薄さは罪深いけど、ここまで大きく問題化しなくてもいいのではないだろうか。
容疑者は推定無罪なんだから、その状態で名前を出さなくてもいいのではないか。


崎山氏のことが話題になった後、今日は杉田氏がチャレンジに赴いて地雷を踏んでしまった。
コオナゴ(小女子)はイカナゴの別名。シラスより大きい。イカナゴの釘煮は姫路の名物。
「小学校でコオナゴを焼き殺しておいしくいただいちゃいます」と宣言しても、うがった見方をすれば違う意味に取れる場合、逮捕されてしまうんですね。

次のような失礼な醜悪なセンスのないことを書く人はいないと思うけど、一例として、
「明日、朝鮮初中級学校でチョウセンメクラチビゴミムシを殺して下水に流しちゃいます」
と書いた人がいればやっぱり逮捕されるのだろうか。
<参考> チョウセンメクラチビゴミムシ
「明日、ぺネッセのタマピヨ編集部に爆弾お握り投げこんできます」
と書き込んだらどうなるのか。
「犯行予告 爆発アース・キーは明朝」
などという書き込みがあれば、アース製薬とアスキーのどっちを守りにいけばいいのか。
などとほんとうにつまらないことを夢想してしまう。

チャレンジするのは創造的でおもしろいことだと思いますが、下手なことして大きな痛手を負ってしまう人が増えないことを祈ります。
彼らに続くチャレンジャーが彼らから学ぶことがありますように。
今回逮捕された彼らが今回のことで反省し、もっとクリエイティブな発想で注目を浴びますように。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080714-00000131-mai-soci
■<ネット殺人予告>「埼京線上野駅」で無差別殺人…男を逮捕
7月14日23時11分配信 毎日新聞
 インターネット掲示板に殺人予告の書き込みをしたとして、警視庁上野署は14日、東京都板橋区成増3、無職、崎山裕介容疑者(32)を偽計業務妨害容疑で逮捕した。
 調べでは、崎山容疑者は先月28日午後7時半ごろ、自宅のパソコンから掲示板「2ちゃんねる」に接続。「逮捕されない犯行予告ってのを教えてやる」「今日の午後9時に、埼京線の上野駅で人を殺しまくります!」などと書き込み、同署員の業務を妨害した疑い。
 JR埼京線の停車駅に上野駅は含まれていないため、上野署員は山手線の上野駅などを警戒した。崎山容疑者は容疑を認め「実在しない駅での犯行予告ならば犯罪にならないと思った」と話しているという。【佐々木洋】


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080716-00000936-san-soci
■「小女子焼き殺す」ネットに殺害予告 23歳無職男を逮捕
7月16日18時20分配信 産経新聞
 インターネットの掲示板に「小学校で小女子を焼き殺す」などと書き込んだとして、埼玉県警吉川署は16日、威力業務妨害の疑いで、千葉県船橋市丸山、無職、杉田敦史容疑者(23)を逮捕した。
 調べでは、杉田容疑者は6月29日午後6時40分ごろ、インターネットの掲示板「2ちゃんねる」に、「明日午前11時に丹後小学校で小女子を焼き殺す」「おいしくいただいちゃいます」と書き込み、同県三郷市の同校の業務を妨害した疑い。
 杉田容疑者は「小女子は『コウナゴ』と読み小魚の意味で、殺害予告には当たらない」と否認している。

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出版社の背景(東京国際ブックフェア2008に行ってきた)

2008-07-16 20:34:52 | Weblog
先週7/10木と7/12土の2日、東京国際ブックフェアに行ってたくさんの本を購入してきた。
過去最高の出展社数(30か国770社)で、入場者も最高(4日間で6万人以上)だったらしいけど、どうも出展をとりやめている出版社も多いのではないかと感じた。
マガジンハウスも来てなかったし。
毎年出展していたソースネクストもいなかった。

どうやって出展社数を増やすか、運営側は毎年頭を痛めているだろうと思う。
来年はもっとVIPチケットを発行して、無料セミナーも増やして、小さな出版社に共同で小さなブースを出すように営業して、後は大手の出版社に良い条件を出して撤退をとどまってもらうのかな。

あるいは、エロ本系出版社にも出展を認めるのかな。
奥の手としては、「東京国際マガジンフェア」を開催して同じスケジュールで開催したら相乗効果で来場者数が増えるかも。


そういえば今年は新宗教系(神道系)の「たちばな出版」は出展していなかった。
社長が逮捕された「アートン」はもう出版社が存在してないんだっけ。
アノニマスタジオとか、プチグラとか、小ぎれいな出版社の出店は年々増えている気がする。

農文協はあいかわらずネイチャーな感じを放って個性的。
外国のブースはどこも寂しい。
特に、リトアニアとかイランとかエジプトとか、立ち寄って見ている人は少なかった。
せっかく遠くからきていただいているのに、もったいない。

大学出版部協会のブースはいろんな大学出版会の出版物を並べている。
残念ながら立ち上げたばかりの筑波大学出版会の出版物はない。

各大学の大学出版会の出版物を眺めていると、なんだか文芸社などの自費出版の本を見ているような気分になってきた。
失礼かもしれないけど、価値の高い本はどのくらいあるのだろう。
筑摩書房や文藝春秋や岩波書店や朝倉書店や東洋経済新報社など、出展していた出版社の人たちは大学出版部協会のブースに並んでいる本を見て、いい執筆者を探そうとしただろうか。この先生にうちでも書いてもらおうと思っただろうか。

一般の出版社から発行できない大学の先生のために、大学がサポートして研究成果としての出版物を作ってあげてもいいと思うけど、そうして作られた本は非常に高いものについていると思う。
ほとんどの大学出版会は事実上赤字。それを負担しているのは大学。
大学出版会の内部に自浄作用があるのかどうかは知らないけど、経営という面で考えると非常に厳しいと思う。
(特に近年研究の成果が目立たない筑波大学にはがんばってほしい。教職員の組合活動をがんばるのもいいけど、研究者なんだから成果出してもらわないと)

大学の先生も、出版する価値があると思う原稿があれば、いろんな出版社にアプローチすればいい。なぜ本にならないのか、出版社の人の意見に耳を傾けてもいい。

僭越だけど、学問レベルの向上や人間の知性の進歩に貢献している大学の先生はいったい何割くらいいらっしゃるのだろうかと感じた。


そういえば今年は「博大書店」も来ていなかった。これは法輪功系。
たしか去年、新日本出版社(共産党系)のブースと非常に近い位置に出展していて、運営会社の人は配慮していないんだなと苦笑した。

出版社にはいろんな背景がある。
知らない人が見たら全く宗教系だと思わない出版社もけっこう多い。
思いついたものだけちょっとメモしてみます。
これ以外にも宗教団体系、政治団体系の出版社はあるはず。

■今年も出展
新日本出版社 → 共産党系
天理教道友社 → 天理教系
聖パウロ修道会 → カトリック系(文化放送の大株主)
浄土宗出版 → 浄土宗系
本願寺出版社 → 浄土真宗西本願寺派系
幸福の科学出版 → 幸福の科学系
聖教新聞社 → 創価学会系
潮出版社 → 創価学会系
第三書館 → 赤軍派系?
等々

■以前出展
博大書店 → 法輪功(ファールンゴン)系
ディスカバー → 自己啓発セミナー系
たちばな出版 → 神道系新宗教系
平河出版社 → 阿含宗系(密教系新宗教)
等々

※宗教団体や政治団体とは関係ない出版社
家の光協会 → 農協系
週間金曜日 → 特定の政治団体の影響下にはない


まあ、宗教団体や政治団体にとってはいい宣伝の場なのかもしれませんね。
今年も「宗教系」「老舗文芸系」「新興おしゃれ系」の出版社が目立っていました。

ポプラ社は勢いそのままに広いブースに多くの人を集めていた。
センスのいいブースが印象的なベレ出版とともに、「最も印象的なブース賞(Most Valuable Booth)」に選びたいと思う。

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東京国際ブックフェア基調講演、茂木健一郎(もぎけんいちろう)「本の流通は脳にはじまり、脳に終わる」

2008-07-11 23:38:21 | Weblog
先週はライブをはしごしたけど、今週は講演会をはしご状態だ。
7/8火曜日には元NTTドコモ、現ぴあ役員の夏野さんの講演会で、「インターネットはまだ道半ば。半分くらいでは。産業革命と同じような状況にいる」という話を聞いた。

7/10木曜日には、東京ブックフェアの基調講演で茂木健一郎さんの「インターネットが活用されているこの時代は明治維新に値する」というような話を聞いた。

どちらにしても、すごい時代に生きている。ぼくたちは。
20年前、親戚の90歳代の親戚のおばあちゃんに、「日露戦争とか大正時代とか、第一次世界大戦とか二・二六事件とか第二次世界大戦とか、生身で感じていた人にとってどんな時代だったの」、と聞きたかったけど聞けなかった。

ぼくたちは、きっと第二次世界大戦よりもわくわくするような大変換期に立ち会っている。
この機会をじっくり味合わなくちゃ。


■ブックフェア22008基調講演 茂木健一郎さんの講演から一部メモ
本は情報の王者の立場から落ちるという危惧がある。本は重いしかさばる。
でも、ネットで情報が全部PDFファイルでオープンになっていても同じ情報をぼくたちは本で買う。
読むという行為において本に勝るものは無い。
本には没入感がある。デジタルな画面にはない感覚。
世界と自分の境界がなくなり、白熱しているような状態。
本とデジタルには別の役割がある。

デジタルの情報が無料であるからといって本の流通を妨げるものではない。
活字と自筆にも違いがある。
夏目漱石のファンで、夏目漱石の自筆原稿を見たこともあるけど、自筆原稿と活字は違う。
活字のほうが余計な情報が無い。
印刷されたもので読むと、かけがいのない体験を得ることができる。没入できる。
紙という媒体は脳を本気にさせる。

インターネットの出現により、情報の検索性が増えた。
本はインターネット時代になっても重要性を増している。
でも、ほんとうに雑誌は危機にあると思う。
本は輝きをましている。インターネットは固定点を失っている。

雑誌はひょっとするとやばいかもしれない。
週刊誌は検索もできないしアーカイブもない。
インターネットに情報があふれる中で、脳は不安。情報のいかりを下ろしたい。
本にいかりを下ろしていく。
雑誌は苦しい。
全アーカイブを情報化してインターネットにのせることを本気で考えないといけない。

本の存在意義は古典を作ること。
古典は文明の固定点である。
ゆるぎないものが必要。
ネットの情報の弱点は利点でもあるけど簡単に修正できるということ。
100年経っても200年経っても変わらない価値を求めるなら、本。
本というメディアの特性。10年先、20年先を見るなら古典を目指す。

ネットの本の関係をどう考えればいいか。
Googleのファン。
Google book search は本の内容を検索できる。
PHP研究所はなぜか参加している。
一部のページを見られるからといって本が売れなくなるわけではない・

Amazonでもロングテール、いままで売れなかったような少ない部数しか売れない本がインターネットで売れるようになってきている。
田舎の書店にはつまらない本が多い。田舎の人はそれが世界だと思ってしまう。
知のデフレになる。

知のデフレに対抗するのは本しかない。
「ちくま 思考の補助線」はロングテール本。
ロングテールに手を伸ばすために、本の検索ということを考えたほうがいい。


本のタイトルは編集者や営業の人が決める。
タイトルは本を売る情報としては少ない。
Google book search なら全文検索できる。
茂木健一郎氏の本はジャンルが分かりにくく書店に並べにくい。
脳科学本かエッセイかわかりにくい。
「生きて死ぬ私」(ちくま文庫)は代表作5本のうちの一つに入る。
そもそも、徳間書店の人に臨死体験の話を、と言われたけど結局エッセーになった。
編集の石井さんには「茂木さんが五木寛之だったらよかったんですけどね」と言われた。
内容がよくても売れるわけではない。
五木寛之ならラベルがある。
当時茂木健一郎には脳というラベルしかなかった。
本の検索はそういったことを解決するかもしれない。

「レディメイド 千利休」で検索して本が出てきたら買いたい。
Google book search ならそういうことが可能。

無料で情報が全部ネットに出ているものでも本として売れる。
ある情報がネット上にあることと、本として売れることは矛盾しない。
どうやって本に人を近づけるかが大事。
いい本があれば、どうやって潜在的にほしいと思っている人に結びつけることができるか。

それに対して現在はきわめて原始的。
本気でやったほうがいい。
新聞広告、書店でのポップ広告もいいけど。
もっと別のやり方があるのではないだろうか。
インターネットという強烈な情報検索ツールかが出てきた。

ネットというインフラがある。
どうやっていい本を潜在的な読者に届けるのか、もっと工夫することができる。

茂木健一郎氏の工夫。
よみうりウィークリー、サンデー毎日などに連載しているけど、現行の一部をブログに載せている。
原稿の一部だけブログに載せて、全文はよみうり~を見てください、と書いている。
ネットの性質を利用しない手はない。
論理的に正しい。
自分が出版社の社長であれば、Google book search を利用する。

今は文明開化くらいの大転換期。
アメリカ発のインターネットの中で日本は防戦一方。
でも本とインターネットは相性がいい。
どうやって本との幸福な出会いを演出するか。
脳には楽観回路があり、うまくいくと思えばよく機能する。
客観的な状況よりもうまくいくと思うのが脳。
うまくいかないとウツ状態になる。
本の将来は明るいと信じることが大事。

本を積み重ねた分だけ自分も遠くを見渡せるようになると思っている。
本というものは圧縮の密度。どれだけ集中できるか。
欠かせないもの。
イギリスでは、何かを専攻するということをreadという。
Read philosophy(哲学専攻)など。

言葉の持っている要約力はすごい。
ドキュメンタリー番組のリアリティは言葉によって支えられている。
どこかにこういう記事があったような気がするのだが、岡本太郎はこういうことを言ったらしい。
あるパーティーの発声のときに、「この酒を飲んだらしんでしまうと思って飲め!乾杯!」と言ったという。

オスカー・ウェルド?の「我々は皆下水溝の中にいる。だけど我々の何人かは空を見上げている」という言葉もすごい。
本の恵みを我々はもっと思い起こさないといけない。

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まさか今の日本で、信じられない現実です(村尾信尚さん?)

2008-07-10 23:29:01 | Weblog
日本テレビのZEROという11時からのニュースで、小柄なキャスターが「まさか今の日本で、信じられない現実です」と言っていた。(やや棒読み)
大分県の教員採用試験で不正があったとか。
お偉いさんに金品を渡して、合格させてもらっていたとか。
たしかに古臭い手法ですよね。

でも、キャスターはカマトトですかね。
村尾信尚さんでしたっけ。しらじらしく響く。
元大蔵官僚なら日本の田舎の公務員や教員の採用に伴うローカル情報くらい耳に入っているのでは。
いくら厳密な教員採用試験があっても、筆記試験さえ通れば合格できるよ、と言われている人はたくさんいる。
市役所職員になりたいなら約1年分の給料をお偉いさんに渡すことも多い。
大分なんて氷山のほんの一角。東京周辺の県だって同じ。関西だってそう。
(この10年で悪習が無くなった町もけっこうありますが)

ついでに言うと、放送局や新聞社だって同じ。
一応試験は受けているけど、口利きを受けている人も少なくない。
なぜ政財界のお偉いさんの縁者が放送局や新聞社に多いのか。公然の話ではないですか。
あの人もあの人も、口利きで入ってきたんじゃないですか。

大分県教育委員会の他にこれからどんどん問題が波及するかどうか見ものです。
カマトトぶっている人が驚くくらい、全国に波及すればおもしろい。
田舎の人が常識だと思っていることが問題として表面化し、田舎の人の価値観をゆさぶってみればいい。


そういえば私も、教員採用が少ない時期でも教職をとって教員採用試験を受けていれば、採用されていたはず。あほらしいから受けなかったけど。

いくら不正ができなさそうな仕組みを作っても、ぎりぎり不正のできる余地を残してカモフラージュしている例は多い。
談合もそんなものでしたっけ。
でもまあ、他のアジアに比べたら厳格なものです。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080710-00000143-jij-soci
■「審議監に渡せば何とかなる」=贈賄の参事、常態化認める-大分教員採用試験汚職
7月10日20時17分配信 時事通信

 大分県の教員採用試験をめぐる汚職事件で、贈賄容疑で再逮捕された県教育委員会義務教育課参事矢野哲郎容疑者(52)の弁護士2人が10日、大分市内で記者会見し、同容疑者が「教育審議監のポストにいる二宮政人容疑者に渡せば何とかなると考えた」などと話し、不正が常態化していたことを認めたことを明らかにした。
 矢野容疑者は妻の小学校教頭かおる容疑者(50)と共謀。2006年秋、長女合格で便宜を受けた謝礼として、二宮容疑者と同課参事江藤勝由容疑者(52)にそれぞれ金券100万円分を渡したとされる。長女は昨年春、小学校教員に採用されたが、不正は全く知らなかったという。
 弁護士によると、矢野容疑者は贈賄について、「他の人もやっているといううわさがあり、そういうことをしないとなかなか合格しないという認識があった。自分の弱さと娘を思う親心のあまりに乗じてしまった」と話している。 


(7/11追記)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080711-00000169-jij-soci
■教員汚職、県教育長が謝罪=自身関与「ない」-贈賄罪被告を懲戒免職・大分県教委
7月11日21時6分配信 時事通信

 大分県の教員採用試験をめぐる贈収賄事件で、小矢文則教育長は11日、大分県庁で記者会見し、「幹部職員が県民や受験生の信頼を裏切った。心からおわび申し上げる」と陳謝した。自身の商品券や現金の受け取りは「ありません」と明確に否定した。
 県教育委員会は同日、自分の長男、長女の教員採用試験に絡み、贈賄罪で起訴された佐伯市立小学校長浅利幾美被告(52)について懲戒免職処分とすることを決めた。来週にも県教委側が被告と接見し、文書で通知する。
 小矢教育長は2008年度小学校教員採用試験で、合格者の約半数が不正だった点について、「あってはならないことで本当に信じられない」と強調。一連の不正に関し、「組織的と言われても反論できない」と答えた。
 合格に県議の介入があるとされる点には「あり得ない問題」と述べ、他に不正があるか問われると「ないと思う」と答えた。
 汚職事件の発覚以降、佐伯市で校長、教頭5人が不在となっている状況に「(自身の)責任は大きいと考えている」と表明した。 

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Chanelでの若手音楽家の演奏会、東京シネマ倶楽部でのSherbets(浅井健一)のライブ

2008-07-10 00:16:44 | Weblog
先週の土日(7/5土、7/6日)は2日続けてライブに行った。
土曜日は、銀座の松屋の向かいにあるシャネルの4Fで行われる「CHANEL Pygmalion Days(シャネル ピグマリヨン デイズ)」という若手音楽家を支援するためのクラシカルな音楽の演奏会。
・CHANEL Pygmalion Days
http://www.chanel-ginza.com/nexushall/pygmalion/

私は、外見で「末延麻裕子(すえのぶまゆこ)」さんのヴァイオリンの演奏会を選んだ。
桐朋学園大の学生らしい。まだ21歳くらい。
写真では黒髪が長く目が大きく、お嬢様演奏家といった趣き。

シャネル・ネクサスホールにはシャネルビルの脇から入って行くのだが、さすがにシャネルのスタッフの女性は黒いスーツをびしっと決め、都会的な雰囲気をかもし出している。
4Fまでエレベーターで行く。

先着順で会場の席が埋まっていく。200人くらい入るのだろうか。
開演の1時半には満席。1時すぎにはまだ2~3分しか埋まっていなかった。
客層はやや平均年齢が高め。それほどハイソな感じはしない。

グレー系というかシルバー系というか、華やかなドレスをまとった末延麻裕子さんはすらりとしている。髪はすっかり茶髪というか金銅色というかいい色で、巻いてあり、今どきの大学生はそういう髪型をしてみたいのかなという印象。
外国人にはボリュームのある黒髪のほうが人気あると思うのだが。

曲はオーストリアのクライスラー。
ギャルっぽい容姿のせいか、末延麻裕子さんの演奏に緊張感はあまり感じなかったけど、時折見せる真摯な表情はいいと感じた。
天才的なタイプの演奏家ではないと思うけど、心血を注いでシリアスな目をして集中力の高い演奏をすれば、多くの人に感動を与えることができると思う。

外見には恵まれている。
このまま、ギャルバイオリニストという新ジャンルを開拓してもいいのではないかと思った。
本人も今どきの明るく楽しいことが好きな人なら、タレント的な「ギャルバイオリニスト」というジャンルを開拓してもいい。

シャネルの若手演奏家を支援する演奏会は、無料。
次回はたしか8月4日から予約を受け付ける。
クラシカルミュージックに興味のある人や若手音楽家を見てみたい人、銀座をうろうろするついでにちょっと涼しいところでゆっくりしてみたい人は応募してみてはいかが。
先着順だから、抽選はない。

このサイトにアクセスして予約してください。
https://chanel.jp/chanel-ginza/pygmalion/form.php


日曜日は、鶯谷までSherbets(シャーベッツ)のライブを見に行った。
なんといっても詩人でありロックミュージシャンであり、イラストも描き存在感を示す、浅井健一の姿を間近で見られるまたとない機会だから。

JR鶯谷駅の南口を出て左側の橋を渡ればすぐ東京シネマ倶楽部。
ダンスホールなども入っているレトロな場所。

ファンクラブの人のためのイベントだから、気合の入っているファンが多い。
午後5時開場だけど、午後4時には会場周辺にSherbetsのTシャツを着た人が多い。
などと言うぼくもSherbetsのSサイズのぴちぴちの赤いTシャツを着て、ベージュのジーンズ(渋谷の「日影」永江雄次デザイナーの手作り特製ジーンズ)をはいて、赤茶色のドクターマーチンの靴(つま先に鉄板入り)、と闘う準備OK。

ライブは700~800人しか入らない会場だから、最前列から2番目くらいまで前に行って、浅井健一を3メートル先、ドラムスも6メートル先に見ながらジャンプ、ジャンプ。

おかげさまで今日、水曜日になってもまだ首が痛い。
はげしくジャンプしてたら首を痛めた。

客層は、30代女性が約半数。次いで30代男性。40代、20代。
ダイブする人もけっこういたけど、みんな元気だな。

そういえばぼくの好きな「HIGH SCHOOL」は演奏してくれなかった。
・HIGH SCHOOL
http://jp.youtube.com/watch?v=scmzbvj7sGo
この曲だったら垂直跳び70cmでジャンプし続けられたのに。

元ブランキージェットシティ(Blankey Jet City)、現Sherbetsの浅井健一のライブを見るのは、大晦日~元旦の名古屋、4月の仙台アラバキロックフェスティバルに続いて、今年3回目。先月はイラストの個展も見に行った。
けっこうはまってますね。
彼の1%でいいから芸術的センスがこちらに浸み込んできますように。


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多田富雄の落葉隻眼「賞味期限に頼らぬ知恵」

2008-07-01 23:44:22 | Weblog
読売新聞月に一度のコラム「落葉隻眼(らくようせきご)」。
免疫学者の多田富雄先生が執筆されている。
懐かしい名前だ。
90年代、中沢新一、岸田秀、山口昌男、栗本慎一郎、網野善彦等々の、現代思想の世界で注目されていた人たちのフィールドに、免疫学者の多田富雄先生もいた。
1934年3月生まれというのは1933年12月生まれの岸田秀先生と同年代だ。
多田富雄先生は2001年に脳梗塞になり後遺症と闘われているけど、今も活発な発言を続けている。
私が、人体における免疫系のように社会組織にも免疫系のようなものがあるなと想像するのは、先生の影響だと思う。


2008年(平成20年)7月1日(火曜日)夕刊 読売新聞
多田富雄の落葉隻眼(らくようせきご)
題字・古谷蒼顔

■賞味期限に頼らぬ知恵
 この季節になると、食べ物の足が速い。お弁当なんかすぐ臭くなるからご用心。でも私はあまり気にしないで食べてしまう。おなかをこわすこともない。
 昨年は「消費期限」「賞味期限」の偽装事件が頻発した。和菓子、チョコレート、干し芋まで、次々に偽装が発覚した。偽りの情報で物を売ることは、詐欺行為だから無論いけない。そうはいっても、すぐに廃棄という措置も頂けない。
 食品の表示には「賞味期限」と「消費期限」がある。前者は黄色信号で、後者は赤信号と思えばいい。賞味期限を過ぎた食物を、大量に廃棄している映像がテレビで流された。飢餓に苦しむ難民を見た後なので、「ちょっと待って」と声をかけたくなった。
 地球規模で食糧不足が叫ばれているのに、日本だけこんな無駄をしていいはずがない。大体、賞味期限とは単なる食べ時の目安ではないか。規制をかける必要があるのだろうか。生産者の自主的表示でいいのではないか。
 腐ったものを買わされるのはまっぴらだが、あれは多少劣化しているだけだ。食中毒はボツリヌス菌やサルモネラ菌などで起こるが、賞味期限とは無関係に製造の過程で混入する。
 近頃、日本人には過剰な無菌志向がある。もともと私たちの周囲は黴菌だらけである。黴や細菌、総称して徽菌と人類は共存しながら進化してきた。
 昔、私の母など、残ったご飯の糸の引くのを平気で食べていた。確かに雑菌は増殖しているが、おなかをこわすことはなかった。家族には炊き立てのご飯を食べさせた。お客に料理を使い回した料亭とはまるで精神が違う。
 □から入る日常の雑菌に曝(さら)されて腸管の免疫が強化され、下痢を起こす徹菌に抵抗力を獲得する。アレルギー体質も少なくなる。
 子供がたまに発熱したり下痢したりするのは、黴菌との戦い方を習得しているからである。学習の場は主に腸管である。成長の時期にここで戦い方を学習しないと、雑菌に対する抵抗力が弱くなり、逆にアレルギーを起こしやすい体質になる。免疫学者の私が言うのだ。信じていい。
 かといって、私は腐ったものを食べろなどと乱暴なことを言っているのではない。過剰な無菌志向は、かえって抵抗力を損ない、アレルギー体質を招くと言っているだけだ。
 環境がきれいになった今の日本で、アレルギーは国民病となった。戦前の青洟(あおばな)を二本たらした子供にはアレルギーなどなかった。開発途上図の子供にも、アレルギーは少ない。
 発酵食品など伝統的保存食では、菌たちがお互いにバランスを保って病原菌の増殖を抑えているのである。こうした古人の知恵に学ぶことが必要である。
 本当に危険な「消費期限」を表示させて、後は消費者の選択に任せたらどうか。それが本当の「食害」である。消費者は表示に頼らず、自らのリスクで食物を選ぶ知恵を持つべきである。偽装に惑わされることなく、資源を無駄にしないよう心がける。それより表示に頼って、食物の有り難さを忘れるほうが怖い。
 消費者には賞味期限を過ぎた食品の、安全な食べ方、保存法の指導が必要だ。生産者には、作り過ぎないように生産調整の指導をする。そうでないと、毎日何万トンもの食品が無駄になる。再生食品や飼料とする方法も開発しなければならない。日本の技術力が試されるところである。
 世界的な食糧危機が叫ぱれている現在、食品がちょっと劣化したくらいで廃棄したら罰が当たる。75歳を過ぎたらもう期限切れ、廃棄しようという後期高齢者医療制度も同じである。それより目に余る劣化、腐敗が報じられている官僚を一掃したほうが安全だ。
(免疫学者)


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橋下知事を応援する関西メディア

2008-07-01 22:59:31 | Weblog
大阪府民の橋下知事支持率が高い。
安定した職の大阪府の職員に対するやっかみのような気持ちも強いのかもしれない。
まあ、公務員の方々はつらいところですね。
あんなに、労組との交渉までテレビで放映されるとゴリ押し作戦も遂行できない。

関西は社会主義勢力というか共産勢力というか反政府勢力というか進歩勢力が強いけど、意外に読売新聞が購読者数1位で、2位を朝日新聞と産経新聞が争う。
あきらかに大阪の産経新聞は朝日新聞よりも紙面薄いのに。不思議。

関西のメディアでは橋下知事に好意的な論調も見られる。
下記のような記事があるのはチェックしてたけど、アップするの忘れてた。
なかなかウィットに富んでいておもしろいコラムだと思う。

産経新聞は出し惜しみせずにどんどんすべての記事をネットでオープンにすべき。
一般人が書き込めるコメント欄も他の大手紙に先駆けて準備すべき。
チャンスだと思う。
産経新聞の購読者のうち産経新聞を支持している人の割合は非常に高い。
しんぶん赤旗や聖教新聞のように。日経新聞もそうかな。
もし、朝日新聞がasahi.comの記事にコメントを受け付けるようになったらあっという間に炎上する。朝日新聞の意見に批判的な人の声が多いことが大っぴらになってしまう。
だから、朝日新聞はネットの記事にコメント欄を設けることができない。
(おそるおそるアスパラクラブのコラムにはコメント受け付けていますが)

新聞のトップページをいちはやくフルカラーにした産経新聞は、韓国の新聞のように、ネットで流すニュースにコメント欄をつけてほしいな。
そうすると、アクセス数もががっと増えますよ。
朝日新聞、読売新聞、日経新聞3社の「新s(あらたにす)」が講談社のKING以来の大はずれ状態だし。
(あらたにすは、2年後に大赤字を抱えて解消する場合は責任者がちゃんと責任をとってほしい。スタート時からみんなコメントもスルー状態なんだから)



産経新聞 平成20年(2008年)5月25日 日曜日 13版 総合2
■古典古典 立命館大学教授 加地伸行

 えらいことですなあ。料理の 残りもんの使い回し。
 さすがは船場吉兆。ふつうの 者には真似ができん。もったいない精神からとのことと、使い 回しに小理屈をつける女将(おかみ)は大したもんだ。料理の理論化で、文化功労者となった初代はどのように思うだろうか。
 あの女将と、「もったいない」を連呼して当選した嘉田由紀子滋賀県知事との「もったいない対談」をだれか企画してはいかが。
 使い回しはどこの店もしているのではあるまいか。あるうどん屋、おいしい店なのだが、サービスに薄く切ったかまぼこを一片(ひときれ)載せる。けれども、見るからに添加物こてこての真っ赤な色つき。そんなもの、危ないから残していたが、そうか、この次は、残すけれども使い回しができんように噛み切っておこう。でも、それって、もったいないような、そうでないような・・・。
 こういう馬鹿馬鹿しい事件が起きたのは、大阪の劣化の一つ。メディアは、吉兆を老舗(しにせ)と報道するが、真の老舗とは、例えば金剛組。六紀の四天王寺建立(こんりゅう)以来、連綿と続いて現在も大阪市で活動している寺大工・建築業者。この金剛組のことを知っている大阪人は少ない。
 そうした劣化の1つとして、こういう体験があった。
 あるパーティー。円卓を囲んで私の隣席に大阪府幹部職員のA氏。なかなかの人物で、話がはずみ、談、教育問題に至り、私はこう言った。「高校生に漢文の面白さを伝えたいし、教員のために模範授業をしてもいい」と。A氏は「それはいいですね」と共感し、一人置いた隣席にいた府教育長B氏に「加地先生が高校で漢文の模範授業をしてもいいと言っておられます。どうですか」と言った。すると、B教育長は、なんとこう答えたのである。「それなら講師登録してください」と。A氏も私も唖然(あぜん)とした。
 分かっていないとはこのこと。私は府立高校非常勤講師を志望しているのではない。特別講義、大阪の教育への協力という社会貢献なのである。
 この教育長はもう退職しているが、橋下徹大阪府知事の改革に対して「荒っぽい案」と批判していた。相い変わらず分かっていない。
 橋下知事は、なにもかも切り捨てて大阪を破壊しようとしているのではない。聖域を置かず、すべて見直し、<さしあたり不要不急のもの>を洗い出し、可能な予算を組もうとしているのである。見上げたもので全国広しといえども、水脹(みずぶく)れとなった地方公共団体予算に徹底した切りこみを行おうとするのは彼がはじめてではないか。
 橋下知事は<公>を第一としている。大阪の劣化とは、公や歴史の誇りを持たず、<私>に偏るところにある。いわば、橋下知事を頂点とする改革派は公を前面に、抵抗派は私を前面に出しての全面対決という構図か。
 橋下知事よ、がんばれ。「やってみなはれ」。抵抗して文句を言っている人たちは、有り体に言えば、予算を削られる、つまりは自分たちが貧しくなるということが納得できないと言っているのである。そういうのは、昔からあるので気にするな。『論語』憲問篇はこう言っている。「貧(まず)しくして〔しかしそれに耐(た)えて〕怨(うら)みなきは〔なかなか〕難(かた)し」と。
(かじ のぶゆき)
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