先週の昼下がり、市ヶ谷のSMEのあたりをのんびり歩いていたら、背後から「ぽーにょぽにょ」「ぽにょ」とへんな音が聞こえはじめ、「ぽーにょぽーにょぽにょさかなのこー」と何人かの子が口ずさみはじめた。
宮崎駿監督の最新作、「崖の上のぽにょ」のテーマソングだ。
おおー、これがリアルな「最近子どもたちがぽにょぽにょいろんなところで口にしている」という一例か~と思って振り向くと、10歳前後の男の子や女の子が「ぽにょ見た?」などと言っている。
1人の男の子が「見たよ」と言ったのでもう1人が「どうだった」と声をかけると、「ちょっとこわかった」とつぶやいていた。
「どんなかんじで?」と聞かれても「え、、、」と口ごもって説明できない。
何がどうこわかったのか気になるじゃないか。
どういう怖さだったのだろう。どんな世界観があるのだろう。
怖さといえば、楳図(うめず)かずお。
昨日の朝もテレビを見ていたら
「ホラー漫画のカリスマ」
「デビュー53年の71歳」
「西川史子や中川翔子もファンを公言」
などと紹介されていた。
取材スタッフが赤白シマシマのシャツを着て仕事部屋?に訪問すると、楳図さんのシャツも、玄関のカーペットも赤白。シマシマワールド。
楳図かずおさんはキラキラした純真な表情で、「恐怖とは」ということについて語っていた。
あんまり覚えていないけど、
「怖い、ということはいやなことでもあるけどドラマティックなことでもある」
というようなことを言っていたと思う。
恐怖、闇、おそれ、わびしさ、せつなさ、怯え、未知との遭遇、想定外の出来事、新たな視点、そういったものの意味や魅力が、エコでロハスで不況でインフレでグダグダな時代に、復権してきているのかもしれない。
まあ、楳図(うめず)かずおさんは「災い転じて福となす」というかなんというか。
吉祥寺に建てた赤白シマシマの家はいろんな意見があるだろうけど低俗な感じも無く意外に景観バランスを損なってはいない様子。
(印象は人それぞれでしょうか)
裁判にも負けなかったし、テレビへの露出が増えて支持者もたくさん出てきて、楳図さんは多くのエネルギーを得ることができたのでは。
そういえば、楳図さんの家に批判的な人もいるけど、そういう人の自宅はどんな感じなのか気になった。
そういう人の家やファッションはどんな感じなのだろう。
地味で保守的で芸術にあまり興味が無くて、理解できないことは否定したい人であれば、突拍子のない楳図さんに違和感があっても当然。
(なんだか身近にそういう人がいそうで恐縮。ぼくにもそういう面あるだろうし)
でも、理解できないものを見下し否定することは、知的なことではない。
マンガの物語性や芸術性や視点や伝達力を感じられない人が
「コミック読むなんてバカじゃないの。あんな子どもだましのものなんて読みたくもない」
と言えば、それは批評とは言えない。
灰色の無個性低品質な狭い家に住んで、暗い色のしまりのない無難なスーツを着て、堅苦しい会社に通ってルールを遵守して違和感のない人は、芸術家を評価することはできないかもしれない。
「芸術家は変人だ」と声高に叫んでも自己主張にはなるかもしれないけど、理解できないものを否定してもなんにもならない。
芸術家ならそんな非創造的なことはしないのでは。
満員電車にぶつぶつ言いながら乗っている人は、戦時中暴力的な軍国主義に反対しなかった人、戦後は暴力的な平和運動に異議を唱えなかった人、みたいなものかも。
僭越ながら、ぼくはそうはなりたくない。
今日も紺色や灰色のスーツに目を向けず、赤系のチェックのシャツを羽織って会社に行く。
かばんもジーンズもセミオーダー。靴はパトリックの皮スニーカー。
小さな帆布のかばんには、なぜか福岡正信や伊藤文学や長谷川櫂などの本が入っている。
それでも七三分けが似合いそうなくらい地味なのは自分の造形のせいなんですね。。。
宮崎駿監督の最新作、「崖の上のぽにょ」のテーマソングだ。
おおー、これがリアルな「最近子どもたちがぽにょぽにょいろんなところで口にしている」という一例か~と思って振り向くと、10歳前後の男の子や女の子が「ぽにょ見た?」などと言っている。
1人の男の子が「見たよ」と言ったのでもう1人が「どうだった」と声をかけると、「ちょっとこわかった」とつぶやいていた。
「どんなかんじで?」と聞かれても「え、、、」と口ごもって説明できない。
何がどうこわかったのか気になるじゃないか。
どういう怖さだったのだろう。どんな世界観があるのだろう。
怖さといえば、楳図(うめず)かずお。
昨日の朝もテレビを見ていたら
「ホラー漫画のカリスマ」
「デビュー53年の71歳」
「西川史子や中川翔子もファンを公言」
などと紹介されていた。
取材スタッフが赤白シマシマのシャツを着て仕事部屋?に訪問すると、楳図さんのシャツも、玄関のカーペットも赤白。シマシマワールド。
楳図かずおさんはキラキラした純真な表情で、「恐怖とは」ということについて語っていた。
あんまり覚えていないけど、
「怖い、ということはいやなことでもあるけどドラマティックなことでもある」
というようなことを言っていたと思う。
恐怖、闇、おそれ、わびしさ、せつなさ、怯え、未知との遭遇、想定外の出来事、新たな視点、そういったものの意味や魅力が、エコでロハスで不況でインフレでグダグダな時代に、復権してきているのかもしれない。
まあ、楳図(うめず)かずおさんは「災い転じて福となす」というかなんというか。
吉祥寺に建てた赤白シマシマの家はいろんな意見があるだろうけど低俗な感じも無く意外に景観バランスを損なってはいない様子。
(印象は人それぞれでしょうか)
裁判にも負けなかったし、テレビへの露出が増えて支持者もたくさん出てきて、楳図さんは多くのエネルギーを得ることができたのでは。
そういえば、楳図さんの家に批判的な人もいるけど、そういう人の自宅はどんな感じなのか気になった。
そういう人の家やファッションはどんな感じなのだろう。
地味で保守的で芸術にあまり興味が無くて、理解できないことは否定したい人であれば、突拍子のない楳図さんに違和感があっても当然。
(なんだか身近にそういう人がいそうで恐縮。ぼくにもそういう面あるだろうし)
でも、理解できないものを見下し否定することは、知的なことではない。
マンガの物語性や芸術性や視点や伝達力を感じられない人が
「コミック読むなんてバカじゃないの。あんな子どもだましのものなんて読みたくもない」
と言えば、それは批評とは言えない。
灰色の無個性低品質な狭い家に住んで、暗い色のしまりのない無難なスーツを着て、堅苦しい会社に通ってルールを遵守して違和感のない人は、芸術家を評価することはできないかもしれない。
「芸術家は変人だ」と声高に叫んでも自己主張にはなるかもしれないけど、理解できないものを否定してもなんにもならない。
芸術家ならそんな非創造的なことはしないのでは。
満員電車にぶつぶつ言いながら乗っている人は、戦時中暴力的な軍国主義に反対しなかった人、戦後は暴力的な平和運動に異議を唱えなかった人、みたいなものかも。
僭越ながら、ぼくはそうはなりたくない。
今日も紺色や灰色のスーツに目を向けず、赤系のチェックのシャツを羽織って会社に行く。
かばんもジーンズもセミオーダー。靴はパトリックの皮スニーカー。
小さな帆布のかばんには、なぜか福岡正信や伊藤文学や長谷川櫂などの本が入っている。
それでも七三分けが似合いそうなくらい地味なのは自分の造形のせいなんですね。。。