波打ち際の考察

思ったこと感じたことのメモです。
コメント欄はほとんど見ていないので御用のある方はメールでご連絡を。
波屋山人

沖縄の旅

2020-10-31 11:50:43 | Weblog
この数年、東南アジアやヨーロッパに年3回、沖縄は年1回訪れている。
異文化の中に身を置いてリフレッシュするのが好きなのだが、今年は新型コロナの影響で海外には行けない。
仕方がないので、沖縄を訪れる回数が増えた。
青い海、ヤシの木、露出する石灰岩、ゆるい雰囲気。
開放感のある眺めは何度行っても飽きない。

先日は、今年3回目の沖縄本島旅行に行ってきた。
初めてのGoToキャンペーン利用。

Yahoo!トラベルのサイトで、ANAでの羽田-那覇往復と5泊を申し込み。
ホテルは夕朝食付き。オーシャンビューの部屋。
15%分の地域共通クーポンは、ホテルでの飲み物代やガソリン代、レンタカーの追加保証代、空港でのお土産購入代などに利用。

今年2月に訪れたときは、ちょうど沖縄で初めて感染者が見つかった時期だった。
国際通りにはまだ中国語を話す観光客の姿もあった。

7月に訪れたときは、ちょうどGoToキャンペーンが始まった時期。
東京都在住者は対象外だったせいか、海辺のホテルでBBQをしている人たちや海の見えるカフェではしゃいでいる女性たちは、西日本のアクセントの人が多かった。

10月下旬は相変わらずレンタカーが少なめで比較的運転しやすい。
リゾートでも外国人はごくわずか。アメリカ英語を話している人は、きっと米軍関係の人たちなのだろう。
最低気温がまだ20度あり、最高気温は27~28度に達する。
海やプールには泳いでいる観光客の姿もある。

今回は、海辺の自然豊かな中にヴィラが並ぶカンナリゾートと、美しい海の正面に立つマンション型のベストウエスタン幸喜ビーチと、同僚が別格だと言うブセナテラスに泊まってみた。

カンナリゾートは、オーシャンサイドの部屋。チェックインの時、「オーシャンサイドとオーシャンビューの部屋は何が違うのか」と聞いたところ、「同じです」とのこと。
オーシャンサイドの部屋はプールの向こうに海を見ることができた。
天井が高く、広く、ゆっくり滞在するにはいい部屋。

ベストウエスタン幸喜リゾートはマンションに似た構造で廊下が屋外にある。
最上階のエクゼクティブルームは11階なので、高所恐怖症気味の人にはかなりきびしい。
海の眺めはすばらしいけど、ちょっと高すぎる。見下ろさないと波打ち際が見えない。
エグゼクティブルームでも部屋はそれほど広くない。次回泊まるならもう少し低層階でもいい。

連泊したブセナテラスは、エレガントオーシャンルーム。
サウスタワーの3階。メインレストランの上の部屋だった。
海が正面で、ヤシの木もあるけど、1~2フロア上の階だともっと海が広く見えると思う。


今、いちばん泊まりたいのは、海辺の素朴なバンガロー。
歩いて数歩で砂浜。ハンモックに揺られる午後のひととき。
ベトナムやタイ、インドネシアなどにもそういった宿があるが、沖縄ではまだ出会ったことがない。

大型ホテルもいいけど、素朴な宿にはプライスレスな良さがある。
ゴージャスな叶姉妹もいいけど、素朴な村の娘の良さもある。
派手な服もいいけど、シンプルな服の良さもある、
熟成した高級ワインもいいけど、微発砲の生ワインの良さもある。


にぎやかな旅でなくていい。
海の見える居心地のいい宿に泊まって、ひっそりとたたずむ雑貨のお店やカフェを訪れ、開放感のある居酒屋でおいしい魚とお酒を味わい、明るい彼女とゆっくり過ごしたい。


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情報機関

2020-10-21 22:16:00 | Weblog
第二次安倍内閣の頃、政府の対外姿勢が明らかに変化したように感じた。
当時の菅官房長官は、日本を攻撃するような外国政府の発言に対して沈黙せず随時「それは違う」と反論することが増えた。
黙ってやり過ごすことが多かったのに、何やら戦略的に行動するようになったのは、そういった部署が強化されたためではないかと推測した。

マスコミの人たちも、記者クラブで政府の情報をもらうだけではなく、状況証拠から見て明らかに情報機関が強化されたと思われる場合は、その深層を自力で取材してみてほしい。
宣伝工作や情報操作に関係が深いマスコミは、無関係ではいられないはずだ。

日本にはまともな情報機関がないと言われていたけど、現在ではCIAやMI6に通じる情報機関が設置・拡充されているのかもしれない。
強化のなかでファイブアイズの助けを得て、ノウハウを導入。支店のような状況になっているからこそ、「ファイブアイズに加盟」という話も出ているのではないかと感じる。

情報の収集や活用を積極的に行い、近隣諸国への牽制にも使用している可能性がある。
今までのん気に日本社会の利益よりも近隣の共産主義・社会主義政府の利益になるような行動をしていた人も、注意が必要かもしれない。

数年前に、通信社のちょっと偉い人にそういったことについて聞いたところ、「君の方が知ってるでしょ」とはぐらかされたことがある。その人は、海外でハニートラップにも対峙してきた人だ。記者に対してもいろいろあったそうだ。
私は全然知らないので少し気になる。

https://news.yahoo.co.jp/articles/bc558299540a501e30ab4a49cd43b0a183536c79
> ■日本もスパイ協定に?河野防衛相が接近するファイブ・アイズとは
> 8/21(金) 9:32配信 FRIDAY
> 日本は、主要国ではおそらく突出してインテリジェンス(情報収集・分析)能力が弱い。なにせ専門の「対外情報機関」もない。
> そんな日本が中国や北朝鮮の脅威に備えなければならない厳しい状況のなか、8月14日付「日本経済新聞」電子版が、河野太郎・防衛相の興味深いインタビュー記事を掲載した。
> 河野防衛相は、米英が主導する機密情報共有の枠組み「ファイブ・アイズ」との連携に意欲を示し、「日本も近づいて『シックス・アイズ』と言われるようになってもいい」と語ったのである。

もしかすると、日本学術会議に関する一件も、インテリジェンスに関係あるのかもしれない。
https://news.yahoo.co.jp/articles/90693247c885b82629f358bd2892a08fb70615fe?page=5
■日本学術会議が北大の“学問の自由”を侵害 名誉教授は「なぜ中国を批判しない」と指摘
10/21(水) 6:00配信 デイリー新潮


以前から、情報機関には少し興味があった。
野田敬生さんの『CIAスパイ研修―ある公安調査官の体験記』が刊行されたのは2000年。
その後も関係者を怒らせるような活発な活動をしていたが、2008年だか2009年にはブログもHPも閉じて消息を絶ってしまった。
ブログのキャッシュも残っていない。
http://espio.air-nifty.com/

web魚拓には2008年の文が少し残っている。彼はどこに行ってしまったのだろうか。健在であれば現在50歳。
https://megalodon.jp/2008-0117-1618-39/espio.air-nifty.com/

佐々淳行さんの『私を通りすぎたスパイたち』にはインテリジェンスについて知ることができる多くの関連図書が紹介されているが、野田敬生さんの本はまったく紹介されていない。
認めていない、ということだろうか。


テレビで目にすることの多かった佐々淳行さんが亡くなられたのは2018年10月。
最近読んだ『私を通りすぎたスパイたち』には興味深い記述が多かったので、いくつかメモ。

■『私を通りすぎたスパイたち』文藝春秋、2016年3月

p52
 スパイを取り締まる側になった私だが、もう明かしてもいいころだろう。実はスパイを運用していたことがある。
 一九六五年(昭和四〇年)から二年半、香港領事を務めていたときのこと。『香港領事佐々淳行』(文春文庫)で少し触れたように、大陸情勢について元国民党政府軍准将の孫履平氏からアドバイスをもらっていた。

p71
一流のスパイ・キャッチャーになるために、秘密裡にアメリカに「留学」。ジョージタウン大学の聴講生という触れ込みだったが、実際は、CIAやFBI仕込みの猛特訓を受ける日々。ピストルの撃ち方、スパイの尾行や追跡のノウハウから、警官ならではの俗語の使い方やら、見るもの聞くものすべてを実地で学ぶ研鑽の日々だった。唯一、ハニー・トラップに関する講義はあったものの、その誘惑に打ち勝つための実地研修がなかったことが心残りだったが……。

p72
 諜報活動(インテリジェンス)、いわゆるスパイが目的とする活動は次の二つに大別できる。
 ひとつは、国家機密の探知、収集活動である。諜報活動によって得た情報は、ときとして政策決定にきわめて重要な役割を果たす。「日本は南進政策をとる。北進してソ連を攻撃する意図はない」というゾルゲの報告によって、ソ連軍は部隊配置の変更が可能になったのはその典型、かつ大成功した例だ。
 そしてもうひとつが、積極工作(アクティブ・メジャーズ)と呼ばれる謀略活動である。これは対象国の政策や世論などを、自国によって都合のよい方向に誘導することだ。

p77
 社会党にソ連の資金が流れていたことも暴露された。レフチェンコはコード・ネーム「キング」という社会党大物議員に三〇〇万円を渡したことや、ソ連共産党から社会党への資金提供も明らかにしたのだ。

p133
 繰り返し述べてきたように、日本にスパイを取り締まる法律はない。
 だから、戦後発生した四五件以上の北朝鮮工作員の諜報活動事件、潜入脱出事件は苦労して捜査し、検挙しながらも「執行猶予付きの懲役一年」という情けない結果に終わってしまい、そのつど、日本の外事警察は口惜しい思いをさせられてきた。

p178
「私は警察庁の元外事課長ですよ。KGB捜査の現場の係長もやったんです。瀬島がシベリア抑留中、最後までKGBに屈しなかった大本営参謀というのは事実ではありません。彼はスリーパーとしてソ連に協力することを約束した『誓約引揚者』です」(略)
 すなわち、ラストボロフ事件の残党狩り、落穂拾いをやって、ソ連大使館のKGB容疑者を張り込み、尾行し、神社仏閣や公園などで不審接触した日本人や外国人を突き止める仕事を毎日毎晩やっていたころのことだ。
「作業の過程で、不審接触した日本人を尾行して突き止めたのが、当時は伊藤忠商事のヒラのサラリーマン、瀬島隆三です。外事の連中は当時から知っています」

p189
 日本は、長年にわたってこの「インテリジェンス」が実に貧弱だった。
 二〇一三年(平成二十五年)十二月、「国家安全保障会議(日本版NSC)」が発足、さらに長年の懸案だった特定秘密保護法が成立した。安倍晋三政権になって、着実に整備が進んでいることは間違いない。

p191
 法案の成立までには賛否両論、激しく議論されたが、日本の国益、国民の安全という大局に立つと、社会の風通しが悪くなるような副作用が減るように最善の努力をしながら運用していくしかない。(略)
 日本版NBCと秘密保護法、そこまではできた。とはいえ、独立主権国家として要求される「インテリジェンス」の水準にはほど遠い。(略)
 唯一にして最大の目的は、国家の責務たる安全保障、国家危機管理である。

p192
 今や喫緊の課題となった国際テロの防止には、各国の情報機関と情報を共有することがきわめて重要になる。簡単かつ具体的に言えば「誰を、あるいはどこの機関、組織を押せば、問題解決へのトビラが開くか」を理解していることだ。そしてもちろん、実際に押せなくてはいけない。
 これが、情報の世界でいう「ヒューミント」(人的情報)である。
 情報収集の方法は、
 1ヒューミント(ヒューマン・インテリジェンス)……人間が人間から収集する。情報の世界の人間関係も含まれる。
 2コミント(コミュニケーション・インテリジェンス)……通信傍受による収集。
 3エリント(エレクトロニック・インテリジェンス)……レーダー波など、非通信用の電波による収集。
 と大別されてきたが、近年はコミント、エリントなど信号傍受による情報収集をシギント(シグナル・インテリジェンス)と総称するのが一般的になった。偵察衛星による監視も日常的に行われ、機器・設備、技術の進歩が著しい。「スノーデン事件」として大騒動になった、アメリカ政府による大規模なネットワーク上の情報収集は記憶に新しい。

p195
「スノーデン事件」の後、同盟国の情報もネットワーク上で傍受していたことを追及されたオバマ大統領は「どの国の情報機関も非公開情報の収集は行っている」と、開き直りのような釈明をしていた。実際、イギリスやフランスの情報機関も似たようなことをやっている。(略)
 国際テロの横行する現代において、政府による非公開情報の収集は公然の秘密として、国民の安全に寄与している。
 当然のことながら、非公開情報の収集をしているのは米・英・仏といった、「日本と同じ価値観を持つ国々」だけではない。軍事大国化して、周辺国を脅かしている中国がどうしているかは容易に推察される。中国に対する防衛力増強の議論では、すぐ「軍事的緊張を高めるな」と紋切り型の批判が出る。
 しかし「情報」という武器を持たない日本は、「軍事的衝突を避けるため」「緊張を緩和するため」といった交渉も含め、あらゆる場面で、丸腰で対峙しているのである。

p196
 私は以前から剣と盾を併せ持つインテリジェンス機関、「内閣中央情報局」の創設を提案してきた。
 インテリジェンス機関なくして、独立主権国家たり得ない。

p206
 残念ながら内閣情報調査室は、情報機関としてとても国際水準とは言えない。目も耳も、手足も持たないからである。
 実際、国際的なインテリジェンス・コミュニティにおいて内閣情報調査室の存在意義はほとんどない。諸外国の情報機関に相手にしてもらえないのである。海外情報は完全にアメリカ依存なのだが、CIAの要らない情報をもらっているのが現状なのだ。
 国際インテリジェンス・コミュニティのメンバーとして、認めてもらえるのは警察庁警備局公安課や外事課といった部署である。

p212
 あるときを境に主張や態度が激変してハニー・トラップに引っかかったと噂されるケースは少なくない。
 代表例は、拉致議連(現・北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟)の設立メンバーの一人でもあったタカ派の某政治家だ。
 当初は、「拉致問題が解決するまで北朝鮮に対して食糧支援を行わない」と発言するなど、強硬な姿勢をアピールしていたが、一九九七年(平成九年)、拉致議連のメンバーとして北朝鮮・平壌を訪問、帰国すると態度が一変した。
「拉致は実態のないもの」などと言いだして、主張が一八〇度変わってしまったのである。
 北朝鮮の女性接待員とベッドにいるところを、マジックミラー越しに撮影され、脅迫されたためではないかと噂されたが、本人はかたくなに口を閉ざしていた。
 こうしたことは北朝鮮に限らない。ロシアでも中国でも、一般的な常識としてホテルの部屋にある鏡はまずマジックミラーだと考えた方がよい。最近は超小型のカメラがいくらでもあるから、鏡以外でも仕掛けることは容易だし、盗聴器の可能性もある。

p216
 われわれが費用を持って接待したわけではないが、“弱み”を進んで握らせてくれた人々もいた。
 私が香港領事だったとき、実に多くの国会議員がやってきて、与野党問わず、彼らはごくわずかの例外を除いて、女性を所望した。自分が宿泊しているミラマーホテルなどに連れ込むのは、香港警察の取り締まりが厳しくて難しい。
 だから、売春専用のホテルに案内して、女性と値段の交渉もするというのが領事の夜の仕事だった。二年半の任期を終えて帰国したとき、私の手元には数百枚の名刺があり、そこには社会党の議員たちも数多く含まれていたのである。
 彼らのところに「帰ってきました」と挨拶に行くと、そろってイヤな顔をしていたものである。さらに後年のこと、私が防衛庁審議官になり政府委員として答弁に立つようになった。困った質問をする議員には、「先生、香港は楽しかったですね。この質問、やめてくださいよ」と言うと、大概やめてくれる。もう明かしてもいいころだろう。この手で何回かつぶしたことがある。
 私は、相手の記憶を呼び起こして、質問をやめさせる程度の”意地悪”しかしていないけれども、各国の情報機関はテープや写真も動員して追い詰める。女性問題の弱みを握られるのは、非常に危険なことなのだ。

p221
(略)人々を恐怖に陥れることで自分たちの意志を強要しようとするテロリズムは、卑怯者の戦略だ。むざむざ許すことなど、断じてあってはならない。
 国際テロ事件の防止から外交戦略の立案まで、インテリジェンスあってこそ準備なり実施なりできる。幸いなことに、安倍晋三政権はインテリジェンスを重視している。本章の冒頭でも述べたように「日本版NSC」が発足、秘密保護法もできた。
 日本が独立主権国家として、孫の代、さらにその先もずっと、誇りを持ち繁栄していくにはしっかりした情報機関、縦と鉾を持つ中央情報局の創設が必要だ。
 これを後押しするのは、やはり国民の声である。本書での問題提起が、タブーの扉を開く一助になることを心から願っている。

p224
 前文でも触れてきたように、国家のインテリジェンス(諜報)で重要な領域といえば、①「情報の収集・分析」②「防諜」③「宣伝(プロパガンダ)」④「秘密工作」である。

p268
 アメリカはすでに世界の警察官の役割を放棄している。北朝鮮は核実験やミサイル発射をくり返し、拉致問題は一向に進展しない。また、二〇一六年(平成二十八年)二月に、朝鮮大学校の元副学長が偽名のクレジットカードを使ったとして詐欺容疑で逮捕されるという事件が発覚した。警視庁公安部は、十数年にわたって、日本を拠点として韓国への政治工作を続けていたとの見方を強めているとの報道があった。朝鮮大学校の教員を務めるかたわら繰り返し北朝鮮へ渡航し、欧州での有本恵子さんの拉致などに関与したとされる工作機関「225局」の勧誘を受けて、韓国で地下組織を作るなどのスパイ活動をしていたという。

p269
 国際紛争を解決する手段としての「軍事力」を放棄した日本としては、「インテリジェンス」が頼りのはずだ。本書の各章で力説したように、独立主権国家にはインテリジェンス機関、国家中央情報局の創設が必須なのだ。にもかかわらずまだそれは建設途上だ。
「これでいいのか、日本よ!」
 老兵の回想にいま一度、耳を傾けてほしいと願わずにはいられない。


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百瀬さん

2020-10-20 22:50:13 | Weblog
週刊文春で「不良ノート」の連載が始まったのが1992年。
読者を引き付ける穏やかな文体の中に、刺激的な内容。思わずその世界に引き込まれた。
著者の百瀬博教(ももせひろみち)さんは、ヤクザの親分の家に生まれ、裕次郎のボディーガードをしていた。
たくましいのに感傷的でロマンチックな一面もあり、獄中生活が長かったのに教養や品性を感じさせる。ふところ深く、情熱、闇、知性、純粋さ。とても魅力的な存在だった。

2008年1月に亡くなられてからも、未だに時々思い出す。
何年か前に訪れた池尻のスノードーム博物館には、百瀬さんのコレクションだったスノードームが遺されていた。
スタッフには、百瀬さんを知る人がいて、直接お会いしたことのない私はうらやましく感じた。

久しぶりに百瀬さんについて検索すると、一昨年書き込まれた次のようなブログを見つけた。

https://ameblo.jp/yukiton-4030/entry-12277396289.html
>百瀬さんが亡くなってから早いもので、10年たつ。わたしにとっては忘れられない人の一人なのだが、もう思い出そうとする人もいない。みごとに忘れられてしまった人の一人である。

百瀬さんと深い交流のあった編集者のようだ。
交流がなかった人でも未だに思い出す百瀬さんのことについて、これからも書き残してほしい。

ただ、百瀬さんに多額の負債があったとは知らなかった。
しかし、百瀬さんの評価を下げるものではないと思う。


https://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:RYniUfhxTEAJ:https://note.com/lonewol1431/n/n0c0bb31d4bd3+&cd=3&hl=ja&ct=clnk&gl=jp
百瀬さんのこと その二  
塩澤幸登 2020/10/08 03:30
(略)
百瀬さんはわたしも細かいところまでは分からないが、本人のブラフも交えた回想によれば、バブル時の株の投資で何十億というお金を手に入れながら、その後の株の大暴落で無一文になった、という話で、一円も貯金の無い状態で生活していた。
しかし、いろいろなところに小口の投資をしていたというか、上納金とか、企業のトラブルシューターとかを勤めていて、はっきりした金額は分からないが、本人談では毎月、三百万円くらいの現金収入があるようなことをいっていた。表参道のペントハウス風最上階マンション(150平米くらいあった)家賃が150万円だが、それを90万円にまけてもらっているんだと言っていた。残りが二百何万あるのだが、それで、一銭も貯金せず、「お金は使わないと入ってこない」といって、その二百万を毎月の生活費に使って生活していた。
(略)
彼の死の前後のこととか、株式投資で何億円か借金をしていて、株の値が下がって追い証が発生しているんだとかいっていたのだが、そういう財産の状況とか、わたし自身も分からないことだらけだった。
(略)
百瀬さんはとにかく、手元に現金がなく、花田さんにも借金をしていたのである。その借金の返済の一部として、わたしが編集して作った『HIROMICHI MOMOSE SOUVENIR PHOTOBOOK』を『昭和不良写真館』という書名の本にして、花田さんの出版社から発売するという話にまとめたのだった。
(略)
死後の破産整理で、負債と財産の実情が明らかになった。細かいことは書かないが、家庭裁判所が下した判決が残っている。財産は借金の十分の一しかなく、最大の債権者であった横浜のなんとかさんは、百瀬に二億円貸してあったが、それはもどってこず、市川のマンションを処分するうちの二千万円がその人の取り分だった。花田さんは貸金の十分の一、百五十万円しかもどってこなかった。わたしの原稿料三十五万円は証拠不十分で、返済項目に採用されなかった。


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THE世界大学ランキング2021

2020-10-19 20:55:44 | Weblog
世界的な大学ランキングが発表されても、日本のマスコミは静観していることが多い。
今年は東大京大が何位でした、と書いても、早慶や関関同立が何位でした、とは触れない。
マスコミに、有名私大文系出身者が多いことと無関係ではない気もする。

早慶上理、GMARCH、関関同立。愛知だと南山、福岡だと西南学院も社会的評価の高い人気の総合大学だ。
それらの大規模私立大学は卒業生の数が多く、著名人も輩出し、地元の政財界で大きな影響力を持っている。

そんな誇りある大学が、世界では評価が低いとなると、おもしろくないだろう。
現状に安住している保守的な人々は、「判断する基準が不利だし」とか「外国とは違うし」などと自分のプライドを傷つけないためにバイアスをかけた視点でランキングを眺めて心を落ち着かせる。

しかし、そうは言っても韓国の私立総合大学は、世界の大学ランキングで結構上位に入っている。
難関私立大学の成均館大、高麗大、延世大などは堂々200位以内だ。
https://www.timeshighereducation.com/world-university-rankings/2020/world-ranking#!/page/0/length/25/locations/KR/sort_by/rank/sort_order/asc/cols/stats
89   成均館大
179  高麗大
197  延世大

トップとは言えない有名私立大学でも、500位以内に入っている。
301–350 慶熙大
351–400 漢陽大
401–500 世宗大

それに比べて、日本国内で難関と言われている私立総合大学のランキングは残念ながら低め。
研究機関としては高く評価されていない、という現実を直視すべきではないだろうか。

601–800 早稲田大、慶應義塾大
801–1000 東京理科大、立教大
1001+  明治大、青山学院大、中央大、法政大、上智大
1001+  関西学院大、関西大、立命館大、同志社大
ランク外 学習院大、南山大、西南学院大

ただ、私立大学でも、近畿大学や帝京大学といった医学部のある大学は比較的ランキングが高い。
論文を書く研究者が多いからだろう。
世界的に引用される論文が多い教員を抱えていると、ランキングアップにつながる。
世界大学ランキングにおいては、ブランド力や影響力ではなく、研究力が重要だ。

国公立大学は地味だが、私立大学に比べるとランクが高め。
就職を優先するなら有名私立大学に行くと有利かもしれないが、研究を志すのであれば、研究機関として評価の高い大学に行く方が良さそうだ。
あまり注目されていないけど「指定国立大学法人」に選ばれた大学は、研究力の向上のために柔軟な施策を進める可能性が高い。

マスコミは、私立総合大学から多くの広告費をもらっているためか、世界の大学ランキングで1000位に入らない大学も、「難関大学」としてもてはやしている。
だが、実態のないイメージに流されて、教育や研究の質に目を向けないで進学先を決めると、損をすることもあるので注意が必要だ。

新聞や雑誌、予備校なども、早慶上智やGMARCH、関関同立を「難関大学」と言うのであれば、旧七帝大だけではなく、広島大や千葉大、金沢大なども「難関大学」として扱うべきではないだろうか。
河合塾やベネッセはどのように認識しているのだろうか。
関関同立などを「難関」と書いているのに、広島大や千葉大などを「準難関」などと表現していると、不当表示として批判を受けるかもしれない。


■THE世界大学ランキング2021(500位以内の日本の大学)
36   東京大★
65   京都大★
251–300   東北大★、東京工業大★
301–350  名古屋大★、大阪大★
351–400  産業医科大※
401–500  北海道大、九州大、筑波大★、東京医科歯科大★、藤田医科大※、帝京大※
※は私立大学
★は指定国立大学法人(2020/10段階)


(参考)
https://www.koukouseishinbun.jp/articles/-/6768
■THE世界大学ランキング2021 日本から116校がランクイン【一覧掲載】
2020.09.08 高校生新聞
英国の教育専門誌タイムズ・ハイヤー・エデュケーション(THE)は2020年9月、世界の大学を研究の影響力や国際性などの基準で順位付けした「世界大学ランキング」の最新版(2021年版)を発表した。1位は5年連続で英国のオックスフォード大学。日本からは前年より6校多い116校がランクインした。中国をはじめアジアの大学の存在感がましている。国内の最高順位は東京大学の36位だった。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO65049500V11C20A0L60000/
■筑波大 指定国立大学法人に 分野超えた研究など実践
2020/10/15 19:26 日経新聞
筑波大学は15日、文部科学相から指定国立大学法人の指定を受けたと発表した。学長の強いリーダーシップが発揮されるとともに大学の目指すべき方向性や取り組みが全学的に浸透している点などが評価された。今後は「真の総合大学」として分野の壁を超えた研究や世界に先駆けた教育モデル、筑波研究学園都市の立地を生かした産学連携などを実践する方針だ。
指定国立大学法人は、大学の教育研究水準の向上とイノベーション創出を図るため世界最高水準の教育研究活動の展開が相当程度見込まれる国立大学法人を指定する制度。2017年の東京大学や京都大学をはじめ、計9大学が指定された。
筑波大は、人材育成と研究力の強化を通じて地球規模の課題を解決する「真の総合大学」を目指すとし、実現に向けた様々な目標を掲げた。
人材育成関連では、医学群などを除いた1600人の学生に1600人の教員が対応する「チュートリアル教育」を実施するほか、外国人学生を5000人と全学生の30%まで増やしたり、若手教員を900人規模で採用し、全教員の30%を占めるようにしたりする。
研究関連では、企業の研究部門と一体化した「B2A研究所」を設置し、研究成果の社会実装を進める。筑波大発スタートアップは現状の3倍の500社に増やし、資金調達額も100億円と現状から倍増させる。
永田恭介学長は今回の指定について、「国立大学改革を先導する役割が改めて本学に期待されたことを意味する。この期待に応えることが我が国の高等教育、ひいては我が国の発展の原動力となると確信している」とコメントした。




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『辺境メシ ヤバそうだから食べてみた』高野秀行著、文藝春秋、2018年

2020-10-11 15:34:53 | Weblog
そういえば、先日読んだ『辺境メシ』という本も盛りだくさんの内容だった。
週刊文春で3年間連載されていたらしい。
世界各国のあらゆる珍しい食事が紹介されている。

以前、江戸川橋の焼トン屋さんで白くてやわらかくてとろけるような牛の脊髄を焼いたものを食べたことがある。刺身も食べたかな?
とてもおいしかったけど数日後に狂牛病(BSE)が発生して食べられなくなった。
そのうちネパールに行って水牛の脊髄を食べてみたい。

印象的だった部分を少しメモ。
それにしても「辺境」に関わっている人の本ばかり読んでいる気がする。


P78-85
 水牛はあくまで労働用の家畜。今で言えばトラクターみたいなもの。固くてまずいから普通は食べない――。これまでの体験と情報からそう思っていたが、先日、ネパールで突然、水牛肉に遭遇してしまった。(略)
 ミランさん曰く「ネワール族は水牛が大好きです。生の肉も食べますよ」。
 早速、翌日、水牛の生肉を出すという食堂を訪ねた。場所はカトマンズの町から東へ十五キロほど行ったところで、なんと世界遺産バクタプルの中にあった。(略)
 しかし、他の動物でも脊髄を食べるなんて聞いたことがない。少なくとも私は知らない。ネワール族の言葉では「ティソ」。これはすでに茹でてターメリックで色づけしてあるという。(略)
 食してみれば、もっちりとしたマシュマロのような歯ごたえで、ちゅるりん、ちゅるりんという喉ごしが独特。味はあまり感じない。

P260
 ネズミを食べる地域は世界のそこかしこにあるが、「家畜」として飼っているのはペルーからボリビアにかけてのアンデス山脈だけだろう。
 ネズミと言っても普通の家ネズミではなくテンジクネズミ。日本ではかつてよく実験に使われ、今ではもっぱら愛玩用として飼われているモルモットだ。ペルーでは「クイ」と呼ばれる。

P271
 辺境の地では朝から一日中、酒を飲んでいる民族がいる。この町の近くに住むマチゲンガという民族は森で狩りをするときでもキャッサバの酒を日がな一日飲んでいると言うし、私が訪れたことのあるミャンマーのナガ族も、薄い米のどぶろくを朝から飲んでいた。
 アルコール発酵していると腐敗菌が入りにくい。つまり、安全な飲み水を常時確保できない土地の人々にとって、ライトな酒は水代わりなのだ。栄養分もあるので、エナジードリンクとも言える。

P300-304
 南米のアマゾンにヤヘイ(またの名をアヤウアスカ)と呼ばれる幻覚ドリンクがある。先住民の呪術師が用い、これを飲むと、何十キロも離れた人とテレパシーで交信したり、未来を見たりすることも可能だとされる。(略)
 苦い汁を飲み干して三十分ほどすると、だんだん気分が悪くなり、動悸がしてきた。目が回り、手足が痺れる。やがて、目の前でチカチカと星が飛びはじめ、気が遠くなりかけた。(略)
 ハンモックで長い長い旅をした。意識がぶっ飛んでいるので詳しいことは思い出せないのだが、深海をさまよったり、世界の果てみたいな土地をぐるぐる回ったことは覚えている。『アラビアンナイト』や『源氏物語』のような、物語の世界も通った気がする。
 ほんとうに長い旅だった。人は眠って目が覚めたとき、「あ、だいたい六時間ぐらい寝たかな」などと感覚でわかる。私はこのとき「千年」と感じた。




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東南アジア山岳地帯の糸引き納豆

2020-10-10 16:46:47 | Weblog
ノンフィクション作家、高野秀行さんの本は読みやすくおもしろいのでよく読んでいる。
今日読了した本は、何年もかけて調査して連載した内容をまとめた読み応えのある大作だった。
謎のアジア納豆 そして帰ってきた〈日本納豆〉』高野秀行著、新潮社、2016年

よく、外国人に「納豆食べられますか?」と聞く人がいるように、日本では「納豆は日本独自のものだから、独特のにおいや粘りをいやがる外国人は多いだろう」と思っている人が多い。

だが、世界各地を旅するノンフィクション作家、高野秀行さんによると、ネパール、ブータン、ミャンマー、タイなど各地のモンゴロイド系少数民族の住む地域では、粘りのある納豆を作って食べている人たちがいるという。
また、日本でもかつては納豆汁として利用することが多く、粘りの少ない納豆が作られていたそうだ。

興味深かった個所をいくつかメモ。
須見洋行教授は知り合いの知り合いなので時々名前を聞く。


P48-50
 チェンマイ到着早々、私たちは市内にあるシャン料理店「フン・カム」に出かけた。ここは私の旧友センファー夫妻の行きつけの店で、前回の滞在中、連れて行かれたのだ。
「チェンマイにはシャン料理店がいくつかあるけど、ここがいちばん美味しい。本物のシャン料理だよ」と彼らが絶賛するとおりだった。(略)
「日本のトナオがあるよ」と若女将フン・カムを呼ぶと、まるでマドのように興味津々の面持ちで寄ってきた。彼女と一緒に苞を開ける。私は私で彼女の反応に興味津々。
 果たして彼女は納豆を見ると、「あー、トナオ・サ(糸引き納豆)なのね」と柔らかく微笑んだ。驚くでも喜ぶでもない。その顔に浮かぶのは、“馴染みの人に出会った”というような親愛の情だった。私たちがシャンのトナオやトナオ入りの料理を食べたときに感じるのと同じものだ。
 そのまま藁に顔を埋めるように匂いをかぎ、「ホーム・ホーム(いい香り)」とうなずいた。
 外国人がここまで藁苞納豆に自然な態度をとるのである。「我らは納豆に選ばれし民」と思い込んでいる日本人全員に見せてあげたいと思ったほどだ。

P79
 ご飯がまた納豆料理に合う。お母さんの家では普段うるち米を食べているが、これはタイやミャンマーの一般的なインディカ米と異なり、粒が短く、ちょっと粘り気がある。日本米にとても近いのだ。「シャン米」とミャンマーでも呼ばれ、人気があるそうだ。
 私の経験からいうと、シャンにかぎらず、ミャンマー、タイ、インド、ブータンにかけての高地――つまり納豆を食べると言われている地域では、こういう日本米に似た米がよく食べられている。

P92-93
なんと、パオ族は「常時風呂上り」のスタイルながら、実は風呂に入らない人たちだった。
 匂いというのは相対的なものだ。衛生的な暮らしをすればするほど、強い匂いを好まなくなる。シャン族は「里の民」であり、川や田んぼのあるところにしか住まない。山の上には住まない。いつでも水浴びのできる環境に暮らし、家の中も清潔だ。強い匂いはいらないのだ。
 いっぽう、パオの人たちは「山の民」だ。水浴びをしない。自分たちの体臭が強いので、他のものの匂いも気にならない。むしろ、食べ物の匂いが強くないと物足りなく思う。匂いが強いというのは、「風味がしっかりしている」ということなのだろう。(略)
 結局のところ、山の民は彼らなりにその生活に適応しているから、頭から「不衛生」と決めつけてはいけないのだが、シャン族とパオ族が互いに相手の納豆を好まず、自分たちで作った納豆に固執するのは偏屈なナショナリズム以外にもちゃんとワケがあるのだった。

P104-105
 シャン州の州都タウンジーからマンダレー経由でカチン州の州都ミッチーナに到着したのは十二月九日のことだった。(略)
 納豆がありそうな場内市場に入っていく。品揃えとしてはシャン州とさして変わらない。ただ、塩魚が多いくらいか――などと思って見ていると、唐辛子の横に縦長の財布みたいな、平べったい葉っぱの包みが並べられているのを発見した。もしや?と思って手にとり開いたら、案の定、粒納豆だった。開けた瞬間、葉に引っ張られ、糸を引いている。
 おお、すごい! シャン州の粒納豆とは比較にならない糸引きだ。

P123
 納豆はこれほど単純な食べ物なのにわからないことだらけだ。だいたい「納豆」という言葉の語源からして不明である。お寺の「納所(なっしょ)」で作られたからなどというもっともらしい説があるが、「納所」とは会計や庶務を行う事務所のことで、そんな場所で食べ物を作るはずがない。
 中国語起源という説もあるが、納豆の「納」を「ナ(ッ)」と読むのは呉音、豆を「トウ」と読むのは漢音。両方漢音なら「ドウドウ」だし、療法とも呉音なら「ナズ」となるはず。漢音と呉音では伝わった時代がちがうから、中国語由来とは考えづらい。だいたいにおいて、中国には本来「納豆」という言葉が存在しないという。今、中国語で「納豆」と呼ばれているのは日本の納豆のことだ。(略)
「納豆はわからないことばかり」とは、八〇年代に納豆からタンパク質分解酵素のナットウキナーゼを発見し、現在に続く納豆健康ブームのきっかけを創った倉敷芸術科学大学の須見洋行(すみひろゆき)教授も言っていた。

P135
(略)ブータンは西のチベット的な牧畜文化と東の東南アジア的な農耕文化が交わっている場所だと、著名な植物学者・探検家の中尾佐助は述べているが、チーズと納豆はまさに西と東の文化を食の面で代表していると考えられる。そして、両方がある場所ではチーズの方が強い。納豆はブータン東部でチーズの壁に阻まれているとも言える。

P138
「結論から言えば」と細井先生は言った。「ミャンマーの納豆菌もブータンの納豆菌も、日本の納豆菌とほぼ同じです。匂い、見た目、粘り気……。個性が違う程度ですね」

P177
 タイでは納豆民族であるランナー王国の人々はバンコクの王朝に飲み込まれてしまった。ミャンマーではシャン族にしてもカチン族にしても、ずっと差別や弾圧を受けてきた。そして、ここネパールでもルビナやバム隊長の民族はマイノリティとして中央政府から苦しめられてきたという。グルカ兵も屈強で忠実な辺境の民がイギリスによって兵士として徴用されたのが始まりだ。(略)
「アジアの納豆民族は全て国内マイノリティで辺境の民である」という私の仮説が現実味を帯びてきた。

P187
 ところで、ブータン難民の中で納豆カースト、つまりモンゴロイド系はどのくらいいるのだろうか。アーリア系の娘婿が代表して答えてくれた。「少なくとも半分以上」。
 愕然とした。そんなにいるのか……。
 ライ、リンブー、マガル、グルン……。十万以上に及ぶブータン難民の半数以上が納豆民族だった。それが首都ティンプー周辺に住む非納豆民族によって国を追われたことになる。
 あとで調べると、そもそも彼ら納豆民族がネパール東部からシッキム、ブータンへ移住したのも、非納豆民族が支配するネパール王国政府の理不尽な土地の収奪や重税が一因だっという。
 まさに辺境の民。さまよえる納豆民族。

P204-205
(略)資料を読めば読むほど、古代日本における秋田県南部は、現代のミャンマーにおけるシャン州によく似ているのだ。(略)
 そう思って秋田県南部に来たら、びっくりするほど納豆文化が根付いていた。まさにシャン州だ。同じ秋田県でも海側は「しょっつる」という魚醤を使っているところまでそっくりだ。
 ここが納豆発祥の地かどうかは別として、「日本における納豆の本場中の本場」である可能性は高い。ひじょうに古い時代から納豆が食べられていたのも確かだろう。
 納豆民族はアジア大陸では常に国内マイノリティにして辺境の民だった。
 それはきっと偶然ではない。海や大河に近い平野部の方が文明は発達する。納豆を食べているような内陸の民族はどうかされていくか、マイノリティとして周縁化されるか、どちらかなのだ。

P220-221
「納豆は日本独自の伝統食品」という日本国民の間違った常識を是正するために始めたアジア納豆の取材だが、調べれば調べるほど、私の常識も覆されていく。近頃は、アジア納豆よりむしろ日本の納豆の方がわからない。
 直接的な原因は「秋田県南ショック」である。シャン州と甲乙つけがたい納豆の本場であったこともさることながら、そこで主に食されてきたのは納豆汁とは驚きだった。
 納豆はご飯にかけて食べるものだとばかり思っていたのに、それはごく一部にすぎなかった。だいたい、納豆自体、粘り気があまりなかったという。
(略)
「納豆」という文字が最初に確認される文献は平安時代後期に藤原明衡によって書かれた『新猿楽記』である。だが難しいのはこの時代から現代に至るまで、日本には二種類の「納豆」が存在していることだ。一つは発酵時に煮豆に塩を加え、麹菌で発酵させる塩辛納豆。もう一つは塩を加えず、納豆菌の作用で発酵させる糸引き納豆だ。

P223
 江戸では冬になると朝、納豆売りが、煮豆を一晩発酵させただけで作った「一夜漬け」のような納豆をザルに入れて売っていた。庶民はそれを買うと、包丁で叩いて、つまり細かくして汁にしていた。「納豆と叩き飽きると春が来る」なんて川柳も詠まれていたというから、冬場はよほど納豆汁を食べていたようだ。

P275-276
「万里の長城」は有名だが、実は中国の南部にも「長城」がある。認定されたのはごく最近、二〇〇〇年四月のことだ。二万キロもあると言われる北の“本家”に比べたら規模は桁違いに小さいが、それでも湖南省から貴州省にかけて、一九〇キロほども続いているという。(略)
 今回、苗族の納豆取材でこの鳳凰古城に来たのは、ここがアジア納豆地帯の最東端にして最北端の可能性が高いからだが、もう一つの理由は南方長城の話を聞いたからだ。(略)
 前述したように、納豆民族はほとんどが中国南部に起源を持ち、漢族の南下西進を受けて、西へ南へと移動していったと考えられている。
 彼らは漢族の文化に従うのを潔しとせず、納豆を携えたまま、この壁の向こう側を移動していったのではないかと私は思う。

P296-297
 納豆は「朴葉」に包まれていたのだ。(略)
 葉っぱに包んで発酵させる納豆をこの本では『アジア納豆』と呼んできた。
謎の雪納豆。それは『アジア納豆』だったのだ。(略)
 中村さんたちは「朴葉を使うと豆がこぼれないし便利」という。まるでシャン族のような言い方だ。(略)
 竹村先輩はこんな推理を披露した。「昔は朴葉だけで納豆を作っていたんじゃないか。藁は保温材として使うようになり、そのうち朴葉を使わず、藁だけになったんじゃないか」
 藁苞だけになった理由として先輩は「稲作信仰」を挙げる。葉っぱより稲藁の方がご馳走感があったんじゃないかということである。

P304
 アジア納豆とは一言でいえば「辺境食」である。東は中国湖南省から西はネパール東部に広がる、標高五百から千五百メートルくらいの森林性の山岳地帯やその盆地に住む多くの民族によって食されている。肉や魚、塩や油が手に入りにくい場所なので、納豆は貴重なタンパク源にして旨味調味料である。
 納豆民族は例外なく所属する国においてマイノリティだ。それは偶然ではない。どの国でも文明が発達し、豊富な人口を擁するのは平野部だ。魚や家畜の肉、あるいは塩や油を入手しやすく、他の有力な調味料を発達させている。納豆を必要としないのだ。

P305
 納豆を食べるのは基本的には「山の民」である。
 大豆は山のやせた土地でもよく育つ。アジア納豆地帯の大豆は、日本の市販納豆の極小粒と同じくらいの大きさで、かなり小さい。そしてやや細長い。
 仕込みに使うスターター(納豆菌のついたもの)は植物の葉である。大きくて包みやすい葉ならなんでもいい。
 ただ、民族や地域、個人によってこだわりがある。特にシダ、クズウコン科フリニウム属、クワ科イチジク属の葉を使っている人は「これを使うと味がいい」と主張する。

P320
 昔の日本の納豆はもっと匂いや香りがしっかりしており、粘り気が少なかった。
 二〇一五年、茨城県の納豆メーカーがパリの国際見本市に納豆を出品した際、「思い切って粘り気を三分の一くらいにした」とのことだが、それはアジア納豆の標準だ。そして、日本の昔ながらの納豆も「こんなには粘らなかった」と実際に昔の手作り納豆を知る人々は証言する。

P323-324
 中尾佐助を始めとする、植物学や民族学の研究者は、中国南部から東南アジア北部、ヒマラヤにかけての内陸山岳地帯で、日本とそっくりの文化を数々発見して驚いた。
 餅、赤米、なれ寿司、こんにゃく、茶、納豆、竹細工、絹、漆、歌垣、鵜飼い、そして家の造りまで似ている。私が想像するに、人間自体が似ていることにも驚いたのだと思う。実際、中国、タイ、ミャンマー、ネパール、インドとどこから入っても、平野部から山岳地帯に行くに従い、人の顔つきや雰囲気が日本人に似てくる。平野部は自己主張が強かったり、陽気で開放的な人が多いが、山地に行くと、物静かで控えめな人が優勢になる。

P327
(略)アジア大陸部では味噌と納豆が並び立たないのに、日本と朝鮮半島では味噌と納豆が両方ともあることはなぜなのか。そこは謎である。

P328-330
『ここまでわかった! 縄文人の植物利用』工藤雄一郎/国立歴史民俗博物館編。
 帯を見ると、「マメ類を栽培し、クリやウルシ林を育てる……」などとある。
 マメ⁉
 急いで買って中を読むと、さらに驚くべきことが書かれていた。縄文人は大豆を食べていたことが明らかになったというのだ。(略)
 縄文土器の圧痕を調べていくと、一万三千年前からすでに野生のツルマメが発見されるという。ツルマメは大豆よりはるかに小さい。十分の一くらいの大きさだろうか。それが時代とともに大型化してくる。これは人間が種子を栽培化した結果だという。(略)
 日本も大豆の起源地の一つなのだ。(略)
 納豆は人が大豆を食べ始めたごく初期の段階で存在したのではないかと前に書いた。(略)
「大豆が栽培化された縄文時代に、当時の人が納豆を食べていても不思議はない」



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2020-10-03 09:33:39 | Weblog
ふと、松(まつ)の語源は何だろうと思って検索したが諸説あるようだ。
「たもつ」「まつり」「股」「待つ」等々。

私も一つこじつけのような説を出してみよう。

松(まつ)の語源は、立つ(たつ)である説。
松は山野や海辺ですっくと立っている姿が印象的。
その立つ姿が目につくので、古代の日本では「たつ」と呼ばれたかもしれない。
だが、庭木としても利用するようになると、「たつ」は「(家を)断つ」とか「(家の人が遠方に)立つ」などといった意味に通じることが嫌がられた。
そこで、「たつ」を「待つ」に通じる「まつ」と言い換えることにした。
つまらない推測だけど、どうだろう。

かつて、葦(あし=悪し)が葦(よし=良し)に言い換えられた例がある。
「たつ」を「まつ」に言い換えることも考えられるのではないだろうか。

日本各地に、タツノという地名がある。
辰野(富山県、長野県)、龍野(兵庫県)、立野(福島県、奈良県、高知県)など。
どれもタツノの語源がはっきりしないようだが、「ノ」が「野」であることは間違いないだろう。
では「タツ」とは何か。私は、松のことである可能性があると思う。

日本各地には、茅野(チノ、カヤノ)、竹野、栗野、楠野、杉野などといった、「草木+野」地名は多い。
松野(マツノ)という地名もあるが、タツノよりも新しい集落が多いようだ。
タツハラ、タツヤマなどといった地名も興味深い。
古代、松はタツだったのかもしれない。



追記 2020/12/06
先日、「松(まつ)」の語源は「立つ」であり、それが「(家を)絶つ」「(人が遠くに)発つ」につながるために「待つ」に言い換えられたのではないか、というようなことを記した。
そこでふと思い出したのが、「松(まつ)」は、龍と関連付けられることが多いということ。
龍は、訓読みでは「たつ」と読まれる。
古代の人は松と龍を同一視して、「たつ」と呼んでいたのではないだろうか。
うろこのような樹皮、うねるようにのびる太い枝。松は龍と似ている。
松が先なのか龍が先なのかわからないけど、もしかしたら、立って巻く「竜巻」と同一視された「龍(たつ)」とよく似た木が「たつ→まつ(松)」と呼ばれたのかもしれない。
どちらにしても、松と龍の関係は興味深い。
たつ
【意味】 たつとは、想像上の動物。体は大きな蛇に似て、全身鱗で覆われ、4本の足、2本の角と耳があり、長い口ひげをもつ。りゅう。
【たつの語源・由来】 竜(龍)は呉音で「りゅう」、漢音では「りょう」といい、「たつ」は日本での読み方である。
竜(龍)を「たつ」というのは、身を立てて天に昇ることから「たつ(立・起)」また「たちのぼる(立ち昇る)」の意味とする説。 「たかとぶ(高飛)」または「たかたる(高足)」の反で、「たつ」になったとする説。
「はつ(発)」の意味から、「たつ」になったとする説がある。
竜は蛇と体が似ており、日本では蛇と混同されていたこともあるため、蛇に対して竜を「身を立てて天に昇る蛇」と考え、「たつ(立・起)」また「たちのぼる(立ち昇る)」からという説が妥当であろう。


「奇跡のりんご」で有名な自然栽培の木村秋則さんが、かつて松の木の上に龍を見た、という話も示唆的だ。
https://ameblo.jp/gerbera-it/entry-12435247176.html







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雑考(秩序と無秩序、組織と混沌)

2020-10-01 20:21:22 | Weblog
世の中の構造を認識するためには、秩序と無秩序というか、組織と混沌の関係に注目する必要がある。

法律や常識、学校とか会社とか国家といった組織や秩序のなかで肯定される方向性だけに目を向けていたのでは、世の中の仕組みを見誤ってしまう。

世界は、秩序で成り立っているのではない。
秩序は、混沌の中から一時的に立ち上がったものにすぎない。


秩序にとらわれた人は、組織化、秩序化、言語化など、目に見える成果を生み出す。
その反面、秩序の維持発展に適さないものを否定・排除し、目を向けなくなる。
そのことによって、世の中の構造を認識できなくなってしまう。

虹を7色だと認識すると、ほんとうは無限にあるグラデーションの色なのに、7色しか認識できなくなる。
言葉を学ぶと、ほんとうは音の種類は無限にあるのに、言語として聞き取れる音しか理解できなくなる。
不要なものをゴミや雑草や害虫や犯罪人と認識すると、価値を見出すことができなくなる。


人類は、AIの発達によってあらたな社会にたどり着こうとしている。
将来的には、男女とか外国人とか労働とか民主主義とか犯罪といった概念すら消滅してしまうかもしれない。
そんな中で、人類の意識レベルはあらたな段階に入って行くだろう。
事前に少し意識の準備運動をしておいてもいいかもしれない。

「正義」とか「正しさ」、「真理」や「神」などといった崇高な存在は、まぼろしのようなものだ。
あくまで、人間社会の維持発展にとって都合のよい、言い換えれば人間にとって「適切」「重要」だと相対的に認識されていることが、絶対的な概念で示されている。

世の中には絶対的な善や悪などといった存在はない。
法律や憲法あるいは戒律や常識などによって規定されたことは、絶対的に正しいのではない。
あくまで人間の社会の維持発展にとって不都合なことや不適切なことが、絶対的に否定されるべきことであると規定されているだけだ。
法律や憲法で否定されていることは許されない、という認識では、世の中の構造を見誤る。

私は、基本的に違法行為をしない。
しかし、それは法律に違反すると不利益をこうむるから違反行為をしないことを選択しているだけだ。
法律で規定されている「肯定されるべきこと」「否定されるべきこと」を受け入れているわけではない。
(個人のお酒造りが解禁されたら堂々とワインや日本酒を作るだろうし、大麻が解禁されたら試してみるかもしれない。牛のレバ刺だって堂々と食べるだろう。車でも一度200キロ出してみたい)


世の中には、強力な秩序を持つ組織がある。
会社、官庁、政党、宗教団体、等々。

なぜ国家や宗教や政党に関係する対立や争いが多いかといえば、それは秩序と秩序が干渉と衝突を起こしているからだ。
何かを否定することによって何かを構築する秩序と、別の秩序が接点を持てば、対立が生じるのは当然だ。


世界各地の宗教団体や共産主義政党や体育会系企業がなぜ異論を認めず強力な組織化を推進しているのか、
なぜ信者や同調者の確保に熱心なのか。

ほんとうに自己中心的ではない人たちは、強力な組織化を目指さない。
禁止事項を多数設けたり、信者獲得を優先したりしない。

どこか自分に嘘をついている組織が、強力な秩序を成立させる。
ある一方方向の秩序化を、肯定されるべきものとして設定。
何かを見ないことにして、何かに気づかないふりをして、価値がないと見なしたものを排除することによって推進されている。

混沌とした世界を眺めている人々は、やがて竜巻に飲み込まれるように、組織化を進める人たちに引っ張り込まれてしまう。
時間を守らず規律もゆるい気まぐれな人々は、競争力のある規律的な人々に負かされ、支配されてしまう。

やがて世界は強力なビジョンを示して秩序化を推進する宗教団体や政治団体にからめとられてしまうかもしれない。

それでも、大きな声の人たちの陰に、秩序に従わざる者、我が道を行く者、秩序や効率ではなく混沌や非効率に目を向ける者も存在し続けるだろう。
近年は、組織化が特徴的な特定の政治思想や宗教の影響を受けている人やメディアが工作的な言動を行っても、一般人に見透かされて反発を受けることも多い。

やがて砂上の楼閣や台風が姿を消すように、強力な秩序も崩壊を迎える時が来る。
ふたたび世の中に混沌が満ち溢れた時、混沌と組織の両方に目を向けている人が新たな指針を示すのではないだろうか。


私は社会人ではあるけどアウトサイダーでもあり、大人ではあるけど幼稚でもあり、時間や規律は守るけどゆるい世界が好きで、言語を使用するけど言語化できない世界にも関心があり、もどかしい思いを抱えている。

この「もどかしさ」は、効率や秩序が重要な学校生活や社会人生活には不要なものだ。
多くの優秀な人たちは混沌の中にたたずまない。スマートに問題を認識して解決方法を見出すだろう。
だけど、それでは見失ってしまうものも多い。


私は、脳の奥に浸透するようなキンモクセイの甘い香りに目が覚める。
人間の嗅覚には感じ取れない香りの存在を感じる。人間に感じ取れない世界の広がり。
氷山はごく一部しか水面から出ていない。同じように、キンモクセイの香りも、人間が感知できるのはごく一部。
氷山の、海面から出ている部分を世界のすべてだと見なしても、見誤ってしまう。
海面から出ている部分を削り取っても、また水面に氷は浮上して来る。

秩序や組織や言語に覆われた世界は、海面に出た部分の氷山のようなものかもしれない。
海面下の見えないところにも意識を向けたい。
だから、秩序と混沌の間でもどかしい思いをしながら、支離滅裂になりがちな文として残しておく。


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