波打ち際の考察

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波屋山人

4千年前の牛込台地住民

2013-01-31 20:47:55 | Weblog
先日、市谷薬王寺町から裏千家東京出張所のほうに歩いていたら、坂を上りきったあたりで工事用シートに囲まれている一角が目に入った。
告知文を見てみると、縄文時代の住居跡などを発掘しているとのこと。
こんな高台にも縄文人が住んでいたんだ、と思ってその時は通り過ぎた。
今朝になって、下記のようなニュースを目にした。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130130-00000188-jij-pol
■新宿で縄文時代の人骨=4000年前、11体分確認
時事通信 1月30日(水)22時5分配信
東京都新宿区は30日、同区市谷加賀町のマンション建設予定地で約4000年前(縄文時代中期~後期)の人骨を発見したと発表した。人骨は少なくとも11体分あり、一部は保存状態も良好だという。区文化観光課は「酸性土壌の武蔵野台地で縄文時代の骨が残っていたのは極めて珍しい」としている。 


ニュースを見てさっそく現地を再訪してみたけど、すでに発掘調査の告知文などははがされていた。
マンション建築の案内しか残っていない。
ここが発掘現場だと気づかない人も多いのではないだろうか。


私の認識では、飯田橋駅と市ヶ谷駅と牛込柳町駅をむすぶ三角形の中の中にある高台は、地盤の安定した高級住宅地。住んでみたいエリアのひとつ。派手ではないけど、落ち着いたたたずまいの家も多い。

茶道具の「やました」の向かいにあるマンション建築予定地も、以前は黒い板壁の雰囲気ある大きな古民家があり、緑も豊かだった。
歴史を感じる威厳のある建物だったけど、道沿いに危険防止の黄色と黒のまだらのロープを張っていることもあった。維持管理が難しかったのだろうか。

大木も歴史的建造物もすべて取り除かれ、更地になってしまった。
グーグルマップでは、まだかつての様子を見ることができる。

新宿区市谷加賀町2-5-20
https://maps.google.co.jp/maps?q=%E6%96%B0%E5%AE%BF%E5%8C%BA%E5%B8%82%E8%B0%B7%E5%8A%A0%E8%B3%80%E7%94%BA2-5-20&hl=ja&ie=UTF8&ll=35.698378,139.727799&spn=0.000017,0.006566&sll=35.698246,139.727738&layer=c&cbp=13,170.49,,0,4.92&cbll=35.698378,139.727799&gl=jp&brcurrent=3,0x60188cf767e34ffd:0xd995abe7ae5af2b9,0&hnear=%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E6%96%B0%E5%AE%BF%E5%8C%BA%E5%B8%82%E8%B0%B7%E5%8A%A0%E8%B3%80%E7%94%BA%EF%BC%92%E4%B8%81%E7%9B%AE%EF%BC%95%E2%88%92%EF%BC%92%EF%BC%90&t=h&z=17&iwloc=A&panoid=e1Oa7OoCpPyVvQ-KYsMOXg

それにしても、なぜ埋葬された縄文時代人の骨は溶けていなかったのだろう。
土壌がアルカリ性だったのだろうか。
高台にあったため、火山灰が風雨に流され、古く固いアルカリ性の粘土質地面が露出していたのかもしれない。

また。水辺から遠い高台に遺跡があることを不思議がる人もいるかもしれないけど、意外ではない。
新宿区市谷加賀町2-5あたりは牛込台地の端に位置し、西側の坂を少し下れば牛込柳町の谷に出る。
かつて自動車の排気ガスがたまることで問題となった場所にも近い。

この南北にのびる谷は、かつては沢になっていて、江戸川橋のほうに小川が流れていた。
http://www.shinjuku.ed.jp/es-edogawa/about/newdir0/rekisi1.html

縄文時代の人たちは湿気がたまる小川から少し離れた高台に居を構え、小川で水を汲んだり魚を取ったり洗い物をしたりしていたのだろう。

遺跡跡には三菱地所が地上5階、地下1階(高さ15メートル)のマンションを作る。
このような、縄文時代に人が住んでいたところは、住むのに適した場所だと思う。

縄文時代や弥生時代には日本列島中に土地がありあまっていた。
その中から、当時の住民は一番住むのに適しているところを選んで住み着いた。
そんなところが住みにくい場所であるはずがないと思う。


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「絶対的に否定されるべき」と認識されている相対的なもの

2013-01-12 22:17:09 | Weblog
石川明人という若手研究者による『戦争は人間的な営みである (戦争文化試論)』という本が一部で話題になっている。

戦後日本社会において、戦争は否定されるべき絶対悪として研究されることが多かった。
戦争に関することを全否定することは正しい、という風潮があった。

ただ、戦争反対を訴える人たちのなかで、戦争という事象の仕組みを解明することに熱心な人は少なかった。
戦争という概念であらわされる事象や、それに関係が深い事象を客観的に分析し、その構造を冷静に把握しようとする科学的な研究姿勢は、反戦主義者にとっても脅威になるものではない。

戦争とは何なのか、なぜ起こるのか、どういった位置づけのものなのか、などといったことを観察し、論理的に考える。
仕組みを追究する姿勢は、戦争を犯罪視して嫌うことよりも、戦争を遠ざけることができるのではないだろうか。


私の考えでは、世の中には、絶対的に否定されるべき「悪」というものは存在しない。
犯罪であれ非常識な行為であれ、絶対的に否定されるべき「悪」と認識されているものは、仮定的で、相対的な存在にすぎない。
(基本的に、自分の生命の維持を脅かす可能性があるものは絶対的に否定される傾向があるが、自分の生命の維持を何よりも優先する、というのもひとつの価値観にすぎないかもしれない)

ゴキブリを絶対悪だと考える人もいるだろうが、それを大切な食料だと考える人もいる。
犯罪を絶対的に否定されるべきことだと考える人もいるだろうけど、犯罪を規定する法律も価値観も、時代や地域によって大きな差異がある。
殺人が絶対にだめだというのも、ある価値観に基づくひとつの枠組み。
美男美女の基準も食事マナーの基準も、多様性があって当然だ。

複数の価値観が重なり合う地域や時代に、あるものの価値を認めるか、認めないかによって「社会問題」が発生する。
体罰は問題ないと判断する人もいるし、絶対にだめだと判断する人もいる。
下請け企業の薄給を問題視する人もいるし、差別的な待遇を問題視しない人もいる。
そういった人たちが交差したとき、潜在的な構造は社会問題として表出する。

世の中には、暴力的構造や差別的構造は各所にあるけど、価値観と価値観の衝突によって「社会問題化」しないと、「暴力問題」や「差別問題」として認識されることはない。

欧米でも人種差別が問題視されず当たり前のことにすぎなかった時代はあるし、
日本でも被差別集落が問題視されず当たり前の存在として扱われていた時代は長い。
差別も暴力も、存在の当初から問題視されていたのではなく、途中から問題視する価値観が主力になった。
今後、また価値観は変わっていくかもしれない。
現在何の問題なく存在している社会構造が、突然社会問題化することもあるだろう。
「問題」を排除し、無くしてしまえば「問題」が解決するのではない。
問題化する可能性のある構造をしっかり見据えなくては、いつまでたっても目先の対応しかできない。


ある価値観にとって絶対的に否定されるべき「悪」と、別のある価値観にとって絶対的に否定されるべき「悪」は衝突することが多い。
エルサレムを手放すことはユダヤ人にとって絶対的な悪だろうし、エルサレムから追い出されることはパレスチナ人にとって絶対的な悪だろう。
相対的にすぎないものを絶対的だと認識することによって、対立や争い、戦争は生じているのかもしれない。

理系の研究者は、研究において、絶対的に否定されるべき事象や物質は存在しないと認識しているだろう。
数式にも化学式にも、絶対的に否定されるべきものという記号はない。
放射性物質でも甘い物質でもへんな臭いの物質でも、平等に扱われる。

だけど、文系の研究者は、「絶対的に否定されるべき悪は存在しない」といった前提に踏み切ることができないまま、「絶対的な悪」を信じ、学問研究というよりも政治活動や宗教活動に近いような行動を行う人も少なくない。


私は、『差別文化論』『いじめ文化論』という本を想像する。
そこでは、差別やいじめは絶対的に否定されるものだという前提から論考をはじめたりはしない。

存在してはいけないものを追い出す、という姿勢ではなく、なぜ差別やいじめは発生するのか、どういった構造の組織であれば発生しにくいのか、どのような意識に達すれば差別やいじめを起さないのか、などといったことを考える。

差別やいじめといった否定されるべき悪を排除する、という姿勢は、差別者やいじめっ子の姿勢に通じるものがある。
そのレベルを超えた意識でなければ、差別やいじめのない社会は達成できないのではないだろうか。

同じように、暴力や戦争を排除しようとする人たちも、悪気はないのだろうけど、暴力や戦争を起こす人たちと同じレベルの意識になっていないだろうか。
反戦を唱える人たちの中に、暴力的な人がいることも珍しくない。

むずかしい概念でごまかさず平易な言葉を使い、人をあおりたてることなく地道に仕組みを解説し、多くの人が考えたこともないような斬新な視点を示してくれる石川明人さんの活動は、多くの人から支持されるのではないかと思う。

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