波打ち際の考察

思ったこと感じたことのメモです。
コメント欄はほとんど見ていないので御用のある方はメールでご連絡を。
波屋山人

ワイン5本セット

2010-02-28 15:28:46 | Weblog
この土日、世田谷の大型酒店はポイント10倍の日なので、ついワインをまとめて買った。
5本で5700円。赤4本とスパークリング1本。
1本あたり1140円のお手頃価格。

蒸留酒のストックは全然減らないけど、醸造酒はいくらあってもすぐ減っていく。
彼女はあまり日本酒を飲まないので、夕食にはワインかビールを飲むことが多い。
料理に合うワインを選んでサーブするのはぼくの役目だ。
彼女はワインのことなんて知らないけど、一人前に酸味がどのこうのとか、これはおいしいとか少ない語彙で評価する。意外に舌はわるくない。

Chateau LARRAT 2005 Côtes de Bourg (フランス・ボルドー)
MONTESSU Isola dei Nuraghi 2005 (イタリア・サルデーニャ島)
KIWI CUVÉE 2007 ponot noir (フランス・ロワール)
Château Tertre de Cibelle 2005 Côtes de Bourg (フランス・ボルドー)
LES LARME VIN MOUSSEUX (フランス・ボルドー)

LARRATは1000円少々の安いお手頃ワインだ。飲んだことがある。
KIWIも見たことがある。これも安い。スクリューキャップだし。
スパークリングのBRUT(辛口)も、1200~13000円程度。

ラベルを見た限りでは Château Tertre de Cibelle が一番高そうだけど、どうだろう。
ちょっと検索。
お、1300~1400円?
では MONTESSU Isola dei Nuraghi は?
4170円?
なになに。サルデーニャ島産のモンテッス 2005 IGT イゾーラ・デイ・ヌラーギは、イタリアワイン界の巨匠ジャコモ・タキスとサルデーニャ島のトップクラスのワイナリー「サンタディ」が手を組んだアグリコーラ・プニカのセカンドで、2005が初ヴィンテージ?
ブドウは、カリニャーノ60%、カベルネ・ソーヴィニョン10%、カベルネ・フラン10%、メルロー10%、シラー10%。
カリニャーノは地元ブドウかな。興味あるなぁ。

実売1200~1300円×3本、1000円前後1本、4000円1本で、8000~9000円相当。
でも4000円のワインのコンディションにもよる。
以前、ネットでワインをまとめ買いしたときはコンディションの悪い劣化したワインが混じっていて残念な思いをした。それからは店頭で買うことが多い。

学生の頃には友人と毎週のようにワインを飲んでいたけど、どうもぼくはワインの味や産地を覚えるのが苦手だ。細かい差がわからない。
むかしから高価なワインを飲んでいた友人はワイン・エキスパートの資格を取り、数年前には全国大会にも出場するようになっていたけど、ぼくは安いワインを飲むばかり。
相変わらず、酸味に負けない濃厚さがある、ちょっとハチミツの香りがあるような南欧のミネラル豊富なワインが好きだ。
学生の頃は、友人とサントリーニ島の白ワインを飲みながら雑談し、車窓の海を眺めることもあった。
静岡の由比あたりで尿意をもよおして途中下車したことも懐かしい。

そういえば、時々ワインイベントに誘ってくれていた美人編集者は自宅にワインセラーを持っている。
ワイン好きのやり手記者の自宅にも大きなワインセラーがある。
みんないい暮らしをしている。
「庶民の暮らしが」とか「節約が」などと書いている人が、けっこうセレブな暮らしをしている。
ぼくもいつかはきれいなリビングでゆっくりいいワインを飲みたいものだ。

とりあえず、今、豚のカシラ肉と玉ねぎをごま油などで炒めたので、さっそくKIWI CUVÉEをいただく。

色は比較的濃いガーネットだが、さらっとした印象。おそらく、軽めの味わいだろう。エキス分は濃くなさそうだ。

香りはわるくなく、味もわるくないけど、まあ、安いワイン。ちゃんと果実味もちょっとした樽の香りも渋みもあるんだけど、アルコール分が強く感じられる。
いいワインは、あんまりアルコールの刺激を強く感じない。もっと深みや丸みなどの広がりがあってバランスがいい。
あんまりおいしくないから、あとで日本酒で口直しをしようと思う。


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昨日は南青山RED SHOES

2010-02-27 22:32:00 | Weblog
金曜日、早めに会社を抜け出してそのまま南青山のRED SHOESというクラブへ。
小雨がぱらつく中、表参道から骨董通りを抜けて向かったぼくは、渋谷から歩いてきた彼女とちょうど店の前で合流。
2枚チケットを出して中に入ると、まだ人はまばら。
ジャケットを預けて、片隅に座る。
1人で来ると手持ち無沙汰になりそうだ。

ロックミュージシャン浅井健一のファンクラブ会員対象のイベント。
抽選で当たった人にチケットが送られたらしい。
ぼくはファンクラブでの会員ではないけど、チケットが手に入ったので彼女と一緒に来ることができた。

ビールやテキーラを飲みながらぼんやり過ごす。
タバコを吸う人が多いので、ぼくは息がつまりそうになる。
できるだけ息を吸わないで時間をすごそうと心がけるけど、それはむずかしい。

8時、9時を進むにつれてベースの仲田さんやキーボードの福士さんがDJをやって盛り上がる。
9時半くらいから、ベンジーがDJブースに立った。
店内に何十人かいる人たちがみんなブースの周りに近寄る。
手の届く距離で笑顔を見せているベンジー。
オールディーズやフレンチポップス、ロック。何でもかっこいい。

やせた女の子がくらくらしながら踊っている。
笑顔の女性が跳ねている。
かっこいい帽子をかぶったカメラマンがベンジーを撮っている。
踊りなれた男が即興でステップを踏み、フロアの片隅では音楽関係者が談笑。
ビールを頼んでその場で支払うと、たくましい従業員がすばやく飲み物を運んで来る。

タトゥーやチェーンやブーツや派手なシャツをおしゃれにまとめている人たちの中で、ぼくは浮いているだろう。
仕事が忙しくてもう2か月以上散髪もしてないし、会社帰りの普段着だし。
わるいことなんか一切やりそうにないまじめっこ顔だし。

彼女はずっと控えめで、目の前で女性3人がグッズや財布やケータイにサインしてもらっている時も眺めているだけだった。
熱心なファンなのに。スーパーや服屋さんではもっと強引なのに。

深夜12時半を過ぎて店を出て一緒に渋谷駅まで歩いていると、「ベンジーの踊っているところを見れて良かったぁ」とか「かっこよかったぁ」と小さな声をもらして余韻に浸っていた。

まあ、ぼくは彼女の満足気な姿が見られて、満足。
いつもはレストランでちょっとタバコの煙が流れてくるとメニュー表でパタパタあおぐほどタバコ嫌いな彼女なのに、憧れの人がいる場所でなら我慢できるというのは、不思議だ。


http://www.fanclub.co.jp/k_asai/?id=8
Cold Mink Club PRESENTS
SEXY STONES SHELLBY NIGHT

2010年2月26日(金) 南青山RED SHOES
( http://www.redshoes.jp/ )
OPEN / START 18:00 END 24:00 入場無料(要招待券・ドリンク代別)

セクシーストーンズが2010年にリリースする第一弾の「SHELLBY -世界の片隅で静かに生きる―」の発売を記念してCold Mink Clubの会員の方限定でパーティーを行います!
「SHELLBY」の楽曲はもちろん、セクシーストーンズにかかわる人達のDJによる素敵な音楽で盛り上がりましょう!都会のド真ん中でにぎやかにすごそぉー!

※入場申し込みは、締め切らさせていただきました。たくさんのご応募ありがとうございました。抽選の結果、当選された方のみに招待券を郵送致しました。



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GWはベトナム

2010-02-27 01:23:37 | Weblog
この4~5年、毎年1回はベトナムに行っている。
特に中南部の乾燥地帯が気に入っている。
素朴で明るくてミネラル豊富で、英気を養うことができる気分のいい海沿いなのだ。

だけど、今回はちょっと行ったことのないところに行ってみようかと思っている。
カンボジアに近い、フーコック島。
白い砂が美しい、素朴なビーチがあるらしい。

ベトナムにはすてきなビーチが多い。
ダナン、ホイアン、ニャチャン、ファンラン、ファンティエット、等々のビーチはどこも広々とした海岸線がまぶしく、椰子の木の下でゆっくりくつろぐことができる。
だけど、海の色は少し鈍く、沖縄のほうが青く美しかった。
島に行けばベトナムにも美しい色の海があると聞いたので、フーコック島に行きたいと思っていた。

今年のGWは4/30(金)だけ休めば、4/29(木)から5/5(水)まで丸々1週間の休暇を取ることができる。
だけど、4/29出発の航空券は非常に高い。
ほんの1日2日早く休むだけで、とても手ごろな値段のチケットを手に入れることができる。
(2月の半ばに安いチケットが出回るので、タイミングよく購入することが大事だ)
ぼくは、4/29より少し前にベトナムに行って、5/5を少し過ぎて帰ってくる。
ANA直行便往復のチケットは2人で総額8万7千円以下だ。

フーコック島では素朴なバンガローに3~4泊してみよう。
それから、ちょっと高級なリゾートにも行って3~4泊してみよう。
ビーチ沿いのテラスで夕日を眺めながら、蒸した貝や焼いた海老を食べてビールを飲もう。
海岸沿いを歩いた後は、2時間かけてゆっくりマッサージをしてもらおう。

そんなことを想像しながら、忙しい3月4月をなんとか乗り切ろうと思っている。
のんびり休んでいるばかりではないのだ。
今はとても忙しい。
GWにゆっくりするために、目の前の仕事をがんばろう。


追記
フーコック島は雨季に入ってしまうかもしれないので、
もしかしたらまた中部のホイアンやダナンに行くかもしれない。
彼女はホイアンの古民家カフェの男の子がちょっと気に入っているし。

ダナンからホイアンにかけては大規模リゾートホテルが次々と建設されている。
ホイアンでは、古い町並みの中でゆったりとした時間をすごすことができる。
ダナン郊外のの隠れ家リゾートから大規模リゾート、ホイアンの古民家ホテルなどをめぐってみるのも楽しそうだ。


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天皇以外みんな渡来系 (飛鳥地方には弥生遺跡がない)

2010-02-27 00:45:15 | Weblog
天皇制という言葉にはすこし違和感がある。
日本は米食制ではないし、洋服制でもない。多神教制でもない。

流れの結果、ある習慣や制度が出来上がっていても、何かをきっかけにしてまた状況は変化していくかもしれない。

天皇制という言葉は、明治以降に法制化された、近代の天皇のあり方を指しているのだろうか。
天皇制を無くせばいいと主張する人は、近代の天皇のあり方をやめろと言っているのだろうか。
あるいは、天皇そのものの存在をなくすべきだと言っているのだろうか。
どちらでもいいけど、天皇家は、世界遺産に値するのではないかと思う。

越前出身の継体天皇が即位してもう1500年。
1500年以上もひとつの権威ある一族が存続しているというのは、歴史遺産として注目に値する珍現象だ。

最近の日本では天皇は名誉職のようなもので、どこかを訪問してあいさつしたり、賞を授与したり、賓客を接待することが仕事なのかという印象しかない。
(一部官僚にとっては、自分たちに権威を与えてくれるありがたい存在でもあるらしい。リベラルな外交官でも天皇のことをわるく言う人はあまりいない)

だけど、ほんの100年前は絶大な権力を持つ君主として、帝国に君臨していた。
現在の天皇のことを海外でEmperor Akihito と呼ぶのはその名残だろう。

戦中戦後生まれの人の中には、今でも天皇のことを強大な権力者だと認識して敵視する人もいるけど、全体的には、今の天皇に抑圧や拘束を感じない人のほうが多い。

韓国や朝鮮の人は、天皇に対して特別な感情があるようだ。
100年前、天皇の名のもとに朝鮮半島は日本に併合され、日本の領土になってしまった。

これは耐えられない屈辱であり、今でも韓国のメディアでは日王とか日帝強占期という言葉を使う。
国際法的には当時の朝鮮半島は Occupied Korea ではなく、日本領土の一部だったけど、そんなことは受け入れがたい。
どうして自分たちより優れている訳でもない日本人に支配されなくてはならなかったのか、と悔しく感じる。
レイプに匹敵する、自尊心を踏みにじる行為だったと言って批判する。

認めたくない過去に苦しむ人は、精神的なバランスをとるために、さまざまなことを無意識に考える。

かつて、強大な外国勢力を目にして自分たちの存在維持に不安を感じた日本人の場合は、日本は特別な国だとか、日本には世界最古の歴史があるとか、日本には世界最古の文字があるとか、いかに自分たちがすごいかということを主張して心の安定をはかろうとした。

釈迦もキリストも日本に来た、と主張する宗教者がいたし、すべての人類は日本で生まれた、日本に超古代文明があった、古代文字があった、などと主張する本を発行する人もいた。

現在の日本でそういう人があまり目立たないのは、日本人の心理状態が比較的安定してきたからだろう。
経済が発展して生活も徐々に豊かになり、海外から侵略される恐れも少なく、自分たちの生活を維持していくことに危機感を抱かない。

ところが、かつての日本と同じようなことを韓国は現在も行なっている。
いかに韓国の歴史文化が偉大か、どんなすぐれた起源を持っているか、学問的に根拠の薄いことでも大々的に宣伝している。

韓国の人が誇大妄想のような説を主張すると、日本や中国の一般人や学者は笑うけど、彼らがあのような主張を行うのにも原因はあるのだ。
朝鮮半島を長年にわたって属国扱いにした中国や、朝鮮半島を日本領にしてしまった日本の責任は大きい。
彼らが精神的に不安定になってしまったのは、日本と中国の責任であるともいえる。
彼らのことがわずらわしく感じられるかもしれないが、嘲弄すべきではないと感じる。
ぼくたちだって同じようなことをやりがちだ。


韓国の人の主張することでよく目にするのが、天皇はもともと百済の人間だったのだ、という話だ。
韓国では当然の歴史のように思われている。学校で教える教師もいる。

日本列島の最高権威者であると思われている天皇が、朝鮮半島出身だったとしよう。
そうすると、起源を重視する韓国・朝鮮の人々は、優越感を得ることができる。

「日本列島は朝鮮半島にあった国家の植民地」「朝鮮半島の人々がいなければ日本は存在しなかった」などと認識すれば、日本に支配された時代の屈辱を、少しはやわらげることができる。

実際のところはどうだったのだろう。
日本には朝鮮半島を経由してやってきた人は多い。

だけど、4~5世紀までに来た人と、6~7世紀に来た人、7~8世紀、20世紀に来た人ではそれぞれ意識が違っていただろう。
(関西には渡来系の顔立ちの人が多いけど、すっかり日本を母国だと認識している人たちは、遅れて来た在日韓国人や朝鮮人の人たちをよそ者扱いする場合もある)

統一国家ができるまでに朝鮮半島にいた人々は、朝鮮半島の国民としての意識を持っていなかった。百済や済州島の人だって、「朝鮮・韓国人」「朝鮮半島に広く分布する栄誉ある民族」という意識はなかった。
むかしの日本人だって、各地域の人に日本国民としての一体感などはなかった。
かつては朝鮮半島も中国も日本も、新モンゴロイドや古モンゴロイドの様々な部族の人々がいて、やがて一つの民族や国民に収斂していった。

それにしても、神功皇后などのモデルになったと言われる卑弥呼は、247年頃に亡くなったと推測されている。
卑弥呼の時代にはまだ百済(346~660年)も新羅(356~935年)も存在していなかった。
百済の人が日本に来て天皇のもとになる一族となって古墳を作った、と考えるのはむずかしい。せめて、乗っ取った、と考えないと時代が合わない。

そもそも、天皇の位置付けや機能といった特長は、弥生以前にさかのぼる可能性もある。
続縄文文化の後にアイヌ文化に移行したアイヌ人は、祭祀を重視し、集団のリーダーは権威を持って祭祀を執り行った。
縄文時代の遺跡を見ても、縄文時代の人々が祭祀を行なったことは否定しにくい。
後の時代の天皇になるような権威者の存在が、縄文人たちのグループに芽生えていた可能性もある。

だが、渡来人たちが増えてくると、権威者はその立場を奪われたかもしれない。
日本人がアイヌを討ったように、中国人がチベットを制服したように。
百済からやってきた先進的な技術をもつ人々も、大和の国を乗っ取ったかもしれない。

かつて満州に傀儡国家を作った大日本帝国は、多くの官僚を満洲帝国に送り込んで意のままに操ったが、トップは清王朝の末裔、皇帝溥儀だった。

朝鮮半島を日本領にしてからは天皇が朝鮮半島の主権者となったが、朝鮮王室の人は天皇家に準じる皇族扱いとなり、李王の名を維持した。

もしかしたら、渡来人が天皇をかついで、朝廷を作り上げたということもありえるかもしれない。
傀儡国家を作ったときに、そこのトップに現地の権威者を据えることは珍しくない。

だから、いっそのこと発想を転換して、天皇は原住民系だったけど、周辺のブレーンはみんな渡来系だった、と想像することがあってもいいのではないだろうか。

継体天皇のことはともかく、天皇家のルーツが渡来系ではない、と推測される状況証拠はいくつかある。
まず、天皇家の基盤があった飛鳥は奈良盆地の南東にあるが、このエリアはなぜか弥生時代の遺跡が出てこない。縄文遺跡や古墳時代の遺跡はあるが、弥生遺跡がない。

通常、近畿では、弥生時代の遺跡が圧倒的に多い。
だけど、飛鳥地方や山岳地帯には、原住民系というか縄文系の人々の息づかいが感じられる。

「日の本の大和」の呼称は「太陽の出てくるところの山の出口」というくらいの意味ではないか。
日は太陽、本は根元。奈良盆地南東部の飛鳥地方は、山のむこうに日の出を仰ぐところに位置している。
「ヤマ」は高く盛り上がって広がりを持つ形状。
「ト」は外、戸、門などに通じる。中と外の境に位置する。
山を神聖視する山岳民族の影響を感じる。
なぜか、飛鳥地方と同じく、盆地の南東部に縄文遺跡がある場合はめずらしくない。

また、中世の天皇家は稲作を行う渡来系農民とのつながりは強固ではなかったと主張する人がいる。
古代政治史学者の長山泰孝は「大和朝廷の農民支配はきわめて不十分であり」「大化前代においては非農業民に対する支配が大きな意味を持っており、彼らの貢納する食の贄が大和朝廷の収入の中で相対的に大きな比重を占めていたと考えられる」と書いている。

だから、天皇を渡来系と見るより、むしろ、「原住民系の天皇以外、ブレーンはみんな渡来系」と考えてみることがあっても、いいのではないかと思う。


奈良の縄文遺跡についての記事があったのでつい妄想。
あんまり日本史に興味はないんですけどね。
  ↓
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/100226/acd1002262059003-n1.htm
■縄文時代のクリ林確認 奈良・観音寺本馬遺跡
2010.2.26 20:57
縄文時代のクリ林が確認された観音寺本馬遺跡=奈良県橿原市(飯田英男撮影)
 奈良県橿原市と御所市にまたがる観音寺本馬遺跡で、縄文時代晩期(約2800年前)のクリの木の根株25株がまとまって確認され、橿原市教委が26日発表した。クリ林は狩猟採集で生活していたとされる縄文人が、食料確保のために植林していたことを示す重要な発見になるという。
縄文時代の人工林の存在は、三内丸山遺跡(青森県)の花粉のDNA分析などで指摘されているが、実物の根株の分布によって明らかにされるのは極めて異例という。
この遺跡から出土した根株68株を顕微鏡で分析した結果、20種の樹木が確認され、約半数が食用可能な種だった。クリは最多の25株を占め、水路に囲まれた80メートル四方のエリアに集中していた。
 クリ林は集落の住居跡から約300メートルと近く、クリだけの林が自然に存在するとは考えにくいことから、市教委は「クリを中心に利用価値の高い植物を局地的に栽培していたのではないか」と話している。



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戦車と救急車

2010-02-26 00:57:36 | Weblog
商社マンは戦場であっても商売をする。
需要に応じてすぐ商品を手配する。
時としてむずかしい判断を問われることがある。

■戦車の形をした救急車と、救急車の形をした戦車

ついに戦争がはじまった。
すぐに戦車を送ってほしいと注文が来た。

ところが、現地には試作品しか残っていない。
「戦車の形をした救急車」と「救急車の形をした戦車」という珍品だ。

さて、どちらを納品すべきだろうか。

形で物事の機能を判断する日本人には「戦車の形をした救急車」を、
形よりも機能によって判断する中国人には「救急車の形をした戦車」を売ろう。

日本人には、「これは見たものは皆逃げていく威容だが、救急車として使える」と伝え、
中国人には、「これは見たものは皆警戒しないが、近寄ったところをズドンと撃つべし」と伝えた。


■愚鈍な顔をした司令官と、威厳ある顔をした年輩二等兵

さらに、戦場から傭兵の注文が来た。
すぐに優秀な司令官を送ってほしいとのこと。

ところが、現地には2人しか残っていない。
「愚鈍な顔をした司令官」と「威厳ある顔をした年輩二等兵」という使えない2人だ。

さて、どちらを送り込むべきだろうか。

見かけで物事の価値を判断する日本人には「威厳ある顔をした二等兵」を、
見かけよりも能力によって判断する中国人には「愚鈍な顔をした司令官」を派遣しよう。

日本人には、「立派な司令官を連れてきました。彼が命令すれば誰もが突進します」と言い、
中国人には、「したたかな司令官を連れてきました。とぼけた顔で相手の裏をかきます」と言った。


そして、日本人にも中国人にも喜んでもらい、フランス人の商社マンは売上を伸ばすことができた。

戦争は続き、中国が圧倒的優位のもとに戦局は進んだ。
だが、最終的には日本が中国に勝ったという。

いくら機能が優れていても、それを使用し、維持するのは人間だ。
日本人は、個々の判断力や行動力はたいしたことがないが、組織になると強い。
組織の価値観と自分の価値観を一体化させ、計算を除外して立ち向かってくる。

中国人が、誰がどの戦車に乗るかということで対立し組織としての弱さを見せたとき、
日本人は全速力の救急車を戦車にぶつけてくるという捨て身攻撃を行ってきたという。

威厳ある顔をした年輩二等兵は、割に合わない突撃を繰り返し命令し、多大な損失を出しながらも、最後には愚鈍な顔をした司令官の戦闘意欲を消失させたという。

そのことを知ったフランス人の商社マンは、
「はっきりした価値観を持たない人々を集めて、軍事的・経済的な傭兵を育成する」という方針を固めた。


上記の話はもちろん作り話。
人生万事塞翁が馬、という感じかな。

有効性を判断するのかは難しいし、最終的にどういう結果になるか予測するのも難しい。
ただ、組織の強化を意識すると、自己主張の強くない人の需要は大きいかもしれない。


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認識と否定

2010-02-21 15:40:25 | Weblog
最近はネットのニュースにコメント欄が付いていることが多い。
批判を恐れる大手新聞社はコメントを受け付けていないが、
ポータルサイトが提供する記事や影響力の大きいブログにはコメント欄が設けられ、
一方的ではない言論の場が育ってきている。
政府批判で勇名を馳せた日刊ゲンダイの記事も、ネット上では批判的なコメントが多く
批判的メディアとしての有利な立場を失っていることは興味深い。

それにしてもネット上には否定的な意見が多い。
中にはひねった否定やおもしろい否定技もあって興味をそそられるのだが、
全体的にはつまらなく感じることが多い。

否定のやり方が、平凡なのだ。
何を根拠に否定しているか、というところに目をやるとすぐわかる。
説得力ある論理もなく、好きか嫌いか、気に入るか気に入らないか、
自分の価値観で受け入れられるかどうでないか、などといったことで簡単に判断している。

もう少し物事の仕組みを考えたほうが、不平不満を抱え込まないで楽しく生活することができると思う。
世の中には、いろんなことに価値を見出して、日々を愉快にすごしている人もたくさんいる。

いろんなことに価値を見いだせない人も、それなりに世界を認識して、表現をして、
自分の存在を確かめたいと思っている。
だけど、そんな時に、物事を否定する方向に行ってしまうのは少しさみしい。
物事を否定することによって何かを表現できるということもあるけど、失うものも大きい。

ぼくもすぐ物事を否定してしまうことがあり、そんなときはちょっと心がすさんでいたかなと反省する。
できれば、何かを否定しないで、嫌な顔をしないで安穏に過ごしたいものだ。

認識するということは、何かを否定することと切り離せない。
何かをすばらしいと思うことは、ともすると何かと比較して、何かを否定していることにもつながりかねない。

何かの存在を認識するには、何かの存在を無視する必要がある。

例えば、人間は、見える色の領域が決まっている。
赤外線と紫外線の間にある波長の光しか目に見えないから、赤、青、黄、緑などの色を見ることができる。
もし、紫外線も赤外線も遠赤外線も目に見えたら、きっとこの世の中はわけのわからない混沌とした色に見える。

また、物体が反射した光を目で見るということは、物体の後ろの空間を見ないことによって、
そこに物体があると認識していることを意味する。
もし、あらゆる物体を透過して見ることのできる目を人間が持っていたら、
服も体も建物も地面も透けて見えてしまい、どこに形を見出せばいいのかわからなくなってしまう。

触ればそこに物質の存在を確かめることができるかもしれないけど、
触れるということも、触れた面以外のことを無視することによって、感じることができる。
どこでもすり抜けられる透明人間は、きっと何に触れても形を感じることはできない。

人間の手足の長さも、長さに限界があるからこそ、使うことができる。
もし、無限に伸び縮みしたり、形を変えることができる手足を持っていたら、どう手足を使えばよいかわからなくなるだろう。

形の制約があるから、ぼくたちは何かを認識し、表現することができる。
制約は、否定と紙一重。

俳句は5・7・5で制約が多いから表現するのが難しいと言う人もいるけど、
そういう人は400字を与えられても無限にスペースを与えられても、100色の色鉛筆を与えられても、おそらくすごい表現をすることはできない。
俳句でも詩でも小説でも、言葉を使用するという制約からは抜け出せないし、
水墨画でも水彩画でも油絵でも、キャンバスを使用するという制約からは抜け出せない。
だから、ぼくは最小限の要素で芸術的価値のある構造を考えるべく、ポップでロックな俳句の創造に取り組んでいる。

何かを否定しなければ何も表現できない、ということを意識すれば、
何かを否定する、という自己表現においても何か変化が見られるのではないだろうか。

安易な否定は、貧しく、才能もなく、努力もしないで何も得られない人が、
それでも何とか自尊心を維持していたいと思って周囲を否定する発言をすることに似ているかもしれない。

本当に豊かな生活をしたければ、否定するとはどういうことか、ちょっと考えてみることが必要ではないだろうかと考える。


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表現の自由

2010-02-20 12:11:26 | Weblog
寒い日が続くので、また新大久保の韓国料理屋に通っている。
熱いチゲにご飯を入れてクッパにし、フーフー言いながら食べている。
店員さんの韓国語の響きを耳にしながら、異郷を想像している。

ぼくは韓国に行ったことがないけど、何年か前に韓国人の詩人と少し話をする機会があった。
日本語の堪能な人だったので、会話は日本語。
名刺を交換すると、ぼくの名刺に「俳句詩人」とメモしていた。
「俳句詩人」。なかなかいい言葉だ。俳人ではない。Haiku Poet。
いつか「俳句詩人宣言」という一文でも書いてみよう。

詩人でも音楽家でも画家でも料理人でも、芸術に関わる人は、文化の違う他国の人たちと交流を行うことはそれほど難しくない。
芸術で評価されることについては、あまり文化的制約が強くないからだ。

もちろん、キリスト教文化の影響を強く受けている人は、のびやかでない日本の暗黒舞踏のスタイルは受け入れがたかったかもしれない。
だけど、多くの欧米人が大野一雄などの暗黒舞踏に新しい価値を見出し、賞賛した。
武満徹の音楽も、奈良美智(ならよしとも)の絵も、海外の人はその独特の感覚を高く評価した。

「ある価値観において評価される表現」よりも、
「芸術として価値のある構造」を優先するのが、芸術家であり、フィロソファーなのだ。

宗教や伝統などに基づく価値観と相容れない考え方や行動は、共通の価値観でまとまっている社会の秩序を、崩壊させる恐れがある。
社会秩序の崩壊は、結果的には個人の生命維持の危機にもつながってしまう。

だから、社会秩序を維持発展させていくことを尊重する人は、宗教の価値観や、所属する組織を維持するためのルールを守ろうとする。
それは当然のことだ。

ところが、芸術に魅力を見出した芸術家はそこにとらわれない。
もし、社会秩序を崩壊させる恐れがあっても、そこに芸術的価値が見出せるのであれば、罵声をおそれず、表現を行う場合がある。
芸術家は簡単に国境を越え、秩序を越える。村の掟にはなかなか縛り付けられない。

中世のカブキ者は、圧倒的に派手な装いと演出で脚光を浴びた。
変化のない日々をすごす一般人はとてもカブキ者のような不良な真似はできなかったけど、カブキ者に憧れ、息抜きをしていた。

社会秩序を維持する政府も、人々を秩序の中に押し込めてしまうだけでは、秩序が維持できないことを知っていた。
空の竜巻や海の渦巻きも、周りを板などで囲めば消滅してしまう。
秩序だけの世界は長く維持できない。
混沌があってこそ、秩序を維持するエネルギーを吸い上げることができる。

社会秩序の維持をつかさどる政府は、混沌を秘めた芸能者たちを社会的評価の低い被差別民に位置づけ、利用した。
漫才師、歌舞伎役者、猿回し、ミュージシャン、等々は華やかな人気の職業だが、江戸時代にはエタ頭の支配下にある被差別民だった。
途中で歌舞伎はエタ頭浅草弾左衛門の支配を抜けたけど、それもほんの300年前の話だ。

現在もヤクザやマフィアが芸能界に食い込んでいる。
それは、芸能の社会的立場が、反社会的勢力に近いところがあることも一因だ。
彼らは一般社会の人々に対して、「アウトローに対する差別反対!」などという泣き言を言わない。
一般人から強烈な差別を受けることがあっても、わが道を行っている。

アウトローは、社会的に高く評価されるかどうか、ということを基準に行動していない。
やって楽しいか、稼げるか、表現として価値があるかどうか、などといったことを意識して行動している。
ロックミュージシャンが勲章を欲しがらないのも、社会秩序に絡め取られていない自由人だからだ。

一般社会を発展維持させるのに好適な価値観を持った人たちから見下されたり疎外されても、「稼げればいい」「おもしろければいい」などと考えている被差別民は多かった。

明治以降、民主主義の考え方が入ってきてから「ぼくたちも同じ人間なんだから差別されるのはいやだ」と考える人が増えたが、そういう人は一般人の社会の中に入っていけばいい。

現在の日本社会では多くの人が、自分のことを普通の一般人だと思っている。
社会的に高く評価されると心地よい。社会秩序の維持に反する行為には興味がない。
犯罪者には価値がなく、否定されて当然だと思っている。
だけど、芸術に関心のある人は、もう少し踏み込んで考えている。

以前、「本当は怖い童話」というような本が流行した。
子どもたちが読んでいる童話は、もともとはとても残酷な話だったり怖い話だったりしたが、著作権がないものだから、各出版社が勝手にソフトな内容に書き換えて発売している。

怖くない話、残酷ではない話、道徳的に正しい話、常識的に正しい話、そういった話に囲まれて育った子どもたちは、従順には育つかもしれないけど、芸術家には育ちにくいかもしれない。
社会秩序の維持に役立つ人になり、社会的に高く評価されるようになるかもしれないけど、社会秩序を再生したり社会に活力を与えたりする人にはなれないかもしれない。

よく勉強して官僚や弁護士や医者になり、一般人から高く評価されて安心するのもいいけど、そもそも自分たちにとっての常識とか価値観とか組織とか秩序って何なのだろう、と考えなければ世の中の仕組みがわからない。
常識にとらわれていては、価値あるものを理解して楽しむことも難しい。

童話や昔話に怖い話や残酷な話、暴力的な話があったのも、それなりに理由があってのことだ。登場人物に子どもとおじいちゃんおばあちゃんが多いことにも、理由がある。
長い歴史の中で、子どものときにそういった本を読むことは重要だと認識されていた。
それを、残酷だから、怖いから、といった現代の価値観で捨て去ってしまうのはもったいない。

芸術家の表現について口を挟む人は、そんなことも念頭に置いてほしい。
そうしないと、一般社会の内部にいて外が見えていない人が、一般社会と外を自由に行き来している人を妨害することにもつながる。

平気で芸術家に対して「世の中のルールを無視している」などと弾劾できる人は、潜在的に芸術家を差別しているとも言える。
芸術家から見れば、「お堅い仕事をしている人は自発的に視野を狭めたりしてお疲れ様」という感覚かもしれないけど、社会秩序の維持発展に忠実な人は、芸術家の価値を無視して平気で否定できるのかもしれない。
(特異なファッションをバカにしたり、暴力やエロを全否定したり、従順でない人を拘束したり)

本当は、芸術家の表現を制約するということはとんでもなく重大なことなのだ。
一般人が自分たちの常識で、自分に理解できていない価値を葬り去ってしまう恐れがあるのだ。

表現の自由がどうのこうの、と言う人はそういうことも意識しておいてほしい。
ぼくは「表現の自由は何があっても守られるべきだ」というような、何かの価値観の信者のようなことは言わない。

「芸術家の表現というかクリエイティブさを、一般人の価値観で否定できるのか?」
「社会秩序とか常識とか価値観とか芸術について考えることなく常識の中で流されて生きている人は、芸術家の考えや芸術作品の価値を理解していないのではないか?」
「一般人の価値観で芸術家の表現を否定するのは、知的な行為とは言えないのでは?」
「社会秩序を維持発展させるための価値観(常識とも言う)によって、価値あるものが否定されてもいいのか?」
「常識の枠内で、政治的に正しい童話や絵本で育った子どもが、創造的になるのか?社会秩序の歯車を増やしたいのか?」
「あなたは、子どもの頃まだ世の中の常識を知らなかったときに見ていた世界を、すっかり忘れてしまったのではないか?」
「世の中の構造を認識したり、多様な価値観を理解することが、社会問題の解消につながるのではないか。差別や暴力や犯罪を禁止することは、問題を隠蔽するだけではないか?」

そんなことを、「社会のルールに反する場合、表現の自由は制約される」とか
「社会的に正しいことに配慮しないとね」など簡単に言い切る人に聞いてみたい。

下記のサイトでは今回回収となった絵本について分析が述べられている。
だけど、なぜ「常識」に沿った絵本を作るべきなのか、根拠が述べられていない。
「常識」で判断してしまっている。

ついでに言うと、今回の「たくさんのふしぎ2月号」回収騒ぎは、反タバコ団体の圧力のかけ方が特に問題視されている。
持論を当事者だけで話し合っておけば、作家も担当編集者も失望しないで済んだだろう。
反タバコ団体は各方面に抗議文を送り、不買運動を行い、自分の主張を通させた。お互いの論理を真摯に検証しようとはしなかった。

さらに、「現代の絵本作家は『ポリティカル・コレクトネス』をわきまえた上で、慎重にも慎重に言葉を選び作品を作る」という認識も、そうとは言えない。
芸術に理解のない編集者はそう指示するかもしれないけど、芸術家のサポート役としては失格だ。

子ども相手だからといって、「社会的に正しいこと」で絡めとってしまえば、社会的に正しいことではない芸術的価値を理解できない人間に育ててしまう恐れがある。
絵本は、社会的常識に絡めとられた創造力のない人間が軽い気持ちで批評できる分野ではないのだ。

これから日本は人口が減少するけど、芸術に関心のある人や芸術に関わる人は増加する。
新たな価値を創造する人や、事業を起こす人や発明を行う人が、日本社会を支えていくことになる。
今まで、社会的に高く評価されていた官僚や弁護士や医者は、ありふれた職になる。
学業成績の優秀な人は、クリエイティブな仕事を志すだろう。
それは、日本社会の維持発展のためにも役立つことだ。芸術家を簡単に切り捨てないでほしい。

芸術家の表現を葬り去ることはどんなに重大なことか、芸術に理解のない反タバコ団体や反差別団体の人も、認識しておくべきだ。
そうしないと、また大きな社会的な反発を招く。
反タバコ団体や反差別団体の人も、絵を描いたり曲を作ったり書を書いたり、何か創造的なことをはじめてみてはどうだろうか。
社会的地位の高い人の高級な趣味としての楽器演奏とかオペラ鑑賞を楽しむのもいいけど、社会的評価が高くないところにも価値を見出せば、日々をより楽しく生活することができるはずだ。

http://homepage3.nifty.com/konacs6p/page007.html
> 作者の紹介をみると、文と絵の太田大輔さんは1953年生まれの木版イラストレーターで、
> カレンダー、広告、挿絵、児童書で活躍とのこと。本格的絵本は今回の「おじいちゃんの
> カラクリ江戸ものがたり」が初めてだそうだ。どうやら児童文学や児童心理を勉強してきた方ではなさそうだ。
> 現代の絵本作家は「ポリティカル・コレクトネス」をわきまえた上で、慎重にも慎重に言葉を選び
> 作品を作る。絵が描ける、文章が書けるで通用するような甘い世界ではない。子供相手と、軽い気持ちで参入できない。



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週刊新潮と雁屋哲

2010-02-13 08:37:18 | Weblog
かつて週刊誌といえば中年会社員の手ごろな時間つぶしグッズだった。
多くの週刊誌が毎週数十万部の売上を誇っていた。

文芸出版社系の「週刊文春」、「週刊新潮」は穏健というか保守的。
総合出版社系の「週刊現代」とか「週刊ポスト」は刺激的なヌードグラビアやエロいゴシップを掲載。
さらにアンダーグラウンドなのは「週刊大衆」とか「アサヒ芸能」とか。
新聞社系の週刊誌はおとなしい印象だった。

ところが団塊世代の人たちがどんどん退職して、週刊誌の市場が縮小してきた。
50万部以上の売上を維持しているのは文春と新潮くらいのもので、他の週刊誌は部数を大きく減らしている。
文春や新潮は女性の読者を視野に入れていたから、派手さはなかったけど生き延びているのかもしれない。

■2009年週刊誌売上(2004年売上)
週刊文春   75万部(81万部)
週刊新潮   67万部(76万部)
週間ポスト  46万部(68万部)
週刊現代   43万部(72万部)
週刊大衆   33万部(37万部)
週刊朝日   27万部(35万部)
アサヒ芸能  21万部(28万部)
SPA!     19万部(22万部)
AERA     17万部(25万部)
サンデー毎日 13万部(16万部)

以前はぼくも時々週刊誌を買っていたけど、最近はほとんど買うことはない。
20年くらい前は週刊文春の俳句欄に応募していた。
月刊の文藝春秋に俳句が載ると5千円、週刊文春に載ると2千円もらえた。
一度、文藝春秋から「月刊誌のほうに応募してもらった句を週刊誌のほうで選んでしまった。どうしましょう。いやなら載せませんが」というような電話がかかってきたこともある。仕方なく週刊誌のほうに載せてもらった記憶がある。3千円損した気分だった。

そんなことはともかく、昨年11月に週刊新潮が「美味んぼ」作者の雁屋哲さんに関して記事を書いたところ、雁屋哲さんがブログで反論をしていた。

雁屋さんはウツなんだから、週刊新潮も挑発を控えておけばよかった。
これを期にまたウツになってしまうのでは、という悪い予感があったけど、案の定、2/12夜のブログで「去年の十一月から、鬱がぶり返し、毎日の大半の時間を鬱に必死に耐えるために費やしている」と書いている。
痛々しい。週刊新潮のせいだ。

週刊新潮を批判した雁屋哲さんの11/29のブログには、就職するときのことを振り返ってこう書いてあった。
  
(略)「物書き」と言う言葉を私の父は甚だしく軽蔑していた。
 私が、「物を書いて生きていく」いうと、「ちょっと待て」といって、いったん奥に引っ込んで、どこかからか、週刊誌を持ってきた。
 それが「週刊新潮」だった。(今日の本題ですよ)
 父は、私に「週刊新潮」を突きつけて言った
「この、週刊誌を読め。物書きになって、こんなものを書くようになったら、いったいどうするつもりなんだ」
 当時の「週刊新潮」の表紙は谷内六郎氏の童話的なきわめて人の心を休めてくれるような暖かい絵だったが、その表紙絵の清潔さと裏腹に内容は、芸能界、財界人、有名人など様々な世界の人々の醜聞、醜悪で残酷な犯罪事件の再現、異常な性的な話題に埋め尽くされていて、開いて二三ページも読むと、汚いものを無理矢理のどに突っ込まれたような気分になる。
 その内容は今も変わらない。
 私は、父に言った。「こんなものに書くくらいなら、物書きなんかにならないよ」
 それから、40年経って、私はついに「週刊新潮」に書くようなことをせずに、物書きとしていきのびてくることができた。
 この点だけで、私は、父を裏切ることがなかったのである。
「週刊新潮」は以前にも、私の書いた「日本人と天皇」の韓国訳版が出たときに、その編集部の知的水準の低さを見せたくてたまらないと言うような記事を載せた。
 あのような週刊誌を続けていると、自分がどこまで無知で嫌らしく不潔な人間であるのか、どんどんやけになって見せびらかして、自虐的な快感に酔うことになるのだろう。


上記のように、週刊新潮を価値のないものとして否定している。
比較的穏健な週刊新潮に対してこう言う人は、週刊大衆とかアサヒ芸能を見たらどう思うのだろうか。
チラ見しただけで卒倒してしまうのだろうか。

そういえばぼくは自分が買った週刊文春以外、自宅で週刊誌を目にすることがなかった。
厳格な親は、週刊誌などという刺激的なものを読もうとは思わなかったのだろう。
マンガ雑誌もマンガ本も一切なかった。
なぜ雁屋哲さんの父親は忌み嫌う週刊誌を自宅に持っていたのだろう。

雁屋さんも、週刊新潮に関して「こんなものに書くくらいなら、物書きにはならないよ」と言いながら、
なぜ、週刊漫画ゴラクなどの品がいいとは言えない雑誌に暴力描写の激しいマンガを載せたりするのだろうか。
「こんなもの」の基準は何なのだろう。
思想信条の違いかな。
きっと雁屋さんの父親も雁屋さんも、週刊新潮が左翼陣営と対立していることを良く知っていて、否定したかったのだろう。
だけど、右翼でもなかなかおもしろい人物はいるし、得るものもある。
ぼくは新潮社の伝説的編集者、齋藤十一さんが全見出しを作っていたという当時の週刊新潮を見てみたかった。
齋藤十一さんは、現在でも編集者の間で話題に上る存在だ。

また、週刊新潮や保守派の人たちが、雁屋哲さんと対立するのはわかるけど、全否定しなくてもいいのではないだろうか。
むかしは雁屋さんのような考え方の人が多かった。
その時代の常識が、雁屋さんを作ったとも言えるのだから、あんまり雁屋さんを責めなくてもいい。

雁屋哲さんにも週刊新潮にも、暴力漫画やエロ雑誌にも魅力があると感じるぼくは、いろんなマンガや文章や評論を楽しむことができて幸せだ。
世の中のさまざまなことに不満を感じて絶望したり憤死するような思いをする人は、左右を問わず、何かを守ろうとして苦しんでいる保守的な人ではないかと思う。

否定し合うことは創造的ではない。ストレスがたまるばかりだ。
ぼくが週刊新潮の編集部員であれば、雁屋哲さんのいいところを無理やり10個くらいみつけて、誌上で称えたい。
あるいはおいしいお酒を送って、「刺激的だけど中身のない記事を書いてごめん」と謝る。
経営がおもわしくない「週刊金曜日」を引き取って、そこで思う存分雁屋さんに書いてもらうのもいい。
新潮社には頭脳明晰で穏健な人が多いから、雁屋さんが誤解したままでいるのはもったいない。
雁屋さんの容態がよくなられることを祈る。

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青森、八戸

2010-02-09 23:13:39 | Weblog
週末は青森の酸ヶ湯温泉でのどかなひと時を過ごした。
外は吹雪いていても、湯気にかすんだ広い浴槽につかっていると外界のことは忘れてしまう。

最近、嵐山光三郎さんの本をいろいろ読んでいて、ぼくも身軽な旅をしたくなった。
北の町に行きたい気分になり、ライターさんとの飲みを早めに切り上げて夜行バスに乗った。

ほんとうは、「一人でちょっと津軽海峡冬景色を見てくる」と言って彼女を置いて行こうとしたけど、一緒に中欧や東南アジアを夜行バスで旅した彼女は、今回も「私も行くー」と言ってついてきた。

朝、青森駅の前に到着すると、嵐山光三郎さんの本にも出ていた駅前のビル地階の市場へ。
まずはしじみラーメン850円を食べて市場を見学。
大間のマグロの中落ち、タラの白子、新鮮なホタテ。さすが青森だ。

すぐに酸ヶ湯温泉の無料送迎バスに乗って1時間、雪の山道を登って到着。
まだ12時前だけど、チェックイン。
さっそく温泉に行こうとしたが、一休み。
夜行バスであまり寝られなかったので休憩が必要。

売店で1合800円の田酒(でんしゅ)を見つけ、さっそく購入。
枡で飲む田酒の特別純米はなかなかの味。

午後早めの温泉はあまり混んでいない。真冬だから観光客も少ないのだろうか。
数人しか入っていないメインのヒバ千人風呂でくつろぐ。打たせ湯を浴びながらちょっと口に含むと、レモンのようにすっぱい。調子のよくないノドにも効くかもしれない。

千人風呂は混浴だけど、朝と夜の8時から9時までは女性専用。
玉の湯は現在工事中で、時間によって男女に分かれている。

混浴の大浴場はそとの寒気の影響なのか湯気だらけで、視界がきかない。
堂々と前を隠さず歩くことができる。
女性の姿は見えない。声は聞こえるけど、端の陰のほうに何人かいるようだ。
それでもなんとか湯船の中で彼女と落ち合い、ゆったりした気分を味わった。

部屋に戻ると彼女が無断でポッキーを食べようとしたので、口に入れたところを叩き折った。
食事の前に甘いものなんて食べるんじゃない。
だけど明るい彼女はそんな仕打ちにも負けず、半分食べられたことに満足している。ポジティブな人だ。

夕食までに結局3~4回も入った。
食事の時間は6時半に設定。
すこしさめているのは仕方ないけど、量は多く、地元の食材もありおなかいっぱいいただいた。
売店で買った純米酒「じょっぱり」4合瓶も一人で全部飲んだ。注文した刺身も新鮮でおいしい。
大方食べてから、またお湯に入ったけど、部屋に戻ってきてみると食べ残しが下げられていた。しかも、売店で買ったヒバのおちょこも見当たらない。
電話をかけておちょこを探してもらったらすぐ見つかったけど、間違って下げてしまったことを恐縮されてしまった。
あり合わせのおかずを少し出していただき、申し訳ない。なんとご丁寧な。

翌日、チェックインの時にも恐縮されてしまった。
夕食時に追加注文していた分は、請求代金に入っていない。
本当にこちらこそ、お気遣いさせてしまって恐縮だ。
彼女は「もうかった」みたいな顔してるけど。

ロビーにはカモシカやタヌキなどの剥製が飾られている。「日本の路地を旅する」にも出ていた、青森に一軒だけあるという剥製屋さんが手がけたものだろうか。実に精巧だ。

チェックアウトしてから送迎バスが来るまでの間は、日帰り温泉用の休憩室で休憩。
棟方志功の大きな書が3幅も掛けてあり、思わず見入ってしまう。すばらしい。
休憩室に入ったときに、なぜか墨汁のにおいがするようにも感じた。今から思えば硫黄のにおいなんだろうけど。

華厳 乾坤 巣神?

何と書いてあるのかはっきりわからないけど、すごいのだ。表情が。無駄がない。虚飾がない。
館内に飾られた棟方志功の版画や書を見るために酸ヶ湯温泉に来てもいい。
青森は、棟方志功が生まれ育ったところでもある。いいところだ。

青森市に戻ってから展望レストランで食事。
40分以上経ってもカレーが出てこないので、沈黙の中でぼくは句作。嵐山光三郎さんのように気の利いた句はなかなかできない。

 銀世界音も言葉も立ち入れず

 津軽路に日の射すところ雪かおる

むつ湾を囲む半島の雪に、時折日がさす。
明るいところは雪ばかり。あったかいわけではないけど、なんだか香りたつように感じる。

彼女は凍えそうなカモメを探してぼんやり。
結局食事が来るのが大幅に遅れ、予定していた電車に乗れなかったので八戸に着いたのは暗くなってから。

もうちょっと早く着いたら、芸術家に対して暴力的なまでの抗議行動を行った八戸の小児科医さんがいるらしい、くば小児科クリニックを見学してみようと思っていた。
(かばんの中には発売中止になった「たくさんのふしぎ2月号」を入れている)

おじいちゃんの喫煙シーンが非難されて絵本が発売中止になった件は大きな話題になった。
ネット世論調査によると、反タバコ団体の抗議に対して批判的な人が多いようだ。
http://research.news.livedoor.com/r/38267
http://blog.livedoor.jp/oyurui/archives/50914360.html#

もし、絵本を発売中止に追い込んだ小児科医の人が、反タバコ運動に対して下記のような抗議を受けたらどのように感じるだろうか。

 表現の自由を侵害する反タバコ団体の行為は社会的に許されない!
 この反タバコ団体の小児科医は医者としても2流。市民活動家としても評価できない!
 芸術の価値は、必ずしも社会的常識に拘束されるものではない!
 芸術を理解できない上に芸術をつぶして平気な禁煙ファシストを許すな!

こういった抗議文が、厚生労働省、青森県議会、八戸市議会、政治団体、医師会等々に送られ、表現の自由を侵害する反タバコ団体に対する非難決議や抗議行動が求められていたら、どう感じるのだろうか。
「へんな人につきまとわれてやっていられない」とうんざりして、
「表現の自由を侵害する一面もあったことを反省します。今後は芸術家の表現を尊重し、配慮します」というような釈明をして、反タバコ活動をしばらく中止するかもしれない。

福音館書店は、上記のような状況に追い込まれた。
反タバコ団体の小児科医さんは、法律違反ではないタバコ描写を全否定した。
(法律違反であると主張するのであればちゃんとそういった判決を得てから主張してほしい。法律の素人の思い込みで行動されても信頼性は低い)
さらに、イラストレーターさんが手間ひまかけて作った作品の芸術的価値を軽々と否定した。
また、論理で真摯に向き合わず、攻撃対象の管轄者や協力者である文部科学省や図書館の団体などに手紙を送り、周囲を巻き込んで問題化させることによって福音館書店を萎縮させた。

このような抗議の手法がまったく問題ないと思っているのであれば、反タバコ団体の小児科医さんのところにも、自分がやってきた抗議活動がはね返ってくるかもしれない。
そういうことをわかっている人は、暴力的な抗議活動を行ったりはしないけどね。


それにしても八戸は意外に大きな町だ。
関東で言うと、日立市とか水戸市とか高崎市といった規模の、中堅都市といった印象。
あまり大きな建物はないけど、意外に市街地が広い。

ぼくにとっては、天才的ポップロックバンド、スーパーカーのメンバーが出会った場所。
青森の八戸ってどんな田舎だろうと思っていたけど、意外に町だった。
スーパーカーの曲を聴きながら、スーパーカーのメンバーが通ったかもしれない楽器店の前を通った。
何人かの若い人たちが店の中にいるのが見えた。

八戸の繁華街はなかなか楽しく、おいしい日本酒を何杯も飲んだ。
東京でも陸奥八仙は有名だけど、フルーティーな鳳瑞大吟醸、ドライな如空の大吟醸、旨みしっかりの陸奥田心の純米、どれも八戸のお酒は高品質。
いい気分のまま、夜行バスで帰ることができた。
また近いうちに青森を再訪したい。


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