波打ち際の考察

思ったこと感じたことのメモです。
コメント欄はほとんど見ていないので御用のある方はメールでご連絡を。
波屋山人

神楽坂

2020-07-28 20:08:02 | Weblog
神楽坂の中心部といえば、毘沙門天あたりだろうか。
なぜか有名人を見かけることが多い。

颯爽と歩く山本寛斎さんの姿を見たことがある。
手足が長く、洗練された雰囲気を感じた。さすがエネルギー溢れる国際的デザイナー。

小島瑠璃子さんと中村アンさんらしき人も見かけた。
テレビで見るままの姿。かなり細く感じた。色白ではない印象。

収録をしている朝比奈彩さんも見た。
最初、カメラに向かって話している後ろ姿を見て、日本語を話している外国人モデルさんかな?と思った。
日本人離れした手足の長さと顔の小ささ。ただ細いだけではなく均整の取れた筋肉もありそう。背も高い。

作家のリービ英雄さんも見たことがある。近所に住んでいるのか、ラフな格好で買い物袋を持っていた。
日本に長く住んでいる外国人は、どことなく日本的な雰囲気になる人も多いけど、ドイツやロシアなどで見かけそうな、いかにも外国人という風貌だった。

神楽坂を下ったところでは、宮崎駿さんを見かけた。
映像で見るままの髭が印象的だった。

むかし、神楽坂飯店という庶民的なお店では、元首相の羽田孜さんと会ったことがある。
特に話すことがなくて「選挙に行ったことがない」とか、つまらないことしか言えなかった。

そういえば、神楽坂上の交差点あたりでは、レポーターの阿部祐二さんがマイクを持って走り、収録していた姿を見たことがある。
モデルのように小顔で手足の長い人だった。

タカアンドトシの2人が収録している姿も見た。
太った人扱いされているタカさんが意外にスマートでかっこよかったことが印象的。

大久保通り沿いでは収録待ちのウド鈴木さんを見た。
静かな様子は年齢相応のおじさんに感じた。


もう何年も神楽坂で飲んでいないけど、たまにはまた行ってみたい。
山本寛斎さんの訃報を目にして、そんなことを思った。
合掌。

https://news.yahoo.co.jp/articles/fe42276b80d63fc3471fa5a6fdfb2937e53ff4b4
■山本寛斎さん死去 日本を時代を常識を飛び越えたファッションデザイナー、急性白血病発症から5カ月
7/28(火) 5:30配信 スポニチアネックス
 国際的なファッションデザイナーでイベントプロデューサーとしても活躍した山本寛斎(やまもと・かんさい、本名同じ=やまもと・のぶよし)さんが21日、急性骨髄性白血病のため死去した。76歳。横浜市出身。葬儀は親族で行った。お別れの会も検討している。英国のロック歌手デビッド・ボウイさんの前衛的な衣装を手掛け名声が世界的に。ファッションの枠を超えた大規模ショーで驚かせ、日本文化の世界進出の道筋をつくった。


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『カンボジアに村をつくった日本人』森本喜久男著、白水社、2015年

2020-07-26 13:56:02 | Weblog
2003年、SARSが世界的に脅威を与えていた頃に、私はタイやカンボジア、台湾を旅していた。
アンコールワットのあるシェムリアップという町で、現地で知り合った日本人の若者とSARSの危険性について語りながら屋台で食事をしたことを思い出す。

その頃、京都出身の友禅職人、森本喜久男さんはシェムリアップ郊外の土地を入手。
桑を栽培し、蚕を育て、高品質な伝統的絹織物を作るプロジェクトに取り組んでいたらしい。

2017年4月に「情熱大陸」で森本喜久男さんのことを初めて知ったけど、その年の7月に亡くなられていたようだ。
・「情熱大陸」 2017年4月9日(日)放送内容
『森本喜久男/カンボジアに世界一の“織物の村”作った京友禅職人』
2017年4月9日(日) 23:00~23:30 TBS
https://kakaku.com/tv/channel=6/programID=286/episodeID=1051799/

最近読んだ本、『カンボジアに村をつくった日本人』には、森本喜久男さんが友禅の工房を畳んで東南アジアに向かった経緯や、伝統的絹織物を積極的に復活させた様子が丹念に記されている。
非常に興味深い。
次にカンボジアを訪れる時はぜひシェムリアップの北にある7万坪の「伝統の森」を訪れ、IKTT(クメール伝統織物研究所)のゲストハウスに滞在してみたい。

日本人による草の根の援助は、お金持の貧者に対する「施し」ではなく、対等な立場での「支援」が多い気がする。
依存的な人が自立するためには、そういった姿勢が効果的だと感じる。

『カンボジアに村をつくった日本人』森本喜久男著、白水社、2015年
p114
――そうか、そういうことか。村のなかにセンターを作るということは、いわゆる「箱モノ」を作るということである。そこにはセンター管理の必要が生じ、そのための費用が発生しつつ、その責任はあいまいになりがちだ。それより、村びとが自分の責任において桑を育て、その桑で蚕を飼うことで各戸の家の利益につなげていくほうが、結果として村びとそれぞれの自立を促すとわたしたちは考えていた。だが、彼らは、将来的な生活の向上より、目先の管理費を期待していた。
 援助とは、モノをあげることではない。貧しい人たちの自立を助けると言いながら、物資やお金をもらえて当たり前とばかりに口を開けて待っているだけの村びとを増やしていては意味がない。
 人間の「欲」は大切である。それは、モチベーションそのもの、やる気につながる。しかし、貧しいことを理由に、手を動かさず口をあけて待っているだけの欲は、人間をダメにする。NGOなどが主催するセミナーや講習会のなかには、主催団体が参加者に参加費を支払うケースもある。しかし、それは参加者を多く集めるだけのことに思える。多くのプロジェクトは、そのプロジェクトの実施期間が過ぎると、消えてなくなることが多い。それとも関係するように思えるのだが、いったい誰のためのセミナーなのか、誰のためのプロジェクトなのか。
 わたしたちは、小さな種を提供する。ときには、その種を植えるために必要な鍬も。しかし、そのあとは村びと自身の努力が基本。だから、本当にやる気のある村びとと出会うことが大切だと考えている。

p270
 タイそしてカンボジアで、三十年近く自然染織に取り組んできた結果、わたしにはいい色を染めるためにはいい土が必要だという世界が見えてきた。そして、いい色を染めるためには、染め色が糸や布とゆっくりなじむだけの時間が必要だということも。
 化学染料を混ぜていても、植物染料も使っているからと、平気でナチュラルダイ、草木染めと呼ぶ人がいる。そして「色落ちがするのも草木染めの特徴です」なんて平気で言ってしまう人たちもいる。そんなことはない。現代の、安易な染織による布作りの姿勢を誤魔化すために「自然染料は色落ちしやすい」と言いつくろってきただけのこと。七世紀、正倉院の布は今も美しく輝いている。そして三世紀、エジプトのコプト織の布は今も美しい。急いで染めた色は急いで落ちる、それだけのことなのである。
 化学染料の歴史はわずかまだ一五〇年ほど、しかし自然染料の歴史は数百年数千年。長い間に蓄積された伝統の知恵を蘇らせ、そこに新しい風を吹き込みたい。


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ウイグル

2020-07-20 21:21:36 | Weblog
中国の西、シルクロードで知られる新疆ウイグル自治区は広い。
日本の約4.5倍、インドの半分ほどの面積。

2003年の9月頃にタクラマカン砂漠の南部周辺にあるホータンとかカシュガルを訪れたときは心地良い陽気を感じた。
そのすぐ後に北方にあるウルムチに行くとかなり肌寒く、露店でセーターを買った。
もっと北に行くと、さらに気温は低いらしい。
ウイグルの気候をひとくくりに扱うのは難しい。

ネットを見ると、ウイグル自治区の北の方の都市では、最低気温がマイナス30度の酷寒に達するところもあるみたいだ。
https://www.wunderground.com/history/monthly/cn/altay-city/ZWAT/date/2019-1
> 新疆ウイグル自治区アルタイ市
> 2019年1月29日 最低気温マイナス32度

ブログ「もうひとつのシルクロード」でも、次のような記述があった。北部はかなり寒い様子。
http://silkroad-j.lomo.jp/image/parts/uyghur.pdf
> 新彊の気候は厳しい。夏は乾燥が激しく、非常に暑い。冬は長く、南部では雪は降らないが、北部は大雪に見舞われる。最低気温はマイナス 28 度ぐらいまで下がり、最高気温は、トルファンでは 55 度を記録したこともある。

大寒波が到来した時にはマイナス40度以下になることもある。
https://www.excite.co.jp/news/article/Searchina_20100120090/
> ■ウイグルに大寒波到来、アルタイ市でマイナス43度記録 (2010年1 ...www.excite.co.jp › ニュース › 海外 › 中国
> 2010/01/20 - ... から続いている寒波の影響で、新疆ウイグル自治区北部のアルタイ市では19日、摂氏マイナス43度の観測史上最低記録を更新した。 ... ウイグルに大寒波到来、アルタイ市でマイナス43度記録 ... 最低気温はマイナス42度(2010/01/18).

少なくとも、北部の都市では月平均最低気温がマイナス30度に近くになることもあるようだ。
標高737m?は、諏訪市より少し高く、軽井沢よりは低い。
内陸部だけど、モンゴルの首都、ウランバートルの標高1350に比べればそれほど高くない。
https://www.data.jma.go.jp/gmd/cpd/monitor/climatview/graph_mkhtml.php?n=51076&y=2018&m=6&s=1&r=0&e=0&k=0
> アルタイ(阿勒泰)〔シンチアン(新疆)ウイグル自治区〕 -中華人民共和国
> 緯度: 47.73 °N / 経度: 88.08°E 高度: 737(m)
> 月平均最低気温(℃) 
> 2018年1月  -26.9


しかし、むかしから愛読しているブログ「シルクロードから嫁が来た!」の作者にとっては、「零下30度の屋外にウイグル人が裸で放り出される虐待」と言う証言は笑いごとらしい。
「ウイグルで零下30度」などと言う「自称ジャーナリスト」は看板を下ろした方がいいほど馬鹿げた記述なのだとか。

ただ、「シルクロードから嫁が来た!」の作者がウイグルに関する記事を書いていた2008年当時、ウイグルにおける抑圧の実態はまだあまり知られていなかったのではないだろうか。
2020年の現在では、強制収容所のような施設や、おそろしい虐待の証言が世界的に報じられている。

BBCやCNN、AFPなどといった大手メディアがウイグルの問題を報じている今の状況を見ても、「シルクロードから嫁が来た!」の作者は、「3人ウイグル人が集まれば逮捕される」というのは嘘で、「イスラム原理主義国家の独立は周辺国にも警戒されるから高度な自治を求めるだけでいい」などと主張するのだろうか。

「シルクロードから嫁が来た!」の作者は、結果として、ウイグル人の危機を軽く扱い、ウイグル人を支えようとした人を嘲笑したことにならないだろうか。
客観を装って、全体主義国家を擁護したことにはならないだろうか。

かつて、日本海沿岸を中心に、多くの人々が北朝鮮の工作員に拉致された事例も、当初は北朝鮮に敵対的な人たちによるデマや誇張だと認識されていた。

北朝鮮による拉致を問題視した人々は、北朝鮮を敵視しているとか、嘘だとか、散々なことを言われたが、現在では北朝鮮を擁護していた人たちの方が現実を直視せず、政治的・思想的に北朝鮮を擁護していたことが問題視されている。

「シルクロードから嫁が来た!」も、かつての北朝鮮支持者のように、批判を受けてしまうかもしれない。
今からでも遅くないので、親中国とか親ウイグルとか親共産主義とか親イスラムといった心情で情報を選択せず、客観的にウイグル人の抑圧された状況について分析されてもいいのではないだろうか。

そもそも、ウイグルの人々の願いは、イスラム原理主義国を作ることではない。
文化や伝統、家族や親族を抹殺されない自由な生活を得ることだ。
少数民族を抑圧する独裁国家から脱して、民主的で平穏な日々を送ることを渇望しているのではないだろうか。

抑圧されている人々の自由を求める声を軽視し、彼らをイスラム原理主義テロリスト扱いして否定するのは、支配者側の視点に近い。
「チベットが独立ではなく高度な自治を求めているように、ウイグルも独立ではなく自治を求めればいい」と主張するのも同様だ。

チベット亡命政府が高度な自治を求めるのは、自宅を乗っ取られた人が居場所のなさに苦労し、「せめて、自分も一部屋ほしい」と抑制的な提案をしているようなものではないだろうか。心の中では、乗っ取ることの正当性を認めていない。
それに対して、「彼らは自宅の所有権を取り戻すことを考えていない。居場所を確保してもらいたいと言っているだけだ」と述べるのは、侵略者側に立った、配慮のない言い方だ。
(きっと、日本統治下の朝鮮半島でも、悔しい気持ちを抑えて「高度な自治が得られれば満足です」と言う人はいたはずだ。それを楯に日本人が偉そうなことを言うべきではないだろう)

中国人や中国共産党政府にとって都合のわるいことを述べる人を「反中的」と表現することは、日本人や日本政府にとって耳の痛いことを言う人を「反日的」とレッテル張りするような行為と似ている。
安易に「反中」「反日」などとレッテルを貼って一蹴することなく、自分にとって都合の悪いことにも目を向け、物事の構造を把握してこそ、問題の解決に近づくのではないだろうか。


「シルクロードから嫁が来た!」を書いている人は分析力も表現力もある優れた人だと感じる。
だが、2008年当時ウイグル問題を取り上げた人を笑い「反中」扱いしたことには、かつて拉致問題をスクープした産経新聞の記者をバカにし「極右によるでっちあげ、反共和国的行為」と批判した人に通じるものを感じる。

「最低零下30度になることもあるウイグルの厳寒期に、裸のまま屋外に放り出されたこともあった」「3人でも集まればすぐにそれを口実に逮捕されてしまう」というウイグル人の証言?について、虐待や連行の事実を軽視し、「ウイグル人の一方的な証言に過ぎない」「零下30度なんて嘘」「3人以上集まって食事している人もいるじゃないか」などといって矮小化することは、ウイグル人の厳しい現実に真摯に向き合おうという姿勢ではない。
むしろ、共産主義や社会主義を標榜する、人民を抑圧する監視国家を擁護しているように見えてしまう。

現在では、ウイグル人やチベット人、法輪功学習者などに対する不当な拉致監禁、拷問、臓器摘出の疑いなどが公になってきている。
かつて拉致問題が公になって北朝鮮支持者が消極的にでも現実を認めざるを得なかったように、ウイグル問題もそのようになるかもしれない。
今ならまだ遅くない。ウイグル人の窮地を直視してもいいのではないだろうか。
かつてジャーナリストを志望したことがある人であれば、できないことではないと思う。


<参考>
■2020/07/15 妙佛 DEEP MAX
https://www.youtube.com/watch?v=kX7jSEP06R0
最近、中国出身の友人に勧められた中国情報分析youtubeチャンネル。
「中国共産党がウイグルに対してどのようなひどいことをやっているか世界中に知られれば、ウイグルは独立した方がいいのではないか」などと言及。
中国では、「支配される側はすべて何でも言うことを聞け」という体制なのだとか。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200716-00010005-newsweek-int
■ウイグル人根絶やし計画を進める中国と我ら共犯者
7/16(木) 19:30配信 ニューズウィーク日本版
<男性を収容し、女性に不妊手術を施し、子供を親から引き離すおぞましい民族抹殺計画。ウイグル人の強制労働で作られたブランド製品やその消費者にとっても他人事ではない>
最近伝えられた2つのおぞましいニュースで、中国政府が新疆ウイグル自治区で行なっているウイグル人弾圧の残虐極まりない実態と恐るべきスケールに世界はようやく気づいた。

https://news.yahoo.co.jp/articles/e284df17c3e950e2baad99a7989b8a03c71440aa
■中国によるウイグル人の人権侵害「吐き気を催す」 英国が非難
7/20(月) 18:58配信
【AFP=時事】英国政府は19日、中国西部・新疆ウイグル自治区(Xinjiang Uighur Autonomous Region)のイスラム系少数民族に対する中国政府の対応に「吐き気を催すような甚だしい人権侵害」があると非難し、「深い憂慮」を表明した。


https://gamp.ameblo.jp/mig31firefoxbat/entry-12558322001.html?__twitter_impression=true
■「シルクロードから嫁が来た!」 261.ウイグル問題-キレイ事は通じない-
テーマ: ロシア圏あれこれ(3)
2008-07-08 23:55.01
(略)
さて、ウイグル自治区が進むべき道は何か?
ズバリ言って、チベットのダライ・ラマ14世さんが唱えている様な高度な自治をするべきです。
(略)
この地域を知らないのは、著名人ですら同じ。
中でも今年5月、週刊新潮に掲載された保守派ジャーナリストの櫻井よしこさんによる記事を見たときは大笑いしました。
『ウイグル自治区では、零下30度の中、ウイグル女性や子供が真っ裸で外に出される。』
『ウイグル自治区では、3人ウイグル人が集まれば逮捕される。』
こんなことを堂々と書いていました。
ウイグル自治区の冬の気温は、おおむね最低マイナス15度程度、お隣のキルギスと同じぐらいです。
マイナス30度といえば、酷寒のシベリア並。
ウイグル自治区なら、よほどの高山か異常寒波の厳冬日しか記録できないはずです。
ちなみに家内にも確認しましたが、そんなアホな!と失笑していました。
彼女は、大学時代を過ごしたシベリアの都市オムスクでマイナス30度レベルの生活を経験しています。
ですから、櫻井さんの記事は、マイナス30度を経験したことのない人。
そして、ウイグルに足を運んだことのない人の意見と一蹴したのです。
また、ウイグル人が3人集まったら逮捕されると亡命ウイグル人の言い分を櫻井さんは、検証をすることもなくそのまま紹介していました。
僕が、ドライフルーツを買ったウイグルバザールは、幻だったのでしょうか?
そして、ウイグル人がワイワイ言いながら食事をしていたカフェは“ヤラセ”だったんでしょうか??
ジャーナリストとは、自らの目で真実を見極めてこそ筆を持てるはず。
ならば、櫻井さんは、ジャーナリストの看板を下ろしたほうがいいでしょう。
(略)
では、もし、仮にウイグル自治区が東トルキスタンとして独立したらどうなるでしょう?
自由万歳!独立バンザイ!となるでしょうか?
僕は、そうならないと思います。
大体、そんなことが起きれば、中国はもちろん、周辺の中央アジア諸国は、東トルキスタンに冷淡な態度を採るでしょう。
これは、大国の中国に対する配慮もさることながら、中央アジア諸国自身、この地域にイスラム色の強い国家が誕生することを歓迎しないからです。


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木村一八著『父・横山やすし伝説』(宝島社、2018年3月)

2020-07-08 20:13:10 | Weblog
昭和の時代に育った人間としては、横山やすし・西川きよしといえば一世を風靡した漫才コンビとして印象深い。
海外のコメディでは見られない、とんねるずやダウンタウン、カミナリなどに継承されている相方の頭を叩く乱暴な芸風は、やすしきよしやツービートの頃に成立したものだろうか。

横山やすしの息子、木村一八も俳優として注目されていたけどトラブルが多く大ブレイクしなかった惜しい逸材だ。

その木村一八さんが、2018年に本を出した板。
『父・横山やすし伝説』。
序章の後に、構成・編集として「小林大作、前田直子」という名前がある。
彼らがインタビューして作成した本だろうか。

1969年生まれの木村一八さんは、身長183センチだという。
小柄だった横山やすしと20センチ以上の身長差があるけど、白髪が多くなった姿は、横山やすしを思い出させる。

横山やすしは、貧しい育ちではなかったらしい。お坊ちゃんだったとか。
お酒は弱く、タバコも吸わず、家庭では暴力的ではなかったそうだ。

木村一八さんも、自制できない暴力的な人というわけではないらしい。
しかし、ヤクザとかマフィアとか、ディープというかかなりあぶない世界にも詳しいようだ。
少年院に入ることになった事件の真相についても書かれていた。

Wikipediaには次のような記述があるが、実際は異なったのだろうか。
検索してみると、原田喧太さんの身長は自称172センチらしい。18~19の頃でも、170は超えていたのではないだろうか。
それでも「小さい」扱いされるのは、さすが180センチ以上ある人の視点だ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E6%9D%91%E4%B8%80%E5%85%AB
>1988年11月、俳優として順風満帆だった19歳の時、遊び仲間と飲酒後、タクシー運転手に対し一方的に暴行を加え続け、傷害容疑で逮捕された。
遊び仲間と飲酒後、六本木の路上でタクシーを停めようとしたが、乗車を拒否されて立腹。直後に停車した別のタクシーに八つ当たりをし、車体を傷つけた。驚いて声をあげた運転手(先に乗車拒否した者とは別人)に因縁をつけ、路上に引き摺り出し暴行を加える。仲間が嘲笑しながら煽った言葉に高揚し、執拗なまでの暴行を加え続け、運転手を脳挫傷に至らしめた。一八は勝ち誇った表情で「こいつが死んだら俺がムショへ行ったらええんやろっ!大したことあらへん!」と叫び、仲間は歓喜の声を上げ、拍手までしていたとの目撃情報が多数あり、マスコミはそれを報じた。未成年者の一八が逮捕されたこの事件は、やすしや吉本興業をも巻き込むだけに留まらず、社会問題にまで発展した。



印象深かった部分をいくつか。

<本文から>
p43
 親父はスーパーぼんぼんでもあった。飛行機をキャッシュで買ってしまうのも、それがなせる業(わざ)。親父の父親、僕のお祖父さんは堺市役所で、食堂のコックだった。
 そして、親父の母親、僕のお祖母さんは遊郭の女将(おかみ)だった。だから、親父はお小遣いにはまったく困ったことがない。
(略)
 お母さんの啓子さんもいいとこのお嬢さんだった。実家は代々続く由緒正しい神社で、そのころは鉄工所を経営していた。

p53-54
 1992(平成4)年、親父は暴漢に襲われて長期入院したことがある。意識不明で病院に搬送されて、なんとか一命を取り留めたが、集中治療室で治療を受けた。(略)
 僕には、親父にどうしても聞きたいことがあった。(略)僕も親父の愛人に会ったことがあったから、確かに、女がいることは知っていた。でも、人生でどれだけ体験しているんだろう。常々気になっていた。死ぬ前には聞いとかなきゃ。(略)
「親父、いままで何人の女とやった?」
(略)
「51人」
……。一瞬耳を疑った。51人。本当かよ。(略)
 たった51人かあ。ぼくは少なくとも3桁、もしかすると4桁かと思っていた。51人じゃ、僕が中学を卒業したときに、すでに経験していた数より少ないやん。

p97-98
 そもそも親父はギャンブルをほとんどしない人だった。ボートレースをしていたから、ギャンブル好きのように思われているが、全く違う。
 親父が競艇の舟券を買うのは、選手へのご祝儀かせいぜい遊び。(略)
ちなみに、親父はギャンブルの他にタバコもだめだった。子どもにも女と酒は許すが、博打とタバコは厳禁。そもそも親父はタバコが大嫌いだった。

p98-99
 (略)ボートレースの前はマラソンにはまっていたことはあまり知られていない。親父の著作でもマラソンのことが書かれているが、そのままマラソンにはまっていたら、好きでもないお酒を無理に飲むことはなかっただろうし、節制もしたと思う。

p106-107
 寄り道だけど、ディープな場所へ行く方法を少しだけ教えよう。覚えておいて損はないだろう。
 もし、ニューヨークに行ったとしたら、まず、英語のできる日本人の女の子を探す。パリなら、まず、フランス語のできる日本人の女の子を探す。
(略)
 クラブで働いているくらいだから、夜の街を知っている。(略)そしていろいろなクラブに行って、その国のマフィアと友達になる。僕は一人で行動するから、比較的マフィアと友達になれる。その点親父もそうだった。一人で行動するジャパニーズは滅多にいないから、驚かれると同時に認めてくれるというわけだ。

p111-112
 親父ルールその16「他人はどついても、身内はどつかん」。親父がテレビで冗談めかして言っていた言葉だ。確かにこのとおりだった。身内はどつかん。僕もどつかれたのは1回だけだったし、お母さんも1回だけだった。
(略)
「女は口が回る。男は口が回らないから手が出る。しかし、それは自分が負けということを認めたことや。だから、二度と手を出さん」と。

p138-139
 親父の身長は、自称163センチ。しかし、僕が見たところ2センチはさば読んでいたと思う。そんなところでさば読まなくてもいいと思うが、身長161センチ、体重は47キロだったはず。(略)
 読者も含めて多くの人が、芸人、横山やすしを破天荒、乱暴者で怖いと感じていたのも、間違いではないということだ。
 矛盾していると思われるかもしれないが、芸人、横山やすしとしては、それは正しい。親父は芸人として、破天荒で乱暴な物言いを演じていた。いや、なりきっていた。それは素顔の木村雄二とは違う。「けんか早くない」と書きながら、手を出していた。

p180-183
 事件のきっかけは、原田芳雄の息子の喧太だった。喧太とはそのときが初対面だったと思う。僕の幼馴染の相楽晴子に、彼氏ができたと紹介されたのが彼だった。相楽晴子から「喧太は、一八に憧れているんだって。一度会ってよ」と言われた。
 そう言われれば悪い気はしない。晴子が紹介した喧太は、体も小さいし喧嘩ができるような男じゃない。だけど、荒れちゃってる。(略)
 振り向いてみると、喧太がガタイのいい男とやりあっている。 
 理由は、喧太が、タクシーが拾えないことに腹を立てて、そのタクシーではなく、後から来たタクシーの車体を蹴ったことにあった。蹴られたタクシーの運転手が起こるのも無理はない。しかし、そのタクシーの運転手はでかかった。小さな喧太とは大人と子どもの差がある。かなう相手ではない。喧太がやられている。危ない!
 僕は助けに入った。だけど、タクシーの運転手も喧嘩慣れはしていない。僕の回し蹴りが相手の頭に入ってしまった。後は書いたとおりだ。
その後、僕と喧太は麻布警察署に連れて行かれた。僕は警察に行くのは、何度も経験しているし、少年課の担当刑事もよく知っている。いつものことだ。しかし、喧太は違った。
 僕の隣の取調室で、ピーピー泣いている。仕方ない。喧嘩なんかしたことないんだから。ちょっと僕を真似ようとしただけだから。それに、警察で取り調べされるのも初めてなんだから。
 だから、僕が、少年課の担当刑事の鈴本さん(仮名)に頼んだ。この鈴本さんは、ずっと僕の担当刑事でもあった。この鈴本さんに、
「鈴本さんよ、帰してやれよ。ガキが、俺の真似して、不良ぶっただけなんだから。結果的に怪我を負わせたのは、俺なんだし、いきさつはどうでもいいから、あいつ帰してやれよ」って。
 そうしたら、鈴本さんが「お前が全部かぶるの、おかしいだろう。きっかけ、全部、あいつなんだから。お前のこと、ずっとみているけど、お前は、喧嘩ばっかりしているけど、そんな“べらんめえ”なことしないんだから」と。「それに、話がおかしくなるぞ。助けたという話ができなくなるぞ」と。
 それでも、僕は刑事さんに「あんな、ピーピーピーピーと、隣の部屋で泣かれたら、うるさいよ。帰してやれよ。全部、俺がやったことにすればいいじゃねーか」と強引に押し込んだ。
(略)
 この原田健喧太とその父親の原田芳雄が、その後、僕のところにわびに来たことはない。一度だけ偶然、喧太に会ったことがある。しかし、彼は慣れ慣れしくしてきたけれど、そのときも、わびのひとつもなかった。それでも、あえて何も言わなかった。しかし、彼らはまったくの無視だ。いくらなんでも礼儀をわきまえてない。だから、本当のことを語る気になった。
(略)
 喧太の彼女だった相楽晴子は、僕が少年院に入って、しばらくした後、喧太に怒ったらしい。僕に挨拶に行かない喧太に対して、「あんた! 誰のために、一八はすべてをかぶったのよ」って。それがきっかけで別れたらしい。とても男前の女だ。そのとき、喧太は「僕は関係ない、僕は何も覚えていない」と言ったという。

p185-186
 僕は大義のない喧嘩をしたことはない。それがうちの教えだ。喧嘩にも大義、正義がなければならない。無作為に人を蹴っ飛ばすとか、殴るとか、そんなことは絶対に許されない。僕が起こした事件は、レイプされそうな女の子を、5人の男から助けて、3人を病院送りにしたとか、そういうことだ。だから、そういう事件を起こすと、担当の刑事は常に僕をかばった。ただ、やりすぎが問題だった。
(略)
 僕は、常に大義をもって喧嘩をしていたが、大義という考え方も怖い。アメリカが言う大義と同じで、それはなんでも正当化してしまう。僕の場合もそうだった。人に文句を言われるような喧嘩をしていない。だけど、本当は暴れたかった。

p196-197
(略)明け方、玄関口から“ドンドンドン”と大きな音が聞こえる。なんだろうと思って、リビングとの境にあるふすまを開けると、ちゃぶ台の前で親父が倒れていた。顔が変形しており、すぐに、その異常さに気がついた。お母さんを起こしに2階へ上がった。(略)お母さんは親父の友人に電話し、親父をかかりつけである近くの摂津医誠会病院に運んだ。
(略)8月6日は広島に原爆が投下された日で平和記念日だった。(略)
 その間、僕は日本中の知っているヤクザの親分たちに電話をしていた。犯人を教えてもらうためだ。片っ端から電話をした。そして、親父の犯人捜しを依頼した。
 そして、2時間後、犯人の実像とその背景まで探り出した。誰が黒幕かもわかった。しかし、読者には申し訳ないが、一生、口外することはない。それは、親父との約束だ。もちろん、親父は誰が犯人か知っていた。そして、親父はその犯人の名前を一切口に出すことなく、3年半後に亡くなった。
(略)
 親父がある程度、話せるようになってから、僕はこのことを打ち明けた。
「親父、犯人はつきとめた。俺、かたきとってくる」と。
 うちは、家族のためなら殺人も許される家だ。しかし、親父に止められた。
「やめとけ、一八。お前は強いから相手のかたきをとれるだろう。しかし相手は一人じゃない。全員殺せるか。報復されたらどうする。わしやお前はいいかもしれない。しかし、お母さんや妹はどうする。(略)
 結局、襲撃事件は迷宮入りになった。傷害事件だから10年で時効になる。警察も本当は掴んではいたと思う。僕でさえ、日本中の親分に効いて2時間で真相がわかったのだから、警察がわからないわけがない。
 (略)政治的配慮があったのかもしれない。そうであれば、親父は泣き寝入りだ。そう思うと、日本という国がわからなくなる。親父も僕も愛国者だ。親父は節税を一切やらなかった。親父から言わせれば、節税は脱税だからね。そんな親父が襲撃されたら、日本の警察は総力を挙げて、犯人を検挙すべきだと思う。
(略)でも、事件は迷宮入りになった。そこが大きなターニングポイントだったと思う。それまで、日本という国が大好きだったし、親父の愛国心もリスペクトしていた。しかし、そのときから日本という国を批判的に見るようになった。

p213
 弔問客のなかには、全国の親分たちの使いで来た若い衆もたくさんいた。いまさらながらに親父には驚いた。対立する組の両方の親分とも付き合いがあった。下手すりゃ、裏切り者とか言われて殺されちまうぜ。親父の顔の広さと要領のよさは天性のもんや。
 その親分たちは、みな香典がわりに親父の借金を帳消しにしてくれた。親父の借金の総額は17億円‼ この借金の額自体もビックリだったが、その証文を目の前で破ってくれたことにも驚いた。その気風(きっぷ)のよさに頭が下がった。




余談だが、一か所だけひっかかるところがあった。
「お前は強いから相手のかたきをとれるだろう。」とあるけど、「かたき」は、「敵」。
「かたきをとる」≒「敵を討つ」と考えると、「相手のかたきをとる」≒「相手の敵を討つ」という意味になってしまう。
相手の敵は自分になってしまうのでは…
「お前は強いから相手のかたきをとれるだろう。」ではなく、
「お前は強いから相手を討てるだろう。」
「お前は強いから親のかたきをとれるだろう。」
などと表現した方がいいのではないだろうか。
編集に関わっているとつい些末なところに目が行ってしまう。自分もつい変な表現をしてしまいがちだけど。


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スタジオジブリ

2020-07-04 06:43:23 | Weblog
『吾輩はガイジンである。』(岩波書店、2016年)はとても興味深い本だ。
著者は、徳間書店やスタジオジブリで15年間働いたスティーブン・アルパートさん。

ジブリの鈴木プロデューサーのすごさ、徳間書店の社長の存在感、ジブリとディズニーの関係、地道な作業と華やかな舞台。
生々しい証言が力みなく、時にはジョークを交えて続けられる。
歴史的にも価値がある証言だ。

だが、桜内篤子さんの翻訳はまじめというか説明的というか語尾が単調な印象で、リズム感が少し足りないようにも感じる。
「~した」「~追った」「~始めた」「~見た」など、延々と「た」で終わる過去形の文が続いているかと思えば、
「~いる」「~する」「~急ぐ」「~早くなくなる」「~ほぼなくなる」など、「る」などで終わる現在形の文が続いたりもする。
臨場感が削がれているような気がする。

また、ところどころ小さな誤訳と思われる表現が見られる。
それでも内容がおもしろいので読み進めたが、最後の方にも下記のような記述があった。

p335
「昭和天皇崩御の後、その葬儀のために来日した外国の元首を現在の天皇が迎えたとき、(略)日本の天皇がリヒテンシュタインの大統領を見て認識し、その夫人の名を知っていることまでは期待されていない。」

ここで「あれ?」と感じる人も少なくないだろう。
リヒテンシュタイン公国は「公国」を名乗っているだけあり、元首はリヒテンシュタイン公だ。大統領制ではない。
絶対君主制に近いミニ国家だが、議会はある。首相はいるが大統領は存在しない。
原文では president だったのか何だったのかわからないが、大統領と訳すのは適切ではないだろう。

著者や翻訳者が恥をかかないように、一般的には校閲者や編集者がファクトチェックを行う。
ただ、自費出版や雑誌出版においては、正確さよりもコストやスピード感が重要なので、スルーされることも多い。
(自費出版を試みる人は、誤った表現をいくつか故意に原稿に入れておいてもいいと思う。きちんとした編集者であれば、5個のうち3~4個は発見してくれる。0~1個しか指摘されなかった場合は、ろくに読んでもらえていないということだ)

ただ、この本の出版元は岩波書店だ。硬派でしっかりとした本づくりをしている印象。
そういった会社が、「リヒテンシュタインの大統領」などといった文をチェックすることなく記載するだろうか。
どのような人が編集をしたのか気になる。

また、本文の最後の文章と俳句の意味がわからなかった。
自分の作った句をジョークで「芭蕉の句」と紹介したのだろうか。いまいちよくわからない。

p353(本文最終ページ)
「私は傑作の完成祝いに加えてもらえたことに(素直な)喜びと感謝の念を表現できたと思う。その反面、そのときの心境と日本におけるガイジンとしての自分の立場をうまく表していると思う有名な松尾芭蕉の句を思い出さないわけにいかなかった。

 初仕事 外人も仲間を ほしげ也。

 No fins, no flippers
 The gefilte fish doesn’t swim
 Like the other fish.           」


「有名な松尾芭蕉の句を思い出す」と書けば、その後には芭蕉の句を掲載するのが通常ではないだろうか。
しかし、明らかに俳句の基礎を把握していない俳句らしきものが書かれている。

著者の自作の日本語の句かもしれないけど、この表記は不適切。
> 初仕事 外人も仲間を ほしげ也。

すくなくとも、語尾の「。」は取るべき。
また、575ではなく595になっているのはバランスがよくない。
さらに、故意でもない限り、通常は中七の前後に全角空きを入れない。
「ガイジンも仲間ほしげに初仕事」「ガイジンも仕事始めの仲間かな」「よそ者も仲間に数え初仕事」などと調整するのも一案ではないだろうか。

日本語の俳句の次に英語の俳句があるが、翻訳というわけではなさそうだ。
英語の句を訳すと、下記のような感じだろうか。
「尾ひれなく魚団子の友追えず」あるいは「尾ひれなくはんぺんもはや海行けず」。
しかし、そのような意味の句が松尾芭蕉の句にあっただろうか。残ながら知識が少ないのでよくわからない。

英語の俳句にある「ゲフィルテ・フィッシュ」は、「ユダヤ教徒の伝統的な魚料理のひとつで、魚肉のミートボールやつみれのような形に調理されることが多い」とか。
どうしてこのような俳句を最後に置いたのかが気になる。
日本語版ではあまり意味が伝わってこなかった。


岩波書店のサイトを見ると、書籍の正式名称『吾輩はガイジンである。』ではなく、『吾輩はガイジンである.』と記載してあった。
「。」と「.」の違いは区別しておきたい。
芸名でも「Melody.」とか「モーニング娘。」とか、「KABA.ちゃん」はそれぞれ「。」と「.」とはっきり区別している。
岩波書店は「モーニング娘。」のことも「モーニング娘.」と表記するのだろうか。

https://www.iwanami.co.jp/book/b266310.html
> 吾輩はガイジンである.
> ジブリを世界に売った男
>
> 『千と千尋の神隠し』アカデミー賞受賞の陰に,この男の活躍あり.ジブリの海外ビジネスを切り拓いた人物の,ユーモア溢れる回想記.


<参考>
吾輩はガイジンである。――ジブリを世界に売った男 (日本語) 単行本 – 2016/9/16
スティーブン・アルパート (著), 桜内 篤子 (翻訳)
https://www.amazon.co.jp/%E5%90%BE%E8%BC%A9%E3%81%AF%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%82%B8%E3%83%B3%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B%E3%80%82%E2%80%95%E2%80%95%E3%82%B8%E3%83%96%E3%83%AA%E3%82%92%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AB%E5%A3%B2%E3%81%A3%E3%81%9F%E7%94%B7-%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%88/dp/400061150X

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