オウムは戦争に負けたのだ、と認識することも可能だ。
省庁を設置するなど国家のような組織を構築していたオウム真理教は、
脳内に宗教王国を作っていたのかもしれない。
しょぼい独裁国家の首領として麻原彰晃はそれなりに悩み、知性に乏しいけど解決策として戦争を思いついたのだろう。
アメリカだってロシアだって中国だってすぐ武力に訴える。
各地の戦闘で多くの人が殺されても、殺した兵士は罪に問われない。
国などの共同体の組織を維持するための暴力や抑圧は、その組織の中では否定されない。
自衛軍は他国の支配組織の侵入を拒絶し、警察は国内秩序を崩壊させる要素を排除する。
その時に相手を傷つけても、組織を守るためのやむをえない行為として肯定される。
組織の維持発展に支障が出れば物理的な圧力や破壊で抑え込みや突破を試みる、というのは人類が共同体を作り始めてから何万年も続けてきた行為だ。
オウムの人たちも、自らの脳内宗教王国の維持のために、戦争に打って出たということは想像できる。
ただ、オウム真理教は独立王国ではなかった。
だから、国家組織の維持発展を阻害する要因として見なされ、破防法を適用され、組織の解体に追い込まれた。
国家による戦争であれば、指導的立場の人が罰せられるだけで、人を殺した戦闘員たちも平和な戦後を楽しむことができたけど、オウム真理教の信者たちは末端の兵士ですら、死刑を宣告された。
ぼくは、死刑が確定したオウム真理教関係の人たちに、手を合わせる。
無念かもしれないが、因果関係の結果、このようなところにたどり着いてしまった。
オウムのことを全否定することに違和感をおぼえる人もいる。
ぼくは、手を合わせ、獄内で安らかな心を得られることを、想像する。
オウムの兵士たちがみんな死刑になるのであれば、
日本人だって戦後皆殺しになれてもおかしくなかった。
悪い政府に庶民は引きずりこまれただけだと言う人もいるけど、当時は庶民もメディアも過半数が戦争を肯定していた。
一般市民も、殺人の実行者であり、その支援者だった。
古代の中国では戦争に負けた国の市民がことごとく皆殺しにされたこともあると聞く。
日本が戦争に負けて、歴史も人間も抹殺されるという可能性は、ゼロではなかった。
肯定される善や否定される悪、組織や秩序の創出・維持・崩壊にみられる法則、そういったことについて考えていると、
何かを絶対的に肯定されるものと認識し、何かをまったく価値がないものとして切り捨てるという意識を、自覚するようになる。
オウム真理教を絶対的に否定されるべきものと認識する人は、
日本の国家や、民主主義の思想をベースに構築された組織の維持を無意識に絶対視する人なのかもしれない。
それは、オウムの人とたいして変わらないレベルの意識なのかもしれない。
ほんとうに平和な世界というものは、組織や秩序や枠組みを堅持していくという姿勢では達成できないのではないだろうか。
組織や秩序はどのように生じ、やがて崩壊するのだろう。
認識・判別できるものと、できないもの境はどのあたりにあるのだろう。
秩序の対極にある混沌は、秩序の源になりえるだろうか。
肯定や否定とはどういうものなのだろう。
言葉とは何だろう。言葉にならない概念を抱いて思考できるだろうか。
人々の意識が進化した、調和あふれる世の中を求めるなら、物事の因果関係を学ぶ授業を学校教育で行うべきだと思う。
東大に行っても「人を殺す戦争はだめ。死刑も同じように人を殺す。どちらも認められない」というような浅いことをホリエモンは言う。
裁判官や検察官ですら善悪の起源について考えていない人が多い。
外国語ができても自分の意見を言えない人はめずらしくない。
お金があっても心に余裕のない生活をしている人は多い。
日本には、学歴エリートは多いけど、社会組織の維持発展に役立つ人材しか育ててこなかったのかもしれない。
知性とは、そんな狭い目的のために存在しているものではないはずだ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110215-00000091-jij-soci
■オウム土谷被告の死刑確定へ=「サリン生成の中心」―最高裁
時事通信 2月15日(火)15時6分配信
地下鉄、松本両サリン事件などで殺人罪などに問われ、一、二審で死刑となったオウム真理教元幹部土谷正実被告(46)の上告審判決で、最高裁第3小法廷(那須弘平裁判長)は15日、「サリンやVXを生成した中心人物で、被告の知識や経験がなければ一連の犯行はなし得なかった」として、被告側の上告を棄却した。死刑が確定する。
教団による一連の事件で死刑が確定するのは11人目。ほかに遠藤誠一(50)、中川智正(48)両被告が死刑判決を受け、上告している。
第3小法廷は、土谷被告が、松本事件で悲惨な結果が発生したことを認識しながら、その後もサリンやVXの開発・生成を続け、地下鉄事件などを引き起こしたと指摘。「犯行の実現に極めて重要な役割を果たし、責任回避の供述をするなど真摯(しんし)な反省も認められない。死刑を是認せざるを得ない」と述べた。
省庁を設置するなど国家のような組織を構築していたオウム真理教は、
脳内に宗教王国を作っていたのかもしれない。
しょぼい独裁国家の首領として麻原彰晃はそれなりに悩み、知性に乏しいけど解決策として戦争を思いついたのだろう。
アメリカだってロシアだって中国だってすぐ武力に訴える。
各地の戦闘で多くの人が殺されても、殺した兵士は罪に問われない。
国などの共同体の組織を維持するための暴力や抑圧は、その組織の中では否定されない。
自衛軍は他国の支配組織の侵入を拒絶し、警察は国内秩序を崩壊させる要素を排除する。
その時に相手を傷つけても、組織を守るためのやむをえない行為として肯定される。
組織の維持発展に支障が出れば物理的な圧力や破壊で抑え込みや突破を試みる、というのは人類が共同体を作り始めてから何万年も続けてきた行為だ。
オウムの人たちも、自らの脳内宗教王国の維持のために、戦争に打って出たということは想像できる。
ただ、オウム真理教は独立王国ではなかった。
だから、国家組織の維持発展を阻害する要因として見なされ、破防法を適用され、組織の解体に追い込まれた。
国家による戦争であれば、指導的立場の人が罰せられるだけで、人を殺した戦闘員たちも平和な戦後を楽しむことができたけど、オウム真理教の信者たちは末端の兵士ですら、死刑を宣告された。
ぼくは、死刑が確定したオウム真理教関係の人たちに、手を合わせる。
無念かもしれないが、因果関係の結果、このようなところにたどり着いてしまった。
オウムのことを全否定することに違和感をおぼえる人もいる。
ぼくは、手を合わせ、獄内で安らかな心を得られることを、想像する。
オウムの兵士たちがみんな死刑になるのであれば、
日本人だって戦後皆殺しになれてもおかしくなかった。
悪い政府に庶民は引きずりこまれただけだと言う人もいるけど、当時は庶民もメディアも過半数が戦争を肯定していた。
一般市民も、殺人の実行者であり、その支援者だった。
古代の中国では戦争に負けた国の市民がことごとく皆殺しにされたこともあると聞く。
日本が戦争に負けて、歴史も人間も抹殺されるという可能性は、ゼロではなかった。
肯定される善や否定される悪、組織や秩序の創出・維持・崩壊にみられる法則、そういったことについて考えていると、
何かを絶対的に肯定されるものと認識し、何かをまったく価値がないものとして切り捨てるという意識を、自覚するようになる。
オウム真理教を絶対的に否定されるべきものと認識する人は、
日本の国家や、民主主義の思想をベースに構築された組織の維持を無意識に絶対視する人なのかもしれない。
それは、オウムの人とたいして変わらないレベルの意識なのかもしれない。
ほんとうに平和な世界というものは、組織や秩序や枠組みを堅持していくという姿勢では達成できないのではないだろうか。
組織や秩序はどのように生じ、やがて崩壊するのだろう。
認識・判別できるものと、できないもの境はどのあたりにあるのだろう。
秩序の対極にある混沌は、秩序の源になりえるだろうか。
肯定や否定とはどういうものなのだろう。
言葉とは何だろう。言葉にならない概念を抱いて思考できるだろうか。
人々の意識が進化した、調和あふれる世の中を求めるなら、物事の因果関係を学ぶ授業を学校教育で行うべきだと思う。
東大に行っても「人を殺す戦争はだめ。死刑も同じように人を殺す。どちらも認められない」というような浅いことをホリエモンは言う。
裁判官や検察官ですら善悪の起源について考えていない人が多い。
外国語ができても自分の意見を言えない人はめずらしくない。
お金があっても心に余裕のない生活をしている人は多い。
日本には、学歴エリートは多いけど、社会組織の維持発展に役立つ人材しか育ててこなかったのかもしれない。
知性とは、そんな狭い目的のために存在しているものではないはずだ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110215-00000091-jij-soci
■オウム土谷被告の死刑確定へ=「サリン生成の中心」―最高裁
時事通信 2月15日(火)15時6分配信
地下鉄、松本両サリン事件などで殺人罪などに問われ、一、二審で死刑となったオウム真理教元幹部土谷正実被告(46)の上告審判決で、最高裁第3小法廷(那須弘平裁判長)は15日、「サリンやVXを生成した中心人物で、被告の知識や経験がなければ一連の犯行はなし得なかった」として、被告側の上告を棄却した。死刑が確定する。
教団による一連の事件で死刑が確定するのは11人目。ほかに遠藤誠一(50)、中川智正(48)両被告が死刑判決を受け、上告している。
第3小法廷は、土谷被告が、松本事件で悲惨な結果が発生したことを認識しながら、その後もサリンやVXの開発・生成を続け、地下鉄事件などを引き起こしたと指摘。「犯行の実現に極めて重要な役割を果たし、責任回避の供述をするなど真摯(しんし)な反省も認められない。死刑を是認せざるを得ない」と述べた。