波打ち際の考察

思ったこと感じたことのメモです。
コメント欄はほとんど見ていないので御用のある方はメールでご連絡を。
波屋山人

寄付をするなら、広告やDMで同情を買わせようとする団体は避けたい

2010-06-24 23:06:57 | Weblog
ニュースサイトやアマゾンなどを見ていると、ときどき目をうるませた子ども達の写真が目に入る。
寄付を募る広告だ。
特に、ワールドビジョンと、日本ユニセフ協会の広告が多い。

・ワールドビジョンジャパン
http://www.worldvision.jp/

・日本ユニセフ協会
http://www.unicef.or.jp/special/10sum/index.html

世の中には、純粋に人のためになることをしたいと思って寄付する人もいるだろう。
だけど、同情を誘うような勧誘方法に疑問を感じる人もいる。

ぼくは、ベトナムで子ども達を支えている人が書いた文を見て、少し考えさせられた。
http://koyamamichio.com/archives/2010/04/post_2160.html
「ボランティア・ストリートチルドレン・ベトナム 小山道夫火炎樹日記」
> 2010年04月17日
> これからの国際支援・国際協力は「人間を育てること」こそ
> 目指すべき課題である。
>
> 自立への取り組みをしないで、子どもたちの「泣き顔」と
> 「汚れた顔」ばかりをクローズアップし、「可愛そうな
> こどもたちを助けて」と支援要請をするNGOへの支援が
> 果たして長期的に見て、本当に支援として意味のあるのか?
> 疑問に思う。
>
> JASSは現地で17年間活動をしているが、ストリートチルドレン
> やこどもたちはけして「泣き虫」ではない。もっと「したたか」
> で明るく、活動的である。メソメソ泣いているこどもたちなど
> 皆無に等しい。

ポンと寄付をして充足感を得るのもいいけど、子ども達を助けるとはどういうことか、どのような援助がほんとうに子ども達のためになるのか、そういったことをよく考えてから出すお金は、とても価値があるものになる。
広告に目をうばわれ、助けたい気持ちになるのもいいけど、それが表面的でないかどうか、ちょっと立ち止まって考えてもいい。

実際に現場で子どもたちと向き合い、その思いを伝えてくれる人にぼくは心をゆさぶられる。
子ども達に向き合ってがんばっている人を、直接応援したい気持ちになる。

だから、ぼくは、寄付をするならベトナムで子ども達を支えている小山道夫さんの「JASS」か、
ミャンマーで子ども達の命を救っている吉岡秀人さんの「ジャパンハート」に寄付したいと思っている。
ヤンゴンで旅行会社を経営する西垣充さんがプロデュースした、目が不自由な人たちが働く医療マッサージ店に行くことも、寄付におとらない価値があるだろう。

大きな団体に寄付をすると、どのようにお金が使われているのか見えにくくなる面もある。
スタッフの給料や広告宣伝に使われるお金も何億、何十億といった規模になる。
運営費を得るためにも、人々の心に「かわいそう」という同情心を生じさせてお金を集めることが大事な仕事になる。

もしも、日本ユニセフ協会やワールドビジョンといった大きな団体が、スタッフの給料や広告宣伝費を減らしてもいいと思うのであれば、さまざまな小さなNGOの取り組みを紹介する「ボランティア&寄付」紹介の情報サイトを作ってみてはどうだろうか。
多くの人が、現地で活動しているNGOの人たちに直接寄付金を送るだろう。
同情やあわれみの心ではなく、応援や共感の心で気持ちよくお金を出してくれるだろう。

先ほど、ぼくもジャパンハートのサイトから少し寄付をした。
何も手伝えずもどかしいけど、がんばっている吉岡秀人さんに感謝し、応援している。
ワールドビジョンや日本ユニセフ協会のパンフレットより、吉岡さんのブログはぼくの心に迫ってくる。
目に涙が浮かんできたことも一度や二度ではない。


・JASS(ベトナムの「子どもの家」を支える会)
http://www001.upp.so-net.ne.jp/jass/

・ジャパンハート(発展途上国で子供を救う国際医療協力ボランティア医療団)
http://www.japanheart.org/

・発展途上国の子供を救え!小児外科医吉岡秀人の戦い
http://japanheart.exblog.jp/

・サネイトラベル(ヤンゴンナウ)
http://www.yangonow.com/jpn/index.html



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リアル両津勘吉

2010-06-24 00:25:32 | Weblog

両津勘吉といえば人気マンガ『こちら葛飾区亀有公園前派出所』、通称こち亀の主人公。
眉が太く腕が太い。ワイルドでおもしろい人気のキャラクターだ。

いつだったか、1982年小学館発行の藤村久和さん著『アイヌの霊の世界』を読んでいたら、『アイヌ―日本文化の基層』という鼎談コーナーで、藤村久和さん、梅原猛さんと意見を交えていた成田得平さん(当時北海道ウタリ協会教育文化部部長)の写真があまりにも両津勘吉に似ているので思わず笑顔になってしまったことがある。



今日、『イフンケ[子守歌] あるアイヌの死』という1991年発行の本を読んでいたら、そこにも凛々しい成田氏の写真が出ていて、また両津勘吉を思い出してしまった。



成田氏は、1977年に33歳だったということは、現在66歳くらいだろうか。
Wikipediaには最新の情報がある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E8%BE%BA%E5%BE%97%E5%B9%B3
1976年、北海道ウタリ協会理事に就任。
1987年、釧路市に戻りアイヌ伝統文化の復興運動に取り組む。
1977年、参議院選挙全国区に立候補するが落選。
1990年、『釧路アイヌ民芸企業組合』代表理事に就任。釧路市教育委員会の教育相談員となり、ウタリ協会釧路支部長も兼務。『成田』姓を、母方の『秋辺』姓に改姓。
1992年、北海道ウタリ協会釧路地区支部連合会会長となる。
2001年、北海道ウタリ協会副理事長に選出。
2009年、「千島・道東アイヌ協会」を設立するが、北海道アイヌ協会内で分裂行為との批判が高まり、北海道アイヌ協会副理事長を辞任。北海道アイヌ協会の受託事業をめぐる経理処理の問題で、2010年2月1日、北海道アイヌ協会の理事を解任される。


あれ、この問題って砂澤陣さんが問題視していた話では。
やっぱりそうか。成田得平さんあらため秋辺得平さん、きびしい状態だ。
こち亀ファンを悲しませないように、堂々とふるまっていただければと思う。

・後進民族 アイヌ
http://koushinminzoku.blog117.fc2.com/blog-entry-106.html



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大学行くならJIMKWARC(ジムケーワーク)

2010-06-24 00:00:37 | Weblog
早慶上智とか、MARCHとか、東京の有力私立大学をめぐってはさまざまな呼称がある。
いちばん入学試験が難しいと思われているのは早稲田と慶應、上智とICUで、それに明治、青山、立教、中央、法政などが続いているらしい。
だけど、一部では学習院を加えてGMARCH(ジーマーチ)という人がいたり、法政を省いてMARC(マーク)などと言う人もいる。

そこで、ぼくもひとつ新しい呼称を考えてみた。
JIMKWARC。ジムケーワークと読む。事務系ワークっぽい響き。
首都圏有力私立大学の新呼称。だいたい3教科の偏差値が60以上。
Googleで検索すると一件もヒットしない。とりあえず、ぼくが言い出しっぺだ。

J 上智
I  ICU
M 明治
K 慶應
W 早稲田
A 青山学院
R 立教
C 中央

上記の大学に行けば入社試験の書類審査ではねられる可能性は低い。
大手企業には上記の大学出身者が多く、そこそこの難関大として一定の評価もある。

ついでに、全国のキリスト教系おしゃれ有力地方私大もまとめてみた。
DSKN。ダスキンと読む。

D 同志社(京都)どうししゃ
S 西南学院(福岡)せいなんがくいん
K 関西学院(神戸)かんせいがくいん
N 南山(名古屋)なんざん

あるいは、青山学院やICUや上智(Sophia)も加えて、
全国の有力キリスト教系おしゃれ私大、DASKINS(ダスキンズ)を名乗ってもいい。

まあ、私立大学はお金がかかるから、実家から通学している人の割合が多いらしい。
地方では東京の有名私大に行くよりも、地方国立大学に行ったほうが評価される風潮もある。
世界の大学ランキングやアジアの大学ランキングでも、なぜか有名私大よりも地方国立大のほうが評価が高い。

有力私大は入学試験の競争がはげしい割に、合格者の過半数が国立大などに流れてしまったり内部進学の人が多かったりするので、入学者の平均レベルはがくんと落ちる。
卒業生が多いから各界に影響力はあるけど、学生あたりの教員の数が少ないから、研究機関としては業績を上げにくいのかもしれない。

幸いなことに最近は少子化の影響もあり、有名大学に入ることがやさしくなっている。
ほんの少し努力するだけで、有名私大や国立大に行くことができる。

最低限の努力で最大の利益を得るためには、上記JIMKWARC(ジムケーワーク)とかDSKN(ダスキン)、旧7帝大(北海道、東北、東京、名古屋、京都、大阪、九州)や旧5官立大(一橋、東京工、筑波、神戸、広島)などに進学すればいい。

小中学校のときから塾に行く必要もない。偏差値50程度でも、入試前に半年でも努力すれば、上記の大学のどこかにはもぐりこめる可能性は高い。
そのうち、ハードな勉強をしなくても、きれいなノートを作らなくても、そこそこの大学に合格できるというものぐさ学習方法をメモしてみたいと思う。


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短歌絶叫コンサート

2010-06-23 23:25:50 | Weblog
きのう、福島泰樹の短歌絶叫40周年コンサートに行った。
彼女と吉祥寺駅で待ち合わせて、スターパインズカフェへ向かう。
4daysの2日目だが人が多い。
チケット売り場でぼくらは当日券を購入したけど、目の前の白髭のおじさんは「チケットはありますか」と聞かれ、「ん? 招待状あるけど、オレは当日券買うよ」と言っている。歌人の方だろうか。かっこいい。

今回のライブは、40周年の記念でもあるけど、今年亡くなった立松和平さんを追悼する会でもある。
20周年も30周年も、立松さんが実行委員長だったらしい。
親しい人が去り、福島さんはさみしそうだ。
「二日酔いの無念極まる僕のためもっと電車よまじめに走れ」
サングラスの奥の目がじっとこっちを見ている気がする。

20年前、まだ若かったぼくはビッグトゥモローという雑誌をときどき読んでいて、そこではじめて歌人福島泰樹の名を知った。
吉祥寺の曼荼羅に短歌絶叫コンサートを見に行ったのは16~17年前。当時、50手前だっただろうか。現在も変わらない姿に見える。
何度か絶叫コンサートを見ているが、一昨年東京ポエトリーフェスティバル2008で行われた朗読は広い会場でも存在感が大きく、おもわず背筋をのばして聴き入った。

ぼくは学生運動や労働運動といった組織的な動きにあまり関心はない。
シュプレヒコールもアジ演説も知らない。
自己実現とか上場実現とか、競争に勝利とか資産の形成などにも興味がない。
価値についての思い込みが何かを成し遂げることもあるだろうけど、それがどれほどの価値を持つか懐疑的だ。
人生ゲームやトランプゲームで大勝利して充実感を得るのもいいけど、それが人生の大目標だとは思えない。

そんな脱力系のぼくだけど、無気力なわけではない。
組織と混沌の接するところに興味を持ち、人々が守ろうとすることと否定しようとすることの境界に関心を寄せ、五感で感知できるものとできないものの存在に意識的になる。
息をひそめた静かな様子に見えるけど、これはとてもむずかしいバランスを試みている状態なのだ。

そんなぼくにも、福島泰樹さんの言葉は強く響く。
彼のシュプレヒコールは夕焼けに屹立する銭湯の煙突のように美しい。純情な若者たちがもがき、踏ん張った時代の空気を今に伝える。

福島泰樹さんは偉そうにふるまわないし、人をばかにしない。まっすぐに人の目を見る。
時には強く見えたり主張したりしているように見えるときもあるけど、それは誰かを否定したり追いやったりしようとする姿勢ではない。

人の世話をやいたり、亡くなった人のことを悲しく思ったりしているのは、彼がとても優しいからだ。
見返りを求めない愛情、不特定多数の人に対する優しさがあるから、悲しさを感知し、亡くなった人を惜しむ。
その思いを短歌に託し、人々に向けて叫ぶ。床を蹴ってすっくと立つ。
無念を抱いて亡くなった人に共感する、彼の優しさがじんじん伝わってくる。

ノンポリかつものぐさで挽歌という字すら書けない彼女も福島泰樹さんに魅力を感じている。
歌人岸上大作が亡くなる直前に書いた「ぼくのノート」の朗読について、前回も聞いたけど今回もとても良かった、と感想を述べていた。
文学を知らない人も引き寄せられる福島泰樹の存在は、多くの人に知ってもらいたいほしいと思う。


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薬酒

2010-06-23 22:23:37 | Weblog
この一か月、体調がすぐれなかった。
長年の過労によるダメージもあるのだろう。
肩の奥から背骨にかけて神経にさわったような痛みが走り、体も重くなった。
ふらつきそうになるときもあれば、手から血の気が引いていくこともあった。
医者によると帯状疱疹の可能性もあるということだったので、抗ウイルス剤を服用したけど、なかなか改善しなかった。
だけど、この1週間くらいは痛みもだいぶなくなり、すこし肩に痛痒い感じが残っているだけだ。

先日、気まぐれに青梅と氷砂糖、ホワイトリカーを買ってきて梅酒を仕込んだ。
子どものときに親が作っていたスタンダードな梅酒だ。

1年前に仕込んだものは、青梅と氷砂糖のほかに飛騨高山や奥志賀で購入した薬草や生薬を加え、芋焼酎に漬け込んだもの。

氷砂糖がシロップのようにべたついているが、生薬の苦味も利いている。
この薬草や生薬は胃や肝臓の調子を整えるとも言われている。
なかなかおもしろい味。
何より、鮮やかな黄色がきれいだ。

今朝、駅の階段を駆け上ったら2段飛ばしでもまったく息があがらなかった。
体の調子のいいときに戻った感がある。

幼い頃から、梅酒や養命酒は口にしていた。
辛いものを食べるとバカになる、と言われて味噌ラーメンに唐辛子をふりかけることもできなかった小学校時代だけど、梅酒に入っていたしなびた梅はたくさん食べていた。種を歯で割って白い核を食べるのも習慣だった。

大学生のときはサークルで各種の薬酒を作り、学園祭で販売していた。
ショウガ種、カリン酒、コーヒー酒、ニンニク酒、イチゴ酒、等々。
白ワインにセイジやタイムなどのハーブを漬け込んだワインを売ったこともある。

社会人になると、イエガーマイスターの味を知った。
ぼくの勤務先の訴訟を担当したこともあるという弁護士が、あるバーで教えてくれた。
(ぼくが過労で倒れたらその人に弁護をしてもらうつもりだ)
なんだか養命酒のような味だとも思ったけど親しみやすい味なので、このドイツのハーブリキュールはときどき買って飲んでいる。

それにしてもなぜこんなに急に体調がよくなったのだろう。
慢性的な鼻炎でなかなか鼻呼吸ができないことが多いのに、昨日も今日も静かに鼻で呼吸ができる。はれぼったいまぶたのかゆみもなくなっている。頭もちょっとすっきりしてきた。
アレルギー症状が劇的に改善することによって、呼吸もしやすくなり、体調にもいい影響を与えているのだろうか。

今年も何パターンかの特製梅酒を造って、来春の杉花粉のときに飲んでみよう。
もし、花粉症に効くようだったら大量生産を試みて、ビジネスでもやってみようかな。


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キャリア官僚

2010-06-22 23:22:46 | Weblog
トップクラスの頭脳を持つ学生が、官僚になることを避ける傾向が強まっている。
東大や京大で学んだある男がキャリア官僚の先輩たちに話を聞きに行ったところ、みんな官僚になることをすすめなかったという。
安い給料で単純な作業をやらされたり、ひたむきにがんばっているのに一般の人から責められたりして、労力のわりに報われることがないと感じている人が多いのだろうか。

かつて東大理Ⅲでもどこでも余裕で受かると言われていたその男は頭脳も性格も容姿も申し分なく、大学卒業後も好きな会社に行けると思われていた。
最終的に、キャリア官僚になることは避け、日銀や外資系証券会社数社から内定をもらい、来春からある外資系証券会社に行くことが決まった。

学者になればそれなりにレベルの高い研究をして世の中に貢献できるだろうし、官僚になってもさらに活躍の場を広げることができるだろう。
そんなトップクラスの頭脳を持った人が、外資系の証券会社やコンサル会社に続々と就職している。
それは、当人や世の中の人たちにとって利益になることなのだろうか。

森巣博さんとテッサ・モーリス=スズキさんの息子さんも金融系(ヘッジファンド)に進んだかと思うけど、天才的な数学の才能を、金融の世界で駆使することは、どのようなやりがいがあるのだろう。
お金を稼ぐことをのぞけば、何が残るのだろうか。

ぼくには、金融の魅力がわからない。
儲けられることはすごいと思うけど、いったいどういった仕組みでお金が集まるようになっているのだろう。
芸術に興味がある友人は金融に興味がない人が多いけど、金融関係の人はあまり芸術に興味がないのだろうか。

まあ、知らないことについて評価することはできない。
ラーメンをあまり食べない人がラーメンに関して的外れなことを書いてしまうように、ぼくもまったく金融のおもしろさを理解できていないだけかもしれないから、これ以上書くことはひかえておこう。


http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C93819481E0E3E2E1998DE0E0E2E4E0E2E3E2E2E2E2E2E2E2
■国家1種合格、倍率8年ぶり20倍超 10年度
採用はさらに狭き門 2010/6/22 10:11 (日本経済新聞)
 人事院は22日、中央省庁の幹部候補となる国家公務員1種採用試験の2010年度の合格者を発表した。合格者数は昨年度より180人少ない1314人で、応募者総数に対する倍率は20.5倍。倍率が20倍を超えたのは02年度以来、8年ぶりだ。公務員の人件費圧縮のため、政府が打ち出した新規採用抑制の方針などが影響した。
 女性の合格者は272人。全合格者数に占める割合は20.7%で、過去最高を記録した。合格者は23日から始まる各省庁による面接などを経て、おおむね来年4月に採用される。政府の方針を受け、最終の採用予定数は昨年度より66人減の531人に絞り込まれる。過去10年の採用数は600人前後で推移しており、志望者にとっては一段と狭き門となりそうだ。
 合格者を出身大学別にみると、東大が428人で最も多く、次いで京大(157人)、早大(71人)が続いた。


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脱社内交際

2010-06-22 23:20:57 | Weblog
ある会社に、Xという男がいた。
向上心が強く、夜間大学院で学んだり曲を作ったり、さまざまな活動に取り組んでいた。
その後、転職してから消息を耳にしなかったが、そのうちかつての職場の後輩女性と結婚した。
奥さんの地元で行われた結婚式には奥さんと親しい同僚のAさんも出席した。

だけど、じつはXという男は、かつてAさんに執拗に迫っていた。
当時結婚していたXさんは、「妻と別れるから付き合ってほしい。Aさんのような人が好きなのだ」と熱心に言い寄っていた。

もしかしたらXさんはAさんと親しいときがあったのかもしれないけど、AさんはXさんのことを受け入れず、「別れる気もないのにあんなことを言う人は信じられない」と眉をひそめて拒絶した。
やがて、Aさんは同僚の男に声をかけて付き合い始め、Xさんと距離を置くことになった。

Xさんの奥さんは、夫が自分の友人にアタックしていたことをいまだに知らないのかもしれない。
結婚式のとき、Xさんはむかし自分が好意を寄せていた人からの視線を、どのように感じていたのだろう。
残念ながらAさんはその後もずっと独身だ。(追記。7月末に入籍するらしい)
もし、Xさんがもっと早く前の奥さんと離婚していたら、Xさんと結婚していたかもしれない。

そんな事例はめずらしいことでもなく、社内恋愛は時にややこしい状態におちいる。
社内恋愛には利点もあるが不利な点も多い。

利点は何だろう。
・相手のプライベートな顔もオフィシャルな顔も知ることができる。
・勤務時間中でもすぐ連絡がとれる。
・おたがいの仕事を理解しやすい。
・耳に入る社内の情報が増える。
・社内の人脈が広がる。
・プライベートでも仕事の話が気軽にできる。
・仕事の面でも支えあうことができる。

不利な点は下記のようなところだろうか。
・社内ではプライベートのときと接する態度を変えないといけない。
・付き合っていることを社内で隠そうとすると同僚と距離が生じる。
・相手に対するよくない評判が耳に入ると嫌に思うことがある。
・2人のことについてうわさ話をされると気になってしまう。
・プライベートでの喧嘩を会社にまで持ち込んでしまう。
・2人いっしょに休みを取るときに周囲の人の目が気になる。
・相手よりも同僚のほうを信頼すると、仲に亀裂が入りやすい。
・別れたあとに当人と顔を合わせづらい。
・別れたあとに社内の別の人と付き合いづらい。

不利な面は少なくない。
ただ、行動範囲が狭い人にとっては、社内で相手を見つけることは楽な選択肢だ。
当初印象になかった人でも、よく顔をあわせていると見慣れてくる。
感情移入してくると、魅力的なところもあると思えてくる。
社内恋愛1人目か2人目で結婚してしまえば、安定した日々を続けることができるかもしれない。

ぼくはずっと社内恋愛には興味がないと公言していた。
なんだか好奇心の乏しい人が身近なところで世界を完結させようとしているように思えて、そんなことはしたくなかった。

だけど、なりゆきで予想外の状態におちいることもある。
世の中には珍しい人もいて、休日に出かけないかという誘いを社内メールで送ってくる人もいるし、飲み会でめったに見ない美形がいるなと思ってつい何度も眺めていたらアパートまで送っていってほしいと言われることもある。

でも、別れた人とは二度と交流を持たないという人は、社内の人と別れるたびに社内での活動範囲を狭めてしまう。

ぼくのおすすめは、同業他社の人と付き合うことだ。
とくに、ライバル会社の人とつきあうと、その会社の内情を知ることができて興味深い。

社内恋愛では会社の内情に詳しくなるけど、勤務先の濃厚な人間関係を知っても視野が狭くなるばかりかもしれない。

ライバル会社ではどのような仕事の進め方をしているのか、どのような職場環境で、転職率やうつ病率はどのくらいか、誰がリーダーシップをとっているのか、などと言ったことも把握すると視野が広がる。

ライバル会社ではなくても、同業だと仕事の進め方について話をしやすい。
編集者やライターだと、企画案作りや文章のライティング、テープ起こしから資料の収集まで、助け合うことが可能だ。
編集やデザインなどに関するイベントに一緒に行くこともできる。

女性編集者は、多くの人と会ったり、ハードワークに耐えたり、センスのいいものを見てきた人が多い。
しっかりしているのにわりと腰が低く、穏やかそうなのにタフで、静かだけど話の引き出しが多い。
いろんな人を見てきているから、奇人変人とも付き合える人が多い。
女性としゃべることが苦手な人がどもったりあせったりしても、平然と接してくれる。
すばらしい人が多いので、編集者はおすすめだ。


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知能指数

2010-06-21 23:24:25 | Weblog
以前、ユダヤ人と日本人の平均知能指数が高いと噂されていたことがあったけど、最近では韓国人の平均知能指数が高いと言われているらしい。
いつだったか、韓国のメディアで「韓国人は世界2位の知能指数」と報じられ、韓国の人はうれしそうだった。

だけど、ある程度勉学に励めば、脳が刺激されて知能指数が上がると言われているから、受験勉強に追われている国の人たちの平均知能指数が少しぐらい高くても不思議はない。

知能指数の高い人は知識量が多かったり理解が早かったり判断がすぐれていたり、優秀だなと感じることが多いけど、知能指数が低くても頭の回転の速い印象を与える人は多い。

知能指数の高さが、創造力や包容力や指導力や発想力などにつながるとは限らない。知能指数が平凡でもすごい研究を行っている人や優秀なリーダーはいるし、すごい創作を行っている人もいる。
そうかと思えば、知能指数の高さに安住して努力をしなかった人もいる。知能指数が高いことを鼻にかけてエリート路線を歩み、肉体を酷使して必死に生きている人のことを見下しているようなすような、知的だとは言いにくい人もいる。

知能指数について、Wikipediaには下記のような記述がある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A5%E8%83%BD%E6%8C%87%E6%95%B0
> IQとは、知能検査の結果を表す数値である。「生活年齢と精神(知能)年齢の比」を
> 基準とした「従来のIQ」と、「同年齢集団内での位置」を基準とした「DIQ」の
> 2種類があるが、従来のIQはあまり使われなくなりつつある。

また、「知能指数」で検索すると上位に立命館大学文学部、佐藤達哉(サトウタツヤ)先生のエッセイがヒットした。
「知能指数」という本も出されたことのある、心理学の先生のようだ。

http://www.ritsumeihuman.com/essay/files/sato3.html
> あるテレビ番組製作会社から電話がきた。2003/01/08)
>(略)
> テレビ製作会社氏が知りたいのは「日本人の平均知能指数はいくつか」ということ
> であった。これに付随して、あるサイトで「日本人の知能指数の平均は115と
> 書いてあったがこれはホントか」という質問もあった。
> さて、この問いに対する答えは簡単なものである。
> 知能指数の平均は常に100です。
> というのがそれである。
> 細かいことは省くが、知能検査というのは平均が 100になるように作られている
> のだから、これ以外はあり得ない。したがって、「日本人の知能指数の平均は115」
> というのは正しくないことになる。こういう記述は「意味もない自国民の優位性」を
> 作り出している。そういうのはダメ、というと、「そのHPには確かに日本人は優秀だ
> と書いてありました」との答え。「それは何かゆがんでるよ」と指摘を加えた。
>(略)

興味深いエッセイだけど、論理が少し混線しているようだ。
制作会社の人は、「世界各国の人が知能指数検査を受けた場合、日本人はどのあたりに位置していることが多いのか」、ということを聞いている。
あるいは、「標準となる国際的な母集団を想定した知能指数のテストにおいて、日本人の平均知能はいくらか」と言ってもいいだろう。
「日本人の中で、日本人の平均知能指数はいくらか」などということは聞いていない。
先生には伝わらなかったのだろうか。

先生としては、特定の民族の優位性を示すような結果には生理的嫌悪感をおぼえるのかもしれないけど、研究者であれば、様々な事象に対し、奢ったり卑下したりせず、事実は事実として受け止めるべきではないだろうか。

ある思想信条によってある事実を見ないことにする、というのは、研究者らしくない姿勢だ。科学の発達を阻害する原因になる。
「何かゆがんでいる」と言われかねない。
(だが、そういう言い方は抽象的でレッテル張りのような言い方なので、合理的な人はあまり言わないだろう)

神の冒涜だと非難される恐れがあっても、戦後民主主義の否定につながると否定されるおそれがあっても、良い子はそんなものをさわっちゃいけませんと言われても、社会に何も貢献しないだろうと言われても、知的好奇心旺盛に物事の仕組みを解明しようと試みるのが、科学者ではないだろうか。

制作会社の人が、「京都府民の平均知能指数が高いってほんとうですか?」とか
「立命館大生の偏差値が高いってほんとうですか?」と質問したらどのように答えるのだろう。
「知能指数の平均は常に100です」「偏差値の平均は常に50です」と答えるのだろうか。
日本国民の中での京都府民の知能指数を聞いているのに。
全国大学生の中での立命館大生の偏差値を聞いているのに。

どうせなら、「日本国民の平均知能指数よりも、京都府民は2ポイントくらい高いのですが、表裏のある態度や気位の高さが、知能の発達に結びついていると思われます。べつに頭がいいというわけではないです」とか、
「立命館大生は、入学時は進研模試の基準で偏差値が平均60もあります。だけど、卒業時は偏差値55くらいの力に退化しているようです」とか、
「世界各国の人を母集団にした中では日本人の平均知能指数は高くなりがちです。だけど、それは受験勉強や管理教育の影響が考えられます。勉強熱心な韓国やシンガポールにいつ抜かれるかわかりません。それに、平均知能指数が高いからといって人として優れているというわけではないので、一喜一憂すべきではありません。ほんとに指標が好きな、周囲の目ばかり気にする人ですね、つまらん」と言ってもいい。

知能指数の日本人平均を聞かれて100と答える人でも、
「日本人の平均身長は世界的に見て偏差値で言うとどのくらいでしょう?と言われたら
「平均身長の偏差値は常に50です」と答えたりはしないだろう。
「世界的に見て成人男性の平均身長は170何センチ半ばですから、日本人の平均身長は偏差値48くらいになりますね」などと答えるかもしれない。
それについて、「意味もない自国民に対する卑下が感じられる」などとは言わないだろう。
知能指数についても同じだ。
力むことなく、「世界的に見て平均的な知能指数を100とすると、日本人は105くらいになりますかね、ひとつの見方ですけどね」とでも言えばよいと思うのだが。なぜそのようにおっしゃらないのか、不思議だ。

追記 そういえば中学校のとき、クラスで一番知能指数の高かった女性(知能指数140)は立命館大学に進んだ。文学部だったかも。

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貧相問題

2010-06-06 18:07:07 | Weblog
貧困問題は聞いたことがあるけど、貧相問題なんて聞いたことがないという人も多いだろう。
政治や経済が注目される世の中において、何よりも重視されているのは、権力や金銭にかかわることだ。
貧困問題に熱心に取り組む人の多くも、政治や経済を重視する価値観の中で活動している。

だけど、お金がなくても、権力がなくても、豊かな日々を送っている人はたくさんいる。
ぼくの彼女は貯金もなく学歴もなく職がないときも多いけど、なかなか楽しそうな日々をすごしている。
クリエイティブな人に会うことの多い雑誌編集では、刺激を得ることも多いようだ。
表現する力はないけど、いいものを読み取る力は身につけている。
料理、食器、お酒、映画、音楽、絵、文芸作品など彼女に教えてもらったものも多い。

政治思想的にはとくにこだわりがなく、共産党に投票することもあるし、右翼的だとの批判を受けることもあるミュージシャンを評価することもある。
自己啓発セミナーに行ったり新興宗教に入ってもべつにいいよ、とぼくが言うといやがるけど、「がんばらない人をつくる逆自己啓発セミナーをやったらおもしろいかも」などとぼくがつぶやくと、それいいねー、と反応する。

特定の主義主張に基づいて何かを否定する傾向のない彼女は、たんに怠惰でマイペースなのんびり屋なのかもしれないけど、ストレスをためない彼女のようなスタイルも悪くない。
楽しい日々を長く続けられそうだ。


貧困問題に取り組む活動家は、楽しい日々をすごしているのだろうか。
失礼ながら、貧困問題について論議している人たちの容姿や感性からは、貧弱な印象を受けることが少なくない。
むかしを思い出させるふしぎな髪型や服装。魅力的とは言いにくい肌と表情。
体のラインにも意識的ではないから、さわやかでない印象を受ける。
世の中のことについて発言するわりには表参道や代官山で人気の店も知らないし、インディーズシーンの音楽にも疎い。
料理に各種のハーブを駆使することもなければ、繊細なとれたて野菜のにおいにも鈍感だ。
だけど、社会体制を変えれば、人々がもっと豊かに暮らせると考えている。
ほんとうにそうなるのだろうか。

貧困問題に取り組めば、政治や経済を重視している人たちは生きがいを感じることができるのかもしれない。
だけど、そんな彼らの背後には、貧相問題に取り組む人たちが迫り、追い越そうとしている。

貧困問題に取り組む人が政治経済の問題を重視しすぎているせいで、貧相問題が悪化しているのではないかと、貧相問題の活動家は認識している。
そして、貧相問題が解決すれば、貧困問題の解決にもつながることを、彼らに理解してもらおうとねらっている。

統計には現れていないけど、容姿や感性が魅力的な人は、就職も結婚も有利だ。差別を受けることも少ない。
整った顔や容姿に恵まれた人、笑顔のすばらしい愛嬌のある人、奥ゆかしくてもさまざまな感性の人を受け止められる広い心を持っている人などは、多くの人から受け入れられている。

容姿に恵まれず、芸術的感性にも乏しく、お金もなく、愛想もなく、社会的地位もない人が、世の中に不満を抱き、自分を肯定するためにも、すべての原因を世の中のせいにしている面もあるのかもしれない。

でも、それでは多くの人に共感してもらうことはむずかしい。
貧困問題について語る人は、ちょっと貧相問題を意識してもいいのではないだろうか。
自分の容姿的・感性的な貧相さを克服してから貧困問題について語れば、説得力が増す。
少なくとも、貧相問題について取り組むさわやかな人たちから、「あの人たちの言っていることには説得力はない。世の中が見えていない」などと言われることがなくなるだろう。

「お金がないと容姿のことに気がまわらないよ」
「元がわるいから改善できないよ」
「感性なんていまさらどうにもならないよ」
などと言う人は甘えている。そんなことでは貧困問題も解消できない。

貧困に悩む人と同じくらいの収入しかなくても、センスのいい暮らしをしている人は多い。
彼女たちがどんな雑誌を読んでどんなところに出かけているのかを知って、貧困問題解決の一助にしてほしいと思う。



追記 貧相問題はぼくの造語。特定の活動家のことは念頭においていない。ただ、社会運動に取り組んでいる大学の先生が、ヨレヨレのシャツを着て頭髪も見苦しく、講義も聞き取り辛かったことを思い出した。


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