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波打ち際の考察

思ったこと感じたことのメモです。
コメント欄はほとんど見ていないので御用のある方はメールでご連絡を。
波屋山人

新手の当たり屋に注意!

2008-01-30 19:41:59 | Weblog
今日のニュースによると、昨年あたりから新宿区や世田谷区を中心に、新しいタイプの当たり屋が出現しているようです。
こわい世の中ですね。ドライバーだけではなく喫煙者を狙い打ちにしたような攻撃や詐欺もあるんですね。


<参考>当たり屋
自動車・オートバイなどに乗車し、ターゲットとなる相手に交通事故を起こさせ、
法外な損害金・賠償金などを要求してくると考えられているグループのこと。
詐欺や恐喝などで逮捕されるグループもある。(Wikipedia)


http://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPJAPAN-30051220080130
■新手の当たり屋にご注意
2008年 01月 30日 13:56 JST
[東京 29日 ロイタン] 
昨年から新しい手口の当たり屋グループが都内を中心に活動している。従来は車に当たってきて医療費を要求するのが当たり屋の手口だったが、最近は様々な形態に進化し、歩行者も安全ではない。
昨年は都内だけで85件の届けがあり、被害は総額204万円に達した。届けのない被害はこの数倍の件数にのぼると見られている。今年に入りさらに被害は急増しており、警視庁も注意を呼びかけている。
特に新宿と世田谷区での被害が多く、主に下記のような当たり屋が報告されている。

<火当たり屋>
歩きタバコをしていると、知らないうちにすぐ斜め後ろに人が来ており、何気なくタバコを吸って手を下ろすと、「熱い!」「焼けた!」などの声が上がる。
傍らにいる人を見ると、手や服に灰が付いている。すぐ謝っても許してはもらえず、警察に行こうと言われる。拒むと医療費や服代を請求される。2~5万円の現金を要求されることが多い。
出社時に駅に向かう途中でよく出現。歩きタバコ禁止区域での出現も多い。
★対処法 その場でお金を払うことは避ける。自分の氏名住所を名乗り、相手の氏名と住所も聞いておく。後日連絡をとり、そこで金額を相談する。根本的には歩きタバコをやめるしかない。タバコ嫌いな人が喫煙者に対して故意に火当たり屋行為を行い、歩きタバコを妨害しているという例もある。

<煙当たり屋>
火当たり屋と似ている。嫌煙者が喫煙者に対して仕掛けることが多い。
歩きタバコをしていると、後ろから咳き込む声がする。さらに「くさい」「けむい」「うざい」などの小声が聞こえてくる。気持ちよく喫煙しているのに不快な気持ちにさせられる。
知らずに歩きタバコ禁止区域で喫煙していると、ケータイで写真を撮られてしまうこともある。
レストランの喫煙コーナーで喫煙しているのに、後で近くの席に来た人が「くさい」「だいなし」などと言うのも同類。
煙当たり屋は金銭を要求してくることは無いが、喫煙者に対しての攻撃を正しいと信じている、一種のエコテロリストだと言える。
★対処法 何を言われても怒ってはいけない。怒ると煙当たり屋の思うつぼ。タバコを吸わないのが一番の対処法。

<玉当たり屋>
この当たり屋の被害者はもっぱら女性。何気なく歩いていると、後ろに振った手が男性の股間を直撃してしまう。知らないうちに近くに寄ってきていた男は被害者のふりをして「うっ」などと声を出してうつむいたりするが、意図的に股間に手をぶつけさせている。
一種の変態的痴漢行為とも言える。
★対処法 混雑する駅構内などで大きく手を振って歩くことは避けましょう。

<横断歩道当たり屋(青信号当たり屋)>
道路を車で運転中、スピードをあげて赤に変わった瞬間の信号を過ぎようとした時、横断歩道の信号が青になったと同時に人が飛び出してきて接触する。
ちょっとくらい待っていてくれてもいいだろう、とドライバーは思うかもしれないが、赤信号を無視するようなドライバーに対するいやがらせのように、車へ体を接触させてくる歩行者もいる。
少ししか当たらなくてもその場にうずくまり、「足を轢かれた」「腕に打撲を負った」「警察をよんでくれ」などと主張してくる。場合によっては偶然を装って友人が一部始終を録画している場合もある。
赤信号を少し無視してしまったという事実もあるので、ドライバーは弱気になり、3~5万円の金額を支払ってしまうことも少なくない。
★対処法 信号無視になるようなことはやめましょう。

<骨刺さり屋(刺さり屋)>
当たり屋の一種に、刺さり屋というものがある。
惣菜店やスーパーに「おたくの惣菜を買ったら魚の骨が入っていた。知らずに食べたらのどに刺さって病院に行くことになった。時間もお金も夕食も無駄にした。どうしてくれる」と言いがかりをつけてくる。最終的には金銭を要求してくる。
★対処法 毅然と要求を拒否。住所氏名を聞き出してやりとりを録音し、病院への同行および診察を提案してみましょう。

© Roitan2008All rights reserved.

※ロイタン通信ニュースは、ロイたんの脳内ニュースを配信しています
(妄想の産物ってこと。偽ニュースなので誤解のないようにお願いします)

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はまの出版がついに破産

2008-01-29 19:37:45 | Weblog
文化通信とか新文化といった出版業界紙が、はまの出版の破産を告げている。
3年前にはすでに社員に対しての給料遅配がはじまっていたはず。
ずいぶん厳しいらしいということは耳にしていた。

1995年、はまの出版から単行本として刊行された佐渡裕氏(指揮者)の快作「僕はいかにして指揮者になったのか」を愛読していたので寂しく思う。
その本も2001年には新潮社の新潮OH!文庫に移ってしまった。はまの出版はおもしろい切り口の本をたくさん出していたけど、どうしてもキャッシュフローの危機を乗り越えることができなかった。

先日、明治公園にふと出かけたときも、倒産した草思社の旧本社ビルを見て寂しく思った。まだ壁や郵便受けには大きく草思社とか草思社クリエイティブだとか社名が光っていたけど、もう郵便受けにはテープが貼られていた。

今後、まだまだ中小の出版社の倒産は続くだろう。
だけど、一概に悪いことだとは言えない。ここ何年も自転車操業の出版社が増え、年間に出版される本の点数だけは増え、4割以上の本や雑誌が返品され、断裁処分になってしまうものも多い。
新聞社と出版社と製紙会社のことを、環境破壊会社だと思っている人たちもいる。
無駄をなくし、資源を大事に使うことを考えてもいい。
同じような本ばかりを出す出版社は多少減っても社会に大きな影響を与えない。

ほんとうに倒産しそうな会社は多い。
まじめな本を出していた歴史ある人文系出版社も厳しい。社民党の支持率とリンクするように某出版社の売上も激減だし。
エロ本系も苦しいだろう。他のメディアが優位に立っているので部数激減だし。

大会社は比較的安定しているところが多い。出版社とは言えないかもしれないけどリクルートはまだまだ大もうけ。ベネッセも健在。
だけど、学研は心配。
なぜあれだけの株価を維持できているのか不思議。売れる資産は売って、減らせる人は減らして、身軽にしないと大阪府の財政みたいに沈没しかねない。今も希望退職を募ってるみたいだけど、大丈夫だろうか。


・参考
はまの出版が破産手続き開始決定。負債は約3億円。
(文化通信)

1月25日、東京地裁に自己破産を申請し、同日付で同地裁から破産手続き開始決定を受けた。破産管財人は元木・上野法律会計事務所の上野保弁護士(TEL03-3501-2356)。債権届出期間は2月29日まで、財産状況報告集会は5月27日午前11時から。
(新文化)

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百瀬博教さんの訃報に愕然とする

2008-01-28 18:45:43 | Weblog
ヤフーニュースを目にして驚いた。
百瀬博教さんが亡くなられたというではないか。

2か月前のエントリでは
「今、一番生で見てみたいのは、はしのえみさんと、百瀬博教さん。(略)百瀬博教さんには、6月の鳥越祭に行けば姿を拝見することができるかな。かっこいい人だと思う」
などと書いている。
私は、百瀬氏を尊敬していた。いつか、機会を見て近寄ってみたいと思っていた。
だが、近付く機会は失われてしまった。

もう何年前のことだろう。高校時代に週刊文春を時々目にしていた私は、「不良ノート」という不思議な魅力をたたえたエッセーを楽しみにしていた。
石原裕次郎との思い出やアンダーグラウンドな世界の話。粋な話。純粋な心。懐の深さ。とてつもなくスケールの大きな視野を感じた。

氏の親が組長(親分)だったこともあり、アンダーグラウンドな世界に詳しく腕力にも自信があったようだけど、圧倒的な読書家であり、書籍のコレクターであり、詩人でもあった。
こういう人は、男性にも女性にももてる。
百瀬さんのことを理解しないで批判する人もいたけど、もてない感じの人が多かったような気がする。

どうしてこんなにすごい人が今まで世の中に知られていなかったのだろうと思っていたけど、そのうち格闘技番組などに顔を出すことが増え、一般にも知られるようになった。
コンスタントに本も出版され、私も雑誌のエッセーや新しい本を楽しみにしていた。ときどき公式サイトにもアクセスしていた。

デビュー作の自費出版詩集「絹半纏」。サイデンステッカー氏に声をかけ、東京を案内して作った共著「わたしの東京」。
残念ながらそれらの本はまだ読んでいない。読まないうちに、逝ってしまわれた。

2007年8月26日にサイデンステッカーさんが86歳で亡くなり、2008年1月27日に百瀬さんが67歳で亡くなられた。心からご冥福をお祈りする。

死恐怖症(ネクロフォピア)でもあった百瀬さん、浴槽で気を失い、おそらく恐怖は味わわなかったのではないだろうか。
安らかにお休みください。いつか、墓前に手を合わせたいと思います。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080128-00000062-jij-soci
■PRIDE仕掛け人の百瀬さん死去=自宅浴槽で意識失う-東京
1月28日14時1分配信 時事通信


 格闘技イベント「PRIDE」の仕掛け人として知られる作家の百瀬博教さん(67)が死亡していたことが28日、分かった。警視庁赤坂署は病気か事故とみて死因を調べている。
 調べによると、27日午前2時40分ごろ、東京都港区の百瀬さんの自宅で、知人が訪ねたところ、風呂の浴槽の中で意識を失っている百瀬さんを発見した。風呂は追い炊き式で、体が低温やけどで赤くなっており、救急搬送されたが、同日午後3時半ごろに死亡が確認された。
 百瀬さんのホームページによると、作家として「不良ノート」「プライドの怪人」などの著書があり、アントニオ猪木氏とも親交があった。「PRIDE」などの格闘技プロデューサーとして活躍していた。 


公式サイト「FOREVER YOUNG AT HEART」
http://hiromichi-momose.jp/onore/index.html


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朝青龍関、正月をごゆっくりお過ごしください

2008-01-26 21:48:49 | Weblog
両国での初場所は14日目を終わって朝青龍と白鵬が1敗で並んでいる。
朝青龍はごたごたがあって3場所も休場していたのに、たくましいかぎり。
久々に優勝するかどうかわからないけど、すでに優秀な成績をあげている。
いろんな意見があるだろうけど、私は朝青龍に対しての厳しい意見が出るたびに痛々しく感じていた。
朝青龍がのびのびと活躍する姿を楽しみにしている。

今場所が終わるとモンゴルに少し里帰りすることができるらしい。
ふるさとでのんびりしていただきたい。
モンゴルは西暦の正月ではなく、ツァガーンサルという旧暦の正月を祝うらしい。
微妙に中国の旧正月(春節)と一致しないらしく、太陰暦≒モンゴル暦。

日本の正月にわざわざ帰省する必要もなかったかもしれませんね。
私も、久々に中国出身の友人たちと旧正月を祝いたい。
餃子を作って、中国の歌番組を見ながら白酒を飲んで過ごす旧正月も居心地がいい。


<参考1>
http://homepage3.nifty.com/itako/mon_jiten103.html
このツァガーン・サルを祝う日にちは、モンゴル国ではチベット仏教に由来する暦法に基づいて決められているのに対し、内蒙古では漢民族の旧暦(農暦)の元旦に相当する春節の時期に合わせるのが普通だ。

<参考2>
http://news.livedoor.com/article/detail/3481928/
■朝青龍、帰国ごっつぁん!高砂親方認めさせた…大相撲初場所13日目(スポーツ報知)
2008年01月26日08時15分トラックバック(6) ブックマーク
 ◆大相撲初場所13日目 ○朝青龍(下手投げ)琴光喜●(25日・両国国技館) 横綱・朝青龍(27)=高砂=が大関・琴光喜(31)=佐渡ケ嶽=を下手投げで破り1敗を守った。対琴光喜戦は02年九州から負けなしで、同一対決では史上単独2位の28連勝を達成。3場所ぶり復帰での12勝に師匠の高砂親方(元大関・朝潮)は初めて、場所後のモンゴル帰国を許可することを明言した。ライバルの横綱・白鵬=宮城野=も大関・魁皇(35)=友綱=を破り1敗をキープ。02年秋場所以来6年ぶりとなる横綱同士の千秋楽相星決戦へ待ったなしの状況だ。

 やっぱり勝ったのは朝青龍だった。満員御礼の観客が熱視線を送る中、“カモ”琴光喜との大一番。相手十分の右四つで攻め込まれる場面もあったが、逆転の下手投げ。同一取組連勝記録を史上2位の28まで伸ばした。「今日は危なかったけど勝ってよかった」12勝目にホッとした表情を浮かべた。

 優勝争いは、千秋楽に横綱・白鵬との相星決戦が濃厚。文句のつけようのない成績に、高砂親方は早くもモンゴル帰国にゴーサインを出した。「(帰国に必要な)申請書はまだ来ていないが認める。来たら判を押す」と断言。年末年始に却下された朝青龍の願いが実現。水面下で進めていた2月4日からの帰国が認められる方向となった
(略)

<参考3>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A7%E6%AD%A3%E6%9C%88#.E3.83.A2.E3.83.B3.E3.82.B4.E3.83.AB.E3.81.AE.E6.97.A7.E6.AD.A3.E6.9C.88
■モンゴルの旧正月
モンゴルでは、モンゴル暦の年初であるツァガーンサルが国の祝日となっている。モンゴル暦は、インドの暦に起源を持つチベットの太陰太陽暦である時輪暦の一種で、ラマ教の宗教行事などに使われている。

ツァガーンサルの日付は宗教的に決定され、前年に発表される。中国などの春節と一致する年も多いが、しばしば1日または1朔望月ずれる。常に朔日というわけではなく、少しずれることがある。

ツァガーンサルの日付は以下のとおり。春節と異なる年は、春節をカッコ内に付記した。

2003年2月2日 (2月1日)
2004年2月21日 (1月22日)
2005年2月9日
2006年1月30日 (1月29日)
2007年2月18日
2008年2月7日

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発酵食品は文化の粋(すい)。日本酒もおいしい!

2008-01-23 23:04:41 | Weblog
100年前と今との一番の違いは何でしょう、と問われたら、私は「冷蔵庫の有無」と答えたい。
数十年前に冷蔵庫が一般家庭に普及することによって、人類の生活は大きな変化を迎えた。

何より、生ものを冷蔵庫の中に入れていたら1週間から10日も保存することができるのだ。なかなか腐らないのだ。

何千年も何万年も食べ物の腐敗と戦った人類は、ついに腐敗に勝利した。
この勝利の日を境に、保存食品のありがたみは小さくなっていった。
いつでも新鮮なものを食べることができるのだ。干したり漬けたり発酵させたり加工したり、さまざまな手段を使って保存を試みなくてもいいのだ。

なまけた人類は何千年も何万年もかけてつちかってきた発酵食品の技術を劣化させてきた。パン、醤油、味噌、ビール、ワイン、日本酒。どれも手作りは手間がかかるからといって、ニセモノみたいな形ばかりの工業品を作り出した。
だけど、人々の生活が豊かになり、文化も充実してくると、そんなニセモノに満足できない人々が増えてきた。
本物の、何千年も何万年もかけて完成した知恵を味わおうとする人が増えてきた。
日本酒やワインやビールなどの醸造酒には長い間につちかわれた人類の知恵を感じる。
だからこそ、ちょっと感度のいい人がおいしくお酒を飲んでいる。

近年日本酒離れが深刻だとも言われているけど、日本酒愛好家は増えている。
高品質な日本酒を造る蔵元は増える一方。
吟醸酒や生酒を保管する体制を整えた販売店も増えている。
おいしい刺身を出すお店には趣味のいい日本酒が揃っていることが多い。
おかげで、望めばおいしい日本酒を手軽に飲むことができる。

白鶴や菊正宗を置いているのはあまり日本酒に興味がない飲食店。
八海山や菊姫を置いているのは少し日本酒にも気を配っている普通の店。
磯自慢や貴を置いている店で、わるい店はないと感じている。勝手ながら。

今年に入ってからもいろんな日本酒を飲んでいる。

栃木の鳳凰美田、愛知の醸し人九平次、青森県の田酒、神奈川県の天青、静岡の開運、島根県の王禄、兵庫県の香住鶴、龍力“米のささやき”、山口県の貴、その他いろいろ。
どれもちょっと日本酒をたしなんでいる人にとってはとても有名なおいしいお酒だ。
今日部屋で飲んでいるのは大信州吟醸生酒“吟にごり”。これは世田谷区若林の有名酒販売店、港屋さんのお勧めだ。
発泡した感覚もさわやか。フルーティーなものが好きでない人にとっては物足りないだろうけど、飲みやすいさわやかなお酒だ。

でも今年いちばんインパクトがあっておいしいと感じたのは、石川県の福正宗“純米黒麹超辛”。不思議なことに、黒麹ならではの香ばしさと、コクがあるのにドライな感覚のバランスがいい。上品な粕取り焼酎(酒粕を蒸留した焼酎)や黒麹とタイ米を使う泡盛にも少し通じるものを感じる。


沈殿物(おり)のある発泡した日本酒を飲むと、韓国の生マッコルリを思い出す。
韓国のマッコルリは米と雑穀を発酵させた、白濁した醸造酒。甘酒と日本酒との間のような素朴な味わい。火入れした、菌の死滅したものしか飲食店には置いてないけど、新大久保の「韓国広場」などの韓国系スーパーに行くと「二東(ニードン)マッコルリ生」を購入することができる。火入れしたマッコルリと違って酵母が生きているから、泡を吹いている。わざと栓をゆるくしめてあるから、発酵して生じた炭酸の勢いでちょっとずつあふれ出してベトベトする。だけど、この生マッコルリはおいしいんだな。火入れした普通のマッコルリが甘ったるくて飲んでられなく感じるくらい。

日本酒も、温度管理をしっかりとする販売店が増えてきたせいか、酵母の生きた、すこし発泡している生酒の販売が増えてきた。

生酒大歓迎。酵母は健康にもいいし~。
何年間も保管した、ちょっと紹興酒っぽい香りも出てきた日本酒の古酒もおいしいけど、やっぱりフレッシュな瑞々しい日本酒はおいしい。

日本の各地方の文化でもある、各地方の特徴ある日本酒を振興するためにも、マスコミは大事に日本酒を取り上げてほしいな。

今日、読売新聞で「日本酒でも栓飛ぶ事故」っていう記事があったけど、日本酒に詳しい人の記事なのかな。
「日本酒造組合中央会によると、生酒は、一般の日本酒やにごり酒とは違って、出荷時に加熱処理をしていない。そのため、酵母が瓶の中で生きていることがある」
って書いてあるけど、本当に酒造組合中央会の人がそんなこと言ったのだろうか。
「生酒の一部には酵母が生きていることもある」、というような表現に見える。
でも、生酒の検査をしたら、9割以上のものに生きた酵母が検出されるのではないでしょうか。
日本酒の分類として、酵素(デンプンを糖に変化させる)と酵母(糖をアルコールに変化させる)が生きているものが「生酒」ではないかと思う。
<参考>
http://amytt.net/nihonnsyusyurui.html

ついでに言うと、生酒を販売している店では、きちんと生酒に対しての注意をしているはずです。買って帰ってから室内に放置したりする人は、生酒に手を出すべきではありません。繊細な生酒のコンディションが悪化して、せっかくの酵母と炭酸が噴出してしまうかもしれませんから。要注意!いいお酒は丁寧に扱って飲みましょう。


<参考>
2008年(平成20年)1月23日(水曜日)(27くらし12版)
■日本酒でも栓飛ぶ事故 骨折例も
 加熱処理をしていない生のにごり酒や生の中汲みと呼ばれる日本酒は、開栓する際に栓がシャンパンのように勢いよく飛ぶ危険があることが国民生活センターの調べで分かった。同センターには鼻を骨折するなどの事故事例も寄せられており、注意を呼びかけている。
 同センターによると、昨年6月、高知県の30歳代の男性が、瓶入りの生のにごり酒の栓を開ける際、栓が飛んで顔に当たり、鼻の骨折と眼底打撲で5日間入院した。
 同年3月にも、滋賀県の30歳代の男性が、一升瓶に入った生の中汲み酒を開栓したところ、栓が勢いよく飛んで眼鏡にあたり、片方のレンズにひびが入る事故があった。同様の事故事例は、過去10年間で、計5件起きているという。
 こうした事故を受け、同センターで商品テストを行った。事故が起きた瓶は、ワインのコルクのように、瓶の口にプラスチック製の中栓が詰められ、そのうえにアルミ製の金具(外栓)が覆われていた。
 まず、高知県の事故と同様に、生のにごり酒を冷蔵庫で冷やした後、20分間室温で置いてから開栓した。すると、外栓を外した途端、中栓が勢いよく飛び出した。
 生の中汲みでも、滋賀県での事故同様、室温で約3週間保管した後、開栓した。外栓をはずしただけで、中栓は3分の1ほど開いた。さらに、中栓を軽く押すと「ポンッ」という音を出して、中栓が勢いよく飛び出した。
同センターの担当者は、「ぶつかった際の衝撃はかなり強いので、開栓時には、周囲に人がいないかなど気を付けてほしい」と指摘している。
日本酒造組合中央会によると、生酒は、一般の日本酒やにごり酒とは違って、出荷時に加熱処理をしていない。そのため、酵母が瓶の中で生きていることがある。
 そして、生酒のなかでも、生のにごり酒や生の中汲みは、もろみなどの発酵成分が残っているため、酵母が活性化してより多くの炭酸ガスを発生し、栓を押し上げることもあるという。
 同会では各メーカーに対し、注意表示をより分かりやすく工夫するように呼びかけている。
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好きな店 東京麺通団

2008-01-23 21:00:00 | Weblog
先週は毎日昼ごはんに手打ちうどんを食べていた。
うどんよりも蕎麦が好きな私がめずらしくうどんに浮気。いや、本気。
新宿西口を出て道沿いに北上し、左折したところにある東京麺通団。
2003年9月にオープンしてから何度も行ってたけど、「ひやかけ」は食べたことがなかった。
ところが一度「ひやかけ」を口にしてそのコシの強さにひかれてしまったのだ。
それで連日ひやかけ大390円一筋。日によって納豆1パック100円を追加。
大好きな生姜とネギがタダなので大量に投入し、サーバーから冷たいつゆを入れる。
ちょっと唐辛子(一味)も入れて、ガーっとよくかきまぜて食べる。
すばらしい。この量、このコシ、この価格、この回転率。すりおろした生姜とつゆのバランスも好き。
「かまあげ」が好きな人も多いけど、ゆでたてじゃなくて事前にゆでてしめてある「ひやかけ」と「あつかけ」はコシが強い。
冷たいつゆをかけるのが「ひやかけ」で熱いつゆをかけるのが「あつかけ」。
「あつかけ」は何度も食べてたんだけど、「ひやかけ」はさらにコシが強くてガツンと食感が押し寄せてくる。
あー、また食べたくなってきた。今週は蕎麦とラーメンに戻ろうとしているけど、あのコシを思い出してしまう。


東京麺通団の公式サイトはこちら。
http://www.mentsu-dan.com/
西新宿の店のほかに、知らないうちに吉祥寺や名古屋や福岡にも店舗ができているらしい。
名古屋の友人にも教えてあげなくては。


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好きな店  永江雄司さんの服屋さん「日影」

2008-01-23 08:14:51 | Weblog
渋谷の東急ハンズの北側にある入り口の向かいのほうに細いごちゃごちゃとした通りがある。アジアンなグッズを売っている店とか、クラブ系のCDを売っている店があり、「元ピチカートファイブ」の小西康陽(こにしやすはる)さんや「レコード番長」の須永辰緒(すながたつお)さんがDJをすることでも知られている小さなクラブ「オルガンバー」の入っているビルもある。
オルガンバーにはもう5年くらい足を運んでいないな。いい雰囲気なんだけどタバコの煙が苦手。

道を少し歩いて右に曲がると、永江さんのお店がある。今は「日影」という名前の看板だけど、以前は「en clothing」だった。
正確な住所は知らないけど、渋谷区宇田川町4-10あたりかな。
2階から1階に移ったのは、2000年前後だったかも。

このお店が魅力的なのは、手づくりで服をつくっている永江さんの人柄かも。
なんだかちょっと細身な感じが陸上の為末大選手に似ている気もする。

ここで時々セミオーダーメードのジーンズを作ってもらっている。
自分の体型に合わせてつくってもらえる。ポケットの形や、使う生地、ステッチに使う糸の色も指定できる。

一昨年は和柄の、赤い波模様をポケットに入れてもらった。友人には猿のお尻みたい、って言われてしまったけど。遊び心のある一本。今も赤い色系のシャツを合わせてはいたりしている。
だけど週に3日以上はいているベージュの1本は使いすぎて裾もポケットもほつれてきてしまったので新しいものを作っていただくことにした。
(10年近く前にぼくがベージュ系の服を着るようになったのは、永江さんのアドバイスのおかげだ。それまでぼくは自分にベージュが似合わないと思っていた)

今回は、前ポケットは大きめ四角。後ろポケットは普通の五角形。ステッチは基本オレンジ系だけど、裾上げのところだけは赤。生地はなかなかパリッとしてちょっと感じのいい黒系。これで13,440円。10日くらいで仕上げてくれた。
オリジナルの型紙を作ってもらったり、和柄の生地などを加えてもらうともうちょっと高くなるけど、それでも2,3千円高くなる程度では。丁寧に作られた手づくりジーンズがリーズナブルな値段で手に入る。

丸井のバーゲンで5千円のジーンズを買っても、形がフィットするものや色がいいものはなかなかない。それだったら1万円以上出してもぴったり合う高品質なものをつくったほうがいいな。
店に飾ってあるジーンズは派手なものがあっておどろくかもしれないけど、オーダーすると自分好みの色でラインのきれいなかっこいいものを作ってもらえるので、オーダーで作るのがおすすめ。

そうそう、永江さんのオリジナルの絵(記号)がプリントされたTシャツも好き。
ベトナムでもてまくり」っていうエントリに使っている写真の赤いTシャツも、ここで買ったもの。ほんとは胸に「Acoustic」ってプリントされている。


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東国原知事の表現よりも、記者の表現のほうが攻撃的

2008-01-21 21:27:09 | Weblog
東国原知事は多くの人に注目されているから、新聞もよく取り上げる。
だけど東国原知事について批判的な記事を書くと、ブログや掲示板で大ブーイングが湧き上がることもあるから、記者の人にとってはおもしろくないだろう。

週刊誌はミニコミ、ネットがマスコミ」という言葉があるけど、そのうち新聞もミニコミ化するかもしれない。
その前段階として、情報発信サイトのさらなるアクセス数増加・新聞のさらなる発行部数低下、新聞社の通信社化が進むだろう。
すでに新聞や雑誌はこの数年大きく影響力を低下させ、もうメディア界の中心で何かを叫んでも以前ほどの影響力はない。
弱くなった新聞やテレビが大きくなった新マスコミに叩かれたりもするような、未知の時代にもう突入しはじめているかもしれない。

毎日新聞は宮崎県で約3万部発行されているようだけど、この数字はもしかしたら知事のブログ「新そのまんま日記」ほどの影響力もないかもしれない。

・都道府県別発行部数一覧
http://facta.co.jp/article/200707008.html


いろんな意見もあるだろうけど、私は、東国原知事は誠実に命を懸けてがんばっていると感じる。東国原知事の表情に、決心のようなものを感じる宮崎県民も多いでしょう。
まあ、ほんとうに東国原知事を目の敵のように思っている人も多いとは思いますが、献身的にがんばっているうちは、少し見守ってあげてもいいのではないでしょうか。

知事の足を引っ張るのはいつでもできます。でも知事をおだて上げても引き倒しても、地方がより良くなるわけでもありません。
記者さんも、ぜひ地方を抜本的に改革し特色ある地方自治体を存続させていくために、何か提案を行ってはいかがでしょうか。

知事のことがおもしろくなくても、建設的なことを言うことはできるはず。それができない記者はクリエイティブじゃない足引っ張り屋、批判者気取りのネガティブな人、と読者に思われてしまうかもしれません。
知事の問題点を見つけ出そうと努力された記者は、今後どんなクリエイティブな提案をされるでしょうか。

記者という権力者を、一般人はよく見ています。
記者の中尾祐児さんは「私も東国原氏に1票を投じた「目撃者」の一人として、監視の目を向け続けたい」と1年前に書かれていますが、記者も監視されている立場かもしれません。
https://my-mai.mainichi.co.jp/mymai/modules/weblog_eye103/details.php?blog_id=304

毎日新聞の1/20の記事では「県政批判の新聞投稿をした男性は、日記風ホームページ(ブログ)で知事から激しく“攻撃”された」と書かれています。
だけど、東国原知事のブログを見ると、私には「批判者は許さん」というような、傲慢な、異論を許さない態度は読み取れません。事実に反すると思うことについて、誠実に説明を試みようとしていると感じます。
「なぜこれだけ何度も何度も分かりやすく説明しても、言うことが伝わらないのだろう、違った意味に解釈するなんて、何か悪意でもあるのだろうか。非常に残念だ」というような意識が、「あいた口がふさがらない」「全く意味不明である」などの文面に出てしまうのかもしれません。

記者の人たちは、知事が愕然とするような失礼なことを多くやってきました。それでも知事はできるかぎり我慢して誠実に対応してきました。
そうことを意識することも無く反省も無く、旧態依然の姿勢で知事に向かっていると、一般人は見ていますよ、記者たちの背中を。
しっかりと前を見て背筋を伸ばし、毅然と発言する知事の視線の先にいる、記者たちの冴えない後姿を。自分のことを棚にあげて人のことだけ追及するような声色を。

毎日新聞の「そのまんま劇場:宮崎発・就任1年/下 危ういブログ反論」にはこんな表現があります。
http://mainichi.jp/seibu/seikei/news/20080121ddp041010003000c.html
「そのまんま劇場」
「批判者は悪者扱い」
「ブログに知事の攻撃的な言葉が並んだ」
「1500字以上にわたり“かみついた」
「ブログは批判者攻撃の『武器』となる」
などと書いているけど、まさしくこれが知事を攻撃していることになるのではないでしょうか。

知事は目立たなくてもいいから誠実に仕事を進めていこうとしているのに、一過性の流行だと認定するかのような「劇場」よばわり。
批判者を悪者扱いしているわけではないのに、恣意的に「悪者扱い」と烙印を押す。
意見を言って言い返されると人格まで否定しているように感じてしまうのは、論理的に議論するのに慣れていない人に多いけど、記者さんはそんな人ではないでしょう。
「悪者あつかい」「攻撃的な言葉」「かみついた」「批判者攻撃の武器」、そういった表現にはネガティブな、攻撃的な姿勢が感じられます。

「『あいた口がふさがらない』『全く意味不明である』。昨年5月31日。このブログに知事の攻撃的な言葉が並んだ」
記者はそう書くけど、ほんとうに攻撃的でしょうか。

知事の文章を見ると、うがった見方に対して知事がかっかりした様子を示しているだけのようにも見えます。1500字というのもなんとか仕組みを伝えようとする説明のためであって、かみついたり攻撃したりするのとは違うのではないでしょうか。

「投稿による指摘には、『マスコミの前で予算削減の正当性を訴えるのは、情報操作していると思われる』ともある。これに至っては、あいた口が塞がらない。全く、意味不明である」
(新そのまんま日記2007/05/31)
http://www.zunou.jp/higashi/diary.php?num=1377&year=2007&month=05


また、記者は横澤彪氏(元フジテレビ、元吉本興業)の「『たけし軍団』は『世の中に嫌われること』を演じていた。この時に染みついた本能で、発言がついつい出るのだろう」とか
上杉隆氏の「『批判者は許さん』という姿勢は、長い目で見ると県民の支持を失うことになるだろう」
というコメントが的を射ていると思って掲載したのでしょうか。
知事にとってはきっと的外れな意見で、きっとがっかりしていると思います。

私が東国原知事だったらこう言いたい。
「べつに嫌われ役を演じていたわけではありません。
批判の言論を封殺することなんかしたくもありません。
精一杯誠実に説明させていただいているつもりです。
それでも誤解を招く?じゃあどうすれば誤解を招かないですむのか教えてくれませんか。
これ以上丁寧に説明するのは本当に限界に近い。どうすれば、もっときちんと伝えることができますか。教えていただけるのならほんとうにひたむきに勉強させてもらいます。
別に流行を作り出して流れに乗っていこうなんて思っていません。そんな政治がほんとうに県民、地方の人間にとってよい結果を産むとは思っていません。政党がどうのとか利権がどうのとか人気がどうのとか、ほんとうにそういうレベルで取り組んでいるのではないんです。
1年余り前、持続可能な地方自治体の構造をマニフェストで示しました。そこに向かって行く方法を考え、手順を必死に実行しています。その意識を県民の人とも共有するために、地道な計画や行動も、ありのままに報道してもらえればうれしいけど、なぜマスコミは表面的なところだけ取り上げて、私の意図が伝わっていないあなたたち流の解釈を放送するのですか。
もちろんマスコミはいいかげんなところもあるけど、こんなにひどいとは思わなかった。残念でなりません。
きちんと言っている意味を把握した上での批判や議論は大歓迎ですが、言っていることを曲解した上での報道にはほんとうにがっかりします。誤解を解くにも大きなエネルギーが必要となります。
自信をなくすこともありますが、理解して応援してくれる方々の思いと声援が、私を支えてくれています」


私は、宮崎県やその他の地方自治体がよりよくなるためには、一過性の流行や雰囲気に流されないように、まず自分自身がきちんとものごとの仕組みを把握しようと努力し、他人まかせの姿勢を克服することが大切かと思います。
そのために、新聞の記事を疑い、記者の発言を意識することはよいトレーニングになると思います。
ま、あんまりえらそうなこと言えないんですけどね。私も読解力は不足してるし。恐縮です。


<参考>毎日新聞 2008/01/20
http://mainichi.jp/photo/news/20080121k0000m040078000c.html
■東国原知事:就任1年、宮崎PR効果抜群 言動に危うさも

「どげんかせんといかん」。この言葉で登場した宮崎県の東国原英夫(そのまんま東)知事(50)が、初当選から21日で丸1年を迎えた。時に物議を醸す言動などが相乗効果となり、「宮崎ブーム」が続いている。【中尾祐児、種市房子】

 宮崎市から直線距離で約500キロ離れた、大阪市中央区の高島屋大阪店。1月16日から始まった宮崎県物産展の開幕直後、歓声がわき起こった。東国原知事の姿があった。

 同市西成区の主婦、又野和子さん(70)は「タレント時代は軽い感じで好きやなかったけど、今は一生懸命な姿がかっこええ」。

 知事がいた時間はわずか10分。にもかかわらず、同店によると、昨年1月に実施された物産展初日と比べ、売上高は1.5倍にはね上がった。

 官製談合事件で前知事が逮捕され泥沼化した県政に降り立った「無党派の星」。活発なテレビ出演、トップセールスなどで「宮崎」の注目度は抜群に高まった。

 4月から9カ月で、県庁には観光客ら約26万8500人が押し寄せた。知事就任後、受けたテレビや雑誌などの取材は約530本。電通九州は、就任1週間のテレビなどのPR効果を165億円とはじき出している。

 タレント時代は「一流」とは言えず、写真週刊誌襲撃事件などを起こした「たけし軍団」の“お騒がせ芸人”。ブームの背景について、知事自身は「メディアに作り上げてもらった」と話す。

 しかし、知事をウオッチし続ける電通九州の井上知弘宮崎営業所長は断言する。「『地方自治の代弁者』として今後も注目度は高いはず。大学で学び直し、努力して復活した『ジャパニーズドリーム』を体現しているんですから」

 一方で、知事の言動に危うさを指摘する声もある。

 「定例記者会見は必要ないのでは」「徴兵制があってしかるべきだ」など知事の多くの問題発言について、横澤彪(たけし)・鎌倉女子大教授(メディア論)は「『たけし軍団』は『世の中に嫌われること』を演じていた。この時に染みついた本能で、発言がついつい出るのだろう」。

 県政批判の新聞投稿をした男性は、日記風ホームページ(ブログ)で知事から激しく“攻撃”された。メディア論に詳しいジャーナリストの上杉隆氏は「『批判者は許さん』という姿勢は、長い目で見ると県民の支持を失うことになるだろう」と懸念する。

毎日新聞 2008年1月20日 21時00分 (最終更新時間 1月20日 23時40分)


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環境保護運動とか反差別運動とか(1/8放送「地球危機2008~古舘伊知郎が本気で伝えます」)

2008-01-20 17:30:49 | Weblog
論理による判断が主流となっていない社会では、人々は論理ではなく印象、慣れあい、先入観、前例などによって判断することが多い。
そのような地域では、論理ではなく情に訴えたり印象を与えたりすることが説得力を持つ。

だから、むかしの日本では戦争をあおる記事を各新聞が掲載し、国民はそれに追従した。戦争を貫徹しなくちゃ、という空気が支配的になっていて、反対でもしようものなら非国民だ、スパイだ、などと咎められた。

戦後は、平和運動や反戦運動、学生運動に国民が追従した。
今は、反喫煙運動、環境保護運動などがそれに値するかも。
(理性的な運動もたくさんあると思いますけどね)

人々をあおる論調は、「それがあたりまえだ」という雰囲気のもとに進められる。論理的判断力を持たない人は、徐々にその雰囲気に飲み込まれていく。
流れに乗っておけば、当面不利益をこうむることはない。自分一人で判断して行動する自信がない人は、自分が責任を持たなくてもいいのでどんどんまわりの流れに合わせる。

<参考>
「冷静に考えると、論理などというのは、わが日本においては総人口の5%ぐらいの世界でしか通用しないのではないか。95%は論理以外の形容し難い何ものか ―観念だか、概念だか、刺激だか名指しできないもの― によって動いていると考えたほうがいい。そういう人々に対して、論理で物事を説明しようという発想自体が、そもそも間違っているのかもしれません」
(佐藤優「国家論 日本社会をどう強化するか」日本放送出版協会)


むかしの日本のメディアは「満洲は生命線だ、ここを守らなくては国民が壊滅的な状況に陥ってしまう。もはや戦いに打って出るしかない」。そういう情報を当然のこととして発信した。
同じように、戦後は「戦争はこんなに悲惨だ、何があっても戦争はしてはいけない」という情報を発信した。
また、「地球温暖化はこんなにおそろしい」という情報を繰り返し流して人々に刷り込む。
宣伝する論理は単純。だけど、その論理は科学的検証が不十分なことが多い。
だからこそ、情緒抜きで事実を理解すればいいだけのことでも、情緒や感情、感覚に訴えるのかもしれない。

そんなことを、1/8夜のテレ朝50周年記念番組「地球危機2008~古舘伊知郎が本気で伝えます‥‥地球温暖化でいま何が起きているか編集する」を見ながら思った。

<参考>
地球危機2008古舘伊知郎が本気で伝えます…地球温暖化でいま何が起きているか
▽緊急取材!海面上昇世界同時ドキュメント(1)満潮の東京湾で異変船が橋をくぐれない…(2)陸地が2000メートル後退で1万人の家が水没した環境難民の島▽信じられない…巨大湖が消滅藤原竜也が絶句した環境破壊の現場▽壮絶!シロクマが番犬を襲う北極で温暖化異変多発▽減少する熱帯雨林と傷つくオランウータン多部未華子が見た現実▽日本の海からサケが消える!?熱帯生物増殖▽ガラパゴス諸島から長野智子生中継…温暖化で進化するイグアナ


人々の不安をあおるように、さまざまな異常気象を計算もなく羅列している。
科学番組でもなければ政策提案番組でもない。視聴者の判断力を甘く見ているのかもしれないけど、少し内容に無責任さを感じる。

統計学的な検証もなく、都合のよいように部分的な異常気象を大きく取り上げる。
どこかで目にしたことがあるような手法だ。平和運動とか。
平和運動や環境運動に疑いのない人たちは、きっと戦争中に生まれたら戦争を疑わない人たちになっていたのではないだろうか。

ほんとうに戦争を起こしたくなかったら、環境を破壊したくなかったら、差別をなくしたかったら、信仰にすがる必要はない。
戦争反対や環境保護や差別反対という文言を南無阿弥陀仏あるいは南無妙法蓮華経、アーメン、アッラーアクバルなどのように唱える必要はない。

まずは価値観の違いや経済的な差異が生む争いや戦争の発生メカニズムを研究すればいい。
多様性にあふれた環境のダイナミックな循環の仕組みを研究すればいい。
価値観の違いが生む蔑視が大きな原因となっている差別問題の発生過程について研究すればいい。
そこから分析、研究、科学的対策ははじまる。

人と人や国と国がなぜ衝突するのかについて深く考えたことのない人が、
何万年もの間に地球上になぜ何度も大きな気候変動があったのか考えたことのない人が、
人はなぜ自分の理解できないことを見下したり拒絶したりすることがあるのか考えたことのない人が、
平和を祈っても、環境保護を祈っても、差別問題の解消を願っても、
そもそも平和や環境保護や差別がどういうものかほんとは把握していないと問題を解決することはむずかしい。

科学的な調査もなく扇動的な広告手法で反戦や環境保護をあおるのは政治活動としてはいいかもしれないけど、冷静な人からは共感を得られない。
いつかはそういう手法がすたれる時代も来るのではないか。

だけど、まだまだ日本ではあまり論理的な説明は必要とされていないのかもしれない。
イメージでなんとなく納得してもらうことが影響力を持っているのかもしれない。


先日も「」が差別語A指定になっていると聞いて驚いた。
X新聞の某氏もその語を最初から切り捨てようとしているようだけど、いったいどういう根拠でその語を絶対掲載しないのだろうか。どうして安易に「集落」の語に置き換えようとするのだろうか。
「」だと差別的だから?
では、なぜ差別的なのですか?
差別的に感じる人がいるから?
差別的に感じる人がいたら何でも差別語になるんですか?
何が差別的なのか、きちんと構造を指摘してもらえないのですか?

X新聞の人は文脈をよく見たのでしょうか。
あの文脈で「」という言葉を使うことは、まったく問題はありません。
学生時代、問題研究会というゼミに所属し、卒論では運動の組織化などについて調べ、今も差別論に興味を持ち数十冊以上の差別関連書籍を持ってそれなりの持論はある私が保証します。
安易に事なかれ主義で非論理的なものに流されないでいただきたい。
っていうか、なんでもすぐ言い換えれば済むと思っている人は、ジャーナリストとして戦うことはできないのではないでしょうか。

手元にある「差別用語の基礎知識」(土曜美術社1990年刊)には下記のような記述がありました。

・p70
マスコミなどでは「」という言葉は「地区」あるいは「集落」などに言い換えるよう取り決めている。しかし、全国各地で「あの集落は」という言い方を日常会話でしているところは、ほとんどないだろう。
その意味で「」の言葉を差別語だとすることは考え過ぎ、対応のし過ぎである。その言葉が用いられたもののテーマ、前後の文脈から、日常語としての「地区」の意味で用いられるか、被差別を指して使われているか判断出来るはずである。
「問題」にかかわって多く使われている「」という用語も、「」や「四つ」にかわって、被差別にかかわる新しい差別語と化して使われている状況もある。これもそれ自体は決して差別語ではないが、「あれはだ」など、差別的に用いられることがあるということである。

・p318
 本来、これらの言葉は、差別を助長するような使われ方が問題なのであって、歴史的事実を述べる場合や、実存する差別の実態を提示して、その解消を訴えるような場合はおのずから別である。


そもそも、という語自体には何のマイナスイメージもありません。
歴史的背景もありますが、読む人が勝手にこの語を蔑視するようになったことが問題。

解放運動をやっていた人たちが、最初からきちんと
「解放」ではなく「被差別解放」
「差別」ではなく「特定差別」
と正確に表現しておけばよかったのかもしれないけど、
と略して言っていたものだから、と言うと「被差別」の意味に認識されることとなってしまいました。
国立国語研究所は何をしているのでしょう。
きちんと、「っていう語にはマイナスイメージ、蔑視されるようなイメージはありません。という語をアンタッチャブルなものにするというのは、という歴史ある語について非常に失礼なことです」などと宣言してもいいのではないでしょうか。

「オレオレ詐欺」のことを「オレオレ」と言うのが慣例になって「あの人オレオレでつかまったらしいで」などと咎められるようになってきたら「オレ」という言葉がよくない言葉として認識され、「ボク」という語に言い換えられるようになるのでしょうか。
「もやしっ子」や「めがねっ子」という言葉が差別語だと糾弾されるようになったら「もやし」は「スプラウツ」、「めがね」は「グラッスィーズ」などに差し替えられることになるのでしょうか。

全然適切な例えが思い浮かびませんが、まあそういうことです。
本来何もマイナスイメージなどがついていない記号にしか過ぎない言葉に、マイナスイメージ、否定的イメージを付けるのは非論理的。
非論理的な人たちが呪文や迷信を信じ、差別を助長し、被差別者を差別するように、ある用語を差別語として排斥する。

とっても、あいまいな非論理的な世界。
論理について長い歴史がある欧米は社会が成熟しているのか、そんな言い方はしないようです。
日本では「おし(口がきけない)」や「つんぼ(耳が聞こえない)」や「めくら(目が見えない)」や「びっこを引く(足を引きずる)」は差別語としてメディアでは使えない状態ですが、
欧米では「dumb(おし)」や「deaf(つんぼ)」や「blind(めくら)」や「limp(びっこをひく)」という語が堂々とある状態を表す記号として使用されています。

残念ながら、差別をなくそうとして差別語を糾弾する人たちも、差別的心理を持っている場合が多い。
差別をなくしたかったら、まずは特定の用語を差別(否定、蔑視)するべきではないと思います。

本当に差別をなくしたかったら、まずは差別語扱いされている言葉に対する蔑視を問題視すべき。
「」という言葉にマイナスイメージを付けて侮辱的に使用する人がいたら、それはそのような人の意識が問題。
「」という言葉を消し去っても、侮辱的な言葉を吐きたい人たちは「」「童話」「メルヘン」「ブラック」等々の言葉を匿名掲示板で使用しています。
次々に「」「童話」「メルヘン」「ブラック」という言葉を次々と差別語に認定しても、問題の解決にはつながりません。

嫌な言葉を無くせば差別がなくなると発想するような人たちは、外見を見て中身を見ていないというか、表面を見ても構造を見ていない。
まずは、差別を糾弾するときはどういう構造を差別的と認識しているのか、説明してほしいと思います。
差別的に思う人がいるからその語を排斥するなんていうのは、論理的な説明ではありません。

明治になって、エタという言葉は差別的だということでという言葉に変わりました。
それでもその人たちに対する蔑視が変わらないと、こんどはという言葉は差別的だと言われるようになり、特殊という言葉が使われました。
でもそのうち特殊という言葉も差別的だと言われるようになり、被差別という言葉に言い換えられるようになり、略してと言う人が増えるとという言葉すら差別的だと言う人が出てきました。

非論理的だからそんなことになって、どうどうめぐりが続き、差別がなくならないのです。
言葉狩りや言い換えによって差別的意識や差別的構造が解消されると思っている人も多いかもしれませんが、そんなふうに認識している人が多いことが、差別がなかなかなくならない一番の原因であると思います。
X新聞の方も、安易に空気に流されず、胸を張って差別語狩りに立ち向っていただきたいと思います。
もし反差別団体の非論理的なごり押しに付き合うのが面倒だから差しさわりのない表現を選んでいるというのであれば、各種団体の圧力に弱いそんなジャーナリズムはどっちみち長続きしないと思います。


※以上、ざっとまとまりなく書いてしまいましたが、いいかげんな文章なので後でちょこちょこ加筆修正するかもしれません。


<追記1/20 19:20>
ついさっきテレビ東京の「田舎に泊まろう!」という番組で、小豆島のおばさんの「百姓のほうに~」という発言が字幕では「農業のほうに~」となっていた。
これも自己規制ですか。
百姓も本来差別的な語じゃないのに。残念。

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ある市民記者の記事と制限速度の遵守をめぐるたたかい

2008-01-19 15:19:11 | Weblog
先日、オーマイガニュース(OhmyGodNews)にこんな記事を見つけた。
パイパス道路で堂々と制限時速を守って右側路線を通り、渋滞を生じさせていた車に怒りを感じたらしい。
私は茨城に5年間暮らしたことがある。茨城の北部から南部まで、深夜の海岸沿いの国道を数十キロにわたって1回もアクセルを踏まず一般道を走ったこともある。
茨城は平地が多いので運転しやすい道が多いが、意外に学生やヤンキーが多く若い人の運転が怖かったことを思い出した。

■「制限速度を守っているんだから前に通さない」……ってどういうこと?
自己中運転らしき女の傲慢 中山田 朋雄(2008-01-18 10:30)
 鹿島のバイパス(片側2車線)を走行中のこと。前の車を非常に不愉快に感じていたので注意を与えようと思った。タイミングを見て左側車線に入り、右側を走る乗用車を見てクラクションを鳴らした。助手席の女性は一瞬こちらを見たが、すぐに目をそむけて「知らねーよ」といったそぶりだった。

 1月2日、午後6時半ごろ、交通量は少なくなく、車線変更での割り込みも時々あったが、途中まではスムーズに流れていた。ところが目の前の1台の車が前方の車との間を何十メートルも空け、後ろに渋滞を生じさせはじめた。タイミングを見て左車線から追い越していく車もあったが、助手席からは「あの人は後ろの人に迷惑をかけていると感じていないのかな」と声があがった。少しパッシングで合図をしたが、前の車はそれでもペースを変えることはなかった。
 バイパスは道も広く信号も少ない。高速道路ではないけど高速道路に準じて右車線を追い越しように使うことが慣例となっている。制限速度より10キロ程度オーバーしても黙認されるのが慣例。そんな中で右側車線を制限速度ぎりぎりでノロノロと走り平然としている。人に迷惑をかけても知ったことではないというのだろうか。

 周囲を見ない自己中心的な運転によって、事故が起こり、交通が妨げられるケースも少なくない(写真はイメージ) 隣の車の後部座席の茶髪女はしばらくこちらを見て「あの人頭がおかしいんじゃないの?」というようなジェスチャーをしたりしてこちらを無視し、しばらくそのままの状態が続いたが、許せないので強く睨むと隣の車のドライバーは、さらに速度を落とし、私の車から逃げようとした。

 しかし、あいかわらず隣の車は、後続のことを考えずマイペースで運転し、車の中でこちらを揶揄するようなジェスチャーをして仲間内でバカ笑いするだけ……。

 堪忍袋の緒が切れたので相変わらず前方に車がなく後続に渋滞が生じている隣の車の後ろに入り、注意を与えるために2~3分パッシングした。しかし、馬耳東風なのか相変わらず何も感じる様子はない。後部座席から見ていた女は後ろを見て挑発的にナンバープレートをケータイで撮影したりしている。

 このような人たちが他の人たちに与える迷惑について、罪悪感を持つことができるように真剣に祈った。

 その後、信号で停止したので、私は車を降りて前の車に向かい、ドライバー側の窓をコンコンとノックした。

 そして、「遅く走るのだったら人の前を走るな。左車線に行け。後ろに渋滞をつくるな」と、一喝した。ドライバーはポカンとした顔だったが、助手席と後部座席の気の強そうな女はケンカ腰で「この人頭おかしいんじゃない」「なんか酔ってるんじゃない」などと失礼な言葉を投げつけた。イントネーションになまりはあるが、酔ってはない。若い子たちは茨城弁をしゃべる年配の者をバカにする傾向がある。何を言っても無駄なことを感じ、私はひどく傷ついた。

 その後、私はその車を追い越し、先に進んだが相変わらずさっきの車は後ろに長い渋滞を作っていた。

 あの車を説得し、後ろに渋滞を作らないように後続に道を譲るか流れに合わせた速度で運転するか、説得させられなかったことを後悔しながら、渋滞で事故がおきないことを、真剣に祈った。

 このような「制限速度厳守運転」に関して、よく「制限速度を守っているんだからいいじゃないか」「初心者あるいは高齢者は慎重な運転が必要」など、弁護の声を聞く。

 しかし、後続に車が続いてしまっている場合はハザードランプを出して急いでいる車を先に行かせたほうがいいと言われているし(わからない人は教習所からやり直しだろう)、イライラさせる運転によって事故を誘発し、交通が妨げられるケースもある。ノロノロ運転の人は後ろのことなんか知ったことではないかもしれないが、渋滞等に巻き込まれる人間が数多く現れることを忘れてはならないだろう。

 弁護する価値はどこにもないような気がするが、いかがだろう。




以上の記事を見た翌日、驚いたことにそっくりな記事を見つけた。
場所、日時も同じ。
おそらく、同一の事件についてまったく逆の立場から記事を書いたのだろう。
同じことに関してもこれだけ意見が違うこともある。
何が本当のことか分からないけど、1人の記者の言い分を丸飲みしてしまうのも怖いことだなと感じる。
ライブドアのPJニュースとかオーマイジャパンとか、市民記者が書く文はブログと新聞記事の間のレベルのものが多く、客観的な分析というより自分の意見、といった記事が多い。
質の高いニュースサイトを目指すなら、記事の掲載基準を厳しくしても良いかと思う。

<参考>
http://www.ohmynews.co.jp/news/20080104/19297
■「遅いんだから前を走るな」……ってどういうこと?
酔っ払い運転らしき男の暴走 中山 朋美(2008-01-17 10:30)
 鹿島のバイパス(片側2車線)を走行中のこと。左側の車線を走る乗用車のドライバーの動きがおかしいことに気づいた。クラクションが鳴ったので、ふと見ると運転席の窓に寄りかかるようにして、こちらを見ながら運転していた。

 1月2日、午後6時半ごろ、車が多く、車線変更での割り込みも多かった。私が乗る車のドライバーは、安全のために、前方の車との間を詰めずに、法定速度を守っていた。助手席からは、「速度を上げれば」との声もあがったが、それでもペースを変えることはなかった。

 あおり運転によって、事故が起こり、交通が妨げられるケースも少なくない(写真はイメージ) 隣の車の男はずっとこちらを見ており、しばらくそのままの状態が続いたが、気味悪く感じたドライバーは、さらに速度を落とし、その車を先に行かせようとした。

 しかし、その男の車は、依然として左側に陣取ったまま……。

 仕方なく通常の速度に戻すと、男の車が後方に入ってきた。その後、10分以上、パッシング等の嫌がらせを受けることとなった。ぴったりと後方にくっついてきており、いつ追突されてもおかしくないような状態だった。後部座席から見ていた私は、ナンバープレートの番号を控えた。

事故が起きないことを真剣に祈った

 その後、信号で停止すると、後方の男は車を降りてきて、ドライバー側の窓を殴りつけてきた。

 そして、「遅いんだから前を走るな」と、怒鳴りつけてきた。ろれつがまわっておらず、「酔っている」と感じたが、ほかの同乗者は「頭がおかしい」という言葉で片づけた。

 その後、男の車は私たちの車を追い越していったが、前方で走っている車に同じようなことをしていた。

 その男を捕まえて警察に届けなかったことを後悔しながら、事故がおきないことを、真剣に祈った。

 このような「あおり運転」に関して、よく「イライラさせる人間が悪い」、「運送業の人で大変だから」、「正当な理由(急病など)があるなら仕方ない」など、弁護の声を聞く。

 しかし、イライラしている人間は、運転しないほうがいいと言われているし(わからない人は教習所からやり直しだろう)、あおり運転によって、事故が起こり、交通が妨げられるケースもある。あおった人は通り過ぎるだけだからいいが、その後、渋滞等に巻き込まれる人間が数多く現れることを忘れてはならないだろう。

 弁護する価値はどこにもないような気がするが、いかがだろう。



※注 最初の記事はパロディーです。

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Main はメーンではなくてメイン

2008-01-11 09:01:40 | Weblog
新聞を見ていて気になる表記がある。
「アメリカのメーン州」だとか「紅白のメーン司会」とか。
なぜ「メイン」と書かないのだ。
Maine 州も Main 司会も[mein]と発音する。[me:n]ではない。

ついでに言うとベーコンはベイコン、メードはメイド、メールはメイルと発音したほうが外国人に通じやすいだろう。
だけど、共同通信社の新聞用字用例集「記者ハンドブック」には、メード、メール、メーンのように書けと記載してある。
なぜかメイフラワー号はメーフラワーじゃなくてちゃんとメイフラワーって書いてあるけど。

たしかに[ei]という発音は[e:]に変化しやすい。
日本語でも、「エイ」と表記しても実際は「エー」と発音することが多い。

エイガはエーガ、
エイコさんはエーコさん、
レイジくんもレージくん、
メイジ大学はメージ大学、等々。


だけど、
魚のエイはエイって発音しませんか?
エイ出版社のことはエイと発音しませんか?
ベイブリッジやベイスターズはベイと発音しませんか?
ネイルサロンはネイルって発音しませんか?
レインコートはレインって発音しませんか?
セイン・カミュやセイント聖矢はセイと発音しませんか?
ケイマン諸島のことはケーマン諸島とは言わないのでは。
DJのテイ・トウワのことはテー・トウワと言わないのでは。
下着のへインズのことはヘーンズと言わないのでは。

表記がエイでも発音がエーとなっている場合は表記もエーにしてよいかと思いますが、
発音がエイとなっているのに表記をエーにするのは不適切ではないでしょうか。
日本語にはあんまり[ei]とはっきり発音する語はないのかもしれないけど、英語では珍しくない。
きちんと[ei]と[e:]を区別して発音することが、日本人の英語力向上にもちょっとだけつながるかもしれない。

「Citizen Kane」という映画の邦題は「市民ケーン」。
「Kane KOSUGI」という俳優のカナ表示は「ケイン・コスギ」。
「Kane」の発音は[kein]だから、「市民ケーン」の表記は「市民ケイン」にしてもいいのでは。

朝日新聞の記事をすこし検索すると、「メーン会場」「メーンは復習」「プラズマテレビをメーンとする基本路線」「メーンシナリオ」などの表現がある。
でも「main」の発音は[mein]。メイン会場、メインは復習、などと表記してもいいのでは。
記者の人もそう思っているのかもしれないけど、社の方針としてしっかり決められてしまっているから、保守的に継続しているのでしょうか。

保守的な人にもそれなりの意見はあるのかと思いますが、メーンと言うのはセーン・カミュ、ケーン・コスギ、ベーブリッジ、ベースターズって言うくらい間延びして聞こえます。

正しく英語の発音を認識するためにも、「メーン」を「メイン」に変えていただきたい、というのが小さな願い。

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1998年の冬休み

2008-01-07 19:15:42 | Weblog
Momus(Nicholas Currie のソロプロジェクト)に「1999年の夏休み(summer holiday in 1999)」という曲がある。
学生の頃よく聞いていた。
抑え目な曲調ながらポップで、独特の雰囲気がある心地よい曲だった。
http://gw.jmd.ne.jp/media.asp?ShopCode=WR001&Pass=xsb91fub28...

その曲にならって、このエントリは「1998年の冬休み」とタイトルを付けさせていただこう。


10年前、学校を卒業してからしばらく無職だった私は、その後半年近く派遣社員として組立工場で働き、得た数十万を手に冬のロンドンへ向かった。
1月後半から3月後半までの短い間だったけど、私のはじめての海外旅行は印象深いものとなった。

Long Vacation というか、Long Sightseeing 。
オックスフォードストリート、ソーホー、ピカデリーサーカス、コベントガーデン、カムデンロック、ポートベロー。
ドクターマーチンの靴をすりへらして毎日歩き回った。


ロンドンでは、ウィンブルドン(Wimbledon)郊外のモーダン(Mordan)という街で、労働者階級のお宅にホームステイさせてもらった。
当時16歳の長男ペルリ、12歳のティファニー、小さな男の子も2人。
奥さんは34歳。新しい夫との間に赤ちゃんが産まれたばかりだった。

ウィンブルドンのスワンディーン・スクール・オブ・イングリッシュ(Swandean School of English)は小さな語学学校。午前中だけ英会話中心の授業を受け、午後はロンドン中心部まででかけてさまざまなところを歩き回った。

ソーホーではいろんな CD Shop や Sex Shop(ポルノショップ)をめぐった。
中古CDのジャケットに妙な日本語を記したものが目に付き、おもしろく感じた。
セックスショップではおとなしそうな男がゲイビデオやゲイグッズ?の棚をながめていた。
中古エロ本が山積みにされたところには千代の富士の写真冊子があった。

語学学校の同じクラスの日本人の女の子といっしょにコベントガーデンのドクターマーチン(靴屋さん)のビルに行くと、彼女はDJもやっているという店員さんから「イエモンを知ってるか」と聞かれた。
エクスカージョン(遠足)では郊外の町にも向かい、ストーンヘンジも見ることができた。


ウィンブルドンの駅の近くにはおいしいイタリアンレストランがあり、そこではじめて絶品のペンネアラビアータを知った。
大きなフィッシュ&チップスや中華街のレストランの中華バイキングをよく食べ、イギリスの食事に不満はなかった。

ビールもおいしかった。
高級住宅街のパブや労働者が集うパブ、金融街(シティ)のパブ、黒人地区のライブハウス(Brixton Academy)やテレビの音楽番組を収録するライブハウス(Hanover Grand)も訪れ、いろんなところで1パイントのギネスを飲んだ。
ダフ屋からチケットを買っては、Sleeper や Rialto、Uruseiyatsura などのライブを見に行ってビールを飲み、ジャンプした。

スーパーでホブゴブリンというビールを買って帰り、ホストファーザーに見せると、奇怪な化け物が描かれたラベルをしばし見て「これはいいビールだよ」と言われたこともある。
昨年だか一昨年だかには東京の渋谷にもホブゴブリンのパブができたので、懐かしくてときどき足をはこんでいる。


帰国が近くなったある日、ピカデリーサーカスの交差点の一角で白人男性が建物の脇に腰を下ろし、物乞いをしていた。
たて笛を吹いている。その前を通り過ぎ、しばらくして足が止まった。
「かーあさんがーよなべーをしてー、てぶくろ編んでくれたー、こがらし吹いちゃーつめたーかろうてー」の曲ではないか。
なぜ彼がその曲を吹いているのだ。

物乞いに対しては一切お金を払わないことにしている私だが、そのときばかりは引き返し、1ポンドだけ彼の目の前の帽子に入れた。


1998年の冬は、ヨーロッパ各地で記録的な暖冬だった。
子ども達とサッカーボールでちょっと遊ぶと汗ばみ、公園の脇には小さな花が咲き、3月末にもなると、桜にも似た木が見事な花を咲かせていた。

台湾人のナイキ、スペイン人のネストール、アルゼンチン人のエレアナ、リカルド、アレサンドラ、日本人のユキエ、マキコ、みんな元気だろうか。
なつかしく思い出す、1998年の冬休み。


ウィンブルドンの駅の近くのスーパーで買った、上部と下部が木でできていて中心部分が透明な Cole&Mason のペッパー&ソルトミル。
ハロッズ本店で買った紅茶が入っていた小さな木箱。
1998年の冬休みの名残は今もまだ私の部屋に残っている。



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「やって!TRY」は差別的である

2008-01-06 14:22:36 | Weblog
今、新春特大号の番組を見ているんだけど、毎週日曜日午後1時からのTBSの番組「噂の!東京マガジン」のコーナー「やって!TRY」は見ていて気持ちのいいものではない。
1970年代以降生まれの出演者がいないことをいいことに、40代以上のおじさんたちが若い者を見下し、上から目線で見ている印象を受ける。
おじさんたちは、「女性は料理ができたほうがいい」という価値観をいまだに保持しているのではないだろうか。

<出演者>
森本毅郎(1939年生)、小島奈津子(1968年生)、井崎脩五郎(1947年生)、
清水國明(1950年生)、山口良一(1955年生)、笑福亭笑瓶(1956年生)、
北野誠(1959年生)、志垣太郎(1951年生)、風見しんご(1962年生)、
乱一世(1950年生)、深沢邦之(1966年生)
以上、30年代生まれ1名。40年代生まれ1名。50年代生まれ6名。60年代生まれ3名。アナウンサー以外は全員男性。


いまどき、料理できない女性なんてめずらしくない。
私は自炊していた期間が長いから、あまり料理に興味はないけど食べられるものはなんとか作ることができる。
何人もの女性に何度も料理を作ったことはあるけど、作ってもらったことはあまりない。
女性に料理を期待していない。

第一、料理は自分の体が欲するものを食べたほうが体にいい。
もしかしたら、女性たちは自分が食べたいものを主に料理していたから、男性よりも長生きすることが多いのかもしれない。
自分で料理をする機会が多い男性と、ほとんど自分で料理しない男性と、どちらが長生きの場合が多いか調査してみるとおもしろいかも。


番組出演者の男性たちは女性の料理する姿を傍観しているけど、自分ではどのくらい料理ができるのか。
チャーハンや餃子すらつくれない人も多いのではないか。
現代的な、ハーブを駆使した焼き物やカルパッチョをつくる人はほとんどいないのでは。

もし、ある番組で外来語についての意味を中高年男性にインタビューする番組があったする。
中高年の男性たちはイノベーション(刷新、革新)やソフトランディング(軟着陸)、デポジット(預かり金)などといった一般的な外来語の意味も答えられない人が多いかもしれない。
意味不明な受け答えをするとナレーターからは見下したようなコメントをされ、ディレクターからは「いったいどんな生活をしているんですか。お子さんたちの顔を見てみたい」と言われたりする。それでも懐深くディレクターを家に連れて行ったりするのでしょうか。

人それぞれいろんな価値観あるのでしょうが、おじさんたちのやっていることは、構造的には上記のようなことではないろうか。
そんな番組をつくられても、若い人たちは懐深く、おじさんたちに「つきあってあげている」のかもしれない。

おじさんたちはつい無意識に若い人たちを見下して精神的安定を得たくなるのかもしれないけど、今後おじさんたちが若者たちとコミュニケーションをとろうとしたら、見下すことは控えたほうがよいと思います。

見下すというのは相手の価値を理解しないこと。無価値なものと扱うこと。そういうことは「差別的」とも言われる。
まあ、「差別的」という語は差別することを無価値なものとして糾弾するようなニュアンスがあるからあまり使いたくないんだけど、ちょっと見出しのインパクトのために使ってみました~。

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鎌倉の銘酒焼き鳥屋、しゃも鉄砲串

2008-01-05 23:08:46 | Weblog
昨日鎌倉の小町通を歩いていたら、「しゃも」という店名の入ったのれんが目に入った。
お隣の天ぷら屋さん「天晴」と並び、風情のある眺め。
よい店は店の表情が違う。
何より、磯自慢、天青、十四代、王禄など、入り口に書いてある日本酒の銘柄が尋常ではない。
こういうお酒を置いている店は、料理もそれに負けない品質なっているのではないだろうか。
入ったことがない店だけど、ここはよい店であろうと確信。

さっそく人を待って2人で入店。
店内はそれほど広くない。カウンターが8席だろうか。
大きなテーブルが3席ほどだろか。隅に相席させていただく。
軍鶏の焼き鳥がメインだけど、カシラ、シロなど豚のメニューもあるようす。

砂肝、皮、ボンボチ、首のところの肉だというそろばん、などを注文。各200円。2本ずつ塩。
まず磯自慢850円を頼んだけど品切れとのことなので王禄650円にしてもらった。フレッシュな味わい。
やや発酵しかけのぶどうのような、華やかではない透明感のある味わいを感じた。
田酒はかなり軽快で重さを感じず、飲みやすい。
神奈川県で評判になっている天青も、先日大森の名店「吟吟」で飲んだときよりもおいしく感じる。
保存状態もいいのだろう。

最後に手羽先250円や軍鶏雑炊500円を1つ頼んだ。
これも適度な塩加減で素材を生かしてある。自然な味わいがおいしい。
今回は2人で7千円もしなかった。よい素材を使った小町通の店でこの値段はかなり良心的。


<参考>
鉄砲串「軍鶏」(しゃも)
0467-23-3221
小町2-9-3
http://kamakura.itot.jp/41
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