波打ち際の考察

思ったこと感じたことのメモです。
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波屋山人

ぐぅ?

2012-05-18 21:13:39 | Weblog
近頃、facebookで勤務先名を公開している人が多い。
例えば、gooを運営しているNTTレゾナントの社名で検索してみると、
ざっと目にしただけでも70~80人は勤務先をオープンにしている。

さすがIT企業。皆さんオープンだなぁ。
高学歴を公表されている方も多く、成績優秀な人が多い会社だなと感じ入る。

勤務先: NTTレゾナント
澤村正樹、來山剛、立石祐子、野間伸一、木田憲一、桝村季弘、本多篤志、本間幹人、北村良明、米川達也、福田智文、福田信一、八木貴史、白濱將人、萩野勝紀、二石由美子、徳永徹郎、田中健太、長谷川章、猪狩秀人、中田優、筑波元陽、竹野浩、竹内尚生、池田陽一、谷脇健一、谷口浩隆、浅井拓海、石澤悟郎、石井悠太、清田英樹、清水達哉、瀬戸健太郎、神田勇介、小澤剛、小谷昭智、小川克徳、勝田亮、住友馨、時任美乃理、寺門裕子、山崎光弘、山口貴圭、山岸伸吾、佐藤宏之、佐藤栄司、合庭弘之、高田真樹子(長峰)、江口明、工藤祐司、光島保明、古屋素衛、橋本智哉、宮脇健、久須美達也、吉井圭、菊池寿子、海老原大、園田充、宇田川和男、宇田育弘、逸見彰一郎、井本貴明、安尾友佑、Yoshizawa Ryu、Toshiyuki Hayashi、Toru Shishikura、Takeru Miura、Tadayoshi Senda、Shuji Inaba、Shin Ichihashi、Norihiro Morita、Moto Suzuking、Kuldeep Chauhan、Kimura Yugo、Keiko Kitaoka、Hiroyuki Yamamoto、Hideaki Ozawa(略)


なかには、「gooの中の人」、と職務を書いている人もいる。
親会社の名前を公開していても、実際はgoo勤務のような人もいる。
勤務先を公表してないけど、明らかにgooの仕事をしているなと思われる人も多い。

そんなことがふと気になったのは、goo事務局の顧客対応に少しおどろいたからだ。

いまどき、「木で鼻をくくったような文面」とか
「説明を拒否して突っぱねるお役所的姿勢」とか、
「やわらかい言葉を挟まずにざっくり切り捨てる表現」とか、
なかなか目にすることはない。
とても興味深い文面を拝見させていただいた。

ぼくは以前オンラインサービスの事務局を担当して問い合わせやクレームに対応してた。
顧客との余計な摩擦を避けるために、顧客目線を心がけていた。
保身に回ってしまうと、相手が反発して事態が悪化する可能性が高い。
まずは相手のことを受け入れて、相手が満足するように現状を分析的に説明し、解決案を提示していた。

ところが、goo事務局は違うんですね。
サービス業だという意識は感じられなかった。
ネット上でgoo事務局の応対を批判してる文面を目にすることはあったけど、まさか当たっているところがあるとは予想していなかった。

いちばんおどろいたのは、判断の根拠を示さずに、「この記事の表現は名誉毀損のおそれがある」と判断して記事を削除させたこと。

法的にも、きちんとどの文のどの表現が不適切なのか、きちんと説明する義務があると思うけど、「必要はない」との一点張り。
ほんとうに調査・判断する力があるのかな。
こういった人たちには、芸術家や作家の表現を守ることができないのでは、と残念に思う。

むかし、あるお偉いさんに日本語や国語を専攻していた人たちが「この表現は日本語として問題がある」と指摘したところ、知識のないお偉いさんが「問題はない」と言い切っていたことを思い出した。
時として、問題点を感知できない人が堂々と妥当性を宣言する。

goo事務局の人は優秀だと思うけど、
わいせつな表現とか差別的表現などについても知識が乏しく、
少しでもクレームが来たら作家さんの表現をすぐ制約するのではないだろうか。

秩序のなかで安定を維持する人としてはそういった姿勢でいいのかもしれないけど、
レゾナントは新規事業を成功させないと事業存続もあやうくなるかもしれないのだから
ベンチャーっぽく、芸術家的な感性や創造的な姿勢も受け入れたほうがいいのではないだろうか。

レゾナント勤務を公表している人たちの屈託のない笑顔をスクロールしながら、
この中に、顧客対応を担当している人もいるのかなと想像した。


追記
ぼくは編集担当として、作家がもし放送禁止用語や差別的表現にあたる言葉を使用したいと言ったら、意図を聞いて精査する。そして、責任を持ってそういった言葉の使用をサポートする。
社会常識の枠組みからはみ出した思考を排除することは簡単だ。だけど、世界の仕組みは複雑で、一般人の価値判断基準だけでとらえられるものではない。ときどき思想家や芸術家は一般人から罪人視されることもあるけど、ぼくは表現者を擁護する立場でいたい。
コメント (10)
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