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波打ち際の考察

思ったこと感じたことのメモです。
コメント欄はほとんど見ていないので御用のある方はメールでご連絡を。
波屋山人

TOEIC高齢会長と親密女性「私物化経営」の実態(フライデー2009年6月12日号)

2009-05-31 01:59:00 | Weblog
先日、ふとアクセス解析を眺めていたら妙なことに気がついた。
なぜか水曜日に「TOEIC 室伏貴之」などのキーワードで検索してこのブログにアクセスしている人が多かったのだ。
「どうしたのだろう、何かTOEICにあったのだろうか」と思っていたら、金曜日発売のフライデーにTOEIC会長に関する記事が載っていた。
掲載されることを事前に知った人が何か情報を得ようとしたのだろうか。

フライデーは興味深いところに目をつけている。
講談社の野間社長は漢検協会の評議員だったし、国連英検とも関係があるし、あまり検定ビジネスに関して突かれたくないところはあるだろうけど、TOEICに切り込むとは勇気がある。

この記事は、第一弾なのだろうか。
TOEICに関する疑惑の一部分の概要を記事にしている印象。
次回は本題の、財団と関連会社をめぐるお金の流れについて報じるのだろうか。
取引材料によっては、第二弾を記事にしないということもありえるのだろうか。

伏字でAさんと報じられている室伏寿冠(香雲)顧問と渡辺弥栄司会長の付き合いは長い。
「125歳まで、私は生きる!」の単行本(2003年)と文庫本(2008年)には下記のような記述がある。
「私は三十年ほど以前から、のちに香雲流詩歌朗詠家元になる室伏寿冠先生について朗詠を学んでいる」
「室伏先生の朗詠は素直は発声で美しい。聞く人を恍惚とさせる。私はたちまち、先生の朗詠に魅了された。なぜか、希望を持って、人生を歩いていこうという気持ちにさせられた」
「私は今でも、短歌、漢詩の朗詠を続けている。そして、室伏先生とともに、日本、中国、アメリカ、ヨーロッパで短歌の朗詠をとおして日本文化を紹介する運動を担当している」

単行本の中でも自分のホームページの中でも、自分の親兄弟や室伏寿冠さん、通産省の偉い人などについての記述は多いけど、自分の妻に関する記述は一切ない。

たしか2年くらい前までは、TOEICを運営している(財)国際ビジネスコミュニケーション協会のサイトを見ると、和漢朗詠の会というよくわからない英語に関係なさそうな活動のリンクがあった。

・和漢朗詠の会へのリンク
http://web.archive.org/web/20070510205600/http://www.toeic.or.jp/iibc/

しかし一昨年に和漢朗詠の会のリンクもなくなり、去年には公式サイトに間借りしていた会長の個人的なホームページもなくなり、会長の影響力も削がれてきたのかと思っていたけど、新理事長を、室伏寿冠さんの息子さん(室伏貴之氏)に据えていたらしい。

単行本には室伏寿冠さんの着物姿も載っている。
フライデーに載っている老いた姿ではなく、きりっとした着物姿は美しい。
渡辺弥栄司会長がひかれるのもわかる。

2人はかつてビューティフル・エージング・ソサエティ(BAS)という団体の会長・副会長でもあった。

しかし、男女の問題とか協会の私物化とか、幹部理事の一方的解任とか、そういったことはこの件についての核心ではないだろう。
本題は、法的に検証されたお金の流れだ。

次回の記事を注視してみたい。
さすがにお金の問題が明らかになると、世論も動き出すだろう。
経済産業省も動くかもしれない。



追記
それにしても、Googleで「室伏寿冠」を検索すると98件しかヒットしない。
「室伏貴之」でも29件。
「渡辺弥栄司」は1480件。

なぜか渡辺弥栄司さんの姪っ子の方(スタンフォード大卒)のブログがトップページにあった。
> TOEICの理事長、これまたアテクシの親戚おじ様なんざます
>
> 元通産省に勤務してらっしゃって、うちの中条分家(正式には中条にある渡邉家本家)の中でも、
> 三木たかし叔父様みたいに崇められてる方なんざます

コメント (3)
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ジャンボジェットは軽い

2009-05-26 22:59:51 | Weblog
空を飛ぶジャンボジェットを見て、「あんな鉄のかたまりが空を飛ぶなんて信じられない」と嘆息する人もいる。
飛行機嫌いと伝えられる共和国の金正日総書記も、飛行機が空を飛ぶということが信じられないのかもしれない。

だけど、恐れることはない。
一見重そうに見えるジャンボジェットは、本当はとても軽いのだ。空を飛んで当然なのだ。

計算してみれば、イメージがつかみやすい。
467人も乗れる巨大なボーイング747(B747-8)の最大離陸重量は440トン。
サイズは、全長76.4m、全幅68.5m、全高19.5m。

300分の1の模型を作ると、
全長25.47cm、全幅22.83cm、全高6.5cm。
一辺の長さを300分の1にすると、体積は300の3乗で2700万分の1になる。

最大440トンのボーイング747を300分の1の模型にすると、16.3gにしかならない。
ちょうど、私の手元にあるA4サイズの封筒(角2型)の重さが、そのくらいだ。

ジャンボジェットは、その大きさの割に、非常に軽いのだ。
もちろん、主成分は鉄や紙ではなくて、丈夫で軽いカーボンやグラスファイバー。
強度も問題ない。

精巧な300分の1サイズの模型(16.3g以下)があれば、紙飛行機のように滑空させることができるのではないだろうか。
だから、ジャンボジェットが空を飛ぶのは当然なのだ。
共和国の総書記にも、安心してジャンボジェットからの景色を楽しんでもらえればと思う。
熱帯の海上で盛り上がる真っ白な積乱雲や、一面の雲海に沈む夕日は実に美しい。


(何か大幅に計算をまちがえていたらごめんなさい。数字に弱いもので)


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山岳的思考

2009-05-14 23:32:24 | Weblog
(ちょっと思ったことをメモ。構成もまとまりもなくてすみません)


東南アジアを旅すると、山奥の辺鄙な土地で山岳民族の人たちの姿を目にする。
質素な姿。細々と暮らしているといった印象。
広い平野は、支配者層のもの。

平らな広い土地は、画一的な大規模な穀物生産に適している。
大規模な農業によって富を蓄え、人を養う。
平地は、大規模な交通や物流にも適している。
物資を積み込んだ車両が広い道を行き交い、経済を発展させる。

それに比べ、山岳地帯は不便だ。
画一的な大規模栽培はむずかしい。交通も機能的と言いがたい。
平野の民の強大な力に抗するのは至難の業だ。

近代社会では生産力の増強を重視した資本主義が発達し、それに伴い平地の人口は増大した。
山岳地帯はさびれる一方だった。

かつて、日本でも世界でも広く山岳地帯に人口は分布していた。
しかし近世以降は大都市に人口が集積し、山岳地帯の集落は激減している。
江戸時代には、秘境にある集落は平家の落人だとか年貢逃れのだとか言われたけど、ほんとうは山岳民族の末裔の集落だったかもしれない。

縄文時代には山岳地帯にも人口は分布していた。
木の実や山野草、川魚などがあれば一定の人口を保持することができた。
経済も未発達だったし、大規模に密集して生活する必要があまりなかった。
長野の盆地だって奈良の盆地だって、山の中の豊かな森で、縄文の文化が栄えていた。

だが、そこに大陸や半島から新モンゴロイドの人たちがやってきた。
山に囲まれている平地にも大規模な田畑が作られ、渡来人たちは人口を増やした。
(被差別は渡来人とともにやってきたと言われる。今も奈良や長野には被差別が多い)


平野の民の強さは圧倒的だ。
山の民は永遠に日陰者、弱者なのだろうか。
山の民にシンパシーを感じる私は、山の民の世界観に将来性を見出したい。

どこもかしこも平野の民が世界を支配している。
スポーツではサッカー、野球、テニス、バスケットなど。あれは全部平地の民のスポーツだ。
華奢な山の民には不利。
ロッククライミング、木登り、アルペンスキー、クロスカントリーなどは山のスポーツかもしれないけど、球技は見当たらない。
機会があれば山の民向きの球技を何か考えてみよう。

私は、自分の遺伝子の中に山の民の影響を感じている。
母方の遠い先祖は山奥の僧だったらしい。
江戸時代初期に近畿地方で浄土真宗が圧倒的な力を持つ前、岡山などの中国山地周辺では山岳仏教が盛んだった。
山岳仏教は仏教と山岳信仰が結びついている。
山岳信仰には、山の民の記憶が残っている。

山の民は、概して細身で小柄だ。山において、大柄な体格は有利ではない。
山を登るには、身軽なほうがいい。
道の無い山中で木々を掻き分けて進むなら小柄な方がいい。

戦闘の場合でも、山であれば相手より少し標高の高い場所に行けば相手を見下ろし、振りかぶることができる。標高の高いところから飛びかかったりハイキックすることもできる。
山においては、身長差はあまり関係ないのだ。

平地の民は背が高く大きなことが多いけど、山の中で戦えば山の民に勝機がある。
ベトナムの山岳地帯や森林地帯で音もなくしのびよるベトナム兵に、アメリカ兵は恐怖を感じた。

山の民が復権するには、山岳的思考を携え、平地の強大な生産力を持つ勢力に、ゲリラ的戦術を試みるしかない。

大規模な産業が競争力を持つ資本主義も、大規模な政治的統制を必要とする社会主義も、結局は平地の民の価値観で世界を動かそうとしただけではないか。
標高や日の当たる場所によって多様な表情を見せる山岳地帯と違い、平坦な土地の人たちは、世界をコントロールするのは難しくないと認識しているのではないか。
そういえばアメリカにも中国にもロシアにも広大な平地が広がる。
だが、世界には山岳地帯も多い。ネイティブアメリカンも、チベットも、カフカスも、平地の民と戦ってきた。

山岳的思考は、ゲリラ的戦法を続ける。山岳地帯の集落が消えても、平地の大都市に潜む山の民が、様々な仕掛けを行う。


■平地的価値観に対するゲリラ戦
華奢でタフな人間の魅力をアピール。
平地でなくても可能な新しいスポーツやゲームの提案。
画一的ではない、人それぞれの価値観に基づいた生活の提案。
平地的価値観に基づく戦争から距離を置き、山岳的共生のスタイルを提案。
小規模高付加価値の農業の提案。
地元産農作物の消費奨励。
山岳リゾートの魅力をアピール。
山岳的価値観についての研究結果を発表


そして、世界は大規模農業が支配的になる以前の、まだ貧しかった頃の人類の記憶を取り戻す。
というわけにいかないものだろうかとちょっと妄想。


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東京都が外国語メニュー作成サイト

2009-05-12 21:19:24 | Weblog
東南アジアを旅していると、田舎町のレストランでも英語表記のメニューを出されることが多い。
英語のメニューがない店は、地元の人ばかり。

観光客に対応している店のほうがちょっと高い気もするけど、アルファベットを使っているベトナムならまだしも、タイやカンボジアの文字はまったく読めないから、英語メニューはありがたい。

日本でも外国語のメニューがもっと増えれば、外国人が助かるだろうな、と思っていた。
江戸川橋の焼きトン「みつぼ」で外国人もモツの刺身を食べればいいし、
九段下の「斑鳩」で日本最高クラスのラーメンを楽しめばいい。
歌舞伎町の「ぶんご商店」に行ってリーズナブルで新鮮な魚を味わってもいい。


だけど、日本の飲食店の多くは日本語ばかり。
そんな表示だと外国人には読めない。何を注文していいか不安になる。
せっかく日本にはおいしいものが多いっていうのに。

以前、翻訳会社の友人に、「飲食店や旅館などに営業して、英語メニューや中国語メニューの作成更新を行えないだろうか」と言ったことがある。

しかーし、すでに東京都が、ベンチャー企業のようにすばらしいサービスを作っていましたね。

・東京都外国語メニュー作成支援WEBサイト
http://menu-tokyo.jp/

これを使えば自力で簡単に英語メニューを作ることができる。
このシステムを活用すれば、外国のレストランに日本語メニューを置くことも簡単になるかもしれませんね。


フジサンケイビジネスアイでの紹介記事は下記の通り。
http://www.business-i.jp/news/ind-page/news/200905120020a.nwc東京都が外国語メニュー作成サイト 
訪日客の“和食観光”後押し
2009/5/12 フジサンケイビジネスアイ
外国人観光客に日本の食を楽しんでもらおうと、東京都は11日までに、飲食店がパソコンで英語、韓国語、中国語(繁体字と簡体字)のメニューを簡単に作ることができるインターネットのサイトを開設した。
 アクセスして自分の店で出しているメニューを選び、案内に従ってクリックするだけで、外国語のメニューを作成、印刷できる。登録されているメニューは、すしの「にぎり」はネタなどによって92種類、そばは「とろろそば」など49種類とほとんど網羅。
 アレルギーや宗教上の理由で口にできない食材が使われているかどうかが分かるよう、シンボルマークで表示することも可能だ。サイトには、料理名や使っている食材、産地など言語ごとに2560の単語が登録されているという。
 ここ数年、訪日外国人観光客のうち6割近くが都内を訪問。都は7月から都内の飲食店を対象に、サイトを使ってメニューを作成する研修を無料で開催する。2009年度中にフランス語とドイツ語も追加する予定。
 外国語メニューの作成システムはほかにもあるが、都は「これほど内容が充実しているものは初めてではないか」としている。サイトのアドレスはhttp://menu-tokyo.jp/





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忌野清志郎の葬儀式に行った。合掌。

2009-05-11 23:45:55 | Weblog
5月9日、青山霊園の青山葬儀所で献花式が行われた。
忌野清志郎さんが5月3日に亡くなられ、密葬が行われた後、一般にも広く見送る機会が与えられた。
6日までベトナムにいた私は、ホイアンという街の古風なホテル(VinhHung1)の部屋に据え付けられた、Acerのパソコンで忌野清志郎の訃報を知った。
帰国するとすぐにニュースを確認し、献花式に行くことにした。

献花は1時から6時までという話だったので、ぼくたちは午後1時前には乃木坂の駅に向かった。
青山霊園を横切る列は長い。
何キロも終わりが見えないほど続いていた。
木々の緑が美しい初夏の日差しの下、ぼくたちは静かに5時間以上並んだ。
足の疲れを我慢し、午後6時すぎにようやく献花を行うことができた。

忌野清志郎さんの遺影。その上には紅白の幕。
参列者の層は厚い。
30代、40代の人が多いけど、50~60代の人や、お子さんたちの姿も目立つ。
涙ぐむ人、写真を撮る人、歌う人、淡々と見送る人。

ぼくたちは、キヨシローさんの最後のライブに参加できたことをありがたく思う。
メディアではキヨシローさんの完全復活祭(2008年2月)が取り上げられているけど、最後の大きなライブは、仙台郊外で行われたアラバキロックフェスティバルの、トリのライブだった。(2008年4月27日)

昨年のアラバキロックフェスティバルでは、すべてのプログラムが終わりに近づき、交通帰りはじめた人たちの頭上に、金銀色とりどりの花吹雪が舞い散った。
エコがどうのこうのと言うイベントスタッフたちの声を無視して、夜空にキラキラとビニールの金銀の切れ端が舞った。
忌野清志郎の立つ舞台の脇から、何発もキラキラの花吹雪のかたまりが発射された。
何分間もキラキラと夜空に漂っていた。

忌野清志郎は、輝いていた。
最後のライブの声量は圧倒的で、迫力にあふれたステージだった。
楽しい時間を、ありがとう。

何万人もが見送ってくれるなんて、とても幸せな人だ。
それだけ多くの人に、幸せな気持ちを与えてきてくれたのだろう。
ありがとうございます。合掌。


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