3日連続赤色を入れてくるなんて、
我ながら相当マイってるんですね。
私的に赤は無理矢理心を奮い立たせる時の色ですからね、
そんな劇薬を使いまくるなんて、とっても危なっかしいです。
その日の気分を、言葉以上に明確に残すための今日の服装ですからね、
こういうことがあると、日々残してる意味もあるなと思えるわけです。
ただ、今回みたいに服装が信号を出していたとしても、
そんなのは自分にしかわからないことですし、
そもそも人の心は目に見えてわかるものではないですからね、
そこを見抜くのって難しいですよね。
私も出来るだけ気付いてあげたいと思うのですが、
継続的に会ってない限り、やはり見ただけではわからないので、
言葉に出さない人の場合、なかなか難しいです。
それに気付いたところで、どう対応すればいいかと言えば、
それも人それぞれですからね、やっぱり難しい。
過干渉せず、ほっておけば自己解決してく人もいれば、
ひとつひとつ掘り下げて痛みの元を引き出してあげなければならない人もいる。
いや、人というか抱えている問題によって
同じ人でも、ほっておいたり、引き出したり、違う対応をする必要がありますからね、
なんともはや、難しい。
難しいのでそんな話は放り投げまして、
とりあえず最近思うんです。
質量保存の法則は、
実は感情にも生きているんじゃないかって。
全ての人の感情がプラスに転じれば、
それはそれはステキな世の中なんですけどね。
でも残念ながらそうではなく、世の中に存在する感情の量は一定で、
プラスな人がいるとき、常にマイナスな人がいて、
それで感情の均衡が保たれてるんじゃないかって。
つまりはプラスな人のために今の私はマイナスになってて、
要は、ある意味、私はプラスの人を支えていて、
さらに言えば、世界規模で感情の均衡を保たせてるんじゃないかって。
私のマイナスが人を支え、世界の感情の均衡を保ってるっていうなら、
それはそれでカッコ良くていいですよね、なんか明るくなります。
ただその考えを採用するとなると、もし私がプラスに転じたときは、
必然的に、どこかにマイナスな人が生まれてしまうので、
自分がプラスになることに責任を持たなければなりません。
始終プラスであり続けず、マイナスな人に手を差し伸べて、
出来る限り、お互いゼロに保たせるような。。。
言葉を変えれば、自分の幸せに浮かれず、周囲を見渡し、
たとえ幸せの時間が削られても、他人の不幸せに手を差し伸べて、
一言でも言葉をかけてあげられる自分であろう、というか。
なんにせよ、自分だけ幸せであればいい、なんて、
そんな感情で生きてしまうのは淋しいことな気がします。
その方が楽なので、いつそちらに転ぶかわかりませんけどね、
転べたら、今マイナスになってないんでしょうね。
いやはや、なんて生きるのが難しい世の中に、
自分で勝手にしてるものだ。
『CASSHERN』みたいなこと言って、大丈夫かな。
我ながら相当マイってるんですね。
私的に赤は無理矢理心を奮い立たせる時の色ですからね、
そんな劇薬を使いまくるなんて、とっても危なっかしいです。
その日の気分を、言葉以上に明確に残すための今日の服装ですからね、
こういうことがあると、日々残してる意味もあるなと思えるわけです。
ただ、今回みたいに服装が信号を出していたとしても、
そんなのは自分にしかわからないことですし、
そもそも人の心は目に見えてわかるものではないですからね、
そこを見抜くのって難しいですよね。
私も出来るだけ気付いてあげたいと思うのですが、
継続的に会ってない限り、やはり見ただけではわからないので、
言葉に出さない人の場合、なかなか難しいです。
それに気付いたところで、どう対応すればいいかと言えば、
それも人それぞれですからね、やっぱり難しい。
過干渉せず、ほっておけば自己解決してく人もいれば、
ひとつひとつ掘り下げて痛みの元を引き出してあげなければならない人もいる。
いや、人というか抱えている問題によって
同じ人でも、ほっておいたり、引き出したり、違う対応をする必要がありますからね、
なんともはや、難しい。
難しいのでそんな話は放り投げまして、
とりあえず最近思うんです。
質量保存の法則は、
実は感情にも生きているんじゃないかって。
全ての人の感情がプラスに転じれば、
それはそれはステキな世の中なんですけどね。
でも残念ながらそうではなく、世の中に存在する感情の量は一定で、
プラスな人がいるとき、常にマイナスな人がいて、
それで感情の均衡が保たれてるんじゃないかって。
つまりはプラスな人のために今の私はマイナスになってて、
要は、ある意味、私はプラスの人を支えていて、
さらに言えば、世界規模で感情の均衡を保たせてるんじゃないかって。
私のマイナスが人を支え、世界の感情の均衡を保ってるっていうなら、
それはそれでカッコ良くていいですよね、なんか明るくなります。
ただその考えを採用するとなると、もし私がプラスに転じたときは、
必然的に、どこかにマイナスな人が生まれてしまうので、
自分がプラスになることに責任を持たなければなりません。
始終プラスであり続けず、マイナスな人に手を差し伸べて、
出来る限り、お互いゼロに保たせるような。。。
言葉を変えれば、自分の幸せに浮かれず、周囲を見渡し、
たとえ幸せの時間が削られても、他人の不幸せに手を差し伸べて、
一言でも言葉をかけてあげられる自分であろう、というか。
なんにせよ、自分だけ幸せであればいい、なんて、
そんな感情で生きてしまうのは淋しいことな気がします。
その方が楽なので、いつそちらに転ぶかわかりませんけどね、
転べたら、今マイナスになってないんでしょうね。
いやはや、なんて生きるのが難しい世の中に、
自分で勝手にしてるものだ。
『CASSHERN』みたいなこと言って、大丈夫かな。