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イタリアより

滞在日記

レッチェからオートラントへの行き方その1.

2023年06月21日 | オートラント

ポポロ広場

Piazza del popolo

2022.12.23撮影

『オートラントへの行き方』は、各地域から様々にありますが、今回は「レッチェ」を起点としてお話したいと思います。というか、最も効率よく(列車の遅延は想定内として)、そして日帰りが可能な都市はレッチェだろうと思います。その行程を簡単に言えば、

「Lecceレッチェ駅」→「Zollinoゾッリーノ駅/乗り換え」→「Maglieマリエ駅/乗り換え」→「Otranto駅」

あるいは、乗り換えが一回で済んで、「Lecceレッチェ駅」→「Maglieマリエ駅/乗り換え」→「Otranto駅」となります。

私は往時は、二度、帰路は一度の乗り換えでした。なお、利用する鉄道は「Ferrovie del Sud Est」(スド・エスト鉄道)。プーリアを走るローカル線です。

行きはzollinoとmaglie二度

帰りはmaglieで一度の乗り換え

でした

前夜ネットで調べた時刻表

走り書きですが

当初 ↑ の予定

-続く-

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オートラント城綺譚/アラゴネーゼ城その3.

2023年06月13日 | オートラント

旧市街への入口「Porta Terra」(ポルタ・テッラ)

この門をくぐってお城へ行きました

2022.12.23撮影

小説「オートラント城綺譚」の舞台となったアラゴネーゼ城…

お城の地下牢に続く『地底の世界は、ちり毛の寒くなるような静けさ』で、『錆びついた蝶番(ちょうつがい)のギーとなる音が、真っ暗な長い迷路に木霊(こだま)する』『森のうしろには岩山(いわやま)があってそこに迷路のような洞窟が幾つも…』(本文より)

お城からすぐの

Torre Matta」から見た

アドリア海の風景 

2022.12.23撮影

お城は、暗く陰鬱な木々に囲まれて~と、勝手なシチュエーションを描いていた為に、今、目の前にあるアドリア海の入口に面したアラゴネーゼ城の、余りにも開けた明るい雰囲気にすっかり戸惑ってしまいました。

晴天下、青い海がこんなにまで美しく広がるこの地に、いくら中世の世だといっても幽霊なんて似合わない。小説の舞台は、ほんとうにこのアラゴネーゼ城なのかしらん?周辺を随分散策しましたが、歩けばあるくほど、その思いは強くなっていきます。

オートラントのメインストリートから

2022.12.23撮影

物語は、親子の情愛をからめつつ、自己の欲望が悲劇をもたらす結末へと展開していきますが、アドリア海の静かな港の風景を眺めながら、気持ちはいつまでもモヤモヤとしておさまりがつきません。確かに文中には「シチリア」とか「アルフォンゾ公」とか「聖ニコラス」など、南イタリアの地に符合する固有名詞がそれっぽく出てはくるのだけれど…って、たかがマニアックな古い小説なのにどこまで思い詰めるんや~って話なのですが…

アラゴネーゼ城/ウキペディアより

この中庭に

巨大なお化け兜が落ちて来た?

が、帰国して、ひょんなことからこんな動画を見つけてしまいました。「オートラント城綺譚」の舞台となったお城は、ここアラゴネーゼ城ではない。チェコに実在したお城だというのです。もしや私と同じような感想を持ち、しかも城跡を調査してまで事の真相を明らかにしようとした人が居た?

この城こそが「オートラント城綺譚」の舞台となった

チェコの「オトルハン城」…

動画「オトラントの城」

まさしく吃驚(きっきょう)の思いで見入りましたが…

その後、更に調べるとこの動画は

チェコ・シュルレアリストのシュヴァンクマイエルによる
ウォルポールのゴシック小説の先駆的作品
 The Castle of Otranto『オトラントの城』(1764 年)を翻案した
短編映画 Otrantský zámek「オトラントの城」(1973‐79 年)。

なのだそう…#

えっこんなオチ?何だか一気に冷めたというか、憑き物が落ちた気分です…しかし「事実は小説よりも奇なり」という…もしかしたらなぁ…とも思うけれど、いやいや、これ以上詮索するのはやめておこう。。。-完-

コメント (2)
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オートラント城綺譚/アラゴネーゼ城その2.

2023年06月10日 | オートラント

オートラント城

お天気に誘われて

お城の周辺も散策

2022.12.23撮影

ゴシック文学の金字塔とも呼ばれる不朽の名作「オートラント城綺譚」(ホレス・ヴォルポール作/平井呈一訳)。奇しくもこれから行く先のお城の物語なので、どんなに期待を膨らませドキドキとしてページを開いたことでしょう。。。元来ホラー小説や映画は、手で顔を覆い、指の隙間から覗くように読んだり鑑賞したりで、ただ単に怖いもの見たさなのだけれど、それにしてもなぁ…いや、確かにそうなのだけれど、ちょっと抜粋しただけでも…

・『シェー!マ、おそろしや!今聞いたことわいのう!見たことわいのう!』(本文そのまま)

・『ヘイ、わたくしめは隣に住む作男でごぜえます』(本文そのまま)

といった、本文の文体は所謂、擬古文訳。「ここは江戸か?」とツッコミながらそのユーモラスでリズム感ある文章に拍子抜けするとともに、お陰で、残虐であろうと思われる場面もさらりと読み流せ、リアルな情景もそう思い描かずに済みました。でないと、夢に出てきそうで…それどころか、真夜中、ホテルの部屋の壁に掛けてある絵が動きでもしたならば…(-"-)💦

オートラントへ行く際の

拠点にした

レッチェのホテルの部屋

この小説は、オートラントの城主であるマンフレッドを中心に、妻のヒッポリタ、娘のマチルダと息子コンラッド、コンラッドの婚約者であるイサベラを巡って物語は進みます。マンフレッドのキャラは悪代官。女性はいずれも心優しく品位あふれるお妃たちです。

ネットより

お城の中庭に巨大な兜(かぶと)が落ちて来る…

のっけから、マンフレッドの息子のコンラットが、巨大な兜(かぶと)に押しつぶされて、身がこなごなになるという、それこそ『身の毛もよだつ』展開に身を縮めることになりましたが、イケメンの若者セオドアが登場し、ストーリーは恋愛がらみの様相も呈していきます。『オートラントに昔から伝わる古いお告げ』がこの物語の核となり、以降は混とんとしていくのですが…

どこを切り取っても

堅牢な要塞に囲まれている

2022.12.23撮影

暗く、鬱蒼とした森の中に立つお城…地下牢には魑魅魍魎(ちみもうりょう)が住み付き、亡霊の出現に人々はおののく…う~ん…う~ん…何かが違う…

-続く-

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オートラント城綺譚/アラゴネーゼ城その1.

2023年06月08日 | オートラント

オートラント城

2022.12.23撮影

オートラントでもう一つ目を引いたのは、9世紀にビザンツ帝国の要塞として建てられた「オートラント城」でした。正式名称は「Castello Aragonese di Otranto」アラゴネーゼ城、アラゴン城とも呼ばれています。

今更ながら

イタリア半島最東端に位置するオートラント

イオニア海を抜けてエーゲ海へ出れば

ギリシャやトルコはすぐ

イタリア半島最東端に位置するオートラントは、古くから東方へ向かう重要拠点であったとともに、イスラム教徒の支配国家であったオスマン帝国からは、攻め入られる絶好の対象でもあって、その為に町を守るべく、幾度もの改築が行われて来ました。

大聖堂の横にある脇道を行けば

アラゴネーゼ城はすぐ

2022.12.23撮影

有名なところでは、13世紀にフェデリーコ二世が、14世紀にはナポリ王であったアルフォンソ2世がこの城のリノベーションを手掛けています。古代より何百年にもわたって堅牢な城を築き上げてきたオートラント。その歴史故か、なんと「現代ホラー小説の祖」である『オートラント城綺譚(きたん)』の舞台として、その名が登場していました。

大聖堂すぐ横の

「チェノビア・バジリアーノ通り」へ

旅行前に知ったこの小説は、もう興味津々で、大急ぎで買い求めて読んだ訳ですが…文庫本わずか160頁ほどの短編だった為、あっという間に読了。今日のホラーの元祖と謳われているから、どんなにおどろおどろしく、奇怪で恐怖に満ち満ちているか…

旅行前に読んだ「オトラント城綺譚」

綺譚(きたん)とは

❛ 不思議な物語 ❜の意

ちなみに、わたしがこれまで一番怖かったホラー(怪談話)は、ギリシャ生まれのラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の、それこそ「怪談」に収められた短編「耳無し芳一」の物語。切なさも勿論あるのだけれど、そのストーリーにはやっぱり身震いがする…

-続く-

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オートラント大聖堂その5.

2023年05月29日 | オートラント

 

モザイク画の配置

サイトの説明を参考に

モザイク画の主なテーマを記入してみましたが…

全体を表す図から、先ず入口から延びる中央身廊には背の高い「生命の木」が配され、その枝に聖書や神話、歴史上の登場人物が引っ掛けられたように描かれています。旧約聖書では、この木は「神が不滅であるのを現わしているのだそうで、入り口から「救いの場所である祭壇」まで、それぞれのモザイク画をたどりながら信者を導くのだそうです。

入口にあるトランペットを吹いて巡礼者を歓迎する

二人のうちの一人

⁂私も歓迎してくれたのかしらん…

2022.12.23撮影

パンタレオーネは、「木」は「生命の源」であるとし、「人類の歴史」をぎゅっと凝縮してこの中央身廊に描いたようでした。旧約聖書のみならずギリシャ神話にまでも神の啓示を受けたがごとく。。。

中央身廊中ほどに描かれた「ノアの箱舟」

サイトより

入口のディアナかアマゾネスのいきなりの登場には驚きましたが、そういえば、有名なアダムとイブのストーリーやノアの箱舟、カインとアベル兄弟の確執もそれと分かる程に描かれています。。長椅子に邪魔されて、この辺りの実際のモザイク画は写真に収められなかったけれど、全体を俯瞰したならば、成程と理解できることもあって、この大聖堂の床の壮大な物語は、来館者に迫ってくるようでした。

 アプスのモザイク画

アプスと呼ばれる後陣には、神様にたてついた為に魚に飲み込まれてしまうというイスラエル人の預言者「ヨナの物語」も展開しています。同じく旧約聖書に登場する怪力サムソンも描かれてパンタレオーネは、この「典礼の空間」で、「善の勢力が悪の勢力」に打ち勝つ、つまりはキリストの勝利を語っているのだそう。

右側通路の「生命の木」と守護者として描かれているライオン

2022.12.23撮影

右通路に行くと、ここにも「生命の木」が描かれていますが、全体を通してパンタレオーネは、善と悪の戦い、愚と賢の対比、そして美徳や贖罪にいたるまで人間のドラマを象徴したかったようで、この通路もそれらのテーマに外れることのない力強い絵柄が広がっていました。

中には、「訳わからん」と思わずつぶやいた、奇怪な動物もあちこちに居るのだけど、それでも人類をサタンから解放する象徴としてライオンを配し、更にはこの獅子を木の守護者として描いていると知れば、暗澹たる世の中にあってもなんと救いがあることか。

天国のエリアに描かれた「イサクとアブラハム」

彼らの膝には「救済される魂」が抱えられている

地獄の象徴「サタン」のモザイク画

又、左通路側は、天国と地獄に分かれていて、入口から向かって左半分が天国、右半分が地獄を描いています。ダンテの「神曲」がちょっと思い浮かびましたが、ここでも描かれている「木」はキリストの象徴でもあって「最後の審判」として配されているのだとか。

左通路に描かれた「木」・中央身廊の「生命の木」・右通路にも「木」

2022年12月23日、床一面に広がるというモザイク画を、ただ単に見たいとの思いで訪れた大聖堂でしたが、まさかこんなに感銘を受けるとは思いもよりませんでした。

聖堂が建てられた当初からこのモザイク画が施されていた訳ではないようですが、パンタレオーネの製作が完成以降、礼拝した信者や巡礼者たちは、聖堂に一歩足を踏み入れたらこの壮大な物語に身を置くことになり、神への崇拝やキリストへの信仰をより一層深め、更なる救いを得たことでしょう。

なお製作者のバンタレオーネは修道士の長老だったようですが、その出自の詳細は分かっていないとか。けれど、東西文化の融合を図り、旧約聖書やギリシャ神話にまで基づいたこれだけの構成を組み立てた上、60万個もの石で、モザイク画を二年で完成させるとは、その情熱と精神力、そして教養は並外れたものだったのですね。眼光鋭く、神に導かれるがまま、聖堂の床に石を敷き詰めていく、そんな彼の獅子奮迅の働きを垣間見たようでした。-完-

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