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「文章読本 X」 その2 小谷野 敦

2017年04月14日 00時23分57秒 | 文章読本(作法)
 「文章読本 X」 その2 小谷野 敦  中央公論新社 2016年

 「文章がうまい、とは何か」 P-18

 前略

 人はかっこうをつけたがって、別に周知のことでもないものを、「周知のこと」と書きたがるものである。「人形浄瑠璃を今日文楽と言うのは、明治時代に大阪で上村文楽軒が文楽座という人形浄瑠璃の小屋を運営していたからであることは、今さら言うまでもない」といった類である。これは、国文学者が国文学者相手に書く分にはいいようだが、逆に国文学者なら、それこそ言うまでもないから書かないだろう。言うまでもないなら書かなければいいのに、書いてしまうのが病である。

「知れ切ったことだ」というのは小林秀雄のよく使っていた言葉だが、これも嫌味で、知れ切っているなら書かなければよいのである。概して、文芸評論のまねをしようとすると、文章は悪くなる。私は今でも、さすがに「周知のとおり」はやらないが、「言うまでもなく」は書きそうになってあわてて消すことがある。またこれに類する言い回しとして「を引くまでもなく」がある。

 後略