民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

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「神農さん」 浪越 繁信

2013年05月07日 00時18分54秒 | 大道芸
 「日本の放浪芸」  小沢昭一 著  白水社  2004年

 一、祭りの露天 P-304
 浪越 繁信(東京を中心に活躍したテキヤさんの親分)と小沢昭一との対談。

 <神農さん>
浪越 「われわれは、お医者さんがお祀りしている神農皇帝を、われわれの神と崇めています。
神農皇帝とは、支那の象徴の神様でして、われわれに言い伝えたもとは、
朝廷の息子、すなわち皇太子が山に入って草根木皮をなめて、毒になる草も食う。
するとお腹をこわす。
下痢を止める薬はないかといろんな草の根、木の皮をかじってみて、
つまりゲンノショウコだとか、今の漢方薬ですね。
漢方薬を体験して、これを持って町へ降りて、衆生済度(しゅじょうさいど)ですね、
病気の人にこれはこのように効くんだから飲みなさいと、
薬というものを知らない時代に一般に広めたと同時に、
今でいう小売商の困った人々に、市を開いて物々交換をすることをやらせた。

 市を開いたということ、それから薬を広めたということ、
これによってわれわれはこの人を神様として、われわれの親分を神農皇帝にたとえて、
あの人は神農さんだと、あれは博多の神農さんだと、あれは山形の神農さんだと、
つまり県一番の親分を神農さんというふうに。
われわれが代目の杯をするときには、今日から神農になりましたということですね。
そもそもの始まりはそれからきてるようです。」

小沢 「関西の方では、今でもテキヤと言わないで、神農さん、神農さんと言ってるようですね。」

浪越 「そうです。ただし、神農さんというのは親分さんのことです。
表へ出る香具師のことを、テキヤ、あるいは、香具師、露店商、外商組合、移動露店などと称して、
いろいろ言いますが、テキヤはそのときそのときで当たるものを持って行って売るから、
字に書きますと「当たり矢」が「的屋」ですね。
ヤシは香具師。香具師とはなんぞや、ということになると、
戦国時代、各地の郷士が自分の配下、小作人をまとめて戦争屋さんのお手伝い、雇い兵に行ったんですね。
雇われ兵で給料、米をもらい食っていた。
ところがいちおう徳川が世の中を治めた。
世の中が治まってくると、自分の禄高では雇えなくて、
先祖代々の正社員はしかたないが、雇い兵はクビにした。
クビにされた雇い兵が食うに困るわけです。
といって、今さら国に帰れない。そこで、今までは、おい、小沢、田中で付き合ってたんだが、
クビになったんだから、侍の女房が使う香具(化粧品)、紅(べに)、白粉(おしろい)、
香料といった香具を仕入れて、もとの友達に、どうせ買うなら俺から買ってくれと売りに行った。
香具を売って生活をしたのが、家庭訪問販売だけでは食えなくなって、
露店というものが盛んにあった時代ですから、その香具をもって露店に出たんですよ。
それで香具師になった。
これはコウグシなんですね。
香具師は本当の武士ではなく、野武士だったんですね。
田んぼをやってたのが、武士になった。
野の士です。ヤシ。
そこで香具師と書いてヤシと読むようになった。」