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老人力、暴走老人、後妻業-変わる老人像

2014-12-01 12:20:34 | シニアの暮らし-過去と今と
 10月に77歳で死去した赤瀬川源平は、98年に『老人力』を出版し、ベストセラーになった。この本を書いた動機は、当時60歳頃の自身がベトナムに行ったとき、物忘れが多いことを同行者と積極的にとらえようと語りあってあみ出した言葉とのことだ。
 当時は明治、大正に生まれ戦争を体験した人たちが70~80歳代になり、長い老人の時間を過ごす人が増加していた。その人たちを「それでいいんだよ」いたわり励まし、老人に対して敬意の念がにじみ出ていた。
 ぼくの母は80歳代で、しきりに自分の老いによる物忘れやからだと家事力の衰えを嘆いていた。久しぶりに会う弟は、「老人力」の話を懸命にして励ましていたようだ。

 07年に藤原智美がノンフィクションの『暴走老人!』を著した。ぼくは必要な本と思って読んだ。啓発書ではなく老人を取り巻く社会環境と今日的に突出した老人とも思われる姿を描きながら、現代社会を語るあるいは現代文明論でもある。
 世を達観して穏やかな暮らしをする存在という老人像を現代社会ではありえないと。
 現代老人を時間、空間、感情の3つの窓からみて、事例と文献を紹介しながら筆を進めている。例えば時間では「待つ喜び」が消失し「待たされる苦痛」が広がっている。それがかつて百年を経て変化したことが、10年もしないで進行していると。社会学研究者の論考でなくフィクションでもなく随所に文献から内容を紹介して、氏の博識が深みのあるおもしろさを作っている。
 この本は、超高齢化社会に向かう社会と老人を通して時代を読み解くヒントを提供している内容でもある。
 分かりやすい事例として思いつくのは、尖閣諸島問題の火付け役をした元知事が該当しそうだ。知事の権限外の外交問題である領土のことを、都が購入するとアメリカでセンセーショナルに発表し、その後の国家間の緊張となる問題にした。なお、氏自身が暴走老人でいいと発言し、それを自認していた。
 別な話としては、老人のストーカー行為ケースがあり犯罪も増加の一途をたどっている。それを反映して刑務所では受刑者の介護問題が業務になっているという。

 最近黒川博行が小説『後妻業』を出版した。これは「暴走老人」の事例であるとともに、孤独な老人をめぐって生じている相対的に独立したジャンルを作っているようだ。
 28日のTBSの「ひるおび」で著者が語るには、この本は取材をもとに90%ぐらい実際の出来事を小説仕立てに著したとのことだ。後妻を「業」といってもよいぐらい複数の人と結婚や内縁関係を作り、看取るとのことだ。財産が目当てなので、看取りに結びつく凶悪犯罪に行き着く疑いのケースはめずらしくないという。
 老人の男女比では圧倒的に女性人口が多く、一人暮らしとなると男性は「遠い親族より、身近な悪女」となると黒川氏は強調していた。この本の内容は犯罪が老人の再婚事情と犯のようだ
 今盛んに報道されている合計10億円を手に入れているとされる女性の例は、まれなケースではないという。ただしこの件は、自供していないのに犯人であるかのような内容が報道されているのは問題がある。
 100歳以上が5万8820人で、65歳以上が25%になっている現代、加速的に増える老人人口は、今後の日本に何をもたらすのだろう。

 80年代半ばに『痴呆性老人の世界』というドキュメンタリー映画があったことを思い出す。老人というくくりの人間の世界を、この映画はよく描き出していた。男性の孤独に対して女性の語らいが対照的だったのが印象に残っている。
 ただしこの時代の老人は「男女7歳にして席を同じくせず」という教育を受け、性的役割分業を強いられていた。CMの「男はだまってサッポロビール」が当たり前のジェンダーバイアスの強い時代だった。
 今は男女にかかわりなく孤独なのかもしれない。「迷惑をかけたくない」と多くの人が思い、「エンディングノート」を書くことことを求められる。「エンディングノート」あるいは「終活」といわれているものは「迷惑をかけない」と自らで完結しなければ、という思いではでは共通点がある。夫婦、親子、あるいは兄弟の関係がゆだねられる安心の関係がどうなっているかということなのか。
 生死観が、生きることに強く執着し死を穏やかに迎えることのできない時代なのかもしれない。

*このコラムは、12月4日に加筆修正した。
*上記の10億円を手にしたと言う女性は部分的に自供をし、状況証拠のようだが起訴に踏み切った。(12月12日追記)








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