近くの中学校の合唱発表会が市のホールでおこなわれたのを聞いた。中学生の合唱をまとめて聞くのは、初めての体験だった。中学生が合唱に真剣向き合っている自体ぼくにとって新鮮で、感涙に浸ることが多く、幸せな3時間だった。
各学年7クラスの21クラスが、ぼくの知らない歌を次々歌う。曲は、中学生が必要としている言葉、大人がこの年齢の生徒に託したいメッセージを込めている歌詞のものが多い。印象に残っている言葉としては「未来」「明日」といったことだろうか。合唱曲として作られたものだけでなく、シンガーソングライターという人たちがつくったものを合唱に編曲した曲が多い。
中学生が整然としかも過緊張となることな自然に歌っている姿、ぼくにとって感動だった。中1は女性の声が豊かになり、男性は男性の声として定まらない人が多い年齢だ。体も女性のほうが大きい人が多くいた。
中2では、男性の声が充実している人が多くなる。体も男性のほうが大きい人がいた。それに取り組みに時間をかけたためか、歌唱表現もしっかりしているクラスが多かった。中3になると男性の体が大きくがっちりした人が多い。学年全員の歌の際にステージいっぱいになったのが、象徴していた。
演奏は生徒も先生も必要としている歌詞の歌だ。そのなかで細かいリズムのメロデーに言葉をたくさん添えている歌は、コーラスとしての完成していくのは難しいように思えた。唯一いわゆる名曲ものの「モルダウ」を歌ったクラスがあった。歌唱表現ハーモにとも演奏水準が高かった。このクラスにはひときわ大きく長い拍手だった。生徒が合唱の完成度にも関心を持てているのだ。歌った生徒たちも手ごたえを感じ、合唱することへの充実感があったことだろう。
いわゆる中学生向けの曲がたくさんあることがわかった。それらの曲は言葉を重視しメッセージ性がある。そういう選曲が多かったが、合唱として表現するのは簡単ではない。
参考までに中3の曲を記そう。
決意 作曲 鈴木憲夫
手紙 作曲 アンジェラ・アキ
けふといふ日 作曲 佐井孝彰
桜の季節 作曲 ATSUSHI マシコタツロウ
YELL 作曲 水野芳樹
虹 作曲 森山直太郎 御徒町凧
ここにしか咲かない花 作曲 小渕健太郎
信じる(学年合唱) 作曲 松下耕
思いついたことは、かつてよく歌われた「大地賛頌」の場合は、壮大さのイメージと合唱曲としてハーモニーを大事に作曲されている。それと同時に各パートが時にメロデーとなりそれがフーガ風に織り成すように作られている。歌いこむことによって自分に確信が芽生えるような、曲自体にそのような力があるように思える。
担当の先生は、コンクールでなく発表会にしている意義を強調した。歌は競い合うのではなく歌うことそしてハーモニーを楽しみ喜びの体験が大事だと。
ぼくはクラス単位で歌うのだから、コンクールでないのが当然のことと思っていた。どうしてそれを強調するのかと思って後に周辺に聞いてみたら、中学ではクラスごとのコンクール形式にしている学校が多いとのことだ。部活として歌うことを追及している生徒ではなく、演奏という子どもたちに成果がわかりにくい活動を、クラス単位歌った結果に序列をつけるのでなく、発表会にしている方針に共感を覚えたのだった。
プログラム中ほどに先生総勢40人ほどの合唱があった。教科、担任とさらに部活の指導で日頃忙しい先生方が、合唱を披露するということに敬意の気持ちがいっぱいになった。発表会のテーマ「心がひとつになった瞬間、ハーモニーはうまれる」ということは学校に行きわたっているのだった。
各学年7クラスの21クラスが、ぼくの知らない歌を次々歌う。曲は、中学生が必要としている言葉、大人がこの年齢の生徒に託したいメッセージを込めている歌詞のものが多い。印象に残っている言葉としては「未来」「明日」といったことだろうか。合唱曲として作られたものだけでなく、シンガーソングライターという人たちがつくったものを合唱に編曲した曲が多い。
中学生が整然としかも過緊張となることな自然に歌っている姿、ぼくにとって感動だった。中1は女性の声が豊かになり、男性は男性の声として定まらない人が多い年齢だ。体も女性のほうが大きい人が多くいた。
中2では、男性の声が充実している人が多くなる。体も男性のほうが大きい人がいた。それに取り組みに時間をかけたためか、歌唱表現もしっかりしているクラスが多かった。中3になると男性の体が大きくがっちりした人が多い。学年全員の歌の際にステージいっぱいになったのが、象徴していた。
演奏は生徒も先生も必要としている歌詞の歌だ。そのなかで細かいリズムのメロデーに言葉をたくさん添えている歌は、コーラスとしての完成していくのは難しいように思えた。唯一いわゆる名曲ものの「モルダウ」を歌ったクラスがあった。歌唱表現ハーモにとも演奏水準が高かった。このクラスにはひときわ大きく長い拍手だった。生徒が合唱の完成度にも関心を持てているのだ。歌った生徒たちも手ごたえを感じ、合唱することへの充実感があったことだろう。
いわゆる中学生向けの曲がたくさんあることがわかった。それらの曲は言葉を重視しメッセージ性がある。そういう選曲が多かったが、合唱として表現するのは簡単ではない。
参考までに中3の曲を記そう。
決意 作曲 鈴木憲夫
手紙 作曲 アンジェラ・アキ
けふといふ日 作曲 佐井孝彰
桜の季節 作曲 ATSUSHI マシコタツロウ
YELL 作曲 水野芳樹
虹 作曲 森山直太郎 御徒町凧
ここにしか咲かない花 作曲 小渕健太郎
信じる(学年合唱) 作曲 松下耕
思いついたことは、かつてよく歌われた「大地賛頌」の場合は、壮大さのイメージと合唱曲としてハーモニーを大事に作曲されている。それと同時に各パートが時にメロデーとなりそれがフーガ風に織り成すように作られている。歌いこむことによって自分に確信が芽生えるような、曲自体にそのような力があるように思える。
担当の先生は、コンクールでなく発表会にしている意義を強調した。歌は競い合うのではなく歌うことそしてハーモニーを楽しみ喜びの体験が大事だと。
ぼくはクラス単位で歌うのだから、コンクールでないのが当然のことと思っていた。どうしてそれを強調するのかと思って後に周辺に聞いてみたら、中学ではクラスごとのコンクール形式にしている学校が多いとのことだ。部活として歌うことを追及している生徒ではなく、演奏という子どもたちに成果がわかりにくい活動を、クラス単位歌った結果に序列をつけるのでなく、発表会にしている方針に共感を覚えたのだった。
プログラム中ほどに先生総勢40人ほどの合唱があった。教科、担任とさらに部活の指導で日頃忙しい先生方が、合唱を披露するということに敬意の気持ちがいっぱいになった。発表会のテーマ「心がひとつになった瞬間、ハーモニーはうまれる」ということは学校に行きわたっているのだった。
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