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ラジオの思い出ー①灯台放送

2016-10-03 17:09:25 | シニアの暮らし-過去と今と
「灯台放送」が9月30日で廃止になった、とのことです。船舶に対しての「気象情報」のことで、以前はラジオでやっていました。小学生の時ラジオよく聞いていたのでその放送を思い出しました。「小名浜、南東の風、風力〇・・・」という具合にずっと同じテンポで続いていました。それがいまだに耳に残っています。なぜか「小名浜」という地名が記憶にとどめていて、50歳代にその地がどこにあるか地図で調べたら、福島県いわき市でした。ほっとした気持ちになりました。
 この放送は聞くともなしにラジオを消さないままでした。今思うと、アナウンサーが一定のテンポできれいな声で読み上げることの心地よだったようでした。それに読み上げられる日本各地の地名が、住んでいる地域に留まらない広がりを感じ取りたかったようでした。
 日本全体の広がりも感じ取る手掛かりとなり、大人になったら家を出て東京で暮らしたいと、小学生のころから芽生えたひとつだったようでした。

 漁村だったのと日本全体が第1次産業に力があった時代なので、自然の中での遊びが中心でした。それが苦手だったこともあり、ラジオに耳を傾けることに多くの時間を割いていました。

 「尋ね人の時間」(46年から62年まで)というのがありました。これも同じテンポで抑制的な声でたんたんと名前と要件が読まれてました。これも中学年ぐらいからは耳を傾けて聞いていました。
 中国の地名「ハルピン」「満州」のいくつかの地名、樺太の「大泊」といったことがすぐ浮かびます。母に放送の内容をを聞いてから、「〇〇さんは引揚者」といった大人の会話、引揚者住宅、傷痍軍人など結びついたようでした。
 それから40年ぐらいたってからでしょうか、「中国残留孤児」の帰国があり、テレビに映し出された行方を捜している顔写真の姿を見て、この放送と結びつきました。テレビの画像をじっと見ずにはいられませんでした。
 この放送の冒頭の音楽は、どうもハイドンの交響曲101の第2楽章(通称時計)だったようです。

 それに「復員だより」というのがありました。今かすかな記憶では「里の秋」が冒頭に使われていました。母がこの歌を鼻歌で歌い途中で止まった記憶があります。「みんな戦争の歌・・・」とつぶやいていました。40歳代にんってからその理由と思われることがわかりました。
 3番が「ああ 父さんのご武運を 今夜も一人で祈ります」とあり、
 4番が「大きく 大きく なったなら 兵隊さんだよ 嬉しいな ねえ母さんよ 僕だって 必ずお国を護ります」
 という歌詞でした。戦時中はすべて戦意高揚にしなければならなかったのでした。ぼくは戦後書き換えられて3番が「ああ 父さんよ ご無事でと 今夜も母さんと 祈ります」となっているので「父親がいないんだ」ぐらいに解釈していたのを軽薄だったと思ったのでした。
  



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