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昭和のプロレス: 男泣きのボディプレス

2021-03-19 06:29:09 | 日記
26歳と35歳

 「甦れ!金曜8時の昭和のプロレス」では主役を陰で支えた脇役達を振り
返っています。
今週は「人間台風ゴリラ・モンスーン」の登場です。
 力道山の時代から日本プロレス最大のイベントと言えば毎年4月開催の
ワールドリーグ。
14回中外人レスラーの最多出場は3回、その記録保持者がモンスーンでした。
 初参加は1963年の第5回大会。
コワルスキーやオコーナーなどのビックネーム揃いの中、196cm158kg
26歳のモンスーンは駆け出しの若僧扱い。
後に日本での最大のライバルとなるジャイアント馬場との4回のシングル対決が
多少注目された程度でした。

 その馬場と優勝を争ったのは第14回大会。
時にモンスーン35歳。
 ブッチャー、マードック、ハリケーンなどの優勝候補を抑えて決勝戦に進出。
10分58秒の激闘の末1本目をモンスーンが逆エビ固めで先取。
有利な展開に持ち込んだ2本目ですが、馬場の必殺32文キックを浴びて場外に
転落して3分42秒リングアウト負け。
 勝負を賭けた馬場の猛攻を受けて3本目も2分27秒に押さえ込まれて敗退
しています。(昭和のプロレス懐古房 より)

想定外の敗北

 ワールドリーグの公式戦で堂々馬場を破ったのは、モンスーン32歳の第11
回大会でした。
 4月5日蔵前国技館で行われた開幕戦でいきなり両者は対戦。
32文を自爆した馬場を得意のボディプレスで圧殺し10分3秒で勝利し、幸先
良いスタートを切ったかに見えました。
 この大会の外人勢もうひとりの優勝候補はボボ・ブラジル。
前年に馬場を破ってインター王座を獲得している強豪ですが、こちらも開幕戦で
エース猪木から勝利をあげています。
大会は外人筆頭格のふたりが開幕戦で日本勢優勝候補を下す大波乱で幕を開けました。 

 プロレスは結末が決まっている格闘演技。
たとえリーグ戦でも優勝者は予め決まっています。
でも力を抜いて戦っていたのではファンは見向きもしません。
是非見たいと思わせる豪快な技や手に汗握る展開が無ければ高い入場券を買って
はくれません。
 11回大会の優勝者は馬場のライバル猪木と定められ、各レスラーはそこに至る
までの盛り上げに力を注いだのでした。

 その意味で大会の成功の鍵を握ったのがモンスーン。
馬場がブラジルと引き分け、猪木がモンスーンに勝利し、混戦状態になったリーグ
戦にもうひとつ波乱を投じたのす。
 それが5月2日の山本小鉄戦。
小兵の小鉄がコーナーマットから放ったボディプレスで、あろうことか3カウント
を奪われてしまったのです。
 自分の得意技で敗れる情けない役を粛々とこなしたモンスーン。
隣には男泣きしながら小躍りする小鉄。
 この名場面を残してモンスーンは予選リーグから脱落。
猪木優勝の結末に至る道筋を付け、大会成功の陰の功労者となったのでした。

コメント
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