あるく あかるく

健康長寿 めざしましょう

ウォーキングコース作りのお役立ちポイント 第2回

2015-02-28 13:44:33 | 日記


 前回は私のウォーキングコースで八幡様に到着した処までご案内しました。
今日はそこからの続きです。
では早速鳥居をくぐって参道を進みましょう。
ちなみに参道の真ん中は神様のお歩きになる場所なので我々は右端を歩きます。
50mほど進むと石段が待っています。

 ここでコース選びのポイントその②
コースには少々の登り坂を加えることをお勧めします。

 平地を30分歩いた際の消費エネルギー量は、男性で49kcl、女性で41kcal。
これが階段を上がる時には10分で男性が71、女性が59kcal。
降りる時でも10分で男性が33、女性が27kcal使うそうです。
 ちなみに食品の摂取カロリーではごはん一杯が168kcal、味噌汁1杯が70kcal。
 階段を上がると平地を歩く際の3倍のエネルギーを消費するそうです。
つまりジョギングとほぼ同じエネルギーを消費した上に、お尻や太ももの筋肉を
効果的に鍛え心肺機能も高まると、良いことずくめです。
だからコースには登り坂を取り入れる事、お勧めです。

 さて約80段の階段を上って頂上で八幡様に参拝したら今度は石段でなく、
山腹をぐるりと回る山道を下りましょう。
 ここは季節の移ろいで目を楽しませてくれる場所。
雪解けの頃にはフキノトウが顔をだし、春には桜、梅雨時から夏の終わりに
かけてはアジサイが色を変えて咲き誇り、秋には真紅のヒガンバナ、そして
冬はスッカリ葉を落とした梢で羽を休める野鳥のウォッチングです。

 はいこれがコース選びのポイントその③です。
季節を楽しめる場所、風景が素晴らしい場所をコースに入れて好奇心を刺激しましょう。

ご自宅の周りを調べるときっと魅力的な場所がたくさん見つかると思います。
私のウォーキングコースにはこの先まだまだ季節を楽しむスポットがたくさん出て
きますのでお楽しみに。

 八幡宮を後にしたらここからは全体に下り坂を一路南に向かいます。
軽トラが1台通れるほどの田んぼの中の小道を約600m進みますが、ここで私
ちょっと怪しげな動きに変わります。
ここからは後ろ向き歩行!
そう文字通り後ろを向いて歩く、後ろ歩行です。
以前テレビで紹介されているのを見てなんだか体によさそうに思え、以来10
年以上続けています。
 効果のほどは、10分で普通のウォーキングの倍に相当し普段使わない筋肉、
例えば太もも裏の大腿二頭筋、ふくらはぎの腓腹筋、平目筋、さらにアキレス腱
などを刺激します。
運動量が多いので血行が良くなりすぐに体温が上昇します。
 ただしここはめったに人も車の通らない場所。
後ろ歩行は他人に迷惑をかけない事と怪我をしない事に十分な配慮をお願いいたします。

 今日もお読みくださりありがとうございました。
コース選びのお役立ちポイント2回目はこれにて。
 次回は来週月曜日に書きますのでよろしくどうぞ。
 
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アントニオ猪木が 若獅子 と言われていた頃のこと

2015-02-27 11:25:47 | 日記
<見たくて見たくて 見れなかった試合> 

 昭和44年12月から翌45年8月の半年の間に、2人の若きレスラーが2度戦いました。
それが45年経った今でも私にとっての忘れられない試合です。

 アントニオ猪木vsドリー・ファンクJR

 この2試合、実はテレビ観戦していません。
諸事情により見る事が出来なかったのです。
見てもいない試合が「思い出の試合」とはいかにもプロレスですね。
 
 それまでのプロレスは岩のように頑丈な体、大きなモーションから出されるパンチ、大げさな
受け身、反則攻撃で荒れ狂う外人選手、耐える日本人、耐えた末の大反撃、のスタイルが長い事
繰り返されていました。
そこにある観客の「飽き」を敏感に感じ取ったのがアントニオ猪木。

 先週記述のワールドリーグに優勝した後、今までファンが見たこともなかった原爆固め等の派
手な大技を毎シリーズに披露。若さ、抜群のスタイル、素早く多彩な技、予測不能な試合展開で、
ファンの心を鷲掴みにしたのです。
 日本テレビ1局の独占放映だったプロレス中継にNETテレビが参入するとその主役はもちろ
ん猪木でした。
しかしこの活躍が後の私の不幸に繋がるのです。

<見られないのはもはや運命か>


 昭和44年12月2日、大阪府立体育館でNWA世界選手権が行われました。
典型的な岩の様なプロレスラーの前王者ジン・キニスキーを倒した若きNWAチャンピオン、
ドリー・ファンクJRはこの時が初めての来日。
しかも12年ぶりに日本で行われるNWA選手権。ぜひとも見たい試合です。
しかしテレビ中継は何と特番として大晦日にNETが放映すると発表されました。
残念ながら私の住む地域ではまだNET放送網が無くこの大試合見る事ができませんでした。
ちなみのこの試合は両雄が60分動き続けるも互いに決め手を欠いて時間切れの引き分けでした。

 翌昭和45年8月2日に行われた再選では1本目JRがテキサススープレックス、2本目猪木が
ジャーマンスープレックス、それぞれ1フォールをダッシュした後またも時間切れの引き分けに
終わりました。
 この試合も当然NETがテレビ中継をしましたがその時には我が家でも受信が可能でした。
ところが何としたことか!
当日の試合開始のその瞬間に市内に落雷があり停電!
1時間ほどして復旧した時には既に中継は終了していました。
今度こそ見れると確信した試合がまたも見る事が出来ず、それだからこそ深く記憶に刻み込まれ
ました。

<乾杯 もしくは 完敗>


 今年74歳になるドリー・ファンクJRは昨年末に来日しタッグマッチながら現役で試合を
行いました。
プロレスバカそのもののレジェンド見たさに会場には多くの若者が集まったと言います。
 一方72歳の猪木はプロレスのバカを照れることなく国会に持ち込み、維新・前進・ジェット
シンから太陽の党、更に日本を元気にする会と歩みを止めません。

 両雄の戦いに熱中してはや45年。両雄の素晴らしきおバカぶりに、乾杯!
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日本の歴史に最初に登場した鳥は、セキレイ

2015-02-26 09:10:31 | 日記
<いつの間にか2種類から3種類に増殖>

セキレイ属 セキレイ

 先々週のウォーキング中にセキレイを目にしました。
幅3m程の河川沿いに、尾羽を上下させたり、チョコチョコ急ぎ足で歩いたり、
波形を描いて空を滑ったり、と相変わらず落ち着つきがありません。
背中が黒いから間違いなくセグロセキレイと思いますが、うん蓄調べに図鑑を
広げました。

 すると、おやびっくり!
日本のセキレイは背中が黒いセグロセキレイと背中が黄色いキセキレイの2種類
だけだと思っていましたが背中が黒いハクセキレイなんてのも載っています。
 目の上あたりに白い筋を残して他は黒っぽい顔をしているのがセグロセキレイ。
一方くちばしから目を通って頭まで黒い筋が入り他が白っぽいのがハクセキレイ。
ハクセキレイは昔は東北地方以北で繁殖し冬には見られない鳥だったけれど、今
は年中見かける鳥になっているそうです。
 知らなかったなあ。

 それでその日以降白黒のセキレイを見つけると、さてどちらかな、と目を凝ら
すけれど良くわかりません。
相手の動作が早過ぎる事もあるけれど、それ以上に私の観察眼が鈍すぎる。
 結局今日にいたるまでどちらを見ているか分かっていません。

<日本の歴史を作ったセキレイ>

 婚礼の時に供える床飾りとしての鶺鴒台(せきれいだい)ってご存知ですか。
これは背筋をピンと伸ばしたセキレイのひとつがいを形容しているとの事。

 なんでセキレイが婚礼の席に?
そう思うでしょ。
これには深~い訳があるそうな。

 話は何と日本開闢まで遡ります。
日本書紀には国うみ伝承のひとつとして、イザナギ・イザナミの神様が尾を
上下に振るセキレイの動作をご覧になって、性交の仕方をお知りになった、
との記述があるそうです。

 セキレイってすました顔をしているけれど随分と大胆なことを教えていたん
ですね。
セキレイ、恐るべし。

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日本人ならやっぱ寅さんよ

2015-02-25 08:33:06 | 日記
<予想を裏切り、修羅場続きの画面にびっくり>

 今日のテーマは不定期でお届けする「昭和の映画」です。1回目の今日は寅さんを
語りましょう。

1979年 男はつらいよ第11作 寅次郎忘れな草

 今から40年ほど前、1974年の夏に初めて寅さん映画を見ました。
シリーズは既に10作を数え、「大人気コメディ」と評判は定着し、既に寅さん人気は
全国区でした。
今と違って入れ替え制もない頃ですから神奈川県登戸の古ぼけた館に入ると既に映画は
始まっていました。
コメディって言葉から私が勝手に抱いていたあるべき姿「笑いに次ぐ笑い、出る人みん
な良い人ばかり」はその瞬間に見事に打ち砕かれました。
何しろ登場人物が、叫ぶ、どなる、ののしる、のですから。
もっと穏やかなホームコメディを想定していただけに暴れる寅さんには驚きました。

 おいちゃん、おばちゃん、さくら、博、更にはタコ社長、満男、御前様、源公。
登場人物の各々が「そりゃ嫌な事はたくさんあるけど、人生捨てたもんじゃないよ」と
言わんばかりに今日を生きている。
そこに「わたくし、生まれも育ちも葛飾柴又です。姓は車、名は寅次郎、人呼んでフーテン
の寅と発します。」の名セリフの寅さんが混じるわけですからもめごとが起こらない訳が
ない。
更に何処でどうしたら縁が繋がるのか毎回不思議でならないマドンナが登場。
鉄板のワンパターンですね。
 しかし行動パターンが分かりすぎる筈の寅さんなのに、見ている者の想像をはるかに超
えた行動で周りを面倒に巻き込む。
その仕掛け作りは決してワンパターンにならず毎回新鮮な笑いを見せてくれました。

<同じ匂いのするリリーが相性一番>


 さてこの寅次郎わすれな草のマドンナはドサ周りのキャバレー歌手、浅丘ルリ子さん演
ずるリリーさん。
確か最初は寅さん、リリーをたいして気にしていなかった筈。
それが根なし草同士の同じ匂いを感じてから存在が次第に愛おしくなっていきました。
松竹の公式サイトを見ると
     「言ってみりゃ リリーも俺と同じ旅人さ、
       見知らぬ土地を旅してる間にゃ
        そりゃ人に言えぬ苦労があるのよ ~ 夜汽車の中~ 外を見ていると
         遠く灯がポツン、ポツン ~ 夜汽車の汽笛がポー ~
          そんな時、そんな時よ、
           ただ訳もなく悲しくなって涙がポロポロこぼれてきちゃうのよ」
 そんなリリーが相手だから寅さんも屈託がない。高嶺の花のマドンナを相手にした時の、
こちらが居心地悪くなる程かしこまった寅さんを見るよりずっと心が軽い。
だから私の中でリリーがNO1のマドンナですね。
皆さん同じ風に感じている様で先ほどの寅さんホームページによると、歴代のマドンナ
人気NO1はリリー、人気作品NO1は第16作のこれもリリーがマドンナを務める「寅
次郎の相合傘」だそうです。
よほど相性が良いのでしょう、リリーはその後も25作の寅次郎ハイビスカスの花にも出演、
最後には南の島で同棲するほどにお互い大事な存在になっていきます。
 幾つになっても家に帰れば甘えん坊のお山の大将、周りがどれほど気を使っているかには、
無頓着。
その癖世間様にはめっぽうお行儀がよくしたいしカッコ良く見られたい。
遠くで見ている分には面白おかしくて退屈しないけれど、家庭でも職場でも身近にいたら
「勘弁してくれ」と言いたくなるタイプ。
 そんな寅さんを演じ続けた渥美清さんは「一人の俳優が最も長く出演した映画シリーズ」
としてギネスに認定されているそうです。
 
 ブログを1週続けた位で大仕事をしたと勘違いしている「私」に長く続ける極意を教えて
あげたい。
思うにそれは山田洋次監督と渥美清さんの作品作りへの熱い情熱。
人間観察の鋭くもやさしい眼。
そして何より、映画を作る事が大好き!
 遠く及ばない境地ですが少しでも寅さんを真似したいと思うのでした。
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セリから やがて石川セリ

2015-02-24 08:56:55 | 日記

<週に1種、年間52種に挑戦だ>


 歩きながら何気なく目にしている草花で名前を知っている物は数少ない。
ブログを始めた今を良い機会として、週に1種、年に52種、うろ覚えの名前を再確認しよう。
今まで知らずに踏んでいた草の名前を勉強しうん蓄を深めよう。
そして刺激の少ない脳みそに1本1本しわを刻み込んでいこう。


<雑草か野菜かよく分からないけれど、先ずはセリを話題に>


 1回目はセリ目、セリ科の芹。
 春の七草を話題にするには遅すぎるけれど今でもスーパーでは野菜コーナーにセリが並べられ
ています。全国的には、宮城県が生産量1位。2位の茨城県と合わせるとこの2県で全国の6割
を生産しています。
 セリと言う名前は「競い合うように群生する、競り合う」ことが由来だそう。
私の歩くコースでセリを目にするのは川沿いの一か所。
そこにセリが競いあうように群生しています。
川は幅5~6m、深さが3m弱。しっかりと護岸工事がしてあるので川底に下りることは難しい。
葉をちぎって顔に寄せれば、あの苦さと青臭さが混じった春の香りがするでしょう。
 本で調べると「ドクゼリと間違えやすい。ドクゼリは地下茎が太くタケノコの様な節がある。
また独特の芳香もない。」とあります。
近くによれば容易に判別できるでしょうが、川の汚れの為か、少々黒ずんで見えるアレ、
私の中ではセリと断定です。それにしても薄汚れています。

 子供の頃に見たセリはもっときれいでした。
家の横を流れる小川の中で、陽を浴びながら流れを受け黄緑色に揺れていた。
時々母親がそれを摘んできてお浸しなどにして食卓に並べてくれた。
たいしておいしい物とは思わなかったけれど、今になれば、もう一度小川から摘んで口にしたい。
 食卓の上ではセリは決して主役にはなれない。他の青葉に混ざれば存在も目立たない。
けれど口にした途端、春が近い事を教えてくれる。
その懐かしいセリが、クレソンなんかが台頭してきても焦りもしないで、野菜のままに野生のままに、
川の中に存在しています。


<ふいに石川セリが>


 日常生活で普段使わない「セリ」なんて単語を思い浮かべていたからか、長い事思い出す事も
なかった歌詞とメロディが不意に浮かんできました。

  夜の海が好きだった わたしのために
  いつも連れだしてくれた
  あなたは月夜の素敵なサーファー

 こじつけの様だけれど、石川セリが歌う ムーンライト サーファー。
1979年発売のこの曲はヒットチャートには縁がなく当時は評判も地味でした。
けれど耳にすると蒼い月夜の砂浜と白く寄せる波がハッキリと見えてくる、情景豊かな曲です。
心地よいメロディと共に私にとっては忘れえぬ昭和の名曲です。
 私達の頭の中にある記憶は目から入った情報がほとんどを占めると思います。それを頭の中から
引っ張り出すのに結構手間取ります。
なのに、香りを嗅いだり音を聞いたりした途端に、記憶の彼方に沈み込んでいた人や歌や景色が
突然思い出される事が良くあります。
鼻や耳から入った記憶は何か特別な形で脳にしまい込まれているのでしょうか。

 今日はセリの香りも嗅いではいないのに随分と懐かしい記憶が蘇って来ました。
気持ちがいいね ムーンライト サーファー を口ずさんでもう少し歩きます。  
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