究極の王者
毎週金曜日は「甦れ!金曜8時の昭和のプロレス」です。
これまで世界各地の王者の足跡を辿って来ましたが、今週からはシリーズの
最後としてNWA王者の登場です。
当時世界最高峰と言われていたのがNWA、その歴代王者の中から5人を
選んで活躍を振り返ります。
題して「NWA王者ベスト5」、第5位は48代王者のジャック・ブリスクです。
NWA王者は世界一過酷なチャンピオンと呼ばれていました。
<年間350試合、3週間のツアーと1週間のオフを繰り返し世界各国を遠征する>
(日刊SPA より)
過密スケジュールをこなし、なおかつ最大限の観客動員が義務付けられています。
ブリスコがハーリー・レイスを破って王者に就いたのは1973年7月です。
それに先立ち67年11月と71年8月に日本プロレスに登場し、71年には
猪木の持つUN王座に挑戦しています。
5月にブラッシー相手に初防衛戦を行った猪木でしたが、ラフな展開に終始し
ファンを落胆させていました。
そこに「次期NWA王者の最有力候補」と言われたブリスコとの一戦が組まれた
のですから、ファンは熱戦を期待します。
実際1本目はブリスコがダブルアームのスープレックスで先取、猪木がジャーマン
とコブラツイストで取り返す名勝負でした。
しかし多くのファンはそれ程満足してくれません。
どうしても46代チャンピオンのドリー・ファンクJRと比較してしまうのです。
「若き王者」ドリーは科学的なレスリングを展開し新風を巻き起こしました。
「南部の麒麟児」ブリスコも多くの技を繰り出しますが地味な印象は拭えず、何を
してもドリーの二番煎じに見えてしまうのです。
その結果このUN戦はほとんどのファンの記憶から消えて行ったのでした。
究極の10戦
鉄人ルー・テーズは<NWAの権威を守った最後のレスラー>と称賛し、無冠の
帝王ドン・レオ・ジョナサンは<20世紀で最も偉大なレスラー>と持ち上げています。
レスラー仲間からの高い評価とは裏腹に、ファンの見方は辛辣です。
昭和63年に週間ゴングから引退間際の猪木を特集した「最後の闘魂」が発行
されました。
その中に作家の村松氏、スポーツライターの二宮氏、過激な仕掛け人の新間氏ら
10人の有名人が選んだ「究極の名勝負ベスト十番」が載っています。
各自が猪木の過去の試合の中から10戦を選び、それぞれの1位に10点10位
に1点を与えて集計した結果です。
注目のブリスコ戦ですが、結果はベスト10圏外、しかもたったの5点しか獲得
できず最下位に終わっています。
選評には<本格的なテクニックの応酬だが地味な攻防>とあります。
一般のファンには物足りなく、その道のプロの眼には評価の対象外でした。
更にもっと悲しい事実があります。
この番外編に選ばれた猪木戦は79年に新日マットで行われたNWF選手権戦。
71年のUN戦は誰ひとり思い出してもくれないのでした。
毎週金曜日は「甦れ!金曜8時の昭和のプロレス」です。
これまで世界各地の王者の足跡を辿って来ましたが、今週からはシリーズの
最後としてNWA王者の登場です。
当時世界最高峰と言われていたのがNWA、その歴代王者の中から5人を
選んで活躍を振り返ります。
題して「NWA王者ベスト5」、第5位は48代王者のジャック・ブリスクです。
NWA王者は世界一過酷なチャンピオンと呼ばれていました。
<年間350試合、3週間のツアーと1週間のオフを繰り返し世界各国を遠征する>
(日刊SPA より)
過密スケジュールをこなし、なおかつ最大限の観客動員が義務付けられています。
ブリスコがハーリー・レイスを破って王者に就いたのは1973年7月です。
それに先立ち67年11月と71年8月に日本プロレスに登場し、71年には
猪木の持つUN王座に挑戦しています。
5月にブラッシー相手に初防衛戦を行った猪木でしたが、ラフな展開に終始し
ファンを落胆させていました。
そこに「次期NWA王者の最有力候補」と言われたブリスコとの一戦が組まれた
のですから、ファンは熱戦を期待します。
実際1本目はブリスコがダブルアームのスープレックスで先取、猪木がジャーマン
とコブラツイストで取り返す名勝負でした。
しかし多くのファンはそれ程満足してくれません。
どうしても46代チャンピオンのドリー・ファンクJRと比較してしまうのです。
「若き王者」ドリーは科学的なレスリングを展開し新風を巻き起こしました。
「南部の麒麟児」ブリスコも多くの技を繰り出しますが地味な印象は拭えず、何を
してもドリーの二番煎じに見えてしまうのです。
その結果このUN戦はほとんどのファンの記憶から消えて行ったのでした。
究極の10戦
鉄人ルー・テーズは<NWAの権威を守った最後のレスラー>と称賛し、無冠の
帝王ドン・レオ・ジョナサンは<20世紀で最も偉大なレスラー>と持ち上げています。
レスラー仲間からの高い評価とは裏腹に、ファンの見方は辛辣です。
昭和63年に週間ゴングから引退間際の猪木を特集した「最後の闘魂」が発行
されました。
その中に作家の村松氏、スポーツライターの二宮氏、過激な仕掛け人の新間氏ら
10人の有名人が選んだ「究極の名勝負ベスト十番」が載っています。
各自が猪木の過去の試合の中から10戦を選び、それぞれの1位に10点10位
に1点を与えて集計した結果です。
注目のブリスコ戦ですが、結果はベスト10圏外、しかもたったの5点しか獲得
できず最下位に終わっています。
選評には<本格的なテクニックの応酬だが地味な攻防>とあります。
一般のファンには物足りなく、その道のプロの眼には評価の対象外でした。
更にもっと悲しい事実があります。
この番外編に選ばれた猪木戦は79年に新日マットで行われたNWF選手権戦。
71年のUN戦は誰ひとり思い出してもくれないのでした。