見当違いの推理
毎週木曜日は特定のひと文字からはじまることわざを思い浮かべ、それにまつわる
あれこれを学んでいます。
今週の文字は「す」です。
「酸いも甘いも嚙み分ける」が閃きました。
時に「~嗅ぎ分ける」の誤用があるそうですが、警察犬じゃないからここはしっかりと
嚙み分けましょう。
私達の祖先は狩猟生活の中で危険を回避する様々な術を学びました。
口に入れる物の安全を確かめるのもそのひとつです。
その為ごくわずかな量でも味を感じる能力が発達しました。
だから人間はその重要度から、苦み・酸・塩・旨み・甘みの順で味に敏感です。
腐った物は苦い味や酸っぱい味がするから、嫌な味=毒=不可食と判断できる
ようになったのです。(コレゾ賞 より)
そんな歴史を考えれば、ことわざは「苦いも酸いも~」となった方が良さそうな気がします。
どうして命に係わる「苦み」で無くて、その方面ではそれ程重要でない「甘み」が
選ばれたのか不思議です。
調べてみたら全くの見当違いでした。
ことわざの意味するところは<人生経験を積み人情に精通し、世の中の裏も表も知り
尽くしていることのたとえ。
酸っぱいものと甘いものを味わい分け、その良さも悪さも良く知っているという意味で
使われる。>(故事ことわざ辞典 より)
酸と甘が選ばれたのはご先祖様の本能的感覚に基づく理由では無いのでした。
<酸は「辛酸をなめる」と言うように、人生の悪い局面を表す。
甘は「甘い汁を吸う」等の様に人生の良い局面を示す。>(オトナのコクゴ より)
なるほど、な話でした。
各地の名物
辛みや渋みが出て来ませんが、それにも理由があるそうです。
<苦み・酸味・塩味・旨み・甘味を「五味」と呼ぶ。
五味だけが味蕾と呼ばれる味細胞の集合体で受容される。
それ以外の辛みや渋みは味細胞を介さずに認識される。>(味覚ステーション より)
良く分からないけれど、五味以外は冷たいとか痛いとかの感覚と同じ様な情報として
伝わるのだとか。
酸っぱいと言って浮かぶのはあんかけ焼きそば。
野菜たっぷりのあんが乗った麺に辛子入りの酢を掛けて頂きます。
善光寺境内の茶店ですするところてんも酸味が効いた旨いもの。
一方甘みで思いつくのは飯田の栗まんじゅう、田舎臭い懐かしい味です。
諏訪大社の近くで売っている塩羊羹も落ち着いた甘さが病みつきになります。
こんな具合に現役時代は仕事で訪れた各地の旨いものを食べ歩きました。
しかしそれしか能が無いので食べ終わったらそれまで。
写真に収めて気の利いたコメントを付けて情報発信なんてできません。
今になって思えば、何かの記録に残しておけば良かった。
そう反省したら、こんなことわざが浮かんできました。
「酸いも甘いも食べただけ」
毎週木曜日は特定のひと文字からはじまることわざを思い浮かべ、それにまつわる
あれこれを学んでいます。
今週の文字は「す」です。
「酸いも甘いも嚙み分ける」が閃きました。
時に「~嗅ぎ分ける」の誤用があるそうですが、警察犬じゃないからここはしっかりと
嚙み分けましょう。
私達の祖先は狩猟生活の中で危険を回避する様々な術を学びました。
口に入れる物の安全を確かめるのもそのひとつです。
その為ごくわずかな量でも味を感じる能力が発達しました。
だから人間はその重要度から、苦み・酸・塩・旨み・甘みの順で味に敏感です。
腐った物は苦い味や酸っぱい味がするから、嫌な味=毒=不可食と判断できる
ようになったのです。(コレゾ賞 より)
そんな歴史を考えれば、ことわざは「苦いも酸いも~」となった方が良さそうな気がします。
どうして命に係わる「苦み」で無くて、その方面ではそれ程重要でない「甘み」が
選ばれたのか不思議です。
調べてみたら全くの見当違いでした。
ことわざの意味するところは<人生経験を積み人情に精通し、世の中の裏も表も知り
尽くしていることのたとえ。
酸っぱいものと甘いものを味わい分け、その良さも悪さも良く知っているという意味で
使われる。>(故事ことわざ辞典 より)
酸と甘が選ばれたのはご先祖様の本能的感覚に基づく理由では無いのでした。
<酸は「辛酸をなめる」と言うように、人生の悪い局面を表す。
甘は「甘い汁を吸う」等の様に人生の良い局面を示す。>(オトナのコクゴ より)
なるほど、な話でした。
各地の名物
辛みや渋みが出て来ませんが、それにも理由があるそうです。
<苦み・酸味・塩味・旨み・甘味を「五味」と呼ぶ。
五味だけが味蕾と呼ばれる味細胞の集合体で受容される。
それ以外の辛みや渋みは味細胞を介さずに認識される。>(味覚ステーション より)
良く分からないけれど、五味以外は冷たいとか痛いとかの感覚と同じ様な情報として
伝わるのだとか。
酸っぱいと言って浮かぶのはあんかけ焼きそば。
野菜たっぷりのあんが乗った麺に辛子入りの酢を掛けて頂きます。
善光寺境内の茶店ですするところてんも酸味が効いた旨いもの。
一方甘みで思いつくのは飯田の栗まんじゅう、田舎臭い懐かしい味です。
諏訪大社の近くで売っている塩羊羹も落ち着いた甘さが病みつきになります。
こんな具合に現役時代は仕事で訪れた各地の旨いものを食べ歩きました。
しかしそれしか能が無いので食べ終わったらそれまで。
写真に収めて気の利いたコメントを付けて情報発信なんてできません。
今になって思えば、何かの記録に残しておけば良かった。
そう反省したら、こんなことわざが浮かんできました。
「酸いも甘いも食べただけ」