和洋で同じ技
一気に融けた雪の下から色々な草が姿を現しました。
ロゼットを踏みしめ、春の気配を感じながら気持ち良く歩いています。
踏み下ろしかけた瞬間、足もとの一株に違和感を覚えて覗きこみました。
早くも花を咲かせている草がありました。
花に免じて踏まずにやろう、そんな上から目線の独り言を言いながら
又歩き始めました。
毎週火曜日はウォーキングの途中で見かけた山野草を取り上げています。
今週は アブラナ科 タネツケバナ属 ミチタネツケバナ です。
白くて小さな花を咲かせ、暫くすると細長いサヤを伸ばして実を
着けます。
熟した頃にサヤに触れると、勢いよく弾けて周囲に種子が飛び散ります。
田んぼに密生するタネツケバナに触れて、余りの勢いに驚いた経験を
お持ちの方も多いのでは。
ミチタネツケバナはヨーロッパから来た植物です。
出自は違えども弾けるサヤの特技は同じです。
自分の力だけが頼り
海外から日本に渡って来た草は数多くありますが、大抵の物は
「江戸末期」とか「明治の初期」に伝わったとされています。
外国との交易が盛んになった時期にどっと流入して来たのでしょう。
ところがミチタネツケバナの到着は極最近です。
1988年に宮城県で発見されたのが最初とされています。
一部には70年代に既に伝わっていたとの説もある様ですが、いずれに
しても日本の土に根を張って40年程の歴史しかありません。
最初の一株がどの様ないきさつで東北の宮城に着いたかは分かりませんが、
その後は日本海に向けて進軍を開始したと言います。
それから半世紀弱、ミチタネツケバナが成し遂げた成果は驚異的です。
飛び道具を持っていると言っても、何百メートルも先に種を飛ばせる
のではありません。
せいぜい20~30cm四方にまき散らすだけです。
20cm先に移動して、芽を出し花を咲かせて又種を弾いて僅か20
cm先に進む。
そうして宮城県を出発した種はやがて日本海に出ました。
その地で半分は北へ、残りは南へ向かって20cm先への移動を開始
しました。
その営みを繰り返し続け、ミチタネツケバナは今では列島の隅々にまで
勢力を広げています。
時間はミチタネツケバナより20年も多くありました。
移動には車に船に電車にとあらゆる交通手段が使えました。
そんな私が足を伸ばしたのは、南は与論島、北は新潟県の県境より上には
行った事がありません。
我が人生、列島の半分しか移動していません。
「踏むのを勘弁してやろう」、私が上から目線で物を言っていた相手は、
自力で全国を渡り歩いている凄い奴でした。
一気に融けた雪の下から色々な草が姿を現しました。
ロゼットを踏みしめ、春の気配を感じながら気持ち良く歩いています。
踏み下ろしかけた瞬間、足もとの一株に違和感を覚えて覗きこみました。
早くも花を咲かせている草がありました。
花に免じて踏まずにやろう、そんな上から目線の独り言を言いながら
又歩き始めました。
毎週火曜日はウォーキングの途中で見かけた山野草を取り上げています。
今週は アブラナ科 タネツケバナ属 ミチタネツケバナ です。
白くて小さな花を咲かせ、暫くすると細長いサヤを伸ばして実を
着けます。
熟した頃にサヤに触れると、勢いよく弾けて周囲に種子が飛び散ります。
田んぼに密生するタネツケバナに触れて、余りの勢いに驚いた経験を
お持ちの方も多いのでは。
ミチタネツケバナはヨーロッパから来た植物です。
出自は違えども弾けるサヤの特技は同じです。
自分の力だけが頼り
海外から日本に渡って来た草は数多くありますが、大抵の物は
「江戸末期」とか「明治の初期」に伝わったとされています。
外国との交易が盛んになった時期にどっと流入して来たのでしょう。
ところがミチタネツケバナの到着は極最近です。
1988年に宮城県で発見されたのが最初とされています。
一部には70年代に既に伝わっていたとの説もある様ですが、いずれに
しても日本の土に根を張って40年程の歴史しかありません。
最初の一株がどの様ないきさつで東北の宮城に着いたかは分かりませんが、
その後は日本海に向けて進軍を開始したと言います。
それから半世紀弱、ミチタネツケバナが成し遂げた成果は驚異的です。
飛び道具を持っていると言っても、何百メートルも先に種を飛ばせる
のではありません。
せいぜい20~30cm四方にまき散らすだけです。
20cm先に移動して、芽を出し花を咲かせて又種を弾いて僅か20
cm先に進む。
そうして宮城県を出発した種はやがて日本海に出ました。
その地で半分は北へ、残りは南へ向かって20cm先への移動を開始
しました。
その営みを繰り返し続け、ミチタネツケバナは今では列島の隅々にまで
勢力を広げています。
時間はミチタネツケバナより20年も多くありました。
移動には車に船に電車にとあらゆる交通手段が使えました。
そんな私が足を伸ばしたのは、南は与論島、北は新潟県の県境より上には
行った事がありません。
我が人生、列島の半分しか移動していません。
「踏むのを勘弁してやろう」、私が上から目線で物を言っていた相手は、
自力で全国を渡り歩いている凄い奴でした。