大きな壁
毎週金曜日の「甦れ!金曜8時の昭和のプロレス」、今週からは新しいシリーズを
お届けします。
テーマは「主力団体の3人のチャンピオン」。
各団体の歴代の選手権者から、特に記憶に残る3人を選び出してその活躍を振り返ります。
第一弾の団体はWWAです。
1960年代にアメリカマット界でNWA、AWA、WWWFと並び4大メジャーと
称されました。
1968年にNWAに吸収合併されてしまいますが、それまでは西海岸を活動地域として
日本マットと深い繋がりを持っていました。
初代チャンピオンはカーペンティア。
以後テーズやブルーザーなど錚々たるメンバーが名を連ねますが、その中には何と3人の
日本プロレス所属レスラーがいました。
力道山と豊登、そして本日の主役の大木金太郎です。
1959年に韓国から日本に密入国した大木は、力道山の働きかけにより日プロ所属選手
に収まる事が出来ました。
厳しい修行の中で頭角を現し、馬場と猪木と共に「若手三羽烏」としておおいに将来を期待
されました。
後に日プロの主力選手となり、吉村道明を加えて「日プロ四天王」とも呼ばれました。
しかしいずれの時代にも大木には悩ましい問題がありました。
それは馬場猪木に比べて一枚格が落ちるとの評判でした。
それこそがレスラー人生において、最後まで大木を苦しめた大きな悩みでした。
馬場はアメリカ遠征で箔をつけ、巨体を武器にスケールの大きなプロレスを展開してその
地位を固めました。
猪木は日プロを飛び出したり復帰したりしながらも、それまでの日本人レスラーが見せた事の
無い華麗なテクニックを駆使してメキメキ人気を高めて行きました。
一方の大木には華々しい話題がありません。
このWWAチャンピオンを獲得した時こそ、悩みを解消する最大のチャンスでした。
折角のタイトルも
1967年4月29日、韓国ソウルに時のチャンピオン、マーク・ルーインを招いた
タイトル戦で見事に勝利。
師匠力道山、大先輩豊登が巻いたベルトを祖国で手に入れたのです。
これを機に日本マットでも防衛戦を行って、人気爆発を目指す目論見でした。
しかしその計画は実現しません。
日プロ幹部に大木の後ろ盾になる者がいなかったのです。
主力の馬場派と猪木を使って権力を奪おうとする猪木派、これに対抗しうる大木派がいない
為に防衛線が組まれません。
そうこうする内に3か月後、大木はロサンゼルスでタイトルを失います。
その後は地味過ぎるから二人に比べて見劣りするとの評価を覆せないまま、馬場猪木が主役の
興行に脇役として登場を続けたのでした。
画一的なプロレスラー像が求められたあの時代と違い、現在のプロレスは百花繚乱です。
石頭と頑丈な体を売り物に、今だったら大木は大きな人気を得たかもしれません。
時代が早過ぎたのか、時代の要求を読めなかったのか、最後まで大木は両巨頭の壁を超え
られないまま、レスラー人生を終えたのでした。
毎週金曜日の「甦れ!金曜8時の昭和のプロレス」、今週からは新しいシリーズを
お届けします。
テーマは「主力団体の3人のチャンピオン」。
各団体の歴代の選手権者から、特に記憶に残る3人を選び出してその活躍を振り返ります。
第一弾の団体はWWAです。
1960年代にアメリカマット界でNWA、AWA、WWWFと並び4大メジャーと
称されました。
1968年にNWAに吸収合併されてしまいますが、それまでは西海岸を活動地域として
日本マットと深い繋がりを持っていました。
初代チャンピオンはカーペンティア。
以後テーズやブルーザーなど錚々たるメンバーが名を連ねますが、その中には何と3人の
日本プロレス所属レスラーがいました。
力道山と豊登、そして本日の主役の大木金太郎です。
1959年に韓国から日本に密入国した大木は、力道山の働きかけにより日プロ所属選手
に収まる事が出来ました。
厳しい修行の中で頭角を現し、馬場と猪木と共に「若手三羽烏」としておおいに将来を期待
されました。
後に日プロの主力選手となり、吉村道明を加えて「日プロ四天王」とも呼ばれました。
しかしいずれの時代にも大木には悩ましい問題がありました。
それは馬場猪木に比べて一枚格が落ちるとの評判でした。
それこそがレスラー人生において、最後まで大木を苦しめた大きな悩みでした。
馬場はアメリカ遠征で箔をつけ、巨体を武器にスケールの大きなプロレスを展開してその
地位を固めました。
猪木は日プロを飛び出したり復帰したりしながらも、それまでの日本人レスラーが見せた事の
無い華麗なテクニックを駆使してメキメキ人気を高めて行きました。
一方の大木には華々しい話題がありません。
このWWAチャンピオンを獲得した時こそ、悩みを解消する最大のチャンスでした。
折角のタイトルも
1967年4月29日、韓国ソウルに時のチャンピオン、マーク・ルーインを招いた
タイトル戦で見事に勝利。
師匠力道山、大先輩豊登が巻いたベルトを祖国で手に入れたのです。
これを機に日本マットでも防衛戦を行って、人気爆発を目指す目論見でした。
しかしその計画は実現しません。
日プロ幹部に大木の後ろ盾になる者がいなかったのです。
主力の馬場派と猪木を使って権力を奪おうとする猪木派、これに対抗しうる大木派がいない
為に防衛線が組まれません。
そうこうする内に3か月後、大木はロサンゼルスでタイトルを失います。
その後は地味過ぎるから二人に比べて見劣りするとの評価を覆せないまま、馬場猪木が主役の
興行に脇役として登場を続けたのでした。
画一的なプロレスラー像が求められたあの時代と違い、現在のプロレスは百花繚乱です。
石頭と頑丈な体を売り物に、今だったら大木は大きな人気を得たかもしれません。
時代が早過ぎたのか、時代の要求を読めなかったのか、最後まで大木は両巨頭の壁を超え
られないまま、レスラー人生を終えたのでした。