物凄く期待外れの試合
いよいよ伝説のレスラーが登場だ、私はワクワクして待っていました。
薄緑のショートタイツをまといリングに登場した姿は想像以上に歳を感じさせ
ましたが、そこはいぶし銀の輝き、試合が始まれば華麗なテクニックで唸らせて
くれると信じていました。
ところが盛り上がりの無いまま試合は進み、伝家の宝刀、後方回転エビ固め
が出てあっさりと終わりです。
期待外れの頭に浮かんだのはこんなフレーズでした。
「何とも掴みどころの無いオッサンだぜ」
毎週金曜日は「甦れ!金曜8時の昭和のプロレス」と題して当時テレビで見て
印象に残った30の場面を取り上げています。
今週は第14位「パット・オコーナーが何となく勝ってしまった瞬間」です。
それは1982年1月の全日本プロレスのテレビ中継でした。
1967年日本プロレスに初来日し力道山と戦った事もあるベテラン選手は
この時55歳。
ディック・ハットンからNWA世界ヘビー級タイトルを奪った全盛時からは、
既に23年も過ぎていました。
これが7度目、結果として最後の来日となった新春ジャイアントシリーズ
でした。
その頃私は30代の猛烈サラリーマン。
録画用ビデオも無かった時代なので長い間プロレス中継を見ていませんでした。
久しぶりのテレビ中継にオコーナーが出ると聞き、思いはプロレス小僧だった
中学時代にタイムスリップです。
専門誌で読んだNWA王者時代の伝説を思い出し、実物のオコーナーが何を
見せてくれか楽しみで仕方ありません。
ところが・・・。
しかして真の姿は
見事に期待を裏切ってくれたオコーナーですが、実は隠し持った裏の武器が
ありました。
いきなり喧嘩を仕掛けられても簡単に火の粉を振り払える実戦での技量です。
それを端的に示した事件がありました。
1975年12月にジャイアント馬場が催した空前絶後のシリーズ「オープン
選手権」です。
名乗りを上げた者は誰でも参加できると銘打ったこのシリーズの真の目的は、
ライバルアントニオ猪木へのけん制でした。
盛んに馬場に対戦を迫る猪木に、このシリーズに出場すれば私と戦えますよ、
とお膳立てをして参加を促したのです。
しかしそこには大きな仕掛けがありました。
猪木が登場したら対戦相手には真剣勝負、いわゆるガチの戦いが得意な実力者を
次々にあてて猪木を潰そうと仕組んだのです。
ジョナサン、レイス、ラシクと言った錚々たるセメントレスラーの筆頭格で、
最も馬場が頼りにしていたのがオコーナーでした。
この時48歳、まだまだ血気盛んです。
猪木が参戦していたら壮絶な潰しあいになっていたでしょう。
幸か不幸か猪木は不参加を表明したので、オコーナーの隠された裏の顔はファン
の目に触れずに終わりました。
一度でいいからこの気の良いおっさん風のオコーナーが豹変する試合を見た
かった、無責任にそう思ったのでした。
いよいよ伝説のレスラーが登場だ、私はワクワクして待っていました。
薄緑のショートタイツをまといリングに登場した姿は想像以上に歳を感じさせ
ましたが、そこはいぶし銀の輝き、試合が始まれば華麗なテクニックで唸らせて
くれると信じていました。
ところが盛り上がりの無いまま試合は進み、伝家の宝刀、後方回転エビ固め
が出てあっさりと終わりです。
期待外れの頭に浮かんだのはこんなフレーズでした。
「何とも掴みどころの無いオッサンだぜ」
毎週金曜日は「甦れ!金曜8時の昭和のプロレス」と題して当時テレビで見て
印象に残った30の場面を取り上げています。
今週は第14位「パット・オコーナーが何となく勝ってしまった瞬間」です。
それは1982年1月の全日本プロレスのテレビ中継でした。
1967年日本プロレスに初来日し力道山と戦った事もあるベテラン選手は
この時55歳。
ディック・ハットンからNWA世界ヘビー級タイトルを奪った全盛時からは、
既に23年も過ぎていました。
これが7度目、結果として最後の来日となった新春ジャイアントシリーズ
でした。
その頃私は30代の猛烈サラリーマン。
録画用ビデオも無かった時代なので長い間プロレス中継を見ていませんでした。
久しぶりのテレビ中継にオコーナーが出ると聞き、思いはプロレス小僧だった
中学時代にタイムスリップです。
専門誌で読んだNWA王者時代の伝説を思い出し、実物のオコーナーが何を
見せてくれか楽しみで仕方ありません。
ところが・・・。
しかして真の姿は
見事に期待を裏切ってくれたオコーナーですが、実は隠し持った裏の武器が
ありました。
いきなり喧嘩を仕掛けられても簡単に火の粉を振り払える実戦での技量です。
それを端的に示した事件がありました。
1975年12月にジャイアント馬場が催した空前絶後のシリーズ「オープン
選手権」です。
名乗りを上げた者は誰でも参加できると銘打ったこのシリーズの真の目的は、
ライバルアントニオ猪木へのけん制でした。
盛んに馬場に対戦を迫る猪木に、このシリーズに出場すれば私と戦えますよ、
とお膳立てをして参加を促したのです。
しかしそこには大きな仕掛けがありました。
猪木が登場したら対戦相手には真剣勝負、いわゆるガチの戦いが得意な実力者を
次々にあてて猪木を潰そうと仕組んだのです。
ジョナサン、レイス、ラシクと言った錚々たるセメントレスラーの筆頭格で、
最も馬場が頼りにしていたのがオコーナーでした。
この時48歳、まだまだ血気盛んです。
猪木が参戦していたら壮絶な潰しあいになっていたでしょう。
幸か不幸か猪木は不参加を表明したので、オコーナーの隠された裏の顔はファン
の目に触れずに終わりました。
一度でいいからこの気の良いおっさん風のオコーナーが豹変する試合を見た
かった、無責任にそう思ったのでした。