力道山が抜擢
「甦れ!金曜8時の昭和のプロレス」では主役を支えた脇役達を振り返って
います。
令和3年の最後に登場するのは、力道山と戦って以来20年にわたって日本
マットを賑わしてくれた「カーチス・キング・イヤウケア」です。
得意技はフライング・ソーセージ、193cm160kgの巨体をロープ
2段目から急降下させて相手を圧死させる荒業です。
ちなみのこの「ソーセージ」、食べ物の意味ではありません。
観測用の気球を指す言葉で人間離れした巨体を表しています。
初来日は1960年10月の国際試合シリーズ。
11月16日に力道山の持つインターナショナルのベルトに挑戦しています。
東京体育館大会のメインを飾ったこの試合は1本目をイヤウケア、2本目3本目
は力道山が連取して9度目の防衛を果たしています。
この日馬場は30分1本勝負で芳の里に首固めで敗れ、猪木は20分1本勝負
でミスター珍を体固めで破っています。
両者はまだ前座試合の修行の身、しかし力道山とメインで戦ったイヤウケアも
実はキャリア僅か2年の若者でした。
主役となるべき外人エースの不甲斐なさに怒った力道山がイヤウケアを大抜擢
したのでした。
68年1月7日には大阪府立体育館で馬場のインター王座19回目の防衛戦の
相手を務めますが、イヤウケアにとっては不幸な巡り合わせでした。
新興団体の国際プロレスとの興業合戦で3日前に18度目のインター防衛戦が
行われたばかりだったのです。
しかも相手は初来日の超大物クラッシャー、異常人気を呼んで会場は12000
人を集める札止め。
その直後の防衛戦ではファンの興味が薄れたのも仕方ありません。
72年に国プロに登場するとエースのストロング小林が持つIWA世界王座
に挑戦。
横浜文化体育館で行われた試合は小林が初めて金網デスマッチに臨むとあって
人気沸騰。
会場は6500人の超満員、加えて入りきれない観客が1000人以上でる
大うけ状態。
もしかしたら最も注目されたイヤウケア絡みの試合だったかもしれません。
意外な試合展開
力道山、馬場、小林と各時代の日本人エースと戦ってきたイヤウケアですが、
不思議にアントニオ猪木との縁はありません。
大舞台と言えるのは70年3月7日台東体育館での馬場猪木対エリック・イヤ
ウケアのインタータッグ戦くらい。
1本目はエリックがアイアンクローで猪木を抑え込んで16分50秒に先取。
この時代の勝敗は超大物のエリックは傷つかずにイヤウケアが2本目3本目に
負け役になるのが通例でした。
ところが展開は予想外です。
2本目に猪木がエリックの右手を手中攻撃して8分54秒にギブアップを奪った
のです。
意表を突かれたファンは暫し呆然とし、一拍おいて万雷の拍手が起きました。
3本目は2分20秒に馬場が無難にイヤウケアを抑え込んで防衛。
この試合で猪木の視線はエリックに集中し、イヤウケアにはほとんど向けられ
なかったのでした。
「甦れ!金曜8時の昭和のプロレス」では主役を支えた脇役達を振り返って
います。
令和3年の最後に登場するのは、力道山と戦って以来20年にわたって日本
マットを賑わしてくれた「カーチス・キング・イヤウケア」です。
得意技はフライング・ソーセージ、193cm160kgの巨体をロープ
2段目から急降下させて相手を圧死させる荒業です。
ちなみのこの「ソーセージ」、食べ物の意味ではありません。
観測用の気球を指す言葉で人間離れした巨体を表しています。
初来日は1960年10月の国際試合シリーズ。
11月16日に力道山の持つインターナショナルのベルトに挑戦しています。
東京体育館大会のメインを飾ったこの試合は1本目をイヤウケア、2本目3本目
は力道山が連取して9度目の防衛を果たしています。
この日馬場は30分1本勝負で芳の里に首固めで敗れ、猪木は20分1本勝負
でミスター珍を体固めで破っています。
両者はまだ前座試合の修行の身、しかし力道山とメインで戦ったイヤウケアも
実はキャリア僅か2年の若者でした。
主役となるべき外人エースの不甲斐なさに怒った力道山がイヤウケアを大抜擢
したのでした。
68年1月7日には大阪府立体育館で馬場のインター王座19回目の防衛戦の
相手を務めますが、イヤウケアにとっては不幸な巡り合わせでした。
新興団体の国際プロレスとの興業合戦で3日前に18度目のインター防衛戦が
行われたばかりだったのです。
しかも相手は初来日の超大物クラッシャー、異常人気を呼んで会場は12000
人を集める札止め。
その直後の防衛戦ではファンの興味が薄れたのも仕方ありません。
72年に国プロに登場するとエースのストロング小林が持つIWA世界王座
に挑戦。
横浜文化体育館で行われた試合は小林が初めて金網デスマッチに臨むとあって
人気沸騰。
会場は6500人の超満員、加えて入りきれない観客が1000人以上でる
大うけ状態。
もしかしたら最も注目されたイヤウケア絡みの試合だったかもしれません。
意外な試合展開
力道山、馬場、小林と各時代の日本人エースと戦ってきたイヤウケアですが、
不思議にアントニオ猪木との縁はありません。
大舞台と言えるのは70年3月7日台東体育館での馬場猪木対エリック・イヤ
ウケアのインタータッグ戦くらい。
1本目はエリックがアイアンクローで猪木を抑え込んで16分50秒に先取。
この時代の勝敗は超大物のエリックは傷つかずにイヤウケアが2本目3本目に
負け役になるのが通例でした。
ところが展開は予想外です。
2本目に猪木がエリックの右手を手中攻撃して8分54秒にギブアップを奪った
のです。
意表を突かれたファンは暫し呆然とし、一拍おいて万雷の拍手が起きました。
3本目は2分20秒に馬場が無難にイヤウケアを抑え込んで防衛。
この試合で猪木の視線はエリックに集中し、イヤウケアにはほとんど向けられ
なかったのでした。