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昭和のプロレス:0.8%の対戦相手

2019-03-29 06:29:39 | 日記
得意技を受け切る

 「甦れ!金曜8時の昭和のプロレス」ではヒーローたちを輝かせた脇役の活躍を
振り返っています。
今週登場するのは「褐色の弾丸 ドリー・ディクソン」
 日本のマット史に残る名勝負に縁はないけれど、その時々の主役を引き立てる脇役の
仕事を見事にこなした渋い存在でした。
余り知られていませんが、とんでもない記録の持ち主でもありました。

 ジャマイカ出身で175cm95kgの小型ながら、敏捷な動きで大物を相手に試合
を盛り上げて観客を唸らせました。
 本場アメリカマットでは第42代NWAチャンピオンのオコーナー、43代のロジャース
を相手に90分の時間切れ引き分け試合を行っています。
アメリカ修行中の馬場をMSGで負かした記録も残しています。(Wikipedia より)
 そんなディクソンが日本のマットに初めてお目見えしたのは1969年の3月。
国際プロレスが世界中から強豪を集めたワールド選抜シリーズへの参加でした。

 シリーズ第10戦、八日町公民館では主役のロビンソンとシングル対決をしています。
結果は1本目7分52秒体固め、2本目1分30秒背骨折り、惨敗を喫しています。
 しかしこの試合のファンのお目当ては人間風車とワンハンドバックブリーカー、
ロビンソンの2大得意技を見事に受け切ってファンを十分に堪能させたのでした。

越えられない記録

 74年には新日本プロレスの闘魂シリーズに参戦しています。
主役はロシアの怪豪ニコライ・ボルコフ、そしてマネージャー役のフレッド・ブラッシー。
他のメンバーはジ・アベンジャーとかシェイク・オブ・バクダッドといった無名選手ばかり。
 彼らに比べれば国プロ時代にTBSの中継で毎週テレビに映っていたディクソンは、いくらか
名前が知られていました。
だからボルコフが猪木と戦う最終戦までは、メインで猪木の相手をする恰好の存在でした。
 シリーズは8月30日の後楽園ホールを皮切りに10月10日の蔵前国技館までの全30戦。
早速9月5日の長岡市厚生会館で45分1本勝負が組まれ、9分57秒に体固めで敗れています。
その後も9月29日出雲氏体育館など何と計6回も戦っています。

 シンやハンセンは猪木と幾多のシングルマッチを行っていますが、1シリーズ中にこれ程
の対戦はしていません。
 猪木は現役中703回のシングルマッチを行ったとされています。
その内の6戦の相手がディクソンでした。
 ファンが手に汗握る名勝負は残せませんでしたが、外人のスター選手不足に悩む黎明期の
新日マットを活気づける役割は充分に果たしました。
 猪木の生涯シングル戦の0.8%をたったひとシリーズで戦いきったディクソンは、誰も
越えられない記録を打ち立てたのでした。
コメント
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