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昭和のプロレス:アンドレになり損ねた男

2019-03-08 07:24:52 | 日記
成功者は違う

 アンドレ・ザ・ジャイアントと言えば、泣く子も黙る超一流のプロレスラー。
223cm236kgの規格外の巨体ながら意外にも動きが早く、ファンを魅了する
激闘を繰り広げました。
 抜群の集客力を誇り、世界中何処の大会場もアンドレが出れば満員になりました。
だから稼ぎも半端ではありません。
アンドレはプロレスラーとしての全てを手に入れた最大の成功者でもありました。

 「甦れ!金曜8時の昭和のプロレス」では、そんなスーパースターになり切れなかった
脇役達を振り返っています。
今週は「ザ・ケンタキアンズの片割れ、グリズリー・スミス」です。

 昭和の時代には2mを超える巨漢レスラーが度々登場しています。
力道山と戦ったスカイ・ハイ・リーは220cm以上あったと伝えられています。
ワールドリーグに参戦したザ・コンビクトは214cmの巨体でした。
彼らはその大きさ故に注目を集めましたが、残念ながらその人気は一時的。
ただ体が大きいだけならば一度見たら飽きられてしまいます。
 ところが成功を収める者は違いました。

 フランスの山奥に力を持て余した木こりがいると耳にした有名レスラーが探し出して
パリのマットに連れて来た、それがプロレス流の宣伝文句でした。
デビューしたのは18歳、日本にやって来た時はキャリア6年の24歳でした。
登場したのは1970年の国際プロレス。
 当初は大きな体だけが話題になりましたが、アンドレは研究熱心な上に運にも恵まれていました。
国プロに出場したのを切っ掛けに本場アメリカマット進出のチャンスを手に入れます。
そこで観客が何を求めているかを敏感に感じ取る能力を開花。
小人の国に現れたガリバーを思わせる動きを取り入れ、瞬く間に人気レスラーへの道を
駆けあがって行ったのでした。

欲は無し

 今日の主役グリズリーの歩みはアンドレに似ています。
初来日したのは3年早い67年の国プロ。
同じ様に213cm159kgの巨体です。
伸ばし放題の髭面、薄汚れたシャツにジーンズ、ルーク・ブラウンとタッグを組んで
ザ・ケンタキアンズを名乗って旗揚げシリーズに登場しました。
 国プロと東京プロレスの合同シリーズではヒロ・マツダやアントニオ猪木とも戦っています。

 得意技は相手選手を逆さまに持ち上げて締め付ける恐怖のスタンプ・ホールド。
巨大なきこりの暴れっぷりは勢いに乗れば手が付けられません。
しかし攻めが単調なだけに、守りに入れば脆いもの。
大概の試合では負け役を演じていました。
 もしも巨体だけでなく、観客をうならせるもうひとつの売り物を身に付けたならきっと
日本マットの主役になったでしょう。
でもこの時グリズリーは35歳、既にアメリカマットではある程度の成功も収めていました。
だからそんな事には全く興味が無かったのかもしれません。

コメント
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