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昭和のプロレス:共通点はそこだけ

2019-03-01 07:13:34 | 日記
兄弟トリオ

 マスカラスと言えばプロレスファンでなくとも名前を知っている昭和プロレスのレジェンド。
「千の顔を持つ悪魔」のニックネーム通りに毎試合違ったマスクを披露しました。
通算22回の来日を果たし、13回日本マットに登場した弟のドス・カラスと共にファン
に親しまれました。
 実は彼らにはもうひとり兄弟がいました。
その男も同様にマスクマン、奇抜なデザインのマスクを被り唯の1度だけ日本のマットに
登場しています。

 「甦れ!金曜8時の昭和のプロレス」では、マット界の脇役達の思い出を振り返っています。
今週は「竜巻仮面エル・シコデリコ」です。

 マスカラスが初来日したのは1971年の2月の日本プロレス。
開幕戦のセミファイナルがテレビ中継されました。
この試合で日本のファンが見た事も無い空中殺法を披露して、一夜にしてスターになりました。
 そのマスカラスには弟がいると報じたのは専門誌のゴングでした。
筋骨隆々の肉体と独特のマスクを写真入りで報じました。
 そうなれば試合を見たくなるのがファン心理。
人気の高まりを感じた日プロ幹部は早速その年の年末から始まる新春チャンピオンシリーズ
に招聘をしました。
シリーズの主役ブラジルと共にシコデリコが72年2月号のゴングの表紙を飾っています。
期待の高さが伺えますが、ゴング誌はその名を「エル・サイコデリコ」と表現していました。

同じニックネーム

 シリーズ終盤の1月21日の後楽園ホールでは、シコデリコは第4試合で若手の永源と
シングルマッチを行っています。
パンフに押された対戦カードの表記は何故か「エル・サイコデルコ」
ゴング誌の表記と微妙に違っています。
 日プロの幹部には揺るぎないこだわりがありました。
「レスラーの真の実力を知るのは我々だけ。
マスコミの連中に正しい評価ができる筈が無い。」
だからどれ程前評判が高くても、使い物にならないと判断すれば前座の試合にしか出しません。
 せっかく来日したのにどうしてテレビに登場しないのかと、ファンが訝るケースが当時
度々ありました。
シコデリコもそんなひとり、テレビ中継にはほとんど登場していません。
名前の件も「これが正しい発音だ」と意地を見せた気がします。

 改めてその姿を見てみましょう。
最大の特徴のマスクは鼻の辺りを中心に太い線がとぐろを巻いています。
6重の渦が顔面に張り付いた独特のデザインです。
好意的に見るならば当時流行りのサイケ調、正直な感想を言えば子供のいたずら描きみたいです。
 偉大な兄弟のマスカラスとは雲泥の差だったシコデリコ。
ひとつ共通点を上げるならばニックネームの「せんの顔」
ただしシコデリコの方は「線の顔」となっちゃいますが。
コメント
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