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善光寺の謎 その2

2015-12-12 07:00:46 | 日記
明治維新の荒波

 前回は善光寺さんをお守りするふたつの宗派の内の天台宗について、周辺を
歩きながら知識を広めてきました。
今回は浄土宗に関して勉強をしてみましょう。

 毎週土曜日はウォーキングをしている時に浮かんだ疑問を取り上げています。
今日は先週に続いて「善光寺の謎」第二弾です。
「無宗派の善光寺に何故ふたつの宗派があるのか」について少しでも疑問が
晴れるように調べてみましょう。

 幕府の命を受け江戸時代を通じて天台宗が善光寺及び善光寺領を治めてきましたが、
明治維新により善光寺を取り巻く情勢が激変しました。
新政府の方針は廃仏希釈であった為に、仏さまに対する扱いは酷い物となり多くの
寺が寂れていきました。

 善光寺も例外では無く、それまで受けて来た幕府からの支援が途絶え、新政府
からの援助は無く、大きな危機を迎えていました。
これを乗り越える事が出来たのは、深い信心とお寺の努力でした。
 その時に浄土宗のお上人様が為された事は今でも語り継がれています。
当時のお上人さんは明治天皇の叔母に当たる誓円尼公上人でした。
 神仏分離を迫る荒波に対して、お上人さんは善光寺を守るために皇族の身分を
捨てるご決断をされたのです。
その際「身にまとった袈裟は取る事が出来ても、心に着けた袈裟は取り得ません」
そうお話になって御仏に仕える道を選ばれたのでした。

 大本願のお上人さんは代々女性です。
その歴史は古く、創建当時に蘇我馬子が娘を善光寺に遣わせたのが最初と言われて
います。
 宮中から上人号を許されて紫の僧衣を着用できるのは、大本願と尾張の誓願寺、
伊勢の慶光寺の3つのみであり、現在では善光寺大本願だけとなっています。

実態は如何に

 さて中央通りを上がって大本願の門をくぐりましょう。
そこには本堂に当たる本誓殿があります。
この中に浄土宗改組・法然上人の像が奉安されています。
 本堂に向かって右手には親鸞聖人とゆかりの深い位牌堂があります。
更に右手一番奥に行くとそこには宝物殿があり、皇室の遺品などが展示されています。
 左手は儀式が行われる表書院です。
先週回った大勧進とはまた違った趣が感じられます。

 大本願と大勧進、浄土宗と天台宗。
両者の関係はどう言った物なのでしょう。
素朴な疑問ですが明快な答えは見つかりません。
 「微妙なバランス」が適切な表現かも知れません。

 お朝事の祈祷は先に天台宗が執り行い、法要の際に内々陣のお戸帳を引き上げる
役目も天台宗住職に限られています。
一方で年末年始の行事を取り仕切る堂童子は浄土宗住職が持ち回りで任に就きます。
 どちらも互いを補完し合って存在している、しかし本音の部分では言いたい事を
我慢し合っている、そんな感を受けます。
 善光寺に何故ふたつの宗派が存在しているのか、解明への調査は次週も続きます。
コメント
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