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善光寺の謎 その1

2015-12-05 07:00:45 | 日記
馴染みのお寺さんなのによく知らない

 今年も師走になりました。
大晦日まで残された時間も僅かです。
耳を澄ませて除夜の鐘を聞きながら、行く年来る年に思いをはせる日がもうすぐ
そこまで来ています。

 除夜の鐘と言えば長野市民が思い浮かべるのは善光寺の鐘楼でしょう。
多くの方々が二年詣りや初詣に行く善光寺。
余りに馴染みが深いので普段気にもしていないけれど、実は知らなかった事が
多い様です。

 毎週土曜日はウォーキング中に感じた疑問を取り上げていますが今週は「善
光寺の謎 第一弾」です。

 歩きながら、大勧進副住職に就任した栢木(かやき)住職の入山式が大勧進で行われた、
の報道を思い出しました。
ふと、善光寺は無宗派なのに何故大勧進(天台宗)と大本願(浄土宗)があるの?
そんな疑問がわきました。

 調べると難しくも長い期間にわたる事情があった様です。
 1400年の歴史を誇る国宝・善光寺。
江戸時代には前記の2宗に加えて時宗も善光寺で一定の勢力を保っていました。
江戸中期、時宗は幕府の命令で天台宗に改宗させられています。
 その後地震で倒壊した本堂再建に当たり天台宗、浄土宗両派が協力して再建に取り組む事
を幕府寺社奉行が命じています。
 この様な流れの中で天台宗が次第に勢力を強め、江戸時代を通じて善光寺及び善光寺領の
管理運営を行った、と言います。
 明治以降の両派を巡る歴史についてはまた勉強して、今後取り上げるとしましょう。

現地見学

 今日は大勧進を訪れてみました。
仲見世を進むと左手が大勧進です。
「十万石の格式」と呼ばれる表門は1789年建立、諏訪の彫刻家・初代立川和四郎作の
龍の彫刻が施されています。
 放生池を渡ると正面に見えるのが本堂の万善堂です。
右手には位牌堂、そして不動明王が安置された護摩堂があります。
その奥は室町時代の作風と言われる日本庭園で、その一角には明治天皇がお茶を召し上がった
沈香亭があります。
隣の宝物館には日本最古の設計図である「善光寺造園図」等の貴重な品が収められています。
 善光寺境内には25の天台宗の院と呼ばれる寺が存在します。
各院ではそれぞれ趣向を凝らして全国からの参拝者をもてなしています。

 次回からはそれぞれの宿坊や大本願、あるいはお朝事の内容等の具体的な話を調べて行きましょう。
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