週末を原村で

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§ 「護憲」と「自衛隊の役割拡大阻止」のみに血眼になる不思議

2017年12月05日 14時17分41秒 | たわごと(少し硬派に振って)
以前のたわごと(少し硬派にふって)のスレッドで述べた「安全保障関連法」が成立時はこちらです。
自衛隊が復興支援や人道的支援にPKOで派遣されて、オランダやネパール等の国連に要請された軍隊に警護されて活動する。
諸外国からは日本の自衛隊も軍隊と思われている。
自衛隊が自衛隊の自衛の為にも諸外国のNPO法人や諸外国の軍隊を救援するために活動せずして国際貢献は図れるのであろうか。
自国のみ紛争の悲惨さに目をつぶり、殻に閉じこもり平和平和と念仏を唱えているだけで人として正しい行いなのか。
甚だ疑問である。

その根底に流れる「護憲」と「自衛隊の役割拡大阻止」の内、今回は自衛隊の役割拡大阻止についてのスレッドです。

南スーダンからPKOで派遣された自衛隊が撤退した。
今回の自衛隊PKO派遣は今までのPKO派遣とは大きく異なる任務が付与されていた。
安全保障関連法に基づき駆けつけ警護と他国との宿営地の共同防衛が任務と可能になったのです。


日経新聞からの記事『南スーダンPKO、自衛隊が全員帰国 2017/5/27 13:27』を引用させて頂きます。

南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に派遣された陸上自衛隊の施設部隊のうち、最後まで現地に残っていた11次隊の隊員約40人が27日午前、帰国した。部隊全員が南スーダンから撤収し、5年4カ月に及んだPKO活動は終了した。
 11次隊は2016年11月に安全保障関連法に基づく「駆けつけ警護」「他国軍との宿営地の共同防衛」の新任務が付与されていたが、実施されなかった。
 撤収は4月に始まり、南スーダンに派遣された施設部隊約350人のうち、これまで約310人が3回に分けて帰国していた。
 11次隊は陸自第9師団(青森市)が中心。日焼けした顔に迷彩服と青色のベレー帽姿の隊員らは羽田空港から青森空港経由で正午すぎに青森駐屯地(青森市)に到着。雨のため体育館に移動し、出迎えの家族や同僚らから盛大な拍手を受けながら行進した。
 11次隊の帰国報告を受けた同師団長の納冨中(みつる)・陸将は「半年で得た知識、経験と自信を持って新たな任務に備えてほしい」と話した。
 南スーダンは11年に独立。政府は12年1月から首都ジュバで道路補修などのインフラ整備を任務とする施設部隊の活動を開始。延べ約4千人を派遣してきたが、今年3月に「一定の区切りがついた」として、稲田朋美防衛相が撤収を命じた。
 ジュバでは昨年7月、政府軍と反政府勢力による大規模な衝突が起きて、治安情勢が悪化。現地の部隊が作成した日報には「戦闘への巻き込まれに注意が必要」といった記載があり、停戦合意などPKO参加 5原則との整合性が問われた。

以上が引用です。


ここで私が何を述べたい論旨かを鮮明にするために日経紙面の引用した最後の二行を再掲します。
国会で稲田元防衛が日報問題で話題となった所です。

 ジュバでは昨年7月、政府軍と反政府勢力による大規模な衝突が起きて、治安情勢が悪化。現地の部隊が作成した日報には「戦闘への巻き込まれに注意が必要」といった記載があり、停戦合意などPKO参加 5原則との整合性が問われた。

すなわち、派遣された地域が戦闘地域なのか否かの問題です。
野党は「戦闘地域に派遣させない。」自民党など与党は「戦闘地域では無いと言い張る。」
この為に派遣されていた南スーダンから自衛隊を撤退させたのである。
野党の言う通り、南スーダンの地は戦闘地である事は間違いのない事実である。
なのに与党たる政府は戦闘地域ではないと言い張る。
物事の本質は戦闘地位か否かではないと思っている。
戦闘地域を戦闘地域ではないと抗弁している為に日報問題が派生してしまうのである。
政府の戦闘地域ではないとの事を覆す為に自衛隊の日報が隠蔽されてしまう恐れが生じるのである。
その為に野党はその矛盾をついてくるのである。
また、野党は攻め立てる手段が見つからず本旨ではない点で政府を指弾する事になりそれを見聞きする国民も何の違和感も持たないのである。
本来は、戦闘されている地域であっても国連のPKO活動の一環として国際貢献に寄与すべきで有ると考えるのである。
日本が国連の旗の下でどんな貢献をすべきかという議論が国会で行うのが本旨であるからと思うからである。
事実を伏せて国際貢献を行おうとしても、それは国民の支持を受けない歪な行動であり、その行動を押 し付けられた自衛隊も胸を張り使命感を持って平和をその地にもたらすとの気概を持つことが出来ない筈である。
日本は自国だけ良ければ、国際貢献をしないで良いのだろうか。

日本国憲法前文には『日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。』(一部抜粋です。)と声高らかに世界に向かって国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思うと宣言しているのである。

お金だけで国際貢献を行っていては、世界から真に信頼され地位を占める事が出来るのであろうか。
第二次世界大戦後70余年です。
真に世界に平和をもたらす事は何に由来し、かつ行動を起こすべきなのか議論せなばならない時期に来て居ると思うのだが。

『危ないから行かない』と言って『危なくなったら先に逃げる』という姿勢で良いのか?
今回の南スーダンの問題でも、派遣された時は戦闘状態だはなく、後に戦闘地域に移行したからと言って逃げ帰ってその地に居る現地の人々やNPOを守らずして良いのか議論すべきだと思うのは異端児なのか。

次に挙げる「護憲」と同じで議題にする事、自体をはばかる事が良い世であっていいのだろうか。
論議に論議を重ねて問題点を議論する場が有って良い筈で有ると思えてならない。
議論を封じるだけでは、与野党間の互いの溝も埋まらないし、国民の問題意識も深まらないと思えてならない。

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