週末を原村で

非日常性のユッタリした時の流れを信州は原村で。音楽を聴きながら星を眺め!最近は海外の旅の記事もアップします。

§ 私の中で自然とは(土鳩への給餌)

2017年12月20日 19時44分52秒 | たわごと(少し硬派に振って)
先日、土鳩に対して餌を与える人に注意した方に暴力を加えた事件の裁判があった。
給餌する人たちは全てが孤独な老人とは言わないが、確信に裏打ちされた確固たる意志をもって自然界での野鳥に対して餌を与えている老人たち。
他人の意見など何のそのである。
決して曲げる事の無い確固たる確信犯そのものである。
可愛い小鳥たちに餌を与える事は人類愛に繋がる心暖かい動物愛と信じて決してやめる事はない。
老人はだれにも相手にされずに、無償の愛に応えてくれる自然界の野鳥が可愛く思えるようである。
でも、本当にそれで良いのでしょうか?
私の考える自然の中にでは、ペットでない野鳥に給餌することは良い事なのかとの提案です。

最近では土鳩に給餌することは、よくないことだとの認識が日本でも芽生えつつあるようだ。
以前、上野公園に行けば動物園と東博間の噴水広場あたりには沢山の土鳩がたむろしていた。
椅子に座りテーブルの上に置かれた鳩の餌が売られていたのです。
今では鳩の餌も売られていないし、鳩に給餌している人も見かけない。
東京都も鳩に餌を与えるのは止めましょう!とチラシを作り啓蒙活動を行って居る。
今回、上野のお山に行ってもそれほど土鳩を気にすることもなかったから、土鳩も殆どいなかったのかも。
東京都は何故に土鳩に対して、餌を与えてはいけないとの啓蒙活動を行っているのかです。

次の三点に要約されるようです。
東京都環境局からの引用です。
一点目:栄養状態がよくなるため、一年に何度も繁殖します。
 即ち、自然界の世代交代の流れを超えて許容範囲以上のハトが増える事。
二点目:数が増えすぎると、鳴き声や糞などにより生活環境に被害をもたらします。
 即ち、ハトの数が増える事により鳴き声や糞などにより人間に対して病原体などによる被害をもたらす事がある。(ハトのフンには汚い臭いだけでは無く、脳細胞を破壊するウィルスや真菌など人間に大きな被害を与える。)
三点目:被害を受けている場所では、やむを得ずハトを駆除せざるを得なくなり、ハトにとっては大変不幸な結果となります。
 即ち、ハトが増えたから駆除する。これは悲しい事ではないですか。だから餌を与えてはいけません。


これらの考え方が良くないとは言いませが、本質を見落としていると感じるからです。

人が迷惑を受けるか否かが給餌することの可否を決めているのです。
野鳥の係わりは、迷惑問題では無いのです

この事は野鳥に限った話ではありません。
人間が飼うペット以外の動物全てに言える私の信念です。
ペット以外は給餌してはいけない。
どんなに可愛い動物でも、人間に害を与える可能性が無いとしても、決して餌を与えてはいけないと思っています。


只一つの例外は絶滅危惧として種の保存の為に給餌する時だけだと思っています。
(それに類似する施設としての動物園での飼育・給餌は例外かと思います。)

その考え方に至ったので今では餌の不足する冬でも別荘での野鳥への給餌はしていません。
かわいいから、野鳥が飛んでくる姿を見たいから、写真を撮りたいから等で、ヒマワリの種やみかんを枝に刺してメジロに給餌するなど問題外だと思っている次第です。

此処からの私の論旨は誤解を招く恐れがありますので、記載するか迷いました。
それでも、自然とは人的な力が作用しない事が絶対条件だと思う自分としては外す事ができません。
ナチスなどが主張し実践した優性的な視点に立つものでは無い事を重ねて述べておきます。
厳 しいようですが、自然とは過酷な生存競争の上に種を次の世代に繋ぎ代を重ねて来て今の種の多様性が確保されているのです。
自然界で強い種を代々繋いできたのは、過酷な自然界に在りその中での競争が今の種が多用化 したのです。
誤解されては困りますが、強 い種が残るべく厳 しい自然界が個 を選別 して強 い遺伝子を選択 して次の世代に繋いでいるのです。
その過程で人間と言う外的因子が関与する事は決 してあってはいけない事だと思うからです。


でも、私と同じ考えを持つ方は超少数派だと思います。
それが少し残念であり悲しいです。
コメント
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