ホテル 椿山荘 東京 の庭園です。
私達は食事を済ませてから、お庭に近いホテル棟のチャペル・シェル側から庭園に出ました。(バンケット棟の庭園内神殿側からも出られます。神田川沿いの冠木門からは現在出入りができません。)
1 食事をしたのはホテル棟の二階です。一階降りて庭園へ。坂を下り弁慶橋へ。弁慶橋との名称で思い浮かぶんが、赤坂見附の交差点脇のお濠に掛かる弁慶橋が有名です。勿論規模は段違いですが。朱色と言うより赤みが強いいろですが。
3 昔からの回遊式の日本庭園とは少し趣を異にするため椿山荘では庭園と謳っているようです。椿山荘から頂いた案内から一部引用させて頂きます。
ホテル椿山荘東京 庭園
春は桜。夏は深緑。秋は月紅葉。冬は雪椿。日本の四季が豊かな表情を咲かせるホテル椿山荘東京。この周辺は、古来より椿が自生する景勝に地として知られ、1300年代の南北朝期の頃から「つばきやま」と呼ばれていました。江戸期の浮世絵師・歌川広重作「名所江戸百景」でも取り上げられており、往年の賑わいを伺い知る事が出来ます。
明治維新を迎えると長州藩士で新政府の礎を築いた元勲・山縣有朋公爵が、明治11年私財を投じてこの地を購入。起伏豊かな地形を巧みに生かし、今日に見る自然主義の名園を造り上げました。その庭園は、つばきやまの名にちなんで「椿山荘」と命名。ホテル椿山荘東京の歴史はここを起源とし、当時明治天皇・大正天皇をはじめ政財官界の第一人者がしばしば訪れ、国政を動かす重要会議が開かれるなど、歴史の表舞台として登場していきます。(以下省略)
4 幽翠池越しにホテル棟が見えます。
5 チャペル・ルミエール脇に流れ下る五丈滝です。説明文の高札には「岩の段差と、苔むした岩肌が水の流れに変化をつけ、夏にはその風景と水音に涼を感じられます。」と書かれています。水が高き崖淵から落下する滝ではなく、岩の間から沁み出すが如く水を束ねて下る感じです。大河ドラマのタイトル画面で使用された『吐竜の滝』を思い出してしまった。
6 日本ではホテルと言えば結婚式と披露宴ですが、今は大変かもしれません。庭園を歩いていると雲海をバックに新郎新婦が撮影会に臨んでいました。
8 案内板のみ撮影してきました。
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12 提灯には英語で「ホテル椿山荘東京」と奥ゆかしく小さく品良く印字されていました。
13 姫路城脇の好古園で見かけた竹垣でその種類の多さに驚かされました。こちらの垣根は竹穂を揃えた垣の自然な姿は美しい。名称は竹穂垣です。
14 丸形大水鉢・車石です。
15 般若寺式石燈籠です。鎌倉後期の逸品です。
16 東京カテドラル聖マリア大聖堂のカリオンが見えましたので一枚撮影しました。
17 国の登録有形文化財の三重塔の「圓通閣」です。圓通閣とは、圓
通大士すなわち観世音菩薩の異称で、圓通閣は観音堂を意味している。
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21 食事したみゆきが見えましたので一枚。
22 白玉稲荷神社です。 大正13年、京都下鴨神社に有った社殿を譲り受けて移築、翌年、伏見稲荷明神から白玉稲荷と勧請して椿山荘の守護神としました。
23 お稲荷さまですから、勿論お狐様です。
24 椿山荘の名の由来の椿です。沢山の椿を愛でに満開の頃に訪れてみたいです。
25 コロナ禍の現在は休店中です。早く繁盛してほしいです。
26 青面金剛の庚申塚(塔)です。
寛文6年(1669年)道教の庚申信仰に由来する石塔。青面金剛像が彫刻されています。江戸初期、早稲田から関口台に抜ける野道がこの辺りにあり、その名残を今に伝えています。
27 椿山荘一の長寿のご神木です。椿山荘の案内書からの引用です。
樹齢約500年、ホテル椿山荘東京最古の椎の樹木。根元周囲は4m50cm、樹高は約20mに及びます。
28 十三重石塔です。戦国時代の武将で茶人でもあった織田有楽(織田信長の弟)由縁の物と伝えられる層塔(総高4m76cm)。
古香井の奥に見えるのが十三重石塔でした。訂正して掲載します。
次の石塔は十三重石塔ではありませんでした。訂正します。
29 一際目立って朱色の花を付けていた鹿児島県の県花のアメリカンディエゴです。上野の山の西郷さんの銅像の手前に植えられています。今もあると西郷さんが寂しくなくていいです。
30 伊藤若冲 羅漢石です。 江戸中期の画家・伊藤若冲の下絵に依る5百羅漢の内の20体で、京都南郊伏見の石峰寺に置かれていたものと伝えられています。伊藤若冲は京都の大本山相国寺とも大変所縁深い事を昨日のBS番組で知りました。
ホテル椿山荘東京 Image Movie
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