Me & Mr. Eric Benet

私とエリック・ベネイ

昨日の地震

2011-03-12 11:31:25 | Weblog
昨日の地震、それぞれの場所でたいへんな思いをされたことと思います。
みなさま、お元気でしょうか?
東京近郊の方は疲れも出ていることかと思いますが、
引き続き、お気を付けてお過ごし下さい。
東北方面の方には一刻も早い救助と復旧を願うと共に、
お見舞い申し上げます。

私は家に一人でした。
家にいたのは幸いのような、そうでなかったような状況でした。
ブラインドが窓に叩きつけられるように揺れ始め、
家の中の二台のパソコン、液晶テレビなど薄型の物、給水機などの上に重心がある物、
今にも倒れそうな状態が続き、キッチンの収納扉が次々と空き始めました。
パニクった私は何と食器棚を抑え始めたのです。
食器が惜しかったわけではありません。
ただ「これが倒れたらたいへん!」と思ったらしいのです。
何をやっているのだろうとはっと我に返り、さてどこが一番安全なのだろうかと。

ダイニングテーブルは食器棚に直撃されそうだし、ソファーの下は窓に近いから、
ガラスが割れたらたいへんだし。呆然と立ち尽くしていました。
いや、立っていられずによろよろと動いていたのだと思います。
そのうち、何か自分の中で覚悟のような物が定まり、気持ちが落ち着きました。

海外の人が日本で地震に合うともう真っ青になります。
私たちはある程度慣れていて、それはこれくらいの揺れだったら大丈夫だろうとか、
後もうちょっとで収まるだろうという経験があるからです。
しかし昨日のはそのすべてを超越したすごさでした。

あの揺れの中で一人でいて、また携帯、電話はもとよりメールも連絡が取れない。
夫とは初期の揺れの直後に連絡をとることができましたが、
築70年の家に住んでいる高齢の両親とは連絡が取れないまま。
両親の住んでいる千葉県が津波圏内とテレビに出てきたではないですか。
実家の横には川もあります。
だんだん心配がつのっていました。

電気と水が止まっていなかったので、テレビを見つつ、
またパソコンも落ちてしまった人もいたようですが、
家のは問題なかったので付けていると、アメリカからたくさんのお見舞いのメールを貰いました。
その内、夫とも連絡が取れなくなり、実家のこともますます心配に。
アメリカの人達とfacebookでやり取りしているのに東京近郊の家族の安否が確かめられない。
不安な気持ちをそのままfacebookに書き込むと、「あなたのために祈っているから。」
「一緒にいてあげたい。」などと暖かい気持ちをみんな、メッセージやコメントで運んでくれて、
ほんとうに元気づけられました。
その内、夫ともfacebookを通して連絡が取れました。
渋滞にはまって3時間経過していると書いてきました。

夜10時半頃でしょうか。
こちらからは「その地域の連絡はできません」状態だった電話が、
母の方から掛かってきました。
両親、上の弟の家族、それぞれ無事であること、下の弟は台湾の空港で足止めされて、
テレビで日本の様子を見ながら恐怖のどん底だったようです。
甥は遠足のまま、バスで徹夜、上の弟も徒歩で3時間かけて家に帰ったと聞きました。

土曜の午前中に通っている仏語学校の仲間達から連絡がパソコンで廻り始めました。
一緒に昼食をしたりする人達10人と作った連絡網。
それぞれ、家に返れずに職場や友人の家に留まっている人、歩いて帰った人、
地下鉄が動き始めたようなので、そろそろ帰ってみようと思う、などなど。
家に帰ったらテレビが倒れて壊れていた、お気に入りのグラスが割れていた、
シャワーを浴びようとしたら出ない、などもまた連絡が入りました。
家も昨日、お湯はでませんでした。
今日は最後のレッスンだったのに休校。

12時少し前に家に夫が帰宅。
いつもは車で30分ほどの距離に6時間掛かったとのこと。
私も飲まず食わずだったことに気づき二人で深夜の食事をして休みました。

今日の午後の仕事の打ち合わせもキャンセルになったので、
家でテレビを観ていますが、被害の様子は阪神大震災の時と同じに、
思っていた以上のようです。
引き続き、みなさん、どうぞお気を付けてお過ごしください。

エリックの婚約者のマニュエラが日本に向けての募金を呼び掛けています。
アメリカのfacebook friends達は引き続き、
日本に祈りを向けるとステータスを出してくれています。
私も共に祈りを運びたいと思います。
いろいろと考えさせられる一日でした。


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