Me & Mr. Eric Benet

私とエリック・ベネイ

アメリカンアイドル シーズン9 トップ2

2010-06-15 07:42:45 | アメリカンアイドル
今回は本人の選曲と審査員の選んだ曲の2曲づつ三人が歌う。

ケイシー "It's Alright With Me"
日本語にすると「これでいいんだ。」という感じだろうか。
ケイシーは自分がここまで来るとは思っていなかった。
でもここにいる以上は来たくても来られなかった人のためにも「がんばるぞ!」
みたいな気持ちが入っていると思った。
しかしながら、審査員からは不評。
「こんな勝負時、人生最大の正念場に歌う曲か?」
「コースディナーで言えばサラダだ。」

クリスタル "Come To My Window"
ハーモニカとギターの重装備で固める。
「アレンジには問題があったが、何より曲に声が合っていた。」
サイモン「君はいつも妥協しないで自分のスタイルを貫いている。」

リー "Simple Man"
リーの顔が輝いている。
「里帰りしてきて変わったね。」とライアン。
「歌も良かったけれど勝つ自信が感じられた。」
「子羊が勢いのある動物に変身した」
アメリカンアイドルを観てきて、自信がついてくると、
自分を過信して傲慢さが出てきてしまい、それが仇になり落ちて行く人がいる。
リーは成長してもあくまでも謙虚だ。

ケイシー "Daughter"
語りかけるような歌い口に先ほどの楽しそうに歌う姿とは違った
ケイシーの繊細な一面が出る。

クリスタル "Maybe I'm Amazed"
クリスタルはどんな曲も自分の歌にすることができる。

リー "Hallelujah"
大好評だったが反対にオーケストラとクァイヤーが入ったことで、
リーの生の声がぼけてしまったような部分もあったが、
「会場の人達も一緒に歌ってくれるのを見て、ぐっときてしまった。」
とリーの眼には涙。

結果発表。

ランディーから「シャイだったリー、
インディーズタイプでこの番組向きではないと思ったクリスタル、
テキサス魂そのもののケイシーが今、ここに残っている。」

それぞれの里帰りが紹介される。

ケイシーはテキサスのクールという場所の出身。
6年前、バイクの大事故で瀕死の重傷を負った病院をお礼に訪ねる。
お母さんも一緒に来て泣いている。
「おふくろの涙には弱いんだ。」とケイシーも涙ぐむ。
しかし何度も咳払いをして涙を呑み込み、決して泣かないところにむしろ感動した。
イケメンで柔らかな印象のケイシーだがやはりテキサスの男だ。

クリスタルはオハイオのトレドへ。
パトカーに先導されてスタジオへ。
ライブでは自作の曲を披露。この町に捧げる歌。
「今、不景気でみんな辛い思いをしているので、応援と感謝の曲を歌いたかった。」

リーはシカゴへ。
カブスの始球式でしっかりとした球を投げる。
通っていた小学校へ行くと子供たちから大歓迎される。
「車で仕事に通った道を今、リムジンに乗って僕のために交通規制がしかれ、
パトカーと白バイに先導されているなんて・・・」
働いていた塗装店でスタッフ達に囲まれて、感情が高まったリーは号泣。
地元のライブでは歌いながらリーが下に目線を移すと両親が泣いている。
その姿を見てまたリーも涙。
「生涯最高の日だ。ありがとう!」と挨拶。
「僕は優勝するよ。」と言っても全く嫌味がない。
また今まで、「優勝する気はあるか?」と聞かれれば、「そうありたい。」
と言う人はいても自ら宣言したのはシーズン5から観てきて彼が初めてのように思う。

リーがまず合格。
そしてクリスタル。

ケイシー、ここまで来たことを心から納得して感謝の気持ちが溢れている。
今までトップ3で抜けていく人は、力の限りの歌を最後に聴かせてきた。
ケイシーは"Daughter"を歌いながら、客席の人とハグ、握手、ハイタッチ、
子供を抱き上げたりしながら、観客との触れ合い、この瞬間の幸せを噛み締めている。


セルジオムトウ@ブラウンシュガー 6/13 2010

2010-06-14 12:01:15 | その他のライブ
恵比寿「ブラウンシュガー」にセルジオムトウが登場。
ウディーファンク、そしてギター、ベース、ドラムス、サックスとバックバンドも豪華。

スタートは"Brown Sugar"もちろん、このソウルバーのテーマソングから。
8時開演のライブ、途中休憩時間は浅草FM「浅草FunkyBroadway」の公開収録となり、
そしてセカンドではセルジオさん、
「最近の日本は政治も混乱し、どこに幸せがあるかと、思っていた。
捜してみたら、幸せはここ、『ブラウンシュガー』にあった。
皆さん、このhappy feelingとlove、ここから自分の周りに広げて行きましょう!
このご時世にソウルミュージックを聴くためにソウルバーに集まる人達は素晴らしい!」
とアル・グリーンの"Love And Happiness"
その後も引き続きラジオ収録、終了は11時半頃。
盛りだくさん、内容の濃いライブが楽しめました。

会場は時間がたつにしたがってラジオ収録しているにもかかわらず、宴会モードに。
テンプテーションズの「マイガール」の大合唱。
客席から「ダニー・ハサウェイが聴きたい!」「ジョージ・ベンソンの『マスカレード』!」
とリクエストが入る。
「それは次回に。」と切り返すセルジオさん、
バンドのメンバーはリクエストのあった曲のリフをサービス。

ジェームズ・ブラウンの曲も良かったけれど、
圧巻はトークボックスだった。
内蔵型ではなくちゃんとアンプがある。
休憩時間にこれを使うWOODYFUNKから解説が。
このチューブ、特製の物ではなく、東急ハンズのホース売り場で買って来たとか。
売り場の人が「トークボックス用ですね?」と分かっていたそうです。
チューブが太いと喝舌は悪くなるがパワフルになり一気に圧が来る、
細いとその反対。
思いっきり太いので吸い込むとクラクラっときて、長時間演奏すると頭痛がしてくるそうだ。
ロジャーや今のザップにもこんな苦労があったのかと初めて知った。

赤坂や武蔵小杉のソウルバーのオーナーたちも参加。
ソウルDJの女性から7/4にお台場からソウルクルーズが行われると紹介がある。

店内は満席でスタンディングも出ていたが、席を詰め合ったり譲り合ったり。
奥の席に入ってしまった人の飲み物のオーダーを伝言でバーカウンターのスタッフに伝えたり。
一人でやってきた人と周りの人たちがお話したり。
とても和やかな雰囲気の中にまったりたっぷりのディープなソウルライブを堪能した。

ウディーさんは最初はセパレート型のセクシーなセーラームーン風。
セカンドはソウルフルなトップスにお色直し。
セルジオさんはシルバーのスパンコールのベストにファーストは同色のニットキャップ、
そしてセカンドはJBのイニシャル入りのハットに変える。
個人的にはセルジオさんのJBジャンプスーツ姿も観てみたかったなぁ。

誰の言葉か忘れてしまったけれど、セルジオさんが「アーティストではなく、
ミュージシャンでありたい。」という台詞を紹介していた。
その真意は?という話題になって、解答はなかったが、
芸術家という枠ではなく、観客を楽しませるエンターテイナーでありたい、
という心意気かと思った。

ドナ・サマーでサマーへGO!

2010-06-12 00:23:19 | その他のライブ
Eさんから、ドナ・サマー、90年代終わりのYouTube映像を教えていただいた。
懐かしのヒットメドレー、その上、歌詞の字幕付き。

一昨年の「アメリカンアイドル」にゲストでDonna Summerが登場し、
新しいCDの発売とツアーが行われること、そして何より、
彼女がいい感じで年齢を重ねていたことに驚いた。

ドナ・サマーのコンサート、武道館に観に行ったのはちょうど今頃。
夏が始まろうとしている時期だった。
大学四年生21歳の時。

最初からチケットを買ってあったわけではなく、
友人のO君からコンサート間近になって誘われた。
要するに一緒に行こうと思っていた彼女が行けなくなったので、
代わりに私を誘ってきたのだ。
彼の友人たち大勢で席を取ってあるという。
そのグループは小学生の時から男女共学の同じ学校に通っていた人達で、
とても仲がいい。ずっと女子校の私にはそういう雰囲気が羨ましかった。
その人達と一緒で、しかもドナ・サマーなら全然OKだったにもかかわらず、
その頃は(!?)我儘だった私は、確か「奢りなら行く。」なんて言った覚えが・・・

ドナ・サマーのコンサート、席も良くてみんなでスタンディングで盛り上がった。
そしてその後、原宿に皆で移動した。
行ったお店は・・・確か「クロコダイル」だったような気が。
今でもそんなお店あるのかな?

デール・カーネギーの著書の中で「女性は老女になっても自分が若かった時、
その日にどんな服を着ていたか覚えている」という一節がある。

私は夏の始まりのその日、白のチューブトップとセットのフレアースカート、
肩を出し、その年は春先から鎌倉の海で泳いでいたので、日焼けしていたことを覚えている。
みなさん、私はガングロなんて流行る前、高校高学年くらいからやってましたよ。
さすがにヤマンバではありませんでしたが。

こんなことを鮮やかに思い出しているなんて、
年取ると最近のことは忘れるが、昔のことは覚えているって言うからヤバイぞ、と思っていたら、
Eさんから「ドナ・サマー、今だって綺麗で素敵ですよね?私たちも今年の夏は、
学生時代に戻っちゃいましょう!」とコメントが。

ドナ・サマー、1946年生まれ。
かつてのディスコクイーン、未だに健在だ。
今年の夏は、ドナ・サマーにあやかって思いっきりサマーを堪能するぞ!

Eさん、楽しい映像を教えて下さってありがとうございました。

Bad Girls / Hot Stuff (With Subtitles) - Donna Summer



ツィメルマン ピアノ・リサイタル 6/10 2010 サントリーホール

2010-06-11 01:38:18 | その他のライブ
Krystian Zimerman クリスチャン・ツィメルマンの語録、
「一回一回、死ぬつもりで演奏している」
「命を掛けて演奏する作品でなければ弾かない」
「自分の本当に目指したい道は何なのか、
音楽への強い愛情をいかにしたら聴衆に伝えられるのか、
完璧なる演奏をするためには何が必要か、ずっと悩んでいました。
もちろんこの答えはいまだ出ていません。
だからこそ私は自分を律し、練習へと駆り立てるのです」
http://ja-pianist.seesaa.net/category/4356797-1.html
(すべて上記インタビュー記事よりの抜粋)

6月10日 サントリーホールのプログラム:
オール・ショパン
ノクターン 第5番 嬰へ長調 Op.15-2
ピアノ・ソナタ 第2番 変ロ短調 Op.35 「葬送」
スケルツォ 第2番 変ロ短調 Op.31
<休憩>
バラード 第4番 ヘ短調 Op.52
ピアノ・ソナタ 第3番 ロ短調 Op.58
<アンコール>
ワルツ 第7番 嬰ハ短調 Op.64-2

楽器、音の反響にこだわり、ピアノを持ち運ぶことでも有名なツィメルマン。
1956年生まれでポーランド出身、18才でショパンコンクールに優勝した後、
'81年からはスイス、バーゼルに居を移している。

今回の来日は約1カ月。
全国をツアーする。
5月中旬から始まり、終盤の東京、横浜へとやってきた。

期日が近くなってからのチケット購入。
残席はSとAのみ。
最初はAで捜していたが、残っているA席は末席。
それなら¥3000の違い、S席でと捜し始めると、
一人分の席ならまだ選択肢がある。
ステージに向かい右ブロック11列の右端を購入。

ツィメルマンにはコアなファンの方々がたくさんいらっしゃるかと思うので、
各々の曲の感想はご遠慮させていただく。
全体的な印象のみになるが、最初に感じたのは弱音の美しさ。
計算され尽くし、それを体現し、隅々まで神経が行き届いているのに、
楽器や演奏者、楽曲を超越して、自然界の音を聴いているような心地良さを感じる。
それがツィメルマン・ワールド、ショパンのピアノ曲の演奏という枠に収まらない。

ツィメルマンのこだわるピアノの状態、調律、音色も完璧だ。
演奏のみならず、観客への心遣いもたっぷりと感じさせてくれる。
そして観客も演奏中、微動だにしない。
2000人が心を一つにして一人のピアニストの演奏に聴き入る様子は祈りに近いものがある。
終了後はスタンディングで拍手する人達もいた。

ピアノから離れても残響が続くように感じる瞬間があった。
「葬送」が終わった時、ツィメルマンが息をはずませているのがわかった。
ほんとうに全身全霊を込めて演奏している。

休憩後の演奏、ツィメルマンは雄弁になる。
自分の世界を構築しているだけではなく、観客へと心をぐっと開いてくる。
ピアノ・ソナタの途中で一瞬、顔を客席へと向ける。
ツィメルマンから"What do you think?"「君にこの曲の心がわかるかい?」
と問いかけられたような気がした。
これだけの大きさのホールでありながら、ツィメルマンと対話しているようにさえ感じる。
(ツィメルマンはコンサート中、一言も言葉を発していないにもかかわらず)

終了後、別世界だったサントリーホールから、夜の地下鉄に乗り込むと、
一気に現実に引き戻される。
静かなコンサートの後は、帰りもしばらくは余韻に浸っていたかったのだけど。

グラディスとジャック・ブラック、ベン・スティーラ―、ロバート・ダウニーJr.

2010-06-10 12:34:15 | Weblog
ジャック・ブラック、「愛しのローズマリー」からファンになりジャックが出演する映画は、
例えB級でもつい観てしまう。
日本未公開の「オレンジカウンティー」などはその中でもダントツだ。
「ナッチョ・リブレ」も許してしまおう。
「クライシス オブ アメリカ」を観ていたら、端役で登場したり、
「スクール オブ ロック」ではジャックの本領発揮だった。
反対にまじめな役、「キングコング」や「ホリデー」では物足りない。

ベン・スティーラ―も同じファレリーブラザースの監督作品「メリーに首ったけ」
で初めて見て、大真面目なほど何か可笑しいベンのファンになった。
オーウェン・ウィルソンなどもこの二人とチームを組んでいるようで、
良く一緒の映画に出てくる。

ロバート・ダウニーJr. たぶん初めて観たのは「愛が微笑む時」
少年時代からのゴースト達との触れ合いが描かれた可愛らしい作品だった。
テレビの「アリーマイラブ」でも二枚目役で登場。
その後、薬物問題で囚人服に手錠姿の映像を見て、映画のシーンかと思ったら、
実生活でのできごとと知り驚く。
最近は飛行機の中で観た「ソリスト」ジャーナリストの役を堅実に演じていた。

さてその三人が若き日のグラディス・ナイトの映像を前にピップスとして、
バックで歌って踊っている。
これは一昨年の「アメリカンアイドル シーズン7」の中の映像。
この年はデビッド・アーチュレッタとデビッド・クックのデビッド対決で話題になった。
この時に番組を観ていたが、結果が気になったのか、この映像の印象が飛んでいる。

The Pips: Jack Black, Ben Stiller and Robert Downey Jr.


今、あらためて、この映像を観てみるとメチャクチャ可笑しい。
中央のジャック・ブラックは自分のステージとばかりにノリにのって踊っているし、
ベン・スティーラ―は「これでいいのかなぁ」みたいに視線が定まらないキャラを演じ、
ロバート・ダウニーJrは、やる気なさそうに取敢えず周りに合わせている雰囲気を出す。

グラディス・ナイト、あえて本人をゲストに呼ばずにかつての
「夜汽車よジョージアへ」の映像で合成出演。
この時のオリジナル映像と較べると更に笑えます。

(1973) Empress Gladys & The Pips "Midnight Train To Georgia"


金子三勇士 リスト 巡礼の年 「オーベルマンの谷」

2010-06-09 01:21:29 | ピアニスト 金子三勇士
金子三勇士が日本に帰国してまもなくの2007年の年始に、
日比谷 松尾ホールでリサイタルが開かれている。

そのプログラムの中の一曲にFranz Liszt フランツ・リスト
"Annees de Pelerinage" 「巡礼の年」より"La Vallee d'Obermannn" 「オーベルマンの谷」
が含まれていた。
残念ながら生で聴く機会は逸したが、新たに演奏したものが録音されたディスクを頂いた。

まずこのタイトルだけで想像力を掻き立てられる曲だ。
そしてなぜフランス語で表題がついているのか。
リストはハンガリーでもドイツ語を話す地域でオーストリア系の両親に
ドイツ語で育てられたが、10代からフランスで音楽教育を受けたため、
後年までフランス語がリストにとっての日常語だったようだ。

「巡礼の年」とはリストが20代から老年に至るまで書き続けた作品集で、三部作となる。
この「オーベルマンの谷」は第一集に収められている。
リストが20代の時の作品だ。
「旅人のアルバム」1835~6に掛けて作曲され、出版は42年。
"Pelerinage"確認のために仏和辞典を引くと、「巡礼、巡礼地」
その他に「有名な場所を訪れること、文学名所巡り」とある。

フランスの作家、セナンクールのやはり20代の時の作品「オーベルマン」"Obermann"に触発されたリスト、
その一節を引用しつつ作曲したと書かれている。
リストにインスピレーションを与えた原作とも言える小説とはいったいどういう内容なのか。

当時はベストセラー的な人気の作品だったようだが、今の日本では翻訳書が入手困難のようだ。
内容は青年の心の悩みと旅路を綴った書簡形式の物語だそうだ。
こちらの出版年は1804年。

そこでふと思ったのは、バルザックの「谷間の百合」"Le Lys Dans La Vallee"
こちらは調べると1835年に出版されている。
この時、伯爵夫人と恋に落ち、スイスに移り住んだリスト、
この作品も読んで作曲に臨んでいたと空想するのは私の深読みだろうか。

金子三勇士の「オーベルマンの谷」
重くのしかかるテーマが続いた後、いきなり光が鮮やかに差し込んでくるような優しさに満たされる。
そしてまた暗闇に引き込まれたかと思うと、その中に仄かな明かりがさしてくる。
最後は光明が暗黒を包み込んでいくが、最終的には両者が溶け込み境界がなくなったような余韻を残す。

三勇士の演奏は情感豊かだと思っていたが、
最近、良い意味で「淡々としている」と書かれた批評を読んだ。
確かに金子三勇士の演奏は抑制が効いていて、
大げさで空振りするような感情表現はコントロールされ、
こちらにいつも想像の余地を残してくれている。

私は金子三勇士がこの曲を弾くのを最初に聴いたのが映像や生ではなく、
録音に耳を澄ませイマジネーションを膨らませながら聴ける幸運に感謝したのだった。

セナンクールが20代で書いた作品からインスパイヤーされたリストがやはり20代で作曲し、
その曲を20才になったピアニスト 金子三勇士が演奏している。

Eric Benet "Look Away"

2010-06-08 00:00:19 | エリックベネイの日々&KyteVideo
ソングライターのDiane Warren、アメリカのテレビ局PBSでトリビュート番組が放映された。
放映日は地域により6/2~8。
この局が入らない場所もある。
アメリカのファンクラブの会長、Troylynnが早速録画、YouTubeにアップしてくれた。

エリック・べネイはDianeが作曲して1988年にChicagoが歌いヒットした"Look Away"
を歌っている。
エリックはDianeと今年2月、インドネシアで行われたジャカルタジャズフェスティバル、
共に招かれた。

やはりアメリカ以外の国のミュージックフェスティバルでは、
アーティストたちが同じホテルで合宿のような状況になる。
リユニオンからこういう仕事の機会が巡ってきたのだろうか。

歌い終わったエリックべネイのバックステージインタビュー。
アナウンサーのPBSと局でリリースしているDVDのコマーシャル、
神妙に頷き、相槌を打っているエリックの様子も何か微笑を誘う。

PBSはこのエリックのパーフォーマンスを含むDVDを早速、
テレフォンショッピングで販売している。
エリックも一緒に「このナンバーに電話を・・・」と。

Eric Benet - Diane Warren Tribute - Look Away

アメリカンアイドル シーズン9 トップ3

2010-06-07 15:05:28 | アメリカンアイドル
いよいよトップ3が近付いてきた。
トップ3に入ると生まれ育った街へと凱旋パレード、そしてミニライブ。
町ではなく市、あるいは州全体、そして市長や州知事と家族が待ち受けている故郷へと帰る。
ここまで来るとどうしてもそこに入りたいと思うのは当然だ。
反面、自分はもうこれくらいで充分、
とずっと続いている緊張感から解放されたいと思う人もいるだろう。

今回のテーマは映画音楽。
メンター(指導者)はシーズン8に引き続きジェイミー・フォックス。
ジェイミーの指導の仕方がシーズン8と変わり映えしない。
そして映画の中の音楽なんて山ほどあるはずなのに、
それぞれもうちょっと違った選曲はなかったのだろうか。

ジェイミー・フォックスは二つのTシャツを用意した。
「候補者」「アーティスト」とそれぞれ書かれている。
終わった後、どちらかをそれぞれに渡す気だ。

リー "Kiss From Rose"
ジェイミーから「目を反らすな。」と言われて、これはシーズン8のダニーの時もそうだった。
しかし直立不動でジェイミーと向き合って歌ったダニーとは違い、
ギターを弾きながら歌うリーの視線に合わせてジェイミー・フォックスが腰をかがめて動く。
アップダウンが激しい曲は歌いこなすには難し過ぎた。
しかしジェイミーの指導の甲斐があったのか、ステージでのアピアランスが堂々としている。

マイク
「どうしてもトップ3に入りたい、凱旋パレードをしたい。」
マイケル・ジャクソンの"Will You Be There"
ゴスペルのコーラスを従えて歌う。
エレン「トップ3を目指すなんて違っているんじゃない?優勝をめざすべきでしょ?」
その通り。
リハーサル、ジェイミーの差し出したTシャツ、「いらないよ。」とマイク。
「何考えてるんだ?」とジェイミー。
「だってそれに値するだけの歌が歌えなかった。」

リーとクリスタルのデュエット。
"Falling Slowly"
二人の息はぴったり合っている。

ケイシー
「卒業」の中からの曲と聞いて何を選ぶかと思ったら、"Mrs. Robinson"
インパクトのある"Sounds Of Silence"か"Scaborough Fair"ではないので驚いた。
淡々としたレゲイ風のアレンジで、印象が薄い。
しかし、後でパーフォームしたデュエット曲を聴き、それと対象的な曲をあえて選んだのだと思った。

リハーサルではジェイミー「俺を女だと思って誘惑してみろ!」
ケイシーはとても居心地が悪そう。

クリスタル
ケニー・ロギンス"I'm Alright"
リハーサル、ジェイミーの視線に目を反らして歌うのをやめてしまう。
ジェイミー・フォックス、かなりエキセントリックで変人のようだ(ほめてます)
クリスタルはソロの中ではダントツ。

マイクとケイシー。
"Have You Ever Loved Women"
ケイシーはマイクに華を持たせ、そしてギターを楽しんで弾いている。
どうも勝ち抜く気力がなさそうだ。
男性二人のギターデュエット、後半の二人のギターと歌がぴったり合ってきて、
これは圧巻だった。

デュエットは二組とも楽しそう。
今回のトップ4はとても仲良さそうに見える。

結果発表。
ゲストはシーズン3の優勝者のファンテージア。
シーズン5のトップ4のドートリー。
そしてボン・ジョビィ。

クリス・ドートリー、シーズン5の時から応援していたので、思い入れがある。
シーズン5ではトップ4、一人2曲ずつ歌った。
リハーサルも含めて何回もシャウト系の曲を歌ったクリスは
本番では声が出なくなってしまった。そして個性が強過ぎるせいもあってか落選。
それでもその時のシーズンのトップ4の中で最も成功している一人と言えるだろう。

司会のライアンから「君はこの番組を通して夢を実現したね。
候補者たちへ今後のアドバイスは?」と聞かれ、
「ハングリー精神を忘れるな。自分に正直に、スタイルを貫け。」

ところで家のテレビがこの日からスカパーからスカパーHDになった。
昨日見た時は普通の画像だったのが、今日からはハイヴィジョン。
画像が綺麗なだけでなく、細かい表情の機微が画面に出るのには驚き。
リーが自信に満ちて輝いているのに対し、ケイシーの眼力が弱ってきている。

まずセーフの一人目の発表。
意外なことに、ケイシー。
本人も呆然としていて「信じられない」という表情だ。
ケイシーのファンだけど今回は難しいかと思っていた。

次にリーがセーフ。
涙目になっている。両親とハグ。
ケイシーも微笑んでいる。

最後に残ったのはクリスタルとマイク。
「今回番組を去るのは自分だと思っていた。二人の幸運を祈る。」とケイシー。

クリスタルがセーフ。

最も凱旋里帰りを願っていたマイクが落選してしまった。

Essence Music Festival 2010

2010-06-05 05:20:18 | その他のライブ
今年もニューオリンズ、ルイジアナスーパードームで行われる
エッセンスミュージックフェスティバルが近付いてきた。
2010年度は7月2日から4日までの3日間。
http://www.essencemusicfestival.com/home.php

昨年は4月初めに一度計画して、諸々の事情からあきらめ、
そして確か5月のゴールデンウィーク頃にフランスのエリックべネイファン、
リンダから「行くことにした」と連絡があり、それなら私も、ともう一度前向きに考え始めるが、
その時期、いろいろな状況から旅行し辛い時期だったこともあり、一反は断念しかけた。
その後、航空券、ホテルの予約、ホテルが途中から相部屋になることに変わり、
最初に予約したホテルのキャンセルと変更、そしてコンサートチケットの日本からの購入。

いろいろとややこしい手配が多く、ひとつひとつを固めながら、それでも
「ほんとうに現地で何もかも予定通りに巧く行くのか」と不安はいくつもあった。
昨年の予定表を見ると一通りのことは5月中に終わり、
6月はけっこう予定が入り、旅立つ日を待ちながら忙しい日々を過ごしていたようだ。

詳しくはカテゴリーの「ニューオリンズへの道」「ニューオリンズの旅」をお読みください。

ルイジアナスーパードーム、大箱のメインステージの座席を予約してチケットを購入。
そしてチケットの受け取りは現地で。メインステージの他の4つあるラウンジ。
こちらは300人位の規模だろうか。エリックべネイの1ショウはたいへんな混雑で500人弱。
こちらは立ち見。それぞれを出入り自由になる。
一応タイムスケジュールがあるが、ラウンジはともかく
メインステージの方はなかなか時間通りには進まない。

2010年度のメインステージのアーティスト
Janet Jackson
Mary J. Blige
Alicia Keys
Earth Wind & Fire
Keri Hilson
Gadys Knight
LL Cool J
Monica
Raphael Sadiq
Jill Scott
Trey Songz
Charlie Wilson
DJ Soul Sister

スーパーラウンジ
全員の名前を書き出すとキリがないので、
例えば、クリセット・ミシェル、ジョー、レイラ・ハサウェイ、ミントコンディション、ウォー。
昨年、エリックべネイの2ショウの前に現地のアーティストが3人、出演した。
最初の男性若手アーティストは「エリックべネイファンのみんな、今晩は!」
から始まり数曲、そして次の女性と三人目の女性、この二人がすごくブルージ―で良かった。
現地の前座のアーティストも侮れない。

メインステージとスーパーラウンジ、それぞれ好みのアーティストをめがけて
大勢の人が移動する。
昨年のエリック・べネイ、1stショウでは入場制限が行われていて、後から来た人で、
セカンドまで入れなかったというファンクラブのメンバーもいた。

食べ物はメインステージでは通路、ラウンジでは室内で売っていて、
そしてどういうわけか入場の時に荷物のチェックがあり飲み物は没収された。
「どうしてかしら?」と聞くフランスのリンダに、ダラスから来たリーサは、
「中で飲み物を買わせるためでしょうね。」

ニューオリンズ、たいへんな暑さだと聞いていた。
確かに日差しは強くても乾燥していて日陰は涼しく感じるLAなどとは違って湿度が高い。
しかし、その後帰国してみると東京の夏の方が暑く、
現地で一緒だったメンバーにそれを伝えると「東京ってそんなに暑いの!」と驚かれた。
暑いはずのニューオリンズだがルイジアナスーパードームの冷房は半端じゃなく寒い。
寒がりの私だけではなく熱がりの一緒にいた人達も皆震え上がっていた。
いったい誰のためのエアコンなのか。

エッセンスミュージックフェスティバルの期間中、
近くのコンベンションセンターでエッセンス関連イベントが行われる。
出演するアーティストのインタビューもあり、歩いているとアーティストや
日本では余り知られていないアフリカンアメリカンのセレブリティーともすれ違う。
みんな気軽に写真撮影に応じてくれる。
こちらでも飲食ブースが出るが、スーパードームと違いアメリカ南部独自の料理が出ていた。

5月の連休にかけて行われるニューオリンズジャズフェスティバル。
こちらはお昼からステージがあるのに対し、エッセンスは夜から明け方。
昼間は観光したり、ゆっくり寝たり、ホテルのプールで寛いだり、美味しいランチを食べたり。
ゆっくりと休養して英気を養い、それぞれお洒落をして夜のコンサートへと向かっていく。

エリック・べネイとマム

2010-06-04 07:40:20 | エリックベネイの日々&KyteVideo
エリック・べネイ、ファンサイトではなく個人のfacebookに
5/29、エリックが自分の母親をしっかり抱きしめている写真を載せた。
そしてその写真を自分のページのプロフィールに変えた。

この写真はずっと以前に2005年ごろだろうか、myspaceにアップされた。
そしてその時にエリックがつけたキャプションが"What a lucky son I am!"
「お母さんの息子でほんとうに僕は幸せだ」という気持ちだろうか。

エリックのお母さんはにっこり笑っている。
しかしサングラスの奥にあるエリックの目は何とも言えぬ哀愁が滲み出ている。
この時はまだバッシングが収まっていない時だった。

いつもはLAにいるエリック、ミルウォーキーに娘のインディアも連れて里帰りした折の写真。
もう一つの写真にはインディアとエリックの母が写っている。
そしてそこにエリックは"The most favroritest women in the world!"
「世界で一番大好きな二人の女性」と書き込んだ。

エリックはお母さんにいろいろと苦労を掛けてしまった。
エリックが親不孝であったからではない。
エリックを巻き込んだいろいろな運命のできごと、お母さんはそれをエリックと分かち合ってきた。
インディアを育てていたタミ―が亡くなった時、
積極的にインディアを引き取ることをエリックに奨め、全面的に協力したのはお母さんだった。
ハルベリーとのいざこざの時も母親として地元でも田舎であるだけに風当たりが強かったと思う。

"Love&Life"の発売が決まり、ミルウォーキーの街頭で
プロモーション映像の録画を兼ねたライブがあった時、
テキサスからその日のために駆け付けたファン達を、「遠いところから息子のためにありがとう。
どうか気をつけて帰ってね。」と労をねぎらってくれた。

エリックはこの写真を載せた後、5/31にもう一度、またこの写真をアップして、
「みんな、今日はお母さんに電話してどれだけ感謝しているかって伝えるんだよ。」
と書き込んだ。

そこに皆がコメントをつけている。
「そうするわ。この7年間、私は母のお陰で乗り切ることができた」
「私の母は私にとって身近な存在ではない。でも度々彼女を思い出すし感謝している」
「今日も買い物に行ったしいつも一緒よ。」
「お母さんと一緒に住んでいるから、二階に行って伝えてきた。」

「天国の電話番号を教えて!」
「お母さんは私をこの世では愛してくれなかった。
でも今は私のために祈ってくれているでしょう、そして私も彼女のことを祈っている」
「母が亡くなる時に、そのことを伝えた。彼女と一緒に住み家のベッドで亡くなったから。」
「私もお母さんがいてくれたらって思う。まだお母さんがいる人は大切にしてね。」
「僕はいつもお母さんに感謝しているよ。今は天国にいるけど。
亡くなってもう一年になる。お母さんに会いたい。」

エリックの姉のリサもプロフィール写真を母と一緒に写っている物に変えた。
そして「母の愛は尊く、何物にも代えがたい。」とキャプションが。
一人身近な友達なのか、「お母さんのこと聞いたわ。あなたのお母さんのために祈っている。」

マニュエラも「私にとって大切な人の健康と回復を祈って欲しい」とスレッドを立てた。

フランス 山下農園

2010-06-03 00:13:09 | Weblog
フランスで農業を営む山下朝史さんからメールが来た。
TBS「情熱大陸」という番組に5/30、11時から山下農園の様子が放映されるという。
「夜遅くて申し訳ないですけれど、良かったら見て下さい」

録画をセットするが、そのままオンタイムで見る。
フランスで山下さんは日本の野菜を作っている。
小松菜、辛子菜、ミョウガ、辛子大根、そしてカブ。

それを買うのはフランスの三ツ星レストラン。
「アトラス」「ル・ブリストル」「ラ・トゥール・ダルジャン」
「ル・ムーリス」「ジョルジュ・サンク」「ルドワイヤン」
山下農園の野菜はフランスの市場の5倍の値段。
だがシェフたちは目を輝かして山下さんの運び込んだ野菜を見て、摘まんで、
料理を創作する。
「取れた時、獲れただけ持ってきてくれればいい。」と言われている。

作っている野菜は年間で47種、15年前に独学で始めた。
きっかけはパリの日本料理屋から日本野菜を作って欲しいと依頼されたこと。
フランスの土を研究しながら試行錯誤で今の野菜たちが生まれた。

2010年3月、山下農園の有名なカブ作りが始まる。
その1か月前の2月、山下さんは東京に里帰りをされていて、その時にお会いした。
ビニールを土にかぶせ、一つのうねに400個の穴を開け、、2粒づつ種をまく。
地道な作業。「華々しいとはいえませんね。」と山下さん。
「悔いを残すようなすっきりしない作り方では美味しい物はできない。」
2週間後に二つはえた苗から一つを間引く。
「もし三つあれば、強いのと弱いのを取って真ん中を残す」

種まきから2ヶ月後、90個のカブが収穫される。
お会いしてから3ヶ月後にフランスで山下さんはカブの収穫に至った。
種から緑の葉をつけて大きく育ったたくさんのカブの様子に、
私はこの間に何をしていたのかなぁと思う。

収穫した野菜をレストランに届けるのは「娘をお嫁に出す心境。
幸せになって欲しいという気持ち。」

パリのシェフたちは山下さんが届けたカブでそれぞれ趣向を凝らした試作品を作る。
カブの皮からスープをとるシェフ、昆布出汁を使うシェフ。
山下さんからパリのシェフが昆布出汁に凝っていると聞いていたが、ほんとうに使っていた。
りんごのピュレとワサビを合わせたソースなども出てくる。
料理を作るシェフの表情は嬉々としている。
良い食材を前にすると創作意欲、イマジネーションが広がっていくのだろう。
いくつか試作してその中からメニューにどれをいれるか検討している。

腰を屈めて、日々続ける農作業は辛い。
最初に作ったほうれん草、出荷できるようなものができるまで3年かかったという。
でもその中で「見ているのは野菜でも実は自分と向き合っている」と山下さん。
「根性ということば、根が張るとは頑張るとかではなくて、風が吹いても耐えられるかということ」

剪定すること、水をぎりぎりのところで与えることで、根が水を求めて張り、
糖分が野菜に満ちるそうだ。
山下農園のカブ、シェフたちは「柿やりんごのような味がする」

「隣の畑を買って生産性を上げるよりも今の生産者とシェフの心が通じ合っている状態、
野菜の質を維持していきたい」と話されていた。

最後に奥さんが家の前に立ち、「ごはんよ!」と叫ぶ。
山下さんは畑から腰を上げて、「は~い。」と手を振り走っていく。

お会いした時も飄々とした方だと思ったが、
自然体でフランスにも農業にも溶け込んでいる姿がテレビを通して伝わってきた。
簡単ではないことを、さりげなく気負わずにひとつひとつこなされている。

山下農園
http://a.yamashita.free.fr/

メキシコ料理 広尾 ラホイヤ

2010-06-02 01:45:03 | 私の日々
広尾の商店街にあるメキシコ料理 ラホイヤ、
夜も食べに行くこともあるが、お昼のメニューが充実している。
http://www.la-jolla.jp/html/news.cgi

広尾に用事があって来た時は、ここでの一人ランチを楽しみにしていて、
定休日の火曜日に当たったりするとがっかり。
ブリトーやエンチラーダ、ファヒータ、タコス。
ガカモレソースやサワークリーム、サルサが添えられているのが嬉しい。
ここは純粋なメキシコ料理というよりもテックスメックスやアメリカのメキシコ料理。
そしてどれも自然な味がする。

ランチは¥1000でスープかサラダと飲み物、メキシコ料理の盛り合わせをメニューから一品。
ワンプレートで充実した内容と選択肢がある。

天気のよい午後の窓際の席は楽しい。
座って下を歩く人達をマンウォッチング。
向かいのイタリア料理店にはいつも行列している。
一度も入ったことはないが。
はす向かいのゼスト、昼間は静まり返っている。

そして、La jolla、ラホイヤの店内。
その日のお昼時で日本語を話している人は一人もいない。

初夏になるといつもメキシコ料理が食べたくなる。
帰りはナショナルスーパーに寄って夕食も引き続きメキシカンにしようと食材を買い込む。

大学が広尾だったので学生時代はこの辺りを良く歩いていたが、
昔は喫茶店一つなかった広尾の商店街、今は繁華街に変貌してしまった。

ナショナルスーパー、かつては奥にある一角すべてがチーズコーナーで
学生の頃は、このコーナーを通る時に息を止めるほどだった。
今は何もかも整然と整えられていている。
それでも野菜や肉は大型にパックされ、日本には珍しい家庭用品や食材。
店内にはアメリカの匂いがいっぱいだ。
雰囲気ではなくて、ほんとうに匂いがする。

Hottest Black Guys

2010-06-01 00:05:06 | エリックベネイの日々&KyteVideo
みなさんに度々投票を呼び掛けるのもしつこいかと思い、
そして今回は最初エリック・べネイが優勢だったので私も自分だけ投票して、
静観していました。

するとあっという間にLl Cool J、そしてMekhi Phiferに抜かれてしまったではないですか!
これは、もうまたお願いするしかないですね。
「もっともホットなブラック ガイ」という投票。
最初から候補者が絞られています。
写真の下の星印をクリックすると投票完了。

くれぐれも間違って違う人の☆の辺りを触らないように。

http://www.celebritysnap.com/celebrities/hottest-black-guys-part-2/