世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

●安倍の“国家主義”は嘯き 単なる“寄らば大樹主義”に過ぎず

2015年05月16日 | 日記
火山入門―日本誕生から破局噴火まで (NHK出版新書 461)
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●安倍の“国家主義”は嘯き 単なる“寄らば大樹主義”に過ぎず

14日に、内閣が安全保障関連法案を閣議決定した。アベ晋三は、“抑止力がさらに高まる”とわざわざ記者会見を開いて、言い訳三昧をしていたらしい。更に、「不戦の誓いを将来にわたって守り続け、国民の命と平和な暮らしを守り抜く決意の下、平和安全法制を閣議決定した」と表明したらしいが、安保関連法案が、公明党の協力を得るしか方法がなく、相当、骨抜き法案になったのは事実で、このレベルでは、法律上、自衛隊が米軍の“おいらはヤクザ”の戦闘に巻き込まれることは理論上不可能だ。ただし、この政権が長期化した場合には、理論上不可能なことでも、“詭弁を突き通し”閣議決定で、ちゃぶ台返しをする懸念もあるので、単純に安心は禁物だろう。

また、日本本土では、横田基地にオスプレイが突然配備されることが発表された。周辺自治体の首長らも、ポーズで「遺憾」は表明しているが、配備への明確な反対表明がないことから、事前に根回しはされていたと解釈すべきだろう。沖縄の県民の米軍被害の、“100分の1”程度は肌で感じるのも悪い事ではないし、公式見直し要請などすることもなさそうだ。一定の範囲、本土でも受け入れているというアリバイ作りから出た、急きょの一策だ。沖縄県民の目を意識すれば、些細な米軍基地被害に関して、大袈裟に振舞うわけにもいかないと云うジレンマだろう。

政府としては、ゴミを出来るだけ多くの所で負担しましょうと云う腹のようだが、謂わば、ばい菌を封じ込めるのではなく、拡散させるわけだから、ばい菌は、元を断たなければ、すべてが悪い方向に向かうだろう。飛行ルートによっては、東京都ばかりではなく、周辺県や全国的な影響もあるのだろう。まあ、オスプレイの爆音を聞いてみるがよかろう。少しは普天間や嘉手納、そして、これから新たに建設予定の辺野古の被害を知る上では、個人的には、被害の拡散と云う難点はあるが、沖縄だけの問題だとたかを括っている本土の住民の啓蒙としては、一定の反面教師的意味合いはある。そうして、本土も沖縄並みに、基地負担しても構いませんと思えるのか、沖縄県民の気持ちに共鳴するものを育めるのなら、ばい菌をもってばい菌を制すって皮肉な手法もあるのだろう。

さて、本題に移ろう。以下は、国際基督教大学准教授のスティーブン・ナギ氏のレポートだ。「日本は右傾化しているのか?そして、ナショナリズムに向かっているのか?」と云う命題に、外国人として見る「日本人と政治家(安倍首相)」についての、見解が述べられている。中々冷静沈着な分析で好感は持てるが、幾つかの勘違いと云うか、欧米文化の普遍的価値イコール、世界の常識と云う思考停止な部分もある学者のようである。その欧米的価値観依存症な部分を中心に、幾つか“感想”を述べさせていただく。

≪ 日本は本当に右傾化しているか?
カナダ人国際政治学者はこう考える ――スティーブン・ナギ国際基督教大学准教授

北東アジア地域では、中国、日本、韓国の関係悪化により、ナショナリズムが沸騰している。多くの国が日本の“右傾化”を非難あるいは警戒しているが、筆者は一貫して、現代日本とナショナリズムに関して、次のような関心を抱いている。 1.日本人は以前よりも国家主義的になっているか?
2.日本の政治家は以前よりも国家主義的になっているか?
3.安倍首相は国家主義的か?また、積極的に国家主義的な外交政策を打ち出しているか?
4.もし日本が国家主義的になりつつあるとして、
何が国家主義の成長を促しているのか?
また我々は、それを警戒する必要があるか?

 この議論は、イエスかノーで答えられるほど単純な問題ではなく、非常に複雑化している。本記事ではこれらの問いに、わかりやすく、かつ、より微妙なニュアンスをも含めた回答を提供したい。

 ■日本人は以前よりも 国家主義的になっているか?
ヘイトスピーチの出現や新大久保の路上で人種的中傷を叫ぶ小グループによる暴力、また日本会議・さくらチャンネル・在特会等の国家主義的言説などは、ある程度ではあるが、日本人が以前よりも国家主義的になっていることを示している。
  だが、これら周辺グループが支持する見解は、日本人の主流の価値観ではなく、また意見でもないと言われる。たとえば、アンチ韓国人グループ「在特会」のヘイトスピーチは、侮蔑的な攻撃に加えて、在日韓国人は韓国に帰るべきだと主張している。しかしながら、少数派によるこれらの人種差別的攻撃は、 数々の全国的調査にみられる日本人の意見とは、まるで対照的だ。
 統計数理研究所が実施した最新の「日本人の国民性調査」によると、日本人は以前より国家主義的にはなっておらず、むしろ、多くの点で以前よりもオープンになっていることがわかる。たとえば、国際結婚の容認率は上昇(1988年の29%から2013年は51%に)している。
  一方で憲法改正について朝日新聞と読売新聞の世論調査(2003年から2015年)を見てみると、一貫して「賛成」が増加しているわけではなく、「反対」もまた増減しており、揺れ動いている。最新の世論調査では、読売新聞では「賛成」が51%と過半数を占めたものの、朝日新聞では43%と過半数を割っている。 NHK、朝日新聞、読売新聞等の調査でも、また内閣府の防衛問題に関する最新の調査でも、日本人は以前よりも国家主義的になってはいない、という結果が出ている。それは、日本の領土を守り、自衛隊の海外派遣を可能にするための憲法改正において顕著だ。
 領土を守ることに対しては幅広い支持があるが、自衛隊の海外派遣はほとんど支持されていない。この結果から得られる、より広範なメッセージは、普 通の日本人は、防衛のための自衛隊は支持するが、戦闘のために海外へ派兵することや、海外での集団的防衛に従事させることは支持していない、ということを示している。
 他の世論調査も、日本の右傾化に関するさらなる情報を与えてくれる。たとえば、言論NPOと中国日報がおこなった「2014世論調査」の結果を見ると、多くの興味深い傾向が出てきていることがわかる。この世論調査によると、2005年以来、領土問題を主張し、日本の歴史認識を批判し、国際法や国際的規範を受け入れることができない中国に対して、日本人は親近感を徐々に失ってきていることがわかる。
 中国の行動に対するこの変化には、二つの要因が同居する傾向にある。一つには、いわゆる中国自身の自己主張だ。もう一つは日本人が、日本の価値観 や勤勉さ、伝統等から創造されてきた平和的で現代的、民主的なセルフイメージを持つことに対し、中国が隣人として反感を抱く事だ。
 後者は実は国際的に見て珍しいことではなく、例えば筆者の母国、カナダ人の一般的なセルフイメージに対し、アメリカ人は必ずしも好感を抱いていな い。筆者の見方では、このような隣人に向けられる反感はお互いを識別する方法の一種であり、互いのアイデンティティに対する不安定感を和らげると同様に、 固有のアイデンティティを構築する方法でもあるとも言える。
 また、日本人が中国に対しネガティブな印象を抱くのは、日本が普遍的人権、国際法と民主主義などの現代的な価値観を信じる国家のひとつであるとい うルールを、多くの日本人が再認識し、強めてきた結果でもあるともいえるだろう。この過程に内在するのは、日本人が「日本は隣国よりも優れている」と考えていることだ。 これは、今日のメディアや日本社会においてよく見られる主張であり、そのために海外留学への興味が減退したりもしている。日本は中国の台頭を非常に懸念しており、結果として日本人は、何が日本を隣人とは異なる存在としたのかを、自らの内面に求めるようになっているのだ。
 また、ナショナリズムとは似て非なるものとして、「日本人であれば安全だ」という認識が増えている(筆者はそれを「安心主義」と呼んでいる)。そ れはリスクを最小化する方向に日本社会が深く傾斜していることを指し、世界を探索することに無関心であったり、孤立主義的になったりしていることである。 日本は、安全で、安定して、心地よい社会を代表する国であるが、日本以外の世界は紛争や困難、苦難が多いという印象を持つ日本人が増加してきているよう だ。
 結論として、日本人の特性と一体となっている愛国心に基づく、筆者が「民族文化的」と呼ぶものへの回帰を表現する言葉として、やはり“ナショナリズム”は適当ではないと、改めて主張したい。筆者は日本人の不安定感は、バブル以降の日本経済の停滞からと、数々の社会問題に直面していることから生じて いると考える。さらに、中国の急速な経済成長と比較した場合に、不安感がより強められるのだ。

日本の政治家は国家主義的か?
 この問題については、2014年12月の衆院選の結果が示唆に富んでいる。安倍首相は選挙に勝ったが、国民の関心は経済問題にあり、国家主義やイ デオロギーにはなかったと言える。自民党以外の右派はすべて議席を減らし、国家主義的政党は敗退するか、または議席を減らしているからだ。
 次世代の党は議席数を19から2までに減らす一方、民主党と公明党はその数を増やし、共産党もかなりの票を得た。自民党は勝利したにもかかわら ず、議席は失ったのだ。安倍首相は、憲法の再解釈に取り組むのに右派や国家主義的政党からの支持は期待できなくなり、むしろ公明党の支持を得るために、自 らの提案を骨抜きにせざるを得なくなっている。
 衆院選の結果自体は多様な解釈が可能だが、こと「政治家は以前より国家主義的になっているか」という問いの答えをその中に求めるならば、ほとんど の国家主義者や右派政党の敗北、自民党の議席減少、リベラル派や左派政党の議席増加に明白に表れている。単純に、国民は安倍首相の経済対策を支持し、国家 主義的な政治家を排除したのだ。

 ■安倍首相は国家主義的か?
 積極的に国家主義的外交政策に向かっているか?  安倍首相がいわゆる右派、国家主義者であることはほとんど疑う余地がない。彼は、何かと論議を呼ぶ靖国神社に参拝し、神道政治連盟国会議員懇談会 や自民党歴史検討委員会、日本の前途と歴史教科書を考える議員の会など、その他様々な国家主義的傾向を持つ会に参画し、日本国憲法9条を書き換えたいと考 えている。ただ、これらの国家主義者「資格」は、この質問の後半の、より積極的な国家主義的外交政策とは切り離して考える必要がある。
 安倍首相は間違いなく、外交に関しては他の歴代首相よりもアクティブにかかわろうとしていると言える。2012年に第一次内閣で首相の座に就いて 以来、彼はこれを実証している。国際関係により深く関わりたいという日本の意欲を強調するために、彼は全ASEAN諸国をはじめ、その他の地域も何度も訪 問している。安倍首相はフィリピン、インドネシア、オーストラリア、ベトナムとの間で安全保障と関係強化を進め、日米安保同盟を強化してきた。
 自民党政権は、防衛目的の装備、監視、潜水艦、日本領土と島しょ地域に必要とされるモニター用ドローン技術、水陸両用車など、軍事支出を増やしている。ただし彼らには防衛用の範疇を越える武器装備を計画する権限はない。これらの行動は、能動的ではあるが、積極的、攻撃的、または国家主義的行動とは異なる。これらは、現状への投資であり、増大する国際法と多国間主義へのコミットメントを示している。自衛隊の派遣に関する最近の議論においてさえ、日本は第二次世界大戦後の平和主義を堅持することを明言している。
 安倍首相の歴史修正主義的性向はさておき、彼は日本を普通の国家にしたい、そしておそらくはイギリスやフランスのような強国にしたいと思っている のだろう。その意味するところは、力を誇示するためではあるが、ただしそれは戦争のための力ではなく、地球規模の問題に対処し貢献する力だと筆者は考える。これは彼だけと言うよりも、むしろ彼と過去30年間の多くの政治指導者たちが、日本をより積極的で協力的な国際的なプレイヤーにしようと努力し続けた結果であり、決して国家主義的というわけではない。
 憲法レベルでの彼のアジェンダは、「経済大国でありながら政治小国」から、「経済大国でかつ政治的パートナー」へ、日本をシフトすること。憲法改 正は、戦争に行くことではなく、自国の防衛能力を強化し、同盟国との協力関係を強化するものなのだ。この意味では、安倍首相の個人的な国家主義的野心、特に歴史問題をめぐる野心は、日本に深く埋め込まれた平和主義の規範とは相容れない。筆者の視点から見れば、彼のアクティブな外交政策は、周辺地域と世界の 現状に対する投資として、最上のものと言えるだろう。

 ■もし日本が国家主義的になりつつあるとしたら、 何がその原因なのか?
 繰り返しになるが、ナショナリズムは、現時点では日本を記述するための最良の言葉ではない。それは、中国に対する不安や懸念が、日本人をより内向 きにさせていることを示している。その意味するところは、日本人が外の世界を、日本とは正反対で危険で不安定、汚く邪悪、暴力的で汚染され、食べ物も安全ではない等々、と見始めているということなのだ。そして中国や北朝鮮は、これら否定的な世界のシンボルなのである。この意味において、日本は、その独特の感性と、中国と好対照をなす成功により、日本という国を再構築していると言える。これは、日本のすべての成功は日本文化にあった、とするバブル時代と似ている。

■我々は日本のナショナリズムを 警戒する必要があるか?
 筆者は、特に中国のナショナリズムを懸念するとともに、日本のナショナリズムは大したことのない段階に留まることを願っている。日本には報道の自 由があり、法律はクリアで、民主的な選挙による政府があり、あらゆる情報への完全なアクセスが可能だ。慰安婦問題に関して議論するテレビ番組においてさえ、まず「日本が侵略国家であったかどうか」が議論されている。市民社会は、慰安婦に関する展覧会の開催や、憲法9条改正に反対する議論をすること、反原発の促進などの運動を自由に行い、あるいは広島や長崎の記憶を保存することを通じて、戦時中の日本の真実を積極的に維持している。これらの活動にかかわる 日本人の膨大さは、右翼団体や日本会議、さくらチャンネルや在特会のような右派の数だけでなく、その多様性をも矮小化するものだ。
 筆者が懸念するのは、少数派である右翼の人々が、尖閣諸島や竹島に行くような愚かな行為をすることだ。これは間違いなく、2012年秋に中国で起こった反日暴動よりもはるかに悪い、中国や韓国のすさまじい反撃の引き金となるだろう。日本側では、中国人や韓国人に対する強い反発から、自己破壊的なナ ショナリズム拡大の種子がまかれるに違いない。
 この負のスパイラルを回避するためには、日本人の若者世代に、中国や韓国の良い側面についての良い教育が必要だと、筆者は強く薦める。知識と経験 こそが、地域内の相互理解を構築するとともに、ナショナリズムが戦後の日本だけではなく地域全体の社会経済的発展を破壊し、支配することを阻むことができるのである。

スティーブン・ナギ
1971年カナダ生まれ。2004年早稲田大学大学院アジア太平洋研究科修士課程(国際関係)修了、2009年同博士課程修了。2007年早稲田大学アジ ア太平洋研究科のリサーチ・アソシエイト、2009年香港中文大学日本研究学科助教授に就任、2014年より現職。早稲田大学「アジア地域統合のための世界的人材育成拠点」シニアフェロー、香港中文大学香港アジア太平洋研究所国際問題研究センター研究員を兼任。研究テーマは東北アジアの国際関係、日中関係、アジアの地域統合及び地域主義、非伝統的安全保障、人間安全保障、移民及び入国管理政策。 ≫( ダイアモンドONLINE:経済・時事―DOL特別レポート・スティーブン・ナギ )

―――――――ここから、筆者の感想――――――――

 ■≪ 言論NPOと中国日報がおこなった「2014世論調査」の結果を見ると……この世論調査によると、2005年以来、領土問題を主張し、日本の歴史認識を批判し、国際法や国際的規範を受け入れることができない中国に対して、日本人は親近感を徐々に失ってきていることがわかる。≫(レポート抜粋)

 感想: “国際法や国際的規範を受け入れることができない中国”と言い切る点に問題がある。2005年以来の期限の切りかたが不明だが、中国の巡視艇がベトナム漁船に発砲する事件が起きているので、それを指しているのかもしれない。しかし、そのレベルであれば、1995年には領有権でフィリピンの排他的経済水域に漁船員の避難所を作った辺りからとみる事も可能だ。 野田佳彦の、2012年9月11日にそれまで私有地であった2012年9月に尖閣諸島の3島(魚釣島、北小島、南小島)を日本政府が購入、国有化したことから、尖閣への中国の対応は変わった。領有権の係争に関しては、国際司法裁判所があるわけだが、ほぼ有名無実。となると、外交か武力で陣取りするのが、世界の係争の解決策にならざるを得ない。アメリカなどの所業をみていると、領有権どころか、虚偽の国民運動を工作して、国すべてを乗っ取るのだから、不用意に、国際法とか国際的規範(欧米価値観)を持ちだして、解説するのはフェアではないだろう。

 ■≪ 二つの要因が同居する傾向にある。一つには、いわゆる中国自身の自己主張だ。もう一つは日本人が、日本の価値観や勤勉さ、伝統等から創造されてきた平和的で現代的、民主的なセルフイメージを持つことに対し、中国が隣人として反感を抱く事だ。 ≫(レポート抜粋)

感想: どうも、ここの部分は日本人贔屓の偏った“セルフイメージ”のようで、学者的ではない。日本人は、明らかに中国に嫌悪している傾向があるが、世界のルールが転換期を迎えていると理解すれば、日本のマスメディアの論調と、同氏の考えは同じなだけで、まったく評価できない。また、中国人が、日本に対し、ネガティブなイメージだけで、隣人への反感を持っていると決めつけるのは、チョイと乱暴だ。中国政府の国際戦略では、意図的に“セルフイメージ”で世論を煽るかもしれないが、国民レベルで論ずるのには違和感がある。

 ■≪ 日本人が中国に対しネガティブな印象を抱くのは、日本が普遍的人権、国際法と民主主義などの現代的な価値観を信じる国家のひとつであるというルールを、多くの日本人が再認識し、強めてきた結果でもあるともいえるだろう。この過程に内在するのは、日本人が「日本は隣国よりも優れている」と考えていることだ。 これは、今日のメディアや日本社会においてよく見られる主張であり、そのために海外留学への興味が減退したりもしている。日本は中国の台頭を非常に懸念しており、結果として日本人は、何が日本を隣人とは異なる存在としたのかを、自らの内面に求めるようになっているのだ。 ≫(レポート抜粋)

 感想: どうも、同氏の学説的臭いがするのだが、≪筆者の見方では、このような隣人に向けられる反感は、お互いを識別する方法の一種であり、互いのアイデンティティに対する不安定感を和らげると同様に、固有のアイデンティティを構築する方法でもあるとも言える。≫ つまり、どうせ中国人が言うのだから……と言いたいのだろうが、“国際法や国際的規範を受け入れることができない中国”と言っておいて、“セルフイメージ”の効用で、「どうせ」で括る話には納得できない。

 ■≪ 結論として、日本人の特性と一体となっている愛国心に基づく、筆者が「民族文化的」と呼ぶものへの回帰を表現する言葉として、やはり“ナショナリズム”は適当ではないと、改めて主張したい。筆者は日本人の不安定感は、バブル以降の日本経済の停滞からと、数々の社会問題に直面していることから生じて いると考える。さらに、中国の急速な経済成長と比較した場合に、不安感がより強められるのだ。 ≫(レポート抜粋)

感想: 日本人の不安定感と云うよりも、不安感だと思う。日本経済の停滞とか、数々の社会問題の元凶も、不安定と云うより不安感である。ただ、かなりの面で、その不安感は自明な問題であり、中国より、かなり引き離された国となる。そのような近い将来を認めたくはない感情の発露だろう。ゆえに、中国人の悪い面だけを抽出して観察し、非難している。これは、強くなってきた友人と喧嘩して負けた子供が「今に見ていろ」「おまえの母ちゃんデベソ」と遠くから憎まれ口をきいているようなものである。蛇足だが、筆者も中国人は嫌いだけど、現実と将来の変化の可能性を観察すれば、嫌いでは済まない。

 ■≪ 安倍首相がいわゆる右派、国家主義者であることはほとんど疑う余地がない。彼は、何かと論議を呼ぶ靖国神社に参拝し、神道政治連盟国会議員懇談会 や自民党歴史検討委員会、日本の前途と歴史教科書を考える議員の会など、その他様々な国家主義的傾向を持つ会に参画し、日本国憲法9条を書き換えたいと考えている。ただ、これらの国家主義者「資格」は、この質問の後半の、より積極的な国家主義的外交政策とは切り離して考える必要がある。 ≫(レポート抜粋)

感想: たしかに、この着眼点はいいだろう。安倍が個人的に国家主義者ではあるが、政権が国家主義で突っ走ると決めつけるのは短絡的だ。政権の外交政策は、明確に指摘していないが、米国依存を自他ともに脱却しない限り、切り離して考える点には同感だ。ただ、安倍支持者たちは、かなりこの点で誤謬に陥っている。産経系は安倍の国家主義に同化するが、読売などは、米国にもっと依存した方が良いと主張している(笑)。

■≪ 安倍首相の歴史修正主義的性向はさておき、彼は日本を普通の国家にしたい、そしておそらくはイギリスやフランスのような強国にしたいと思っている のだろう。 ≫(レポート抜粋)

 感想: いや~違うだろう。現時点では、最後の世界大戦で敗者だったのだから、勝者の英仏とは、立場が全然違う。もう一発、世界大戦をして、今度こそ勝者になると云う思惑(夢想)はあるが、そんなことをリードできる国力は日本にはない。安倍首相を見ていると、不能犯が必死になって、うまか棒で人を刺そうとしているようだ(笑)。

 ■≪ 憲法レベルでの彼のアジェンダは、「経済大国でありながら政治小国」から、「経済大国でかつ政治的パートナー」へ、日本をシフトすること。憲法改 正は、戦争に行くことではなく、自国の防衛能力を強化し、同盟国との協力関係を強化するものなのだ。この意味では、安倍首相の個人的な国家主義的野心、特に歴史問題をめぐる野心は、日本に深く埋め込まれた平和主義の規範とは相容れない。筆者の視点から見れば、彼のアクティブな外交政策は、周辺地域と世界の現状に対する投資として、最上のものと言えるだろう。 ≫(レポート抜粋)

感想: そんなに最良の投資だろうか?ASEANなどは、投資であれば、金に色は着いていない。中国、日本の別なく、国家のインフラ構築などに寄与するなら、取りあえず頂くだけのことで、視線は中国の成長に向かっている。いずれの日にか、出来るだけ都合よく、ASEANを含むアジア共同体にする目標を持っているだろう。ロシア、トルコ、モンゴル等々を含めればユーラシア共同体まで視野に入れているだろう。その意味では、無理して財布から金を出してくれる分には、良い顔しようと云うレベルで、最良の投資と云うのは、欧米価値観にとってと云うことに過ぎない。

■≪ その意味するところは、日本人が外の世界を、日本とは正反対で危険で不安定、汚く邪悪、暴力的で汚染され、食べ物も安全ではない等々、と見始めているということなのだ。そして中国や北朝鮮は、これら否定的な世界のシンボルなのである。この意味において、日本は、その独特の感性と、中国と好対照をなす成功により、日本という国を再構築していると言える。これは、日本のすべての成功は日本文化にあった、とするバブル時代と似ている。 ≫(レポート抜粋)

 感想: なんだかね、その日本人の自信である“セルフイメージ”がかなり怪しくなっているのだが、同氏から見ると、まだまだ健在と見えるのだろう。ここで、同氏は曖昧に「日本文化」と言ってしまっているが、かなりドナルドキーン的である。仮に、現代の日本人が、いまだにそのような“セルフイメージ”に胡坐をかいていることの方が教養や感情の劣化なのではないかと筆者は感じる。21世紀のグローバル世界で生きるのであれば、その“セルフイメージ”は不遜に繋がる。筆者のように、鎖国国家も悪くないと考えない限りにおいて。

 ■≪ この負のスパイラルを回避するためには、日本人の若者世代に、中国や韓国の良い側面についての良い教育が必要だと、筆者は強く薦める。知識と経験 こそが、地域内の相互理解を構築するとともに、ナショナリズムが戦後の日本だけではなく地域全体の社会経済的発展を破壊し、支配することを阻むことができるのである。 ≫(レポート抜粋)

 感想: 同氏はナショナリズムが痛くお嫌いなようだ。たしかに、グローバル世界の構築を標榜するなら、ナショナリズムは困るだろう。しかし、今後ともに、このグローバリズムの流れが加速するとは限らない。現に停滞しつつあるわけで、どちらかと言えば、経済はブロック化の方向だ。ブロック化の中には、ナショナリズムとは異なるだろうが、ブロックをナショナルに見立てる思考は、ユーロ圏で苦しみながらも試みられている。案外、アメリカだって、内向き志向になることもあるわけで、今までの流れ通りに事が運ぶ可能性は半々だ。

文明探偵の冒険 今は時代の節目なのか (講談社現代新書)
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●安倍首相の唯我独尊、我田引水 「虚偽日本」を世界に発信 

2015年05月14日 | 日記
沖縄の“怒”―日米への抵抗
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●安倍首相の唯我独尊、我田引水 「虚偽日本」を世界に発信 

内田樹氏のサイトに興味深いことが書いてあった。スイスのラジオ局が、日本の宗教事情についての番組で訪日するに際しての、主な質問項目が披瀝されている。内田氏がこの番組に比較宗教の釈徹宗氏まで引っ張り出すと云うのだが、スイスのラジオ局が、話についてこられるかどうか、かなり心もとない。内田氏が敢えて、≪スイスのラジオ局のひとりのディレクターから見えた「現代日本のイメージ」がはっきりと示されていて、たいへん興味深かったので、和訳したものを掲載しておく。≫と示した通り、この質問こそが、我々日本人も考えておいて損のない一面だと思ったので、以下に引用掲載する。

一読しようが、再読しようが、かなり難解で高度な質問に、まず驚いた。筆者などにとっても、内田氏と釈氏が、どのように答えるか、非常に興味深い。ただ、質問領域は多岐にわたり、歴史、宗教、社会、地政、政治、国際に跨る「21世紀の日本」みたいな、壮大なものになりそうだ。このスイスのラジオ局のディレクターが日本ウォッチャーなのかどうか判らないが、このインタビューそのものだけで、一冊の書物が出来てしまいそうだ。

筆者のおざなりな直感で大変僭越だが、スイスラジオ局の、高尚な質問に答えてみようと思った。勿論、内田、釈両氏の高尚な答えとはまったく違うだろうが、市井のブロガーの直感も参考にはなるだろう(笑)。

1、Q:「市民宗教」(religion civique)に類するものは存在しますか? あるとすれば、それは日本文化の宗教的層である「無常感」のようなものでしょうか?
  A: 「市民宗教」は社会契約論に出てくる言葉として解するとすれば、日本人全体を網羅するような「市民宗教」はない。ただ、宗教ではないが、“今上天皇”と云う存在に、一定の精神的支柱を持つ市民は多く、それゆえに、政治の右傾化なども、影響力は大したことないと思う傾向がある。森元首相の“神の国”は無教養から出た言葉だ。
 「無常感」という字が正しければ、日本人には「無常」を持って、今の苦境を乗り切るという「生きる術論」はあるだろう。平家物語の冒頭部分の文章が、現代日本人の現世の問題をやり過ごす精神に繋がっているかもしれない。まあ、虚無的境地で現状を乗り切る、知恵のような精神的バックボーンはあるかもしれない。 『祇園精舎の鐘の声 諸行無常に響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす おごれる人も久しからず 唯春の夜の夢の如し たけき者も遂には滅びぬ 偏に風の前の塵に同じ』

2、Q:先祖伝来の宗教文化の次世代への継承は果されているでしょうか?
  A:これは怪しい。外来文化の輸入国である日本の場合、民俗学的言い伝えは残るが、体系的宗教となると、その実態は、市民的ではない。また、先祖伝来と云う属地的共同体が消えている部分が多いので、継承しようがない。

3、Q:外来の宗教的表現に対する日本人の態度は、すべての外来の文物に対する程度と同一のもの(興味は示すが、どこか不信感もある)でしょうか?
  A:宗教的であろうが、物質的であろうが、基本的に縮小短絡利便が島国における基本ゆえに、自分たちに都合の良い姿に変える。時には変質させることもある。不信感と云うよりも、日本で広がりやすい形に変えてしまうだけ。

4、Q:現在政権の座にある日本の右翼( la droite japonaise actuellement au gouvernement)の政治的アジェンダには「宗教的」な面があるでしょうか?   
  A:ないない。彼の宗教性は、便宜的パフォーマンスの領域。神道の本流に靖国神社などはなかったわけで、皇室的には、伊勢、熱田、明治神宮だろう。靖国などは成り上がりなのだが、なぜか、神道の支配者風になっている。これで、日本の神道の信頼度はかなり落ちたといえるだろう。日本の市民社会に、神道が馴染んでいるかと云うと、まったくそのような傾向は見当たらない。縁起を担ぐ程度の位置づけだ。政治家などは、熊野神社に詣でることが多いが、あまりその意味は筆者は判らない。

5、Q:戦後日本の「平和主義・平等主義的で寛容な」教育は物欲を煽ることで国を滅ぼしたとして糾弾されていますが、このような批判は日本国内ではどのように受け止められているのでしょうか?
  A:そんな話、寡聞にして聞いたことがない。

6、Q: 個人主義は日本では敵と認定されたのですか? 民主主義的な価値観は日本では断罪されているのですか?
  A:保守論人とネトウヨの話に耳を傾け過ぎ(笑)。個人主義と云うか、利己主義の塊で、時々都合よく共助の精神がある振りをする程度。筆者は民主主義に懐疑的だが、多くの市民は、いまだ「神話」のように信じているフリをしている。あなたは、山本七平の「空気の研究」についての論考を読むことをお薦めする。

7、Q: 日本の社会学者たちは「無縁社会」(連帯を失った社会的危機)について言及していましたが、この概念は厳密にはどういうことを意味しているのでしょう? 意味の危機、未来への信頼の危機、アイデンティティーの危機、そういう危機感は日本の人口の高齢化とかかわりがあるのでしょうか? 日本の若者たちの一部が伝統的な社会経済の構造について無関心であることにかかわりがあるのでしょうか?
   A:まとめて、どんと答えておこう。
 *「無縁社会」には戦後の高度成長経済期に、地方の農業中心共同体を都市型労働集約製造業に引き込むことにより成立したが、バター取引で地方共同体及び農業が壊滅した。
 *“意味の危機、未来への信頼の危機、アイデンティティーの危機、そういう危機感は日本の人口の高齢化とかかわりがあるのでしょうか?”の質問だが、20世紀的価値観を引き摺るなら、その危機感は永遠につきまとうものだろう。それが少子高齢化現象においては、実現不可能に思えるので、危機感になる。政府もマスメディアも、この構造的問題無視で20世紀的価値観を振りまわすのだから、危機的末期症状だと思うのは当然。価値観を変えなければと気づく時期も来るだろうが、それが何時なのかはわからない。
 *“若者たちの一部が伝統的な社会経済の構造について無関心”という質問だが、これも核家族化した都市文化とネット社会による変質だろう。また、閉塞と云う不都合な事実の存在を認め、肌感覚で虚無的になっていると解釈もできる。以上 あいば

PS:
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≪スイスのラジオ局から訊かれたこと
 スイスのラジオ局から先日メールがあって、日本の宗教事情についての番組を作るために訪日するけれど、インタビューを受けてくれるかというお訊ねを頂いた。 現代日本の宗教事情について詳しく知りたいなら「えーひとがおりまっせ」ということで釈先生を巻き込んで再来週、練心庵で二人でインタビューを受けることになった。 いきなりインタビューされても答えに詰まることもあろうから、事前に質問状を送って欲しいと書いたら、こんな質問状が今朝届いた。
  スイスのラジオ局のひとりのディレクターから見えた「現代日本のイメージ」がはっきりと示されていて、たいへん興味深かったので、和訳したものを掲載しておく。 どういうふうに答えようか、これから考えてみる。
■質問状はここから↓
今日の日本に「日本の国民的信仰」というものは存在しますか? 単なる社会契約という以上の国民的な統合の軸というもの、アメリカ人における「市民宗教」(religion civique)に類するものは存在しますか? あるとすれば、それは日本文化の宗教的層である「無常感」のようなものでしょうか? 物質主義的な文化は日本の霊的生活にどのような影響を及ぼしているでしょう?
それは伝統的な宗教実践や、「マーケット志向的」(orientés client)な新しい宗教運動の出現には関与しているでしょうか? 先祖伝来の宗教文化の次世代への継承は果されているでしょうか?
日本は新しい外来の新しい宗教的表現(例えば韓国におけるペンテコステ運動のような)ものに対して開かれているでしょうか?
外来の宗教的表現に対する日本人の態度は、すべての外来の文物に対する程度と同一のもの(興味は示すが、どこか不信感もある)でしょうか?
あなたはマンガの専門家でもありますけれど、霊的な問題意識はこの領域には入り込んでいるでしょうか? マンガの世界から派生した独特なモラルというものは存在しているでしょうか?
現在政権の座にある日本の右翼( la droite japonaise actuellement au gouvernement)の政治的アジェンダには「宗教的」な面があるでしょうか?
神道は明治維新のもとで政治的目的のために功利的に利用されたのでしょうか?
靖国神社への参拝はその政治目的のひとつの実例なのでしょうか?
仏教もこのような歴史的変化によってその性格を変えたのでしょうか?
保守的言説が犠牲的精神や簡素さや愛国心や権威を讃えることと関連はあるのでしょうか?
「欧米由来の進歩的なヒューマニズム」に反対する言説と宗教の関係はどうなっているのでしょう?
戦後日本の「平和主義・平等主義的で寛容な」教育は物欲を煽ることで国を滅ぼしたとして糾弾されていますが、このような批判は日本国内ではどのように受け止められているのでしょうか?
個人主義は日本では敵と認定されたのですか?
民主主義的な価値観は日本では断罪されているのですか?
私が読んだものの中で、日本の社会学者たちは「無縁社会」(連帯を失った社会的危機)について言及していましたが、この概念は厳密にはどういうことを意味しているのでしょう?
意味の危機、未来への信頼の危機、アイデンティティーの危機、そういう危機感は日本の人口の高齢化とかかわりがあるのでしょうか?
日本の若者たちの一部が伝統的な社会経済の構造について無関心であることにかかわりがあるのでしょうか?
このような保守的言説には地理的に多少の偏り(都市部か地方か、中心か周縁か)があるのでしょうか?
戦後70年経ちましたが、日本は後戻りのできない方向に舵を切っているのでしょうか?(le Japon prend-il un virage irréversible ?)
あなたは坂本龍馬について言及していましたが、現在の日本が次第に閉じられた国になりつつあることに裏切られた気持ちを持っているのでしょうか?
あなたの父親は第二次世界大戦後の日本の再建にかかわってきたそうですが、あなたは(憲法九条に示されるような)平和主義的な日本はその終末を迎えていると考えていますか?
 ≫(内田樹の研究室より)
http://blog.tatsuru.com/

聖地巡礼ライジング: 熊野紀行
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●魚が絶滅する 漁場荒らしに加担する行政、日本文化の破壊

2015年05月13日 | 日記

 

日本人が知らない漁業の大問題 (新潮新書)
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漁業という日本の問題
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エヌティティ出版


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●魚が絶滅する 漁場荒らしに加担する行政、日本文化の破壊

先日、ビデオニュースドットコムのゲストに、生田與克氏(築地魚河岸マグロ仲卸「鈴与」三代目)が出演、神保哲夫、宮台真司に日本の漁業事情をレクチャーしていたが、魚文化とか、漁業行政の怠慢等々、あまり日常的に考えていなかった問題提起に、目から鱗であった。たしかに、マスメディアが魚について流すニュースは、「マグロが食えなくなる」「うなぎ高騰」「近大マグロ」そんな話ばかりだが、実は、日本の漁業は危機的状況になっている現状がよく判った。

以下はビデオニュースドットコムのマル激トーク・オン・ディマンドの解説記事だが、このネットメディアは主に有料だが、月額500円の価値は十二分にある。様々な問題をディープに、極力フェアに諸問題の核心を、視聴者に伝えようとする姿勢は好感が持てる。筆者の知る限り、日本のクオリティー・ネット・メディアだろう。まあ、アメリカ文化に親和性はあるが、日本と云う国に住んでいる以上、ある程度、その振舞いからは抜け出せない点は目を瞑るとしよう(笑)。

≪ 知っているようで知らない魚の話
■ゲスト:生田與克氏(築地魚河岸マグロ仲卸「鈴与」三代目)

日本の魚に大変なことが起きている。
 にもかかわらず、われわれは事の重大さをよく理解しないまま、当たり前のように毎日魚を食べている。
 しかも今や世界的な日本食ブームとやらで、日本は寿司や刺身などの魚料理をしきりと世界市場に売り込んでいるが、それはまるで危機を輸出しているかのようでさえある。
  確かに日本は島国で周囲を海に囲まれていることから、豊富な水産資源に恵まれている。日本が自由に魚を獲ることができるEEZ(排他的経済水域)の面積は 世界第6位を誇り、しかもその中に世界3大漁場と呼ばれる魚の宝庫の2つを抱える。こと魚に関する限り、日本は恐らく世界一ラッキーな国なのだ。
 しかし、世界の中で日本の漁業だけが、危機的な状況を迎えているというから不思議だ。
 一体なぜそのようなことになってしまったのか。
  日本は世界で最も多く魚を食べる民族だ。国民一人あたりの魚の消費量は年間51キロにのぼり、人口100万人以上の主要国の中で2位以下の中国、アメリカなどを大きく引き離している。しかし、その一方で、日本の漁獲高の方は1984年の1,282万トンをピークに減少の一途を辿り、2013年にはピーク時 の3分の1の479万トンまで落ち込んでいる。その分を輸入で埋めている計算になるが、問題は日本の漁獲高が減っているその理由だ。
 端的に言うと日本では魚が捕れなくなっているのだ。しかも、その原因もほぼはっきりしている。他でもない乱獲だ。
 漁業者の乱獲に対して寛容すぎると批判される水産庁でさえ、水産資源の52魚種のうち半数が「低位」、つまり持続可能性を脅かすレベルにあると判定している。実際はそんな甘いものではないという声も大きい。
  なかでも寿司ネタとして人気の高いクロマグロは、正に危機的状況にある。築地の魚河岸で、マグロ仲卸業を営む生田與克氏は、「しゃれにならない状況」だと話す。大消費国である日本では、なるべく低価格のマグロを手に入れるために、大型の成魚だけではなく、まだ産卵すらしていない幼魚も一網打尽で乱獲されているという。幼魚の段階で大量に捕獲すれば、将来の親魚がいなくなり、その魚種が絶滅してしまうリスクも高まることは自明だ。その結果、漁獲高の伸び悩みはもちろん、サイズが小さくなり、漁業者の利益も小さくなるので、更に乱獲に拍車がかかるという悪循環を繰り返しているのだという。
 これはクロマグロにとどまらず、ホッケなどにも見られてきている。居酒屋などで出されるホッケのサイズが小さくなっているのに気付いた方も多いだろう。サイズが小さくなったのは、漁獲高が減り、まだ成魚になっていない小ぶりな魚にも手を出さざるを得なくなったからに他ならない。かつては丸ごと提供されていた庶民の魚だったホッケが、値段があがったために、最近は切り身で出されるようになっているという。
 解決策ははっきりしている。乱獲をやめることだ。水産 資源の持続可能性を維持するには、魚の種類ごとに科学的な知見に基づいた持続可能性を維持できる漁獲量(ABC:生物学的許容漁獲量 AllowableBiological Catch)を算出し、 その範囲内に漁獲可能量(TAC:Total AllowableCatch)を制限するしかない。
 世界各国ではABCとTACに基づいて水産資源の維持、回復に取り組むことがいまや常識となっているといっても過言ではない。
 ところが、なぜか漁業大国日本ではこれが一向に進まない。日本もこの制度を導入してはいるが、日本ではABCを決めても、それを大幅に超えた数値がTACとして定められてしまうなど、その運用は「全くデタラメだ」と生田氏は批判する。
  本来、TACを決めることの意味は、資源が枯渇する可能性がある魚種のABCに対して、それを下回るレベルのTACを定めることにある。そうしなければ、 漁獲制限の意味をなさないことは子どもでもわかることだ。しかし、日本ではABCと同等か、もしくはそれを超えるTACが認められてしまう。しかも、現在、日本でTACが設定されている魚種は、もともとそれほど危機的な状況にあるわけでもないゴマサバ、スルメイカなどわずか7分類8魚種に過ぎない。これはアメリカの528種、ニュージーランドの98種などと比較しても、あまりにもやる気がない、いい加減なものと言わねばならない。しかも、日本の規制対象の中には乱獲によって既に漁獲高が危機的な状況にまで減少しているホッケや、ほぼ絶滅状態にあるニシン、そして国際的に乱獲が問題となっているマグロなどは指定すらされていない。これでは世界中の魚を食べ尽くしている日本が、世界から後ろ指を指されるのも無理はない。
 震災から間もない2011年 9月のこの番組で、漁業資源問題に詳しい三重大学の勝川俊雄准教授(現東京海洋大准教授)は、日本の水産行政にグランドデザインが無いために、日本の漁業が壊滅への道を辿っていると指摘した。「漁協ごとに縄張りを定め、その中で魚を獲りたいだけ獲らせている現在の漁業法の下では、資源が完全に枯渇するまで乱獲はやまない」として、漁業法を改正し漁獲量を制限しなければ、いずれわれわれは魚が食べられなくなることが必至であることを学んだ。しかし、実際には その後も乱獲は更に激化し、資源の枯渇は悪化に一途を辿っている。
 消費者としてもわれわれは、世界中の魚を食べ尽くすほど魚を食べている割には、魚のことを知らなさすぎたかもしれない。あまりにも豊かな海に囲まれていたことで、感覚が麻痺していたのかもしれない。例えば、今日本人は日本で獲れる魚よりも輸入魚種ばかりを好んで食べている。日本人の魚の消費量の上位を占めるサーモン、マグロ、イカ、エビなどはいずれも、輸入に依存している魚種だ。その一方で、日本で豊富に獲れるサバ、カツオ、ホタテガイなどの消費量はマグロやサーモンに大きく水をあけられている。輸入業者のPR戦略に乗せられている面もあるが、どの魚はいつ旬を迎え、どの魚はもっぱら輸入に依存し、どの魚は大半が養殖なのかくらいは知っておいてもいいだろう。
 行政の無策や漁協の乱獲を批判するのは容易い。しかし、日本の豊かな漁業資源を守るために政治が動かない最大の理由は、世論の無関心にあると生田氏は言う。スー パーで切り身になったパック詰めの魚しか食べなくなれば、その魚がマルの状態でどのくらいの大きさがあったのかを気にすることもなくなるのは当然だし、旬を意識しなくなれば、輸入魚に依存することが当たり前になる。
 海外でブームと言われる寿司は腕利きの寿司職人がいる高級店以外は、ほとんど寿司 ネタサイズに切られてパック詰めされた上で冷凍されている寿司ネタを使っているそうだ。寿司屋のやることといえば機械が握ったしゃりの上に解凍しパックか ら取り出したネタを載せるだけだということになる。日本人が聞くと冗談にように聞こえるかもしれないが、下手をすると本家本元の日本もそれに近づいているのかもしれない。
 まずは我々一人ひとりが、もう少し魚を知ることで、魚への関心を取り戻し、その文化を守り育てていく必要性を感じられるようになること。そこから始めなければ、漁業資源の保護などおぼつかないだろう。築地魚河岸の現場で日本の魚の現状をつぶさに見てきたゲストの生田與克氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。
 ≫(ビデオニュースドットコム:マル激トーク・オン・ディマンド 第735回)

ビデオニュースドットコムで日本漁業の危機を報じたからではないだろうが、水産庁がサンマの資源確保のために、漁業可能量を前年比26%と減らしたと云う話だが、そもそも、現実にサンマの水揚げが水産庁の提示した量より少ないのだから、それを持って「資源確保のための漁獲量」というお題目は詐欺同然だ。水産庁の役人は、こういう出鱈目を平気で行うわけだが、どのようなメカニズムで利益を得ているのだろう。そこからして不思議だ。

獲れば獲るほど魚のサイズが小さくなり、価格が低下する。ゆえに、その損失を量で補おうとする。つまり、子供の魚まで獲らざるを得ない。産卵する前の魚を獲ってしまうのだから、絶滅するのは当たり前。おそらく、3年間くらい(魚種によるが)、極端な漁獲制限を行い、漁場の資源保護行政を強化すれば、昔通りにはならないまでの、最低限、漁場の自然サイクルを復活させる可能性はある。その3年間については、漁獲制限による損失補償(無利息前貸し制度)で切り抜ける事も出来そうだが、要はやる気ひとつなのだろう。

≪ サンマ漁獲枠、過去最低に 水産庁、資源保護へ管理強化
水産庁は12日、2015年の漁期(7月~16年6月)のサンマの漁獲可能量を前年より約26%減らし、過去最低の26万4千トンにする方針を明らかにした。サンマの資源量減少への懸念が高まっていることから、保護のために管理を強化する。
 ただ、日本の漁業者によるサンマの漁獲量は近年、漁獲可能量を大幅に下回る状態が続いており、水産庁は「市場に出回る量に影響はないだろう」とみている。
 水産庁によると、サンマの資源量は現在「中位・横ばい」で極端に減っている状況ではない。しかし、長期的には減少傾向にあることから、管理を強め、保護に万全を期すことにした。 ≫(東京新聞:共同)


参考資料:
★日本の漁業は崖っぷち
http://wedge.ismedia.jp/category/gyogyou
★地球のココロ 漁業という日本の問題を知ろう勝川俊雄さんインタビュー
http://chikyu-no-cocolo.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-1609.html
★勝川俊雄公式サイト
http://katukawa.com/?p=5484


魚はどこに消えた?―崖っぷち、日本の水産業を救う
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あんなに大きかったホッケがなぜこんなに小さくなったのか (単行本)
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●古市憲寿の本音トークを覗く 左翼じゃなく、保守論者風

2015年05月12日 | 日記
本当の経済の話をしよう (ちくま新書)
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筑摩書房


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●古市憲寿の本音トークを覗く 左翼じゃなく、保守論者風

以下のリテラ・明松結氏のコラムは、「ブサイクは怠惰の象徴」に対する批判がコラムである。古市氏がTwitter上で現実是認なリアリズムな表現をしてしまったことで大炎上。最終的に、その発言部を削除したと云う事件があった。古市と云う若き社会学者は、本来の社会学におけるアプローチとして確立されている“インタビューやフィールドワーク、ないしデータの統計的分析など”実証的学問“であるのに対し、かなり反逆的と云うか、非学問的部分を持っているのは事実だろう。

しかしだからと言って、古市の「絶望の国の幸福な若者たち(2011.9月)」等で見せている観察眼は鋭いし、若者の自虐性も認めた上で、現実的手法にアプローチしようとしている試みには、それ相当の価値がある。まあ、感覚的社会学、悪く言えば口の悪い軽口評論家とも受けとめられるが、評価はどっちでも良いだろう。メディアにおいて、さも事実のように語れてしまう言説に、一応逆らってみる。一種のアドバルーン方式のネット社会独特の社会学のフィールドワークであるかもしれない。

筆者も上述の本は読んだが、格差社会や年金差別などで「不幸」だと位置づけられている21世紀の日本の若者は、必ずしも「不幸」ではないと云う論調で貫かれている。統計数値などを見る限り、比較論において団塊世代以前の人々よりも「金銭的損害(差別)」を蒙っている。それは事実だ。しかし、故に「不幸」という考えは短絡で、現実の時間以上に“何かが良くなる”見込みのない時空間では、“今を愉しむ”或いは“今が幸福”の感覚になっている方が、幸せである可能性は高い。

つまり、現在生きている時空間に、見渡す限り広々とした将来とかが見えていないのに、閉塞したオバマ・アメリカンが見立てぬ夢物語を流暢に語ったり、安倍晋三が津々浦々に利益が滴り落ちるとか嘘八百を並べても、踊る気にはなれません。だから、ナショナリズムもサッカーやWBC野球観戦の時に限らせていただきます。極論すると、日本政府が中国政府に乗っ取られても、日本と云う島で、日本人が暮らして行ければ、それはそれで良いのだはないか。言い換えれば、ナショナリズムはスポーツに限らせていただきます、そういう意味合いかもしれない。いわゆるアメリカの社会学者パーソンズの造語「コンサマトリー化」と言えるのだろう。

この「コンサマトリー化」と云うのは、将来的展望の見えない社会状況や短絡で蕩尽的傾向のあるネット社会などにおいて起きる現象。インスツルメンタル化の対語のようなものだが、利口でズルい人間から見れば、非経済的、非生産的、非倫理道徳的な行動原理になることもある。いや、そのなる方が、「幸福感」が得られやすいとも言える。大変に不道徳な印象を持つ話なのだが、古市は賢い奴なので、社会に波紋を投げかける手法を取り、調査手段を省く楽ちんな実証を実現しようとしているかもしれない。おそらく、この、一見差別的発言にも、そういう含みがあるような気がする。

掲示板などにざっと目を通すと、古市のことを「ブサヨ」と言っているネトウヨがいたが、古市は十二分に保守的人間だ。それこそ賢いコンサマトリー人、自民党への親和性の強い論者だといえる。若者世代の保守化が加速しているのも、こういう社会現象が手伝っている可能性は高い。おそらく、古市は学者ではなく、評論家なのだろう。自分でも学者を本気でやる気があるか、甚だ疑問だ。ただ、問題提起者、主論に反論する言論人としての価値があるように思える。

≪ 「ブサイクは怠惰の象徴」古市憲寿のブス差別がヒドい! 容姿差別は合法だと開き直り
「若者論」の代表論客として今やメディアで引っ張りダコの社会学者といえば、古市憲寿だ。格差社会に伴う若年層の不幸な状況が問題視されるなかであえて「若者は幸福」と語り、とりわけ2010年代、ニュースや討論番組に頻繁に出演するようになった。 しかし、その言動をつぶさに見て行くと首をかしげたくなることも多い。昨年彼をめぐってとある炎上騒動が巻き起こったが、それに対する古市くんの「言い分」がはっきり言ってヒドイので紹介したい。
 事の発端は昨年10月13日、古市くんがTwitterで「テレビで中学生くらいの子たちが合唱してるんだけど、顔の造形がありありとわかって辛いから、子どもたちももっとみんなメイクしたり、髪型や髪の色をばらばらにしたほうがよいと思う」とツイートしたことだった。これに対しネット上で、 「オマエはどのツラ下げてテレビ出てんの?」 「『顔の造形がありありとわかって辛い』などと公然とツイートする、あなたの心の造形がありありとわかって辛いです」  などと批判の声が殺到。本人が当該ツイートを削除する事態へと発展したのだ。
 騒動から半年以上が経ち、古市くん本人がツイートの意図などをなぜか今になって釈明している(「『ありのまま』という言い訳」/「新潮45」 2015年4月号/新潮社)。しかし、その内容は非常に粗雑だ。何より絶句させられるのは、彼の開き直りがその実「容姿差別」への明白な加担になっていることである。
 順を追って内容を見て行こう。原稿は、発端となったツイートがネットニュースなどで「ブスは整形しろ」とまとめられたことに対し「誰をも『ブス』 と呼んでいないし、『整形しろ』なんて勧めてもいない」とふてくされた出だしから始まる。その後、昨年『アナと雪の女王』をきっかけに流行語になった「ありのままで」というキーワードが持ち出される。個人が「ありのまま」から抜け出して、身分や職業を自分で選べるようになった近代社会でも、なぜか学校空間ではメイクや染色が禁止され「ありのまま」であることが求められる。実際の社会では建前に反した「容姿差別」が存在するにもかかわらずおかしいのではないか、と古市くんは指摘する。
 問題なのはここからだ。では差別を否定するのかと思いきや、なんと「法律的にも人を『見た目』で差別することは認められている」と仰天の一文が続くのだ。 「日本には、人を容姿で差別することを禁じる法律はない。職業安定法や、男女雇用機会均等法には労働者を募集・採用する時に容姿を基準にしてはいけないと いう旨の行政解釈もあるが、法律として明文化されているわけではない。要は、企業が『見た目』で人を採用しても法律違反になることはないのだ」

………(中間省略)………

「古市くん、社会学を学び直しなさい!! 自称社会学徒が日本を代表する社会学者をたずねる」(「小説宝石」2015年4月号/光文社)。
 冒頭、小熊は今日の日本で社会学者は「評論家」として流通していると語る。本来、社会学はインタビューやフィールドワーク、ないしデータの統計的分析などに支えられた「実証的学問」である。しかしマスコミが 便利屋を必要とする結果、「社会学という学問とは切り離されて『評論=社会学』というイメージが定着していった」のではないかと小熊は指摘する。……これ、まんま弟子のことを指しているとしか思えない。古市くんはつまるところ「社会学者」ではなく「薄口社会評論家」なのだ。そう考えればその言動の浅さに も納得がいく。こういう「薄口評論」が曲がりなりにも「論考」として流通してしまう今の言論界って、本当に大丈夫なんだろうか。
 黙っていられないので、ともに叫ぼう。「古市くん、社会学を学び直しなさい!!」。学問や研究というもっともらしいヨロイをつけて、今社会のなか にある差別に加担するのは、本当に勘弁してほしい。古市くんこそ「ありのまま」の発言をやめて、学問の世界できちんとした修行を積み直してほしいものだ。
≫(リテラ:スキャンダル―差別―明松結)
注: (……)中間省略部は下記URLを参照願います。
http://lite-ra.com/2015/05/post-1079.html


彼のことで、面白い栗原裕一郎氏(『本当の経済の話をしよう』若田部昌澄共著や『石原慎太郎を読んでみた』などがある)のTwitterまとめがあったので、同時掲載しておく。栗原氏は筆者は知らなかったが、かなり面白い経歴の持ち主なので、今度、上述著書を読んでみようと思う。単独著書が以下の一作なのがおしい論者だ。

〈盗作〉の文学史
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新曜社



 ≪ ■『本当の経済の話をしよう』に対する古市憲寿氏の反論について
  先般、早稲田大学教授の若田部昌澄氏と『本当の経済の話をしよう』(ちくま新書)という共著を上梓しました。 幸い好評のようなのですが、第17講「あなたは「幸福」の国ブータンに住みたいですか」――「幸福研究」についての講義です――で批判的に言及した『絶望の国の幸福な若者たち』(講談社)の著者・古市憲寿氏よりツイッター上で反論をもらいました。
 
この件につき、当方の見解を述べたいと思います。

まずは当該記述を(p.240-241)。
若田部 幸福度調査の話題を続けると、最近、古市憲寿『絶望の国の幸福な若者たち』が話題になっているじゃない。
栗原 物心ついたころからずっと不況で、非正規雇用のせいで生活と将来の不安に脅かされている現代の若者だけど、生活満足度や幸福度はなんとここ40年間でもっとも高いのだ! と東大博士課程在学中の若手社会学者(の卵?)が挑発的にぶち上げた本ですね。
若田部 古市氏は、20代の若者の現在の生活に対する満足度が70.5%にものぼっているというデータを出しているけれど、内閣府の「国民の生活に関する世論調査」というのに拠っているんだよね。なぜこの調査に基づいたのか、その説明はない。WVS(World Values Survey)のほうが信頼度は高いはずなのに。古市氏が「朝まで生テレビ」(2012年2月25日)に出演したとき、飯田泰之氏も「world values surveyをみると日本人の生活満足度・家計満足度ともに下がっているのになぜ(WVSよりはマイナーな)「国民生活に関する世論調査」を使うのかという点は是非(古市氏に)質問して欲しい」とツイートしていた。(…)
栗原 ははあ。でも「なぜ」って、WVSのほうだと「絶望の国の幸福な若者たち」というセンセーショナルなテーゼ立てが成立しないからじゃないですか?(笑) もっともあの本の主眼は、これまでの若者論と、若者論が提示していた若者像に対する批判にあるみたいだから、この煽り自体は本全体の趣旨にとってそれほど重要でないようにも見えますけどね。
若田部 WVSを使わないのは単に知らなかっただけかもしれない。でも「幸福」は題名にもなっていて、こちらは「釣られた」わけね(笑)。 WVS(World Values Survey)は日本語表記だと「世界価値観調査」です。

この箇所に対して、古市氏から以下のような反論がありました。メンションが飛んで来ておらず気づくのが遅くなりました。

(1) そういえば『本当の経済の話をしよう』で『絶望の国の幸福な若者たち』がディスられてた。端的に間違いと思われる記述があって心配になったんだけど、世界価値観調査でも若年層の主観的幸福度や(特に)生活満足度は上昇傾向にあるんじゃない。。。? https://twitter.com/poe1985/status/251637356828962817

@xxxxx 年齢別のデータを見ないほうがどう考えても「都合のいいデータ」だと思うんですけど。。。あと僕の本でも「幸福だからいいよね」なんてことは書いていません。WVSの公式サイトです→ http://www.worldvaluessurvey.org/ https://twitter.com/poe1985/status/251669125515051008

(2) あと「世界価値観調査(WVS)を知らなかったんじゃない?」とか言われてますが、いくつかの調査はWVSから引いているんだよなあ。忙しい著者の方が本を読まないで引用するのはよくあることなのでいいのですが、データマンの方にはしっかりして欲しいと思いました。 https://twitter.com/poe1985/status/251637783783960576

まず(2)について。以下、若田部氏のコメントです。
古市氏が世界価値観調査を知らなかったかのような記述は誤解をまねくもので訂正したい。『絶望の国の幸福な若者たち』の幸福度調査に関連した記述では古市氏は世界価値観調査に言及されていなかったため、その文脈で、古市氏は世界価値観調査に幸福度調査があることを知らなかったのかもしれないと思い込んでしまった。しかし当該本150頁では、「もし戦争が起こったら、国のために戦うか」という設問への答えとして世界価値観調査を引いているので、古市氏が世界価値観調査自体を知らなかったという認識は誤りである。 この部分に関しては、栗原も確認を怠り見落としていました。あわせてお詫びいたします。後ほど謝罪・訂正を筑摩書房のウェブサイトに掲載の上、重版分にて修正します。

続いて(1)について。 『絶望の国の幸福な若者たち』から当該記述を引いてみます(p.7-8)。 実際、現代の若者の生活満足度や幸福度は、ここ四〇年間の中で一番高いことが、様々な調査から明らかになっている。たとえば内閣府の「国民生活に関する世論調査」によれば、二〇一〇年の時点で二〇代の七〇・五%が現在の生活に「満足」していると答えている。そう、格差社会や世代間隔差と言われながら、日本の若者の七割が今の生活に満足しているのだ。

この満足度は、他の世代よりも高い。三〇代でこの数値は六五・二%、四〇代で五八・三%、五〇代では五五・三%まで下がる。(…) また、現在の若者の生活満足度は過去の二〇代と比べても高い。まだ高度成長期だった一九六〇年代後半の生活満足度は六〇%程度。一九七〇年代には五〇%くらいにまで下がった年もある。それが、一九九〇年代後半からは七〇%前後を示すようになってきた。

経済成長の裏側の不幸

二〇一〇年を生きる若者は、過去の若者と比べても、「幸福」だと思う。 同様の記述は第二章の5「「幸せ」な日本の若者たち」にもあります(p.98~)。

古市さんの議論を見ますと、「国民生活に関する世論調査」において、20代の7割以上が生活に「満足」していると示したその次に、小見出しを挟んで、「二〇一〇年を生きる若者は、過去の若者と比べても、「幸福」だと思う」と展開しておられますが、「生活満足度」と「幸福度」は統計上別概念ですので、飛躍しています。

「幸福度」については内閣府の「国民選好度調査」が2010年以降調査集計していますが、これを見ると世代間での幸福度に有意な差を見出すことはできません。 http://www5.cao.go.jp/seikatsu/senkoudo/senkoudo.html

WVS(世界価値観調査)でも同様に「生活満足度(Satisfaction with your life)」と「幸福度(Feeling of happiness)」は区別されています。

幸福度」について、WVSのOnline Data Analysis(http://www.wvsevsdb.com/wvs/WVSAnalizeStudy.jsp)で、日本人幸福度の、年代ごと世代別の集計を取ってみますと、「Very happy」と「Quite happy」の合計(%)は以下のようになります

15-29歳30-49歳50歳以上
1981 77.4 76.5 77.1
1990 72.5 81.1 75.7
1995 84.7 90.9 92.0
2000 80.3 85.8 89.7
2005 86.8 86.2 88.2

データpdfhttp://firestorage.jp/download/ea6186f596d35d0a32b1939dcc21d47a38a16502



こちらを見ても、世代ごとの幸福度、および推移に有意な差はありません。せいぜい、日本人は全体的に「幸福」になっているかなという程度で、若者(15-29歳)の幸福度が他の世代に比べて特に上がっているということはできそうにありません(データの取り扱いに関しては、飯田泰之氏に助言をいただきました)。

古市さんはご自身の主張を裏付ける傍証的に以下のグラフをリツイートしておられました。



ウェブ上で追跡してみたところ、古市さんがリツイートされている元ツイート以前をたどることができず、電通の『世界主要国価値観データ』をはじめ各種統計刊行物をあらためても同様のグラフを見つけることはできませんでした。

それと、世代が「18-24歳」で区切られていますが、WVSのOnline Data Analysisのデフォルト設定は「15-29歳」となっていますので、原データから集計しないとこのグラフの元となる結果は得られないように思われます。 このグラフの出典はどこなのでしょうか?

また、このグラフが正しいとして、「幸福度」のグラフであって「生活満足度」は含まれていませんから、古市さんのおっしゃる「世界価値観調査でも若年層の主観的幸福度や(特に)生活満足度は上昇傾向にあるんじゃない」の論拠とするには不十分であると思われます。

さらに、ご著書での主張「現在の若者の幸福度は他の世代よりも高い」の論拠とするにも不十分でしょう(先に見たように、古市さんは「生活満足度」と「幸福度」を適宜同じものとして用いておられるのですが)。

ついては、若年層の幸福度や生活満足度が他の世代に比べてとりわけ高く、また上昇しているという、WVSに基づいたデータをご提示いただければと思います。 こちらからの返答はひとまず以上です。

(2)と同様に、訂正・謝罪の必要があると判断した場合には、筑摩書房のウェブサイトに正式に掲載する手はずが整っておりますので、お手数ですがご返答いだただければ幸いです。

最後になりましたが、古市さんはこの反論以前に、『本当の経済の話をしよう』を評価するツイートもされていました。ご自身が批判的に扱われている書籍にもかかわらず奨励してくださったフェアなスタンスに感謝申し上げます。 @xxxxx @xxxxx あとサンデルを中和するには、最近出た『本当の経済の話をしよう』を勝手におすすめしておきます。倫理的判断の前に、まずは費用と便益を考えましょう(倫理的議論はその後で)というのは、経済学に限らず社会科学の「お約束」なので。
https://twitter.com/poe1985/status/234681670194851841
 ≫(栗原裕一郎のツイッターより抜粋)

石原慎太郎を読んでみた
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●公的資金で株価維持 やめられないシャブと潜在的ツケ回し

2015年05月11日 | 日記
世論調査とは何だろうか (岩波新書)
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●公的資金で株価維持 やめられないシャブと潜在的ツケ回し

以下のダイアモンドONLINEの宿輪氏のコラムは、結論として、日本の経済産業構造において、必要なのは金融産業だと主張している論なので、まったく話にはならないが、コラムの前半だけは正しいので参考引用しておく。先々週のビデオニュースドットコムでリフレ・マネタリスト高橋洋一氏が熱弁をふるっていたが、マクロ経済学乃至は経済学全般に、「その世界で常識」と言われる部分の説明を飛ばしている点にこそ、実は問題があるような気がしてきた。

つまり、経済学の理論上、“Aが上がればBが上がる。Cは下がれば、Dも下がる”といった類は、経済学上の理論だろうが、歴史の転換点に立っている場合、統計学など、過去の数値と一定の係数で物事を考えて良く法則が成り立たなく事が予想される。また、国や地域、時には世界規模における、価値観のパラダイムシフトなどが起きている時も、これらの学問には限界があることが良く理解できた。高橋氏が、ごもっともな理論を展開する。聞いていると、たしかに理屈は正しい。しかし、現実は違う(笑)。

気の毒だが、最近は経済学者やエコノミストの言っている事は、概ね外れる。願望が、願望通りになることはあるが、理論的説明とは、そのメカニズムが全然違う要素で、たまたま当たる程度だ。なぜこのようなことが日本では起きているのか、それを考えるのが政治家の務めだが、それが出来そうな人物はいない。特に、少子高齢化の人口構成による経済的ひずみと、生活習慣の乖離、中央と地方の乖離、政策によって生じる産業のまだら模様‥等を含めた「知恵の集積回路」があり、その答えを道徳的に見定める人物が必須の時代に来ている。

このまま、安倍政権の唯一の命綱である株価だが、政権を維持しようと云う意欲がある間、その維持の為に、“いたちごっこ”をする羽目になる。この政権が長期であるかどうか、それはどうでも良いが、いつの日にか、GIPFや日銀、将来的には郵貯などは、持ち株を手放して資金化しなければならない。FRBではないが、何時かは止めなければならないわけだ。その時に何が起きるか?それを考えると、身の毛がよだつ。結局、麻薬に溺れ、やめなければと思いつつも止められず、最後は廃人になるのに似ている。後8年ほどで年金がもらえる筈だが、大幅な減額の憂き目に遭いそうだ。まあ、20年後に受け取るつもりの人よりはマシなので、感情的には落ち着いていられる。

しかし、50年先100年先は、総括も責任体制もないのが日本のシステムだけに、責任者出てこいと言っても、概ね安倍も黒田も鬼籍の人だろう。民間放送局に格下げされたNHKが、動物農場の豚のように、ブ~ブ~と日本を沈没させたアベノミクスの検証特集2時間スペシャルを報じているに違いない。その頃は、NHKあらため「犬HK放送」となっているかもしれない。もしかすると、全国紙と云うものもなくなり、地方紙だけが細々と発刊している風景が日常になっている。こう考えると、アベノミクスも歴史には名を残すだろう(笑)。

≪ 世界最大の機関投資家が支える 日本の株式市場に未来はあるか?

■公的年金が日本の株高を演出している
 GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人:Government Pension Investment Fund)は、財務省ではなく、厚生労働省所管の独立行政法人で、我々の大切な公的年金のうち、厚生年金と国民年金の運用を行っています。運用資産として は約130兆円を持ち、世界最大の機関投資家といわれています。下の表は、GPIFの運用の内訳です。
*表省略
  それぞれの運用には、上下変動率というバッファーも設定されていて、国内債券が8%から10%、国内株式6%から9%、外国債券5%から4%、外国株式5%から8%に変更されました。
 あくまでも可能性の話ですが、国内株式で見た場合、25%+9%=34%ということで、“最高”34%保有することができます。単純に変更幅に上 乗せすると13%+9%=22%で、これから22%の国内株式を購入することができます。金額にすると追加購入額は“最高”約35兆円となります。
 最近、公務員が加盟する3つの共済年金もGPIFと運用比率をそろえました。共済年金の運用総額は約60兆円で、GPIFと合計で約190兆円です。実質的には、GIPFと同じ運用をするとみられ、これも可能性の議論ですが、日本株式の比率を最高22%とすると約44兆円が購入される可能性があります。
 時期のズレなどはありますが、東証の株式時価総額を約500兆円とすれば約9%の増加要因となり、本当に単純に計算すれば、約2万円の日経平均を約1800円上げることになる。もちろん、それは新しい流れのきっかけとも認識され、それを見越した投資家マネーを集めるでしょう。
 流れという意味では、GPIFは海外株式も購入しており、海外株式の上昇要因ともなります。そうなると、海外株の上昇が日本株を連れ高で押し上げる経路もあり得ます。

■アベノミクス“官制相場”のカラクリ
 日銀はETF(上場投資信託:Exchange Traded Fund)の形で株式を購入しております。量的・質的金融緩和の計画の中で、当初、2013年1兆円購入することになっていましたが、昨年、量的・質的金 融緩和の拡大ということで、変更され年3兆円購入することになり、現在実行中です。年3兆円分購入するということは、たとえば、3年で9兆円購入できるわけです。この動きも上記のGPIFと共済年金の動きに加わることになります。すでに、現在、GPIFと日銀は、日本株の株主1位と2位になっています。  
 GPIFは日本や海外の株式購入を増額する反面、国内債券、主として日本国債を売却しています。金額だと約33兆円となっています。  
 一方、日本銀行は量的・質的金融緩和で、(長期)国債を年約50兆円購入することになっていましたが、同じく変更され年約80兆購入することになっています。つまり、約30兆円増額購入します。
 もちろんタイミングや期間の問題もありますが、GIPFの売却分を日本銀行が引き受けられるように見えます。そもそも、日本国債の今年度は約37兆円新発の予定ですが、その分も含め、日本国債については日本銀行がその大部分をカバーできるわけです。
 つまり、公的年金の資産はできる限り株式に向けて国債は売却する、かつ、国債は日銀がすべて購入するという構図が見えてきます。 アベノミクスは上記のように公的資金をフル動員し「官製相場」(昔だとPKO:Price Keeping Operation)といわれるようなやり方で株価にテコ入れを行い上昇させています。株価本位制内閣といわれる所以でもあります。確かに株価が上がると、企業は新たな投資が可能になりますし、個人投資家も日本では効き目が薄いですが資産効果で消費も増えます。一般的に、株価はエコノミストの世界では経済の半年後の先行指標といわれています。
 しかし、現在、日本経済の強化に必要なのは、構造改革です。人工的に上げられた相場では、辛い構造改革に取り組む可能性は低いのです。まさに「株 の量的緩和」です。いままでもPKOでは一時凌ぎにしかなりませんでした。“一連”の量的金融緩和では実体経済の改革ができないからこそ、政権はとにかく企業に「賃金引き上げ」の要請をしたのだとも考えられます。

 ■株価上昇は金融市場改革のきっかけになり得る
 筆者の個人的な考えですが、百歩譲って、それならば、この地合いで「金融業」を中心とした構造改革の好機ととらえ、戦略的に対応すべきであるとも考えます。
 金融市場だけではなく、日本の実体経済の改革が必要となっていますが、製造業では海外生産比率が約3割となり毎年増加中です。また日本では経済が 成熟・低迷する中、従来型の製造業中心の国内における改革が描きにくくなっています。GDPの産業別構成比では、製造業は2割を切ってきており、7割はすでにサービス業となっています。 ドイツはヨーロッパの分業体制のなかで製造業を確保しました。しかし、成熟国では「金融業」を伸ばすのが実体経済活性化の一策となっています。日本は産業別で約5%ですが米国が約8%、英国は約9%となっています。
 金融業が活性化するには金融市場の活性化、それも金融商品価格の上昇が重要な要素になっています。内外の投資家とよく話してますがやはり、金融市 場の活性化は金融商品、特に株価の上昇に掛っています。ニューヨークを始め、他の金融市場が史上最高値を更新しているなか、日本は日経平均最高値(89 年)の半分の水準です。この15年でニューヨークのダウ平均は約7割増加、ちなみに上海は2.4倍になりました。日本は2000年と同水準となっています。やはり、株価の上昇が金融市場にとっては重要なのです。  金融市場の活性化にはインフラの整備が必要と指摘する向きもあります。筆者は「決済」などの金融インフラ分野も専門で、当局の様々な市場改革の委 員会等にも参加してきました。日本の金融インフラは、国債の決済期間がT+1(翌日決済)になればグローバルで見ても米英と同水準で遜色はないと認識しています。さらにクロスボーダーで担保として使えれば、より一層利便性が高まると考えています。  
 つまり、株価を上げることが、サービス業、特に「金融業」が引っ張って構造改革をすすめる、つまり実体経済の改革を進めることになると考えます。それこそ、今の日本経済に必要な戦略と考えます。
  ※本連載は自身の研究に基づく個人的なものであり、所属する組織とは全く関係ありません。

 宿輪純一(しゅくわ・じゅんいち) 博士(経済学)・エコノミスト。
帝京大学経済学部経済学科教授。慶應義塾大学経済学部非常勤講師(国際金融論)も兼務。1963年、東京生まれ。麻布高 校・慶應義塾大学経済学部卒業後、87年富士銀行(新橋支店)に入行。国際資金為替部、海外勤務等。98年三和銀行に移籍。企画部等勤務。2002年合併 でUFJ銀行・UFJホールディングス。経営企画部、国際企画部等勤務、06年合併で三菱東京UFJ銀行。企画部経済調査室等勤務、15年3月退職。兼務 で03年から東京大学大学院、早稲田大学、清華大学大学院(北京)等で教鞭。財務省・金融庁・経済産業省・外務省等の経済・金融関係委員会にも参加。06 年よりボランティアによる公開講義「宿輪ゼミ」を主催し、この4月で10年目、180回開催、会員は8000人を超えた。映画評論家としても活躍中。主な 著書には、日本経済新聞社から(新刊)『通貨経済学入門(第2版)』〈15年2月刊〉、『アジア金融システムの経済学』、東洋経済新報社から『円安vs. 円高―どちらの道を選択すべきか(第2版)』(共著)、『ローマの休日とユーロの謎―シネマ経済学入門』、『決済システムのすべて(第3版)』(共著)が ある。  ≫(ダイアモンドONLINE:経済・時事―宿輪ゼミ)

南方熊楠/柳田國男/折口信夫/宮本常一 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集14)
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●マスメディアの「隷米」顕著 「嫌韓」たしなめ「嫌露」を煽る

2015年05月10日 | 日記
誰も書かなかった「タブーの日本史」大全 (宝島SUGOI文庫)
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●マスメディアの「隷米」顕著 「嫌韓」たしなめ「嫌露」を煽る

蛇足な情報に気づいたので、はじめに伝えておく。春の叙勲で石原慎太郎って人物が旭日大綬章をチャッカリ貰ったのは、ニュースで流れたいたので知っていたが、小沢一郎が政治的に半分抹殺された「西松事件」東京地検特捜部の捜査に際し、2009年3月「自民党側は立件できない」と嘯いた官房副長官の名前を皆さんは覚えているだろうか?そう、あの“漆間巌”。忘れもしない、元警察庁長官で、官邸官僚トップで麻生の快刀と言われた男が、石原のチャッカリの上をいく形で、「旭日大綬章」をゲットしている。このニュースは伏せておけと云う霞が関記者クラブの阿吽の呼吸か?どうでも良いので、テレビニュースなど紹介されたかどうか、筆者には判らないが。小沢一郎の政治力を潰した功績だと思うと腹立たしい。オマケだがモンサント米倉ジジイも貰っている。2015年春の叙勲は記念すべき汚れ方と歴史に残るだろう(笑)。

――ここから本題――
最近のメディアでも、日経新聞の記事の「劣化」は加速度的で驚異的だ。事実誤認という前に、完全な思考停止で、アメリカン化している。日経新聞の性格上、企業優先の紙面構成である点は問題ないが、社説や国際関連の記事などは、嫌露に彩られている。親米と云うより「隷米」に近く、安倍官邸や外務省よりも悪いかもしれない。「嫌韓」や「反中」には、それなりの抑制が効いているのだが、対ロシアになると、鎖を解かれた駄犬のように良く吠え、噛みつく。

以下に、北朝鮮・金正恩が「対ドイツ戦勝70年記念式典」への出席が有力視されていたが、取りやめになった事に関する日経新聞と毎日新聞の記事を比較参照見ると、日経の対ロ姿勢というか、隷米姿勢が露わすぎると云う事が良く理解出来る。読んで貰えば判ることだが、ロシアは、もう終わりだ、みたいな印象を読者に与えている。はじめから、中露の経済力の関係は段違いであり、今さら持ち出す話ではない。毎日が書いているように、思ったほど優遇されない事への不満の表れであり、中国とロシアへの外交カードを駆使し、天秤にかけたかどうかは、9月の中国・抗日戦争勝利70周年記念行事への出席の有無で確認できると云う事だ。筆者は、「対ドイツ戦勝70年記念式典」より、各国首脳が市場目当てで集散するであろう「抗日戦争勝利70周年記念行事」の方が恥をかく確率が上がるので、多分それもないと読む。

≪ 北朝鮮にもそでにされたロシア 経済低迷で足元見られ
北朝鮮は4月末、金正恩(キム・ジョンウン)第1書記が9日にモスクワで開かれた対ドイツ戦勝70年記念式典への出席を見送るとロシア政府に通知した。金第1書記の出席の意向を確認したと発表してきたロシアのプーチン政権はメンツを失った格好となり、現地のロシア人記者団からは憤りの声も上がった。北朝鮮 がドタキャンに踏み切った背景には、中国とロシアとの圧倒的な経済力の差がある。
  9日の戦勝式典はプーチン政権が国の威信をかけて開催する一大イベントで、世界各国の首脳に招待状を送った。ただ、昨年来のウクライナ危機の影響で欧米首脳は軒並み欠席を決めた。参加者で目を引くのは中国の習近平国家主席だけ。当時のブッシュ米大統領や小泉純一郎首相、ドイツのシュレーダー首相が参加した 10年前の60年式典に比べて出席首脳は半分以下という寂しい顔ぶれとなっていた。
 それだけにロシア側は金第1書記の式典への参加を重視した。金第1書記の初外遊に国際的な注目が集まる中、ロシアの朝鮮半島への影響力の拡大をアピールし、アジア重視を掲げる米オバマ政権に対抗する狙いもあった。
  ロ朝外交筋によると、北朝鮮側は昨年から頻繁になった高官交流を通じて幾度も金第1書記の式典出席のシグナルを送り、訪ロ準備を進めていた。ウシャコフ大統領補佐官は4月22日、北朝鮮側から金第1書記の訪ロの意向を確認したと発表。「金氏が式典に来るという約束を守ると期待している」と語っていた。
 北朝鮮はロシア側に土壇場での欠席は「国内事情のため」と説明したが、どのような事情があったか明かしておらず、様々な臆測を呼んでいる。そうした中、主要国の外交当局間で浮上しているのは「北朝鮮が式典出席の有無を中国との駆け引きにおけるカードとした」との見方だ。
  中朝関係を巡っては、北朝鮮ナンバー2で中国側との窓口役だった張成沢(チャン・ソンテク)氏2013年12月に処刑された後、急速に悪化し、改善への道筋が見えない状態となっている。そうした中、中国を初外遊先とした父・金正日(キム・ジョンイル)総書記の前例を金第1書記が破れば、習近平政権にとって大きな外交的な失点になるとみられていた。 北朝鮮にとっては経済的な観点から中国の立場を優先せざるをえない事情もある。14年の中朝の貿易総額は公式統計で把握できる分だけでも392億元(約 7500億円)と北朝鮮の対外貿易総額の9割に上る。一方、ロ朝の貿易額はその約60分の1の年1億ドル(約120億円)程度にとどまっている。
 ロシア経済の実質成長率は15年にマイナス3%を超えて落ち込み、その後も長期にわたって0%前後の水準が続くと予測されている。国外への巨額の資本逃避にも歯止めはかかっておらず、ロシア中央銀行は15年の流出額が1310億ドルに達するとの推計を発表した。実質国内総生産(GDP)で5倍に開いた中ロの経済力の差はさらに広がるのは確実な情勢だ。
 ロ朝は昨年からの閣僚協議でエネルギーや鉱山開発、インフラ整備などの各分野の協力事業を進めると決めたが、大半の案件は進んでいない。欧米の経済制裁に苦しむロシア企業には採算性の不透明な北朝鮮での事業に投資する余力が乏しい事情もある。
  怒らせても経済的にはそれほど怖くないロシアのメンツを犠牲にする見返りとして、中国から多くの支援を引き出す――。金第1書記はあらかじめこうした戦略を立てていた可能性がある。実際、プーチン政権にとっては今回の一件に反発して対朝関係を悪化させる余裕はない。ガルシカ極東発展相は4月30日、金第1書記の式典欠席はロ朝関係の発展に影響しないと強調した。  ≫(日経新聞:モスクワ=田中孝幸)


≪ 露・対独戦勝式典:金正恩氏も欠席 見返り不十分で?
【モスクワ西岡省二】北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)第1書記が、9日にモスクワで開かれる第二次世界大戦での対独戦勝70周年を祝う式典への 出席を見送った。背景に関してさまざまな観測が出る中、外交関係者の間では「儀典・警護問題で合意できなかった」「ロシアからの見返りが不十分だった」という見方が有力になっている。
 金第1書記は、初の外遊先として最大の支援国である中国を選ぶのではないかとの説も再浮上している。その場合、9月に中国で開かれる抗日戦争勝利70周年記念行事を念頭に、訪中のタイミングを計るとみられる。
 北朝鮮とロシアの間では最近、閣僚級の往来が活発化していた。4月だけでも、北朝鮮から盧斗哲(ロ・ドゥチョル)副首相、玄永哲(ヒョン・ヨンチョル)人民武力相(国防相)、ペ・ハク原油工業相が相次いで訪露。ロシアからも、ガルシカ極東発展相らが訪朝した。
 朝鮮労働党機関紙・労働新聞も先月30日、「(モスクワでの式典に)多くの国の指導者が参加の意向を表明している」と伝え、友好的な雰囲気を演出 していた。西側外交関係者によると、モスクワの北朝鮮大使館では建物の改修工事が進められるなど、金第1書記の訪露を想定していたような動きが見られた。  だが、北朝鮮側が、記念写真で金第1書記がプーチン大統領の隣に立つ▽プーチン氏との首脳会談を開く−−などの特別待遇を要求したため、調整が難航したという。金第1書記が国際社会で重視されているとアピールすることを狙ったものだが、ロシア側が難色を示したという。
 訪露への見返りをめぐる協議が不調に終わったことも、背景にあるようだ。特に、玄人民武力相が訪露した際、ロシア側に最新鋭ミサイル「S300」などの支援を要求したが拒否され、北朝鮮側が態度を硬化させたとされる。
 一方、北京の外交関係者は「金第1書記の儀典を担当する妹の金与正(キム・ヨジョン)朝鮮労働党副部長が出産によって動きが取れなくなったことと関連している可能性がある」という見方を示した。 金第1書記は今後、中国との関係改善を優先して初外遊先を中国とする可能性が出てきた。中国は4月、9月の70周年行事への招待状を金第1書記に送っている。同関係者は「経済的なつながりを考えれば、中国を訪問するしかない。外交経験のない金第1書記にとって、各国首脳が集まる記念行事への出席は荷が重いので、記念行事の少し前に単独で訪中するかもしれない」と見通している。 ≫(毎日新聞)


しかし、今回の「対ドイツ戦勝70年記念式典」において、プーチンにしてみれば、欧米各国の首脳など、無理に来て貰わなくても良いと思っているだろう。EUがNATOと云うもののとのつき合いをどうするかと云うEUの問題であり、それをEU自身が自発的に考えない限り、ロシアは欧州への興味を失う。ただそれだけと、腹を括っている筈だ。中国の習近平総書記と並んで、ユーラシア大陸構想話をウォッカを飲みながらすればいいわけで、大きく期待を裏切った式典ではなかった。

また、総書記と同時に、軍事パレードに中国軍から儀仗(ぎじょう)部隊が派遣されたことは、酷く印象的だ。日本のマスメディアは、中国軍がロシアの軍事パレードに儀仗部隊といえども、中国軍が派遣された意味合いは、欧米にとって威嚇だ。筆者の目から眺めると、軍事力、軍事技術力のロシア、経済の中国と云う組み合わせは、ユーラシア及びAEANにおいて、オバマ米国がアジア防衛に全力を投じても、防ぎ切ることは歴史的に可能性はないとみている。紆余曲折はあるだろうが、骨太の歴史の流れを変えるのは無理である。

本来であれば、中国軍が南シナ海中心にエグイ軍事行動に出ている間に、さっさと北方二島返還を詰めるのがベターなシナリオだったが、大きく後退した。外交的には絶望的と言っても良いくらいになった。尖閣よりも、北方二島返還、二島共同開発の方が、あらゆる点で大きな外交ポイントだったが、もう無理な感じだ。ロシアのプロパガンダ報道だが「SPUTNIK」がフィナンシャルタイムズの記事を紹介する形で、欧米諸国に警鐘を鳴らしている。

≪ ファイナンシャル・タイムズ:5月9日にモスクワへ行かないと決めたリーダーたちは後悔するべきだ
ナチス・ドイツに対する勝利におけるソ連国民の貢献の規模を理解しながら、モスクワで開かれる戦勝70周年の記念行事への参加を断った西側のリーダーたちは、自分たちの決定を後悔するべきだ。ファイナンシャル・タイムズ紙が伝えた。
 ファイナンシャル・タイムズの記事の中では、戦勝70周年の式典は第二次世界大戦の参戦者たちが祝うことのできる最後の大きな節目になる可能性があり、ロシアにとっても西側にとっても特別であるとされている。
 また記事の中では、第二次世界大戦でソ連は2000万人以上を失い、「ナチス・ドイツに対する勝利におけるソ連の貢献は、他のどの国よりも大きかった」ことを覚えておかなければならないと指摘されている。
 また記事の中では、レニングラード包囲の犠牲者だけでも、英国と米国の戦時中の犠牲者を合わせた数を超えていると述べられている。
 ファイナンシャル・タイムズはまた、西側のリーダーたちは、この機会に戦勝70周年の式典に合わせて、クリミア併合についてロシア大統領とあらゆる意見の不一致があるにもかかわらず、ロシア国民に対しては一切反感を持っていないと発表するべきだとの見方を表している。
 ファイナンシャル・タイムズは、「ナチスの敗北におけるソ連の役割の規模を理解しながら式典への参加を断った西側のリーダーたちは、自分たちの決定を後悔するべきだ」と指摘している。 ≫(SPUTNIK)


ロシアの対ナチスとの闘いで、最も多くの犠牲者を出した旧ソ連(国民の命の軽視があったのも否めないが)、ロシアに嫌がらせをする子供じみた態度は、ロシアの欧米離れを加速するだろうし、中露の大接近を加速させる。延いては、ASEAN各国への影響も少なくはない。また、絶大な人気を誇るプーチンに恥をかかせた欧米各国と云う怒りが、ロシア国民にも拡大することになる。北国の熊さんは誇り高く哲学的人種なので、誇りを傷つけられることを極端に嫌い、誇りの為なら、合理的利益とは異なる発想になる点を忘れないでおくべき日欧米の首脳らである。

筆者は寡聞にして、朝日新聞が「プーチンの実像」なんて特集連載をしているのを知らなかったが、少し読んでみたが、アメリカンスクール育ちの記者たちの記事であり、完璧に欧米メディアコントロールに毒された記者たちに、マスターベーション的連載なので、吃驚した。馬鹿らしいことがまことしやかに書かれているが、読みたい方は勝手に読んで戴きたい。

≪ (プーチンの実像)第3部・孤高の「皇帝」:11 つながりかけた日ロのパイプは今
この連載のプロローグで、プーチンが昨年、柔道の山下泰裕に語った言葉を紹介した。ロシアとの関係を深めたいという首相安倍晋三の言葉と、日本の対ロ制裁は「正反対じゃないか」と批判したのだった。
 安倍が訪米を終えた今、プーチンは再び不信感を深めているかもしれない。問題は4月29日に安倍が米議会で行った演説の一節だ。
 「日本は米国と共に、冷戦に勝利した」
 冷戦の勝者のように振る舞っているとして米国を常々批判しているプーチンにとって、これは受け入れ難い言葉だろう。
 昨年10月、世界の有識者との討論会で、プーチンは語った。「米国は自身を、冷戦の勝者だと宣言した」「『勝者』と称する者が、自分たちの利益のためだけに、全世界を塗り替えようとしている印象だ」  プーチンの言葉は、裏を返せばロシアが「冷戦の敗戦国」として扱われることに対する拒絶でもある。  「ソ連崩壊後、ロシアは自発的に……ここを強調するが、自発的に、そして意識的に、歴史的とも言える自制の道を歩んだ。自らの領土や生産力、そうしたものを放棄したのだ」。プーチンは今年4月26日のテレビ番組でこう語った。
 共産主義を捨て、ソ連の一部だった国々の独立を認めたのは、ロシア国民が自ら下した歴史的決断だった。冷戦に敗れて支払った代償ではない。プーチンはこうした考えを、2000年に当時の首相森喜朗にも語っている。     
 *
 プーチンは、クリミア半島併合の際に核戦力を臨戦態勢に置く可能性があったことを認めるなど、最近ロシアが核大国であることを誇示する発言を繰り 返している。これも、周辺国を威嚇するだけでなく、「ロシアが軽視されるのは我慢ならない」という心理が大きく働いているようだ。
 ウクライナ危機が今後どう展開するかについては、プーチンを知る人々の間でも見方が分かれる。
 イスラエルの情報機関「ナティーフ」の元長官ケドミは、クリミア半島併合の真の狙いが「ウクライナに領土問題を作り出し、NATO(北大西洋条約機構)に加盟する可能性をつぶすことにあった」と見ている。領土問題を抱えている国は、軍事同盟であるNATOには原則として加盟できないからだ。それな ら、一応の目的はすでに達せられたことになる。
 一方、プーチンの元経済顧問イラリオノフは「侵略は誰かに止められるまで続くことは、歴史が示している。ナチスドイツも、あなたには悪いが、かつての日本もそうだった」と述べ、「プーチンはさらに先に進む」と断言した。
 ここでも問題は、プーチンの真意を理解できる他国の首脳がいないことだ。     
 *
話を日本に戻す。
12年、プーチンが4年ぶりに大統領に復帰したときには日本との関係強化を真剣に検討していたことがうかがえる。
 大統領選投票日のわずか3日前の3月1日、朝日新聞主筆らとの会見で「引き分け」による北方領土問題解決を呼びかけた。国の指導者が選挙直前に領土問題で「引き分け」を口にするのは危険とも言えるが、ロシアのテレビは当時、この発言をそのまま報じた。
 大統領復帰後の12年9月には、ウラジオストクで開いたアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議でボランティアを務めた学生ら500人に、横浜と東京への船旅をプレゼントして慰労した。  
 「プーチンは西のパートナーをドイツ、東のパートナーを日本にしたいと考えている」という見方を示す外交関係者もいた。
 13年4月の安倍訪ロをきっかけに首脳間のパイプもつながりかけた。それが今、再び切れようとしている。
 日本からすれば、原因を作ったのはロシア側だ。ウクライナの政権崩壊に乗じてロシア軍部隊をクリミア半島の空港、議会、軍事施設などに展開して掌握。一気に領土を広げた手法は近隣諸国と領土を巡って緊張関係にある日本にとって、とても容認できない事態だ。
 だが、ロシアの大きさと日本からの近さ、中国や北朝鮮、韓国などアジア太平洋の国々との関係、プーチンへの権力の集中、そして北方領土問題の存在を考えれば、パイプを切ってしまって済むような簡単な相手ではないこともまた確かだ。 =敬称略(モスクワ=駒木明義)    
  ◇  「プーチンの実像」は、今回で終わります。
プロローグ、第1部「KGBの影」、第2部「権力の階段」、第3部「孤高の『皇帝』」の計33回の連載に今後加筆し、朝日新聞出版から単行本として出版する予定です。 ≫(朝日新聞デジタル:「プーチンの実像」より)

≪(プーチンの実像)第3部・孤高の「皇帝」:10 拒絶しているのは、どちらの方か
 「プーチンは変わった」「欧米を敵視するようになった」――こうした見方に対して、プーチン自身はどう答えるだろうか。最近の発言から、その考えを推し量ることができる。
 「KGBの対外諜報(ちょうほう)部門で20年近く働いた私でさえ、共産党の一党支配が崩れれば、すべてが根本的に変わるのだと思っていた。だ が、そうではなかった」。プーチンは4月26日に放映されたテレビ番組でこう語った。「結局のところ、イデオロギーとは関係ない地政学的利益があるの だ」。冷戦が終わっても、大国同士は自国の影響が及ぶ範囲を巡ってぶつかり合う、という世界観だ。
 プーチンはKGB時代から、共産主義に疑問を抱いていた。ソ連崩壊を挟む時期に、生まれ故郷のサンクトペテルブルクで外国企業の誘致に奔走した。
 しかし、ソ連崩壊後も北大西洋条約機構(NATO)は拡大を続け、ロシア国境にまで迫った。「リスボンからウラジオストクまで」を経済圏にしようというプーチンの呼びかけは、顧みられなかった。  欧米の方こそ、ロシアを拒絶している――プーチンは、そう言いたかったのかもしれない。
 プーチンはテレビ番組の中で、こうも言っている。「彼ら(西側)は、私たちが人道支援を必要としているような時だけ、私たちを好きになるようだ。よし、それならジャガイモを送ってやろう、というわけだ」
 ロシアを弱体化させようとする策謀が実際にあった。プーチンは昨年12月の年次教書演説で、そんな見方を示した。「誰がどのように我が国の分離主 義やテロを支援したか、よく覚えている」「我が国をユーゴスラビアのような崩壊と分裂のシナリオに向かわせたかったことは疑いない」
 経済危機の中、国民の目を外敵に向けさせて団結を促す狙いもあるだろう。だが、打ち解けて話せる欧米の首脳がいなくなってしまったプーチン自身も、不信感のとりこになってしまっているようだ。=敬称略(駒木明義) ≫(朝日新聞デジタル:「プーチンの実像」より)

参考:『プーチンの実像』朝日新聞タイムラインビューアー
http://www.asahi.com/topics/timeline/?keyword=%E3%82%A6%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%83%BC%E3%83%9F%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%B3
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●噴火警報と風評被害 火山と温泉と観光、1200年の使用料か?

2015年05月09日 | 日記
転換期の日本へ―「パックス・アメリカーナ」か「パックス・アジア」か (NHK出版新書 423)
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●噴火警報と風評被害 火山と温泉と観光、1200年の使用料か?

箱根町の観光事業関係者から、いかにも箱根全体が危険なように思われて心外だ。「風評被害にもなりかねない」と云う経済的事情による嘆きが語られている。しかし、昨年9月の御嶽山の噴火において、紅葉シーズンの重なったためか、噴火警戒レベルを1のままとした結果、63人の犠牲者を出した記憶は鮮明だ。この経験から早期にレベルを上げたことは、予防原則の立場からも当然の警報である。

箱根山大涌谷周辺は御嶽山よりも噴火口が広く分布しているので、大爆発を起こすことは少ないと云う説もあるが、科学上の学説に寄り添うことで、大惨事になることは避けるべきである。たしかに、箱根じゃなくても良かったから、行き先を変える人も出てくるだろう。その結果、観光業に一定の経済的損害が出るのも事実だろう。だからといって、“噴火は大したことありません”とか、“温泉旅館ホテルには影響は皆無です”等と言って「風評被害」だと語るのも如何なものだろう。

箱根の湯歴史は古く、時は奈良時代にまで遡る。西暦738年に釈浄定坊が発見した「惣湯」(湯本温泉)でこの温泉は現在も使われている。日本で広く知られるようになったのは、1590年の豊臣秀吉の小田原征伐からのことのようである。江戸時代になると、箱根七湯とか箱根八湯と呼ばれ、湯本、塔之沢、堂ヶ島、宮ノ下、底倉、木賀、芦之湯。プラス姥子の湯として認められるようになった。観光地や別荘地等々ポピュラーになったのは、明治以降だと云うので、観光業の生業として明確になったのは1919年辺りからのようなので、見出しの1200年は大袈裟で、100年くらいと云うのが正確かもしれない(笑)。

まあ、箱根温泉の歴史はさておき、御嶽山の噴火以降、国内の火山活動は活発になっている。火山の周辺が温泉等々の関係で、日本の観光地になりやすいわけだが、火山あっての観光地であったことを、観光業者の人々は受け入れるべきである。阿蘇山中岳、蔵王山、吾妻山なども予防原則を十分認識すべきだろう。巨大地震と火山噴火には最近は連動性が、顕著なのだから、火山活動の活発と予防原則と社会的被害の問題は、政治が解決するのが当然だろう。つまり、科学的合理性と社会的合理性は、時に対立するものなので、その調整をするのが政治の役割だと思う。実は、原発事故、再稼働問題にも、この対立ゆえの、歪んだ決定がなされていると云う事だ。

 現法規では、この予防原則に沿った社会的損失に対し、経済的損失を蒙っても、何らの補償もないのが現状だが、「風評被害」だと、イギタナイ言葉を話させないためにも、最低限の救済措置は講じても良いのではないだろうか。気象庁が「風評被害」にまで、忖度をするようでは非常に拙い。しかし、殆ど何事もなく過ぎれば、観光業者は気象庁に恨みの目を向けるに違いない。本来であれば、長期間に亘り、火山と温泉のお陰で生業をしてきたのだから、火山地形温泉の使用料だと割り切って欲しいところだ。

こう云う事は、筆者だから言えるわけで、政治や行政に関わる人たちは言えない言葉だ。であるなら、これだけ火山活動の活発な周期に入ったことを契機に、予防原則の概念を明確にし、その原則が躊躇なく出せる社会整備が必要と云う事だろう。これこそが、政治のすべきことである。戦争をしないで済んでいる国民に、戦争のリスクを背負えとか、原発のリスクも負えとか、観光県を目指す沖縄に恒久的米軍基地を作れとか、やらなくても良いことはする。やらなければならないことはしない。これじゃあ、選挙にも行かなくなるのは当然だ。最後はまたまた、政府への悪口で終わった。

 ≪ 箱根山、風評被害を懸念 神奈川県が情報発信強化へ
小規模な噴火が発生する恐れがあるとして、気象庁が箱根山(神奈川県箱根町)の噴火警戒レベルを「2」(火口周辺規制)に引き上げたことを受け、神 奈川県は7日、緊急対策会議を開催した。黒岩祐治知事は会議で「安全は第一だが、風評被害も抑えていかなくてはならない」と強調。正確な情報発信を強めるため、統括責任者を設ける意向を示した。
 箱根町も同日、箱根温泉旅館協同組合と今後の対応を協議した。町はホームページ上で規制エリアの地図を示すとともに、大涌谷以外の観光にはほとんど影響がないことを強調する「観光客の皆様へ」と題する文書を掲示した。
 気象庁によると、箱根山では7日午前0時~午後3時に10回の火山性地震を観測。116回を観測した5日と比べると6日以降減少しているが、同庁は「火山性地震は多い状態が続いている。火山活動が終息に向かっていると判断できる段階ではない」としている。
 気象庁は6日朝、マグマで熱せられた地下水が噴き出す「水蒸気爆発」が起こる可能性があるとして、箱根山の大涌谷周辺に火口周辺警報を発表。噴火警戒レベルを1(平常)から2(火口周辺規制)に引き上げた。
 これを受け、箱根町は6日、大涌谷周辺の半径300メートルに避難指示を出した。大涌谷に向かう県道は通行止めになり、ロープウエーも全線運休するなどしている。
 一方で「立ち入りが制限されるのはごく一部の地域なのにあたかも箱根全体が危ないようなイメージになっている」(県災害対策課)と、観光業などの風評被害を懸念する声も上がっている。 ≫(日経新聞)


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●日本の人口減少は怖くない 人口偏在是正と価値観の醸成

2015年05月08日 | 日記
天下泰平の時代〈シリーズ 日本近世史 3〉 (岩波新書)
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●日本の人口減少は怖くない 人口偏在是正と価値観の醸成

日本の人口減少を「悪」と見立てて、政治も言論も展開されている傾向がある。ここで言うところの「悪」は、経済上の理由で論じられることが多い。哲学や倫理や民俗文化問題からのアプローチは少ない。たしかに、日本の人口減少は際立っているが、合計特殊出生率は先進国で、フランスだけが2.01人で、人口減少をなんとか食い止めているが、アメリカでも1.89人で減少傾向にある。過度に減少傾向にあるのは、イタリア、ドイツ、シンガポール、日本。韓国が1.19人で最低人数だ。ちなみに日本は1.43人となっている1人の女子は、2.07人の子供を生めば人口の水準が保たれると考えられているわけだから、先進国のジレンマだと受けとめても構わないだろう。

この人口減少は、経済上の理由を除けば、哲学や倫理や民俗文化問題からのアプローチすると、それ程、嘆き悲しむことではない。経済上の理由といっても、日本人が食うや食わずになると云う意味ではなく、国家のGDPが減少すると云う危惧から生まれた「悪」であり、大企業輸出製造業の業績が悪化するだけだ。そんな問題は、既得権益に属する人種の困りごとであって、一般国民の悩みなどではない。人口が減少しても、GDPが横ばいであれば、一人当りのGDPは増えるわけで、分け前が増える可能性すらある。

 人口の偏在と云う問題も、豊かな森林と水と土壌を持つ農業国家から、近代産業革命国家に、憑りつかれるように、魘された明治維新以降の馬鹿げた「脱亜入欧」そのものに元凶はある。特に戦後の東西冷戦構造の勃発と朝鮮戦争特需により、農村の次男三男の集団就職と云う社会現象(国策)が農村を疲弊させ、東京、大阪への人口集中を招いたに過ぎない。つまり、日本政府の考えているようなアメリカンな普遍的価値観なんて信じない、文化に根差した「価値観の転換」が起きれば、容易く幸福感は訪れる。

東京一極集中が、高度経済成長時代に世界の工場となり、今現在は世界の市場の役割を終え、只の魅力のない市場飽和の国になっている。ただ、このような観察も、経済的にみてと云う問題であり、経済成長と云うトラウマを取っ払ってしまえば、笑ってしまう程、杞憂なものなのである。大企業輸出製造業の重視の嵐が過ぎ去れば、東京での職も減って行く。だったら、物価の高い東京にしがみつく理由は少なくなる。この現象は、人の東京離れを加速するだろう。経済成長以前の日本の人口分布に戻るわけで、先祖返りのようなもので、この方が、日本の伝統文化は守られる可能性が高い。

 日本の伝統文化は守られれば、国民が幸福になるのか、という疑問もあるだろう。しかし、人口分布の分散は、地域の共同体を、限界集落から一変させる可能性を秘めている。経済価値観に毒され、信じ込んでいる人々に「価値観を変えろ」と押しつけても無駄なことだ。人口分布の分散と云う方向性を明確にすれば、自ずとそこに、地域ごとの共同体が生まれ、その共同体の営みの中から、価値観のパラダイムシフトは起きるものである。だいぶ昔のことになるが、首都移転の話は立ち消えになったようだが、どういうわけだろう?疲れたので、何かの機会に調べておこう。

≪ 「人口減少=悪」ではない 次世代に向けて発想を転換せよ
【 日本を代表する歴史人口学者の速水融氏は、「人口が減ることは必ずしも悪いことではない。むしろ、恩恵も多い」と言う。長い視点で見ると、人口減少は社会にどのような影響を及ぼすのだろうか。(まとめ/フリージャーナリスト・室谷明津子)】

■人口減少を歴史から考える
「歴史人口学」を知っていますか?
「歴史人口学」という学問を知っていますか。地域に残る人口史料を分析し、人口の推移や庶民の生活を明らかにする学問です。私は近世を中心に、明治時代以前の人々の膨大な史料を読み込み、人口の増減によって社会がどう変化するかをつぶさに観察してきました。
 その立場から言いたいのは、人口が減ること自体は社会の近代化における自然な流れであって、心配する必要はないということです。
 むしろ私は、人口減少は日本にとっていいことだとすら思います。大事なのは無理に人口を増やし続けるより、人口減少によって起きる事象の意味を考え、社会の変化に合わせた対策を実行していくことです。詳しく説明していきましょう。
 まず、人口減少は日本だけでなく先進国全体で起きています。人口動態を予測するには、合計特殊出生率(TFR)といって、1人の女性が生涯で何人の子どもを産むかという指標を参考にします。 これまでの研究で、TFRが2.07人を切ると、20~30年以内にその地域の人口が減るということが分かっています。長期的に見れば、どの社会においても近代化が進むにつれて、出生率と死亡率がそれぞれ低くなっていきます。
 つまりたくさん産まれ、死んでいく社会から、医療の発達やインフラ整備、栄養状態の向上などによって人間が死なず、産まれる数も少なくなっていく。そのような社会への移行を、「人口転換」と呼んでいます。
 世界のTFRの推移を見てみましょう。先進地域全体では、1990年代に早くもTFRは2人を切っています。
 現在の世界全域のTFRは2.50 人となっていますが、これはアフリカをはじめとする発展途上地域が押し上げているのであって、先進地域に限って見ると1.68人にまで低下している。欧州の主要国ではTFRが軒並み下がっていて、今後10年以内に全地域において人口減少が進むでしょう。

 ■男性が強い「マッチョな国」では
  子どもを産まない女性が増える
 先進国では特に、ドイツ、イタリアのTFRが低いですね。この2ヵ国と日本に共通するのが、もともと父系が強い「マッチョな社会」である点。私は 密かにこの現象を、女性たちの「静かな革命」と呼んでいます。数値を見ていると、男性が優位な社会で我慢を強いられてきた女性たちによる、「もう子どもを産むだけの人生ではない」という意思の表れのように見えるのです。
 アジアでも人口減は止まりません。中国は既にTFRが1.6人となり、韓国に至っては1.3人とかなり低い。最も遅いのはインドで、今も2.6人 を保っているので減少が始まるのは他のアジアの国々より後でしょう。南米やオセアニアでも徐々にTFRが低下し、2095~2100年になるとアフリカ地域だけが唯一TFR2.12人を保ち、他地域は全て2人を切ると予想されています。
 日本では明治期に死亡率が下がり始めました。病気の流行や天災によって死亡率が跳ね上がる年もありますが、全体で見れば明治期から徐々に下がっています。そして出生率の低下は大正末年から始まり、戦後のベビーブームを経て本格的になります。終戦直後に4人を超えていたTFRは1950年に3.65 人、70年に2.13人、90年には1.54人、2010年には1.39人と急速に下がります。
 かつて日本をはじめとするアジアでは、大勢の子どもや孫に囲まれて暮らすのが幸せという価値観が一般的でした。子どもの死亡率が高く、全員が元気に育つわけではなかったので、結果としてバランスもとれていました。しかし、現在は子どもの死亡率が低く、かつ生活における余暇や娯楽が増え、価値観が多 様になっています。女性が子育てに見出してきた生きがいが、趣味などに分散するのはやむを得ないでしょう。
 さらに、女性の社会進出の機会が増えて(それ自体はすばらしいことですが)、出産適齢期がちょうど学問を修めたり社会に出たりする時期と重なるようになりました。つまり、長期的に見て日本社会で出生率が下がるのは自明のことなのです。
 冒頭でも申し上げたように、私は人口が減ることはむしろ日本にとっていいことだと考えています。人口密度を比較すると、1平方キロメートルの空間に対して英国は261人、ドイツは229人、国土の広い中国では141人となっています。対する日本は342人と、明らかに人間が密集し過ぎている。せめて欧州並みにゆったりと空間を使える方がいい。私が考える日本の理想的な人口規模は、7000万~8000万人。終戦直後くらいの人口です。徐々に減っていって、それくらいの規模で安定させるのがいいと思います。

 ■人口が減少か停滞する時期に文化が花開く
   ペスト流行とルネサンスの関係
 さらに歴史を振り返ると、文化が成熟し花開くのは、人口が減少または停滞している時期と重なります。
 例えば江戸時代には、人口も領土もほぼ一定に推移した状況下で、世界に類を見ない文化の爛熟期を迎えました。また、14世紀にペストが大流行した欧州では、イタリアを中心に大勢の死者が出ましたが、この時期に同国からルネサンスが始まったのは偶然ではないと思います。
 人口が激減し、国力が衰えて没落してもおかしくなかったイタリアで、「再生」を表す芸術運動が興り、欧州中に広まったのです。
 なぜ人口が減ると文化が発達するのか。思うに、人口が増加する時代にはモノを増産して消費も増え、経済がどんどん拡大していきます。一方、人口減少社会では生産量を増やす必要はなく、人口が減ることで1人当たりの所有物が増えます。
 社会が成熟し、人々は余暇を楽しむようになる。経済は停滞しますが、代わりに芸術・文化にお金が回っていくのではないでしょうか。もちろん、人口 減少社会になれば、必ず文化が成熟するというわけではありません。人口減少をきっかけに拡大一辺倒から価値観を転換し、文化を成熟させる方向に社会やお金の回し方を変えていくリーダーが必要です。

 ■問題視すべきは人口の偏在と減少速度
   日本の人口学は人材不足
 私は、現在の日本の人口は多過ぎるので減るほうがいいと考えていますが、「減り方」については深刻な問題があると思います。
 まず、人口の偏在です。東京や大阪といった大都市への一極集中が進み、まるで打ち捨てられたような地方が増えています。おそらく東京にいると、人口減少といわれてもピンとこないでしょう。大都市では今も高層マンションが建ち、交通網が整備され、近代技術を用いた都市づくりが進められています。
 一方で、多くの地方がそうした恩恵に与れず、人口減少によって学校や公共機関といった最低限のインフラさえ、自分たちで賄えなくなくなりつつあります。各地域の中核都市、さらにその下の市町村に人口を呼び戻す政策が急務です。
 また、日本はTFRが2を切ってからの低下のスピードが速過ぎます。このカーブが緩やかであれば、政府や自治体は高齢化対策を立てやすいですが、ここまで急だとそれもままならない。この点についても、リスクを十分に意識する必要があります。
 そもそも、人口減少が引き起こす問題は今に始まったわけではありません。景気予測などと違い、人口予測は見通しを立てやすく、確実性が高い。少なくとも現状を見れば、20~30年後の人口構成が分かるのですから、正しく認識して対策を立てることができたはずです。
 日本は海外に比べて人口学を扱う大学・研究機関が極めて少なく、その中の一分野である歴史人口学も、日本に持ち込んだのは私が初めてでした。人口の現状分析や効果的な政策など、研究を進めれば成果が上がりやすい学問であるのに、人材が足りません。日本の社会にとって最適な人口規模はどの程度なの か、その規模で安定させるにはどのような政策が必要なのかなど、まだまだ人とお金を投入して研究されるべきテーマがたくさんあります。やみくもに「人口減少=悪」と決めつけるより、客観的な研究に基づく議論が必要でしょう。

*速水融 はやみ・あきら 1929年生まれ。歴史人口学者。1950年慶應義塾大学経済学部卒業。1953年同大学同学部副手に就任。助教授を経て、1967年教授。経済学部長、 大学院経済学研究科委員長などを歴任し、1992年名誉教授。麗澤大学名誉教授、国際日本文化研究センター名誉教授などを務める。経済学博士、日本学士院 会員。2009年に文化勲章受章。『近世濃尾地方の人口・経済・社会』(創文社)、『歴史人口学で見た日本』(文春新書)など著書多数。 ≫(ダイアモンドONLINE:経済・時事―日本のアジェンダ-「人口減少日本」の処方箋)


都市――江戸に生きる〈シリーズ 日本近世史 4〉 (岩波新書)
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●自信を深めるASEAN 20世紀に輝いた国“日本”で終わらない為に

2015年05月07日 | 日記
敗北を抱きしめて 上 増補版―第二次大戦後の日本人
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●自信を深めるASEAN 20世紀に輝いた国“日本”で終わらない為に

今夜は引用レポートが長いので、筆者の感想は省こう。正直、このレポートの指摘がすべてではないだろうが、いい勉強になるレポートだった。まだまだ発展途上ではあるが、欧米日の植民地として苦しく長いトンネルを抜けたASEANの国々の人々の情熱を充分に感じさせるレポートだった。ASEAN経済共同体が此処まで具体的になっているのには驚きだが、スムーズに進捗することを期待しておこう。

それにしても、ASEANの国々の人々は中々に強かだ。安倍晋三のバラマキは歓迎していたが、だからといって「隷日」などと云う観念すらもない。「隷米」に徹する日本を冷ややかに見つめている目に様々なことを考えさせられる。些か、元気が良すぎる面も否めないだろうが、経済成長するのり代が充分に残っているのだから、日米が偉そうに語る経済成長よりは、たしかな足音の聞こえる地域であうことは認めざるを得ない。

 ≪ ASEAN経済統合とAIIB設立は、アジアにおける時代の要請か ~2015「春のダボス」レポート〈前編〉

 ■40ヵ国から700人余りが集った「春のダボス」
先週のこのコラムで、3度にわたって詳述したように、4月後半に取材で訪れたジャカルタは騒々しかった。ASEAN(東盟)最大2億5000万人の人口を誇るインドネシアの首都は、世界一の自動車の大渋滞で、普段から騒々しいのだが、それにも増して盛り上がっていた。それは、昨年10月に大統領に就任したジョコウィの政権が、二つのビッグイベントを開催したからである。

  一つは、冷戦時代に米ソどちらにも与しないことを発展途上国が宣言したバンドン会議60周年を記念するAAC(アジア・アフリカ会議)である。こちらは安倍晋三首相を始めとする29ヵ国の首脳、79ヵ国の代表が集ったので、日本でも広く報道された通りだ。
 もう一つは、AACの直前に、ジャカルタのシャングリラホテルで、WEF(世界経済フォーラム)の2015年アジア大会が開かれたのである。通称 「ダボス会議」と呼ばれるWEFの会議は、1月末にスイスのダボスで年次総会が開かれ、9月に中国で「夏のダボス」が開かれている。だがその他に、毎年春 にアジアの話題のスポットで、アジア大会を開いている。いはば「春のダボス」だ。
  今年の「春のダボス」は4月20日、21日に、ジャカルタで開催されたのだった。こちらにもASEAN諸国を中心に40ヵ国から700人余りの VIPが集い、アジアの未来について討議した。話題の中心は二つ---今年年末に控えたASEANの経済統合と、中国が発起人となって設立する AIIB(アジアインフラ投資銀行)だった。

 ■「インドネシアではこの15年で韓国の人口を超える中間層が誕生している」
「春のダボス」は、4月20日午前9時、「挑戦的なインドネシアの展望」と題したセッションで幕を開けた。 インドネシア最大の銀行グループMandiliのSadikin総裁(華人)、インドネシアとの経済一体化が進むシンガポールのMahbubani シンガポール国立大学李光耀公共政策学院長、インドネシア最大のイスラム教組織Nahdlatul UlamaのSahudi総書記、Burknerボス トン・コンサルティング・グループ会長らが討論を行った。
 司会は、インドネシア最大のニュース誌『Globe Asia Magazine』のKagda編集長である。 Kagda編集長:「インドネシアは2.5億人の人口を抱え、6.5%経済成長し、国民の45%が中間層で、昨秋には中間層の市民が、自分たちの代表としてジョコウィ大統領を選出した。その裏で、世界最悪の交通渋滞、産業の発展の遅れなど、問題も山積している」

Sadikin総裁:「インドネシアの特徴は、政治指導者の政策によって経済が大きく変化することだが、いまや 民間主導の経済発展システムが確立した。ピケティ教授の理論によれば社会の発展とともに格差は広がると言うが、インドネシアではこの15年で韓国の人口を超える中間層が誕生し、格差は縮まっている。アメリカ人は自分たちが一番進んでいると思っているが、女性大統領を輩出したわが国の方が一歩進んでいる (笑)」

Mahbubani教授:「インドやブラジルなど、多くの新興国の経済失速が見られる中、インドネシアは中国と並んで、世界で一番、将来が楽観できる新興国だ。その証拠に、この両国から貧困層が消えつつある。インドネシアは中国の影響がますます大きくなっているが、中国との関係は良好だ。中国の追い風を受けたインドネシアの経済発展がASEANの経済発展となり、ASEANの経済発展がアジアの発展を牽引する形だ」

Sahudi総書記:「世界人口の2割がイスラム教徒であり、インドネシアは世界最大のイスラム国家であることを忘れてはならない。その上、この国はシリア、イラク、イエメンのような混乱もないし、テロも起こらない。これはひとえに、政教分離が保たれているからだ。われわれの会員は500万人を超えるが、どの政党とも良好な関係を築いているし、仏教徒、キリスト教徒、ヒンズー教徒など他の宗教団体との関係も良好だ」

Brukner会長:「ジョコウィ大統領のこの就任半年間は、素晴らしい出来だ。このままインドネシアが発展すれば、中国、インドと並ぶ世界経済を牽引する『アジアのビッグ3』となるだろう。インドネシアの最大の特徴は、何事にもオープンだということだ。オープンさは発展の原動力ともなるが、時には自国経済の技術革新を阻害する要因ともなる」

  このセッションの後、Sadikin総裁に話を聞きに行ったら、私が日本人と知って次のように捲し立てた。 「日本とアメリカだけ、なぜAIIBに参加を表明しないのだ?特に日本は、同じアジアの国ではないか。日本は、皆で協力してアジアを発展させていこうという気がないのか?」
  Kagda編集長にも話を聞いた。 「中国が提起したAIIB構想は、全ASEANが大歓迎だ。なぜなら、ADB(アジア開発銀行)の寡占から来る弊害が、このところ顕著になってきているからだ。今後、ADBとAIIBがいい意味で競合すれば、それはインフラ整備を必要としているASEANにとってはベターな展開だ。
 今後のASEANの発展にとって、最も重要なのが中国と日本だ。中国はASEANのインフラ整備のために必要で、日本はASEANの製造業発展のために必要だ。だからASEANは日中の対立は望まない」

■「インドネシアは、中国と日本を両手に掴んで発展していきたい」
続いて、「新たなアジアの市民」と題したセッションが開かれた。参加したのは、次期インドネシア大統領の呼び声も高い45歳のBaswedan教育文化相、マレーシアQIグループのEswaran総裁、シンガポールRGEグループのTanoto総裁、フィリピン・イスラム民主センターの Bernardo所長だった。司会は、インドネシア『Tempo』紙のIsmartono発行人である。

Ismartono発行人:「われわれはいま、12月にASEAN経済共同体が発足する日を心待ちにしている。 これは言ってみれば、東南アジアにおける『デジタル民主主義』の時代だ。インターネットで10ヵ国を連結し、国家のアイデンティティとASEAN全体のアイデンティティのバランスを取っていく壮大な試みだ」

Bernardo所長:「私はASEAN経済統合のキャッチフレーズは、『信仰と民主主義』と捉えている。 ASEANは世界最大のイスラム地域となるが、そうかといって他宗教を迫害してはならない。そのためには政教分離が大事だ。多様性を持った社会に寛容になることこそが、ASEANを中東のように混乱させないための秘訣だ」

Baswedan教育文化相:「インドネシアは、1930年代まで700も言語があったが、共通語運動を進めた おかげで、一致団結して独立を果たせた。私は今回のASEAN経済統合の共通言語は、『ASEAN人としての市民関与』だと思う。つまり私はジャワ島人であり、インドネシア人であり、ASEAN人であるという意識を持つことだ。すでにこうした市民関与の象徴的人物であるジョコウィが大統領になった。われわれは今後、永遠にASEAN人なのだ」

Tanoto総裁:「その意見に賛成だ。昨秋のインドネシア大統領選で一番感動したのは、過去最大の投票率となったことで、政治への市民関与はかなり浸透してきた。だがその一方で、いまだに1.2億人のインドネシア国民は貧しい農村に住み、これはタイ、マレーシア、ラオスの人口の合計より多い。シンガポールとインドネシアの経済は一体化が進んでいるので、われわれシンガポール人としても、インドネシアの農村問題が他人事ではない」

Eswaran総裁:「ASEANは今年年末に突然、経済統合を果たすのではなく、これまで半世紀近くにわたって、参加国同士の関係を熟成させてきた。例えばわれわれマレーシア人は12歳までに3言語を話す多様性ある国民で、経済統合の心の準備はできている。ただ、インターネット革命が市民の参加を促進するのは事実だが、そのことによってイスラム国のような過激派組織が発展したことも教訓としなければならない」

このセッションの後、著名な経済学者でもあるBaswedan教育文化相に、アジアの未来について話を聞いた。
  「私はASEAN、中国、日本が、近未来のアジアの『3つの核』になっていくと見ている。それなのに、この『3つの核』は、相互対話が少なすぎるのが問題だ。例えば、私は1990年代に、『日本経済の栄光と挫折』を研究テーマに上智大学に短期留学したので、日本人のことは少しは分かっているつもりだが、ASEANで日本のことを理解している指導者は少ない。ASEANの指導者と習近平主席、安倍首相が、EU首脳のように毎月会うくらいのことがあってよいではないか。
 それから、私は安倍首相が唱える『未来志向』は正しいと思っている。やはり上智大学時代だが、同じ留学生の韓国人が過去の話ばかりして日本を非難 するので呆れてしまった。そんなことを言い出したら、わが国も含めてアジア諸国はほとんどが欧米列強の植民地だった。わが国はその後、日本軍にも支配されたが、そんな過去はすべて水に流した。アジアの国々は、未来志向で進んでいくべきだ」

インドネシアを代表するインテリの一人であるIsmartono発行人にも聞いた。 「ジョコウィ大統領が思い描くインドネシアの未来像は、中国と日本を両手に掴んで発展していきたいということだ。そのため、日本の窓口がADB(アジア開発銀行)なら、もう一つの中国の窓口であるAIIBが必要だ。AIIBは、アジアにおける時代の要請とも言える」

■「15年でEUを追い越し、その次の15年でアメリカを追い越そう」
午後は、「ASEAN連結の最後の行程」と題した英国BBCテレビと共同のセッションが行われた。参加したのは、Mohamedマレーシア産業貿易相、Fernandesエアアジア総裁、そしてフィリピンの大手投資会社SMのCoson副会長である。

Mohamed大臣:「われわれASEAN諸国は、これまで48年も苦楽を共にしてきたので、互いのことを十分、知り尽くしている。マレーシアは今年のASEAN議長国として、あと半年ほど先に迫った経済統合の最終プロセスを進めているところだ。関税に関しては、ほぼ各国の批准が終わっていて、残り10%くらいまで来た。透明性を高めるという原則に基づいて、人口6.2億人の村を作る。まずは権限の強い ASEAN事務局を作り、共通のルールをどんどん定めていきたい」

Fernandes総裁:「私は航空機でASEAN10ヵ国を繋ぐ仕事をしているが、これまでは空港の通関システムが、どの国も異なっていた。これが一つのシステムになるだけで、ASEAN域内の貿易が一気に拡大するだろう。経済の統合によって、ASEAN独自の文化も生まれてくるに違いない。
 もう一つは、今後のASEANにとって最も重要な中国人とインド人を、いかにして受け入れるかという問題だ。現状では中国人とインド人は、 ASEANのすべての国で別個のビザが必要だが、1ヵ国のビザで10ヵ国を回れるよう、早急に改善すべきだ。こうしたことは、IT技術の進歩が助けになる」

Coson副会長:「今年の年末は、ASEANの意識が変わり始めるスタートだ。各国が国境を互いに開放し、自由な人の往来を進めることが、次のステップになる。幸い現在のASEANのミレニアム世代は、完全なデジタル世代で、ASEANの国境など、無きに等しいと考えている」

Mohamed大臣:「その通りだ。まずは医者や建築家など、7種類の職業に関して、移動を自由にする。すでに マレーシアはASEANの労働者の研修所となり、タイにはミャンマーから大量の労働者が出稼ぎに来ているが、今後は労働者の往来も自由にして、ASEAN 全体で、最適の構造を作れるようにしていきたい。
 EUのような統一通貨に関しては、ASEANではまだ議論にもなっていない。10ヵ国の経済力に、あまりに差があるからだ。具体的には、先進国の シンガポールとブルネイ、中進国のインドネシア、マレーシア、タイ、フィリピン、そして後進国のベトナム、カンボジア、ラオス、ミャンマーだ。この10ヵ国の経済力が、ある程度近づいて初めて、統一通貨を持てるようになる。
 だがわれわれは、2016年から統合のペースを上げ、政治、経済、社会・文化の3分野の統合を、同時に進めていく。これからのライバルは、中国とインドだ。中国とインドは30年前、何もなかった。日本は30年前、輝いていたが、いまは落ちぶれた。つまり変化が激しいのがアジアの特徴なわけで、30 年後のASEANも、大いにチャンスがあると言えるのだ。
 何といっても、ASEANには若い人材が溢れているのが強みだ。われわれは『ASEAN人』という意識を持って、15年でEUを追い越し、その次の15年でアメリカを追い越そうではないか」

親中派として知られるマレーシアのMohamed大臣に安倍政権の外交について聞いたら、顔を曇らせた。 「日本はとにかくアメリカが大事で、安倍首相が向いているのはアメリカだ。だから今月再び訪米するのだろう。一方の中国は、われわれときちんと向き合ってくれる存在だ」

 ■「私は必ず、この地に利益をもたらす」
夕刻、今回の主催者であるジョコウィ・インドネシア大統領が登壇した。オシャレな紅いネクタイを締めたジョコウィ大統領は、40ヵ国700人余りのVIPを前に、流暢な英語で演説した。会場のスクリーンにその都度、説明の映像が流されるという斬新な手法だった。
  「私は先日、東京と北京を訪問した。最初に訪れた東京では、安倍晋三首相が『日本は変わった』と豪語し、次に訪れた北京でも、習近平主席が『中国は変わった』と述べた。私も日中両首脳に、『インドネシアも変わった』と自信を持って述べた。
 振り返れば、1970年代のインドネシアは、ただのアジアの石油基地だった。それが1980年代に石油危機に見舞われ、1990年代にはアジア通貨危機に見舞われた。でもいまや、私のような庶民が大統領に選ばれ、G20のメンバーとなり、ASEANの中心になっている。私は必ず、この地に利益をもたらす。Call me!」

  ジョコウィ大統領は演説を締めると、傍に置いてあった大きな銅鑼を叩いた。すると会場にいたインドネシア人たちが、一斉に歓声を挙げ、ジョコウィ大統領に向かって手を振った。すると、すっかり上機嫌の大統領が、壇上から聴衆のもとへ下りてきた。
 ジョコウィ大統領は、「インドネシアのオバマ」というニックネームだが、間近で見ると、本当によく似ていた。そして大統領に就任してちょうど半年が過ぎたが、オバマ大統領が当選して間もない頃のような熱狂的人気を誇っている。 ジョコウィ大統領が、私の目の前を通った。私が「日本から来ました」と話しかけたら、ニッコリ微笑んで、私の手をしっかり掴んで握手してきた。包容力のある、柔らかくて温かい手だった。 〈後編につづく〉≫


≪ 落ちぶれた日本をよそに、日進月歩で変わりゆくアジアの姿~2015
  「春のダボス」レポート〈後編〉


 ■「既存のADB(アジア開発銀行)は、需要に全然追いついていない」
翌21日の議論は、中国が提起してまもなく発足するAIIB(アジアインフラ投資銀行)に集中した。 まずは、午前中に行われた「アジアのインフラ整備を促進する」というセッションだ。親中派を自認するタイのAkrasaneeエネルギー大臣と、日本を代表するインフラ企業の日立製作所の田辺靖雄副社長が、インドネシアMetroTVの司会者Anwar氏を挟んで、激突する形となった。

Anwar氏:「インドネシアの大統領に就任したジョコウィは、『とにかくインフラ整備を急げ』と、口を酸っぱくして政府の各部署に唱えている。実際、アジアは今後5年間で、8兆ドルものインフラ整備を必要としているが、日本が主導する既存のADB(アジア開発銀行)は、需要に全然追いついていない。そこで中国が、スピードアップを掲げて、AIIBを作ると宣言した」

Akrasanee大臣:「2003年のタイは、いまのインドネシアと同様、多くのインフラ整備を必要としていたが、資金調達に限界があり、涙を呑む事業も多々あった。いまや中国がAIIBを設立して、われわれを助けてくれるという。これをわれわれは、大、大、大歓迎する! カネに色はついていないのだ。これまで中国はアメリカ国債ばかり買っていて、何をやっているのかと思っていたが、ついにアジアを振り向いてくれた」

田辺副社長:「インフラというのは、作って終わりではなくて、総合的な生活サイクルで見ないといけない。つまり、定期的な点検や補修も必要なのだ。そのためには、細かいデータ分析など、非常に高い技術を要求される。われわれはポーランド政府の依頼で、あるビルの プロジェクトを請け負ったが、ポーランド政府も最新の技術を要求してきた」

Anwar氏:「確かに日本の技術は世界一かもしれないが、現実としてアジアには大きな需要がある。そんな中、世界は紛争ばかりやっているというのに、中国が平和な建設をしましょうと名乗り出たわけだ。当然ながらアジアは歓迎する」

Akrasanee大臣:「その通りだ。10年前だったら、AIIBは必要なかった。だがいまや、アジア全体が必要としているのだ。それにもかかわらず、ADBは・・・。いや、ADBについてはノーコメントだ。ここがどんな機関であるかは、私が言わなくても、アジアの人々は誰もが分かっているだろうから(笑)」

Anwar氏:「つまりADBは、決定が遅いということだろう。アメリカと日本が主導する自由貿易システムであるTPP(環太平洋パートナーシップ協定)の交渉を見ていても、それは分かる。主要メンバーであるアメリカと日本は、もう2年以上も頻繁に交渉を続けているのに、まだまとまらない。それで残りの10ヵ国はイライラしている。この頃は、TPPとはToo postpone(あまりに遅すぎる)の略称だというジョークも生まれているほどだ(笑)」

田辺副社長:「確かにスピードは遅いかもしれないが、これまでの日本企業の実績をみてもらえば分かるが、非常にきちんと仕事をしている。それにインフラというのは、作って終わりではなくて、長期にわたって残り続けるものだ。もっと長期的な視点で考えるべきだ」

Anwar氏:「日本企業の技術やサービスのレベルが高いことは、誰もが認めている。ただ中国企業は安く請け負ってくれ、おまけにバックに強い中国政府がついているので、アジアで人気を博しているのだ」

Akrasanee大臣:「いま強い政府という発言が出たが、アジアの国々というのは、欧米の国々と違って、政府が強大な権限を持っている。そして常に、政治の民主化との妥協を探りながら、物事を進めている。中国はこうしたアジアの国の心情を、よく理解している」

田辺副社長:「日立もこれまで、中国とはこれまで多くの共同事業を展開してきた。日中共同で電車の車両を作ったりもしている。日本企業は必ずしも、中国とライバルというわけではない」

Akrasanee大臣:「ではなぜ、アジアで日本だけAIIBに参加しないのだ?」

田辺副社長:「それは私ではなくて、安倍首相に聞いてほしい(笑)」 以上である。

熱い議論を終えたAkrasanee大臣に話を聞きに行ったら、興奮冷めやらぬ様子で、再度捲くし立てた。 「さきほども言ったが、なぜ日本だけAIIBに参加しない? アジアは皆、友達ではないのか? 日本は友達が困っている時に、助けてやろうとしないのか? 日本へ帰ったら、安倍首相にそう伝えておいてくれ!」

 ■「アジアの国々はどこも、日本と中国の狭間で生きている」
この日のランチは、カンボジアのフンセン首相が主催するカンボジア料理だった。華人であるフンセン首相も、ランチの席でのスピーチで、AIIBについて言及した。

「カンボジアはAIIBの設立を歓迎し、設立メンバーに加わる。思えば(自分がクーデターを起こした時の)1997年のプノンペンには、ビル一つ建っていなかった。それがいまや、朝夕には交通渋滞が起こり、若者たちはコーラを飲んでいる。そんな時代に、ADBを補う形でのAIIBは必要なのだ」

フンセン首相にも話を聞いてみたかったが、3人の屈強なボディガードが周囲を固めていて、近寄ることはできなかった。

私は、ランチで隣席に座ったモンゴルのPurevsuren外務大臣に、日本と中国の存在について聞いてみた。 「アジアの国々はどこも、アジアの2大国である日本と中国の狭間で生きている。そして日本と中国のどちらとも、友好関係を深めていきたいと願っている。私がいま思い描いているのは、日中両国と大変緊密な関係にあるモンゴルが媒介者となって、両大国の関係改善に寄与したいということだ。日中関係が良好になれば、それはモンゴルの国益にも合致するからだ」

 ■「ASEANは、『世界の工場』から『世界の市場』へと変貌を遂げる」
午後に、2日間の議論を総括する「ASEANの世界への衝撃」と題したセッションが開かれた。インドネシアのBrodudjone財務大臣、フィリピンのPurisima財務大臣、シンガポールに本部を置く世界第2位のEMSフレクトロニクスのBingham会長、ミャンマーの大富豪の華人・潘継沢 SPA会長だった。

Brodudjone財務大臣:「すでにインドネシア最大の輸出先と輸入先は、中国でも日本でもなく、ASEANがトップになった。これからのASEANの課題は、第3次産業を発展させていくことだ」

Purisima財務大臣:「ASEAN全体で見ても、2013年以降、ASEANの域内貿易額は、ASEAN と中国の貿易額を抜いた。今後、ASEANが11の産業について自由化すれば、ASEANの域内貿易はさらに発展する。ASEANは、『世界の工場』から 『世界の市場』へと変貌を遂げるのだ。
 そうは言っても、EUの域内貿易は6割に達するが、ASEANはまだ2割にすぎない。また、ASEANにはEUにおけるドイツのように、核になる国がない。だがわれわれもEUの市民のように、早く『ASEAN市民』と認識すべきで、そうしてこそ初めて、アジアの2大市場である中国とインドに対抗できるようになる」

潘継沢会長:「たしかに『ASEAN市民』というのは良い概念だ。インターネット人口はASEAN人口の3分の1を超えたし、Facebookの利用者はアメリカに次いで多い。こうしたことは『ASEAN市民』育成の武器となる。  だが先日、ある調査会社がASEANの人々を調査したら、8割の人間が、AEC(ASEAN経済共同体)について知らないという結果が出た。もっとAECについて覚醒させていかないといけない。ミャンマーは今年11月の第一週に選挙を実施し、ASEAN統合に入っていく決意を見せる」

Bingham会長:「ASEAN域内で、ルールと規格を統一することも大事だ。これらが共通になれば、世界中の企業のASEANを見る目が変わり、ASEANに進出してくる。残念ながらいまのASEANは、世界から『契約通りの規格と期日に製品を納品できない地域』と見られている。
 私は、ASEANが『第2の中国』になれるかは、部品産業の育成にかかっていると思う。なぜ賃金上昇が続く中国から世界の企業が撤退しないかと言えば、どんな完成品でも中国国内の部品を使ってできてしまうため、トータルで見るとまだまだ安上がりなのだ」

Brodudjone財務大臣:「その通りだ。だからASEANの経済統合によって、10ヵ国のうちどこかの国で部品調達ができれば、ASEANは『第2の中国』になれるわけだ。加えて、加工貿易も発展させるべきだ。ASEANは天然資源に恵まれているが、天然資源だけを輸出して先進国になった国はないからだ」 潘継沢会長:「確かに、いまのミャンマーの技術で自動車は作れないが、良質のゴムからタイヤを作るなど、部品なら作れる。10ヵ国で協力して、最高の『ASEAN車』を作ろうではないか。
 他にも、ASEANの経済統合によるミャンマーの恩恵は計り知れない。現在、300万人の労働者がタイに出稼ぎに出ているが、経済統合すればタイの工場はミャンマーに移転するだろうから、ミャンマー人労働者は晴れて帰国できる」

Purisima財務大臣:「現在、中国経済は減速し、日本は少子高齢化に苦しんでいる。そんな中、 ASEAN6億人の平均年齢は29歳で、われわれにチャンスが到来している。AIIBの設立も、ASEANにとってはビッグチャンスだ。われわれは超大国にはなれないかもしれないが、超大国の十字路として発展していくことは、十分可能だ」

Brodudjone財務大臣:「その通りだ。アメリカ、中国、日本という周辺の大国はいま、ASEANと、より深く関わりたいのだ。私はワシントン出張から帰ったばかりだが、アメリカもASEANの経済統合を注視している。中国がAIIBを持ち出してきたのも、 ASEAN重視の表れではないか。ASEANが賢く立ち振る舞えば、10年後には、アメリカ、EU、中国、日本、ASEANという世界5大地域になれるのだ」

 ■「日本がなぜAIIBにこれほど消極的なのかが理解できない」
中国と対抗しているフィリピンのPurisima財務大臣に、AIIBについて聞いたところ、次のように述べた。 「中国問題は、フィリピンも日本も乗り越えて行かねばならない問題だ。ADB本部はわが国にあるが、AIIBには積極的に参加する。それによって内部から中国に対して、ガバナンスをきちんとする、非政治的機関とする、ADBと相互補完的役割にする、といったことを求めていく」

潘継沢会長にも、AIIBについて聞いた。 「ミャンマーも当然、参加する。日本は今後とも、ASEAN地域においてインフラ整備に関わりたいのであれば、必ず入るべきだ。
 現在私は、日本企業とティラワ経済特区の開発プロジェクトを進めている。ティラワ経済特区に参入する日本企業は多く、三菱の企業だけで6社も取引している。ティラワが一段落したら、今度はミャンマー、日本、タイの3ヵ国でダウェー経済特区の開発を始める。ミャンマーではこれほど積極的な日本が、なぜAIIBにはこれほど消極的なのかが、理解できない」

インドネシアの大手華人系財閥RIPPOグループの御曹司であるRady氏にも聞いた。
「私は中国人の祖父がこちらで銀行を興して3代目だが、日本企業のことはものすごく信頼している。日本はASEANにとって、過去にものすごく重要な存在だったが、この先も重要な存在であり続けるはずだ。いまでもインドネシアでは日本企業の投資が一番で、信頼感も一番だ。
 中国は後からやってきて潤沢な資金にモノを言わせているが、まだ未知数で、必ずしも信頼があるとは言えない。だから中国がAIIBを作ると言っているが、日本も入って信頼性の高い組織にしてほしい」

 ■「私の仕事はあらゆるシナリオに備えて準備することだ」
他にも2日間で、多くの人の話を聞いた。例えば、アメリカはハリー・ハリス太平洋軍司令官を、この「春のダボス」に派遣した。ハリス司令官は次のように述べた。
「私は中国軍を敵とは思っていない。中国軍は化学兵器をシリアから除去することや、イエメンから外国人を脱出させることに貢献した。ハワイ沖で、わが軍と共同演習も行った。
 だが中国軍が、いま南シナ海でやっていることは、2002年に合意した『南シナ海行動宣言』(係争は平和的手段で解決するとした)から大きく逸脱している。中国軍は、多くの小型船を南シナ海に繰り出している。いまのところ大規模な軍事衝突には至っていないが、私の仕事はあらゆるシナリオに備えて準備することだ」
 なぜ世界経済フォーラムの大会にアメリカ軍の幹部が顔を出すのかと言えば、ハリス司令官自身は、「多くのASEANの各界指導者と交流するため」と謙遜気味に述べていた。要は直接間接の情報収集が目的だろう。
 これに対して日本はと言えば、ビジネス界や学界からのみの参加だった。わずか1㎞ほどの距離に、巨大な在インドネシア日本大使館とASEAN代表部があるのに、大使以下、一人の日本人外交官も来ないのである。2日間にわたって、ASEANの最高首脳たちが、ASEANの経済統合とAIIBについて、これほど多くの議論を行っているにもかかわらずである。
 こうした現状について、ある大手日本企業のアジア地区のトップを務める人物は、やや不安げな表情で、次のように述べた。
  「安倍政権は常にアメリカと行動を共にすることを政権の方針にしているので、アメリカがAIIBに参加しないとしている限り、日本だけが参加するわけにはいかないのだろう。日本政府は、『AIIBに日本が入らないことによる影響はまったくない』と、日本企業に説明している。『AIIBが行うのはファイナンスのみなので、日本企業が請け負ってインフラ事業を行うことは十分可能だ』という説明だ。
 だが本当にそうかどうかは分からない」 先週も書いたが、日本はアジアでの「過去の栄光」にあまりにもしがみつきすぎて、日進月歩で変わりゆくアジアの姿が見えていない。AIIB不参加は、その象徴的シーンと言えるだろう。いつのまにかアジアの主役の座を中国に奪われてしまったが、奪われたことにすら気づいていない。いまにインドも猛追してくるはずだ。 そのうちアジアは日本のことを、「20世紀には輝いていた老人国家」とみなすようになるのではなかろうか。そんな不安げな未来を感じた「春のダボス」だった。  ≫(現代ビジネス:ニッポンと世界―近藤大介の北京のランダム・ウォーカー)

ASEANは日本経済をどう変えるのか (NHK出版新書 434)
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●世界遺産 欧米追随の維新を美化、ちゃっかり長州松下村塾

2015年05月06日 | 日記
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●世界遺産 欧米追随の維新を美化、ちゃっかり長州松下村塾

長州の明治維新に貢献した記録を世界遺産にすべく、安倍官邸は何をしたのだろう。根本的に金をバラ撒き、世界に追認させる手法を取ってきている外交なのだから、迂回資金等々を含めて、どれだけの金が流出したのか、調べる方法がない。3年連続で、世界遺産に指定される国も珍しいが、何が目的なのか、筆者にはさっぱり判らない。NHKなどテレビ局は大々的に、指定されるであろう文化遺産と云うか、観光地に群がる「アメリカン・ジャパニーズ」の映像を流していた。

韓国は、あいも変わらぬ同じロジックで、世界遺産登録を勧告された「業革命遺産」の23施設のうち、7施設で韓国人は強制労働をさせられた、と怒り心頭で、全力で阻止運動を展開するそうだ。この抗議は、年中無休の韓国行事の様なものだから、別段、良いとも悪いとも、筆者は感じない。そんなことよりも、そもそも論として、明治維新が、本当に日本にとって正しいことであったかどうかが議論される事が優先されるべきだと思う。脱亜入欧が日本の正しい選択だと、「アメリカン・ジャパニーズ」は決めつけているようだが、本当にそうだったのか、その議論が、明治維新後の日本では抜け落ちている。

西郷隆盛、勝海舟らが目指した日本(江戸幕府)の大政奉還は、長州の田舎侍が考える攘夷とは異なるものだったと聞き及んでいる。おそらく、この時代にも、欧米のインテリジェンスと云う力が長州土佐薩摩の下級武士らの行動を、現在行われているCIAのNPO支援と操りと同様の行為がなされていた可能性は大いにある。或る意味で、現体制を転覆させる為にテロルを容認する吉田松陰の話に魘された(うなされた)下級武士どもが、いい思いをしたいと云う欲望で走り出しただけのことである。

明治維新の精神などは、明治、大正、昭和に権力構造の常に上位に位置した、長州人による歴史のねつ造だったことは、歴史学者らの手で、少しづつ掘り返されている。吉田松陰の教え子たちが、明治維新、明治の産業改革に並々ならぬ貢献をしたと云う“サクセスストーリー”は、日本の近現代文学史上も顔を出さない大衆小説家・司馬遼太郎(産経新聞記者)によって、ねつ造された史実だと認識している。明治時代になり西洋文明の輸入により、西洋の思想・文学の翻訳と紹介を中心とする啓蒙時代と云う誤りが、ことのすべてと考えている。この時、縄文・弥生文化はズタズタにされたのだろう。それを美化運動に引き上げたのが司馬遼太郎云う人物である。あまり、百田尚樹となんら変わらないのだが、ある時から、文豪の様な扱いを受けるようになった(笑)。日本が日本じゃなくなった改革?革命?が、どうして日本の精神の象徴になるのかサッパリ判らん。


≪ 世界文化遺産:「明治日本の産業革命遺産」に登録勧告
◇登録なら15件目 自然遺産も含めると国内19件目に
 日本が世界文化遺産に推薦していた「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」(福岡、長崎、静岡など8県)について、世界遺産への登録の可否を調査する諮問機関「国際記念物遺跡会議」(イコモス、本部・パリ)は4日、「登録が適当」と国連教育科学文化機関(ユネスコ)に勧告した。
 勧告は「西洋から非西洋国家に初めて産業化の伝播(でんぱ)が成功したことを示す」「1853年から1910年までのわずか50年余りという短期 間で急速な産業化が達成された段階を反映している」として普遍的価値があると評価した。6月にドイツのボンで開かれる第39回ユネスコ世界遺産委員会で正 式決定する。イコモスが登録を勧告した場合、世界遺産委員会でもそのまま認められる可能性が極めて高い。
 「産業革命遺産」が登録されれば、日本の世界文化遺産は昨年の「富岡製糸場と絹産業遺産群」(群馬県)に続き15件目、世界自然遺産も含めた世界遺産は国内19件目となる。
 産業革命遺産は、通称「軍艦島」で知られる「端島(はしま)炭坑」(長崎市)▽長州藩が西洋式帆船を造るために設置した「恵美須ケ鼻造船所跡」 (山口県萩市)▽薩摩藩が手がけた機械工場や反射炉の遺構で構成する「旧集成館」(鹿児島市)▽幕末に実際に稼働した反射炉で国内で唯一現存する「韮山 (にらやま)反射炉」(静岡県伊豆の国市)−−など、日本の近代工業化を支えた炭鉱、製鉄、造船などの23施設で構成される。
 このうち稼働中の施設(稼働資産)は、官営八幡製鉄所(北九州市)▽三菱長崎造船所(長崎市)▽橋野鉄鉱山・高炉跡(岩手県釜石市)▽三池港(福岡県大牟田市)−−など8カ所あり、日本の世界遺産候補では初めて入った。
 勧告は遺産の名称を「明治日本の産業革命遺産 製鉄・鉄鋼、造船、石炭産業」と変更するよう求めた。さらに、端島炭坑について優先順位を明確にし た保全措置の計画の策定▽各施設での来訪者の上限数の設定▽来訪施設の増設・新設の提案書の提出−−などを勧告した。イコモスは、各国から世界遺産に推薦された案件の価値を評価する専門家組織で、昨年9〜10月に産業革命遺産を現地調査した。
 今年の世界文化遺産登録を巡っては、政府内で、内閣官房が推薦する「産業革命遺産」と、文化庁推薦の「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」(長崎、熊本両県)が検討対象になった。推薦は各国で年1件のため菅義偉官房長官の「政治判断」で産業革命遺産が選ばれた。「長崎の教会群」は2016年の登録を目指している。【三木陽介】

 ◇イコモスの勧告のポイント ・名称を「明治日本の産業革命遺産 製鉄・鉄鋼、造船、石炭産業」に変更 ・一連の産業遺産群は西洋から非西洋国家に初めて産業化の波及が成功したことを示す ・一連の資産は1853年から1910年までのわずか50年あまりの短期間で急速な産業化が達成された幕末、明治前期、明治後期の三つの段階を反映している ・資産に対して考えられる脅威は訪問客、インフラの開発、一部資産の不十分な保全
 ◇世界遺産  ユネスコの世界遺産条約に基づき、文化遺産や自然遺産を人類全体の財産として保護する制度。昨年までに文化遺産779件、自然遺産197件、複合 遺産31件の計1007件が登録されている。各国の推薦案件は、イコモスの勧告を経てユネスコ世界遺産委員会で審議される。普遍的価値や保護管理体制があ ることが条件。勧告内容は(1)登録(2)情報照会(追加情報を提出して来年度以降に再審議)(3)登録延期(推薦書を再提出し、再来年度以降に再審議) (4)不登録(不適当。再推薦も不可)−−の4区分がある。近年は審査が厳しくなり、2014年度から文化遺産の推薦は各国1件に限定されている。 ≫(毎日新聞)

産業革命遺産と云うのが英国なら、何の抵抗もなく受け入れるが、猿真似文明の象徴が、世界遺産に登録されるなど、日本の恥である。富士山は自然だから良いとして、富岡製糸場、続いて明治の産業革命。どう考えても変だろう。挙句に、ちゃっかり松下村塾が含まれている。筆者のような考えの人間でなくても、変だと思うべきだ(笑)。“我田引水”の典型を見せられている事に、恥ずかしさを憶えるのが、日本文化だと思うのだが?

≪ 世界文化遺産:松下村塾など5件の萩市「維新150年へ」
◇登録勧告は「明治日本の産業革命遺産」  世界遺産への登録の可否を調査する諮問機関「国際記念物遺跡会議」(イコモス、本部・パリ)から4日、「登録が適当」と国連教育科学文化機関(ユ ネスコ)に勧告された「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」(福岡、長崎、静岡など8県)。構成資産のある自治体も喜びに沸いた。
 吉田松陰が主宰した私塾「松下村塾」など5件の構成資産がある山口県萩市。世界遺産登録勧告の連絡を受け、市役所に祝賀の横断幕を掲げる準備に取りかかった。
 野村興児(こうじ)市長は「登録を目指して関係機関や市民と協力してきた成果。市民とともに大変喜んでいる」と話した。萩市観光協会の松村孝明会長も「誘客に努め2018年の維新150年につなげたい」と期待した。
 「萩城下町」なども勧告に含まれており、イコモスの現地調査で説明をした萩博物館の道迫(どうさこ)真吾主任学芸員(42)は「松下村塾は産業化に貢献する人材を生み出し、城下町は産業化を進めた長州藩そのもの」と語った。 ≫(毎日新聞:川上敏文、田中理知)

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●日本政府は最低でも5回沖縄を売った 日本人はこれで良いのか?

2015年05月05日 | 日記
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●日本政府は最低でも5回沖縄を売った 日本人はこれで良いのか?

あくまで拙い筆者の記憶だが、日本政府は、沖縄(琉球)を4回は何処かに売り渡すか、裏切っている。「琉球処分」、「第二次大戦沖縄本島決戦」、「沖縄の米国占領承認」、「本土並み返還の密約」、「民意切り捨て辺野古基地建設強行」‥等。よく暴動が起きないものだと思う。そこが、琉球人の好さであり、付け込まれる面なのだろうが、今度の今度は戦い抜いて貰いたい。

昨日の報道ステーションでは、安倍政権の安保法制関連法案提出に対する、“ささやかな抵抗”として、特集「ひめゆり学徒隊と看護婦たちの“戦争”」を放送していた。早い話が、日本の軍隊は、米軍に攻め込まれ、土壇場になった軍人は、強制的に掻き集められた、沖縄師範学校女子部と 沖縄県立第一高等女学校、通称“ひめゆり学園”の学徒たちを「今から自由、どこでも好きな所へ行け」と命じただけだった。そして、彼女らは…。その部分は極めて曖昧に終わらせていた。

今の日本人には、含蓄で物事を解せよと言っても意味がない。だから、今後こう云う事が起きるかもしれませんよ?疑問符付で構わないが、その程度に政権批判する根性は皆無だった。謂わば、アリバイ作りの特集だった印象が強い。ゲストコメンテータの木村草太のコメントが理解出来る奴がどのくらい日本にいると思うのか?彼の論理をぐるぐる巻きにした解説は疲れる。半分、理解できない人もいるだろう。序でに言えば、イケメン低音の魅力と女性陣から騒がれているショーン K(本名: ショーン・マクアードル川上)と云うコメンテータに至っては、日本語能力が不足なので、話は長いは、意味は不明に至っては、話にならない。いっそ竹中平蔵の方がまだマシだ(笑)。

ああ、今夜は沖縄辺野古問題の話をするつもりだったが、時間が少なくなってきた。慌ててまとめるとしよう。以下は、辺野古基金の代表の一人にもなっている故菅原文太氏の奥さんの話だが、「現政権への不服従を示すため」と云う言葉は凄いね。文太も奥さんも哲学を感じながら生きてきた姿が目に浮かぶ。

≪沖縄は、もう少し早く終戦を決断していればあれほどの犠牲を払わずにすんだ。サンフランシスコ講和条約を結んだ後もアメリカの統治下に置かれ別扱いされ。これを差別と言わずに何というのでしょうか。≫(下記文中)だが、“ひめゆり学園”の女生徒たちも、明治神宮外苑競技場で「出陣学徒壮行会」(文部省主催、陸海軍省等の後援)死地に追いやられた若者、おそらく、今後はアメリカンの価値観のために、若者が同じ目に遭う可能性があるのだが、教養も感情も劣化した多くの日本人には、よほど噛み砕いて解説しないと通じない。

昨日の田原の言葉ではないが、朝日は尖がりがなくなり、読売化している。毎日の方が尖がっていると言っていたが、毎日も与党公明とから何か言われたらしく、まろみが出てきた(笑)。残されているのは、地方紙になりつつある。やはり、全国紙マスの付くものは、21世紀には生き残れないと云う事なのだろう。これからは地域紙の時代が来る。逆に言えば、地方のメディアから、地方主権と云う概念が派生的に生まれてくる可能性を感じた分だけ、救いはあるとしておこう。

筆者が良くチェックする地方紙。東京新聞、中日新聞、北海道新聞、沖縄タイムス、琉球新報、岩手日報、秋田魁新報、信濃毎日新聞、京都新聞、大阪日日新聞、中國新聞‥等だが、四国、九州地域には読みたい新聞がないが、筆者が見落としているのだろうか。それにしても、上記新聞社を含めての話だが、社説に辺野古基地を面と向かって取り上げている社説はなかった。沖縄県以外の地方紙は、沖縄米軍基地への言及は避けて通ろうとしているのが見え見えだ。こう云うところには、泣いた子を起したくないと云うか、触らぬ神に祟りなしと云う、日本人らしさが出ている。無論、「総括」出来ない、無責任体質と云う事だ。


 ≪ 菅原文太さんとは「同志的連帯」 妻が語る辺野古問題
 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の辺野古(同県名護市)移設を阻止するため4月に作られた「辺野古基金」に、全国から1億1900万円を超える寄付が 寄せられた。その共同代表の一人が、昨年11月に81歳で亡くなった俳優菅原文太さんの妻、文子(ふみこ)さん(73)。「現政権への不服従を示すため」 に代表を引き受けた思いと、文太さんと平和について語った日々を振り返った。 初めて辺野古に行ったのは約5年前です。以来、菅原と一緒に沖縄に行くたび足を運びました。白い砂浜に突き刺さる鉄条網に強い違和感を持ちました。
 昨年11月、菅原は沖縄県知事選で翁長雄志知事の応援演説をし、こう訴えました。  〈政治の役割は二つあります。一つは国民を飢えさせないこと、安全な食べ物を食べさせること。もう一つは、これが最も大事です。絶対に戦争をしないこと〉
 結婚生活47年。菅原とは「同志的連帯」みたいな感じで、仕事を選ぶ時も社会にとって良いことか、ということで選んできました。私が彼から教わっ たのはジャズとボクシングと格闘技の知識くらい(笑)。忙しい彼に代わり、新聞や本を読んで気づいたことを「いまこんな事が問題みたい」と伝えると、彼は 「おお、そうだな」と。そんなふうに2人でやってきました。
 県知事選応援は、菅原が自ら願い出たことでした。壇上では、彼が口述し、私が大きな字で書いたメモを持っていました。
 〈沖縄の風土も、本土の風土も、海も山も、空気も風も、すべて国家のものではありません。そこに住んでいる人たちのものです。勝手に他国へ売り飛ばさないでくれ〉
 沖縄の基地問題は、憲法や人権問題なのです。戦後70年間耐えてきて「もっと我慢しろ」と言う権利が誰にあるのでしょう。税金を払う者として、諸外国との同盟のために国民の生活を軽んじる政治姿勢に信託することは出来ません。
 晩年、菅原は、集団的自衛権の行使を容認する閣議決定をし、安保法制の整備を進める安倍政権の動きを心配していました。「子どものころの雰囲気に 似てきた」と。軍国主義時代に生まれ育ち、死ぬときも軍事国家に向かおうとする国で一生を終えるのか、と先行きを憂えていました。演説でも体験を語っています。  
〈私は小学校の頃、戦国少年でした。なんでゲートルを巻いて戦闘帽をかぶって竹やりを持たされたのか。今振り返ると本当に笑止千万です。あの雨の中、大勢の大事な大学生が戦地へ運ばれて、半数が帰って来なかった〉
 原発事故が解決していないのに原発を輸出したり、武器輸出三原則を撤廃したり。「日本を取り戻す」とは言うのに、沖縄に対しては冷たいまま。北風政権だと思えてなりません。
 私は敗戦の時、3歳でした。小学校の遠足では先生が戦争孤児に弁当を分けていましたね。同級生は「お父さんが戦死した」と話していた。ある日突然、今日のような世界が生まれたわけじゃないんです。  沖縄は、もう少し早く終戦を決断していればあれほどの犠牲を払わずにすんだ。サンフランシスコ講和条約を結んだ後もアメリカの統治下に置かれ別扱いされ。これを差別と言わずに何というのでしょうか。
 基金が集まれば、温かい心の「仁」と正しい行いの「義」のある使い道を、みんなで考えていきたいと思います。そろそろ日本全体で米軍基地の移転先について議論を盛り上げる時ではないでしょうか。(聞き手・今村優莉)

■辺野古基金、13日に初総会
 辺野古基金は、新基地の建設阻止を目的として、沖縄県議会の与党議員や経済関係者らが中心となり、4月9日に作られた。企業や市民などから県内外 問わず活動資金を募り、米国メディアに意見広告を出すことなどを検討している。今月13日に初総会を開き、基本計画を作る予定。
 1日現在、基金の共同代表には、沖縄県内のスーパーなどを展開する金秀グループの呉屋守将会長ら経済人のほか、元外務省主任分析官の佐藤優氏らも就任している。事務局は(098・943・6748)。  ≫(朝日新聞デジタル)

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●「総括」出来ない国 明治維新、一・二次大戦、琉球処分、原発事故

2015年05月04日 | 日記
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●「総括」出来ない国 明治維新、一・二次大戦、琉球処分、原発事故

見出しに書き切れなかったが、イラク戦争の参加したトンデモナイ誤りを、英国ですらしているのに、していない。これは民主主義国家では珍しいわけで、政治家は、誤ったら、選挙で落とされるだけだから、それで禊が済んだと解釈される。疑惑の渦中にある人物でも、選挙で当選すれば、禊は終わったなんて話にもなり、最終的に政治家も政党も、重大な過ちを犯しても、罪に問われることは滅多にない。この理屈は、多数決で意志を決めたのだから、責任があるとすれば、それは賛成票を投じた政治家全体に及ぶ。とどのつまり、誰も責任を取らなくて済むように出来ている。

それでは、現実に法案を作ったり、誘導したり、洗脳して、自らの省庁の権益に沿う方向で動いている官僚組織は責任を取るのかと言えば、立法府の陰に隠れて実体が見えないようになっており、且つ、人事異動と云う贖罪装置が働くので、官僚と云う人々も、過ちだらけの行動をしていても、立法府の作った法律に沿って、粛々と行政装置を動かしているだけですと、言い逃れることが可能だ。イカサマな戦争で、他国の大統領を殺害しても、ブッシュもチェイニーもラムズフェルドも、逮捕されたなんて話は聞いたことがない。北朝鮮や中国の役人は、命を張っている分、勇気がいるかもしれない(笑)。

マスメディアにしても、言論人や有識者にしても、またコメンテータにしても、政治や外交防衛関連の言動に誤りがあったとしても、刑務所にはいることもないし、懺悔する必要もない。上述の話は極端だが、民主主義と云うものは、そういう無責任体質を醸成するリスクが非常に多い。アダムスミスの資本論においても、この経済システムの胆は、「道徳」だと念を押しているが、民主主義が機能する「肝」も、「道徳」と同義な「熟議」が欠かせないと云うことになるだろう。つまり、日米韓などの国では、到底成立できない社会システムなのだなと、納得する。なにせ、立憲主義の意味すら知らない政治家が憲法改正なんて言い出すのだから、こちらの気がふれそうになる(笑)。

ドイツのメルケル首相が、ドイツの歴史家との対話を通じて、「われわれドイツ人はナチスの時代に引き起こしたことに対し大きな責任を負っている。歴史に終止符はない」、「思想や外見が異なる人間が、人種差別や過激派の危険にさらされるのは正常ではない」、「われわれドイツ人はナチスの時代に引き起こしたことに対し、注意深く、敏感に対処するという大きな責任を負っている。歴史に終止符はない」、「われわれが過ちを繰り返して、未来の世代が身動きが取れなくなってしまわないよう注意しなければならない」等と述べている。安倍への、当てこすり対談のように思えてきた(笑)。

特に最後の部分が印象的だ。“われわれが過ちを繰り返して、未来の世代が、身動き取れなくなってしまわないよう注意しなければならない”この言葉は印象的だ。口惜しいが、ドイツ人は日本人より数段歴史を重視しているし、道徳の心もあるようだ。おそらく、安倍晋三の歴史修正主義的な言動は、将来の日本人の言動を窮屈なものにしてしまうだろう。祖先に、自分の感情の趣くままの発露で大きなツケを回したことになる。日本人が価値観を語る時、明治以降の脱亜入欧価値からしか出発しない、驚くべき歴史観があり、多くの人が、それを異様だと思わないのだから、異様だろう(笑)。“みんなで渡れば怖くない”が唯一の価値観だとすれば、たしかに物事を「総括」する観念が欠落していると云う事だ。以下は、朝日新聞の「総括」をテーマにした田原総一朗と若宮啓文の対談だ。適度に事実関係の幾つかが判った。


≪ 田原総一朗×若宮啓文(朝日新聞元主筆)  憲法記念日スペシャル対談 前編
 ■「安倍叩きは朝日新聞の社是」発言の真実
 「安倍叩きは朝日新聞の社是」発言はしていません
田原: 今日は朝日新聞の主筆だった若宮啓文さんに来ていただきました。先日、若宮さんが僕のところに電話を掛けてきて、僕が百田尚樹さんと対談した『愛国論』という本があるんだけど、その中で百田尚樹さんの言っていることに非常に問題があるということをおっしゃった。 百田さんの発言で、「実は有名な話ですが、亡くなった政治評論家の三宅久之さんが朝日新聞の若宮啓文論説主幹に『なぜ安倍晋三をいたずらに叩くん だ、いいところもあるんだからそこも認めるような報道をしたらどうだ』と言ったら、『できない。社是だから』と言った。そんな姿勢を見ると客観的な報道を逸脱しているんじゃないかと思う。安倍さん叩きが社是ならば先に結論ありきの報道だ」というようなことを言っているんですね。 これについて若宮さんは、「それは事実ではない。自分は『社是だから安倍晋三を叩く』なんて言ったことはない」とおっしゃっています。

若宮: この 発言の出典は小川榮太郎さんの『約束の日』という本で、その1ページ目に今の話が出てくるんです。だから百田さんはそれを信じてそう言ったんだと思います。ただ、小川さんがずるいのは、その本で「これは本人に確認していない」と書いているんですよ。しかし、「確認するまでもない」というような言い方で断定しているんですね。

田原: そこを聞きたい。若宮さんは三宅さんがそう言ったということで、「冗談じゃない」と三宅さんに抗議したんですか?

若宮: 驚いて電話しましたよ。そうしたら、三宅さんは「いや、たしかにそう言ったよ」と。だったらどこで言ったのかと聞いたら、「記憶がない、どこかで立ち話で言ったんじゃないか」とそういう話だったんです。 だから「いや、それは三宅さんの勘違いですよ。そもそも私は『社是』とか『国是』なんて言葉はあんまり好きじゃないし、どこかでそんなことを言うことなんてない。想像さえつかない」と。だから、本でその話を読んだときも本当に狐につままれたような気持ちだったんですよ。 ただ言った言わないの話は水掛論で終わってしまうでしょう。それで『約束の日』を出した幻冬舎に、まだ私が朝日新聞にいた頃の話なので、朝日新聞社 として厳重に抗議文を出したんです。そのときに「三宅さんが言っているように、朝日新聞が安倍さんのいいことを褒めずにすべて叩いたかどうか、事実で証明しましょう」ということで、いくつか私の論説主幹時代の社説をコピーしてそれをつけて出したんですよ。 そうすると、ハッキリわかったのは、少なくとも三つの社説で安倍政権を高く評価しているんですね。そういうこともあるから、もし社是だったら私は社是に反したということになるわけですよ。でも、そんなことはあり得ない。

田原: それに対して幻冬舎はどうしたんですか? 若宮: 幻冬舎は「次の版を出すときに少し変えます」ということでたしかに少し変えたんですが、私が否定したということは書いていなくて、何だか要領を得ないような直しをしていました。もうバカバカしいので、それ以上は言わなかった。今度は『愛国論』を出したKKベストセラーズに厳重抗議してあります。

 ■安倍首相も「社是発言」を国会答弁で引用
田原: 小川榮太郎氏も百田尚樹氏も、朝日新聞のことを面白くないと思っているんですよ。ハッキリ言うと朝日新聞は時の政権に厳しいですよね。安倍政権だけに限ったこと ではなくて、時の政権全体に厳しい。全国紙で言えば、朝日新聞と毎日新聞が今の政権に厳しくて、読売新聞と産経新聞は今の政権に優しいというか、支持して いるというのがハッキリカラーとしてありますよね。だから、小川氏にしても百田氏にしても、それが面白くないんだと思います。

若宮: それはそういうことでしょう。だからといって、事実かどうかをまったく確かめずに公の場所で言ったり書いたりしていいのかということなんですね。

田原: すでにもう、若宮さんが三宅さんにそう言ったということが「事実」として広まっているわけね。

若宮: 百田さんたちは慰安婦問題で吉田清治の証言を載せた朝日新聞を散々批判しているわけですよね。吉田証言を真に受けて、裏もとらずに載せてけしからんと言っているわけでしょう。だったら「若宮なら言いそうだ」とか「朝日新聞ならそんな社是がありそうだ」というだけで、安倍叩きが朝日新聞の社是だと若宮が言ったなんてことを堂々と広言するのはどうなのか。全くフェアじゃないということですよ。

田原: 三宅さんは公的に否定していないんでしょう?

若宮: 否定はしていないです。そのまま亡くなりました。だから、「三宅さんがそう言った」というなら仕方がない。それは言ったのは事実だからしょうがないんです。だけど、僕は全面否定しているわけだから「三宅さんがそう言った」というなら「若宮はこう言っている」というのを言わなければおかしいのですよ。

田原: 三宅さんはもう亡くなっちゃったからしょうがないんだけど、若宮さんが三宅さんに抗議したときに、三宅さんは「そんなことは言ってない」と否定はしなかったんでしょう?

若宮: 三宅さんは、「若宮さんは冗談のつもりだったのかもしれないが、小川君に言ったら、あんなふうに書くとは思わなかった。悪かったな」と言っていた。ご本人がそう思い込んでいるのだから、それ以上は仕方ないんですよ。それだけのことですよ。

田原: ハッキリしているのは、若宮さんが「社是」なんてことを言いっこないだろうってことなんですよね。だから僕は若宮さんが三宅さんに冗談半分で言ったのかな、と思ったんだけど、若宮さんのほうはそんなことを言ってないんですね?

若宮: いや、まったくそういう記憶はない。冗談でもそんなことを言うはずがない。

田原: じゃあ、三宅さんが勝手にそう思い込んで言っちゃったんだ?

若宮: だから、何かと混同したんじゃないですかね。別の人の言ったことと取り違えたのかもしれないですね。

田原: この話は、安倍晋三首相までが信じて引用しているんですね。

若宮: そうなんですよ。僕は安倍さんには間接的にだけど、「三宅さんがこう言ったとこの本に書かれているけれど、事実とは違いますし、こういうふうに抗議もしていますよ」と伝えたんですよ。

田原: 反応はありましたか?

若宮: いや、何もなかったです。それどころか国会の質疑でもこの話をしたので驚いた。私の固有名詞は出していないですが、安倍さんは答弁の中で「朝日新聞は幹部が 『安倍政権打倒は朝日の社是である』と言うような新聞ですから」と言ったのです。そのときに朝日新聞は紙面にも「それは違う」と載せているんですよ。社説にも書いたんです。 小川氏に書かれたのが一回限りですんだのなら、私もそんなにグズグズ言わないんですが、あちこちでこれが喧伝されて百田さんには「有名な話ですが」 とまで言われているわけですから、これはきちんとしておかないといけない。僕も「そんなことを言ったんですか」とよく聞かれるんですが、常識で考えてもそんなことがあるわけがないでしょう。

 ■なぜ朝日新聞は慰安婦問題で謝罪しなかったのか
田原: その話 はわかりました。それで、例の朝日新聞の吉田証言問題については、若宮さんはどうとらえてらっしゃるんですか? 朝日新聞は1982年に吉田清治さんの証言を初めて紙面に掲載して、1991年にそれを再び採り上げ、その後1997年3月31日に吉田証言についての検証特集をやったけど、そのときには自社の記事を訂正しなかった。それからまた後の2014年8月5日の特集記事で、過去の一連の吉田証言に関する記事をやっと取り消した。これが問題になって、結局当時の社長の木村伊量さんが辞めざるを得なくなったわけですが、これはどうとらえていますか?

若宮: 朝日新聞が1997年に慰安婦問題を検証したとき、吉田証言の問題についてはそれまでにもずいぶんいろいろ指摘を受けていたので、紙面で「吉田清治氏の証言については、その後確証がとれていない」と書いて軌道修正したんです。ただ、訂正とか取り消しまで至らなかったのが、あとに悔いを残しました。

田原: 問題なのは、1997年3月31日の時点では吉田清治さんはまだ存命中だったわけですが、当人がまだ生きているのに会いに行ってないでしょう。電話で取材を申し込んで断られたわけでしょう。でも新聞記者というのは、当然10回でも20回でも行って、やっぱり本人に会って直接取材しなければダメだと思いますよ。

若宮: だから私は、あのときの検証は非常に不十分だったと思います。それでも朝日新聞はあのときに修正はしているわけです。そして、その何年も前から吉田清治氏の証言は紙面で使っていないんですよ。さらにその1997年の検証のときに、「これは裏がとれていない」ということを認めたわけで、相当修正はしたわけです。 それは不十分だったということは間違いないけれど、30年以上も嘘を垂れ流したなどと言われるのは違う。

田原: 修正はしたけど謝罪はしなかったんだよね。

若宮: その時点では、取材が甘いと言われればそれまでなんですが、吉田清治氏本人も過去の著作について全面的に創作だったと認めていたわけではないでしょう。

田原: でも電話で聞いただけで本人に会ってないんでしょう?

若宮: 私は詳しいことは知らないけれど、電話取材なりその他の状況証拠なりによって、いくつかフィクションがあることは認めていたわけです。

田原: 僕は2014年の8月5日付の慰安婦問題検証記事で、当然朝日新聞が謝罪するものだと思っていたけどしなかったんですね。

若宮: だから私もあの紙面を見て「おや?」と思ったんです。「取り消します」と書いているのであれば「お詫びして取り消します」とあるべきだろう、一面の論説にもきちんと謝罪があるべきだろう、と思ったけどそれがなかった。おそらく、吉田証言の問題だけで慰安婦問題全体が否定されるということを、朝日新聞全体として危惧したんだろうと思いますよ。だから、その懸念が前面に出るあまり、自社の記事を取り消すのにきちんとお詫びをしなかった。これはやっぱり致命的な間違いだったと思いますね。

 ■1997年の「慰安婦報道」検証特集のときも・・・
田原:あの問題で世の中に朝日新聞バッシングが出てきた。元々朝日新聞が憎らしいと思っていた人もずいぶんいるわけで、朝日新聞をバッシングするのは間違いだと思うけれども、やっぱり朝日新聞にはもうちょっと筋を通してほしかったですね。

若宮:だから、私はもうOBだから紙面にタッチしていないので、同じような感想を持ちますよ。1997年の検証特集のときには政治部長の立場から「これでいいのか」と疑問を呈しましたが、それだけに終わってしまった。

田原:ちょっとお聞きしたいんですが、1997年の検証特集のときに、本来ならばあそこで吉田証言についての報道は間違っていたと認めて謝罪すべきだったと思うんですが、そうすべきだという論争はなかったんですか?

若宮:あのときにも議論はあったはずなんですけどね……。

田原:だったら、その議論を紙面に掲載すればよかったんじゃないですか?

若宮:今考えればいろいろ言えますが、あのときには、吉田証言は全面否定まではできないという主張も社内にあったんですよ。つまり、吉田さんの証言は不十分だったかもしれないけれども、ご本人は曖昧にして逃げていたわけですね。一方で、吉田証言を裏付ける証拠も出てこなかった。 しかし、完全になかったと証明するのも難しい……それが正しいというわけじゃないんですが、「実情に沿って修正していけばいいじゃないか」という意見があって、ああいうふうに収まっちゃったわけですね。

田原:でも、1992年の段階で秦郁彦さんが済州島に現地取材に赴いて、強制連行の事実はなかったということを書いているんですよね。そういう事実がある以上、本当だったら1992年の段階で朝日新聞は済州島に取材に行くべきだったと思う。

若宮:済州島には取材に行きましたよ。ただ、もっときちんと実情を書いていればよかったと思います。

田原:何ですかね。それが朝日新聞叩きに発展するのは、僕は違うと思うけれども、なんでそこのところで朝日は筋が通せなかったんですかね?

若宮:朝日は……というか、私なんかはそれほど深刻な認識がなかったんですね。正直言うと、吉田証言がそんなに大きく報道されていたという記憶もなかった。あれはほとんど大阪本社の発行する新聞に大きく出ていて、東京でも少しは出たけれども、私には吉田証言がこの問題の本質だという認識がまったくなかったんですよ。 いまも本質だとは思いませんが。 秦さんが現地取材しているんだから、朝日も徹底的にやればよかったと思うけれども、それはそんなに本質的な問題ではないという認識だったのです。な ぜなら、例えば河野談話は1993年8月に発表されたんだけれど、政府がこの談話を作る際にも吉田証言は信憑性が薄いということで、それを無視して作って いるわけですよ。朝日新聞としては、河野談話で明確になった慰安婦問題への軍の関与や、全体としての強制性が問題なのであって、吉田証言で言われたように暴力的に慰安婦を連行したことがこの問題の本質なのではない、と認識していたんですね。 だから、私も突出した吉田証言は取り消せるなら取り消せばよかったと思うけど、それは慰安婦問題における部分的な事象にすぎないと思っていた。だい いち朝日新聞が全社挙げて吉田証言を支持していたわけでも何でもない。コラムなどでは取り上げていたけれど、社説では吉田証言というのは一回も使っていないんですよ。 ところが、段々とそこに問題がフォーカスされてきて、むしろ慰安婦問題全体を「こんなものは何でもない」と言いたい人たちが吉田証言に目をつけて朝日をバッシングすると同時に、吉田証言がすべてをねじ曲げた元凶だというイメージを作り上げたんだと思うんですよ。

 ■朝日の上層部も「最大のライバル新聞」のような傾向に
田原:朝日新聞のライバルの勢力はそうしたいわけです。これは若宮さんには責任がないんだけど、2014年の8月5日にちゃんと謝罪しておけばそれでよかったのに、と思うんですよ。

若宮:あそこで謝罪とセットで、その上で「さはさりながら」ということで慰安婦問題の議論を展開していればそれでよかったわけですよ。ところが謝罪がなかったから、あんなことになってしまった。

田原:なんで謝罪を切っちゃったんですか?僕が参加した第三者委員会でヒアリングしたところによると、最初の段階ではちゃんと謝罪が入っていたんですよ。途中で謝罪を切っちゃったんです。

若宮:田原さんは第三者委員会で検証していたから、私よりもむしろ事情に詳しいと思いますが、第三者委員会の結論でも「謝罪しなかったのは上層部の判断だった」ということだったでしょう。だからそれは上が判断を間違えたんですよ。これを謝罪すると、今言ったように慰安婦問題全体が葬られてしまうのではないかと、そういうふうに思ったんでしょうね。 だけど、それは逆ですよ。間違えたところはきちんと謝っておけばこんなことにはなっていなかったわけです。しかも、池上彰さんが朝日新聞の連載コラ ムで「間違っていたのなら謝罪もすべきだ」と指摘したら、それを掲載拒否するということで、そこでもまた判断を間違えたわけですね。

田原:あのコラムについても、現場のデスクや編集局長も掲載するつもりだったのが、もっと上のほうからやめろと言ってきたというのがね(笑)。何でしょうね、それが朝日新聞の体質だとは言わないけれども、どこの新聞社でもそういうことがあるんですかね?

若宮:それ はもう、朝日のライバル社なんか、上の一言でどうにでもなるじゃないですか。最大のライバル社のあの新聞ですけどね(笑)。そういうのは、朝日新聞にはないはずだったんです。だから私がすごく残念なのは、段々そういう傾向が出てきたんじゃないかということなんです。もっとも朝日のトップはライバル社のトッ プほどの権力者じゃないんですよ、だから失敗したんで(笑)。 だけど、私が体質的にすごく危惧しているのは、かつての朝日新聞というのはもっと自由闊達な議論があって、上が何を言おうと「何を言ってるんだ」と反抗するような気風がもっとあったと思うんです。そういう気風が最近失われてきているのではないか、と。

田原:あえて言うなら、2014年の8月、9月の時期を経てから、ちょっと朝日の記事は生彩を欠いているんですよね。 後編に続く


≪田原総一朗×若宮啓文(朝日新聞元主筆) 憲法記念日スペシャル対談 後編
改憲、安保、総括…「誤解だらけの」朝日新聞

■問題提起として政権批判がなかったら危ない
田原:あえて言うなら、2014年の8月、9月の時期を経てから、ちょっと朝日の記事は生彩を欠いているんですよね。

若宮:それは私が見てもちょっとおとなしい感じがあると思うんですが、これだけバッシングされていて、しかも「安倍叩きは朝日の社是だ」なんてことを本当に言ったという話まで流布されていると、そういう誤解を与えたくない、ということになるわけですね。

田原:どっちかというと、毎日新聞のほうがとんがっているんですよ。だから、朝日ももうちょっととんがってくれなきゃ。

若宮:だから、田原さんにはそういうふうにもっと朝日の尻を叩いてほしんですよね。

田原:最近週刊朝日の連載ではしょっちゅう叩いているんだけど(笑)。やっぱり朝日らしい権力批判をバシッとやらなければいけないんだよね。読売新聞や産経新聞は今の安倍政権を支持する立場ですよね。権力をチェックするという立場で、そこは朝日新聞にもっと頑張ってほしい。

若宮:私も 今は朝日の人間ではないですし、発言力があるわけでも何でもないので、そういうのは田原さんに大いに言ってほしいんです。朝日的なものが主流であった時代には、その逆の言論が頑張る意味があったと思いますよ。だけど、今みたいに政権ベッタリ的な言論が多い中では、朝日、毎日、東京、中日のような新聞が頑張らないといけない。 批判がすべて正しいというわけではないですが、問題提起として政権批判がなかったら危ないと思うんですよね。それは田原さんだってまったく同じ意見 だと思うんです。百田さんとの対談を見ると、田原さんもずいぶん百田さんに合わせているなと感じるんですよ。少しは朝日を擁護しているところもありましたが。

田原:僕が百田さんと意見が違うのは、百田さんは朝日が国益を損ねたと言っているんだけど、僕は損ねていないと思う。国益ってのはそんなに簡単に損なわれるものじゃないし、そんなことを言っていたら、たとえば2013年の12月26日に安倍首相が靖国に参拝した、それでアメリカが「失望した」と表明した。あれこそ国益を損ねたんじゃないかと思うので、国益ってそういうものだと思うんですよ。

■安倍首相というのは歴史修正主義者じゃないか
若宮:だか ら慰安婦問題も吉田証言に限っていえば間違いだったけれども、だけど従軍慰安婦なんて問題でも何でもないんだと封じ込めることが国益に適うかといえば、逆ですよ。だから、よく朝日は「国益を考えていない」とか「愛国心がない」とか言われるけれども、もちろん私にも国を愛する気持ちはあるわけで。

田原:だって愛国心というのは、たとえば昭和16年、1941年に本当に愛国心を持っているなら、あの戦争に反対するべきだったわけですよね。負けるに決まっている戦争なんだから。あのときに戦争に反対したら監獄にぶち込まれたと思うけれども、それでも反対するのが愛国心というのはそういうものですよ。今たとえば集団的自衛権とか、あるいは来年おそらく憲法改正にいくと思うんですが、どういう改正をするのかというのは相当に、僕は今は大きな転機にきていると思うんです。

若宮:それに太鼓を叩いて乗っかっていいのか、とね。でも、田原さんも憲法改正にけっこう乗り気なようですし……。

田原:いや、 乗り気ではないですよ(笑)。僕はこれはハッキリ言っているし、安倍さんにも言ったことなんだけど、「憲法改正することに反対ではない、ただし九条一項は 絶対に守るべきだ」と。九条を改正するなら、二項に「自衛権ありで自衛隊を認める」と入れればいいので、一項を変えるのは絶対に反対です。「もし一項を変えるというのであれば、僕はあなたを徹底的に反対する」と安倍さんに言っているんですよ。

若宮:それは、彼らも九条一項を変えるなんて言いませんよ。憲法についてはいろいろな考え方があるから、私は一概に護憲が素晴らしいとか改憲はいけないとか言うつもりはないけれども、少なくとも九条をいじるなら、あるいは今の安全保障をいじるのであれば、旧日本軍や日本軍国主義がやったことをきちんと総括して、それを否定した上で新たな日本のありようとして提起するのでないと、諸外国がみんな不安に感じると思う。私もイヤです。

田原:たとえば、第二次安倍内閣ができたときに、ニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストが安倍内閣批判をやって、痛烈に批判しましたね。何故批判したかというと、もしかしたら安倍首相というのは歴史修正主義者じゃないか、東京裁判を否定するつもりじゃないかと、こういう疑いを今も持っていますね。そこはとても 大事な問題だと思います。

若宮:まったくそうだと思いますよ。私はイギリスのある人からも同じような話を聞きましたよ。その人は「日本は独立国なんだから自衛隊を新たに法的に位置付けて憲法を改正するというのならそれも一つの考え方でしょう。ただ、今見ていると昔の日本軍がやったことまで正当化するような空気があって、そういう中で憲法改正しようというなら、それは大変困ったことです」という危惧を抱いていたんですね。

田原:それはアメリカ、ヨーロッパも含めて非常にそこを心配していますね。 朝日はリベラルではあっても、左翼的路線ではなくなっている

若宮:慰安婦の問題でもそうなんですけれど、「日本の名誉を回復しなければならない」という議論があるじゃないですか。日本の名誉を回復するという議論なのに、戦前の日本の名誉を回復することばかり言っているわけですよ。 私は、戦前の日本の名誉を回復して今の日本の名誉が高められるのかというと、そうじゃないと思うんですよね。戦前をきちんと総括して、悪かったことは悪かったと明確に認めることが、今の日本の名誉を高めることになるわけです。

田原:その問題では、読売新聞のトップのあの人ですら「満州事変や日中戦争は侵略戦争だ、パリ条約違反だ」と言ってる。

若宮:そこはまったく一致しているんですよ。だからA級戦犯を合祀した靖国神社への参拝は許せないという点ではまったく同感でね、そこのところはいいんだけれども、なぜか従軍慰安婦問題になると、途端にすべて立場が変わってしまうのはちょっと残念です。

田原:そこで今こそ朝日新聞に頑張ってほしいと思っているところでね。

若宮:朝日新聞に対してはほかにも誤解があると思うのです。百田さんは典型だと思うんですが、何か未だにすごく左翼というか極左的なイメージで、たとえば田原さんとの対談でも百田さんが言っているけれども、「朝日は中国や韓国のことはまったく批判しない」と言っているんですが、とんでもないですよ。 最近の朝日は中国について「紅の党」という企画をやったりして、中国の政権の問題をずいぶんえぐっているのが朝日新聞です。韓国や中国に対しては、 もちろん日本の単純な嫌韓やら反中については批判するけれども、中国や韓国にも問題があるということしばしば指摘していますし、私自身も相当苦言を呈していますよ。

田原:ちょっと朝日新聞批判をすると、やっぱり文化革命が失敗に終わったとわかっていながら、ずいぶん長い間朝日新聞は文化革命を肯定していたんですよね(笑)。

若宮:それは田原さんの記憶には鮮明なんだと思いますし、私だって「ずいぶん間違ったことをしているな」と思った記憶はありますよ。でも、それはもう随分昔の話。今の報道はその連続上にはまったくないわけですから、そこを見てほしいと思います。安全保障の問題だって、私が論説主幹の時代に有事法制賛成に踏み切っているんですよ。 朝日新聞は有事法制にそれまで伝統的に反対だったんですが、10年以上も前に変えました。PKOも自衛隊の別組織をつくってやれという主張から、自衛隊の任務として位置付けろと変えているわけですよ。そのとき、とくに共産党とか当時の社会党もそうしたことに反対だったわけで、だから朝日はリベラルではあっても、左翼的路線ではなくなっているんですよ。だから、もちろん左の人たちからは叩かれもした。もっとも朝日新聞というのは一枚岩じゃないから、仮にそういう路線を打ち出しても、紙面が統一されていたわけではないですがね。

 ■読売も産経もイラク戦争報道では誤報の垂れ流し
田原:そこはちょっと聞きたい。さっきも1997年の段階で若宮さんたちは「もっとちゃんと総括をしろ」という意見だったが、社会部を中心とする検証班の意見はそうじゃなかった、という話があった。そういうときに論争をしないんですか、朝日は?

若宮:いや、検証チームの現場ではしたと思うんですが、上のほうでは論争まではしてはいないですよね。 田原:そういう論争をしない? 若宮:議論はしたけれども、あのときは検証チームでの結論が優先されてしまったんでしょうね。僕は少し何か言いましたが、チームの結論ということで、あまり議論にならずに終わってしまった。いまになると僕も大いに反省するしかない。

田原:新聞社ってそういう論争はしないんですかね?

若宮:いや、もちろんよくしますよ。論説委員室なんかは社説をめぐって毎日議論をやるわけだから。大論争になるときもありますよ。もう一つ言いたいのは……せっかくの機会なのでライバル会社にも触れますけどね(笑)、朝日の吉田証言問題ばかり責められるけれど、じゃあ読売新聞や産経新聞は、イラク戦争をどう評価したのか。あれだけ「正義の闘い」だと讃えておきながら、それを総括したのか、間違いだったと認めたのか、と言いたいのです。

田原:アメリカのメディアですら総括しているんですよね。

若宮:アメリカのメディアは「イラク戦争は間違いだった」と総括したり反省したりしていますよ。だけど、読売、産経新聞は、あれを「正義の闘い」と評価したことについて総括しているのか。

田原:朝日新聞はどうなの?イラク戦争の報道について総括したの? 若宮:総括よりも何よりも、当初から「これは間違った戦争だ」と言い続けていたんです。開戦の日には私が一面に「世界を誤らせた日として歴史に残るのではないか」とまで書きました。いま、「イスラム国」ができるなど大混乱のきっかけになったのはイラク戦争だったと言われていますよね。 ところが、米軍が侵攻して割と早い時点でバグダダッドが陥落したとき、読売新聞は「正義の闘いの正しさが証明された」と大きく社説で書いているんで す。産経新聞も開戦を支持し続けた。それはその時々の判断だから、間違えることだってありますよ。それは仕方ないとしても、メディア、とくに新聞はその判断がどうだったかをきちんと総括しなければダメですよ。私に言わせれば、あれこそ「誤報」の垂れ流しだったのではないか。

田原:もう一つ、アメリカ政府ですらイラク戦争を総括しているんだけど、日本政府は総括していない。これはなんでですか?そこを朝日は衝くべきだと思う。太平洋戦争の総括もしていない、イラク戦争の総括もしていないんですよ。

若宮:これはね、実は民主党政権の時代にやろうとした節はあるんです。ところが、私の聞いた話では、生ぬるい総括みたいなものが外務省のペースで出てきて、結局総括できずに政権が終わっちゃったんですね。

田原:何だかこの国は、過去の総括というものをしない国だというイメージになってしまっていますよね。

 ■安全保障法制や改憲に熱心な人たちは、イラク戦争に賛成だった
若宮:今、安全保障法制や改憲について熱心な人たちは、ほとんどイラク戦争に賛成だったわけですよね。少なくとも反対しなかった人たちでしょう。それはおかしいと思うんですよね。

田原:今のアメリカ大統領はイラク戦争に反対したんだよね。

若宮:危惧するのは、第2のイラク戦争のような事態が起こった場合に、自衛隊がそれに引きずり込まれるんじゃないかということです。あのときは九条があったから、辛うじてイラク南部のサマーワの宿営地周辺で人道復興支援だけに限定されていたわけだし、小泉さんは「一発も銃弾を撃たずに帰って来た」と胸を張ったんだけど、それは九条があったお陰じゃないですか。 その歯止めがなくなったら、他国の戦争に付き合う可能性がものすごく高くなるわけですよ。それでもいいんだというのなら、それは一つの判断ですよ。 とことんアメリカについていくというのなら、それも一つの判断かもしれないけれども、そういう正直な議論をしていないじゃないですか。

田原:今問題 なのは、本当ならば集団的自衛権の議論を自民党内でやるべきなんです。昔は自民党内に必ず反主流派というのがあったんです。田中角栄さんのときにも、中曽根康弘さんのときにも。今は反主流というのがいなくなったんです。今はやっと自民党の反主流派の役割を公明党がやっているわけですね。

若宮:反主流までいってないですが、非主流としての位置付けですよね。

田原:自民党というのは昔は総合デパートといわれていて、多様性があっていろいろな意見があったんだけど、今はないんですよ。それはとても危険なんですよ。だからマスコミがしっかりしなければいけないんです。

若宮:そう思いますが、そのマスコミが今のような状況だとね。田原さんにも頑張ってほしいと思いますね。

田原:そうは言ってもこの歳だからね(笑)。年寄りの冷や水ですよ。

若宮:朝日新聞にも少しネジを巻いていただきたいんですけどね。

田原:盛んに巻いているんだけどね。

若宮:そうかなぁ、半分水を掛けているようなところもあるような気がするんですが(笑)。

田原:僕が批判したのは、「たまには朝日新聞も提案をしろ」ということでね。

若宮:それも誤解があります。例えば、僕が論説主幹の頃、憲法60年の特集として「日本の新戦略」と名づけて提案もたくさんしましたよ。社説を一度に21本も出したりしてね。評価はいろいろかもしれないですが、そこで日本は「地球貢献国家になれ」と打ち出した。非軍事の貢献を中心にし、九条は変えないけれど、それに代わる平和安全保障基本法というものを作って自衛隊をきちんと法的に位置付けろとか、PKOも少し拡充していいんじゃないか、というような意見まで出しているんですよ。 私のあとも、福島原発の悲劇を受けて「脱原発」にかじを切れと、大々的な社説を展開しています。このごろそういう思い切った提案が見られないのは確かに残念だと思いますが、「朝日は提案しない」なんて間違っていますよ。

*若宮 啓文(わかみや よしぶみ) (公)日本国際交流センター・シニアフェロー。 1948年生まれ。東京大学法学部卒業、朝日新聞政治部長、論説主幹、主筆を経て、現職。その間、ブルッキングス研究所客員研究員、慶應義塾大学・龍谷大学・韓国東西大学の客員教授・ソウル大学日本研究所研究員を歴任。日韓フォーラム幹事。 主要著作に、『戦後70年 保守のアジア観 』(朝 日新聞出版、2014年)、『新聞記者―現代史を記録する』(ちくまプリマー新書、2013年)、『闘う社説―朝日新聞論説委員室2000日の記 録』(講談社、2008年)、『韓国と日本国』(共著、朝日新聞社、2004年)、『忘れられない国会論戦―再軍備から公害問題まで』(中公新書、 1994年)、など。『日韓の未来をつくる 韓国知識人との対話』(若宮啓文著・慶應義塾大学出版会刊)が5月23日発売予定

*田原総一朗(たはら・そういちろう) 1934年、滋賀県生まれ。60年、早稲田大学卒業後、岩波映画製作所に入社。64年、東京12チャンネル(現テレビ東京)に開局とともに入社。77年に フリーに。テレビ朝日系『朝まで生テレビ!』『サンデープロジェクト』でテレビジャーナリズムの新しい地平を拓く。98年、戦後の放送ジャーナリスト1人 を選ぶ城戸又一賞を受賞。現在、早稲田大学特命教授として大学院で講義をするほか、「大隈塾」塾頭も務める。『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日系)、『激 論!クロスファイア』(BS朝日)の司会をはじめ、テレビ・ラジオの出演多数。また、『日本の戦争』(小学館)、『塀の上を走れ 田原総一朗自伝』(講談社)、『誰もが書かなかった日本の戦争』(ポプラ社)、『田原総一朗責任 編集 竹中先生、日本経済 次はどうなりますか?』(アスコム)など、多数の著書がある。  ≫(現代ビジネス:政治を考える―田原総一朗ニッポン大改革)

日本教の聖者・西郷隆盛と天皇制社会主義 ?版籍奉還から満鮮経略への道― (落合秘史)
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●辺野古基地不要論 沖縄の戦後復興スタート、脅威の経済成長を

2015年05月03日 | 日記
小説 琉球処分(上) (講談社文庫)
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●辺野古基地不要論 沖縄の戦後復興スタート、脅威の経済成長を

失業率NO1の沖縄なのに、今後沖縄の経済成長率は日本一になる。この現象の不思議を追いながら、沖縄に必要なもの、不必要なもの、そして、戦争中の沖縄、戦後の沖縄、琉球処分等々、日本本土の国民は、加害者・被害者の立場の観念とは異なる次元で、沖縄の問題を正面から受け止めるべき時期が来ているように思う。既得権勢力にとっては、不都合なことなのだが、不都合でも、沖縄は日本ではない勢力の力で成長する可能性まで見えてきている。日本政府の見る沖縄と、世界、特にアジアの人々が見る沖縄は、異なる魅力に溢れているらしい。

そのことは、アジアの地図を開いて、じっくりと眺めてみると、よく判る。東京から沖縄に行くのと、マニラ、台北、香港、ソウル、果ては北京まで同じ距離圏に位置している点だ。沖縄本島がこんなにも南に位置している事を意識することになる。沖縄県の県民一人当り所得が、東京に比べて250万円近くの差があるから貧乏だとか、そういう同情論を振りまわしても意味はない。共同体が残っている地域と大都市の環境では、必要な支出額も違うわけで、一概に沖縄の方が貧乏で、東京が裕福と云うものではない。「幸福度」ではどうなのか?所得よりは沖縄はアップする。47位ではなく、41位だ。ちなみに、最下位は大阪で、大阪は所得で10位なのだ。ただし、調査は「計量分析」の結果に過ぎず価値観無視のデータなので、スルーすべきだ。

無論、尖閣諸島にも近いわけで、中国海軍の侵略に備える軍事基地としても最適と考えるのだろう。そもそも論から考えると、中国仮想敵国と云う雰囲気を、安倍訪米に合わせて、大いにマスメディアや論者が声高に語っているが、中国に、日本と戦争している暇はないだろう。世界を取り込み、「経済世界一」を目指している時に、特に本格的戦闘に発展する行動に出る論理はあり得ない。中国は、虎視眈々と覇権において、アメリカに替わるべき国には中国だと思っているだろうが、覇権の二大要素「軍事世界一」を実現するには、まだまだ、アメリカとの差は大きい。

アメリカの軍事力が縮小し、中国の軍事力が脅威的に伸びているとしても、追いつき追い越せは、経済GDPのようには簡単ではない。ゆえに、ロシアとの結びつきを重要視するわけで、自力でミサイル防衛網を構築できるレベルではない。欧米先進国、特に日米の防衛関係者は、威嚇がないことには、メシの食い上げなので、中国威嚇を煽るわけだ。中国共産党は、それ程馬鹿が揃っているわけではないので、実力は外交面の高飛車に比べると異なっている事を自覚している。本当に牙を剥くのは、本音のところでも、アメリカを脅せると理解できる時点まで動かない。

少し、俯瞰な話になったので、沖縄に話を戻そう。最近のデータによると、沖縄県の経済収入への貢献は、軍事基地関連は5%に過ぎず観光収入は10%に届き、今後も大きく成長する展望が開けている。今後2050年に向かって人口が増加する見込みのある都道府県は沖縄県だけだ。しかも、若年労働が豊富と云うオマケまでついている。東京都はギリギリ現状維持で、その他の道府県は、軒並み人口減少に見舞われる。以下の沖縄の熱さを伝えるコラムを読んでおくと良いだろう。

≪ 沖縄が熱い!なぜ経済成長率で東京抜き目前?観光客&進出企業激増、USJ進出との報道も
 2月21日、格安航空会社(LCC)のピーチ・アビエーションが那覇-香港線に就航し、那覇空港のLCC専用ターミナルで記念式典が行われた。ピーチにとって那覇は関西国際空港に次ぐ「第2の拠点」で、台北に続き香港が、那覇空港からの海外路線の2つ目になる。香港線は週4便でスタートし、平均搭乗率75~80%を見込んでいるという。同社の狙いはアジアからの観光客を沖縄に誘致することにある。
 この日の式典で井上慎一最高経営責任者(CEO)は、「(2021年度に)観光客1000万人という沖縄県の目標を前倒しできるよう貢献したい」とあいさつした。
 沖縄県を訪れる観光客は増え続けている。14年の観光客数は705万6200人と初めて700万人を超え、過去最高を記録した。対前年比で64万 2500人、率にして10%増である。中でも際立っているのが外国人観光客の激増ぶり。14年の外国人客は89万3500人で、前年比34万2700人、 62.2%の増加。もちろん過去最高である。
 大幅増の原因について、沖縄県の観光政策課は次の3点を挙げている。 (1)円安進行により、日本への旅行に割安感が出た (2)重点市場(台湾、韓国、中国、香港)からの路線の新規就航と既存路線の増便 (3)クルーズ船の寄港回数増による海からの観光客が増えた
 台湾、韓国、中国、香港の4カ国・地域からの観光客が73万5600人と全体の82%を占めており、ピーチの香港線就航の背景には、こうしたアジア客の急増がある。同社は香港線に続き、15年度中にベトナム、タイ、マレーシア、シンガポールなど片道4時間圏内への就航を目指している。観光資源が豊富で、ショッピング施設も充実する沖縄に、アジアからの観光客を呼び込もうというわけだ。 IT・金融の企業の集積が進行中
 最近の沖縄経済で見逃せないのがIT・金融の企業の集積が進んだことだ。
 沖縄県は全国でもまれな人口増加県であり、若年労働者が豊富、税制上の優遇措置、賃貸オフィスビ ルの坪(3.3平方メートル)当たり単価の低さ(那覇で平均8000円)、暮らしやすい亜熱帯気候(年平均気温23.6度)などの好条件に惹かれ、情報通 信関連企業を中心に沖縄に進出する企業は増加の一途だ。沖縄県内に立地した情報通信関連企業は、05年度の103社から13年度には301社にまで増え た。情報サービス、コールセンター、ソフトウェア開発などの業種が多い。雇用創出も約9926人(05年度)から2万4869人(13年度)へと大幅に増加した。 「沖縄県が戦略産業として情報通信事業の振興に力を入れてきた結果です。県は今、国内外の情報通信関連産業の一大拠点を目指す『沖縄IT津梁パーク』というビッグプロジェクトを、うるま市を舞台に進めています。また、02年に金融特区および情報特区に指定された名護市では金融IT国際みらい都市構想に基づき、施策を進めているところです。こうしたプロジェクトが順調に推移していけば、さらに進出企業が増え、雇用も創出されることになります」(経済ジャーナリスト)
 観光だけでなく情報通信関連産業が、沖縄にとって大きな柱となってきている。 20年度の平均成長率は、東京に次ぎ全国2位の予測
 りゅうぎん総合研究所が1月に発表した「県内の景気動向」によると、14年12月の景気概況はすこぶる好調だった。百貨店売上高が8カ月連続で前年を上回り、建設関連は国、県の発注工事の増加で公共工事請負金額が3カ月ぶりに前年同月を上回った。観光は観光客数が27カ月連続で前年実績を上回り、主要ホテル、ゴルフ場も好調だ。同研究所では15年の県経済について、14年に引き続き「拡大の動きが強まる」と分析している。
 実際、IT関連以外でも沖縄に進出を決めた、または進出を目指す大手企業の動きが相次いでいる。 「4月25日に沖縄本島中部の北中城村に約220店舗が集結する県内最大規模のショッピングモール『イオンモール沖縄ライカム』がオープンします。年少人口(0~14歳)の割合の高さに目を付けたベビー・子供用品専門店の西松屋は沖縄県内に9店舗展開していますが、今年夏には石垣島にもオープンする予定です。過去には、人気テーマパークのユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)が名護市進出に向けて県などと協議したという報道もありました。今後の動きから目が離せません」(前出のジャーナリスト)
 11年に、ニッセイ基礎研究所が10年度から20年度にかけての都道府県別平均成長率の推計結果を発表したが、沖縄は東京(1.1%)に次いで2位となった。今の勢いが続けば、東京を抜くこともあり得るだろう。 ≫(ビジネスジャーナル:文=編集部)

翁長知事の「オール沖縄」と云う観念的政党の誕生も、この沖縄の裏付けられた自信から生まれてきた点も見逃せないだろう。同じ日本にあっても、歴史的な悲劇の煽りを喰らって、時には米軍基地による、発展要因の破壊などによって、先進国化することを許されなかったアンフェアに置かれた地域で、謂わば発展途上国家と同じ状況に置かれていた、と云う事である。つまり、経済成長するのり代が、本土に比べ「ベラボー」に沢山残されていると云う事実だ。沖縄はある意味で、現在の「中国」の経済成長と似通ったものを持っている。いや、それよりも、民度において闘争的ではないし、自制的であり、融和に富んだ県民性なので、大発展する可能性は、日本で一番だろう。

こんな見事なくらい素晴らしい島に、米軍基地など考えるだけヤボと云うものだ。中国を仮想敵国扱いして、己らの利益を死守しようと云う下劣な人間達の思惑に過ぎない。日本政府やアメリカ政府が、このことに気づかないわけはないのだが、真実、現実は、思惑、陰謀に必ず勝つ。現実に、粛々と経済成長していけば良いわけで、アメリカ軍基地やアメリカ海兵隊員相手に、働く人手がなくなることも予想されるわけで、米軍基地をなくさせるためにも、沖縄は、徹底的にアジア資本を使っても構わないので、観光やIT産業で、自力を増していけば良い。

最後になったが「辺野古基金」が順調に寄付を集めている。県外からの寄付が7割を超えたことは素晴らしい事だ。今後も、日本本土からの寄付が増えることを祈りたい。まだ、この基金の準備委員会は今月13日に結成総会を開き、基金の運用方法などを決める予定だと云うので、公式ページはそれからかもしれない。まだ、基金の公式サイトがないので、イライラしていたが、13日正式発足以降になるのかもしれない。

≪ 「辺野古基金」寄付1億2000万円に 県外7割、関心広がる
米軍普天間飛行場移設に伴う新基地建設阻止を目的とした「辺野古基金」の準備委員会は1日、那覇市内で記者会見し、4月30日時点の寄付金が1億1915 万698円となったと発表した。一方、寄付が寄せられた4577件のうち、約7割が県外から寄せられたといい、新基地建設問題に対する関心が全国的な広がりを見せていることをうかがわせた。
 基金の準備委員会は今月13日に結成総会を開き、基金の運用方法などを決める予定。経済界や労働組合、県議会会派、市民団体など10団体が軸となる「基金運営委員会」を設置する。
 結成総会後には現在の金融機関への振り込みに加え、街頭募金や電話を使った募金など、募金方法の多様化も検討していく。委員会には県民から「街頭募金をするのなら、ボランティアで手伝いたい」などの申し出もあるという。
 準備委員会の新里米吉代表は「対応しきれないほど問い合わせが続き、関心の高さを感じる。沖縄以外の人も何らかの形で辺野古の問題に関わりたいという意思表示でもある。心強い連帯の証しだ」と述べた。 ≫(琉球新報)

これが沖縄の生きる道
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●アメリカ国力の減少と中露の抬頭 経済・軍事で補完する日本

2015年05月02日 | 日記
秘密と嘘と民主主義
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●アメリカ国力の減少と中露の抬頭 経済・軍事で補完する日本

まあ、そんなことだと思っていたが「安倍晋三ツイッター」は、山本一太が書いている事が、ほぼ確実になった。山本は、おそらく安倍晋三になり替わり、反安倍の言論空間を徘徊し、ネット世界の管理部長と云う役目を仰せつかっている可能性が強くなった。夜な夜なと云うか、四六時中、山本一太は、二つのアカウントに“つぶやき”を入れている事がほぼ判明した。

間違って入れたとか、首相のツイッターを乗っ取ったなんて話じゃなく、そもそも、同氏が請け負っているのだろう。時折、大チョンボして、菅辺りから、大目玉を喰らい、訂正どころか、白々しく削除するお点前はチョロチョロ男にはお似合いだ。Wikipediaを覗いて見たら、おまけの様な特命大臣も退任、世耕とタッグを組み、自由民主党総裁ネット戦略アドバイザーになっている。要するに、閑職の中大教授なんて肩書で、暇を持て余し、山本ならではの夜警職に就いているのだろう(笑)。

さて本題だが、本題と云うほどの重要なコラムではないが、欧米諸国と云うか、アメリカンと云うか、彼らのプロパガンダな味つけタップリでありながら、「行動主義」から「口先介入主義」に変貌するアメリカの実態を、嘆きながら語っている。『撤退するアメリカと「無秩序」の世紀』著者のコラムである。コラムでは、幾つか中国、ロシアに関する「捏造情報」も混入されているが、知らない人間が読めば、すんなり成る程と思ってしまいそうな著書である。しかし、この著書には、アメリカの衰退を示唆する事実や、覇権国から脱落するリスクについて、アメリカ人自身を厳しく糾弾している点が面白く、且つ、現実的な悩みであることを露呈している。

911やイラク戦争、シリア、ウクライナ介入など、東西冷戦さながらの諜報合戦も、結局のところ、アメリカの力が、あらゆる部分で相対的に落ちてきた証左だと言えるのだろう。ロシア・プーチンや中国・習の野心を叩いているようだが、アメリカンな価値観で地球が動かなくなって、このコラムの書き手であり、『撤退するアメリカと「無秩序」の世紀』著者であるスティーブンズは、被害妄想の罠に嵌ってしまったようだ。ダイアモンド社が出版するはずのピューリッツァー賞受賞者だが、読んでみて判るがピューリッツァー賞なんてのも、アメリカプロパガンダ報道の賞だと考えておいても良さそうだ。そのような事実は、ノーム・チョムスキーによって既に暴かれている。

昨日のコラムでも言及したが、「資本主義」と「民主主義」は地球規模の大惨事(第一次世界大戦、第二次世界大戦、大恐慌‥等)が起きることで、マネーのエリートたちが、その地位から脱落する。富の差別は、民主主義の補正機能は焼け石に水程度で、殆ど効果を見せないので、格差と云うか、差別的不平等は日増しにその差を広げることになる。ゆえに、地球規模の大惨事が必要と思う勢力もいるが、それを望む一般の市民は殆どいないだろう。大惨事でしか、平等、機会均等が得られない「資本主義」と「民主主義」は幻想に近い正体を現しつつあるのが、21世紀なのだ。

このコラムで、最も重要視できる点は、アメリカの国力が、地球上の争いに口出しは出来るが、国家レベルの軍隊を送れなくなっている事実を示している。今回の安倍訪米における歓待は、アメリカの世界警察の補完機能として、自衛隊を使おうとしているのは見え見えで、論を待たない。安倍や一部の跳ねかえり勢力は、アメリカの今後には不安が残る。核の傘は信用できない。いずれは自前で自国を守る必要がある。最終的には、核を保有せざるを得なくなるだろうと本気で思っている節もある。まあ、100年単位なら起こり得る事と言えるだろう。


≪『撤退するアメリカと「無秩序」の世紀』(ピューリッツァー賞受賞者、ブレッド・スティーブンズのコラム)

 ★アメリカ人はもう「世界の警察」を続ける気がない 中国が暴走したとき、アメリカは日本を守るのか?(1)
【オバマが「われわれは世界の警察官であるべきではない」と語り、アメリカ人の半数が「よその国のことには口出しするべきではない」と考え始めている。『撤退するアメリカと「無秩序」の世紀』の著者でもあり、ピューリッツァー賞受賞・WSJコラムニストが予測する、世界が無秩序に陥るシナリオとは。】

 ■アメリカ国民は もう世界の平和に関心がない
 アメリカ人が世界指向だった時代は終わり、世界に無関心な時代に急速に代わりつつある。
 ピュー・リサーチセンターが二〇一三年秋に行った世論調査によると、アメリカ人の五二%が、アメリカは「よその国のことには口出しするべきではない」と考えていた。一九六四年に初めて同様の調査をしたとき、この割合は二〇%、二〇〇二年は三〇%で、過半数を超えたのは二〇一三年が初めてだった。  この傾向は支持政党の違いを問わず幅広く見られる。別のピューの調査によると、「国際問題に積極的に取り組むことがアメリカにとって最善である」 と考える共和党保守派は、二〇〇四年は五八%いたのに、二〇一一年は三九%まで減った。また支持政党を問わず五八%が「外国の問題への関心を縮小」し、六五%が「外国での軍事的関与を縮小」することを支持した。 ロシアのクリミア侵攻後にピューが行った調査では、五六%(共和党支持者に限ると五〇%)が、「クリミア問題に深入りしすぎない」ことが重要だと考えていた。「ロシアに厳しい姿勢」で臨むべきだと答えたのはたった二九%だった。

 では、外交政策に関して、アメリカ国民はオバマ政権にどんなメッセージを送ってきたのか。

 それは基本的に、「外交政策について、国民は多くを聞く気も、知る気もない」というものだ。これもホワイトハウスの態度とそっくりだ。「(シリア の)反政府派に武器を供与するか否かをめぐる議論が再燃したとき、オバマが高官級会議で強力な意見を口にすることはめったになかった」と、ニューヨーク・ タイムズ紙は報じている。

 オバマもアメリカ人も、なぜそんなに無関心を決め込んでいるのか。その理由は「イラク」と「不況」の二つに集約できる。

■「中東」と「不況」が アメリカを孤立主義に傾けた
 イラク戦争という破滅的な冒険を強行したために、アメリカの財政は破綻し、経済難に陥った。 「過去一〇年以上にわたり、わが国は一兆ドル以上を戦争に費やし、赤字を爆発的に増やし、国内の国家建設を進める能力を削がれてきた」と、オバマ は二〇一三年五月に語っている。しかし二〇〇九年二月一八日、オバマは景気対策法案に署名することで、国防総省が過去一〇年間にイラクで費やした金額(七七〇〇億ドル)を上回る金額(七八七〇億ドル)を一日で支出した。

 またアメリカの「赤字が爆発的に増えた」のには多くの理由がある。二〇〇一年以降、毎年三三兆ドルを超える歳出もその一部だ。それに比べればイラクとアフガニスタンで費やした約一兆五〇〇〇億ドルなど微々たるものだ。

 アメリカが世界に無関心なのは、イラクとアフガニスタンで苦い経験をした結果、世界の警察官の役割は割に合わない場合があると気づいたせいでもあ る。第二次世界大戦後の日本やドイツなら、あるいは冷戦後のポーランドなら、「国家建設」にアメリカの富とエネルギーを費やす価値はあったかもしれない。 だが、バグダッドやカブールで国家建設を進めても、まともな成果が期待できるはずはなかった。

 そもそもイラクやアフガニスタンが、イスラム世界全体の手本となる民主主義国になる可能性などあったのか。これは当然の疑問だ。アメリカ人がい ま、外国に介入することを嫌がっているのは、アメリカの中核的利益と周縁的利益の間にはっきりと一線を引き、周縁的利益のためにエネルギーを浪費したくないと思っているからだ。

 アメリカ経済の低成長が六年目に入ったことを考えると、アメリカ人がシリア内戦やフィリピン近海の領有権争いよりも、自分の給料や次の仕事を心配 するのは無理もない。国際環境がアメリカにとってさほど大きな脅威ではないのだから、アメリカ人が世界に無関心なのも当然だと指摘する声もある。

 ■中国、ロシア、イランの暴走を 止める力はもうアメリカにはない
 冷戦時代は、アメリカのどの都市にもソ連のICBMが三〇分で到達する可能性があったから、一般市民にとっても外交は非常に身近な問題だった。だが冷戦は終わった。アメリカ人はいまほかに心配するべきことがある。まずは自分自身だ。

 だとすれば、アメリカが総じて世界に背を向ける時代に突入したのも驚きではない。その論理は表面的だが説得力があり、政治的に強烈なアピール力がある。だから少なくとも一期目のオバマは、外交政策で高い支持を得ていた。

 また草の根保守派運動ティーパーティーや、ランド・ポール上院議員など自由主義的な考えを持つ共和党議員は、一九七〇年代にジョージ・マクガバンがベトナムからの撤退を訴えて、「アメリカよ、帰ってこい」と唱えたのと似たスローガンを訴えている。

 これまでの経過を見る限り、何をやってもアメリカは黙認するだけだと見込んで、世界秩序に挑戦する行為は増える一方だ。

 バシャル・アサドは今後もシリアの独裁者として君臨し続けるのか。だとすれば、それはレバノンやイラク、ヨルダン、イスラエルにどんな影響を与えるのか。

 中国政府は、世界の海上輸送の三分の一が通過し、世界屈指のエネルギー資源が眠る南シナ海を中国の湖にしてしまうのか。

 イランは核兵器を獲得するか、獲得に限りなく近づき、危機感を覚えたサウジアラビアまでが独自の核開発に乗り出すのか。プーチンはNATOの弱腰に乗じて、旧ソ連諸国への影響力をいっそう強めるのか。

 中国経済のバブルが崩壊したら、あるいはユーロ圏が再び激しい不況に見舞われたら、あるいはアベノミクスが抵抗勢力によって本格的な構造改革を阻まれて失敗に終わったら、アメリカ経済は世界経済を牽引できるのか。

 アメリカが世界秩序を維持する役割を拒否するなか、悪夢のシナリオの現実味は高まっている。


★戦後70年、自由民主主義の終焉は近い 日米安保は尖閣諸島で守られるのか?(2)

■「自由民主主義」がもたらす平和とは ただの幻想だったのか

 サミュエル・ハンチントンは一九九〇年代初め、「アメリカ・モデルが強さと成功を体現しなくなり、勝利モデルとみなされなくなったなら、何が起き るのか」と問いかけた。長引く戦争、財政の悪化、政治の麻痺という泥沼にはまったアメリカは、世界の国にとって必ずしも最高の手本ではないようだ。

 イランのマフムード・アハマディネジャド大統領は二〇〇六年、ジョージ・W・ブッシュ大統領に宛てた書簡で、「物事の本質が見える人間には、すでに自由民主主義体制のイデオロギーと思想が破綻して崩壊する音が聞こえる」と書いた。「世界じゅうで人々は最大の中心すなわち全能の神に向かいつつある」。

 アメリカが金融危機のまっただなかにあった二〇〇八年、旧ソ連の諜報機関KGBの元工作員イーゴリ・パナーリンが、アメリカは二〇一〇年までに六 つの国に分裂すると予測していたことが明らかになった。その場合、「ロシアがアラスカの領有権を主張するのはまっとうなことだろう」と、パナーリンはさらりと述べている。

 アメリカ議会の予算審議がまとまらず、連邦政府が一部閉鎖された二〇一三年九月には、中国の国営メディアが、「脱アメリカの世界構築を検討すべきときがきたのかもしれない」と指摘して、大きな議論を巻き起こした。

 一九二〇〜三〇年代も同じことがあった。「西欧列強は、自らの勝利が自らのイメージする時代の到来をもたらすことを願っていた」と、歴史家のノーマン・デービスは書いている。

 デービスによると、一九一四年のヨーロッパには一九の王国と三つの共和国があった。それが一九一九年までに王国は一四、共和国は一六になっていた。しかし民主主義は根づかなかった。「毎年のように、どこかの国で民主的な憲法が独裁者によって踏みにじられた。理由は一つではないが、西欧列強に自らのつくり上げた体制を防衛する能力がなかったことは確かだ」

 ■クリミア、イスラム国…… 撤退するアメリカが生んだ世界的無秩序
 現代も同じように、政治及び市民の自由が八年連続で縮小していると、アメリカのNGOフリーダムハウスは報告している。 「自由はクーデターや内戦によって損なわれているが、……同様に重要な現象は、いわゆる現代版権威主義の実践者たちが、些細だが究極的には効果的 なテクニックを駆使していることだ。この手の指導者たちは、反対派を潰すのではなく機能しないように陥れ、規律や正当性や豊かさをうわべだけ維持して、法の支配を愚弄することに全力を注いでいる」。

 これはロシアのウラジーミル・プーチン大統領、イランのハッサン・ロウハニ大統領、中国の習近平国家主席、トルコのレジェップ・タイップ・エルド アン大統領、ベネズエラのニコラス・マドゥロ大統領、エクアドルのラファエル・コレア大統領、そしてハンガリーのビクトル・オルバン首相に当てはまる。*筆者注:(アメリカにも、ウラジーミル・プーチン、習近平国家主席に対抗する、個人ではなく、アメリカン・システムがあるので、目くそ鼻くその話に過ぎない。)

 プーチンは二〇〇五年に、ソ連崩壊は二〇世紀で「最大の地政学的悲劇」だったと語った。

 プーチンの外交政策は、旧ソ連全体とはいわずとも、少なくとも昔の影響圏を再建するために一貫したアプローチを取ってきた。たとえば北京夏季五輪の真っ最中にグルジアに侵攻し、ソチ冬季五輪の直後にウクライナ領クリミア半島を制圧した。

 ウクライナ東部では選挙結果を改ざんして偽情報を流し、覆面ロシア兵を派遣して親ロ派の分離独立運動を支援し、特殊部隊を展開した。キルギスタン 政府には賄賂を渡し、旧ソ連諸国には真冬にパイプラインをストップし、ロンドンでロシア人ジャーナリストを殺し、エストニアにサイバー攻撃を仕掛けた。

 その一方でプーチンは、ソ連時代の真髄ともいえるものを多数復活させた。形だけの民主主義、プロパガンダ化したマスコミ、政敵の見せしめ裁判、犯罪目的での国家権力の乱用、そして旧エリート層ノーメンクラツーラの復活だ。

 イランも状況は同じだ。アメリカがイラクとアフガニスタンからの撤退を進めるなか、イランはイラクとアフガニスタン西部を影響圏に入れる意欲をあからさまにしてきた。さらにイランは、子分的な存在であるシリア政府のために戦う意志も隠そうとしない。

 レバノンのイスラム原理主義組織ヒズボラや、パレスチナ自治区ガザを実効支配するハマスにも堂々と武器を供給してきたし、シーア派が多数を占める バーレーンに対してイランの歴史的領有権を主張し始めた。こうした行動の一部は、伝統的なペルシャ・ナショナリズムに由来するが、より大きな影響を与えているのはイスラム復興運動だ。

 ■尖閣諸島を虎視眈々とねらう中国と 弱腰のアメリカ
 中国でも同じことが起きている。小平は一九八四年、中国政府はイギリスからの返還後も五〇年間は香港の自由を尊重し、台湾との再統一が「一〇〇年以内に実現しなくても、一〇〇〇年以内には実現する」と誓った。

 しかしの戦略的忍耐ドクトリンとも呼ぶべきものは、一九九七年のの死とともに死んだ。その後継者である胡錦濤は、二〇一一年一二月の中央軍事委員会で、中国海軍は「変革と近代化を断固として加速させ、戦闘への備えを拡大させるべきだ」と語った。

 誰に対しての戦闘か。それは「みんな」のようだ。それから一年のうちに中国は初の空母を就航させ、ベトナム、フィリピン、インドネシア、日本にケンカをふっかけた。オバマ政権は二〇一二年九月、中国が領有権を主張する尖閣諸島が攻撃された場合、アメリカは日米安全保障条約に基づき日本を防衛するとの立場を明らかにした。

 その翌年の一二月、中国海軍の艦艇が南シナ海でアメリカ海軍の巡洋艦カウペンス(一〇億ドルのイージス艦だ)の前方にまわり込み、あやうく衝突しそうになった。

 同時に中国は、アフリカ、中南米、東南アジアの従順そうな資源国に低金利融資や開発援助をちらつかせて接近するグローバル戦略を進めた。ベネズエ ラだけでも、二〇〇八年以降三六〇億ドルが中国から流れ込んだ。おかげで、とうの昔に財政破綻していたはずのベネズエラ政府は、莫大な対外債務を返済することができた。

 イラン、ロシア、中国の政策当局者たちは、アメリカはアメリカ本土が攻撃されたのでない限り武力行使には踏み切らないと見越して、ますます大胆な行動に出ている。

 イランやロシアや中国の行動がどこまで大胆になれば、アメリカ大統領は重い腰を上げるのか。修正主義の国々は、どうすれば国際的な規範を尊重する ことを学ぶのか。アメリカは説得と道徳的な模範を示すだけで、世界秩序を強制できるのか。アメリカの武力行使に対する消極的な姿勢は、どこまでいくと敵の 攻撃を促すことになるのか。

 そしておそらく最も重要なことは、アメリカの消極性はどの時点で同盟国の戦略を変え始めるのか。

★アメリカが安部首相の 靖国参拝を引き止める本当の理由(3)
【米バイデン副大統領は一時間に渡り、安部首相に靖国参拝を自粛するよう説得を続けた。アメリカが首相の靖国参拝を引き止める本当の理由とは?『撤退するアメリカと「無秩序」の世紀』の著者でもある、ピューリッツァー賞受賞・WSJコラムニストが分析する。】

■安倍首相の靖国参拝を アメリカはなぜ恐れたのか
 アメリカがドイツや日本、韓国といった国に核の傘を与えているのは、これらの国が自ら核を獲得する必要性を感じないようにするためだ。また、それだからアメリカは最近まで、同時に二つの大戦争を戦えるだけの軍事力を維持してきた。

 それはアメリカ軍が中東に展開していても、日本などの国の安全保障が脅かされることはないと安心させるためだった。こうした責任を担うコストと、その履行に伴うリスクを引き受けているからこそ、アメリカは同盟国の戦略的選択肢に甚大な影響力を持つ。

 その影響力は一九九一年の湾岸戦争時に効果を発揮した。このときイラクのサダム・フセインは、イスラエルにスカッドミサイルを撃ち込んだが、ジョージ・W・H・ブッシュ大統領はイスラエルを説得して、イラクに対する報復攻撃を思いとどまらせた。

 そのためにアメリカの戦闘機の展開計画は変更を余儀なくされ、特殊部隊はイラクの移動式ミサイル発射装置を破壊しなければならなかった。つまりア メリカ兵の命を危険にさらす必要があった。しかしそのおかげで、アメリカはイスラエルを防衛する明確な意志があることをイスラエルのイツハク・シャミル首相に納得させ、イスラエルとの同盟関係を維持するという、より大きな国益を守ることができた。

 オバマもいま、イスラエルにイラン攻撃を思いとどまるよう説得しているが、イスラエルの指導者たちはその前提となる約束が軽視されているように感じている。そのためイスラエルは単独で行動を起こす誘惑に駆られている。 波紋が及んでいるのは中東だけではない。

 二〇一三年一二月、ジョー・バイデン副大統領は日本の安倍晋三首相と一時間ほど電話で話し、第二次世界大戦の戦犯を含む二五〇万人の戦死者をまつる靖国神社への参拝を思いとどまるよう説得を試みたが、失敗に終わった。

 ■核の傘がゆらいだとき 日本は軍国化する?
 安倍がバイデンの要請を断固拒否したのは、彼自身の愛国主義的な考え方のせいもあるだろう。しかしその前月に中国が突然日本の尖閣諸島を含む防空識別圏の設定を発表したとき、バイデンがはっきり中国を非難しなかったせいでもある。

 「水面下では、いつかアメリカが日本を防衛する能力または意欲を失うのではないかという不安が大きくなっている」と、ロイター通信は報じた。「このため安倍は、海外における軍事行動を制限した憲法解釈を改め、空軍力と海軍力を強化する意向を一段と強めた」。

 拓殖大学の川上高司教授(国際政治学)は、「いまは日米関係で最も危険な時期の一つだ」と警鐘を鳴らした。「日本は孤立感を抱いており、自立しなければと考える人が増えている。アメリカに対しても同じだ」と語った。

 フリーランス外交が拡大したら、ほかにはどんなことが起きるだろう。より多くの国が核開発に乗り出そうとするの はほぼ確実だ。中東に核保有国が三〜四ヵ国あったら、つまりイスラエルとパキスタンだけでなく、イラン、サウジアラビア、トルコ、場合によってはエジプト、さらにはアルジェリアまでもが核を持ったら、世界はより安全な場所になるのか。これらの国は政情や同盟関係(暗黙の同盟関係もある)がめまぐるしく変わるなか、互いにいがみあっている。

 イランにウラン濃縮活動が許されるなら、ほかの国も核開発の選択肢を残しておいてはなぜいけないのか。二〇一三年、日本とトルコは原子力協定に調 印した。朝日新聞(英語版)によると、この協定には、「トルコが将来ウラン濃縮と、核兵器の原料にもなるプルトニウムを取り出すことを可能にする条項」が 含まれている。

 サウジラビアは向こう二〇年間に原子炉一六基の建設を計画しており、二〇一四年にはヨルダンとの原子力協定に調印した。韓国はかねてから、独自の ウラン濃縮施設を確保したいとアメリカに訴えてきた。二〇一三年の世論調査では、回答者の三分の二が北朝鮮に対抗して核兵器を開発することを支持した。

 日本さえも核開発の可能性を残している。ウォールストリート・ジャーナル紙によると、日本は二〇一四年一〇月に、建設費二兆一九〇〇億円をかけた 六ヵ所再処理工場を完成させる計画(※編集部注 二〇一六年三月に延期)だが、ここは「兵器級プルトニウムを年間九トン、つまり核弾頭二〇〇〇発分を生産する能力がある」。*1

 ただし日本はまだ核兵器をつくりたいとは表明しておらず、二〇一四年三月には、核拡散防止の原則を尊重している証として、使用済み核燃料の一部を手放すことに合意した。それでも日本は、いざとなったら核兵器をつくれる権利は確保しておきたいと考えている。

 フリーランス外交が世界にはびこったら、アメリカはどう対応するのか。過去の例を見る限り、アメリカはうんざりして背を向けるだろう。「ウッド ロー・ウィルソンからジョージ・ブッシュまで、アメリカの歴代大統領は、何も見返りを求めないことをアメリカのリーダーシップの特徴と自負してきた」と、 キッシンジャーは指摘する。

 外交が高潔な道徳的規範の追求をやめて、単なる影響力の拡大競争になると、アメリカは嫌気がさして世界に背を向けるのが常だ。アメリカは元来、理想主義的である半面、幻滅しやすい。それは第一次世界大戦後、そして現在のアメリカの外交政策の圧倒的特色になっている。


 ★衰退するアメリカ軍と増長する中国を比べてみた(4)
【アメリカ軍がどんどん衰退している。米国の軍縮の一方で尖閣諸島をはじめ、南シナ海での領有権の拡大を目論む中国。アメリカの衰退と中国の台頭がもたらす混乱を『撤退するアメリカと「無秩序」の世紀』の著者でもあり、ピューリッツァー賞受賞・WSJコラムニストが分析する。】

■軍縮を続けるアメリカ
 実際、アメリカ軍の軍事支出のトレンドを見ると、懸念は一段と深まってくる。チャック・ヘーゲル国防長官が軍事費の大幅な削減を発表する前から、ペンタゴンの戦力は支出と反比例していた。  二〇〇一年九月一一日、アメリカ海軍は三一六隻の艦艇を保有していた。それから一〇年で海軍の予算は約一三〇〇億ドルから一八〇〇億ドル超に増えたが、保有艦艇数は二八五隻に減った。

 二〇〇一年、アメリカ空軍保有機の平均運用年数は二二年だったが、一〇年後はパイロットとほぼ同年齢の二六年に伸びた。これは主に、国防総省が転換機を十分に配備できなかったからだ。

 史上最高の単発機ともいわれるF16戦闘機は、一九七四年の初飛行を経て一九七八年までに空軍に配備された。これに対してやはり単発機のF35戦闘機は、二〇〇六年に初飛行をしたものの、早くとも二〇一五年まで配備の予定はない。

 現在、アメリカがワンシーターの次世代ジェット機を開発するのには、人間を月面に送るよりも長い時間がかかる。開発コストが安い無人機プレデターを除くと、過去一〇年間、最新鋭のステルス戦闘機F35から次期空中給油機KC‐X、さらには沿海域戦闘艦まで、ペンタゴンの主な調達計画のほぼすべてが大失敗に終わった。

 超ハイテク兵器を配備するための技術的条件が厳しくなっていることや、軍需業者に対する政治的要求や事務的要求が高まっていることなど理由はいろ いろある。いずれにしろその影響は懸念すべきものだ。アメリカ軍の調達面における「費用対効果」が低下する一方で、アメリカを倒すテクノロジーやテクニックのコストはどんどん下がっている。

 現代の戦争は、「武力か非武力か、軍事的か非軍事的か、あるいは致死的か非致死的かを問わず、あらゆる手段を駆使して、敵にこちらの利益を受け入 れさせること」だ。外交、スパイ活動、破壊工作、プロパガンダ、経済的圧力など国力を駆使した手段はみな、戦争を別の手段によって継続しているにすぎない。

 ■南シナ海で フィリピン、日本を脅かす中国
 中国が南シナ海の領有権を主張してきた背景にもこうした考え方がある。その歴史的根拠は、一九四七年に国民党政府が公布した地図に描かれた破線(九段線)だが、中国は国連海洋法条約に基づく二〇〇海里の「排他的経済水域」も中国の排他的軍事権があると主張する。

 明らかに同条約の意図的な読み誤りだが、国連は政治的にそれに反駁する立場にない。さらに中国は、政治的賄賂などを使ってカンボジアのような従属国家を手なづけ、東南アジア諸国連合(ASEAN)が共通の海洋ルールを策定するのを阻止してきた。

 また漁船や沿岸警備隊の艦艇(多くは武器を隠し持っている)を使って外国の軍艦に嫌がらせをしたり、外国の海域に侵入させたりしている。南シナ海の一部環礁とバリアリーフを占拠して、そこに常駐の前哨基地も築いた。 「どこまでやれば『これで十分』と言うのか」と、フィリピンのベニグノ・アキノ大統領は二〇一四年二月、中国の南シナ海進出に声を荒らげた。「世界じゅうが声を挙げる必要がある。ズデーテン割譲は、ヒトラーをなだめて第二次世界大戦を防ぐためだったが、逆効果だったことを思い出すべきだ」

 通常、「これでは一九三八年の繰り返しだ」と警告するのはイスラエルと決まっている。だが、アメリカの撤退後、フィリピンのように意外な場所からミュンヘン協定を引き合いに出す声が挙がっている。われわれは世界的無秩序の瀬戸際にいるのだ。
≫(ダイアモンドONLINE:ダイアモンド社書籍オンラインより)

筆者注:アメリカン思想の持ち主の「煽り本」同様のコラムは未だ続くようだが、興味のある方は、このコラムニストの著書の購読をお薦めする。アメリカンのアメリカンの為の、積極平和主義の行きつく先を眺望できるかもしれない。

撤退するアメリカと「無秩序」の世紀ーーそして世界の警察はいなくなった
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●中谷巌vs島地勝彦対談「資本主義の次に来るものは何か?」

2015年05月01日 | 日記
「定常経済」は可能だ! (岩波ブックレット)
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ゴリオ爺さん (新潮文庫)
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●中谷巌vs島地勝彦対談「資本主義の次に来るものは何か?」

 以下の名物編集者・島地氏と経済学者・教育者中谷巌氏の対談は、ピケティについて語りながら、資本主義の民主主義の歴史の終わりを語っている。まあ、概ね、筆者が常々コラムを通じて語っている面も多いので、心強く読ませて貰った。中谷氏は、懺悔のように経済学者から教育界に身を投じているが、経済学に精通している経歴は薄れてはいないようだ。

筆者は、「熟議」が可能な共同体と云うものは、数万単位が限界だと考えている。その単位では、細分化され過ぎると云うなら、まあ、昔の藩単位くらいの自治が理想なのだろうと考えている。アダムスミスの資本主義においては、「徳」が求められているが、これを21世紀の人々に求めるのは、不能犯のようなもので、理想論と似ている。ピケティの場合、資本主義を経済学者として、否定しきれないポジショントークがあったのだと筆者は理解している。

最近注目しているのは「定常経済」と云う観念だ。逆立ちしても、先進国経済の成長は鈍化するわけだし、いずれ停留は必定だ。であれば、停留、つまり定常をベースに、経済を考える熟議が重要になる。その為には、Face to Faceな共同体の構築しかないのだろう。当然、それなりの閉鎖性は生じるが、マネーに支配される「動物農場」よりはマシな世界、「吉里吉里国」的な共同体が理想と云うか、実現も可能だと思う。それを束ねるのは、政治家ではなく、対談に出てくるスーパー独裁者でもない。日本には、ありがたいことに、そういう系譜が存在する点を重視したい。


  「ピケティが叩かれるのは、強力な富の再分配なしに資本主義が永続できないことを指摘したからです」第8回ゲスト:中谷巌さん (前編)

■経済学の泰斗に、話題のピケティを解説してもらう
島地 あー、重たい。日野、本が分厚すぎてバッグがパンパンになったぞ。
日野 なんですかそれは。あ、トマ・ピケティの『21世紀の資本』じゃないですか。島地さんがその手の本を読むとは知りませんでした。
島地 本屋に行くと平積みになっていて、いやでも目に付くんだよ。話題になっている本が気になるのは、何歳になっても変わらない編集者の性だな。
日野 で、その分厚い経済学の本を読んだんですか? 島地 もちろん、ざっと見た。 日野 見た? 編集者の端くれとして気になるので、内容をかいつまんで教えてください。
島地 まかせておけ、といいたいところだけど、統計データが多すぎていま一つピンと来ない。そこで、今回は頼もしい助っ人をお招きしたぞ。私が最も尊敬し、かつ信頼している経済学の泰斗、中谷巌先生だ。
日野 島地さんの謎の人脈にはいつも感心させられますが、中谷先生ともお知り合いだったとは。畏れ入りました。
中谷 島地さんとのおつき合いはもう20年ぐらいになりますか。島地さんが集英社インターナショナルに移って、『痛快! 経済学』を出版した頃が懐かしい。
島地 あれはすばらしい本でした。初版3万部で、その日のうちに増刷が決まり、最終的には30万部以上のベストセラーになりました。ピケティの『21世紀の資本』が我々の 『痛快! 経済学』よりすぐれているとは思いませんが、世界的なベストセラーとなったのは事実です。そこで、ハーバード大学でPh.Dを取得し、政府のブレーンを何度も務めた碩学に、この本の言わんとすることをご教示いただければと思った次第です。
日野 今回は贅沢な特別講義ですね。珍しくためになる内容を掲載できそうで、担当としてはうれしい限りです。中谷先生、どうぞよろしくお願いします。

 ■アダム・スミスの「神の見えざる手」は存在するか?
島地 以前、中谷先生からアダム・スミスが『国富論』で書いた「神の見えざる手」についてうかがいましたが、ピケティは「神の見えざる手」などは存在せず、資本主義によって貧富の差はどんどん広がっていると書いています。

中谷 ちょっと背景を整理しましょう。アダム・スミスが『国富論』を書いた18世紀後半は歴史的に大きな転換期でした。フランス革命を前にして、権力が貴族から新興ブルジョワジーへと移っていく時代です。アダム・スミスのバックには新興ブルジョワジーがいたわけですから、『国富論』は彼らの思想や行動を代弁するような立ち位置で書かれたと考えるべきです。

島地 そもそも、新興ブルジョワジーの思考・行動のもとになるのが資本主義だと。

中谷 その通り。 一握りの貴族にだけ富が集中するのではなく、自由経済、自由貿易により多くの人に機会の平等をもたらすべきというのが資本主義のイデオロギーです。そして多くの起業家が生まれ、西洋諸国は未開拓の植民地を求めて海外に出て行った。近代化とは西洋世界が非西洋世界を支配する過程であって、それをサポートしたイデオロギーが資本主義であり、自由貿易なんです。

日野 なるほど。そうやって整理されると流れがとてもつかみやすいです。

島地 つまり、その近代化の流れのなかで『国富論』は書かれたと。でもアダム・スミスは、なんでも際限なく自由にやっていいとしたわけではありませんよね。

中谷 そこが良心的といいますか、昨今の軽薄な新自由主義経済主義者とは違うところです。資本主義、自由貿易を認めながら、アダム・スミスは一方で道徳の大切さも説いています。格差の拡大まで言及していないのは時代的に仕方がないことだと思いますが、西洋諸国が際限なく自由に、好き勝手にやっていると、やがてとんでもないことが起こるという危惧を、すでに持っていたんじゃないでしょうか。

島地 なるほど。その危惧をさまざまなデータで具体的に実証してみせたのがピケティの『21世紀の資本』なんですね。 中谷 そういう見方もできます。

■『21世紀の資本』は資本主義体制批判の書だった?
中谷 ピケティは資本主義も市場主義経済も、予定調和でみんなをハッピーに導くものではなく、格差を拡大させる構造的な仕組みを持っていると書いています。
 ただ、それは経済学の世界では織り込み済みでして、資本主義が格差を拡大しても、民主主義が格差是正システムとして働き、富を再分配することで全体が豊かになり、社会が発展すると考えてきた。しかし、民主主義は必ずしも富の再分配を十分に行えない。ピケティはこのことをデータで示したのです。

島地 理屈としてはわかりますが、どうも釈然としません。戦後の資本主義社会ではみんなが豊かになったではないですか。

中谷 おっしゃる通りです。私がハーバード大学に在籍していた頃、ノーベル経済学賞を受賞したサイモン・クズネッツ教授に教えてもらう機会がありました。クズネッツ教授は資本主義経済が発展すると所得は平等化するという仮説を立て、これをデータを積み重ねて実証しています。
 クズネッツが使ったデータは、第一次世界大戦から第二次世界大戦を経て1970年頃までの数十年間のデータなのです。確かにこの時期は2度の世界大戦や大恐慌があり、富裕層の富がほとんど失われてしまいましたから、平等な社会が実現した時期だったのです。

島地 ピケティの『21世の資本』でおもしろいと思ったのは、18世紀、19世紀までさかのぼっていろんなデータを積み上げているところです。私には経済学の知識はありませんが、バルザックの小説の背景はこういう時代だったんだと、新しい発見がありました。

中谷 この本の価値は、19世紀以降の所得や富のデータを丹念に掘り起こしたところにあります。富裕層の所有していた富が大きく毀損した2つの世界大戦前後という特殊な時期を除けば、フランス革命ぐらいから始まる長いスパンで見ていくと、資本主義経済は、富める者はますます富み、貧しい者はいつになっても貧しいままの歪な社会をつくってきた。そういう流れをデータ的に示したところにピケティの功績があるのです。

島地 なるほど。ピケティは体制批判の立場だったんですね。それが世界的な不況の時代に響いてベストセラーになったわけだ。

 ■人口の1パーセントが90パーセントの富を独占する社会
中谷 うーん、ピケティは資本主義体制を覆すべきだというようなことまでは言っていません。単に、資本主義は富を偏在させるから是正すべきだと言っているだけです。そのために、国際的な資産課税の強化を訴えていて、それが世界的に強い反発を生んでいるわけですが、その反発は想像以上に大きいようです。データの取り方が悪いとか、論旨が不明確だとか、経済学の世界でさんざん叩かれるのもそのためです。

日野 お話をうかがっていたらピケティを応援したくなってきました。ただ、現在、格差が拡大しているといっても、19世紀の貴族社会ほどではないわけですよね。

中谷 19世紀のヨーロッパでは、人口の1~1.5パーセントの貴族が全体の90パーセントの富を独占していましたからね。

島地 1パーセントの人が90パーセントの富を独占! すさまじい格差社会ですね。

中谷 ほとんどの市民は資産なんて何も持たず、食うや食わずの生活ですよ。これは島地さんの得意分野ですが、バルザックの小説の多くは、何も持っていない市民階級の男が、いかにして大金持ちの貴族の未亡人をものにするか、というのが最大のテーマです。

島地 よくわかります。あの時代、貧しく有能な若者が富を手にするには、それしか方法がなかったわけですよね。永らく栄華を誇った貴族が没落したのは、先ほどもありましたが、2つの世界大戦ということになりますか?

中谷 2つの世界大戦と大恐慌です。大恐慌が起こると資産価値が暴落します。戦争も同じで、国は貴族に課税したり、国債を買わせたりして戦費を調達しますが、国債なんて戦争に負けてしまえば紙くずも同然ですし、ヨーロッパは戦勝国であっても国土はボロボロでした。しかも、ドイツが象徴的ですが、凄まじいハイパーインフレによって貴族たちが持っていた戦時国債などの資産は、まったく価値がなくなってしまいました。

島地 それで期せずして貴族が没落し、平等といいますか、誰も何も持っていないまっさらな状態に社会がリセットされたと。

 ■資本主義の黄金時代に、アメリカで感じたこと
中谷 その通りです。日本もそうでしたが、戦後の荒廃から復興するための中心的な役割を担ったのは40歳代の中間層でした。想像もしなかったような要職を与えられて、みんな必死に働いた。その結果、経済は復興から成長に転じ、生活はどんどん豊かになっていった。それが1950年代から70年代にかけての時期で、資本主義の黄金時代といえるでしょう。
 かなりざっくりした話をしていますけど、こういう内容でいいんですか?

島地 いやいや、難しい話をざっくり、ここまでわかりやすく話していただけるとはさすが中谷教授です。資本主義の黄金時代は1950年代から70年代ということですが、ちょうど先生がアメリカに留学していた頃ですよね。

中谷 そうです。正直「なんて豊かな国なんだ!」と思いました。日本がまだ、小さく切ったごわごわの新聞紙でお尻を拭いていた時代に、アメリカでは赤ちゃんのために、当時は高価だったティッシュペーパーを躊躇なくバンバン使う。びっくりですよ。

島地 テレビでアメリカのホームドラマが放映されていた時代ですね。あの頃のアメリカは、ほんとうに光り輝いていました。 中谷 どの家にもテレビがあり、冷蔵庫は人の背丈以上もある大きさで、庭には緑の芝が生え、プールまである。それが貴族ではなく中流家庭の暮らしですから、世界中が驚いて、アメリカはすごい、資本主義は素晴らしい、となったのも無理はありません。

日野 その素晴らしい資本主義がどうしてこうなってしまったのか、これからどんなことが起こるのかは後半のお題として、このへんでシガー・ブレイクにしましょう。
島地 そうしよう。こういう真面目な話の途中にやる一服も、またうまいものです。
 

「民主主義が格差を是正する機能を十分に発揮しないことは、歴史を振り返れば明らかです」第8回ゲスト:中谷巌さん (後編)

■分厚い『21世紀の資本』は「r>g」に要約できる
島地 前半は「資本主義の黄金時代」まででしたが、ピケティの『21世紀の資本』によると、それは2度の世界大戦をはさんだほんの一時期の出来事であり、その後は再び格差がどんどん広がり続けていると指摘されています。

中谷 帯に 「r>g」とあるでしょう。この本の内容をひと言であらわした図式で、「r」は資本に対するリターンを示す利潤率。「g」は経済成長率を示しています。つまり「g」=すべての人の所得の伸び率よりも、r=資本に対するリターンの方が大きいというわけです。200年以上のデータを積み重ねた結果、資本主義体制下では、「r>g」、すなわち「資本家など富める者はますます富み、労働者との格差は広がり続ける」という事実をピケティは強調したかったのでしょう。

島地 超簡単な図式ですが、これだけで分厚い本の内容を見事に示しているということですか。これには編集者的なセンスも感じてしまいますね。では実際、貧富の格差はどれくらいまで進んでいるのでしょうか。貴族社会では1パーセントの人間が90パーセントの富を独占していたわけですが。

中谷 アメリカの場合、1パーセントの上位所得者が稼ぐ割合が全体の約20パーセントだといわれています。日本ではまだ8パーセントぐらいですから、アメリカよりは平等な社会だといえます。アメリカでは富裕層上位10パーセントの人間が、全体の富の60パーセントを手にしているような状態になっています。19世紀のヨー ロッパ貴族社会よりは偏在の割合は低いのですが、問題は時代を経るにつれて富の偏在がどんどん進んでいるという事実です。
 このままでは今世紀中にはほとんど19世紀の貴族社会の状態にまで近づいてしまうかもしれない。本当にそれでいいのですか? というのが「21世紀の資本論」ともいうべきピケティの問いかけです。

島地 先生は最初に、資本主義が格差を拡大するのは構造的に仕方ない部分があり、それを是正するための仕組みとして民主主義があるとおっしゃいました。ピケティも民主主義を否定せず、民主主義的な解決法があるとしていますよね。

■解決策として理想論をかざすピケティの甘さ
中谷 そこが私から見ると甘いところなんですね。ピケティはデータを積み上げ、格差が拡大している現状を明らかにしていますが、資本主義そのものを否定しているわけではありません。さらに民主主義社会には格差を是正する手段があるとして、一つの解決策を示しています。それが資産課税の強化です。

日野 ある国が資産課税を厳しくしても、タックスヘイブン的な国・地域が存在するかぎり、あまり意味がないのでは?

中谷 そう。各国が個別にやってもあまり意味はありませんが、ピケティは世界各国、少なくとも先進国は国境を超えて移動する資産を捕捉できるように協調すべきだとしています。どこの国に逃げようと、資産を持っている人に等しく重い税率を課して富の再分配を進めれば、格差の問題は解決するとしています。理論的には可能ですが、どう思いますか?

島地 国境を超えていろんな国が同じ税率をかけ、資産家を締め付けると。それはどう考えても無理でしょう。一つの国のなかでさえ資産課税には反対が多いのに。

中谷 同感です ね。だからピケティは甘いんです。サッチャーとレーガンが先進国のリーダーだった1980年代前半から、税制は富める者が有利な方向に制度改革され続けてきました。新自由主義というイデオロギーが格差拡大を加速させたことは間違いないでしょう。その結果、世代間の格差も広がり、「1%対99%の対立」がどの国でも明白になってきました。一つの国のなかでさえそうなのに、国境を超えた協調なんて理想論以外の何ものでもありません。

島地 民主主義では、我々は選挙の一票で意思表示をできるはずですが、今までどれだけ選挙をやっても状況は変わりませんでしたね。

中谷 民主主義は理想の統治システムだという人もいますが、それは幻想です。富める者も貧しい者も、一票の価値は平等。耳ざわりはいいです、確かに。でも実際は、資産家を始めとする富める者、強い権力を持つ者の一票のほうが政治に大きな影響を与えます。アメリカのロビー活動がその典型的な例ですが、民主主義が格差是正機能 を十分に発揮しないことは、これまでの歴史を振り返れば明らかだと思います。

 ■民主主義は資本主義の歯止めにはならない
島地 ピケティは国境を超えた資産課税で格差問題を解決できるとしていますが、それは現実的ではない。じゃあ、中谷先生はどんな解決方法があると考えているのでしょうか?

中谷 その前に一つ強調しておきたいことがあります。私は、現在の資本主義経済は最終段階に入ったような気がしているんです。

島地 最終段階ですか。これはまた物騒な響きですね。

中谷 現在、多くの国が財政的に破綻しているため、中央銀行が景気対策の主役になっていますよね。日本なら日銀、アメリカはFRB、ヨーロッパはECBなど、各国の中央銀行が、景気対策として金融緩和を続け、お札をじゃんじゃん刷っている。そのせいで世界中にお金があふれています。それが株式市場や不動産など「資産市場」 に流れていることが現在の株価や不動産価格の上昇の原因です。
 中央銀行が景気対策の主役になっているため、今、世界中がバブルの渦中にあるわけですが、80年代後半の日本がそうだったように、熱にほだされて 「まだまだいける」と浮かれてしまっている。でも、このまま金融緩和を続ければ、やがて飽和点を迎えて、何かのきっかけでボンッと、バブルが崩壊する確率は高いと思います。

島地 バブルが崩壊して富裕層が富を失えば、格差の是正にはいいのかもしれませんが、世界経済がおかしくなり、失業率も高くなってしまう。いずれにしても好ましい筋書きではありませんね。

中谷 先ほど質問された格差拡大の解決法を考えてみましょうか。論理的にはピケティのいう「国際協調的な資産課税強化」を挙げたいところなのですが、政治的な解決策がない。協調するといっても、結局はどこも自国の利益を求めるはずですから現実味は乏しい。
 まったく別の考え方として、私利私欲は何もなく、広い視野で人類の未来を見通せる、賢者のような独裁者が世界を統治するというケースもあります。 でもこれも理想論でしかない。となると、民主主義はデコレーションであって、格差を拡大させる資本主義に対する歯止めにはならないことを自覚した上で、 「熟議」を尽くすしかないでしょうね。

 ■「迷ったら2つ買え」<「迷わずに全部買え」
島地 おい、日野。これはお前たちの世代が真剣に考えなくちゃいけない問題だということを、ちゃんとわかっているのか?

日野 なんとなく「ヤバそう」という認識がある人はそれなりにいると思いますが、ほとんどの人は「なんとかなるさ」かもしれません。

中谷 正直ですね。でもそれも当然で、資本家たちもちゃんと考えていて、貧しい層が飢えない程度には食わせるようにしています。それにメディアを通じてイデオロギーが統制され、世の中はお手軽な娯楽であふれ、不平不満を「ガス抜き」する機会たくさんあるので、体制批判が大きな波になりにくい。格差の拡大はイヤだと思いながら、目先の仕事や娯楽で手一杯で毎日が過ぎていく。だいたいはそんなところではないでしょうか。

島地 昔のように、ヒマな時間がたっぷりあるから革命でもするか、という時代ではないですね。

日野 それに、今はアベノミクス効果なのかなんなのか、景気がいいと盛んにいわれています。これはどこまで続くんでしょうか?

中谷 外国人旅行者の誘致がそれなりに成功しているし、東京オリンピックという大イベントを控え、建築、インフラ整備の需要もあるため、2020年まではそれなりの成長を続けると考えられます。でもその先は人口も急激に減少していくわけですから、まったくわかりません。オリンピック閉幕を境に景気がドンッと落ち込むことも 十分予想されるので、注意したほうがいいでしょうね。

島地 今現在、日本の景気のかなりの部分を支えているのは中国人観光客の「爆買い」ですが、シングルモルトも中国人のおかげで値上がりしています。びっくりしたのは、銀座にパイプを見にいったら、そこにも中国人観光客が大勢いて、ケースに並んでいるパイプを「端から端まで全部買う」というんですよ。店員も私も唖然です。

日野 島地語録に「迷ったら2つ買え」というのがありますが、中国人の爆買いはさしずめ「迷わずに全部買え」ですね。

中谷 日本製のパイプは人気があって、お土産にするとよろこばれるそうですね。それにしてもあの中国人たちは、自分たちの国の製品はまったく信用しないで、日本製ならなんでも信用するんですから、おもしろい現象ですよね。

 ■シマジの人生は「民主主義<えこひいき」

日野 今回は資本主義と格差社会という、この連載としては異例すぎる真面目なテーマでお送りしましたが、結局、これから私たちは何を考え、どうやって生きていけばいいんでしょうか?

中谷 もしも資本主義の暴走に歯止めがかかるとしたら、フランス革命に匹敵するほどの価値観の大転換が必要になるでしょう。たとえば、これまで無上の価値とされてきた「個人の自由」を一部犠牲にすることによって資本主義の矛盾を是正せざるを得ないということなのかもしれません。

日野 それは島地さんには耐えられない気がします。シングルモルトも葉巻も自由に買うことは許されず、配給制になったりして。

島地 いや、それは困る。この2つだけは何があってもゆずれない。途中ですっかりピケティに共感しそうになったけど、「個人の自由」の制限は格差以上に深刻な問題です(笑)。
 結局、みんながハッピーになる解決策なんてありっこないということですね。わたしはこれまで通り、民主主義よりも“えこひいき”を信じて生きていきます。〈了〉

*中谷巌 (なかたに・いわお) 経済学者、大学教授、著述家。1942年、大阪府生まれ。一橋大学経済学部卒業後、日産自動車勤務を経て、ハーバード大学大学院に留学。同大学院で博士号 を取得し、講師を務めたのち帰国。大阪大学経済学部教授を経て、一橋大学商学部教授に就任。そのほか、複数の企業での社外取締役、多摩大学学長、三和総合研究所(現・三菱UFJリットルサーチ&コンサルティング)理事長などを歴任する。2010年には、一般社団法人「不識庵」を設立し、日本と世界を考えるリーダー育成のため、私塾「不識塾」を開校した。主な著書に『入門マクロ経済学』『痛快! 経済学』『資本主義はなぜ自壊したのか』『資本主義以後の世界』など。

*島地勝彦 (しまじ・かつひこ) 1941年、東京都生まれ。青山学院大学卒業後、集英社に入社。『週刊プレイボーイ』『PLAYBOY』『Bart』の編集長を歴任した。現在は、コラムニスト兼バーマンとして活躍中。『甘い生活』『乗り移り人生相談』『知る悲しみ やっぱり男は死ぬまでロマンティックな愚か者』(いずれも講談社)『Salon de SHIMAJI バーカウンターは人生の勉強机である』(阪急コミュニケーションズ)など著書多数。Webで「乗り移り人生相談」「Treatment & Grooming At Shimaji Salon」「Nespresso Break Time @Cafe de Shimaji」を連載中。最新刊『お洒落極道』(小学館)が好評発売中!  
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