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●古市憲寿の本音トークを覗く 左翼じゃなく、保守論者風
以下のリテラ・明松結氏のコラムは、「ブサイクは怠惰の象徴」に対する批判がコラムである。古市氏がTwitter上で現実是認なリアリズムな表現をしてしまったことで大炎上。最終的に、その発言部を削除したと云う事件があった。古市と云う若き社会学者は、本来の社会学におけるアプローチとして確立されている“インタビューやフィールドワーク、ないしデータの統計的分析など”実証的学問“であるのに対し、かなり反逆的と云うか、非学問的部分を持っているのは事実だろう。
しかしだからと言って、古市の「絶望の国の幸福な若者たち(2011.9月)」等で見せている観察眼は鋭いし、若者の自虐性も認めた上で、現実的手法にアプローチしようとしている試みには、それ相当の価値がある。まあ、感覚的社会学、悪く言えば口の悪い軽口評論家とも受けとめられるが、評価はどっちでも良いだろう。メディアにおいて、さも事実のように語れてしまう言説に、一応逆らってみる。一種のアドバルーン方式のネット社会独特の社会学のフィールドワークであるかもしれない。
筆者も上述の本は読んだが、格差社会や年金差別などで「不幸」だと位置づけられている21世紀の日本の若者は、必ずしも「不幸」ではないと云う論調で貫かれている。統計数値などを見る限り、比較論において団塊世代以前の人々よりも「金銭的損害(差別)」を蒙っている。それは事実だ。しかし、故に「不幸」という考えは短絡で、現実の時間以上に“何かが良くなる”見込みのない時空間では、“今を愉しむ”或いは“今が幸福”の感覚になっている方が、幸せである可能性は高い。
つまり、現在生きている時空間に、見渡す限り広々とした将来とかが見えていないのに、閉塞したオバマ・アメリカンが見立てぬ夢物語を流暢に語ったり、安倍晋三が津々浦々に利益が滴り落ちるとか嘘八百を並べても、踊る気にはなれません。だから、ナショナリズムもサッカーやWBC野球観戦の時に限らせていただきます。極論すると、日本政府が中国政府に乗っ取られても、日本と云う島で、日本人が暮らして行ければ、それはそれで良いのだはないか。言い換えれば、ナショナリズムはスポーツに限らせていただきます、そういう意味合いかもしれない。いわゆるアメリカの社会学者パーソンズの造語「コンサマトリー化」と言えるのだろう。
この「コンサマトリー化」と云うのは、将来的展望の見えない社会状況や短絡で蕩尽的傾向のあるネット社会などにおいて起きる現象。インスツルメンタル化の対語のようなものだが、利口でズルい人間から見れば、非経済的、非生産的、非倫理道徳的な行動原理になることもある。いや、そのなる方が、「幸福感」が得られやすいとも言える。大変に不道徳な印象を持つ話なのだが、古市は賢い奴なので、社会に波紋を投げかける手法を取り、調査手段を省く楽ちんな実証を実現しようとしているかもしれない。おそらく、この、一見差別的発言にも、そういう含みがあるような気がする。
掲示板などにざっと目を通すと、古市のことを「ブサヨ」と言っているネトウヨがいたが、古市は十二分に保守的人間だ。それこそ賢いコンサマトリー人、自民党への親和性の強い論者だといえる。若者世代の保守化が加速しているのも、こういう社会現象が手伝っている可能性は高い。おそらく、古市は学者ではなく、評論家なのだろう。自分でも学者を本気でやる気があるか、甚だ疑問だ。ただ、問題提起者、主論に反論する言論人としての価値があるように思える。
≪ 「ブサイクは怠惰の象徴」古市憲寿のブス差別がヒドい! 容姿差別は合法だと開き直り
「若者論」の代表論客として今やメディアで引っ張りダコの社会学者といえば、古市憲寿だ。格差社会に伴う若年層の不幸な状況が問題視されるなかであえて「若者は幸福」と語り、とりわけ2010年代、ニュースや討論番組に頻繁に出演するようになった。 しかし、その言動をつぶさに見て行くと首をかしげたくなることも多い。昨年彼をめぐってとある炎上騒動が巻き起こったが、それに対する古市くんの「言い分」がはっきり言ってヒドイので紹介したい。
事の発端は昨年10月13日、古市くんがTwitterで「テレビで中学生くらいの子たちが合唱してるんだけど、顔の造形がありありとわかって辛いから、子どもたちももっとみんなメイクしたり、髪型や髪の色をばらばらにしたほうがよいと思う」とツイートしたことだった。これに対しネット上で、 「オマエはどのツラ下げてテレビ出てんの?」 「『顔の造形がありありとわかって辛い』などと公然とツイートする、あなたの心の造形がありありとわかって辛いです」 などと批判の声が殺到。本人が当該ツイートを削除する事態へと発展したのだ。
騒動から半年以上が経ち、古市くん本人がツイートの意図などをなぜか今になって釈明している(「『ありのまま』という言い訳」/「新潮45」 2015年4月号/新潮社)。しかし、その内容は非常に粗雑だ。何より絶句させられるのは、彼の開き直りがその実「容姿差別」への明白な加担になっていることである。
順を追って内容を見て行こう。原稿は、発端となったツイートがネットニュースなどで「ブスは整形しろ」とまとめられたことに対し「誰をも『ブス』 と呼んでいないし、『整形しろ』なんて勧めてもいない」とふてくされた出だしから始まる。その後、昨年『アナと雪の女王』をきっかけに流行語になった「ありのままで」というキーワードが持ち出される。個人が「ありのまま」から抜け出して、身分や職業を自分で選べるようになった近代社会でも、なぜか学校空間ではメイクや染色が禁止され「ありのまま」であることが求められる。実際の社会では建前に反した「容姿差別」が存在するにもかかわらずおかしいのではないか、と古市くんは指摘する。
問題なのはここからだ。では差別を否定するのかと思いきや、なんと「法律的にも人を『見た目』で差別することは認められている」と仰天の一文が続くのだ。 「日本には、人を容姿で差別することを禁じる法律はない。職業安定法や、男女雇用機会均等法には労働者を募集・採用する時に容姿を基準にしてはいけないと いう旨の行政解釈もあるが、法律として明文化されているわけではない。要は、企業が『見た目』で人を採用しても法律違反になることはないのだ」
………(中間省略)………
「古市くん、社会学を学び直しなさい!! 自称社会学徒が日本を代表する社会学者をたずねる」(「小説宝石」2015年4月号/光文社)。
冒頭、小熊は今日の日本で社会学者は「評論家」として流通していると語る。本来、社会学はインタビューやフィールドワーク、ないしデータの統計的分析などに支えられた「実証的学問」である。しかしマスコミが 便利屋を必要とする結果、「社会学という学問とは切り離されて『評論=社会学』というイメージが定着していった」のではないかと小熊は指摘する。……これ、まんま弟子のことを指しているとしか思えない。古市くんはつまるところ「社会学者」ではなく「薄口社会評論家」なのだ。そう考えればその言動の浅さに も納得がいく。こういう「薄口評論」が曲がりなりにも「論考」として流通してしまう今の言論界って、本当に大丈夫なんだろうか。
黙っていられないので、ともに叫ぼう。「古市くん、社会学を学び直しなさい!!」。学問や研究というもっともらしいヨロイをつけて、今社会のなか にある差別に加担するのは、本当に勘弁してほしい。古市くんこそ「ありのまま」の発言をやめて、学問の世界できちんとした修行を積み直してほしいものだ。
≫(リテラ:スキャンダル―差別―明松結)
注: (……)中間省略部は下記URLを参照願います。
http://lite-ra.com/2015/05/post-1079.html
彼のことで、面白い栗原裕一郎氏(『本当の経済の話をしよう』若田部昌澄共著や『石原慎太郎を読んでみた』などがある)のTwitterまとめがあったので、同時掲載しておく。栗原氏は筆者は知らなかったが、かなり面白い経歴の持ち主なので、今度、上述著書を読んでみようと思う。単独著書が以下の一作なのがおしい論者だ。
≪ ■『本当の経済の話をしよう』に対する古市憲寿氏の反論について
先般、早稲田大学教授の若田部昌澄氏と『本当の経済の話をしよう』(ちくま新書)という共著を上梓しました。 幸い好評のようなのですが、第17講「あなたは「幸福」の国ブータンに住みたいですか」――「幸福研究」についての講義です――で批判的に言及した『絶望の国の幸福な若者たち』(講談社)の著者・古市憲寿氏よりツイッター上で反論をもらいました。
この件につき、当方の見解を述べたいと思います。
まずは当該記述を(p.240-241)。
若田部 幸福度調査の話題を続けると、最近、古市憲寿『絶望の国の幸福な若者たち』が話題になっているじゃない。
栗原 物心ついたころからずっと不況で、非正規雇用のせいで生活と将来の不安に脅かされている現代の若者だけど、生活満足度や幸福度はなんとここ40年間でもっとも高いのだ! と東大博士課程在学中の若手社会学者(の卵?)が挑発的にぶち上げた本ですね。
若田部 古市氏は、20代の若者の現在の生活に対する満足度が70.5%にものぼっているというデータを出しているけれど、内閣府の「国民の生活に関する世論調査」というのに拠っているんだよね。なぜこの調査に基づいたのか、その説明はない。WVS(World Values Survey)のほうが信頼度は高いはずなのに。古市氏が「朝まで生テレビ」(2012年2月25日)に出演したとき、飯田泰之氏も「world values surveyをみると日本人の生活満足度・家計満足度ともに下がっているのになぜ(WVSよりはマイナーな)「国民生活に関する世論調査」を使うのかという点は是非(古市氏に)質問して欲しい」とツイートしていた。(…)
栗原 ははあ。でも「なぜ」って、WVSのほうだと「絶望の国の幸福な若者たち」というセンセーショナルなテーゼ立てが成立しないからじゃないですか?(笑) もっともあの本の主眼は、これまでの若者論と、若者論が提示していた若者像に対する批判にあるみたいだから、この煽り自体は本全体の趣旨にとってそれほど重要でないようにも見えますけどね。
若田部 WVSを使わないのは単に知らなかっただけかもしれない。でも「幸福」は題名にもなっていて、こちらは「釣られた」わけね(笑)。 WVS(World Values Survey)は日本語表記だと「世界価値観調査」です。
この箇所に対して、古市氏から以下のような反論がありました。メンションが飛んで来ておらず気づくのが遅くなりました。
(1) そういえば『本当の経済の話をしよう』で『絶望の国の幸福な若者たち』がディスられてた。端的に間違いと思われる記述があって心配になったんだけど、世界価値観調査でも若年層の主観的幸福度や(特に)生活満足度は上昇傾向にあるんじゃない。。。? https://twitter.com/poe1985/status/251637356828962817
@xxxxx 年齢別のデータを見ないほうがどう考えても「都合のいいデータ」だと思うんですけど。。。あと僕の本でも「幸福だからいいよね」なんてことは書いていません。WVSの公式サイトです→ http://www.worldvaluessurvey.org/ https://twitter.com/poe1985/status/251669125515051008
(2) あと「世界価値観調査(WVS)を知らなかったんじゃない?」とか言われてますが、いくつかの調査はWVSから引いているんだよなあ。忙しい著者の方が本を読まないで引用するのはよくあることなのでいいのですが、データマンの方にはしっかりして欲しいと思いました。 https://twitter.com/poe1985/status/251637783783960576
まず(2)について。以下、若田部氏のコメントです。
古市氏が世界価値観調査を知らなかったかのような記述は誤解をまねくもので訂正したい。『絶望の国の幸福な若者たち』の幸福度調査に関連した記述では古市氏は世界価値観調査に言及されていなかったため、その文脈で、古市氏は世界価値観調査に幸福度調査があることを知らなかったのかもしれないと思い込んでしまった。しかし当該本150頁では、「もし戦争が起こったら、国のために戦うか」という設問への答えとして世界価値観調査を引いているので、古市氏が世界価値観調査自体を知らなかったという認識は誤りである。 この部分に関しては、栗原も確認を怠り見落としていました。あわせてお詫びいたします。後ほど謝罪・訂正を筑摩書房のウェブサイトに掲載の上、重版分にて修正します。
続いて(1)について。 『絶望の国の幸福な若者たち』から当該記述を引いてみます(p.7-8)。 実際、現代の若者の生活満足度や幸福度は、ここ四〇年間の中で一番高いことが、様々な調査から明らかになっている。たとえば内閣府の「国民生活に関する世論調査」によれば、二〇一〇年の時点で二〇代の七〇・五%が現在の生活に「満足」していると答えている。そう、格差社会や世代間隔差と言われながら、日本の若者の七割が今の生活に満足しているのだ。
この満足度は、他の世代よりも高い。三〇代でこの数値は六五・二%、四〇代で五八・三%、五〇代では五五・三%まで下がる。(…) また、現在の若者の生活満足度は過去の二〇代と比べても高い。まだ高度成長期だった一九六〇年代後半の生活満足度は六〇%程度。一九七〇年代には五〇%くらいにまで下がった年もある。それが、一九九〇年代後半からは七〇%前後を示すようになってきた。
経済成長の裏側の不幸
二〇一〇年を生きる若者は、過去の若者と比べても、「幸福」だと思う。 同様の記述は第二章の5「「幸せ」な日本の若者たち」にもあります(p.98~)。
古市さんの議論を見ますと、「国民生活に関する世論調査」において、20代の7割以上が生活に「満足」していると示したその次に、小見出しを挟んで、「二〇一〇年を生きる若者は、過去の若者と比べても、「幸福」だと思う」と展開しておられますが、「生活満足度」と「幸福度」は統計上別概念ですので、飛躍しています。
「幸福度」については内閣府の「国民選好度調査」が2010年以降調査集計していますが、これを見ると世代間での幸福度に有意な差を見出すことはできません。 http://www5.cao.go.jp/seikatsu/senkoudo/senkoudo.html
WVS(世界価値観調査)でも同様に「生活満足度(Satisfaction with your life)」と「幸福度(Feeling of happiness)」は区別されています。
幸福度」について、WVSのOnline Data Analysis(http://www.wvsevsdb.com/wvs/WVSAnalizeStudy.jsp)で、日本人の幸福度の、年代ごと世代別の集計を取ってみますと、「Very happy」と「Quite happy」の合計(%)は以下のようになります。
年 | 15-29歳 | 30-49歳 | 50歳以上 |
1981 |
77.4 |
76.5 |
77.1 |
1990 |
72.5 |
81.1 |
75.7 |
1995 |
84.7 |
90.9 |
92.0 |
2000 |
80.3 |
85.8 |
89.7 |
2005 |
86.8 |
86.2 |
88.2 |
※データのpdf→http://firestorage.jp/download/ea6186f596d35d0a32b1939dcc21d47a38a16502
こちらを見ても、世代ごとの幸福度、および推移に有意な差はありません。せいぜい、日本人は全体的に「幸福」になっているかなという程度で、若者(15-29歳)の幸福度が他の世代に比べて特に上がっているということはできそうにありません(データの取り扱いに関しては、飯田泰之氏に助言をいただきました)。
古市さんはご自身の主張を裏付ける傍証的に以下のグラフをリツイートしておられました。
ウェブ上で追跡してみたところ、古市さんがリツイートされている元ツイート以前をたどることができず、電通の『世界主要国価値観データ』をはじめ各種統計刊行物をあらためても同様のグラフを見つけることはできませんでした。
それと、世代が「18-24歳」で区切られていますが、WVSのOnline Data Analysisのデフォルト設定は「15-29歳」となっていますので、原データから集計しないとこのグラフの元となる結果は得られないように思われます。 このグラフの出典はどこなのでしょうか?
また、このグラフが正しいとして、「幸福度」のグラフであって「生活満足度」は含まれていませんから、古市さんのおっしゃる「世界価値観調査でも若年層の主観的幸福度や(特に)生活満足度は上昇傾向にあるんじゃない」の論拠とするには不十分であると思われます。
さらに、ご著書での主張「現在の若者の幸福度は他の世代よりも高い」の論拠とするにも不十分でしょう(先に見たように、古市さんは「生活満足度」と「幸福度」を適宜同じものとして用いておられるのですが)。
ついては、若年層の幸福度や生活満足度が他の世代に比べてとりわけ高く、また上昇しているという、WVSに基づいたデータをご提示いただければと思います。 こちらからの返答はひとまず以上です。
(2)と同様に、訂正・謝罪の必要があると判断した場合には、筑摩書房のウェブサイトに正式に掲載する手はずが整っておりますので、お手数ですがご返答いだただければ幸いです。
最後になりましたが、古市さんはこの反論以前に、『本当の経済の話をしよう』を評価するツイートもされていました。ご自身が批判的に扱われている書籍にもかかわらず奨励してくださったフェアなスタンスに感謝申し上げます。 @xxxxx @xxxxx あとサンデルを中和するには、最近出た『本当の経済の話をしよう』を勝手におすすめしておきます。倫理的判断の前に、まずは費用と便益を考えましょう(倫理的議論はその後で)というのは、経済学に限らず社会科学の「お約束」なので。
https://twitter.com/poe1985/status/234681670194851841
≫(栗原裕一郎のツイッターより抜粋)
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