世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

●安倍の“国家主義”は嘯き 単なる“寄らば大樹主義”に過ぎず

2015年05月16日 | 日記
火山入門―日本誕生から破局噴火まで (NHK出版新書 461)
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●安倍の“国家主義”は嘯き 単なる“寄らば大樹主義”に過ぎず

14日に、内閣が安全保障関連法案を閣議決定した。アベ晋三は、“抑止力がさらに高まる”とわざわざ記者会見を開いて、言い訳三昧をしていたらしい。更に、「不戦の誓いを将来にわたって守り続け、国民の命と平和な暮らしを守り抜く決意の下、平和安全法制を閣議決定した」と表明したらしいが、安保関連法案が、公明党の協力を得るしか方法がなく、相当、骨抜き法案になったのは事実で、このレベルでは、法律上、自衛隊が米軍の“おいらはヤクザ”の戦闘に巻き込まれることは理論上不可能だ。ただし、この政権が長期化した場合には、理論上不可能なことでも、“詭弁を突き通し”閣議決定で、ちゃぶ台返しをする懸念もあるので、単純に安心は禁物だろう。

また、日本本土では、横田基地にオスプレイが突然配備されることが発表された。周辺自治体の首長らも、ポーズで「遺憾」は表明しているが、配備への明確な反対表明がないことから、事前に根回しはされていたと解釈すべきだろう。沖縄の県民の米軍被害の、“100分の1”程度は肌で感じるのも悪い事ではないし、公式見直し要請などすることもなさそうだ。一定の範囲、本土でも受け入れているというアリバイ作りから出た、急きょの一策だ。沖縄県民の目を意識すれば、些細な米軍基地被害に関して、大袈裟に振舞うわけにもいかないと云うジレンマだろう。

政府としては、ゴミを出来るだけ多くの所で負担しましょうと云う腹のようだが、謂わば、ばい菌を封じ込めるのではなく、拡散させるわけだから、ばい菌は、元を断たなければ、すべてが悪い方向に向かうだろう。飛行ルートによっては、東京都ばかりではなく、周辺県や全国的な影響もあるのだろう。まあ、オスプレイの爆音を聞いてみるがよかろう。少しは普天間や嘉手納、そして、これから新たに建設予定の辺野古の被害を知る上では、個人的には、被害の拡散と云う難点はあるが、沖縄だけの問題だとたかを括っている本土の住民の啓蒙としては、一定の反面教師的意味合いはある。そうして、本土も沖縄並みに、基地負担しても構いませんと思えるのか、沖縄県民の気持ちに共鳴するものを育めるのなら、ばい菌をもってばい菌を制すって皮肉な手法もあるのだろう。

さて、本題に移ろう。以下は、国際基督教大学准教授のスティーブン・ナギ氏のレポートだ。「日本は右傾化しているのか?そして、ナショナリズムに向かっているのか?」と云う命題に、外国人として見る「日本人と政治家(安倍首相)」についての、見解が述べられている。中々冷静沈着な分析で好感は持てるが、幾つかの勘違いと云うか、欧米文化の普遍的価値イコール、世界の常識と云う思考停止な部分もある学者のようである。その欧米的価値観依存症な部分を中心に、幾つか“感想”を述べさせていただく。

≪ 日本は本当に右傾化しているか?
カナダ人国際政治学者はこう考える ――スティーブン・ナギ国際基督教大学准教授

北東アジア地域では、中国、日本、韓国の関係悪化により、ナショナリズムが沸騰している。多くの国が日本の“右傾化”を非難あるいは警戒しているが、筆者は一貫して、現代日本とナショナリズムに関して、次のような関心を抱いている。 1.日本人は以前よりも国家主義的になっているか?
2.日本の政治家は以前よりも国家主義的になっているか?
3.安倍首相は国家主義的か?また、積極的に国家主義的な外交政策を打ち出しているか?
4.もし日本が国家主義的になりつつあるとして、
何が国家主義の成長を促しているのか?
また我々は、それを警戒する必要があるか?

 この議論は、イエスかノーで答えられるほど単純な問題ではなく、非常に複雑化している。本記事ではこれらの問いに、わかりやすく、かつ、より微妙なニュアンスをも含めた回答を提供したい。

 ■日本人は以前よりも 国家主義的になっているか?
ヘイトスピーチの出現や新大久保の路上で人種的中傷を叫ぶ小グループによる暴力、また日本会議・さくらチャンネル・在特会等の国家主義的言説などは、ある程度ではあるが、日本人が以前よりも国家主義的になっていることを示している。
  だが、これら周辺グループが支持する見解は、日本人の主流の価値観ではなく、また意見でもないと言われる。たとえば、アンチ韓国人グループ「在特会」のヘイトスピーチは、侮蔑的な攻撃に加えて、在日韓国人は韓国に帰るべきだと主張している。しかしながら、少数派によるこれらの人種差別的攻撃は、 数々の全国的調査にみられる日本人の意見とは、まるで対照的だ。
 統計数理研究所が実施した最新の「日本人の国民性調査」によると、日本人は以前より国家主義的にはなっておらず、むしろ、多くの点で以前よりもオープンになっていることがわかる。たとえば、国際結婚の容認率は上昇(1988年の29%から2013年は51%に)している。
  一方で憲法改正について朝日新聞と読売新聞の世論調査(2003年から2015年)を見てみると、一貫して「賛成」が増加しているわけではなく、「反対」もまた増減しており、揺れ動いている。最新の世論調査では、読売新聞では「賛成」が51%と過半数を占めたものの、朝日新聞では43%と過半数を割っている。 NHK、朝日新聞、読売新聞等の調査でも、また内閣府の防衛問題に関する最新の調査でも、日本人は以前よりも国家主義的になってはいない、という結果が出ている。それは、日本の領土を守り、自衛隊の海外派遣を可能にするための憲法改正において顕著だ。
 領土を守ることに対しては幅広い支持があるが、自衛隊の海外派遣はほとんど支持されていない。この結果から得られる、より広範なメッセージは、普 通の日本人は、防衛のための自衛隊は支持するが、戦闘のために海外へ派兵することや、海外での集団的防衛に従事させることは支持していない、ということを示している。
 他の世論調査も、日本の右傾化に関するさらなる情報を与えてくれる。たとえば、言論NPOと中国日報がおこなった「2014世論調査」の結果を見ると、多くの興味深い傾向が出てきていることがわかる。この世論調査によると、2005年以来、領土問題を主張し、日本の歴史認識を批判し、国際法や国際的規範を受け入れることができない中国に対して、日本人は親近感を徐々に失ってきていることがわかる。
 中国の行動に対するこの変化には、二つの要因が同居する傾向にある。一つには、いわゆる中国自身の自己主張だ。もう一つは日本人が、日本の価値観 や勤勉さ、伝統等から創造されてきた平和的で現代的、民主的なセルフイメージを持つことに対し、中国が隣人として反感を抱く事だ。
 後者は実は国際的に見て珍しいことではなく、例えば筆者の母国、カナダ人の一般的なセルフイメージに対し、アメリカ人は必ずしも好感を抱いていな い。筆者の見方では、このような隣人に向けられる反感はお互いを識別する方法の一種であり、互いのアイデンティティに対する不安定感を和らげると同様に、 固有のアイデンティティを構築する方法でもあるとも言える。
 また、日本人が中国に対しネガティブな印象を抱くのは、日本が普遍的人権、国際法と民主主義などの現代的な価値観を信じる国家のひとつであるとい うルールを、多くの日本人が再認識し、強めてきた結果でもあるともいえるだろう。この過程に内在するのは、日本人が「日本は隣国よりも優れている」と考えていることだ。 これは、今日のメディアや日本社会においてよく見られる主張であり、そのために海外留学への興味が減退したりもしている。日本は中国の台頭を非常に懸念しており、結果として日本人は、何が日本を隣人とは異なる存在としたのかを、自らの内面に求めるようになっているのだ。
 また、ナショナリズムとは似て非なるものとして、「日本人であれば安全だ」という認識が増えている(筆者はそれを「安心主義」と呼んでいる)。そ れはリスクを最小化する方向に日本社会が深く傾斜していることを指し、世界を探索することに無関心であったり、孤立主義的になったりしていることである。 日本は、安全で、安定して、心地よい社会を代表する国であるが、日本以外の世界は紛争や困難、苦難が多いという印象を持つ日本人が増加してきているよう だ。
 結論として、日本人の特性と一体となっている愛国心に基づく、筆者が「民族文化的」と呼ぶものへの回帰を表現する言葉として、やはり“ナショナリズム”は適当ではないと、改めて主張したい。筆者は日本人の不安定感は、バブル以降の日本経済の停滞からと、数々の社会問題に直面していることから生じて いると考える。さらに、中国の急速な経済成長と比較した場合に、不安感がより強められるのだ。

日本の政治家は国家主義的か?
 この問題については、2014年12月の衆院選の結果が示唆に富んでいる。安倍首相は選挙に勝ったが、国民の関心は経済問題にあり、国家主義やイ デオロギーにはなかったと言える。自民党以外の右派はすべて議席を減らし、国家主義的政党は敗退するか、または議席を減らしているからだ。
 次世代の党は議席数を19から2までに減らす一方、民主党と公明党はその数を増やし、共産党もかなりの票を得た。自民党は勝利したにもかかわら ず、議席は失ったのだ。安倍首相は、憲法の再解釈に取り組むのに右派や国家主義的政党からの支持は期待できなくなり、むしろ公明党の支持を得るために、自 らの提案を骨抜きにせざるを得なくなっている。
 衆院選の結果自体は多様な解釈が可能だが、こと「政治家は以前より国家主義的になっているか」という問いの答えをその中に求めるならば、ほとんど の国家主義者や右派政党の敗北、自民党の議席減少、リベラル派や左派政党の議席増加に明白に表れている。単純に、国民は安倍首相の経済対策を支持し、国家 主義的な政治家を排除したのだ。

 ■安倍首相は国家主義的か?
 積極的に国家主義的外交政策に向かっているか?  安倍首相がいわゆる右派、国家主義者であることはほとんど疑う余地がない。彼は、何かと論議を呼ぶ靖国神社に参拝し、神道政治連盟国会議員懇談会 や自民党歴史検討委員会、日本の前途と歴史教科書を考える議員の会など、その他様々な国家主義的傾向を持つ会に参画し、日本国憲法9条を書き換えたいと考 えている。ただ、これらの国家主義者「資格」は、この質問の後半の、より積極的な国家主義的外交政策とは切り離して考える必要がある。
 安倍首相は間違いなく、外交に関しては他の歴代首相よりもアクティブにかかわろうとしていると言える。2012年に第一次内閣で首相の座に就いて 以来、彼はこれを実証している。国際関係により深く関わりたいという日本の意欲を強調するために、彼は全ASEAN諸国をはじめ、その他の地域も何度も訪 問している。安倍首相はフィリピン、インドネシア、オーストラリア、ベトナムとの間で安全保障と関係強化を進め、日米安保同盟を強化してきた。
 自民党政権は、防衛目的の装備、監視、潜水艦、日本領土と島しょ地域に必要とされるモニター用ドローン技術、水陸両用車など、軍事支出を増やしている。ただし彼らには防衛用の範疇を越える武器装備を計画する権限はない。これらの行動は、能動的ではあるが、積極的、攻撃的、または国家主義的行動とは異なる。これらは、現状への投資であり、増大する国際法と多国間主義へのコミットメントを示している。自衛隊の派遣に関する最近の議論においてさえ、日本は第二次世界大戦後の平和主義を堅持することを明言している。
 安倍首相の歴史修正主義的性向はさておき、彼は日本を普通の国家にしたい、そしておそらくはイギリスやフランスのような強国にしたいと思っている のだろう。その意味するところは、力を誇示するためではあるが、ただしそれは戦争のための力ではなく、地球規模の問題に対処し貢献する力だと筆者は考える。これは彼だけと言うよりも、むしろ彼と過去30年間の多くの政治指導者たちが、日本をより積極的で協力的な国際的なプレイヤーにしようと努力し続けた結果であり、決して国家主義的というわけではない。
 憲法レベルでの彼のアジェンダは、「経済大国でありながら政治小国」から、「経済大国でかつ政治的パートナー」へ、日本をシフトすること。憲法改 正は、戦争に行くことではなく、自国の防衛能力を強化し、同盟国との協力関係を強化するものなのだ。この意味では、安倍首相の個人的な国家主義的野心、特に歴史問題をめぐる野心は、日本に深く埋め込まれた平和主義の規範とは相容れない。筆者の視点から見れば、彼のアクティブな外交政策は、周辺地域と世界の 現状に対する投資として、最上のものと言えるだろう。

 ■もし日本が国家主義的になりつつあるとしたら、 何がその原因なのか?
 繰り返しになるが、ナショナリズムは、現時点では日本を記述するための最良の言葉ではない。それは、中国に対する不安や懸念が、日本人をより内向 きにさせていることを示している。その意味するところは、日本人が外の世界を、日本とは正反対で危険で不安定、汚く邪悪、暴力的で汚染され、食べ物も安全ではない等々、と見始めているということなのだ。そして中国や北朝鮮は、これら否定的な世界のシンボルなのである。この意味において、日本は、その独特の感性と、中国と好対照をなす成功により、日本という国を再構築していると言える。これは、日本のすべての成功は日本文化にあった、とするバブル時代と似ている。

■我々は日本のナショナリズムを 警戒する必要があるか?
 筆者は、特に中国のナショナリズムを懸念するとともに、日本のナショナリズムは大したことのない段階に留まることを願っている。日本には報道の自 由があり、法律はクリアで、民主的な選挙による政府があり、あらゆる情報への完全なアクセスが可能だ。慰安婦問題に関して議論するテレビ番組においてさえ、まず「日本が侵略国家であったかどうか」が議論されている。市民社会は、慰安婦に関する展覧会の開催や、憲法9条改正に反対する議論をすること、反原発の促進などの運動を自由に行い、あるいは広島や長崎の記憶を保存することを通じて、戦時中の日本の真実を積極的に維持している。これらの活動にかかわる 日本人の膨大さは、右翼団体や日本会議、さくらチャンネルや在特会のような右派の数だけでなく、その多様性をも矮小化するものだ。
 筆者が懸念するのは、少数派である右翼の人々が、尖閣諸島や竹島に行くような愚かな行為をすることだ。これは間違いなく、2012年秋に中国で起こった反日暴動よりもはるかに悪い、中国や韓国のすさまじい反撃の引き金となるだろう。日本側では、中国人や韓国人に対する強い反発から、自己破壊的なナ ショナリズム拡大の種子がまかれるに違いない。
 この負のスパイラルを回避するためには、日本人の若者世代に、中国や韓国の良い側面についての良い教育が必要だと、筆者は強く薦める。知識と経験 こそが、地域内の相互理解を構築するとともに、ナショナリズムが戦後の日本だけではなく地域全体の社会経済的発展を破壊し、支配することを阻むことができるのである。

スティーブン・ナギ
1971年カナダ生まれ。2004年早稲田大学大学院アジア太平洋研究科修士課程(国際関係)修了、2009年同博士課程修了。2007年早稲田大学アジ ア太平洋研究科のリサーチ・アソシエイト、2009年香港中文大学日本研究学科助教授に就任、2014年より現職。早稲田大学「アジア地域統合のための世界的人材育成拠点」シニアフェロー、香港中文大学香港アジア太平洋研究所国際問題研究センター研究員を兼任。研究テーマは東北アジアの国際関係、日中関係、アジアの地域統合及び地域主義、非伝統的安全保障、人間安全保障、移民及び入国管理政策。 ≫( ダイアモンドONLINE:経済・時事―DOL特別レポート・スティーブン・ナギ )

―――――――ここから、筆者の感想――――――――

 ■≪ 言論NPOと中国日報がおこなった「2014世論調査」の結果を見ると……この世論調査によると、2005年以来、領土問題を主張し、日本の歴史認識を批判し、国際法や国際的規範を受け入れることができない中国に対して、日本人は親近感を徐々に失ってきていることがわかる。≫(レポート抜粋)

 感想: “国際法や国際的規範を受け入れることができない中国”と言い切る点に問題がある。2005年以来の期限の切りかたが不明だが、中国の巡視艇がベトナム漁船に発砲する事件が起きているので、それを指しているのかもしれない。しかし、そのレベルであれば、1995年には領有権でフィリピンの排他的経済水域に漁船員の避難所を作った辺りからとみる事も可能だ。 野田佳彦の、2012年9月11日にそれまで私有地であった2012年9月に尖閣諸島の3島(魚釣島、北小島、南小島)を日本政府が購入、国有化したことから、尖閣への中国の対応は変わった。領有権の係争に関しては、国際司法裁判所があるわけだが、ほぼ有名無実。となると、外交か武力で陣取りするのが、世界の係争の解決策にならざるを得ない。アメリカなどの所業をみていると、領有権どころか、虚偽の国民運動を工作して、国すべてを乗っ取るのだから、不用意に、国際法とか国際的規範(欧米価値観)を持ちだして、解説するのはフェアではないだろう。

 ■≪ 二つの要因が同居する傾向にある。一つには、いわゆる中国自身の自己主張だ。もう一つは日本人が、日本の価値観や勤勉さ、伝統等から創造されてきた平和的で現代的、民主的なセルフイメージを持つことに対し、中国が隣人として反感を抱く事だ。 ≫(レポート抜粋)

感想: どうも、ここの部分は日本人贔屓の偏った“セルフイメージ”のようで、学者的ではない。日本人は、明らかに中国に嫌悪している傾向があるが、世界のルールが転換期を迎えていると理解すれば、日本のマスメディアの論調と、同氏の考えは同じなだけで、まったく評価できない。また、中国人が、日本に対し、ネガティブなイメージだけで、隣人への反感を持っていると決めつけるのは、チョイと乱暴だ。中国政府の国際戦略では、意図的に“セルフイメージ”で世論を煽るかもしれないが、国民レベルで論ずるのには違和感がある。

 ■≪ 日本人が中国に対しネガティブな印象を抱くのは、日本が普遍的人権、国際法と民主主義などの現代的な価値観を信じる国家のひとつであるというルールを、多くの日本人が再認識し、強めてきた結果でもあるともいえるだろう。この過程に内在するのは、日本人が「日本は隣国よりも優れている」と考えていることだ。 これは、今日のメディアや日本社会においてよく見られる主張であり、そのために海外留学への興味が減退したりもしている。日本は中国の台頭を非常に懸念しており、結果として日本人は、何が日本を隣人とは異なる存在としたのかを、自らの内面に求めるようになっているのだ。 ≫(レポート抜粋)

 感想: どうも、同氏の学説的臭いがするのだが、≪筆者の見方では、このような隣人に向けられる反感は、お互いを識別する方法の一種であり、互いのアイデンティティに対する不安定感を和らげると同様に、固有のアイデンティティを構築する方法でもあるとも言える。≫ つまり、どうせ中国人が言うのだから……と言いたいのだろうが、“国際法や国際的規範を受け入れることができない中国”と言っておいて、“セルフイメージ”の効用で、「どうせ」で括る話には納得できない。

 ■≪ 結論として、日本人の特性と一体となっている愛国心に基づく、筆者が「民族文化的」と呼ぶものへの回帰を表現する言葉として、やはり“ナショナリズム”は適当ではないと、改めて主張したい。筆者は日本人の不安定感は、バブル以降の日本経済の停滞からと、数々の社会問題に直面していることから生じて いると考える。さらに、中国の急速な経済成長と比較した場合に、不安感がより強められるのだ。 ≫(レポート抜粋)

感想: 日本人の不安定感と云うよりも、不安感だと思う。日本経済の停滞とか、数々の社会問題の元凶も、不安定と云うより不安感である。ただ、かなりの面で、その不安感は自明な問題であり、中国より、かなり引き離された国となる。そのような近い将来を認めたくはない感情の発露だろう。ゆえに、中国人の悪い面だけを抽出して観察し、非難している。これは、強くなってきた友人と喧嘩して負けた子供が「今に見ていろ」「おまえの母ちゃんデベソ」と遠くから憎まれ口をきいているようなものである。蛇足だが、筆者も中国人は嫌いだけど、現実と将来の変化の可能性を観察すれば、嫌いでは済まない。

 ■≪ 安倍首相がいわゆる右派、国家主義者であることはほとんど疑う余地がない。彼は、何かと論議を呼ぶ靖国神社に参拝し、神道政治連盟国会議員懇談会 や自民党歴史検討委員会、日本の前途と歴史教科書を考える議員の会など、その他様々な国家主義的傾向を持つ会に参画し、日本国憲法9条を書き換えたいと考えている。ただ、これらの国家主義者「資格」は、この質問の後半の、より積極的な国家主義的外交政策とは切り離して考える必要がある。 ≫(レポート抜粋)

感想: たしかに、この着眼点はいいだろう。安倍が個人的に国家主義者ではあるが、政権が国家主義で突っ走ると決めつけるのは短絡的だ。政権の外交政策は、明確に指摘していないが、米国依存を自他ともに脱却しない限り、切り離して考える点には同感だ。ただ、安倍支持者たちは、かなりこの点で誤謬に陥っている。産経系は安倍の国家主義に同化するが、読売などは、米国にもっと依存した方が良いと主張している(笑)。

■≪ 安倍首相の歴史修正主義的性向はさておき、彼は日本を普通の国家にしたい、そしておそらくはイギリスやフランスのような強国にしたいと思っている のだろう。 ≫(レポート抜粋)

 感想: いや~違うだろう。現時点では、最後の世界大戦で敗者だったのだから、勝者の英仏とは、立場が全然違う。もう一発、世界大戦をして、今度こそ勝者になると云う思惑(夢想)はあるが、そんなことをリードできる国力は日本にはない。安倍首相を見ていると、不能犯が必死になって、うまか棒で人を刺そうとしているようだ(笑)。

 ■≪ 憲法レベルでの彼のアジェンダは、「経済大国でありながら政治小国」から、「経済大国でかつ政治的パートナー」へ、日本をシフトすること。憲法改 正は、戦争に行くことではなく、自国の防衛能力を強化し、同盟国との協力関係を強化するものなのだ。この意味では、安倍首相の個人的な国家主義的野心、特に歴史問題をめぐる野心は、日本に深く埋め込まれた平和主義の規範とは相容れない。筆者の視点から見れば、彼のアクティブな外交政策は、周辺地域と世界の現状に対する投資として、最上のものと言えるだろう。 ≫(レポート抜粋)

感想: そんなに最良の投資だろうか?ASEANなどは、投資であれば、金に色は着いていない。中国、日本の別なく、国家のインフラ構築などに寄与するなら、取りあえず頂くだけのことで、視線は中国の成長に向かっている。いずれの日にか、出来るだけ都合よく、ASEANを含むアジア共同体にする目標を持っているだろう。ロシア、トルコ、モンゴル等々を含めればユーラシア共同体まで視野に入れているだろう。その意味では、無理して財布から金を出してくれる分には、良い顔しようと云うレベルで、最良の投資と云うのは、欧米価値観にとってと云うことに過ぎない。

■≪ その意味するところは、日本人が外の世界を、日本とは正反対で危険で不安定、汚く邪悪、暴力的で汚染され、食べ物も安全ではない等々、と見始めているということなのだ。そして中国や北朝鮮は、これら否定的な世界のシンボルなのである。この意味において、日本は、その独特の感性と、中国と好対照をなす成功により、日本という国を再構築していると言える。これは、日本のすべての成功は日本文化にあった、とするバブル時代と似ている。 ≫(レポート抜粋)

 感想: なんだかね、その日本人の自信である“セルフイメージ”がかなり怪しくなっているのだが、同氏から見ると、まだまだ健在と見えるのだろう。ここで、同氏は曖昧に「日本文化」と言ってしまっているが、かなりドナルドキーン的である。仮に、現代の日本人が、いまだにそのような“セルフイメージ”に胡坐をかいていることの方が教養や感情の劣化なのではないかと筆者は感じる。21世紀のグローバル世界で生きるのであれば、その“セルフイメージ”は不遜に繋がる。筆者のように、鎖国国家も悪くないと考えない限りにおいて。

 ■≪ この負のスパイラルを回避するためには、日本人の若者世代に、中国や韓国の良い側面についての良い教育が必要だと、筆者は強く薦める。知識と経験 こそが、地域内の相互理解を構築するとともに、ナショナリズムが戦後の日本だけではなく地域全体の社会経済的発展を破壊し、支配することを阻むことができるのである。 ≫(レポート抜粋)

 感想: 同氏はナショナリズムが痛くお嫌いなようだ。たしかに、グローバル世界の構築を標榜するなら、ナショナリズムは困るだろう。しかし、今後ともに、このグローバリズムの流れが加速するとは限らない。現に停滞しつつあるわけで、どちらかと言えば、経済はブロック化の方向だ。ブロック化の中には、ナショナリズムとは異なるだろうが、ブロックをナショナルに見立てる思考は、ユーロ圏で苦しみながらも試みられている。案外、アメリカだって、内向き志向になることもあるわけで、今までの流れ通りに事が運ぶ可能性は半々だ。

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