世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

●安倍首相の唯我独尊、我田引水 「虚偽日本」を世界に発信 

2015年05月14日 | 日記
沖縄の“怒”―日米への抵抗
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●安倍首相の唯我独尊、我田引水 「虚偽日本」を世界に発信 

内田樹氏のサイトに興味深いことが書いてあった。スイスのラジオ局が、日本の宗教事情についての番組で訪日するに際しての、主な質問項目が披瀝されている。内田氏がこの番組に比較宗教の釈徹宗氏まで引っ張り出すと云うのだが、スイスのラジオ局が、話についてこられるかどうか、かなり心もとない。内田氏が敢えて、≪スイスのラジオ局のひとりのディレクターから見えた「現代日本のイメージ」がはっきりと示されていて、たいへん興味深かったので、和訳したものを掲載しておく。≫と示した通り、この質問こそが、我々日本人も考えておいて損のない一面だと思ったので、以下に引用掲載する。

一読しようが、再読しようが、かなり難解で高度な質問に、まず驚いた。筆者などにとっても、内田氏と釈氏が、どのように答えるか、非常に興味深い。ただ、質問領域は多岐にわたり、歴史、宗教、社会、地政、政治、国際に跨る「21世紀の日本」みたいな、壮大なものになりそうだ。このスイスのラジオ局のディレクターが日本ウォッチャーなのかどうか判らないが、このインタビューそのものだけで、一冊の書物が出来てしまいそうだ。

筆者のおざなりな直感で大変僭越だが、スイスラジオ局の、高尚な質問に答えてみようと思った。勿論、内田、釈両氏の高尚な答えとはまったく違うだろうが、市井のブロガーの直感も参考にはなるだろう(笑)。

1、Q:「市民宗教」(religion civique)に類するものは存在しますか? あるとすれば、それは日本文化の宗教的層である「無常感」のようなものでしょうか?
  A: 「市民宗教」は社会契約論に出てくる言葉として解するとすれば、日本人全体を網羅するような「市民宗教」はない。ただ、宗教ではないが、“今上天皇”と云う存在に、一定の精神的支柱を持つ市民は多く、それゆえに、政治の右傾化なども、影響力は大したことないと思う傾向がある。森元首相の“神の国”は無教養から出た言葉だ。
 「無常感」という字が正しければ、日本人には「無常」を持って、今の苦境を乗り切るという「生きる術論」はあるだろう。平家物語の冒頭部分の文章が、現代日本人の現世の問題をやり過ごす精神に繋がっているかもしれない。まあ、虚無的境地で現状を乗り切る、知恵のような精神的バックボーンはあるかもしれない。 『祇園精舎の鐘の声 諸行無常に響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす おごれる人も久しからず 唯春の夜の夢の如し たけき者も遂には滅びぬ 偏に風の前の塵に同じ』

2、Q:先祖伝来の宗教文化の次世代への継承は果されているでしょうか?
  A:これは怪しい。外来文化の輸入国である日本の場合、民俗学的言い伝えは残るが、体系的宗教となると、その実態は、市民的ではない。また、先祖伝来と云う属地的共同体が消えている部分が多いので、継承しようがない。

3、Q:外来の宗教的表現に対する日本人の態度は、すべての外来の文物に対する程度と同一のもの(興味は示すが、どこか不信感もある)でしょうか?
  A:宗教的であろうが、物質的であろうが、基本的に縮小短絡利便が島国における基本ゆえに、自分たちに都合の良い姿に変える。時には変質させることもある。不信感と云うよりも、日本で広がりやすい形に変えてしまうだけ。

4、Q:現在政権の座にある日本の右翼( la droite japonaise actuellement au gouvernement)の政治的アジェンダには「宗教的」な面があるでしょうか?   
  A:ないない。彼の宗教性は、便宜的パフォーマンスの領域。神道の本流に靖国神社などはなかったわけで、皇室的には、伊勢、熱田、明治神宮だろう。靖国などは成り上がりなのだが、なぜか、神道の支配者風になっている。これで、日本の神道の信頼度はかなり落ちたといえるだろう。日本の市民社会に、神道が馴染んでいるかと云うと、まったくそのような傾向は見当たらない。縁起を担ぐ程度の位置づけだ。政治家などは、熊野神社に詣でることが多いが、あまりその意味は筆者は判らない。

5、Q:戦後日本の「平和主義・平等主義的で寛容な」教育は物欲を煽ることで国を滅ぼしたとして糾弾されていますが、このような批判は日本国内ではどのように受け止められているのでしょうか?
  A:そんな話、寡聞にして聞いたことがない。

6、Q: 個人主義は日本では敵と認定されたのですか? 民主主義的な価値観は日本では断罪されているのですか?
  A:保守論人とネトウヨの話に耳を傾け過ぎ(笑)。個人主義と云うか、利己主義の塊で、時々都合よく共助の精神がある振りをする程度。筆者は民主主義に懐疑的だが、多くの市民は、いまだ「神話」のように信じているフリをしている。あなたは、山本七平の「空気の研究」についての論考を読むことをお薦めする。

7、Q: 日本の社会学者たちは「無縁社会」(連帯を失った社会的危機)について言及していましたが、この概念は厳密にはどういうことを意味しているのでしょう? 意味の危機、未来への信頼の危機、アイデンティティーの危機、そういう危機感は日本の人口の高齢化とかかわりがあるのでしょうか? 日本の若者たちの一部が伝統的な社会経済の構造について無関心であることにかかわりがあるのでしょうか?
   A:まとめて、どんと答えておこう。
 *「無縁社会」には戦後の高度成長経済期に、地方の農業中心共同体を都市型労働集約製造業に引き込むことにより成立したが、バター取引で地方共同体及び農業が壊滅した。
 *“意味の危機、未来への信頼の危機、アイデンティティーの危機、そういう危機感は日本の人口の高齢化とかかわりがあるのでしょうか?”の質問だが、20世紀的価値観を引き摺るなら、その危機感は永遠につきまとうものだろう。それが少子高齢化現象においては、実現不可能に思えるので、危機感になる。政府もマスメディアも、この構造的問題無視で20世紀的価値観を振りまわすのだから、危機的末期症状だと思うのは当然。価値観を変えなければと気づく時期も来るだろうが、それが何時なのかはわからない。
 *“若者たちの一部が伝統的な社会経済の構造について無関心”という質問だが、これも核家族化した都市文化とネット社会による変質だろう。また、閉塞と云う不都合な事実の存在を認め、肌感覚で虚無的になっていると解釈もできる。以上 あいば

PS:
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≪スイスのラジオ局から訊かれたこと
 スイスのラジオ局から先日メールがあって、日本の宗教事情についての番組を作るために訪日するけれど、インタビューを受けてくれるかというお訊ねを頂いた。 現代日本の宗教事情について詳しく知りたいなら「えーひとがおりまっせ」ということで釈先生を巻き込んで再来週、練心庵で二人でインタビューを受けることになった。 いきなりインタビューされても答えに詰まることもあろうから、事前に質問状を送って欲しいと書いたら、こんな質問状が今朝届いた。
  スイスのラジオ局のひとりのディレクターから見えた「現代日本のイメージ」がはっきりと示されていて、たいへん興味深かったので、和訳したものを掲載しておく。 どういうふうに答えようか、これから考えてみる。
■質問状はここから↓
今日の日本に「日本の国民的信仰」というものは存在しますか? 単なる社会契約という以上の国民的な統合の軸というもの、アメリカ人における「市民宗教」(religion civique)に類するものは存在しますか? あるとすれば、それは日本文化の宗教的層である「無常感」のようなものでしょうか? 物質主義的な文化は日本の霊的生活にどのような影響を及ぼしているでしょう?
それは伝統的な宗教実践や、「マーケット志向的」(orientés client)な新しい宗教運動の出現には関与しているでしょうか? 先祖伝来の宗教文化の次世代への継承は果されているでしょうか?
日本は新しい外来の新しい宗教的表現(例えば韓国におけるペンテコステ運動のような)ものに対して開かれているでしょうか?
外来の宗教的表現に対する日本人の態度は、すべての外来の文物に対する程度と同一のもの(興味は示すが、どこか不信感もある)でしょうか?
あなたはマンガの専門家でもありますけれど、霊的な問題意識はこの領域には入り込んでいるでしょうか? マンガの世界から派生した独特なモラルというものは存在しているでしょうか?
現在政権の座にある日本の右翼( la droite japonaise actuellement au gouvernement)の政治的アジェンダには「宗教的」な面があるでしょうか?
神道は明治維新のもとで政治的目的のために功利的に利用されたのでしょうか?
靖国神社への参拝はその政治目的のひとつの実例なのでしょうか?
仏教もこのような歴史的変化によってその性格を変えたのでしょうか?
保守的言説が犠牲的精神や簡素さや愛国心や権威を讃えることと関連はあるのでしょうか?
「欧米由来の進歩的なヒューマニズム」に反対する言説と宗教の関係はどうなっているのでしょう?
戦後日本の「平和主義・平等主義的で寛容な」教育は物欲を煽ることで国を滅ぼしたとして糾弾されていますが、このような批判は日本国内ではどのように受け止められているのでしょうか?
個人主義は日本では敵と認定されたのですか?
民主主義的な価値観は日本では断罪されているのですか?
私が読んだものの中で、日本の社会学者たちは「無縁社会」(連帯を失った社会的危機)について言及していましたが、この概念は厳密にはどういうことを意味しているのでしょう?
意味の危機、未来への信頼の危機、アイデンティティーの危機、そういう危機感は日本の人口の高齢化とかかわりがあるのでしょうか?
日本の若者たちの一部が伝統的な社会経済の構造について無関心であることにかかわりがあるのでしょうか?
このような保守的言説には地理的に多少の偏り(都市部か地方か、中心か周縁か)があるのでしょうか?
戦後70年経ちましたが、日本は後戻りのできない方向に舵を切っているのでしょうか?(le Japon prend-il un virage irréversible ?)
あなたは坂本龍馬について言及していましたが、現在の日本が次第に閉じられた国になりつつあることに裏切られた気持ちを持っているのでしょうか?
あなたの父親は第二次世界大戦後の日本の再建にかかわってきたそうですが、あなたは(憲法九条に示されるような)平和主義的な日本はその終末を迎えていると考えていますか?
 ≫(内田樹の研究室より)
http://blog.tatsuru.com/

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