私は子供のころにイジメにあってた時があって、心がワンワン泣いていた時期がありました。
そんな貴重な体験をさせていただいたもんで、人と話すときは相手を傷つけないように話すということを意識してる。
「えっ!なに言ってんの!あんたに随分と傷つけられたよ!」という方がおられたら、ごめんなさい・・・。
それが反対に弱点にもなって、いざという時に厳しい言い方ができず、フニャフニャと締まらない言い方になってしまうことがあります。
でも、もういい年になったんだから、嫌われることを恐れずにハッキリと嫌なことも言おう、と思ってます。
しかし。
嫌だね。
ヘイトスピーチ、ですか。
自分が何様だと思っておるのか。
人種差別は人権意識の欠如です。
障害者差別、虐待、パワーハラスメント、セクシャルハラスメント、職業差別などなど、自分を上に見て相手を下に見る。
なにを根拠に自分を優勢と考えるのか。
子供が小学校に行ってた時期に、性教育をどう行うかという話題が父母会ででました。
私は当然、性教育は人権尊重の立場で行えばスムースに行くのでは、と思い、そう発言したら、先生はビックリした顔をされて、
「人権ですか・・・。」とおっしゃった。
幼児期から、男の子らしい、女の子らしいという意識はなんとなく親も持ちますが、小さな子でも一人の人間として尊重する、という意識を明確に持つ大人は残念ながら全部ではない。
小学校や中学校の義務教育の場や年齢において、人権尊重について考える・学ぶということがもう少し必要なんじゃないかな。
すくなくとも、相手の立場に立ってみようとする思考方法が身につくんじゃないかな。
他国の人に「死ね」と言ったり、原爆を体験した人に「死にぞこない」と言ったり、福島から来た子に「放射能がうつる」と言うようなことは、相手がどんな思いになるか、なんて考えない行為だもの。
自分以外の人に想いをはせる、ということ。
何か自分にできる、役立つ行為はないか考える、ということ。
それが身についていると、事件や災害、戦争などで大変なおもいをした人たちへ寄り添う気持ちを、時として忘れても、忘れ去ることはできない、と思うんです。
ところで、知り合いの元サッカー選手が、大阪人権博物館で行なわれた「SAY NO TO RACISM-人種差別にレッドカード-」」というパネルディスカッションに30日に参加したことがスポーツ紙に取り上げられたのですが、今年のJリーグでも、浦和レッズ対サガン鳥栖の試合で「JAPANESE ONLY」(日本人以外お断り)と書かれた横断幕が掲げられたり、横浜F・マリノス対川崎フロンターレの試合では観客席で外国人(黒人)選手を愚弄する行為であるバナナを振りかざす行為がそれぞれ大問題となりました。
記事によれば、パネリストだった元サッカー選手の知り合いは、2児の父として「とにかく子どもに見せたくない行為」と発言していました。
藤原さんのおっしゃる「自分を優勢」に見せようとする人たちは、子どもの視点でどう写っているのか全く考えたことのない人種なのでしょうね。
いつもコメントありがとうございます!
スポーツの世界に政治や人種差別を持ち込むのは言語道断の行為ですね。
スタンドでバナナを振り回す勇気があるなら、もっと別のことに発揮せい!と思います。