藤原愛子の日常茶飯事

前稲城市議・藤原愛子のもろもろな日々

<期待>の背中には<失望>が貼り付いている

2017年10月16日 | 雑感
  
 先日の三連休、二学期制の公立小に通っている孫が学期休みということで、息子家族が遊びに来ました。

 一番の目的は「よみうりランド」!

 雨模様でちょっと心配だったのですが、運よく午後にはやんで、午前中に仕事を済ませたわれら老夫婦(なんのわれら!見た目は若いんだ!)と息子家族で向かいました。

 まあ、いつもなら並んでならんでやっと入れる<グッジョバ>もガラガラ!

 他の乗り物もゲームもずんずん♪  

 暗くなるまで遊んで満足して帰途につきました。


  あんまり孫たちと遊んだり関わる機会がないのですが、今回とっても嬉しかったのは、ついこの間まで人見知りが激しく、だっこも拒否していた下の孫が、「人見知り時期」を脱して、「ばあば(^^)}と両手を差し伸べてくれたこと。もうだっこもOKになったこと。


 
 「なんじゃそりゃ・・・」と、お思いの方もおいでかもしれませんが、理由なく嫌われるよりもやっぱり好かれた方が気持ち良い。


 孫のこの成長による急激ともいえる<変化>は、実に好ましいです。


 一方。

 今までそっけなかった人が突然親しそうになる<変化>は、きっと何かある。

 もしかしたら何か悪だくみでも?と疑ったりしてしまいます。


 みなさんも経験したことはありませんか。

 選挙中、候補者が誰彼かまわずに両手で握手してペコペコしますよね。

 顔と名前と愛想の良さで、一票を入れてもらおうと。 


 ところが、その人、当選した後しばらくすると、「誰?あんた」みたいな顔してる。


 そりゃあ不特定多数の方にペコペコしていたので、そう握手した人全員覚えているわけではありませんが、少なくとも誠実な姿勢は保っていてもらいたいですよね。

 そしてそれ以上に、「○○をやります!」とか「△△をしません!」とか話したことは、ちゃんと守ってもらいたい。

 その内容が急激に<変化>する人がいる。 まったくがっかり。


 議員候補者が口にする耳触りの良い「やります」もしっかり聞く必要があるのですが、その候補者の<人格がどうか>というのを考えることが大切ですね。いやいやなかなか透けて見えませんが。


 少なくとも、「誰がなっても同じ」ではありません。

 
 今回の解散は後からいろいろ理由をくっつけたものになっているし、希望の光が見えて期待したけど失望した人もいるでしょう。そして新しい動きにまた期待している人もいる。

 「誰がなっても同じ」「誰がなっても変わらない」と思って、頼まれたから投票するとか、どうでもよいから棄権するとかなさらずに、貴重な一票をご自分が納得するようにお遣い下さい。

 

 
コメント
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