今日はお盆で<敗戦記念日>。
土曜日曜と、我が家に子ども家族が来訪しました。
娘家族は夫さんと五か月の男の子。
息子家族は妻さんと五歳の男の子と一歳の女の子。
いつもは母と夫と私という、高齢者三人生活が実ににぎやかになりました。
先日夫に「孫ってかわいいねー」と話しかけたら、夫は「子どもがかわいいな」と。
そう、いくつになっても確かにわが子も可愛い。そして孫ってまた別の可愛さがあるのですね。
その孫たちとじゃれ合って、赤ん坊をだっこして、その柔らかさと愛おしさを味わった後、みんな又ねと帰った夜に、新聞の朝刊を読みました。
そして、ひとつの見出しが目に入りました。
朝日新聞三面の「日曜に想う」の欄の見出しです。 筆者は編集委員の福島申二氏です。
「八月の赤子はいまも宙を蹴る」
さんざん赤ん坊をだっこした私は、肌色の柔らかな赤ん坊が元気に笑っている姿を想像しました。
それはまったくの間違いでした。
記事に書かれた内容を読んで、私は愕然としました。
これはは宇多喜代子さんという方から了解を得て、筆者が載せた俳句でした。
空襲を受けた地で、両手両足を宙に向けた姿で黒く焼かれた赤子の姿を詠まれたものでした。
太平洋戦争の時に観たその姿と同じ赤子の姿を、14年前の中東の報道写真でも見られたそうです。
一部の大人がはじめた戦争によって、赤子は突然に未来を奪われ、理不尽さを訴えるように両手両足を宙にあげたまま黒焦げの姿にされた。
孫を笑って抱いていた自分と、黒く焼かれて息絶えた母と子の姿を比べ、改めて戦争のむごさ、悲しさが胸にせまりました。
今、先の戦争から71年の時が流れ、戦争の悲惨さ残酷さを次世代に伝える戦争体験者の高齢化が顕著となって、これからどのように伝えていくのかが、ひとつの課題となっています。
体験者の言葉は重く、それを引き継いでいく困難さはあると思います。
けれど、一枚の紙で戦場に行かされ、自分も相手も命を失う危険に晒される。残された家族も容赦なく死んでいく。赤子だろうが。
そんな戦争はもうやっちゃだめだ、と言うことを、体験はしていないけれど、あらゆる立場で、あらゆる方法で、自分のものとして語ることはできると思うのです。
また、そうしなければならないのだと思うのです。
戦争に、勝とうが負けようが、死者は二度と還ってきません。死んでしまった何百万の人たちは、もう声をあげられない。その代わりに私たちが声をあげていかないといけないと思うのです。
私は、自分の孫だけでなく、未来の赤子を黒焦げにする行為にはどんな理由をつけようと、反対の声をあげていきます。