藤原愛子の日常茶飯事

前稲城市議・藤原愛子のもろもろな日々

「ガレキ」と言われているけれど

2012年04月11日 | 雑感
 今、各自治体で重大な問題になっているもののひとつに、被災地の「ガレキ」を焼却すること、があります。

 「ガレキ」と呼ばれていますが、私のつれあいは、「ガレキと呼ぶな!」といいます。

 それらは、家だったり、工場だったり、また愛車や机、記念に買った生活の品々などだったもので、無残に壊れてしまったけれど、けっして「ガレキ」などと呼ばれる筋合いのものではない、生活の歴史や思い出の品なんだぞ、と。

 私もその気持ちは十分に感じていますが、申し訳ないけれど、ここでは「ガレキ」と書かせてもらいます。


 この「ガレキ処理」について、様々な意見があります。

 被災地の痛みをみんなで分けよう。復興の妨げになっているわけだから、全国でガレキを受け入れるべきだ。と、いう意見。

 いやいや、放射能を日本中にばらまくことになるから、被災地内で処理すべきだ。と、いう意見。


 マスコミは、受け入れる、と受け入れないの、二者択一の書き方をしているケースが多いですね。専門家の意見も分かれているのがいろいろ載ったりしています。

 これは原発でもそう。

 原発再開か、脱原発かの二者択一。

 私はどうもこのふたつのどっちかに意見を割ってもめさせることで、本来責任をとるべきところへの追求から関心をそらす手をとっている気がするんです。

 
 なぜ、2300万トンはあろうという「ガレキ」のうち、わずか20パーセントの400万トンだけ、全国の自治体で「燃やせ」と言っているのか。それだけでいい根拠が分からないし、被災地のガレキがまだ5パーセントしか片付いていないのと、どう結びついているのかわからない。

 あ、続きを書きたいけれど、本日ちょっと夜会議がありますんで、続きは、また!
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする