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パワハラ社員に遂に島流しの処分が下る!

2017年01月11日 19時49分59秒 | 職場人権レポートVol.3

  

 昨年末にブログに書いた例のパワハラ社員ですが、数日前に昼勤から夜勤に異動になりました。同じ事業所内で勤務時間が変わっただけなので、正確には異動ではないかも知れませんが。でも、私としては、彼の顔を観なくても済むようになっただけでも良かったです。
 例の謝罪誓約書の後段で、いきなり「会社に対しいかなる債権も異議もありません」「今後、名目などの如何を問わず、いかなる請求もしない」なんて書いてあったので、幾らパワハラの加害者と言えども、「身から出た錆とは言え、そこまで書いてしまって大丈夫なのか?」と、実は私も他人事ながら少し気がかりでした。それが、いきなりこんな形で現れるとは、私も予想していませんでした。でも、パワハラ被害者の立場としては、やはり喜びの方が大きいです。

 今回の彼の異動については、バイトの間でも色々憶測が飛び交っています。
 一応、表向きの異動理由は「夜勤体制の強化の為」という事になっています。確かに、ウチの勤務先では7対3の割合で夜勤の方が仕事のボリュームが大きく、人員もそちらに傾斜配分されていますが、それでも部門によっては人手不足が顕在化していましたから。
 でも、それを額面通りに捉える人は、バイトの中にはほとんどいません。何故なら、元々、彼は徒歩通勤も可能なくらいに職場の近くに住んでいるのに、今まで一度も夜勤に異動になった事が無かったのですから。他の社員は頻繁に夜勤に異動になったりしているのに。昼勤でも使い物にならない彼に、ハードな夜勤業務なぞ務まる訳がありません。多分、また昼勤に戻されるか、いよいよ退職に追い込まれるか、そのどちらかでしょう。(尚、彼と入れ替わりに夜勤から昼勤に新入社員が回って来るという話は、私の勘違いでした。申し訳ありません。当該コメントも既に削除しました。)
 彼も、私に謝罪して以降の数日間は、今まで全然やらなかったレイアウトの床の線引きも、自分から進んでやるようになっていました。この会社に入社してから20数年目にして、やっと反省の心が芽生えて来たようです。しかし、もはや遅すぎました。40歳以上にもなって、あんな小学生並みの反省文しか書けないようでは、お話になりません。自業自得です。

 そして昨日、所長から「プレカリアートさんも朝礼に出てくれないかな?」と「打診」されました。実は私、パワハラ社員の行う朝礼の余りのデタラメぶりに愛想を尽かして、もう半年ぐらい、バイト朝礼をボイコットしていたのです。朝礼のデタラメぶりについては、今までの記事やコメントにも書いていますので、それを見て下さい。
 「確かに、至らない社員で、至らない朝礼ではあったけれども、今回××(例のパワハラ社員)も異動になった事だし、これを機に、皆と足並みを揃えてくれないかなあ」と、哀願調に頼まれました。普通の会社なら、バイトが勝手に朝礼をボイコットするだけで処罰の対象になるのにw。
 「足並みを揃えて」という所に、この会社の体質が如実に現れています。形式主義というか、上辺だけ取り繕えば良いという姿勢が、もう見え見えで。朝礼ボイコットなんて、私も本当はしたくはないのです。でも、そこまでやらずにはおれないほど、バイトを追い詰めたのは一体誰なのか?例のパワハラ社員を放置し、人材育成や業務改善をサボりまくってきたのは一体どこの会社なのか?その根本原因を是正せずに、「足並みを揃えて」と、あくまで形式にこだわる時点で、もうアウトです。軍隊や刑務所じゃあるまいし。そんな会社が大半だと言ってしまえば、もうそれまでですが。

 もう、朝礼ごときで所長ともめても仕方がないので、一応、次から出るようにしますが。でもまた、社員の方から朝礼をすっぽかしたり、肝心な連絡は何も言わずに、お題目の唱和やバイトの揚げ足取りばかりに終始するような朝礼なら、またいつでもボイコットしてやります。
 私、所長に言ってやりました。「俺らバイトの時給が低いのも、ただ飯食いのダメ社員が大勢いるからじゃないか!会社もダメ経営者がダメ社員の上にあぐらをかいているからじゃないか!」と。バイトが正社員を攻撃して、労働者同士の対立の陰で資本家だけがほくそ笑むような、こんな言い方、本当はしたくはなかったのですが、この会社については、ここまで言ってやらないと分からないので。

 つい先日、「アイヒマンを追え!」という映画を観て来ました。戦後、偽名を使って南米に逃れていたナチスの戦犯アドルフ・アイヒマンの所在を突き止め、国際法廷で裁く事に成功したユダヤ系ドイツ人検事長フリッツ・バウアーの実話を基にした、今話題の映画です。アイヒマンはナチス最高幹部の一人で、数百万人のユダヤ人をポーランドのアウシュビッツ強制収容所のガス室に送り込んだ戦争犯罪人です。ところが、実際のアイヒマンは、何の変哲もない几帳面で小心者の男でした。その小心者の男が、良心を失い組織の歯車になった途端に、大量虐殺も平気で行えるようになる事が、国際法廷の場で白日の下にさらけ出されました。そして、国際法廷の場でも、「私は上司の職務命令に忠実に従っただけだ」と、見苦しい言い訳に終始していました。例のパワハラ社員と同じように。

 

 他方で、この映画に出てくるアイヒマンを追い詰めたバウアー検事長も、同性愛者としてナチスに弱みを握られ、仲間を売る事で処刑を免れた過去を持ちます。つまり、戦犯もそれを追い詰めた検事長も、どちらもごく普通の人間であったのです。戦犯が几帳面だけがとりえの小心者なら、それを追い詰める検事の方も、当時のドイツでは性犯罪として処罰の対象になっていた同性愛者でした。どちらもスネに傷持つ身でありながら、方や戦争犯罪人として処刑され、もう方や戦争犯罪を暴くきっかけを作った歴史の功労者として名を残すまでになった、その分岐点は一体どこにあったのか?ひとえに、当人の心がけ次第ではないでしょうか。

 現総理の安倍晋三を筆頭に、今も戦前美化の本音をポロッともらす政治家の発言が後を絶たない日本とは対照的に、ドイツはナチスの戦争犯罪と真剣に向き合ってきたとよく言われます。ところが、そのドイツ(旧・西ドイツ)も、1960年ぐらいまでは、日本と同じように、ナチスの生き残りが政治・経済や社会の実権を握っていました。映画の中でアイヒマンを追い詰めた検事長も、政府内に潜むナチスの残党から、執拗な妨害や脅しに遭います。しかし、それに屈しなかった検事長も、決して特別な人間ではありませんでした。

 実は、人は、本気で変わる気さえあれば、後はちょっとしたチャンスさえあれば、いくらでも変わる事は可能なのです。逆に、変わる気がなければ、いつまで経っても同じです。このパワハラ社員や、それを放置して来た会社も、それと同じではないですか。
 アイヒマンを追い詰めたバウアー検事長も、自分の職務の範囲内で出来るだけの事をしたという意味では、「職務に忠実に」大領虐殺を実行したアイヒマンや私に暴力を振るったパワハラ社員とも、何ら変わりはありません。ただ、バウアーの場合は、そこに保身だけでなく、戦争犯罪などの不正を許さない義侠心(ぎきょうしん)や、職務に対する誇りみたいなものもありました。
 それがあるから、バウアーは一歩前へ足を踏み出すことができたのです。そして、バウアーの後に続く人間も出て来て、戦争犯罪に甘い当時のドイツ政府の姿勢を変えていったのです。それがそのまま、戦争責任に一定ケジメをつけて諸外国からも信頼されるようになった現在のドイツと、いまだにA級戦犯を祀り「あの戦争は正しかった」と主張する靖国神社に参拝し、慰安婦やアジアの戦争犠牲者だけでなく国内の日本軍兵士や戦争犠牲者をも貶める安倍政権を容認する「社畜」日本の違いとなって現れているのです。

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